ノート:陣風 (航空機)
スペック訂正について
[編集]- Damedamedame様。papamaruchan22ともうします。加筆ご苦労様です。本文はいい記事に仕上がっているとぞんじます。追加はGoodですが、前文の表現を一行以上消してしまう場合は今までの執筆者に配慮がいるものと存じます。(例えば前の記事の「極めて直線的保守的スタイルで機体をまとめ、1944年(昭和19年)6月モックアップ審査にこぎつけたが、同年10月試作機種整理方針の対象となり開発中止となった。」の記述とかスペックでエンジンの誉21の計画値を誉42とミックスされた?、部分等。)スペックの出典をしめしておきますのでご検討のほど。
諸元
[編集]計画値誉21型改高空型搭載機
出典「日本軍用機三面図集」著者荻原四郎1962年㈱鳳文書林刊125頁
- 通称について
戦争中期からは確かに試作機には、試製とか仮称とかをつけたのですが通称も残ったのではなかったかと存じます。例として仮称銀河26型は通称極光(出典「日本軍用機三面図集」著者荻原四郎1962年㈱鳳文書林刊151頁)です。一歩さがって、試製極光という呼び方もあったのかとも考えてます。本件の陣風でも、出典のスペック表に通称をわざわざ別立で記載あるので通称を記載しましたが削除されていますのは、あんまり是としません。(あまり拘泥もしてません。)、ですが、削る場合も参考文献等をお示し頂ければ幸いです。--papamaruchan22 2007年2月20日 (火) 12:23 (UTC)
- 付け加えると、試作機の名称については、ご存知のように昭和3年頃から年の年号に機種名を組み合わせて七試単座戦闘機とか、十四試局地戦闘機等と呼称していましたが文献によると戦争中期からこの外に制式機の場合と同じく固有名詞がつけられたといいます。試作なので試製景雲とか仮称銀河26型とかいいました。ただ銀河26型は、通称極光なので、、複雑です。○○試戦闘機という呼称が廃止されてるわけではない様にみえます。試作機の呼称はむずかしいです。またIPさんがスペックを訂正していただいてるようですが、計画機段階から何通りもあるので、一部の変更だとつじつまがあいません。ザックバランな話実機でもないので神経質にならなくてもいいかなとも思い始めてますが、、でもウィキはそうも行かないと思ったりしてます。papamaruchan22 2007年2月21日 (水) 12:43 (UTC)
- IP222.146.154.167さんへ
モックアップの写真から機関砲の装着本数を推定して出典まで消してしまうのは感心しません。独自の見解と断定されかねないし、ウィキペディアのガイドラインの「信頼のおける公刊された情報源から辞典を作成するべき」との要件にも抵触しかねません。モックアップの突起・もしくは穴(ピトー管とかアンテナの場合もある)の数から機銃(砲)を8箇所としたのでしょうが公刊の本の出典を否定するまでには、いささか性急すぎるとおもいます。私の手元の「日本軍用機三面図集」の付表の日本海軍軍用機経歴一覧では陣風の誉42型装着タイプの計画スペックも記載ありますが、兵装は{13mm×2・20㎜×4}または、{30㎜×6}です。出典から見てスペックには正確性が高い。ので異存なければ再度直します。再三申しあげますが消すときは、ノートなんかで提案合意の上のほうがいいと思いますよ。papamaruchan22 2007年2月21日 (水) 10:10 (UTC)
- papamaruchan22様
1962年刊行という古い本一冊の記述に頼られ過ぎているように見受けられます。 その後、現在までに19年6月の第一次実大模型審査用模型、7月の第二次実大模型審査用模型の両方のモックアップの写真が発掘され「丸」誌などに発表されているのですが、ぜひご覧いただきたいと思います。 機銃孔などというものではなく、突出した九九式二号銃の銃身が第一次では片翼に2本ずつ、第二次では片翼に3本ずつきわめて明瞭に映し出されています。 発動機の型式やスペックなどにしても、オーソドックスな「日本軍用機航空戦全史」(秋本実)でも「日本軍用機総集」(野沢正)でもご覧いただければ、誉二一型系列の装備が予定されていたことが全くなかったことがお判りいただけるかと思います。 また、機体について「極めて直線的保守的スタイルで機体をまとめ」と書かれておられますが、これはむしろ紫電改と共通が見出せるデザインであり、だとすると強風や紫電から紫電改の胴体へと変化したのは、例えば視界改善の要求があったためととることも出来、あえて「保守的」であることを強調するよりも、客観的な記述に留めた方が良いのではないかと愚考いたします。 damedamedame (小生のハンドルは自分自身に対するいやさ加減から付けたものです)
