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Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/当代天皇の項目名について/過去ログ2006-09-24T10:39:40Z

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当代の天皇の項目名について

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編集しづらくなったので分割したのですが、前言を撤回して「今上天皇」案を推薦します。「天皇 明仁」を提案したのは今上天皇がそれまでの議論であまり歓迎されていないように感じたからです。左翼っぽいとの指摘ですが、陛下の諱をみだりに表示する事こそ左翼っぽいので私は当然「今上天皇」にすべきと思います。左翼っぽさでは「明仁天皇」も「天皇明仁」もたいして変わらないでしょう。日本インターネット新聞株式会社という会社が運営しているサイトでは天皇の記事を「明仁天皇」と表示していました。この会社は朝日新聞や毎日新聞のOBが役員を務め日の丸・君が代や南京大虐殺についての記事がトップページに存在するところです。シナ語のホームページでは「日本明仁天皇」だし、韓国の中央日報の日本語版では「明仁天皇」でも、青年同盟だったか第4インターのホームページでは「天皇明仁」だったような。工藤美代子氏の著書の題名は「ジミーと呼ばれた日 若き日の明仁天皇」だ。そもそも天皇に名前を付けて呼ぶ事自体、天皇制に批判的な見方をする人達の考えだと思います。 天皇制を宜しく思わない勢力は、日本の文化の破壊や無宗教を目的としているのです。日本の伝統的な事象を中立性といって改竄する事こそそのような勢力に与することでしょう。宮内庁ホームページでは「天皇陛下」として紹介されています。 昨今の政教分離議論のように、我が国では「限定的政教分離」を行っています。「完全分離」では現実にそぐわない事と各方面に弊害がでると予想されるからです。 ウィキペディアに於ける中立性も字面どおりに解釈してはマイナスの結果が出ることでしょう。 否定的な人たちは天皇の制度そのものに反対なのだから折り合いをつける事は不可能です。然し、「明仁」という項目はそれを項目名とする事自体が「著しく中立性を損なっている」と思います。日本では君主の諱をみだりに使わないし喋らない。生存中は呼ぶ事をはばかった。それが項目名変更への理由です。  日本に於ける天皇とは2000年以上の歴史を持ち、天皇の呼称が存在しない時にも同様の地位に在ったとされています。日本語の発展段階に在っても常に天皇という存在はあったわけで、日本語で天皇を表現することと敬意ある表現をする事は密接不可分であってどのような表現をしようとも敬意ある表現になってしまうものです。代言人 2005年12月3日 (土) 03:09 (UTC)

一度、意見を出しましたが、よくよく再考してみました。至らない面もありますが現時点での私の考えを述べます。 まず、結論からいうと、「明仁」の「今上天皇」への統合が最良だと考えます。しかし、第一に統合案を出した理由として、今上天皇という用語を説明すること自体、天皇の項目でほとんど可能であるということです。一義的には確かに天皇陛下一代に限ったものではなく、現在の天皇であるという普遍的な表現ではあります。--211.1.224.185 2006年6月6日 (火) 13:09 (UTC)その意味で、はじめに当代の天皇であるという説明は必要ですが、明仁をやめた場合、およそ適当な表現は今上天皇が唯一ではないでしょうか。即ち、今上天皇の項目名が使えないことで他のマイナーな表現がやや創作的な意味合いの強い項目名にならざるを得ないのではないか。それは検索機能のあるこの百科事典としては不便だし、社会的通用性に欠くのではないかと思いました。 確かに水野さんのご意見には一理あるかと思います。よって、他の方のご意見をも窺った上でということになりますが、どうしても今上天皇では不都合であれば、やはり今上天皇(~)と書くことがいいのではないかと思います。或いは明仁天皇ということになるでしょうか。 --Suifu 2005年12月7日 (水) 16:15 (UTC)

統合するなら今上天皇、分割したまま改名するなら今上天皇 (第125代天皇)・今上天皇 (人物)・今上天皇(明仁)がいいかな。当代の天皇の事と言う説明で態々分割する程の記事にはならないでしょう。しかも意味は同じだから。代言人 2005年12月9日 (金) 01:21 (UTC)

今上天皇(第125代)がよろしいかと。--Suifu 2005年12月13日 (火) 09:43 (UTC)

じゃあ今上天皇(第125代)に改名しましょう--代言人 2005年12月13日 (火) 09:45 (UTC)

私は同意します。--Suifu 2005年12月13日 (火) 16:29 (UTC)

現在の今上天皇は曖昧さ回避にするのでしょうか--代言人 2005年12月14日 (水) 05:28 (UTC)

うーん、やはり、そうなりますか。本来、天皇の項目がありながら「用語としての」今上天皇の項目がそこまで必要なのか疑問を持っているだけに、ちょっと躊躇しています。今上天皇の記事は天皇及び現在の明仁(陛下)の記事とに二分して収めることも可能なだけに。天皇陛下の記事で曖昧回避か・・・と思わなくもない。 ただ、今上天皇(125代)と言った手前、反対はしませんが、気持ちの中ひっかかる部分があることも一応表明したいと思います。 要はできれば、もっといいアイデアがあればということですかな。。。他のみなさんのご意見はどうでしょうか。--Suifu 2005年12月14日 (水) 10:21 (UTC)

今上天皇明仁の統合には明確に反対します。なぜならば両者はイコールではないからです。もし「今上天皇」を統合、リダイレクト化するならばその先は天皇であるべきです。また、"今上天皇 (第125代)" のような項目名も反対です。Tietew 2005年12月14日 (水) 10:55 (UTC)

ぢゃあ何がいいの?私は聖上陛下でも良いと思うけど。ネーミングセンスが悪いって言うのなら納得。--代言人 2005年12月14日 (水) 11:33 (UTC)

ははぁ、うまくいきませんね。確かに概念として混同してはならないとは思います。合意形成ができない提案なら強硬に言っても仕方ないので再考させて頂きます。今上天皇(第125代)は反対論さえなければしっくりくるんだけどな…。「明仁」の変更そのものを反対されている意思表明ではないと解しますので、まだ望みはあるでしょうが、「今のところ」残された選択肢は今上天皇(人物)、今上天皇(明仁)くらいでしょうか。--Suifu 2005年12月14日 (水) 16:15 (UTC)

ではどうしましょう。「天皇(今上)」。「今上天皇(明仁)」では如何でしょう。 天皇(今上)は合意が得られるかどうか議論しなければわかりませんが、今上天皇の項目名では、そもそも今上天皇という表現が重複の表現で厳密に正当ではないと書かれていた気がします。()書きなら概念的に混同せず、しかも当代の天皇である表記を添えることができる。検索した際、天皇からサーフィンしても天皇陛下の記事にたどりつきますし、明仁と検索しても、天皇(今上)にたどり着くと思うので。ちなみに天皇(当今)ですと、一般的表現から遠のくかと。。。未だアイデアの段階ですので、「絶対これで」というわけではりません。なお、一般の検索サイトで天皇(今上)といれるとちゃんと今上天皇で検索されてくるので、まぁ、検索の問題から考えても問題はないかなと。 今上天皇(明仁)は明確な反対論がないので残したまでですが、自然な表記としてありえるのはこれかと。

改めて、明仁の項目名の改名に関する個人的な意見を表明すれば、、 少なくとも明仁は好ましくないと思うのです。天皇、今上天皇で一応公的な地位に関する概説はあるわけですが、栄典の発令、法令詔勅の発布など天皇陛下ご自身の公務で諱の署名をするということはありますが、それは天皇の国事行為に限定される話。一般的に明仁といった場合は、純粋な私人としてとることが自然かと。個人の経歴の中に公私の双方が含まれるのは当然ですが、どちらかというと公的な事績について書くことが基本であると思います。そうであるのなら、やはり天皇、今上天皇の記事があることをふまえても、天皇の地位を表記した項目名にするべきかと思います。他の皇族方の項目名に宮号及び身位を含めるスタンスで合意形成を図った点との整合性をとる上でも重要ではないかと思います。--Suifu 2005年12月15日 (木) 03:39 (UTC)

反対の理由がわからないので対案が出せませんね。ただ、極力御名は使わない名称が良いですね。官報でも御名って書き変えるくらいだし。--代言人 2005年12月15日 (木) 10:52 (UTC)

私の意見を言わせて頂きますと、諡である明仁を使わない記事名への移動は明確に反対いたします。以前も書いたとおり「今上天皇」あるいは「今上」は「現在の天皇」を指す一般名詞であり、Wikipedia:記事名の付け方にある「正式な名称を使うこと」にも反すると考えます。諡を呼ぶことを憚る、という事実は記事内で書かれるべきことでしょう。過去の皇族たちとの整合性を取るため現在の皇族にも身位を付すことに賛成した以上、「天皇の地位を表記した項目名にするべき」というSuifuさんの意見には反対しません。しかしそれは整合性・統一性を持たせるためであり、敬意を表すためではありません。これは私個人が天皇に敬意を表しているということとは別の、「合意が得られる百科事典として中立な記事名が何か」という問題であると思っています。―霧木諒二 2005年12月15日 (木) 12:41 (UTC)
天皇陛下の事を「明仁」と呼ぶ人はいるのでしょうか。そんなに一般的な名称かどうか。他記事との統一性として、他の皇族方は事実その項目名で呼ばれますが、天皇を明仁とは言わないでしょう。然も天皇は皇族ではありません。即位までは明仁親王であったかもしれないがそれ以降明仁とは言わないはずです。現在は公文書に署名をされる時だけ。歴代天皇の系図では大抵「今上天皇」となっています。Wikipedia:記事名の付け方は未完成のルールだと認識しています。正式名称といっても何をもって正式名称とするか。Wikipedia:記事名の付け方でもいくつも例外があるでしょう。--代言人 2005年12月15日 (木) 13:58 (UTC)

私は、歴代天皇との整合性を考えると、人物の記事名を「今上天皇」とするのもありかな、と思いました。用語の方は、「今上天皇 (用語)」あるいは「今上天皇 (呼称)」で存続をし、天皇の「天皇の呼称」セクションを補完する記事の1つとします。人物の方を括弧なしとしたのは、他の記事からリンクされる頻度、検索される頻度を考えて、人物記事の方が圧倒的に多いだろうと推測したからです。パイプを使うにせよ、短い方が楽ですし。--oxhop 2005年12月15日 (木) 13:07 (UTC)

皆さんのご意見もふまえないとわかりませんが、じゃあ、今のところ、生き残れる表現は天皇(明仁)にし行き着くでしょうか。ここまでに明らかなことは、天皇陛下の記事において、地位である天皇、諱である「明仁」の双方を入れよというところが今のところの議論だと思います。天皇(明仁)にも反対論があるとすれば、妙案が出る他はなしですかな。少なくとも、他の皇族との整合性をとるという点において、変更そのものに一定の理解を頂いたことを私は重く受け止めたいし、それが結果として実ればよいと思っています。--Suifu 2005年12月15日 (木) 14:56 (UTC)

