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ノート:靖国神社問題/過去ログ1

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参拝の歴史について

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参拝の歴史を追記しましたが、WWW上のまとまった資料としては日本共産党朝日新聞が提供しているものしか見つかりませんでした。良く分かりませんが、記述されている参拝時期の選択が恣意的などの問題があれば是非、補間してください。

それから、記事名は現状のままで差し支えないでしょうか? 読点が含まれていることに違和感を感じなくもないです。Yugui 04:14 2003年12月9日 (UTC)

記事名についてですが読点が含まれているのはちょっと気にはなります。その点に付いては百科事典の記事名としてふさわしいかどうかということになると思うので、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方あたりで意見を聞くのが良いのではないでしょうか。むしろ私は記事を読んでみて、「首相、大臣の」が必要なのかどうかがちょっとわかりませんでした。この問題以外に靖国神社参拝問題と言われている問題があるのでしょうか? ちょっと探したくらいでは見つかりませんでした。外部からリンクする際には靖国神社参拝問題とすると思うのでそちらに移動してはどうでしょうか?suisui 04:28 2003年12月9日 (UTC)

ちょっと一言。「首相、大臣の」問題以外には、「参拝」を求める立場から、外国からの国賓その他訪日した外国要人の参拝を主張する意見もあり、これもまた「靖国神社参拝問題」のひとつとして挙げてもよいのではないかと思われます。「参拝」した、という問題と同時に、「参拝」しない、できない、という問題も、考慮してみてはよいのかもしれません。219.167.8.241

ごくろうさまです。わたくしが知る限り、WWW上での詳細な資料は、

ではないかと思います。いずれも、

のサイトの中にあります。

おっしゃるように、日本共産党は、

にありますが、ほかに、最新の情報は、

で、朝日新聞と共同通信の記事が読めます。また、

では、2001年9月30日以前の記事をまとめて読むことができ、ここにある検索窓を使えば、最新の情報を入手することもできます。

さらに、靖国参拝に反対する運動側のサイトとして、

などがありますが、まめに更新をしているところもあれば、更新されていないところもあります。

また、独立したアーティクルとしては、

などがあります。マスメディアを除けば、反対する立場が中心なので、以上に挙げたところばかりを参照して記事を書くと中立的な観点に欠けるかもしれませんが、とりあえず、すぐにわかる部分のみ挙げておきます。

記事の中身については、これからゆっくり拝見させていただきますが、記事の名称については、上に挙げたサイトの名称に見られるように、単に「靖国参拝問題」で十分特定できそうな気がしますし(私人の場合は問題になりませんよね)、もっと特定したければ「靖国公式参拝問題」、「公人の靖国参拝問題」、「公人の靖国神社参拝問題」などとすれば、問題ないと思います。
- Opponent 05:10 2003年12月9日 (UTC)

記事名について

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記事名ですが、参拝問題以外の問題なども含めて、「靖国神社問題」とまとめたらどうでしょう?219.115.123.64 19:23 2004年1月7日 (UTC)

首相、大臣の靖国神社参拝問題について、記述内容や指摘が中国や韓国との問題を意識したものに偏っているようにも感じられます。 靖国神社の参拝問題は、A級戦犯が合祀がされた事と政教分離の問題が国内の問題としてまずあり、中曽根首相の参拝問題があって、その上で現在の中国や韓国が問題としている「靖国に参拝する事に起因する日本政府の政治姿勢の問題」と繋がっている事を、問題点あるいは時系列に添って記述すべきように思います。 また、現在の記事名を1月にご指摘あったように「靖国神社問題」に変更する事を含めて、検討していきたいと考えています。まず記事名に関して、こちらにご意見をお寄せいただければ幸いです。--Tukasa ryo 2005年5月17日 (火) 10:09 (UTC)

合祀報道

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A級戦犯合祀問題の項目での「他の戦没者と分け隔てなく合祀した。」という記述と、歴史の項目での1978年に合祀したという記述は矛盾しませんか?Qazzx 2004年7月3日 (土) 17:50 (UTC)

ご指摘を受けて、歴史の記述の中から「密かに」「発覚」という記述を削除しました。 A級戦犯合祀については、すでに昭和41年に厚生省の引揚援護局調査課長通知による「祭神名票」の中に名前があがっており、靖国神社は昭和46年の崇敬者総代会でこれを了承します。そして昭和53年(1978年)の合祀にいたるわけですが、合祀する祭神をことさらに発表しないのは、靖国神社から見ればいつもどおりのことで、ことさらA級戦犯を「密かに」隠していたわけでもないし、それが「発覚」したわけでもないというのが私の考えです。合祀をきっかけに、「報道」されたというのが客観的な記述だと思います。また「分け隔てなく」という言葉には、逆の意味を含めたつもりで、当時の日本の指導者をことさら賛美する意図もなかったこともあらわしたかったのです。「分け隔てなく」というのはそういう意味で使ったつもりですが、もし言葉足らずでしたら修正してください。okamich 2004年7月4日 (日) 06:13 (UTC)

修正について

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久々に大きくいじりました。 思ったのですが、利益均衡の項目は必要だと思いますか? 靖国問題に限らずこういう考え方はあるわけですが、 これが根本的な解決に至るわけでもないし、 いらんかなーと思ったんですが、とりあえず残しております。

4月以降の地裁判決など追加しました。

概要に修正いただいた「天皇陛下」を「天皇」に戻させていただきました。報道や公文書にあっては「天皇陛下」が正しい記述だと思いますが、百科事典では敬称なく記述されているのが通例のようです。ウィキペディア項目天皇をご参照の上ご理解いただければ幸いです。--Tukasa ryo 2004年12月22日 (水) 12:45 (UTC)

A級戦犯合祀問題を加筆させていただきました。氏子総会(崇敬者総代会)で合祀が決定された年について、調べた範囲では46年および45年の二種がありましたが、年表ならびに「昭和45年6月30日、靖国神社総代会で、青木一男元大東亞相の強硬な主張によつて極東軍事裁判A級戰犯を靖国神社に合祀する方針が決められた」という資料から45年としております。また歴史の「1952年4月17日 日本の独立及び主権が回復する。A,B,C級戦犯の名誉回復を国会で議決。事実上、日本に戦犯は居ない事になる。」のこちらも確認した範囲では、国会で当該日付で戦犯の名誉回復が議決された事実は発見できず修正させて頂きました。国会で議決された法案なりありましたら修正宜しくお願いいたします。--Tukasa ryo 2004年12月13日 (月) 05:58 (UTC)

