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ノート:那須平成の森

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編集意図について

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今回編集した文章が、脚注にあげられた外部リンク先の内容に基づいている事は確認している。 ただ、編集前でも同一の文ではないし、引用のための表示もされていないから、引用ではなく出典として外部リンクを付していると考える。 出典をもとに編集者自身の言葉で文章を書くのだから、同一の表現を使う必要はないし、固有名詞や人物の発言、作品名や役名など同じでないと不正確になる事例でもない。 この項目で出典によって示されるのは御用邸の敷地が一般に開放される経緯で、その説明は皇族に対する尊敬語は必要ない。 スタイルマニュアルや表記ガイドからも、日本語版であって日本版ではないことからも、項目内の本文で天皇含む皇族への敬意表現を用いるべきとの指針は見出せず、少なくとも本項目においてそれらの表現は不要と判断される。 今回の編集の意図はこのようなもの。念のため付言すると、この項目単独についての検討だから他の項目に適用する事は考えていないし、以前本項目を含めて行われた大量の一律除去は不適切だったと思う。--125.2.49.104 2012年11月28日 (水) 10:32 (UTC)[返信]

スタイルマニュアルや表記ガイドでも尊敬語は禁止されていない。用いるべきとの指針が見出せないからといって除去する必要はない。日本語版であって日本版ではないからといって、非ネイティブ的な文章にする必要もない。特に、”御在位20年”は”御在位20年”であって、わざわざ”在位20年”にする編集には思想的意図も感じる。よって、本項目においてそれらの表現の除去は不要と判断される。--uaa会話2012年11月28日 (水) 17:54 (UTC)[返信]

コメント依頼を提出

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合意形成のためのコメント依頼を提出。

今回敬意表現の除去を行ったのは、本項目は引用など、原典どおりでないと不正確になる事例ではなく、説明文としては敬語なしで成り立ち、あえて執筆者の主観が入り込むこの種の待遇表現を使う必要はない、むしろ望ましくない、と判断したため。

これに対しuaa氏は「非ネイティブ的な文章」「”御在位20年”は”御在位20年」「思想的意図」などとして差し戻しを行った。

除去した側としては上記のような意図であり、「御」を用いなくても成立する説明文にあえて「御」を維持する事にこそ逆に思想的意図が感じられて中立的な観点に反するように思うし、もし「ネイティブ的な文章ではすべからく皇族には敬意表現を用いるべし」なとど言う主張であるなら強く反対する。


ただしこれらは除去を行った依頼者の視点から見た話であり、このまま自身の視点に沿って編集を続行しても編集合戦に陥りかねないため、第三者の意見を頂きたくコメント依頼を提出した。「Wikipedia:井戸端/subj/敬称」とも被りそうな内容で、井戸端とどちらが適切か迷ったが、Wikipedia全体で本文中の敬意表現をどうするかについての一律の規定や合意はなく、今回検討したかったのもあくまでこの項目をどうするか、であったため、コメント依頼とした。

また、先月の事だが、上記井戸端で問題となった敬称の大量除去に本項目も含まれており、uaa氏はそれに対する差し戻しを行っている。大量・機械的な除去への対処として一旦一律に差し戻した事は妥当だし、今回の依頼者としては、本項目が最終的にどうなったとしても類例を探して消して歩くつもりはない。

しかし、今回希望する編集の内容や元となる考え方については井戸端で問題となった利用者と類似する部分はあり、uaa氏が同類として警戒したとしても分からなくはない。コメント依頼から来た方には、当方の主張についてはその辺割り引いて考えるようお願いしたい。--125.2.49.104 2012年11月30日 (金) 14:47 (UTC)[返信]