まず改名ありきという議論の進め方は何とかなりませんか。今まで出てきた案の中では私は現状維持が最善であると考えます。Tietew 2005年12月15日 (木) 15:12 (UTC)
改名出来るのなら「今上天皇 (明仁)」又は「天皇 (明仁)」でも致し方ない。現状があんまりな題名だから。--代言人 2005年12月15日 (木) 16:38 (UTC)

賛否両案を出した上で議論していますし、参加者が必ずしも多くないとはいえ、少なくとも公開の場で議論しているわけですから、流れそのものを咎められるいわれはないと思っています。少なくとも賛成論ばかりではないし、色んな意見の中で試行錯誤をしているのであって、現状維持がよればそれも案のうちです。少なくとも一々、強い意思表示をされるのなら理由があるのだと思います。その理由をお聞かせ願えないのならそれは意見ではなく、ただの感想ではないでしょうか。--Suifu 2005年12月15日 (木) 18:01 (UTC)

いえ、単に現状維持という選択肢を捨てたがっているように見えるので、少なくとも現状維持を推す意見もあるということを言いたいのです。Tietew 2005年12月15日 (木) 18:42 (UTC)
こういうのは門外漢ですが、議論や他の記事を見た限りでは名前だけというのもないので「今上天皇 (明仁)」又は「天皇 (明仁)」が良いのでは?と思います。逆にTietew✍さんの方が現状維持に固執しているような印象を受けます。↑PON 2005年12月15日 (木) 19:23 (UTC)

Tietew様 そうですか。確かにご指摘の点がないとはいいません。但し、虚心坦懐にやる気はあります。反対論がおありということは少なくとも受け止める気はあります。もちろん結果は議論の末で出されることですが。ただ、条件つきも含め賛成論も少なからずあることも事実です。逆にそれはそれで受け止めて頂きたい。もし、明確なご反対ならただの意思表明ではなく、理由が必要だと思います。少なくとも議論としてやっているわけですから。--Suifu 2005年12月16日 (金) 07:31 (UTC)

改名が必要と考える理由

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    1. 日本の言霊思想では本名を知られると呪詛で自由に操られるという信仰があった。身分の高い人は通り名を使用した。
    2. 日本では君主の名前を妄りに喋ったり書き記すことを憚るという文化がある。
    3. 天皇陛下の諱は民間人の本名とは意味合いが違う。
    4. 天皇陛下は皇族ではない。
    5. 今上天皇は現在天皇の地位にある方を指す言葉だが、現在天皇の地位にある方は他にはいない。
    6. 他の皇族での身位である「親王」や「王」は陛下では「天皇」である。
    7. マスメディアでも「明仁さま」とは言わない。
    8. 天皇陛下の御名は一般的ではない。一般的な名称を以って項目名とすべきである
    9. 宮内庁ホームページでは「天皇陛下」として紹介されている。文中に明仁とは使わない。

--代言人 2005年12月16日 (金) 09:48 (UTC)

※suifuです。批評ではないのですが、理が通るというのは、7、マスメディアでも「諱」は用いない。8「天皇陛下の御名は一般的ではない」くらいでしょうかね。1、2など伝統文化的な背景も重んずべきですが、それを理由にあげられるのならできるだけひとつの項目にまとめた方がいいと思います。 また、代言人さんが度々出されるご意見ですのであえて申しますと、政府・宮内庁は皇室事務を所管する関係上、敬意を使うことを前提としています。その意味で、「残念ながら」ここで政府の事例をもって正当化は困難なように思います。いや、正しいと仰せかもしれませんし、心情的には同意できなくもないのですが、おそらく結果にはつながらないというのが私の思いです。 ちなみに私なりの「明仁」を変更すべき理由は

    1. 慣習的に天皇の諱を呼称することは天皇の国事行為を除いて必ずしも一般的ではない。
    2. インターネット検索に際しても「天皇」「今上天皇」が一般的であって、諱で検索することは稀である。
    3. 万一、検索上の不都合がなくとも、明仁が項目名であることによって、それを呼称することが一般的であるという錯誤を与えかねない。
    4. また、主に公人としての事績を持って記事とする場合、公的地位が付随することが適当。通常の公職なら氏名とは別離すべきであるが、皇位の場合、その歴史的背景、成り立ち、性質からいって諱との関係は密接不可分であるといえる。
    5. 他の皇族が宮号、身位を含む関係上、整合性をとる上でも皇位を明記することが適当である。

以上の理由から明仁の項目名の変更すべきことを意見表明し、皆様にお諮りするものとする。確定案ではないが、有力候補のひとつとして「天皇(明仁)」、「今上天皇(明仁)」などが検討されると思われ、その他によい案があればそれも含めて検討し、合意形成が得られる表現を採択できればと考える。

以上--Suifu 2005年12月16日 (金) 14:09 (UTC)

「他の皇族が宮号、身位を含む関係上、整合性をとる上でも皇位を明記することが適当である。」という点に同意します。この点で、特に他の皇族方と天皇陛下に差が生じているので、整合性を取る上で皇位を明記した方が良いと思います。↑PON 2005年12月16日 (金) 18:26 (UTC)

今のところ、

    1. 他の皇族が宮号、身位を含む関係上、整合性をとる上でも皇位を明記することが適当であるという議論に3票(自分を含む)、現状維持に1票でしょうか。単純に成否だけで述べられない部分もありますが、この際、現状維持すべき議論があるのならご提示頂いて、逆に改善したい議論もできるだけ集約した上で、両論ならべてみるのがいいですかね。そこで比較した上で選択肢を二つそろえれば、どなたにも不都合な議論ということにはならないでしょう。改善の賛否または第三案がある場合にはそれを提示していって合意形成を諮れればいいのかなと思います。

「明仁」項目の改善すべき、あるいは整合性をとる上で改善が望ましいor改善してもよいという方はどのような名称であればよいのか、何かご意見おりでしょうか。今のところ、天皇(明仁)、今上天皇(明仁)などがありますが、第三案も含めどれがよいかご意見うかがえれば幸いです。--Suifu 2005年12月18日 (日) 06:06 (UTC)

  • 今上天皇:これが一番相応しいと思いますが、統合や曖昧さ回避の兼ね合いで難しいでしょう
  • 今上天皇(第125代):上がだめならこれが良いと思います。
  • 今上天皇(明仁)又は天皇(明仁):御名を使うことに反対ですが、他の方の賛成があるのならこれでも。
  • 天皇(第125代):これもなかなかいいかも

--代言人 2005年12月20日 (火) 04:53 (UTC)

なるほど。今上天皇(明仁)又は天皇(明仁)は賛成があればですね。既に霧木さんは名(諱)が入ることという点で賛意を示す余地を示しておられますし、↑PONさんも天皇(明仁)、今上天皇(明仁)案に賛意を示されていますし、そこらへんのツメの部分だと思うんですが、逆に反対論もある中でトータルして結局、変えるべきか否かという点はもう少し議論したいところですね。 少なくとも、結果はどうあれですが、他の皇族との調整そのものは図る必要性は絶対にあると思っています。 改めて、この明仁記事名の変更をめぐる議論を呈する意図を申し上げたいと思います。 一部の方から、変更にこだわっているというご指摘はありましたが、そうはいっても問題として今までくすぶってきた事実があるわけで、しかもちゃんとした議論をしてこなかったわけですね。もちろん、変更論にはここのルールの基準と異なる「敬意」を払うという意図は介在することも事実なんですが、別の観点も含めて変更のニーズそのものは厳然としてあると。やはり、きちっと議論する上で、変更肯定の意見をまずはだしきって、正当性を見出せるかという議論が必要に思います。現状維持が選択肢としてあって、結果その通りになったとしても、やはり変更を含めた議論をしなければ、また問題はぶり返すという点は指摘しておきたい。同様の議論を繰り返すことを避ける上でも、この際、皇室全体の記事名としての調整をどう図るかという点を議論できればと思います。

そこで、「皇位と名を含む」、「他の皇族との調整」というひとつの共通項が見えつつある。ここは貴重な合意点となる可能性を含んでいると思います。その点を踏まえて、もう少し議論を深めて活きたいですね。--Suifu 2005年12月21日 (水) 02:34 (UTC)

天皇を項目名に入れても現ダライラマの項はダライラマ14世で本名を以って項目名とはしていない、英語版エリザベス女王はElizabeth II of the United Kingdom、現教皇ベネディクト16世はPope Benedict XVIだから、他国の君主級の人物の項目名と比較してもつりあいが取れると思うんだよね。教皇は本名じゃないし。むしろ外国語版の方が地位には寛容なのかね。たしか「明仁」の項目も名称中に天皇を入れている外国語版が二カ国語分くらいあったような。チャールズ皇太子は日本語版も中文版も括弧書きで皇太子と入れている。勿論英語版も(ウェ-ルズ大公だけど)。--代言人 2005年12月24日 (土) 16:21 (UTC)

ウィキペディアにおいて「中立性」は「正式な呼称」よりも優先される事柄であろうと思います。「明仁」では多くの人が記事に偏った印象を持つでしょうから、改める必要がありそうです。個人的には、「今上天皇」が妥当であると感じます。呼称としての「今上天皇」は、それほど内容も無いですし天皇#天皇の呼称に移せば良いと思います。-- 2005年12月25日 (日) 08:37 (UTC)

私も現在の項目名「明仁」には反対です。ただ、呼称としての「今上天皇」は人物としてのそれと別物ですし、すでに項目「大行天皇」もあることから統合せずに独立を維持すべきだと思います。そこで、2つほど案を考えてみました。

  1. 項目「今上天皇」を「今上天皇 (呼称)」、同「明仁」を「今上天皇」と改名し、統合しない。Template:Anotheruseによって曖昧さ回避する。
  2. 項目「今上天皇」を「今上天皇 (呼称)」、同「明仁」を「今上天皇 (第125代)」と改名し、統合しない。Template:Anotheruseによって曖昧さ回避する。項目「今上天皇」は同「今上天皇 (第125代)」へのRedirectとする(Redirectの使い方としては邪道か)。

自分としては第1私案の方がよいかと思います。これまでの議論は通読しましたが、どこか踏まえていない所がありましたらお詫びします。--井上経介 2006年1月13日 (金) 08:52 (UTC)

なるほど。第1案のようにできればいいですね。今上天皇と今上天皇(呼称)の分割は今までなかったですが、今までの議論の経緯を踏まえるとかなり合意形成の可能性を含んでいますね。 今上天皇(第125代)は、割と反対も多かった?ように思われる。皆さんはどうでしょうか?--Suifu 2006年1月17日 (火) 03:39 (UTC)