  • 上記二項目、topで記述せず下に追加していくルールを、正しく把握していなかったためご迷惑をおかけしました、訂正させていただきます。--Tukasa ryo 2005年1月28日 (金) 11:22 (UTC)
  • Regard氏、有益な情報ありがとうございます。罪を免じられるあるいは減じられる恩赦や特赦といった罪を無かった事にするものでは無く、あくまで拘禁をとくべしという早期釈放を求める決議ですから、当然連合国側にも異存はなかったと考えます。無論、これらをもって名誉回復にあたると仰る方々もいらっしゃるでしょうが、日本政府として東京裁判を受諾しているという見解であり、戦犯の名誉回復を公式見解として認めた事もないという事実に変わりはなく、これは正しく記述すべきだと考えます。--Tukasa ryo 2005年2月5日 (土) 02:09 (UTC)
  • ご指摘ありがとうございます。私も靖国のA級戦犯合祀問題にどう具体的関わりがあって、戦犯の名誉回復についての記述をなさっていたのか、先の記述の意図を掴みかねるまま誤り部分を加筆修正しておりました。「A級戦犯についての一般的認知は(A級戦犯)参照」といった形で本文内から名誉回復関連の記述を外し、具体的な靖国におけるA級戦犯合祀に関わる問題のみ記述した方が良いかもしれません。ノート下部にて「A級戦犯合祀問題修正案」として項目を立て内容を検討したいと思いますがいかがでしょうか?--Tukasa ryo 2005年2月10日 (木) 06:15 (UTC)

けがについて記述資料

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2005年1月28日 (金) 01:56に加筆した者です。まず、13日ではなく、15日の出来事でした。訂正します。「警察は見て見ぬふり」の部分は2chの書き込みに影響されたものですが、元となる書き込みを発見できず、記憶違いかも知れません。以上、おわびして訂正します。また、双方にけが人が出たとの記事もありますので、より穏当なそちらを今のところはメインに変えます。以下に出典と、上記とは別に参照した2chスレッドを挙げます。

『ダカーポ』2001年10月3日号、斎藤貴男「メディア時評 16」より 「(前後の記事略) 終戦記念日の八月十五日。東京・九段の靖国神社では、暴虐の限りが尽くされた。「お前ら朝鮮人か」。 「中国人と犬は出て行け」聞くに堪えない怒号の中、右翼の集団に襲われ、肋骨を折られたり眼鏡を 壊されたりする人が続出した。 (中略)  靖国には数百人単位の機動隊員が動員されていた。暴力行為は取り締まるのが仕事だろうに、 右翼が何をしようと、彼らは「まあまあ」となだめるだけ。咎めた新聞もない。」 (8/15のTBS「カウントダウン・トゥデイ」でも同様の内容を言っていたらしいが、確認できず)

『朝日新聞』8月15日号夕刊より 「神社前の通り100人もみ合い

正午すぎ、靖国神社に面した通りで「靖国神社解体」などと叫んでいたグループ約30人に対し、 街宣車に乗っていた若者がつかみかかり、制止する警察官を巻き込んで約100人がもみ合う 騒ぎになった。」

『毎日新聞』8月15日号夕刊より 「(前後の記事略) 神社前では賛成、反対両派が入り乱れ、警視庁麹町署によると数人のけが人が出た。」

靖国でウヨサヨが大バトル! http://kaba.2ch.net/news/kako/997/997855155.html http://mimizun.com:81/2chlog/news/kaba.2ch.net/news/kako/997/997855155.html

8/15 靖国神社参拝報告スレッド http://kaba.2ch.net/news/kako/997/997831575.html

73番:「ウヨとサヨが衝突??? どっちが勝ったの?」

76番:「>>73 双方数人が怪我した程度。 機動隊がとめてた。」

210番:「靖国に行ってきました(11:30~12:30ぐらいの間)。 草満率いるTBSチームがやられてたYO! 右翼兄が「反日TBSは帰れっ!」ってやったら 警官に守られながら、草満一行は尻尾丸めてそそくさと脇道に避難。 (11:50頃) 靖国神社から靖国通り挟んだトヨタビル前では 「靖国解体」と書いた布を持ったバカサヨがアッという間に 右翼兄にボコボコにされて、それを阻止する警官も加わり混乱状態に。 植木鉢やアルミの三脚が宙を舞ったのが印象的だった。 (12:10頃) あと「国民会議(だったかな?)」が境内で集会やってて フランス人運動家が日章旗と旭日旗振りながら、海ゆかばを歌ってて それをKBSが撮影してた(KBSは確か韓国のNHKだよね?)。 (12:20頃)」

222番:「テレ朝は議員の参拝経路にいたよ。 リポーター所太郎を見た」

223番:「>>222 やはりいたか。 朝日帰れコールが起こってたね。 「中国に帰れ」とか(w」

355番:「朝日帰れコールもやっちゃいました。 でも怒ってたのは数人であとはみんな笑ってたYO。 たいへんマタ~リしたいい雰囲気でした(藁」

505・507番:(その日の模様の写真、現在は見られず)--219.109.249.9 2005年1月31日 (月) 08:25 (UTC)

IPからの修正

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218.42.223.31氏、幾つかの修正をいただきましたが、理由のご提示の無い削除に関してはリバートさせていただきます。 また、「世界のどの国家も、国家もしくは民族のために命を捧げた英霊を一般国民が祀るための場所を設け、国家として慰霊追悼行事を行っている事から公私区別の議論は日本特有のものと言われる。」こちらに関しては、国としての行事である戦没者追悼式典について、公私の区別は一切取りざたされておりませんので削除とさせていただきました。外部リンク追加に関しては、中立の観点から靖国参拝肯定論だけでなく否定論としての外部リンクを合わせてご提示いただけるまでコメントアウトとさせていただきます。
218.42.223.60氏、理由のご提示の無い削除に関してはリバートさせていただきます。また、中立の観点から、問題と思われる表現や明らかな蛇足、文章としての不備を変更あるいはリバートさせていただきました。 外部リンク追加に関しては、中立の観点に加え、元来キリスト教主体である諸外国の政教分離の概念と、日本の政教分離の概念を混同して論じられている点で不備があるようにも思いますので、外部リンクとして適正かどうかご検討いただきたく、コメントアウトとさせていただきます。
61.205.94.252氏、2001年5月の毎日新聞の世論調査ですが、既に2004年12月の同新聞社の世論調査では靖国参拝問題に関して、小泉首相の参拝継続の賛成46%・反対41%と数字も推移しており、2001年度の世論調査のみ敢えて太字で記載される事は、中立の観点から疑問もありますのでこれをコメントアウトさせていただきます。--Tukasa ryo 2005年2月1日 (火) 10:20 (UTC)