- damedamedameさん>papamaruchan22です。ハンドルネームからご本人の判断を左右しようとは、少しも思ってませんし、dameだなんて思いません。ただIPさんへの問いかけにdamedamedameさんから返事が来ているので「おやっ」と感じてます。モックアップの写真を見て8門とIPさんから言われたら、私でなくても出自は?となりますよね、で。何々に此の様に書いてあります。と示して頂ければいいんだと思うのです。片翼に3本ずつきわめて明瞭に出ているのなら6門であと2門は胴体にあるのでしょうからね。旧航空おたく古親父ですので本も古いのは困ったものと思います。でも本は酣燈社とか鶴書房とか鳳文書林とかでこの部門ではオーソドックスですよ。抹消の際には相手の反応を見る上からもノートを利用しようと考えています。会話できて幸甚です。貴方様の今後の活躍に期待する事大です。papamaruchan22 2007年2月22日 (木) 14:26 (UTC)
- papamaruchan22様
IPで表示されている書き込みは私のものです。どうも、アカウントがうまく働かなかったようです。陣風に30ミリ機銃搭載予定があったように書かれていますが、十八試20ミリ機銃の装備計画があったことは前記しました「丸」誌の記事(設計部員のノートを典拠とする。また図面も付属)で確認できますが、30ミリ機銃装備についてはまったくほかに情報がありません。出典とされている書物はどのような根拠を示しているのでしょうか。お教えいただけましたら幸甚です。 damedamedame
damedamedameさん、こんばんは。いろいろどうもお手数かけてます。さて、「出典とされている書物はどのような根拠を示しているのでしょうか」とのことですが、まず出典は、(またかと思われるかも知れませんが)「日本軍用機三面図集」著者荻原四郎1962年㈱鳳文書林刊です。ただの図集ではありませんで、巻末に軍用機経歴一覧がついてまして記号・制式名・通称・兵装・発動機・初号完成年等々かいてあります。旧日本機のデータのバイブルみたいな物です、その191ページに、{記号--J6K1}・{製試名称--一八試甲戦闘試製陣風}・{社内通称--陣風}・{設計--川西}・{兵装13㎜×2、20×4または30㎜×6}等々とあります。貴方様の情報にはないので、当方の出典の書物のその根拠まで示して下さいといわれても、読者である私には不可能でしょうね。出典の本を信じられないという事なら著者に聞くより他ないですね。私はそこまでしません。逆の立場でお考えください。雑誌とかに脚注的に、付記的に書かれているデータでありませんから著者には、それなりの根拠があって執筆していると思います。それから、最後に署名は、~(チルダ)4っでどうぞ時間も自動的に出ます。また「IPで表示されている書き込みは私のもの、、、」の会話もIPナンバーで発信されて来てます、私も以前せっかく作った新規記事をログイン失念して落ち込んだ事があります。再度ログインなさることを切望してやみません。papamaruchan22 2007年2月23日 (金) 11:17 (UTC)
- papamaruchan22様
戦時中の日本の軍用機の資料は終戦時に多くが処分されていて、戦後の研究者の地道な調査で徐々に補完されてきたものだと思います。その流れの中で後年定説が覆された事例も幾つかあると思いますが、陣風については正にそのケースだと思います。damedamedame氏のおっしゃるとおり潮書房「丸」93年8月号にモックアップの写真と設計に係わった技師の手記を基にした記事が作家の碇義朗氏の手により掲載されております。またその前月7月号には「初公開これが幻の海軍戦闘機『陣風』の全貌だ!」なるグラフ記事が掲載されております(8月号バックナンバーページより)。こちらの号は買い逃しており立ち読みしただけですが、表記のとおり碇氏が当時の関係者に聞き取り調査を進める中でモックアップの写真が発見され一般の書籍に初めて公開されたものだったと記憶しております。このように写真を含めた一次資料の出所が明記されている文献に対し、1962年発行の資料のみを反論の根拠にするのは如何なものかと存じます。また「誉21型エンジン装着の原型タイプ(J3K1)」とありますがJ3(十七試陸上戦闘機)はハ43二一型の装備を海軍から指定されていた筈です。そしてそのハ43の開発見通しが立たず具体的な設計に入れず、つまり陣風の原型どころか十七試陸戦としての形すら成さずに計画中止になっています(「丸」93年8月号より)。「誉21型エンジン装着の原型タイプ(J3K1)」なるものが「日本軍用機三面図集」に掲載されているのであればdamedamedame氏ならずとも、その正確性について疑いを持たざるを得ません。ちなみに「丸」93年8月号の記事は碇義朗『幻の戦闘機』2003年9月発行ISBN 9784769821670に転載されておりますので御一読されてみては如何でしょうか。Work2500 2007年3月6日 (火) 18:12 (UTC)