井上経介さんの第1案は良いと思います。賛成です。-- 2006年1月17日 (火) 12:50 (UTC)
私はあくまでも現状維持でよいと思います。というのは、法律を公布する場合や生物学者として論文を提出する場合など本名を名乗る必要がある場合には、あくまでも明仁という名前を使い、肩書きである天皇は使わないからです。それに対し、ローマ教皇ベネディクト16世やイギリスのエリザベス2世女王などの場合は、それらの名前を使っています。 --利用者:mig 2006年1月27日(木) 17:15(UTC)

繰り返しですが、私は今上天皇(明仁)への移行に賛成します。 天皇陛下の正式名称は明確に「明仁」です。それは、法律の公布の場合は公的なお立場、論文などにおいては私人のお立場、いずれにしても、諱(明仁)のみを用いる。しかし、注意が必要なのは、それは主観的な表記であり、天皇陛下の側からの名乗りなのです。第三者的・客観的に用いる習慣というのはないといっていいでしょう。

記事名をめぐって客観的かつ百科事典としての正規な記事名を定めるに際しては、当事者の対外的な名乗り、正式な名称であるものを表記することは一見正しいと思われがちです。しかし、注意しなければならない。天皇陛下個人としての記事よりも、天皇という地位があって、はじめて記事が成り立っている事実です。公私問わず個人としての事績が記事を構成するわけですが、それは天皇陛下が昭和天皇時代の皇族の一人であり、現在、天皇の地位に存在することに記事が成り立っていることです。

その場合、たんに正式名称とはいえ、第三者的に極度に用いられることの少ない(その背景に尊敬の対象としての遠慮があるとしても)明仁の名乗りは果たして適切といえるのかどうか。このWikipediaが正式名称に忠実であることの他に、たとい日本語版であっても、世界的な百科事典であり、どんな記事も国際的な配慮も必要であるということです。その場合、日本の文化的な背景を基盤としながらも、あくまで日本は日本と割り切るのではなく、諸外国の君主との整合性(対外的にはエンペラーですから)、何より日本の皇族との整合性をとった上で記事及び記事名をとる必要がある。 姓のない、天皇陛下がたんに名前だけで記事名が成り立つことは、どうでしょうか。それに日本国民で姓がないのは皇室だけですが、「明仁」の名前そのものは、天皇陛下のみに名称独占されているわけでありません(他に明仁という人物がいることを私は知りませんが、少なくとも命名に用いることは禁止されていない)。その点の配慮も必要です。

いずれにしても、記事名は人名だけで構成することも確かです。但し、そこは()書きで地位を付随させている諸外国の事例がある限り、天皇陛下に限って、それが許されないという法はない。また、敬語・敬称を用いず、客観的かつ正式な名乗りを用いるとしても、百科事典は読み手がいて成り立つものであり、不快に思ったり、改善を求める声に応えることが許されないということはなく、そういった心情への配慮も当然にしてあってしかるべきであると思います。--Suifu 2006年2月1日 (水) 01:52 (UTC)

追記 私はあくまで今上天皇(明仁)案賛成者ですが、整合性を求める上で合意形成の場合によっては、明仁(日本国天皇)というのも有効かと思います。--Suifu 2006年2月1日 (水) 02:01 (UTC)

現行の「明仁」を「今上天皇」と改名する場合、そこに「(明仁)」という分野名を附す必要はあるのでしょうか。Wikipedia:曖昧さ回避#主要なトピックを中心とする曖昧さ回避には「最も「項目名」として参照されるトピックにその名前を割り当て、それ以外のものを「項目名 (分野)」にします」とありますが、呼称としての「今上天皇」が人物としてのそれと同じくらい、あるいはそれ以上に参照されるとはどうしても考えられないのです。--井上経介 2006年2月7日 (火) 17:17 (UTC)

「明仁」を単に「今上天皇」にした場合、不謹慎ですが現在の天皇陛下が崩御されると「今上天皇」(現在の「明仁」)をおそらく「平成天皇」に移動して、おそらく今の「徳仁親王」を「今上天皇」に移動することになると思うんですが、そうすると他の記事の「明仁」へのつもりで張られた「今上天皇」のリンクが別の人物を指すことになってしまうと言う問題が起こりませんかね。今上天皇という言葉が指す人物は今後変わる可能性があるわけで、一人の記事に固定するのはまずいような。
ところで今上天皇というのは、他の天皇や天皇という地位と「今の『天皇』」を特に区別するための用語だと思うんですが、明仁とか125代とか、誰を指してるか特定出来るものを付けたとき「今上」必要ですか?Kyoku 2006年2月10日 (金) 21:08 (UTC)

将来の恐らく平成天皇への移動の問題は、それほど気にする必要はないと思います。今の明仁へのリンク元は250件にも満たないですし、手動で修正すれば良いでしょう。すごく増えている可能性もありますが、ボットという自動で行う手段も有るみたいですし。-- 2006年2月11日 (土) 07:42 (UTC)

すみません。自分も今上天皇か、今上天皇(明仁)かという点で、一貫していないところがあったようです。改めて整理すると、 明仁からの今上天皇への移行には反対はしません。むしろ、本意としてはそちらにあります。しかし、一点、憂慮されるのが、一部にある今上天皇反対論。現実な案としてどちらがよいのかという点が考えあぐねているところです。私は1.今上天皇、もしだめなら今上天皇(明仁)と考えています。--Suifu 2006年2月21日 (火) 08:00 (UTC)

私は「今上天皇_(明仁)」若しくは「今上天皇_(第125代天皇)」が一番妥当ではないかと思います。今上天皇というのは、やはり「当代の天皇」の意味を持つ皇室用語であって、今上天皇の項目で現時点での今上天皇ご本人を語ることには少し違和感があります(勿論、現状の「明仁」のみが良いとは考えておらず何らかの移動が必要だと言う点には賛成です)。あと、現行の人名事典などでは、どういう表記がなされているのかについても考慮に入れる必要があるかもしれません。--水野白楓 2006年3月6日 (月) 10:23 (UTC)

MSNエンカルタでは「明仁」となっています。ご参考までに。私としては現状維持に一票、移動するなら「今上天皇_明仁」「今上天皇_(明仁)」「天皇明仁」あたりを推します。―霧木諒二 2006年3月6日 (月) 10:55 (UTC)

人物事典の表記について報告します。

  1. 日本史人物事典(別冊歴史読本 事典シリーズ1 新人物往来社)
    今上天皇:歴代天皇を一つの章で説明しています。天皇毎に節に分け、「第百二十五代 今上天皇」のかたちです。
  2. 日本の名家・名門人物系譜総覧(別冊歴史読本57 新人物往来社)
    今上天皇:「明治天皇」から始まり、「今上天皇」となっています。
  3. 百二十五代の天皇と皇后(歴史と旅特別増刊号 秋田書店)
    今上天皇:歴代天皇と皇后を夫々解説しています。天皇毎に「第125代 今上天皇」のかたちです。
  4. [図説]皇室のすべて(エソテリカ別冊 ISBN 4-05-604165-2)
    天皇陛下:第2章天皇と皇族に、皇族・元皇族23人が解説されていますが、題は「天皇」・「皇后」・「皇太子」…「文仁親王」・「文仁親王妃紀子」となっています。
  5. 皇室の百科事典(新人物往来社 ISBN 4-404-01521-6
    今上天皇:第124代と小さく冠している
  6. 皇室辞典(東京堂出版 昭和55年)
    天皇裕仁:
  7. 皇室大百科(朝日通信社 昭和50年)
    今上陛下:
  8. 皇室(皇室資料保存会 昭和34年)
    天皇陛下:項目名の下に括弧書きで(御名 裕仁)とある。
  9. 天皇家系譜総覧(別冊歴史読本 昭和59年)
    今上天皇:
  10. 日本の象徴 天皇陛下(国政問題調査会 平成12年)
    今上天皇:
  11. 日本皇室大鑑(財団法人日本学研究所 昭和53年)
    今上天皇:
  12. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ ISBN 4-8169-1553-1
    天皇明仁:

手元には安いやつしかないので本物の人物事典はまた後日。--代言人(!) 2006年3月7日 (火) 16:51 (UTC) 図書館調べを追加--代言人(!) 2006年3月12日 (日) 04:04 (UTC)追加--2006年5月13日 (土) 10:09 (UTC)

岩波 天皇・皇室辞典(ISBN 4-00-080303-4)の見出しは「現天皇」です-Halfwidth 2006年3月10日 (金) 05:53 (UTC)

wikipedia自体の編集方法がいまだよくわからないのですが、一言。「今上天皇」という項目が別に存在するのですから、現在の天皇に関しては先代までの天皇と並べる意味で単に「平成天皇」でよいのではないでしょうか?平成天皇の事跡を紹介する項目として「今上」という言葉を用いることには中立性に関わる踏み込みを感じます。「明仁」でも論外ですが。

天皇はあくまで地位のひとつに過ぎません。なぜ特別扱いするのか、全く理解できません。--神楽 2006年9月6日 (水) 02:26 (UTC)

今上天皇の記事名 評決(案)

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現在までの各位の意見のまとめ。

  • 改名…9
  • 現状維持…2

*今上天皇案…3 *今上天皇_(明仁)又は天皇_(明仁)…3 ※私とSuifuさんは積極的にどの案と言う訳ではないと思ったので上の"3"には入ってません。 誤解を招くので消しました。 そろそろ今上天皇の項目の合意も得たいところですね。--代言人 2006年1月28日 (土) 07:25 (UTC)

質問なのですが、この集計の中に、私の(2005年12月15日 (木) 13:07 UTC)は入ってますか? Suifuさんのコメントを読むといまいち伝わってなかったような気がしたので、念のため確認を。--oxhop 2006年2月8日 (水) 12:55 (UTC)
入ってます。多分。ただ何の効力もない集計だったので消しました。いざ評決する時にはこのページの一番下の例かWikipedia:投票に従う形もありかなと思います。議論が出尽くしたのかどうか判断が難しいのでなんとも…--代言人 2006年2月8日 (水) 13:37 (UTC)
了解です。議論は出尽くしてると思うのですが、ああしたらどうかこうしたらどうかという案と、自分はこれが良いと思うという意見が混在してるので、一度、立場の確認をしてみてはどうでしょうか。--oxhop 2006年2月9日 (木) 13:37 (UTC)

今のところ、以下の通りかと思います。

提案事項

    1. 今上天皇
    2. 今上天皇(明仁)
    3. 天皇(明仁)
    4. 現天皇(一応、選択肢に追加)
    5. 現状維持


さて、どういう意見表出の方法がいいでしょうか。とりあえず、私は今上天皇案に一票入れます。--Suifu 2006年3月13日 (月) 04:14 (UTC)