削除は行なっておりません。また国としての行事である戦没者追悼式典についてのみの公私の議論では ありませんので更に修正を加えました。外部リンクについて肯定リンクを削除する方向でなく、否定論をご存知でしたらどうぞ加えてください。中立の観点から、問題と思われる表現や明らかな蛇足、文章としての不備、混同と思われる事例についての変更あるいはリバートはノートで議論合意を経てから行なってください。毎日新聞の世論調査については太字は解消しておきました。リバートやコメントアウトは編集合戦の原因となりますので極力謹んで下さい。--Yonsama 2005年2月1日 (火) 12:52 (UTC)

Yonsama氏にお訊ねします。あなたはIPから同一人物と思われる218.42.223.31氏・218.42.223.60氏および61.205.94.252氏なのでしょうか?--Tukasa ryo 2005年2月1日 (火) 13:21 (UTC)

横槍失礼します。これらのIPに関してはWikipedia:投稿ブロック依頼 2005年1月を参照願います。しるふぃおはなし2005年2月1日 (火) 13:30 (UTC)


218.42.223.31氏・218.42.223.60氏および61.205.94.252氏であるYonsama

  • 「概要」部分「戦後、昭和天皇は数年おきに参拝していたが、A級戦犯合祀後、参拝を中止。以来、天皇の参拝は途絶えている。ただしA級戦犯の合祀がされていない日本各地の護国神社への参拝は行っている。」
  • 「公私の別」部分「実効的な観点からすると、首相が在職中に行う行為は私的であっても、多少の差はあれ、全て政治的実効性を持つため、私的参拝は靖国神社に実質的に利益を与えるものと考えられ、問題があるとされる。」
  • 「歴史」1985年8月15日部分「シンガポール・ベトナム」

ほか細かな文言を含め、明らかに削除なさっていながら、削除は行なっていないなどと、履歴を見れば誰にでも解る事をどうして誤魔化そうとなさるのでしょうか。
あなたがどのような主義主張をもってウィキペディアに参加されようと自由です。ですが、その主義主張をウィキペディアを利用して広めようとなさるのは大きな間違いだという事をご理解ください。また「否定論をご存知でしたらどうぞ加えてください」ではなく、記述なさるYonsama氏がそれを探し加えてこそ中立の観点に則った記述なのです。明らかに偏りあると承知で記述なさる事は、ウィキペディアにあってこれもまた大きな間違いなのです。
あなたの記述された「中立の観点から、問題と思われる表現や明らかな蛇足、文章としての不備、混同と思われる事例についての変更あるいはリバートはノートで議論合意を経てから行なってください。」これはノートでの議論を最初から否定しIPでの根拠無き削除行為をなさった、218.42.223.31氏・218.42.223.60氏および61.205.94.252氏であるYonsama氏ご自身こそが省みられるべき事でしょう。どうかご自身の誤りをご理解の上、Yonsama氏ご自身の手で変更箇所をリバートなさるようお願いいたします。その上で、削除なさりたいあるいは変更なさりたい記述を、こちらのノートではなく、Miketsukunibito氏の掲示板にて議論合意をはかるべく、提起なさるようお勧めいたします。
Yonsama氏、本来ウィキペディアでは議論は奨励されておりません。残念な事にあなたのIPは、いたずらに議論を拡散させウィキペディアのリソースを消費した上に、編集合戦から本文保護になるといった状況を招き、さらに参加者ノートに中傷発言をするといった行為から、投稿ブロック対象であり現在も多重アカウント疑惑を指摘され、ウィキペディアに参加されるべき状況では無い方の物と同一なのです。Yonsama氏は、そのような人物と同一の方では無いと思いますが、現在のあなたの行為はその当該人物の行為に、極めてよく似た状況をたどっておられるのです。同じ轍を踏むことなく、どうかウィキペディアの方針をご理解くださり、正しくご参加していただける時をお待ちしています。--Tukasa ryo 2005年2月2日 (水) 08:54 (UTC)

建設的議論

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横道に反れた指摘や中傷等についてはリソースの無駄遣いを誘発しますので建設的な事にだけお答えします。靖国神社にもあるように天皇陛下の御親拝については以下のように編集したいと思います。

1975年(昭和50年)頃からマスコミによる「私的・公的」や「玉串料の支払」等の執拗な問いただしで、当時の三木首相の「私的参拝」発言により憲法論議を招来し政治的騒擾に巻き込む事になる。天皇陛下御親拝は1975年(昭和50年)11月21日、終戦30周年の御親拝が最後となっている。それ以降、春秋の例大祭などにおいては勅使が遣わされている。2004年8月15日には石原慎太郎都知事が『天皇陛下による参拝を望む』と、マスメディアに発言、賛同議員の発言もあり天皇陛下による靖国神社参拝を望む声もある。--Yonsama 2005年2月4日 (金) 11:29 (UTC)

再度Yonsama氏にお訊ねします。あなたはIPから同一人物と思われる218.42.223.31氏・218.42.223.60氏および61.205.94.252氏なのでしょうか?--Tukasa ryo 2005年2月4日 (金) 11:35 (UTC)

無駄なリソースの消費を避ける為建設的議論をお願いします。 以下については首相がどこの神社に私的参拝しても問題がある事になってしまい、逆に人権問題を指摘されうる内容ですので削除は妥当だと思います。

  • [[「公私の別」部分「実効的な観点からすると、首相が在職中に行う行為は私的であっても、多少の差はあれ、全て政治的実効性を持つため、私的参拝は靖国神社に実質的に利益を与えるものと考えられ、問題があるとされる。」--Yonsama 2005年2月4日 (金) 12:21 (UTC)

