コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:風越山 (飯田市)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

改名提案

[編集]

本記事について、『風越山 (飯田市)』と改名することを提案致します。本件提起の理由ですが、『広辞苑』第7版に風越山は長野県飯田市にあると記載されています。風越山(伊那)という表記であると、長野県の伊那市を指しているのか、下伊那地域の伊那を指しているのかが不明であるため、風越山(飯田市)の方が適切であると考えます。本件に関してご意見をよろしくお願い致します。--くま人 2018年9月7日(金)17:56 (UTC)

(コメント):長野県にはこの飯田市にある風越山 (伊那)木曽郡上松町にある風越山 (木曽)があります。それぞれの山名は、伊那地方(伊那側)と木曽地方(木曽側)の山であるする意味で作成したのではないかと思われます。それぞれ、「風越山 (飯田市)」、「風越山 (上松町)」に改名しても良いと思われます。--Alpsdake会話2018年9月10日 (月) 09:35 (UTC)[返信]
賛成 プロジェクト:山を見てもカッコ内は行政区画がいいようなので改名に賛成します。Alpsdakeさんの意見を踏まえて、ノート:風越山 (木曽)風越山 (木曽)風越山 (上松町)に改名する提案を行いました。--Asturio Cantabrio会話2018年9月11日 (火) 09:40 (UTC)[返信]
チェック 賛成意見を得てから1週間経過したため、改名致しました。--くま人会話2018年9月18日 (火) 17:46 (UTC)[返信]

山の名前の由来

[編集]

風越山の名前の由来についてですが、「山頂の大くぼみのところを風が吹き越えるところから風越山(かざこしやま)と呼ばれるようになった」ということです。また、「風越の峰」(かざこしのみね)と辞書で引くと「〔歌枕〕風越山(かざこしやま)に同じ」とあります。風越または風越山の地名のついているところは、山頂と山頂の近くの大くぼみの上郷側の地積にあるそうです。

 風越山は校歌にも歌われていて、飯田市内の丸山小、追手町小、鼎小、飯田東中、飯田西中、飯田高校、飯田工業高校の校歌の歌詞にありますが、それらはすべて「かざこし」と歌われています。

 このように、風越山は「かざこしやま」の呼び名で飯田市の象徴の山として、また、山頂近くには「白山妙理大権現」も祀られており、古来から信仰の対象として権現山、権現様とも呼ばれ、市民に親しまれてきました。

 さて、ではいつから「ふうえつざん」と呼ばれるようになったのか? 実は、このことを明快に記述している書籍があります。「かざこしやま叢雲薫風~伊藤文男遺稿集~」という書籍です。この中に「風越山の呼名は<かざこしやま>か<ふうえつざん>か」という一説があります。前回「その1」の内容もその一説を参考にさせていただきましたが、風越山が「ふうえつざん」と呼ばれるようになったのは、「風越(ふうえつ)高校」の誕生が関係しているようです。以下、風越高校の校名を決めた際の逸話の部分をそのまま引用します。


 終戦後に学制改革が行われた新制高校が発足したのは昭和23年である。翌年の昭和24年4月に飯田西高等学校と飯田北高等学校(飯田市立高等学校が県立に移管され校名が変更)両校が統合し5月に長野県飯田風越高等学校と改称された。

 さて、統合による新しい校名をどうするかという問題で、職員会議、生徒会での話し合いで広く意見を聞くことにし、最終的には全校投票で校名を決定することに決まった。候補の校名桜ヶ丘高校、桜町高校、城北高校、白嶺高校、姫百合高校、風越高校に多くの支持があったので、全校の職員生徒が昭和24年4月19日講堂に集合して討議を開始して、次々と生徒、職員が登壇して自分の支持する校名を推薦して訴えて、みんな一生懸命であった。白嶺高校に相当の支持者があったが、当時「嶺」の時は当用漢字にないので「白根」か「白峰」になるといわれて支持者が減少し、桜町高校と風越高校の支持者が優位であった。4月20日に投票結果が発表され、絶対多数で、朝夕に仰ぐ郷土の山、風越山を象徴した「風越高校」に校名が決定した。

 呼名については「かざこし」か「ふうえつ」かと議論されたが「かざこし」は男性的でごつい感じがする。女子校らしいさわやかな明るい「ふうえつ」がよい。「風越」の漢字の読みは辞書には「かざこし」となっているが校名は固有名詞であるから「ふうえつ」が良いという意見が多数で「ふうえつ」に決定した。

 当時の辞書には「ふうえつ」の呼名は出ていなかった。


 風越高校は、今は共学となっていますが当時は女子校でした。名門女子校の校名が風越高校となるとその影響は大きく、それから程なくして風越が「ふうえつ」と呼ばれることが多くなり、昭和45年以降に出版された風越山を紹介する書籍等に「ふうえつざん」と紹介されて出版されたことや、テレビ放送のアナウンサーも「ふうえつざん」と放送されたことも大きかったようです。

 このような背景があって「かざこしやま」ではなく「ふうえつざん」と呼ばれることが多くなったようです。特に市外の方は「ふうえつざん」の呼び名が当たり前のように思われることが多いようですね。

 ここでお断りをさせていただきますが、飯田市内の「風越」を冠する事業所や保育園で「ふうえつ」と読む場合は多くあります。これらは皆それぞれ固有名詞ですので、その呼称は風越高校と同じように尊重されるべきものです。それぞれの名前に様々な思いが込められていることは、風越高校の校名が決まった歴史と同じようにあるでしょうから。今回は、あくまで「風越山」は「かざこしやま」と呼ぶのが本来ですということだけご理解いただければと思います。

 風越登山マラソンについて

第57回風越登山マラソン大会(平成23年度)より大会名を「風越(かざこし)登山マラソン大会」に統一しました。これまで、風越(ふうえつ)登山マラソン大会という呼び方もされてきましたが、歴史的、文化的見地から、呼称を風越山の正式名「かざこし」統一しました。

上記投稿は、 2014-10-05 に利用者:西脇 充会話 / 投稿記録 さんが行いました。--X-enon147会話2018年9月10日 (月) 05:23 (UTC) が補足。[返信]