意見が多かったらやっぱりそれに決めるんでしょうか?--代言人(!) 2006年3月17日 (金) 13:56 (UTC)

SAMPLE

意見集約 (第一希望)

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<!--## 今はまだ機能していません ##-->

今上天皇
  • takatukasa
  • saionnji
  • konoe
  • kujyo
  • osinokouji
今上天皇 (明仁)
  • tuchimikado
今上天皇 (第125代)
  • kitakouji
天皇 (明仁)
  • higasikuze
天皇 (第125代)
  • hachisuka
現天皇
  • umekouji
天皇明仁
  • oyabiccha
明仁(天皇)
  • higasi
明仁 <!--現状維持-->
  • tie
  • mi
  • mimi
  • hashi
  • kiri

<!--## 投票用ではありません。 ##-->

危うく間違って投票しそうでした。
さて、なるべく死票を減らしたいですね。中選挙区に倣って第三希望ぐらいまで集計するのが良いでしょうか?それか票の取り合いを避けるために立候補を断念するやり方も有るかも知れません。-- 2006年3月17日 (金) 14:40 (UTC)

  1. 今上天皇を含む(今上天皇・今上天皇(第125代)・今上天皇(明仁))
  2. 御名を含む(今上天皇(明仁)・天皇(明仁))
  3. 天皇を含む(天皇(第125代)・天皇(明仁)・1番にもなりうる。)
  4. 現状維持

絞ると4つかな--代言人(!) 2006年3月26日 (日) 13:35 (UTC)

理想抜きで合意形成を図り、かつ百科事典的にもいいとなると、天皇(明仁)か。。。一番になり得るというのは、かなりオイシイが。今上天皇も捨てがたいので、しばらく静観。--Suifu 2006年3月26日 (日) 17:00 (UTC)

天皇(明仁)よりは明仁(天皇)の方がよいのでは。まず「明仁」という固有名詞ありきでその位が「天皇」なんですから。--以上の署名の無いコメントは、124.96.230.164会話投稿記録)さんによるものです。


投票する事自体は反対がなさそうなのですが、選択肢をどうしましょうかね。投票を2回戦やって、1回目は

  1. 今上天皇を含む(今上天皇・今上天皇(第125代)・今上天皇(明仁))
  2. 御名を含む(今上天皇(明仁)・天皇(明仁)・明仁(天皇)・明仁天皇)
  3. 天皇を含む(天皇(第125代)・天皇(明仁)・現天皇)
  4. 現状維持

の四択にして、現状維持となった時を除き2回目に括弧内のものを選択肢として投票してみては如何でしょうか。--代言人(!) 2006年4月16日 (日) 12:51 (UTC)


1.2.3.の例は、複数の条件を満たすものが多く、また全て天皇を含んでいますから、

  1. 天皇を含む
  2. 現状維持

では如何でしょうか。-- 2006年4月19日 (水) 16:52 (UTC)

それを言うとまた改名するか否かの振り出しのような気が…。まぁ「決まったんだぞ」って言えるけど。実は、もっと多くの方からの御意見を待ってたのですが、どうも反応が薄いようです。コメント依頼にも行こうかな。--代言人【右】 2006年5月12日 (金) 15:49 (UTC)
どうもはじめまして。ここまでの議論で変える事は確定の様に思えますし、死票を減らすという意味で
  1. 今上天皇を含む(今上天皇・今上天皇(第125代)・今上天皇(明仁))
  2. 御名を含む(今上天皇(明仁)・天皇(明仁)・明仁(天皇)・明仁天皇)
  3. 天皇を含む(天皇(第125代)・天皇(明仁)・現天皇)
でいい様な気がします。現状の私の意思表示としては今上天皇に一票です。--マクガイア 2006年5月22日 (月) 16:34 (UTC)

「今上天皇」に賛成です。色々な意味で政治的に中立なタイトルはこれだと思います。

「今上」って中立的ですかね?現職であることの尊敬表現ですから、個人の項目名としては不適当な気がします。いろいろな立場があると思いますが、天皇の呼称として最も一般的なのは「天皇」でしょう。「天皇」自体が尊敬表現なんですけど、マスコミでの露出が「天皇陛下」で統一されている以上、「天皇」を含めないのは、あまりにも世相と乖離しすぎていると思います。法的にも天皇ですしね。そういう意味では、岩波の「現天皇」はうまい表現だと思いますが、問題はそのような呼称があまり浸透していない、という点です。それって造語ですよね?やはり、「天皇 (****)」という体裁がよいと思います。括弧の中候補は(今上)(今上天皇)(現)(現在の天皇)(現天皇)(明仁)(平成)あたりでしょうか。平成天皇だと思いっきり失礼ですが、「天皇 (平成)」はアリだと思います。中立性をとるなら、「天皇 (現在の天皇)」あるいは、「天皇 (人物)」くらいがいいと思います。--211.1.224.185 2006年6月6日 (火) 13:09 (UTC)
「天皇(第125代)」が妥当だと思います。通念で考えた場合「今上天皇」は「現時点で即位されている天皇」という意味合いで使われていると認識しています。その点を踏まえて未来について考えるのであれば、天皇陛下が崩御なされたときにそれまで「今上天皇」として扱われた記事は名称を変更する事になる上、次代の天皇が即位した時点で新たに「今上天皇」の記事が作成される事を考えると、同じ記事名で時間により異なる人物を差すのは好ましいとは思えません。私としては、1.同一時代に日本国には天皇は一人しかいない(南北朝時代についてはさておき)、2.時系列で区別するために歴代表記を行う。という事から「天皇(第125代)」を推します。--Kentagon 2006年6月6日 (火) 14:31 (UTC)
私も「天皇 (第125代)」を推します。本来ならばマスコミであれ一般人の会話であれ「天皇陛下」という呼称でほぼ統一されており、「天皇」と「陛下」は切り離せないため(「天皇」とは別の項目として)「天皇陛下」や「天皇陛下 (第125代)」を推したいところなのですが、Wikipedia:スタイルマニュアル#人物・人名で「敬称を使用しない」と明確に示されている以上妥協せざるを得ません。であれば「一般的な名称」に最も近い「天皇 (第125代)」としたいと思います。なお、崩御後の呼称が「平成天皇」になると確定していないので「平成天皇」を暗黙の前提とした「天皇 (平成)」は避けたいところです。平城天皇と紛らわしいのを避けるため別の諡号になるとか、あるいは一世一元の制が廃され、孝明天皇以前の諡号の付け方に戻るとか、果ては中国の数々の末代皇帝のように王朝自体の消滅で諡号すら贈られない可能性までも考慮しなければならないと思います。春野秋葉 2006年6月13日 (火) 04:45 (UTC)
「今上」が尊敬表現、ってみなさんなにか根拠があっておっしゃっていますか?字のイメージから「尊敬表現」と思い込んでおられるだけの方がいるように見受けられてなりません。尊敬の意味があるなら「今上は現在皇位にある人物に敬意をこめて言及する際の呼び名」とかって辞書に書いてあると思うので、そのような辞書をご紹介ください。むしろ「今上」は敬意を込めないで言及するための用語でしょう。dakusui 2006年9月10日 (日) 00:03 (UTC)


「明仁」か「今上天皇」か

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やはり、基本的には以下の理由から、明仁がいいでしょう。

- 本人が署名する際(たとえば法律の公布時)や、本人が執筆した論文での氏名としては「明仁」が使われている

- 英語版など諸外国語版ではおしなべて「明仁」が項目名となっている(大正天皇以前はEmperor XXという表現)

- 今上天皇はあくまでも「その時点で天皇である個人に対する敬意を込めた表現」であるため、明仁という個人を指す項目名としてはふさわしくない(昭和時代であれば当然昭和天皇が今上天皇であった)

- 百科事典はあくまでも客観的な記載をする場であり、「今上天皇」や「天皇陛下」など敬意のこもった表現はそれ自体が主観的であるとみなせる


特に最初の点は一番重要だと思います。仮に当人の存在を知らない日本語話者がいて、本人を目の前にして日本語で「お名前は何と仰いますか?」と聞かれたとすると、現天皇は「明仁です」と答えることでしょう。これがたとえばエリザベス2世に対してであれば、"What's your name?"と聞かれたら"My name is Elizabeth the Second"と答えるでしょうし、ローマ教皇ベネディクト16世であれば"My name is Benedict XVI"と答えるでしょう。mig 2006年6月28日(水)01:11(UTC)

日本語版wikiは日本版では有りませんが、日本に関する事柄についての情報源として、他言語版から信頼されている可能性があります。日本語版の訂正するべき項目名を基に他言語版の記述が行われたあるいは行われていて訂正されていない事を考える必要があると思われます。他言語版の記述を根拠に項目名の妥当性に関する論拠とするのは間違っていると思われます。--ほかほかご飯 (Hot, Steamy Rice) 2006年7月6日 (木) 13:57 (UTC)

個人的にはちゃんと「天皇陛下」と呼ばないと落ち着かない旧世代ですが、ウィキペディアの項目名に関しては「明仁」でよろしいと思います。というのも、これは「人物の伝記記事」であるからです。ならば、そのひとの「名前」を項目名とするのがよろしいでしょう。Suifuさんが2005年12月16日に書かれたいろいろな「改名希望理由」はそのまま、本文中で解説されるとよろしいかと存じます(お気持ちは痛いほどわかるのですが、ここは「百科事典」ですから)。

>他の皇族が宮号、身位を含む関係上、整合性をとる上でも皇位を明記することが適当である

ということでしたら、ほかの皇族も「宮号、身位」なしに戻しましょう。

平凡社大百科でも「明仁」であることを付け加えておきます。--miya 2006年7月9日 (日) 01:47 (UTC)

自分が高校時代に使用した教科書・資料集では、「今上天皇」と「明仁」が混ざっていました。「明仁天皇」とか「天皇陛下」といった表現は使用されていません。ここは百科事典ですし、「日本版」でなくて「日本語版」なのですから、列挙する際には天皇とはいえ、尊称をわざわざつける必要はないと思います。よって、「明仁」での存続を支持します。--Shinkansen 2006年7月16日 (日) 16:16 (UTC)

現在の明仁での存続を支持します。今上天皇は時代によって対象となる人物が変化するため不適当だと思います。また明仁天皇_(125代)へ移動するのは小泉純一郎内閣総理大臣_(87・88・89代)とか自由民主党総裁_(20代)に移動したりするのと同義であり、好ましくないと考えます。--端くれの錬金術師 2006年7月17日 (月) 04:48 (UTC)