ブロック対象者によると思われる編集

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投稿ブロック対象者と同一のIPおよび、投稿ブロック対象者の多重アカウントと思われる方の編集を、一時リバートさせていただきます。--Tukasa ryo 2005年2月9日 (水) 09:00 (UTC)

見てるだろうから言っておくが、特設掲示板での議論に参加しないというなら永久に貴殿の復帰は許可されないと思うのであしからず。--ぶらっくさん 2005年2月10日 (木) 16:50 (UTC)

項目の移動

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宗教性について、現在各裁判等で争われている事柄、その行為についての政府見解を加えてみました。利益均等の内容から判断して、政教分離に絡む諸問題の位置に移動してみました。また、ご変更いただいたクリントン大統領宣誓の行は、前回までのように個人の信念に関わる問題としての扱いであれば問題なかったように思いますが、政教分離の観点からの問題を含める場合、アメリカと日本における政教分離の違いを示さなければかえって誤解を招く虞がありますので、加筆修正させていただきました。靖国神社が軍国主義に利用された事があるとは、一部の主張ではなく政府答弁にもありますのでこれも加筆いたしております。アーリントン墓地の宗教性についても若干の誤解があるように思いましたので修正しております。その他、いくつか修正を入れております。ご検討をよろしくお願いいたします。--Tukasa ryo 2005年4月7日 (木) 14:41 (UTC)

全体の流れを大切にしつつ、最小限に手を加えました。

  • 韓国の政府方針記事について、「中国、韓国との外交」項目へ移しました。
  • 横井庄一氏や小野田寛郎氏らを祭神簿から「削除」したという事実は無いので、まとめて書き直しました。「削除を認めれば分祀への道が開かれてしまう」と靖国神社が考えているかどうかは不明なので、靖国神社の硬直した態度についてのみ述べました。本文「極東アジアの軍人軍属の合祀」項目中でおしまいの「合祀反対者に選択自由を与えれば意見」という文を受けて、そのような自由は現状ありえない、という説明にもなります。
  • 靖国神社の時々の祭祀基準について、曖昧さを示唆するにとどめました。
  • 靖国神社が将来も新たな戦没者を受け入れる可能性のあるなし、誰がどのように戦争を戦没者を規定するのか、ということまでは触れませんでした。--わたあめひみつ 2006年9月18日 (月) 21:39 (UTC)

昭和天皇並び皇族関連について

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昭和天皇の御親拝が途絶えた後も勅使や皇族の参拝が続いてることについて書いたほうがいいと思うのですが皆さんどうでしょう?--218.230.134.178 2007年5月10日 (木) 16:32 (UTC)

A級戦犯合祀問題

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雲居雁乃氏、ご投稿いただきましたが、22日の集団参拝は80名だったようにも思います、資料をご確認いただけるでしょうか。また、「首相以外の靖国参拝は全く問題にしていなかった」について、日本政府高官の参拝については、以前からも中国外交部からは一貫して反対するとの立場が表明されていたと思います。今回も、西川公也内閣府副大臣および今津寛防衛庁副長官ほか、3人の政務官の参拝があった事から外交部から不満の表明があったものと思われます。

王毅駐日大使は、首相や官房長官および外相の3人が在任中に靖国に参拝をしない事が中国として許容できる範囲であるとする、従来からの中国政府首脳部の見解を示したものであり、二転三転にはあたらないように思われます。できれば、記述前にNET情報だけでない資料の精査をお願いできれば幸いです。--Tukasa ryo 2005年4月27日 (水) 10:39 (UTC)

雲居雁乃さまと同じく「首相や官房長官および外相の3人が在任中に靖国に参拝をしない事が中国として許容できる範囲であるとする」ですから22日のそれ以外の集団参拝に抗議しているのは矛盾だと思います。Tukasa ryoさまのご意向も汲んで加筆してみました。--Nataria 2005年5月19日 (木) 14:21 (UTC)

米国との比較

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また、米国と比較する意見もある。キリスト教徒であるクリントンアメリカ大統領が、再選後に大統領宣誓式という公の場でイザヤ書58章12節を開いて宣誓するといった行為が、アメリカの政教分離や公私の観点から問題視されていないことが、日本における参拝行為と比較される。

これ、アメリカではちゃんと問題にされてると思いますけど。Hermeneus 2005年6月6日 (月) 03:05 (UTC)

  • en:President_of_the_United_States#Presidential_elections: In accordance with Article II, Section 1, Paragraph 8 of the Constitution, upon entering office, the President must take the following oath or affirmation: "I do solemnly swear (or affirm) that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will to the best of my Ability, preserve, protect, and defend the Constitution of the United States." Only presidents Franklin Pierce and Herbert Hoover have chosen to affirm rather than swear. The oath is traditionally ended with, "So help me God," although for religious reasons some Presidents have said, "So help me."
  • Q: Should the U.S. President say "so help me God" with a hand on the Bible when taking the oath of office?
  • en:Pledge_of_Allegiance#.22Under_God.22_ruling: The matter of the Pledge's constitutionality simmered for decades below the public eye, until June 2002. In a case (Newdow v. United States Congress) brought by an atheist father objecting to the Pledge being taught in his daughter's school, the Ninth Circuit Court of Appeals in San Francisco ruled the addition of under God unconstitutional.


Hermeneus氏、ご指摘ありがとうございます。精査の足らない記述を致しました事、深くお詫びいたします。該当の部分は 「2005年3月31日 (木) 21:10 Bra氏」の記述を受け、確認もしないまま私が加筆修正を行ったものです。申し訳ありませんでした。
  • 大統領が宣誓時に"So help me God," という事もあるが、伝統的には "So help me."であった。
  • 宣誓時に"So help me God,"と言う事について、アメリカ国内でも各論がある。
  • 公立学校での国旗への忠誠の誓いに「神の下で」という表現は、宗教的に中立ではなく、アメリカ合衆国憲法修正第1条(政教分離条項)に違反するのではという訴えがあった。
アメリカにおいて、宣誓行為について少なくとも政教分離の観点から、問題があると考える方がいらっしゃる事が解りました。本来なら私が修正すべき事ですが、現在、私の修正をとにかくリバートしたい方がいらっしゃるようで、私が手を加える事で編集合戦を招いたり、本文保護に至る事態になってはかえってご迷惑ともなるでしょう。勝手を申しますが、お差し支えなければHermeneus氏のお手で修正いただければありがたく思います。--Tukasa ryo 2005年6月6日 (月) 14:19 (UTC)