最初に、誤解されている点を指摘。当該編集を「非ネイティブ的な文章」と言ったのではない。IP氏が「日本語版であって日本版ではない」の趣旨を履き違えているので指摘したまでである。当該方針は”日本を基準とした観点の排除”であり、人物の地位に対応する表現の問題であるこの件に持ち出すのは的外れである。それと、「ネイティブ的な文章ではすべからく皇族には敬意表現を用いるべし」などとは全く言ってない。
「御」を用いても成立している文からあえて除去する事には意義を全く見出せないにもかかわらず、引用元の表現をわざわざ変えていることから思想的意図を疑った。「御~」は人物の地位に対応する表現であり、それを「執筆者の主観が入り込む」などとすることこそ主観的であろう。--uaa会話2012年11月30日 (金) 18:18 (UTC)[返信]
コメント依頼より参りました。拝見したところ態々版を重ねて敬称を除去する必要は無い様に感じました。一方、変更されたものを戻す必要も無いとも思います。但し、「今上天皇」との表現はいずれ必ず変更する必要が出てくるものなので、ご一考願います。また地位に対する表現という解釈は、その地位に意義を認めるグループ(あるいは疑義を持つグループ)の中でのみ意味を持つものでしょう。思想的にも天皇制等へ何の感想も持っていない閲覧者にとっては、その地位も何の意味も持たず敬称を用いる必要性は感じられないのではないでしょうか。
私が書くなら敬称は用いませんけれど、出典にもある表現であり、上記「今上」を除き執筆者の裁量範囲内にあるものと思量します。どっちつかずの意見で申し訳ないですが、観点の提示ということでご容赦下さい。--LudwigSKTalk/History2012年12月1日 (土) 00:37 (UTC)[返信]
コメントに感謝。当事者以外の視点が欲しかったので、どちらか寄りでなくてもありがたい。確かに思想的には天皇制等への特段の感想はなく、「御~」は人物の地位に対応する必須の表現というよりは例えば「誰々さんは夕食を召し上がった」のような書き手の判断で付けも外しもできる敬語の一環と認識しており、本項目において必須のものとは考えていない。また外部リンク先は出典で本項目の内容の情報源であり、表現も含めて同一性を保つべき引用元とは捉えていない。この辺でuaa氏と意見を異にしているわけだが。--125.2.49.104 2012年12月1日 (土) 03:09 (UTC)一部修正--125.2.49.104 2012年12月1日 (土) 10:06 (UTC)[返信]
天皇制の意義を認めるか否かという思想的な感性で決めたのでは、それこそ中立性に反するだろう。現実として天皇制が存在し、そのような表現が実際に使われているのだから、それを無理矢理修正する必要はない。更に言えば、自己の思想信条に従ってそのような編集をしているのであれば、ウィキペディアの目的外利用となる。
LudwigSKさん
「今上」の件ですが、どこかのノートで、他に適切な表現がないから諡が正式に決まった時点でbot編集するってことで話し合いが付いてたと思います。--uaa会話2012年12月1日 (土) 10:12 (UTC)[返信]
見つけました。Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/当代天皇の項目名について/過去ログ2006-09-24T10:39:40Zあたりの議論ですね。私はWikipedia:すぐに古くなる表現は使わないに照らしてどうかと考えたのですが、その問題も検討されbot編集、最悪人力で行う方向にあるように読めました。実際いざそのような問題が持ち上がる時期が来たならば、間違いなく検討されることと思われます。「今上」の件は取り下げます。--LudwigSKTalk/History2012年12月1日 (土) 11:36 (UTC)[返信]
誤解のないよう補足。除去したの天皇制に対する何らかの考えによるものではなく、論文やレポートの書き方から考えて説明の本文中で敬語を使う事に違和感を覚えたのが発端。つまり対象が外国の君主や大企業の社長であっても同じようにしていたであろう。無論厳密な学術論文ではなく機械的に適用できるものではないし、繰り返すが類例を消して回るつもりもない。論文の書き方に準ずるというのも個人的な考え方といえばそうだし、実際こうして異論も出てコメント依頼を出している場面でそれを押し通しはしない。ただ、天皇制に対する思想的立場によるものでないことは明言しておきたい。--125.2.49.104 2012年12月1日 (土) 13:13 (UTC)[返信]