「明仁」を記事名とする事に賛同しかねるのは、日本国憲法で定められる天皇としての地位と国事行為を行う事は「明仁」として行われているかどうかという点が未だ明確でない事です。これは芸能人が芸名でもって芸能活動が行われている場合、記事名に本名を用いるのは不適切であるのと同様です。で、「明仁」でもって国事行為を行っているとしている根拠には「署名は明仁名義で行われている」という事のみであり、これにより「天皇としての行為が行われている」と成立させる事はできないと思います。通常、署名を行うときは「氏名」を記入するのが慣例であり「称号」や「役職」等を署名する事はまず無いと考えられるからです。マスメディアの報道を根拠にしたならば、どちらかというと「天皇」という称号を名義とした上で国事行為が行われていると考えるのが妥当かと思います。また、百科事典の記事名として考えても「明仁」とするは適切ではないと思います。最も適切な百科事典の記事名は「記事名と定義が簡潔にまとまるか」という点であると思います。「明仁」を記事名としたとき、まず何処の「明仁」さんか出自を明示する必要があり、定義が簡潔になるとは思えません。第125代日本国天皇としての「明仁」の記事を成立させるのには「皇族である」または「昭和天皇の第一皇子である」を中継して「昭和天皇崩御に伴い、第125代天皇として即位した」と結びつくことになるかと思います。仮に「明仁」という名義で活動する人物が存在した場合、その人物と区別する必要が生じ余計に定義づけが簡潔ではなくなってしまいます。そのことから予め「記事名」に「天皇」を用いることで、記事名により「天皇である」という定義付けされるので、「(記事名)は日本国の第125代天皇である」という論法が簡潔に成立すると思います。以上から私はこの人物が日本国の「天皇」であることを示す記事名として「明仁」を支持せず、「天皇」を用いることを賛同する根拠とします。また付け加えで、政治的見解は別に論ずるとして「明仁天皇」または「天皇明仁」についても検討するのもありではないかと思います。 --Kentagon 2006年7月22日 (土) 10:08 (UTC)
仮に「明仁」という名義で活動する人物が存在した場合と書いておられますが、その人物が現天皇と同じくらい著名な人物になった場合は曖昧さ回避、そうでなければ明仁を現天皇、それ以外の項目を明仁 (タレント)または明仁 (曖昧さ回避)とすればすむことです。御心配なく。むしろ私は明仁を役職名へのリダイレクトにしてしまうほうがよほど不敬であると、天皇陛下に失礼に当たると感じます。それは天皇陛下の人格を軽視することになります。--miya 2006年7月22日 (土) 15:32 (UTC)
人物の記事を構成する上で、その活動や功績、地位の元を成立させている名義を持って記事名としないとした場合、それは「その人物の経歴は列記するが、その地位や活動は支持しない」と否定しているように思えます。上記でたびたび例示されているベネディクト16世を例として、記事名を本名である「ヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー」とした場合、記事の構成として『現在のローマ教皇である』と記述はするが、ローマ教皇としての地位やその活動は『支持しない』と示しているように思えます。現ローマ教皇としての活動をもって記事を構成するのであれば、活動の主体となる名義「ベネディクト16世」という教皇名をもって記事名にするべきです。(始皇帝を例とするならば『帝号で「史上初めての皇帝(諡号を用いていないことから唯一の皇帝の意をも暗示している)」とは驕るにも程がある!本名の「嬴政」にしろ』と言うようなもの)では、今回議題として挙がっている天皇陛下について当てはめてみると、現在の日本国天皇としての活動を、マスメディアの報道では「天皇陛下」という名義でもって報道されており、日本には『天皇陛下の御名を呼称として用いる事は大変失礼にあたる』という慣例が存在する事を考慮すると、活動の主体は「天皇」という称号によって成立されると解釈し、その活動を尊重するのであれば「天皇陛下(但し、原則上尊称は付けられないので「天皇」)」を基準に検討するのが妥当と思います。--Kentagon 2006年7月25日 (火) 15:04 (UTC)
はばかりながら、ウィキペディアは「日本のマスメディア/報道機関」ではございません。「日本の百科事典」ですらありません。本部をアメリカに置く国際的な百科事典プロジェクトです。
なおローマ教皇の場合、「ベネディクト16世」とはなっても「教皇ベネディクト16世」とか「ベネディクト16世教皇」とはならないことに御留意ください。「今上天皇」のような役職名は「現教皇」と等価であろうと思います。「明仁」さんに「ベネディクト16世」に当たるようなお名前があればそちらを項目名にすることも考えられたと思いますが、そのような「芸名」(Kentagonさん)に当たるようなお名前があったでしょうか?--miya 2006年7月26日 (水) 05:14 (UTC)
「昭和天皇」の項目は「昭和」ではないことを思い出してください。dakusui 2006年9月10日 (日) 16:28 (UTC)
当初の議論を見ると今上天皇を用いることが適当かどうかということが議論になっていますが、ここにおいては称号のあるなしについて議論になっているようですね。Kentagonさんの仰る通り始皇帝については議論になっていませんし、そもそも今上陛下以前の天皇において天皇号をつけるべきか否かという議論はなされていないようです。そういう理由からmigさんの一番目と四番目の理由については適当でないと思います。
三番目については現在今上天皇及び今上陛下という用語が指す対象は陛下御一人のみであるので、その意味では問題にならないと考えますが、リダイレクトの問題は確かに存在します。とはいえこれは今上天皇についてもいえるはずです。つまり、記事を書く人が呼称としてでなく陛下を指して今上天皇へのリンクを作ったときです。この場合は一々記事を読んでどちらを指すのか区別しながらリンクし直さなければならないという面倒で厄介な状態が生じます。呼称と陛下を別の記事で今上天皇という語を用いればこのようなことは多少なりとも減じると思います。--大野一将 2006年7月26日 (水) 03:17 (UTC)
  • 「今上天皇」は役職名でしかないため明確に反対。「現教皇」「現女王」「現会長」と同列でしかありません。陛下に失礼です!おまけに、代替わりしたときに、新旧、どちらの今上陛下か混乱します。
  • 「天皇(明仁)」とした場合、それ以前の天皇がたを整合させるにはすべて「天皇(おなまえ)」としなくてはならなくなるため明確に反対。
  • 「明仁(天皇)」は、他に陛下と同じくらいの知名度のある「明仁」さんがいた場合にはやむをえません。いなければ曖昧さ回避は無意味です。--miya 2006年7月26日 (水) 05:14 (UTC)
「今上天皇」は役職名ではなく、現在皇位にある人物の「呼び名」です。辞書を引いてください。Wikipediaの項目名は「呼び名」によって付けるものと記憶しています。dakusui 2006年9月10日 (日) 16:28 (UTC)

文化的に特殊な事態について考えてみる良い機会かもしれませんね。昔の中国・韓国・日本などでは本名を呼ぶことは呪詛や罵倒に値する行為で、現代でもその名残が(このケースのように)あるのはご存じかと思います。英米圏にそのような文化は無いはずで、英米圏の人々が項目名の付け方の規則を考える時に、このような事態は想定していたのか疑問に思います。--ほかほかご飯 (Hokahoka) 2006年8月6日 (日) 11:04 (UTC)

敬称を付けない、というのが百科事典のスタイルなのです。英米圏のものばかりか、日本でこれまで出版されてきた「百科事典」でも「明仁」「徳仁」だったはず。ただしノートは百科事典の本文ではないので、それぞれの信条に従い敬称を用いても用いなくてもよいでしょう。先日から考えていたのですが、どうあっても項目名および本文に敬称を使いたい場合は「皇室事典」をウィキペディア外に立ち上げていただくしかないのでは? --miya 2006年8月7日 (月) 19:29 (UTC)
「今上天皇」が「敬称」だというのはどの辞書に書いてありましたか?dakusui 2006年9月10日 (日) 16:28 (UTC)
miyaさんにおかれましては、百科事典のスタイルと断言なされましたが、必ずしも全てが当てはまるわけではありません。一応断っておきますが私は天皇陛下に敬意を感じてはいるものの、右翼ではありません。敬称を用いるか用いないかの単純な問題ではなく、もっと根深い問題を含んでいるのではないかと考えています。例えば預言者ムハンマドの肖像の歴史的にも科学的にも認められる物が発見され、それがウィキのライセンスで掲載可能な状態にあり、掲載が行われたらどうでしょうか?確かに科学的には正しい事であっても、ムスリムの人は傷つきます。

表現の自由は守られるべき重大なものです。その行使には出来る限り制約が少ないことが望ましく、それが社会のためになることもご理解いただけると思います。しかし、このような特異な文化上の問題が発生した場合、これまでの方針通りで機械的に処理することは良いことでしょうか?ウィキペディアは全世界に展開しているのですから、各文化の影響でで生じるトラブルに対して、対応を考えるべきだと私は考えます。それがなされなければウィキペディアは単なる英米価値観による偏向百科事典に堕してしまうのではないかと危惧します。--222.158.30.79 2006年8月8日 (火) 17:57 (UTC)

 今上天皇は厳密には役職名ではないと思います。確かに、明仁→今上天皇であれば不敬かもしれませんが、明仁=今上天皇ならば失礼ではないと思います。私はリダイレクトは後者の意味合いが大きいと思います。現教皇の延長線上にあるのは確かかと思いますが、それだから問題になるとも考えていません。現教皇がお一人ならば問題はないと思います。今上に敬意が含まれるのはその通りだと思いますが、敬称ではないと思います。敬称は「陛下」や「殿下」であるので、ここで敬称を採り上げるのは不適当であると考えます。
 次に代替わりにおける混乱についての指摘がありますが、これは今上天皇のリンク元を見る限り避けられない問題のようです。従って呼称と人物とで分けたほうが管理しやすいと思います。それから、今上天皇を項目名にもつ百科事典として、万有百科大事典(小学館)があります。項目名が御名になっているものの、内容で天皇陛下と呼称しているもの(原色現代新百科事典(学研))もあります。百科事典もいろいろあるようです。--大野一将 2006年8月10日 (木) 02:31 (UTC)

ベネディクト16世・始皇帝あるいは神武天皇のように、「芸名」が明確な場合はその採用に皆さん異論が無いわけですよね。だとすればこれがウィキペディアの編集方針と考えていいと思います。今上天皇については、「芸名」が無いために問題が複雑化している訳ですが、それならば便宜的にどのような「芸名」を設定するかという方向に議論を移すべきではないでしょうか。日本の今上天皇だけ個人名というのは、他の記事(公共的な職や地位のある人)他の記事(公共的な職や地位にあって実名外の呼称が知られている人)に比してやはり不自然です。--ととりん 2006年8月13日 (日) 13:09 (UTC)