- Work2500様:papamaruchan22です。丁寧な資料のご提示どうも ありがとうございます。いままでのノートでの話し合いを、読んでいただければお分かりと思いますが反論とかではなくて古い資料だけどこう書いてありますよ、と述べているんです。実際に飛んだ飛行機でないので神経質にならなくてもとも申し上げました。が資料もほしい。それであの段階で信用できないとなれば私は確認は著作者に聞くよりしょうがないですねとなつたのです。それからWork2500さんのおっしゃるとおり(J3K1)はもちろん計画のみです、計画では2通りです。細まくなりますが社内通称K-90とKX-2です、前者が疑問視されているエンジンの誉21で、そのエンジンの統合名称はハ-45-21でした。後者の社内通称KX-2のほうは、仰せの通りハ-43-21です。後者はハ番号のみで誉との関係は私には、分かりません。18年初頭計画は中止となりその後再チャレンジで試製陣風(J6K1)が19年のモックアップ製作まで至りますこれは誉42でした。なにしろ飛行した機体ではなかったので複雑です、お疑いはもっともです。で、その上で「後年定説が覆された事例も幾つかあると思いますが、陣風については正にそのケースだ」となれば、資料をお示しの上改稿していただければいいのです。私は、それこそウィキペディアだと思います。お話出来てうれしく思います。papamaruchan22 2007年3月7日 (水) 13:31 (UTC)
- 上記の参考文献に沿って機銃装備数等を訂正しました。30mm×6も併記すべきか悩んだのですが、改めて『丸』を読み直してみたところ武装に関する記述は兵装担当の福原氏の日誌を元に詳細に記されているのですが30mm機銃については全く触れられていないので一旦削除させて頂きました。30mm機銃に関する一次資料が確認できる資料が確認出来次第再掲という形でよろしいでしょうか?或いは諸元を統一せず烈風や紫電改の記事を参考に「開発の流れ」という項目を設けて十七試陸戦~十八試甲戦~試製陣風への変遷をまとめて、それぞれに諸元を併記する形も有りかと思います。それと諸元の名称に関するキャプションを他の記事を参考に脚注として別段に移動しました。Work2500 2007年3月8日 (木) 14:11 (UTC)
- 試しに十八試甲戦と試製陣風の計画値を表にまとめてみました。抜けているデータも多いので資料お持ちの方に補完して頂ければ幸甚です。
計画値
[編集]試作名称 | 十八試甲戦闘機 | 試製「陣風」 |
機体略号 | J6K1 | 同左 |
全幅 | 12.500m | 同左 |
全長 | 10.118m | 同左 |
全高 | ??? | 4.130m |
脚間隔 | ??? | 3.980m |
主翼面積 | 26.0㎡ | 同左 |
自重 | 3,500kg | ??? |
全備重量 | 4,373kg | 4,886kg |
発動機 | 誉四一型(離昇2,000馬力) | 誉四二型(離昇2,200馬力) |
最高速度 | 667km/h(高度10,000m) | 685km/h |
上昇力 | 10,000mまで13分 | 10,000mまで13分20秒 |
航続距離 | 2,315km | 2,055km |
武装 | 13mm機銃2挺、20mm機銃4挺 | 13mm機銃2挺、20mm機銃6挺 |
- papamaruchan22様
ハ43は三菱の金星をベースに18気筒化したエンジンで、21型はフルカン接手で過給器を駆動する高高度仕様だったようです。ところが肝心のフルカン接手の故障が多く予定した馬力が出せずに十七試陸戦の致命傷になったとのことです。こちらこそ今後とも宜しくお願い致します。Work2500 2007年3月9日 (金) 11:44 (UTC)
- Work2500様papamaruchan22です。記事補筆お疲れ様です、丁寧でかつ的確なる改稿ですね、またこの分野にすばらしい書き手が現れたと頼もしく思っております。機銃については、了解です。エンジンも21型他の調査までしていただき多謝です。今後のご活躍期待しております。papamaruchan22 2007年3月10日 (土) 00:29 (UTC)
- データについて
文林堂の航空ファン イラストレイテッド 93-22 No.68 日本海軍機全集 のP.158 日本海軍計画機のいくつか(解説:秋本実) に数行の解説とデータが載っているので話に出ていない部分のみに書いておきます。
航続時間5時間、武装20mm砲4また30mm砲2(翼内)、13mm銃2(胴体前方)
--PC9821Na15 2008年6月21日 (土) 17:21 (UTC)
- あぁ--というか、やはり30mm砲の計画は存在してたんですよね。どうも、PC9821Na15さん資料提供有難うございました。それからここの名前ですが、立ち上げた本人が言うのもなんですが(括弧航空機)のほうがいいでしょうかねぇ。papamaruchan22 2008年8月11日 (月) 09:52 (UTC)
改名提案
[編集]- 当記事名を陣風 (航空機)に改名する事を提案します。Wikipedia:ウィキプロジェクト 航空/項目名のガイドラインに沿った改名です。--ButuCC«MainNote/RussianNote/Log» 2008年8月15日 (金) 08:24 (UTC)
- (賛成)初稿立ち上げ者として改名<是>と思料します。papamaruchan22 2008年8月15日 (金) 11:23 (UTC)