記事名の変更提案

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以前にもご提案しておりましたが、現在の記事名である「首相、大臣の靖国神社参拝問題」を「靖国神社問題」に変更したいと思います。本来の靖国神社の問題とは参拝問題以外に、現在靖国神社に記述されている国家護持に関連する問題や、合祀問題とそれに類する訴訟等も合わせたものであるように思います。これらを整理統合し総合的に扱えるようにするためにも、記事名の変更は必要だと考えています。1週間を目処に検討をと思っておりますので、ご意見をよろしくお願いいたします。--Tukasa ryo 2005年7月14日 (木) 08:46 (UTC)

提案から一週間が過ぎましたが、ご異論も無いようですので記事名を変更させていただきます。--Tukasa ryo 2005年7月25日 (月) 08:41 (UTC)

記述の移動

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記事名変更に合わせて、現在靖国神社の中にある靖国神社問題に関わる記述をこちらに移動する予定です。ノート:靖国神社にてご意見を募っておりますので、よろしくご検討くださいますようお願いいたします。--Tukasa ryo 2005年7月26日 (火) 12:14 (UTC)

記事の保護に関する疑問

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履歴を見ると

2005年8月5日 (金) 23:25 Tietew M (+{{保護}})

この日に保護されています。 しかし、10日以上経過しているものの、Wikipedia:保護依頼にもWikipedia:保護されたページにも報知・説明がありません。 理由無き保護は問題と思われます。 その日だけ現われたIP参加者の悪戯を理由とするならば、翌日には保護解除が適当かと。 無責任な保護しっぱなしはやめましょう。Knife 2005年8月17日 (水) 15:11 (UTC)

高砂義勇兵の合祀問題について投稿者の反応がないため放置されているようです。johncapistrano 2005年8月17日 (水) 15:23 (UTC)

johncapistrano氏とNike氏の無闇なリバートが発端のようです。 この場合記述内容の誤りではないのでそう目くじら立ててリバートを繰り返す事もないと思われます。 編集合戦を招く行為を敢えて行い、管理者の偏向したブロック行為を露呈させ、編集保護に至らしめている最悪の結果となってしまっています。--最後通告 2005年8月20日 (土) 05:45 (UTC)

現在、特に論争が起こっているように見えません。「保護期間中の投稿用記事メモ」がたまっています。保護を解除するのが妥当ではないでしょうか。Pluto 2005年10月3日 (月) 07:57 (UTC)

保護期間中の投稿用記事メモ

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2005年9月30日
靖国訴訟で大阪高裁(大谷正治裁判長)は賠償の請求は退けたものの、(1)参拝は、首相就任前の公約の実行で、(2)参拝を私的なものと明言せず、公的立場での参拝を否定もせず、(3)発言などから参拝の動機、目的は政治的なもの――と指摘したうえで「総理大臣の職務としてなされたもの」と認定。「国が靖国神社を特別に支援し、他の宗教団体と異なるとの印象を与え、特定の宗教に対する助長、促進になると認められる」と違憲であることを認定。高裁で初の違憲判決となった。/これに対し小泉総理は同日の衆議院予算会議で「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」とし、「(今後の参拝に与える影響は、)ま、ないですね、(判決自体は)勝訴でしょ」と述べた。
メモ作成Opponent 2005年10月1日 (土) 08:29 (UTC)
済 - Opponent 2005年11月2日 (水) 05:17 (UTC)
2005年9月29日
「靖国訴訟」東京高裁(浜野惺(しずか)裁判長)は1審の千葉地裁判決を支持、原告側控訴を棄却。2005年9月29日。
小泉首相は、2001年8月13日、秘書官同行の上公用車で同神社を訪れ「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳、献花代3万円を納め参拝した。これに対し、千葉県内の戦没者遺族や宗教家ら39人からなる訴訟原告は、この参拝は総理大臣の職務行為として行なわれており、政教分離を定めた憲法に違反すると主張。小泉首相と国に1人当たり10万円の損害賠償を求めていた。
判決要旨:1審判決は、首相の参拝を「職務行為」と認定したが、今回の2審判決では、参拝は小泉首相の「個人的な行為」と認定。また、参拝は職務行為ではないため、原告側主張は前提を欠くとして憲法判断を示さなかった。
(1)神社本殿での拝礼は、個人的信条に基づく宗教上の行為、私的行為として首相個人が憲法20条1項で保障される信教の自由の範囲。故に礼拝行為が内閣総理大臣の職務行為とは言えない。
(2)献花代は私費負担。献花一対を本殿に供えた行為は、私的宗教行為ないし個人の儀礼上の行為。いずれも個人の行為の域を出ず、首相の職務行為とは認められない。
(3)「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した行為は、個人の肩書を付したに過ぎない。
(4)神社参拝の往復に公用車を用い、秘書官とSPを同行させた点。総理大臣の地位にある者が、公務完了前に私的行為を行う場合に必要な措置。これをもって一連の参拝行為を職務行為と評価することは困難。
(6)閣議決定(1982年4月17日)により、毎年8月15日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされ、2001年8月15日も全国戦没者追悼式が実施。しかし参拝は13日であり、政府追悼式と一体性を有さない。
※控訴棄却後の首相談話:「私は総理大臣の職務として参拝しているものではないと申しているわけですから。どういう判決かまだ見てないですけど」
メモ作成Kogane 2005年10月1日 (土) 20:50 (UTC)
済 -Kogane 2005年11月4日 (金) 14:41 (UTC)
2005年9月29日付け 東奥日報掲載「靖国訴訟判決要旨」(共同通信配信)に加筆修正。
2005年10月1日
大沢孝征弁護士による、いわゆる靖国訴訟の大阪高裁判決についてのコメント
TBSテレビ『みのもんたのサタデーずばッと』出演中の発言(2005年10月1日放送)。
※括弧内の言葉を加筆。
「まったく同じ行為をですね、東京高裁は私的行為だといってんですよ、職務行為では無くまったくの私的行為だと。だから憲法判断しないということで、原告の請求を棄却している。今回の場合は、大阪高裁はその翌日なんですけれども、これは職務行為で、憲法違反に当たると、しかし信教の自由を侵害していないから賠償は認めないと、こういう判断をしているわけですね。と、どうなるかと言うと、国側は勝訴したわけです。だから(国側は)上告できない。となると、原告側が、(今回の判決は)憲法判断していないからと、上告しない限り(原告側が上告しなければ)、最高裁に行く事は無いんですよ。つまり(大阪)高裁の判決は確定してしまう。そうするとね、ちょっとやや、違和感があるのはね、本来ストレートに判断すべきなのは、信教の自由を犯したかどうかという憲法判断すれば、請求は棄却されちゃって、それで済んじゃう訳でしょ。でも、その前の職務行為を憲法違反と言った以上は、もう1つの方(職務行為を憲法違反とした判断)もね、賠償を認めないとね、それを正面から認めて、最高裁の判断を仰げば良いと、僕は思うんです。そうしないで、そっちの方は認めないという事になると、(大阪高裁の判事が)自分の判断だけを確定させようとしたのかなって、言うような余計な勘繰りを与えて、本来司法っていうのは、政治的判断は好ましくない場所なんで、それをしたのではないかという批判を(今回の大阪高裁の判決は)招きかねないんですよ。だから高裁の判断として、あそこを憲法違反と言った以上は、最後まで憲法違反で、賠償を認めるべきだったんではないか。そうしたらもう、東京高裁(の判決と)とまさにストレートにあたりますから。」
メモ作成Kogane 2005年10月2日 (日) 9:45 (UTC)
済--Kogane 2006年4月20日 (木) 22:36 (UTC)