明仁でいいでしょう。結局のところ、異様に食い下がってる人は、明仁という表現に、皇族の権威とか神性を現す表現が入らないのが気に入らないってことでしょ?でもそのこだわり自体が間違いなんですけど、それは都合よく無視ですか?そもそも正式には、単に今上個人としては明仁、その敬称が陛下であり、これは皇室典範で規定があるわけです。それに天皇は本来追号なのだから、正しい表記というなら、職位を指す場合を除いて、一人の人間としての今上を指して天皇とするのはなおさら間違いですが。文化やらなにやらご大層なわりに、なんで法律上の規定を無視して、大衆マスコミのいわゆる過剰な皇室敬語のレベルで語るんですかね?Rinrin0808 2006年8月14日 (月) 20:17 (UTC)

「明仁という表現に、皇族の権威とか神性を現す表現が入らないのが気に入らないってことでしょ」というのは、あなたの想像以外にどんな根拠がありますか? dakusui 2006年9月10日 (日) 16:28 (UTC)

「明仁」で良いと思う。ここは事典であるから、正式名称で記述すべきだと感じる。--abolitionist 2006年8月14日 (月) 22:06 (UTC)

「明仁」が呼称として適切だと言うのは、どんな典拠がありますか?dakusui 2006年9月10日 (日) 16:28 (UTC)

「明仁」ならば、他の皇族の記事名で付属されている「親王」とかも外した方がいいでしょう。大日本 2006年8月15日 (火) 09:28 (UTC)

Rinrin0808さんの"皇族の権威とか神性を現す表現が入らないのが気に入らない"というのは正しくその通りです。私は普段御名を用いませんので、項目名となることに非常な違和感を感じるからです。陛下の御名が「明仁」であるというのは論を待たないことです。そのことに異論はありません。ご指摘がありましたので、皇室典範を読み返してみました。敬称が陛下であるというのは第23条にその規定がありますね。そこから考えると天皇陛下とか、明仁陛下とお呼びするというのは分かります。しかしながら、"天皇は本来追号"や"職位を指す場合を除いて、一人の人間としての今上を指して天皇とするのはなおさら間違い"というのはどこに書いてあるか分かりませんでした。"明治天皇"や"大正天皇"が追号であるというのには異論がありませんが"天皇"それ自体を追号とする根拠も分かりませんでした。
法律上の規定、と仰られたので調べてみると大行天皇の追号が定められた件(平成元年一月三十一日内閣告示第三号)という政令がありました。ここには御名は出てきません。しかし昭和天皇を指すものです。今上天皇とは直接の関連がありませんが、政府も御名を用いていないことは分かりました。
"大衆マスコミの過剰な皇室敬語"と仰いますが、過剰と感じるか否かは人によると思います。少なくとも使っている当人は過剰でないと考えているから使っているのではないでしょうか。そして、大衆マスコミのレベルで議論するということにいかなる問題があるのか分かりません。
abolitionistの仰ることは、確かにその通りかもしれません。しかし、私の価値観とは違います。価値観の相違は投票によってしか解決出来ないと思います。私は御名が広く用いられていないことから、今上天皇がよいと思うのです。主張としては春野秋葉さんとほぼ同じでありますから、天皇(第125代)でもよいとは思います。今上天皇の事跡が気になって御名で調べる人は殆どいないと考えます。ネコを学名で項目を立てないように(学名=正式名称というのには異論もあるかと思いますが)、最も用いられている名称が妥当と思います。
大日本さんの仰ることは確かにその通りで、天皇がダメなら親王もダメかもしれません。ただ、親王は称号であり身位であるので称号である天皇と同列に議論するにはやや難があると思います。また、親王には諡号がないようなので現在の親王号を取り去るだけでなく過去に遡って取り除く必要があるかもしれません。天皇や親王をつけるか否かの議論は別にありますので(Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/過去ログ)、そちらをご参照までに。個人的な感情ですが、過去の議論を無駄にすることは避けたいです。--大野一将 2006年8月15日 (火) 17:47 (UTC)

ともかく、仮にでもいいので、今の項目名を「天皇明仁」でも「今上天皇明仁」でもいいので変えて欲しい。半年以上議論しているようなまのに結論も見えず、ずっと平行線のままで違和感のある項目名のままです。項目名を変えてからでも、議論はできます。--河路 2006年8月20日 (日) 14:12 (UTC)

芸名を使っている芸能人を本名で掲載しても、利用者には不便です。それと同様に、今上天皇について検索したい利用者は「天皇」、それが皇太子なら「皇太子」、秋篠宮なら「秋篠宮」で探すことが一番想定しやすいのではないでしょうか。それから参考までに、項目名には敬称を使わずとも、定義の部分では使ってもいいようです(英語版 Paul McCartney項では Sir James Paul McCartney is ...と記載されています)。従って、現在「明仁とは……」と本文がなっていることにかなり違和感を感じるのですが……

  • 概して言って「明仁のまま」派は、思い込みで論じているように思います。「今上」が敬称だとか、「明仁」が正式名称だとか。せめて辞書を引いてほしい。dakusui 2006年9月10日 (日) 16:28 (UTC)
「明仁」で良し。そういう固有名詞だから。dakusuiさんがそういう固有名詞であるのに同じ。違和感が払拭できているかと言われればですが、中立に━━というか、もの凄く引いた視点から眺めて━━考えたとき、それは恐らく「家康」ではなく「徳川家康」、「信長」ではなく「織田信長」というように、日本人名が姓名で書かれることが一般的であるから、というような気がしてきました(個人的に、「明仁」というように「名」だけですと小説やドラマのタイトルっぽく感じられます)。
さりとて天皇に姓があるわけでなく、ならば矢張り「明仁」であるかというのが私の結論です。海外のように「~何世」というような書き方に倣うならば「第~代天皇」でしょう。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年9月22日 (金) 05:45 (UTC)
(問題点を把握してから)コメントをいただきたいです。この項目の名称についていえば諱によって現在皇位にある人物に言及すること自体が政治的中立性を欠いているという少なからぬ意見があるからこそです。したがって固有名詞だからそれでよしなどという粗雑な議論は通用しません。家康の姓名を欠くことが一般的でも、それからの類推で現在皇位にある人物の諱を書くことが妥当だとするのも飛躍があります。なぜならもっと引いた観点でみるならば日本人に言及する際に姓名で言及するべきなのか、号によって言及するべきなのか、氏や官位まで含めるべきなのか?どれが正しいのでしょうか?今回たまたま例にあがったのは「徳川家康」ですが、じゃあ「松尾芭蕉」は?「芭蕉」はいわゆる名前ではなく「号」です。「日本人は姓名」っていうけど、これしきのことでもう破綻してます。「紫式部」は?諱で言及しようにもわかりゃしません。あえてきついことを言いますがこの程度で「もの凄く引いた観点」などといわれては…いやはや…。
(FAQ)こういうレベルのコメントが生じてしまうのは、なんとかIP(読みかたが分かりません)氏の責に帰すべきではなく、ながく続いた議論であるため、論点がわかりづらくなっているせいもあるでしょう。論点を整理したFAQがほしくなりますね。dakusui 2006年9月22日 (金) 16:10 (UTC)
書き方が悪かったですね、真意が伝わり難い表現━━というか言葉としては誤りであるのは認めますが━━を用いたのは訂正します。つまりは姓と名があるように聞こえるという意味で、「松尾芭蕉」の場合は語感的には「松尾さんちの芭蕉くん」のように聞こえるから落ち着いている、という事です。あと、号や亭、字(あざな)といったものは広義の名前に含まれるものと解釈しています(「じゃあ源九郎義経立川烏亭焉馬はどれが姓でどれが名だ」などというような不毛な話になりそうな気もしますが…)。
ともあれ、何故に「政治的中立性を欠いている」と感じるのかがわかりません。彼は(他意は無い、先の表現で言うならば)「天皇さんち明仁くん」という名前ですし、さりとて「天皇」という苗字がある訳でもないので「明仁」が固有の人名として正当だろう、ということです。(「~さんちの~くん」でふと思いましたが、皇族は幼少・学生時代、何と呼び合っているのでしょうね。「鈴木さん」「太郎くん」「理香ちゃん」と呼び合う中で「~さま」も無いだろうし…。もしかしたらその辺りに答えのヒントがありそうな気もします)--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年9月22日 (金) 16:44 (UTC)
(不毛な話になりそう?)不毛な話をはじめたのはあなたであって私ではありません。
(松尾さんちの芭蕉くん?)広義の名前だのなんだのって好き勝手に概念の拡張をしているようですが、つまり「日本人の名前は名字っぽいのと名前っぽくあるべき」ということですよね?で、現在皇位にある人物の場合、名字がないんだから御名だけでいいんじゃない?ってことですか?
(御名で直接皇位にある人物に言及することが嫌われるわけ)端的に言って非常識だからです。また共産党やそのほかの政治団体が天皇制に反対する明示的な意図をもって使用する語法だからでもあります。概していって政治的に中立な日本語話者は御名で天皇に言及することはありません。御名によって天皇陛下に言及したばあい、あなたはあなたが天皇制に反対する人物であるという印象を周囲に与えることでしょう。つかFAQないんで大変とはおもいますし、申し訳ないんですけどこのページの議論を読んで、論点を把握してからにしてください。
(皇族同士の呼称)テレビで皇太子妃殿下が、御自分の夫君に言及するときは「殿下」です。皇太子殿下が父君に言及するときは「陛下」。そういうものです。残念ながら参考にはなりそうもありません。dakusui 2006年9月22日 (金) 17:15 (UTC)
論点把握の件。しているつもりですよ。むしろ、こんな話、いつまでしているんだろうと思っています。「好き勝手に~」って、私は単に、「明仁」ではピンとこないと思う私なりの理由を述べたまでであって、そこは噛付くところではないと思いますが。それはさておき、苗字が無いから名だけでいい、その通りです。そういう名前なのですから。固有を指し示すときにこそ、使う言葉ではないでしょうかね。
共産党・政治団体云々の件。端的に訳すと「左翼勢力は~」というところですか? となると、右翼勢力はどう呼んでいるのでしょうね。正直、「左翼・右翼は」的な話になるとキリがないのはウィキペディアに限らず世の常なので、あまり好ましくないのですが、dakusuiさんがそう仰るならば、そう返すしかないと思います。「中立な者は~」というのは、自意識無い左翼連中の多くは自らを中立だと思っていますし、右翼連中もまた然り。結局自分のいる立場が相対的に中立だと思うのですから殆ど意味の無い説明です(早い話が朝日だろうと産経だろうと「~さま」と言っているけれども、じゃあ朝日も産経も中立か?…と言えば何を言わんか察していただけるかと)。念の為、私は天皇制に賛成でも反対でもありません。早く消えて無くなれと思わない反面、永久に続けとも特に思わない…というより、そうしたことを考える気すらない。中立とはそういうものです。皇太子妃が夫を「殿下」と呼び、皇太子は父君を「陛下」と呼ぶ。それはそうでしょうが、彼らは「殿下」や「陛下」という名前ではありませんし、この喩えはまるで喩えになっていませんよ。(しかし、名前で呼ばれぬとは、ある意味、可哀想な方ですよね。اللهですら99の名を持つというのに)--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年9月22日 (金) 19:17 (UTC)

