ノート:須賀浦海水浴場
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『想い出の伊勢電特急』を典拠とすることについて
[編集]現状では、典拠のひとつとして「想い出の伊勢電特急「はつひ」で85分の旅の1ページの記述」が提示されています。
この書籍は、国立国会図書館のデータベースにある、椙山満 編 1987年 の書籍を指しているようですが、これは、編者である椙山満が私家版として発行したものであり、Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源とされている「自主公表された情報源」に当たります。
従って、この私家版の書籍を典拠とするのは適切ではないものと思われますので、より適切な典拠を提示していただくか、記述を削除すべきと考えます。 あるいは、何らかの特殊な事情があってこの私家版書籍を典拠とすることに正当性があるということでしたら、具体的にその理由の説明をお願いします。
なお、既に、この書籍を典拠とすると思しき(判然とはしていませんが)記述のうち、宿泊施設が現在もあるかのように誤読させる可能性があると思われた記述、および、特筆性のない現存しない宿泊施設の具体名の列挙の部分は、除去しています。--山田晴通(会話) 2013年3月23日 (土) 22:38 (UTC)
- 「宿泊施設の具体名の列挙」は『想い出の伊勢電特急』を用いた加筆の前からありました。もともと別の文献で書かれていた文章の途中に『想い出の伊勢電特急』で書き足したからこうなったのであって、この履歴で「宿泊施設一覧は『想い出の伊勢電特急』が典拠だ」と考える人はいないでしょう。宿泊施設が現存するかのような記述になったのも途中の版で、初版時点では「こんな宿泊施設があったのは過去の話だ」とわかる記述になっていました。こういう投稿者にこの本を使う正当性を尋ねたところで、地元の図書館にあったから、と返ってくるだけだと思います。
その初版を見ると、文末に「四日市市立富洲原小学校100周年記念誌162ページ~163ページ(昭和51年発行)」と書かれています。このパターンは「文章全体がこの本によるもの」の意味であることが多く、見てみたら実際にそうでした。その次の版では162ページの何行目か書き足してあったり、校歌が全文投稿してあったりと、どんな人が投稿しているのか察しがつく状況です。疑問を感じた時点で「判然」とさせておけば、著作権の観点で懸念がある文章が10年以上も放置されることはなかったのではないでしょうか。--西村崇(会話) 2024年11月7日 (木) 12:00 (UTC)