===戦後歴代総理の靖国神社参拝(回数)===

  • 小泉純一郎(5回): 2001年8月13日、2002年4月21日、2003年1月14日、2004年1月1日、2005年10月17日

- Opponent 2005年10月17日 (月) 04:03 (UTC) - 済 Opponent 2005年11月2日 (水) 05:17 (UTC)

「新たな慰霊施設の設置」部分

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「“内政干渉”との主張こそが違憲の政教一致、と言う意見もある。」これ文脈も意味も不明で削除すべきかと思いますがどうでしょう。分かる方解説してもらえませんか?--Xデー 2006年3月5日 (日) 08:57 (UTC)

[1]で編集されたそうですね。61.125.192.65さんによる編集ですが、私にはわかりませんね。その文脈は削除すべきだと思います。--経済準学士 2006年3月8日 (水) 06:25 (UTC)

ご意見ありがとうございます。本人からの説明もないようですから削除しておきます。--Xデー 2006年3月8日 (水) 14:58 (UTC)

大沢孝征弁護士のコメントについて

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大沢孝征弁護士のコメントは引用の要件を満たしていたので、削除依頼では存続票を投じましたが、一弁護士のコメント全文を本記事で丸々載せる必要はないと思います。「国側は形式上勝訴していて上告する機会がないことなどの批判があり、参拝を憲法違反の判断とする以上は、賠償を認めるべき」などとして、大沢弁護士の意見として記載したらどうでしょうか? --経済準学士 2006年4月21日 (金) 07:24 (UTC)

多数決で存続判定が出されましたが、引用の用件は満たしていないでしょう。ともあれ全文掲載が不要との意見には同意します。johncapistrano 2006年4月21日 (金) 07:29 (UTC)

これは一人の弁護士が個人的主張を述べたのではなく、専門的立場から、該当の判決が内包している法律上の問題点を[解説]したもの。話し言葉で多少長くはなっているが、法律上の事柄を一般向けにやさしく説明していて、分りやすくていいと思いますよ。引用としても、新聞記事に掲載された法律家の話の「要旨」を孫引で引用するのよりいいと思います。それに・・・、「著作権」の問題を指摘され、存続の多数意見が出ているのに半年も塩漬けにされ、ようやく存続で終了したばかりで、とたんに今度は「引用の用件は満たしていないでしょう」だなんて。べつに喧嘩じゃないんだから、すこし間を置いてみたらどうですか。投稿者だって別に[編集するな]と言っているわけではないのだから。--水田 2006年4月21日 (金) 08:16 (UTC)

>法律上の事柄を一般向けにやさしく説明していて、分りやすくていい
2005年首相靖国参拝問題ならそれでもまだいいかもしれませんが、ここは靖国神社問題について扱う問題です。首相の参拝記録などが書かれている節「歴史」に一弁護士の長いコメントが掲載されていることにはすごい違和感があります。その違和感のため、再度削除を提案します。反論がなければ、削除します。--経済準学士 2006年9月6日 (水) 02:16 (UTC)
  • 掲載の可否については既に「削除依頼」の議論により時間をかけて存続の結論が出たはずです。にもかかわらず、前回(2006年8月22日) は何の説明も無く一方的に削除されたのでリバートさせていただきました。もちろん「違和感」などと言う個人的、感情的理由を挙げて「消せ」といわれても承服致しかねます。何度も言うようですが、情報発信者(発言者・執筆者)の社会的地位(一弁護士であるか、著名なジャーナリストや政治家であるか)によって、情報自体の扱いが差別されるような事はないと言う点には、明確に結論が出ていたはずです。また、本記事が掲載された節は、首相の参拝記録を時系列順に並べた部分ですが、比較的多い文字数で説明・解説文が加えられた部分も多く、なぜこの記事だけが狙い撃ちされるのか理解に苦しみます。--Kogane 2006年9月6日 (水) 10:49 (UTC)
>掲載の可否については既に「削除依頼」の議論により時間をかけて存続の結論が出たはずです。
削除依頼は著作権侵害のためWikipediaから抹殺するか否かを議論したものであって、私はそれに対して著作権侵害を理由に削除をするものではなく、通常編集で対応すべきとして存続票を投じました。掲載自体には明白に反対いたします。私は「削除依頼」では著作権侵害以外の議論の結論が出ているとは思えません。
私は掲載自身に関して、存続票を投じたことは一度もありません。井上経介さんやKinoriさんが、著作権侵害の問題で存続票を投じた上で「記事中に載せる意味はない」と掲載反対のコメントがされているにも関わらず、著作権侵害を理由とした削除依頼で存続が出ただけで、「時間をかけて存続の結論が出た」とするのはおかしいでしょう。削除依頼議論の時点で掲載反対意見が出ているのに。削除依頼では書かなかったけど、私も井上経介さんやKinoriさんの意見を強く支持し、一弁護士の全文掲載に反対いたします。--経済準学士 2006年9月6日 (水) 13:10 (UTC)
>情報発信者(発言者・執筆者)の社会的地位(一弁護士であるか、著名なジャーナリストや政治家であるか)によって、情報自体の扱いが差別されるような事はないと言う点には、明確に結論が出ていたはずです。
結論は出てないでしょう。著作権侵害を議論する削除依頼で、あなたが勝手に「記事掲載の必要性の有無」まで議論していると判断し、管理者の存続結果に対して「記事掲載の必要性まで認められた」と勝手に解釈しただけじゃないですか? 何なら、この件に関してはもう一度投票にかけてもいいと思いますが。
ただ、靖国神社問題に関していえば、
政治家や公人や参拝記録や発言、判決をめぐる訴訟などは靖国神社問題の歴史として記載に値するでしょうが、今回の事例では一弁護士の意見となると、アウトサイダーである一コメンテイターの発言に過ぎず、靖国神社問題の歴史で記載するにおいて扱いに差が出るのは仕方がないでしょう。注釈で引用先を設けて大阪高裁判決に関する批判点をコンパクトにまとめるとかすることを提案します。
この事件に関しては、靖国神社問題の歴史として弁護士の意見を記載するのは
  • 判決と関係がない傍論によって、違憲判断とされること
  • 形式上勝訴で上訴できないこと
  • 違憲とするならば、原告の請求を全面的に認めて、整合性を取ること。
など、大阪高裁に限らず、「首相の靖国参拝における違憲判断」において全般的にいえることですね。--経済準学士 2006年9月6日 (水) 13:10 (UTC)