あなたが御名でいいという理由はあなたにしか通用しません。 私が言っているのは、あなたは御自分の印象ではピンとこないという印象論にもとづいて、意見をのべているだけだということです。 多分私の質問の意図が分かっていないのだと思うのでもう一度聞きます。 あなたは「Wikipediaにおける日本人の名前(項目名)は名字っぽいのと名前っぽいのであるのがいい」ということをいいたいんですよね? dakusui 2006年9月22日 (金) 22:44 (UTC)

いいえ。そのようなことは書いておりません。dakusuiさんも私の書いたものを読み返されたらいかがですか? 私は普遍的且つ不変的な要素・概念として「その特定の人物・法人・事件・作品その他は、それを指し示す固有となる名詞、限定格となる名称を以ってそれを表す語と成す」と言っているのですよ。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年9月23日 (土) 03:22 (UTC)
あなたの表現を借りて書いただけなのにどうして「いいえ」といえるのかわかりませんが、それはまあいいでしょう。
今回の場合、「それを指し示す固有となる名詞、限定格となる名称」は御名だけではなく、御名による項目名は政治的中立性が疑われるという意見が現に多数だされ、その根拠が示されています。そうしたなかでこの記事の項目名が御名 でよく、そのほかの項目名が検討に値しないとする根拠はなんですか?dakusui 2006年9月24日 (日) 08:38 (UTC)

「それを指し示す固有となる名詞、限定格となる名称」というものがどういう事か、以下に並べましたので、参照ください。
今上…一般名詞「天皇」を限定格にしますが、固有の人物を意味する訳では無く、その意味では非限定
今上天皇…同上。非限定
今上陛下…同上。非限定。また敬称を含むので辞典には不適切
天皇…一般名詞。非限定
天皇陛下…同上。非限定。また敬称を含むので辞典には不適切
明仁…固有人名。限定
明仁天皇…固有人名に一般名詞「天皇」が付随。限定
明仁陛下…固有人名に敬称「陛下」が付随。限定。ただし敬称を含むので辞典には不適切
聖上…一般名詞「天皇」を限定格にしますが、固有の人物を意味する訳では無く、その意味では非限定。且つ、現代に於いて見聞きする語ではないので適当であるとは言い難い。
聖上陛下…同上。非限定。また敬称を含むので辞典には不適切
天ちゃん…非限定。且つ正式名でもないので論外
ヤハウェの話が書かれていたりしますが、例えばالكتابと言えばイスラームではクルアーンの事ですが、これは単に「その本 the book」という意味でしか無く、本屋で書棚を指差してأريد الكتاب من فضلكと言えば「その本をください」という意味になる訳です。アラビア語版ウィキペディアでさえクルアーンは固有名詞の「ar:قرآن」です。「一般名詞を限定格にするが固有名詞では無くその意味では非限定」とはこの場合のالكتابのことです。以上のように、固有にするには「明仁」「第125代」「平成」のいずれを入れる必要があると言っているのです。また、既に項目名がこのうちの「明仁」であるのだから特に変更する必要もないであろうし、それでも具合が悪いならば上記したように「明仁天皇」でも良いでしょう。以上、根拠です。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年9月24日 (日) 10:39 (UTC)

「明仁」は「日本語として間違い」か

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後から来て大きな話題をふる形になってすみません。しかし私からすると「正しい日本語ではなんと言うべきか」という観点がこれまでの議論には希薄だった気がしましたので、自論開陳の機会を与えていただきたく。 以下、私の見解を述べます。 結論から言うと、「今上天皇」または「今上」がベストとの考えです。諱を含める項目名は好ましくない。せめて「今上天皇(諱:明仁)」「今上(諱:明仁)」でしょう。 項目名として「明仁」はありえません。なぜなら日本語として間違いだからです。 英語であれ、中国語であれ今、日国の天皇の位にある人物に言及する際に"Akihito"と言おうが、「日王明仁」と言おうがその言語の習慣によればいいですが、日本語の(ほとんど文法に近いほどの)習慣として現在の天皇に言及する際に諱(今上の場合「明仁」)を使うことはありません。 近代以前の文献で、執筆時点の天皇に言及する際に「明仁」としている資料にどういうものがあるでしょうか?ある国語においてある言葉の正しさを検証する有力な手段は「古典に出典があるか」です。「古典」の範囲は個人差・社会差等があり難しいものがありますが、現在の天皇に言及する方法として「明仁」を用いている、「古典」として受け入れられている書物は近代以前には存在せず、近代以後では有ったとしても政治的な意図のあるものだと思いますがいかがでしょうか?私が思い至っていない文献があればご紹介ください。 以下、目に付いた論点について述べます。(すでに反駁された論点もあり、重複も生じていますがわたしの立場(正しい国語では?)からの再整理ですのでご容赦ください)

  • 「今上天皇」は敬意を表す表現であり、項目名としてふさわしくない。

現代の国語で「今上天皇」には敬意を示す意味があるかどうか、確認すべきと思います。http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BA%A3%BE%E5&kind=jn&mode=0&base=1&row=1 むしろ、現在の天皇に言及する際に「敬称を用いないための方法」なのです。 もし、「天皇陛下」や「今上陛下」であれば敬称を含んでいるので、項目名として不適でしょうが。 「今上」が敬意を示す表現で中立的でないというならば「天皇」はいいのか?じゃあ「王」はいいのか?そうだとしたら「額田王」だとかそういうのまで変えるのか?という話にまでなるのではないでしょうか? こういった事情があるので、現代の(これも個人差・社会差の大きい用語ですが、ここではたとえば国文科あたりを優秀な成績で卒業された方やそういった方に準ずる国語力のある方ってほどの意味でどうでしょう)教養ある日本語話者は「明仁」と書いてあったら、その文書の中立性を疑うのではないでしょうか?まあ私も工学部出身なので「教養ある日本語話者」とまで言えるかどうか微妙ですが。

  • 外国語版では「Akihito」等である。

英語版は正しい英語で書くべきです。英語の文法と伝統に沿って項目名を決めればよいでしょう。日本語版は正しい日本語で書くべきです。

  • 既存の百科事典では「明仁」等として言及しているのでは

すみません、そういう百科事典を存じません。これまでに出版された百科辞典は存命中の人物への言及はしないものが多いはずです。したがってこういう問題自体がおきてないのではないでしょうか?

  • 天皇の代替わりの際に不便

これはやむを得ません。日本語はそういう言語です。幸いWikipediaは誰でもいつでも編集できるので、今上が崩御された後、諡号が贈られた時点で項目名を変更すればよいと思います。 dakusui 2006年9月9日 (土) 00:11 (UTC)

もし日本語としてどうか、を考えるなら、赤旗が参考にならないかなと考えています。天皇は出てきませんが、紀子さんが男児出産は日本の一般のマスコミとかなり違う用語を使っています。他にも、朝鮮日報(ここには天皇が出てくる)とか、いろいろと見つかると思いますよ。

ただ、もしどうしてもというなら「天皇 (1989-)」という方法もあるかなと....-- 2006年9月9日 (土) 01:00 (UTC)

「平成天皇」が一番一般的では。他の天皇もすべて○○天皇だし。とにかく「明仁」はすごい違和感がある--220.99.12.122 2006年9月9日 (土) 03:45 (UTC)

一般に「平成天皇は間違い」という見解が広くありますから、同意を得ることはできないでしょうね。平成を使うなら「天皇 (平成期)」でしょうか。-- 2006年9月9日 (土) 04:01 (UTC)

まだざっとしか読んでいないのですが「今上天皇」に賛成します。まず、天皇も人間であるという前提に立って考えると、寿命というものが存在します。そうである限り、いつかは崩御されるわけです。さて、そのとき記事名をどうすべきなのでしょうか。おそらく「平成天皇」という諡号が贈られると考えられ、かつ歴代の天皇に関する記事との整合性から、いずれの案で決着するにせよ「平成天皇」に移動しなければならないと考えます。この点について異論はないでしょう。では存命中の記事名をどうするかと考えたときに、「明仁」とする、すなわち、存命の間は名前を使い崩御された後は諡号にしなければならない、とすることには違和感を感じます。少なくともこの観点から考えた場合、「今上天皇」とするほうがよりよいと考えます。プロバロン 2006年9月9日 (土) 10:38 (UTC)

っさんありがとうございます。現在皇位にある人物に言及する方法として「明仁」を用いる人々として代表的にあげられたのが、天皇制に関して伝統的に反対の立場をとる政党と朝鮮語を第一言語とする外国の新聞社ということになりますね。 細かい補足ですが、以前「地位や称号を項目名に含めるのはいかがなものか」という議論がありましたがこの主張を是とするならば「今上天皇」ではなく「今上」でもよいかもしれません。しかし「昭和天皇」はよくて「今上天皇」はまかりならんというのも妙な話ですが。繰り返しになりますが現代日本語では「今上」「今上天皇」だけでは敬意が込められているとまではいえないことに、みなさんの注意を促しておきます。dakusui 2006年9月9日 (土) 14:41 (UTC)

もうひとつ。皆さん、以下の穴埋め問題を解いてください。

明治天皇 - 大正天皇 - 昭和天皇 - (____)

もはや明らかではありませんか?なにをなすべきかは。dakusui 2006年9月9日 (土) 14:41 (UTC)

まず、「平成天皇」は明らかな間違いです。なくなった天皇には「昭和」「大正」という諡号がありますが、生きている天皇にはありません。だれも、付けていない名前を、おそらくそう付けられるだろうからという推測で勝手にウィキペディアが付けてはなりません。私は今でも「昭和天皇」になんと諡号が付くか、と話題になったことを覚えています。つまり、今上天皇は諡号が「平成」になるかどうかは、誰も決めていなく、99.99...%そうなるだろうからと、そう決めてかかってしまってはいけないのがウィキペディアのルールです。

つぎに、今上天皇には、諱があります。諱とは、つまり、姓名の名に相当するものです。これは「明仁」です。ですから、「明仁」というページ名は、間違いではありません。

最後に「今上天皇」ですが、これは、「現在のイギリス女王」「現在のアメリカ大統領」という記事名と同じで、代替わりしたら中身を次代の天皇に書き直さなければならないでしょう。これもウィキペディアのルールに反し、「今上天皇」のページは現在の今上天皇の内容が妥当だと思います。-- 2006年9月10日 (日) 15:15 (UTC)