削除依頼の冒頭の議論で、「非公人で報道に当たる例ではないので」と言う点が依頼理由の1つに挙げられていたので、私は「公(おおやけ)の文献上や公共の放送などで公開された発言ないし文章(論文その他)については、一定のルールに従えば引用は可能なはずで、発言者ないし執筆者の社会的立場がどうであれ、その扱いについては基本的に平等なはずです。また「公人」と言う言葉自体の定義がやや曖昧であると感じます.」と所見を述べ、その後の皆さんの議論に委ねました。
そもそも、投稿の元になった情報がどのような社会的立場にある人の執筆・発言かを、どうやって確認しているのでしょうか。多くの場合、出典が明記されていないか、あるいはネタ元が無記名記事の場合すらあるでしょう。この場合、執筆者の社会的地位は検討すらできない。「~新聞」の記事といったところで、経済準学士さん流の言い方なら「一新聞記者・一論説委員」によるもの。なぜ「一弁護士」はダメで、「一新聞記者」は許されるのでしょうか。それよりも何よりも、出典のない投稿や、元の情報が無記名の場合にはこういった議論が起こらずに、私の投稿のように、引用一般のルールに従って詳細に出典(発言が公表された日時、場所及び発言者の姓名)を明記し、それがたまたま弁護士のテレビ番組の解説者の発言とわかる時だけ、問題視されのか、理解できません。
もちろん私は、自分の投稿記事に他の方が手を加える事を拒否したりはしていません。ウィキペディアへ投稿した瞬間から、この記事は、私個人のものではないはずですから。ただ、長い議論を経たのに関わらず、突然事前の議論も説明も無く全削除するなどの非礼を難じているだけです。この記事の扱いについて、経済準学士さんが示された編集提案には基本的に同意します(建設的な議論は歓迎です)。ただ、その編集のあり方についてはもう少し議論に加えていただきたい。私としては、「靖国裁判」などの節を新設して、「歴史」の節にある、その他の裁判関係の記事を含めて、まとめたらどうかと考えております。--Kogane 2006年9月6日 (水) 23:34 (UTC)
年表の途中に載せるにしてはやや長文かなあ、という気はします。年表中では簡潔に要約にとどめ、refer注釈を引っ張って最後に小さな文字ででも全文、というようにしてはどうでしょうか。--わたあめひみつ 2006年9月18日 (月) 20:40 (UTC)

大沢孝征弁護士の発言を「判決」の節へ移動しました。「出典」の節に弁護士の発言を注釈として記載するのは読みづらいと思ったので、注釈にしないでおきました。推敲できなかったので文章はいじっておりません。「告知」のテンプレートは外しておきます。何か問題があれば、改めてご提案いただければと思います。--伏儀 2007年11月12日 (月) 14:19 (UTC)

靖国戦争史観

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外国の報道ではA級戦犯だけでなく靖国の戦争史観も問題になってるぞ。合憲問題は殆ど無視されてるぞ。アメリカの大統領が毎週教会の礼拝に参加するのは問題にならないけど、もし過去の奴隷制を肯定するような教会で毎週礼拝すれば大問題になるぞ。なんでここでこの問題が記事に載ってないの。Vapour

ベンジャミン・フルフォードによると、中国や韓国は「参拝」に反対するけどアメリカは「参拝」自体には反対しない。その代わり、アメリカは「靖国史観」に反対しているって話ですね。

アメリカにしてみれば、現在アメリカ軍はかつて日本を専制支配から解放して民主国家に生まれ変わらせた「成功」を現在イラクで実現させる事をイラク戦争の大義名分としている以上、そのテーゼに反する動きを日本が取る事と言う事はある意味においては「裏切り」ですからね。

外部リンクについて

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以上のリンクを設定したところ、59.134.118.115氏によってたびたび削除されました。多少コミカルおよび風刺的な表現が使われている部分があるとはいえ、事実に基づいて靖国神社の問題点を反対の立場から的確に批判した秀逸なサイトだと思います。他のリンクが靖国神社に肯定的なサイトが多い点を鑑みても、バランスを取るために批判的な立場から書かれたサイトへのリンクも必要と考えますが、いかがでしょうか? 皆さんの意見をお伺いしたいと思います。 --以上の署名のないコメントは、Johnny Ace会話投稿記録)さんが 2006年11月29日 (水) 18:51 (UTC) に投稿したものです。

このサイトは明らかに誹謗中傷的な印象を受けました。コミカルといいますが、あの内容をコミカルと評価するなら「嫌韓流」をコミカルと言い切ることもできてしまう気がします。イラストの描かれ方が、対立する意見の持ち主を小馬鹿にするような印象を受け、不愉快に感じます。そもそも、靖国神社はもちろん、靖国参拝支持派の方々で、「加藤氏が火をつけられて当たり前」と述べている人間は、少なくとも責任ある立場にある人物においては見当たりません。一部のネット上の過激な論調にはその類の発言は散見されたのは認めますが、このサイトの表現方法は一面的で不適切ではないでしょうか。靖国を否定、あるいは首相の靖国参拝に反対する内容のサイトへのリンクを貼ることには反対ではありませんが、バランスの取れた内容でない限り、多くの人の支持を得ることができず、再び削除されるだけだと思います。 --以上の署名のないコメントは、219.117.204.212会話/Whois)さんが 2007年2月5日 (月) 10:41 (UTC) に投稿したものです。
    •  Johnny Ace氏から1ヶ月以上も反論のないところを見ると、このサイトがいかに不適切であるかが立証されたかと思います。私が何度も何度も削除しなければならなかった理由は皆様にもご理解いただけたと思います。世界的な公共財であるこのサイトに、一面的な偏った内容のサイトへのリンクを貼ろうとしたJohnny Ace氏に猛省を促したいと思います。 --以上の署名のないコメントは、59.134.118.115会話/Whois)さんが 2007年3月11日 (日) 04:15 (UTC) に投稿したものです。
    • 全てのコメントに返信することは議論の誘導につながりかねないと思い、ある程度コメントが集まるまでコメント自粛・静観するつもりでしたが、59.134.118.115氏から誤解を招きかねないような挑発的なコメントをいただいたため、反論させていただきます。59.134.118.115氏は、私が返信しなかったことおよびたまたま寄せられた(同氏の主張と近い?)わずか1件のコメントを根拠に"サイトがいかに不適切であるかが立証"されたとおっしゃっていらっしゃいますが、これはあまりにも短絡的な評価だと思います。
上記のお二方は"偏った"サイトであると評していますが、具体的に何を評して"偏っている"とおっしゃっているのでしょうか? 確かに風刺的なシニカルな表現が見られ、また一般的に風刺において事実を誇張するような表現がなされがちなのは事実ですが、風刺と誹謗中傷は似て非なるものです。このようなブラックユーモアと誹謗中傷などの悪意ある表現を同列で語ることはナンセンスです。これはよく新聞などで見られる風刺漫画などと本質的に同じものであり、これを誹謗中傷と言ってしまっては高級紙を含むほとんどの新聞が誹謗中傷になってしまいます。また、新聞とおなじようにその風刺表現が当該サイトの主たる趣旨でないことは明らかです。これは219.117.204.212氏が例に挙げている嫌韓流と決定的に異なる点です。(嫌韓流は"嫌"という字が使われていることから分かるように、中立性を度外視してNegativeなイメージを助長する悪意があることは明らかですよね?)
一方該当サイトは、アメリカのアーリントン墓地との比較や裁判所と右翼団体癒着などの一般的にはあまり知られていないバックグラウンド、貴重な遊就館訪問の記録や彼らの主張の矛盾など、有益かつ専門的な知識を持たない人にも読みやすく分かりやすい記述も多く、Wikipediaの中立性を維持するためにもLinkする価値は十分にあると考えます。少なくとも既存のLinkされているページを見る限り明らかな靖国擁護に偏っており、あまり中立性が保たれているとは僕には感じられません。もちろん該当サイトも万人に支持される主張・見解ではないでしょうが、右から左まで様々な主義主張を持つ人々が利用するWikipediaにおいて全ての人々を満足させることなど不可能です。当該サイトに対する評価もそうですが、このWikipediaの記事の中立性維持という観点も含めて、総合的な判断がなされることを期待します。引き続き多くの方からのご意見・ご感想をお待ちしております。--Johnny 2007年3月12日 (月) 14:30 (UTC)
件のサイトには
>彼(昭和天皇)が天皇に即位した昭和元年、つまり1925年は治安維持法が制定された年でもある。
なる記述があるが、昭和天皇が即位したのは1926年だろ(笑)。昭和天皇即位と治安維持法を強引に結びつけるために、即位した年を間違えるサイトでもあるんですね、このサイトは。--経済準学士 2007年3月12日 (月) 14:41 (UTC)
昭和天皇は摂政になっていた事まで無視されるんですね? 大正天皇は既にお飾りに過ぎなかったんですが。--220.157.207.140 2007年5月8日 (火) 09:35 (UTC)
>昭和天皇は摂政になっていた事まで無視されるんですね?
摂政を即位とみなしても、摂政は1921年ですし、1921年は治安維持法は制定されていません。即位した年は間違えるわ、摂政を事実上の即位とみなしても、摂政年に治安維持法が制定されていないし。昭和天皇即位(摂政)した年と治安維持法の制定年に関して(年を無視して)強引に結びつける論法には変わりありません。--経済準学士 2007年5月8日 (火) 11:21 (UTC)

この記事と靖国神社は同じ理由で保護がかかっていましたが、靖国神社のほうは、保護が取れました。 こちらにも同じ議論が適応できると思うので、「真やすくに大百科にリンクを貼らない」という結論に達したと思ってよいでしょうか。 一応、少し反論を待ちます。

>経済準学士さんwrote:昭和天皇が即位したのは1926年だろ(笑)。昭和天皇即位と治安維持法を強引に結びつけるために、即位した年を間違えるサイトでもあるんですね、このサイトは。

単に事実を書けば事足りるはずです。皮肉っぽく書くのは荒れる原因になるので止めてください。

219.35.139.100 2007年7月10日 (火) 12:13 (UTC)

記事「8月15日」について

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記事「8月15日」の節「できごと」において1985年の中曽根首相の靖国参拝と2006年の小泉首相の靖国参拝について、掲載の是非が議論されています。ノート:8月15日へお願いします。--経済準学士 2007年2月19日 (月) 11:49 (UTC)

中韓の行為は内政干渉でもあることについて

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中韓両国の度重なる批判は事実上の内政干渉であり、自らの反日行為全般の過ちは一切認めないため、このことの記載があってもいいと考えます。--203.138.227.10 2007年6月10日 (日) 11:41 (UTC)