反論になっていません。「平成天皇」が正しくないなどというのはあまりにも当然で初歩的なので、回答を控えます。せっかくそこまでお考えなのですから、もう少し深く洞察していただきたいのですが。代替りしたら項目名を直さなくてはならないのは「明仁」であれ、「今上天皇」であれおなじことです。これはもはや日本語の性質なので如何ともできません。諱によって現在皇位にある人物に言及するのは、何度でもいいますが日本語として間違いです。それはあなた自身が、新聞「あかはた」と朝鮮日報という日本語の模範とするにたりない出版物しかあげえないことによって証明されています。ある言語の文法、統語法、用法の模範になるのは、その言語の広く受け入れられた古典です。せめて日本語を第一言語とする人物が執筆し、その価値が日本語を第一言語とする人々に広く受け入れられた古典を例示してください。もう一度聞きますが、この穴埋め問題「明治天皇 - 大正天皇 - 昭和天皇 - (____)」に「明仁」と書いたらどんな左がかった国語教師でもマルをくれないことを熟慮してください。「今上天皇」の項目は現在のままでも構いませんが、それはWikipedia側の都合に過ぎません。Wikipediaには「正しい日本語」なるものを新しく作る権利も、「日本語を改良する」資格も目的も意図もないこと、それから新しい項目名は「今上天皇(人物)」であってもいいことに注意を促します。さらに「明仁」なる項目名は日本語の性質と伝統に照らして、NPOVに反することにも注意を促します。そもそも如何に良質な百科事典であれ、用語の時代による変遷の英教は免れるものではありません。時代による変遷の影響を小さくしようと試みるのがWikipediaを含む百科事典のスタンスではあります。しかしながら「天皇の代替り」は日本語においてはまさしく「時代の変化」を意味する事項です。Wikipediaの理想がどうあれ、Wikipediaには日本語の伝統を変更する資格も意図も無いことを思い出していただきたいです。dakusui 2006年9月10日 (日) 16:09 (UTC)
反論していません。 (____)に入れよという問いに、私なりの回答を書いただけです。←これは違っていました。すみません。
ところで、「新聞「あかはた」と朝鮮日報という日本語の模範とするにたりない出版物」は取り下げていただけませんか。どのような根拠があって、そのようなことを書かれているのでしょうか。わたしがなぜこれを示したかというと、日本語の中で違う語法を示しているものがあることを明らかにしたかったからです。赤旗は、日本の公党の機関紙です。朝鮮日報も、一国を代表する新聞です。その日本語を、根拠を示さず「模範とするにたりない出版物」とするのでは、では何をもって「模範とするにたる出版物」とするのでしょうか。いったい、日本のマスコミはウィキペディアがもっとも重要とする「中立的な観点」に即しているでしょうか。はずがありません。「中立的な観点」はウィキペディアの方針であって、マスコミの方針ではないからです。マスコミ以外の出版物も同じです。
もうひとつ、勘違いされている部分があります。私は項目名を変えることについては、一切触れていません。内容を(根本的に)変えなければならないと書いています。そのことが問題だと書きました。よく読んでください。
「諱によって現在皇位にある人物に言及するのは、何度でもいいますが日本語として間違いです。」といわれれば、そうかもしれないなと思います。WP:Vに従って、根拠を明示していただけますか?-- 2006年9月10日 (日) 16:47 (UTC)
(反証可能性について)先の穴埋め問題にマルをくれる国語教師を御紹介ください。または現在皇位にある人物に「明仁」と言及している「古典」(後述)を居んようしてください。
(記事の内容を書き直さなくてはならないか、記事の項目名を変更するだけで足りるかについて)仮に代替りがあったとして記事の内容を全面的に書き直す必要が理解できません。「明仁」ならば書き直す必要がなく、「今上天皇」なら全面的に書き直す必要があると言う論理ならばさらに理解できません。「明仁」→「平成天皇」(仮に今上がみまかられ、諡号が「平成」であった場合)の一括置換は所詮生じるでしょう。
(「あかはた」「朝鮮日報」の二紙が日本語の模範とするにたりるかについて)私がいう「日本語の模範とするに足りる」書物は1. 国語辞典の引用元となりえる書物(古典)、2. 国語辞典そのものです。すでにあげられた二誌はこれに当てはまらず(もちろん産経新聞も諸君!も日本語の模範とはいえませんが)、さらにこれら二誌は天皇制に関してNPOVに基づいた用語法を期待できないので今回の場合、参考になりません。したがって撤回の必要を認めません。
(上記について私が根拠を示していなかったかについて)「現在皇位にある人物に言及する方法として「明仁」を用いる人々として代表的にあげられたのが、天皇制に関して伝統的に反対の立場をとる政党と朝鮮語を第一言語とする外国の新聞社ということになります」と書いており、天皇制に関する言葉の模範とはなり得ない根拠を示したつもりです。私としては「根拠を示さず」なる指摘はあたらないので逆にこれを撤回していただきたい気持ちです。dakusui 2006年9月10日 (日) 21:39 (UTC)
(補足)辞典の引用元となる文献とは http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%DF%A4%DE%A4%AB%A4%EB&kind=jn にて「古今(哀傷・詞)」のように言及される書物を指しています。念のため。dakusui 2006年9月10日 (日) 21:42 (UTC)

あの、まず、2点、確認したいのですが。私たちは、通常名前で呼ばれない人物について、その名前を特定し、記事名を付けようとする困難に当たっているということです。このことで一致できますでしょうか。
それから、私は、「明仁」が最善などと言っていません。記事名を付けるルールに反していない、と言っているだけです。
その上で、「今上天皇」が記事名としてよくないと言うことを具体的に『「現アメリカ大統領」のような言葉だからよくない』と私が言っていることについて、コメントしてくださっていませんが、なぜでしょうか。
「今上天皇」とは、「現在の天皇」の意味です。現在の天皇が何らかの理由で(現行法ではひとつしか理由はありませんが)退位したとき、「今上天皇」は「平成天皇」なりの記事に移され、次代の天皇の記事の内容が「今上天皇」に移される、ということになります。
これは、「現アメリカ大統領」の内容がジョージ・ブッシュさんについてのないようであった場合を考えれば、わかっていただけると思います
そうでなくて、「今上天皇」を「平成天皇」に移動すればいいじゃないか、とおっしゃるかもしれません。これにはシステム上の問題があり、いいとは言えません。次代の天皇の記事はどうするか、という問題です? 現在の皇太子の記事を「今上天皇」に移動することは、メディアウィキのシステム上できません。いわゆる移動の残骸があるからです。もちろん、リダイレクトの削除依頼を出せばいいのですが、削除依頼を出すことを前提としたような項目名の作成は、避けるべきです。なお、日本語版ウィキペディアでいうところの「日本語」とは何かについては、記事については現代日本語を指すという認識で一致しているはずです。
資料に対する信頼性についての認識の違いは、多分に主観によるものだと思いますので、なんとも埋めがたいものがあると思いますが、「そう言う日本語もあるのだ」と思っていただきたいだけなのです。別の言い方をすれば、「明仁」がよくないとするのは、本質的には日本語という言語の問題ではなく、日本の社会や、習慣、法規、政治的な立場、天皇観によるものではないか、という疑問を投げかけている、と思ってください。
確認できず、記憶によるので申し訳ないのですが、今上天皇の署名は「日本国天皇」だったと思います。「日本国天皇 (1989-)」という記事名はどうですか?-- 2006年9月10日 (日) 23:55 (UTC)

(命名の困難と「明仁」が最善などと言っていないこととについて)記事名命名について合意を形成することに、苦労しているのは事実として直面しています。「明仁」が最善とはおっしゃっていませんが、「今上天皇」よりも優れた記事名と主張していると受け取っています。私が行っているのは一見正しそうに見えるその主張には実は根拠がないのではという批判です。
(今上天皇が「現アメリカ大統領」に相当する言葉であるかについて)先の穴埋め問題が解ければおのずと理解できるはずのことであり、あなたのような聡明な方には回答は不要と考えたため明示的な回答を控えました。現在皇位にある人物に言及する際に「諡号」の代用として使われることばでもあり、単に「現アメリカ大統領」に相当する言葉ではないという考えです。いささか野暮ですが解説します。「明治天皇-大正天皇-昭和天皇-(X)」の正解は通常X=「今上天皇」になります。この問題は形式的には以下のようにも変形できます。「諡号1天皇-諡号2天皇-諡号3天皇-諡号4天皇」とする。諡号1=明治、諡号2=大正、諡号3=昭和のとき諡号4を求めよ。ところで諡号4天皇=X=今上天皇である。したがって本日現在皇位にある人物の「諡号」の代用に使われるのは「今上」である。と、このようにお考えにはなれませんか?
(Wikipedia日本語版が使用するのは現代日本語であることについて)まったく同感です。では正しい現代日本語について議論する際にはなにを元に議論するべきですか?まずは辞書でしょう。ところで辞書はある語の正しい用法を例示する際には「古典」を典拠とします(したがってこの場合の「古典」は広く教養として受け入れられる「資料」の意味になり現代日本語で書かれた書物も典拠となりうる。例:「吾輩は猫である」。もしこの先「時をかける少女」が「古典」として広く受け入れられれば、「ときかけ」も典拠として使うことができるでしょう)。これはなんのためでしょうか?よ~~~くお考えください。まして天皇制、皇室制度のように執筆者の見解によって用語のフレが大きい項目の場合にはコンテンポラリーな出版物によるよりは、辞書を典拠とするか辞書が典拠とする古典を典拠とするのは安全というものではないですか?
(メディアウィキのシステムについて)当然の確認ですが、まずは「その言語における正しさ」によって「あるべき項目名」を論じ、しかるのち制約を回避するのを考えるのが正しいと思います。これはよいですよね?その上で質問ですが「移動の残骸」とは「項目:今上天皇の履歴に、次代、次次代の天皇の記事の履歴が文字通り千代に八千代に積み重なること」を言っていますか?たぶんあっていると思うので以下上記の解釈のもと、回答をします。
(記事名「日本国天皇(1989-)」について)天皇陛下がいわば署名捺印する文書は「御名・御璽」が記されます。御名には天皇陛下が忌み名(今上の場合「明仁」)を、御璽は「日本國天皇」っていうハンコです。しかし日本語で天皇以外の人間が「御名」を直接書く習慣は無いので、日本国憲法前文の最後には「御名御璽」と印刷して、「原稿ではここに天皇陛下の忌み名がかいてありましたよ。あとハンコも押してありました」っていうしるしにするのです。このように「天皇の忌み名を天皇自身以外の人物が書く」ことは例え法律の中でさえも忌避されることなのです。私が「『明仁』という項目名が日本語として間違いだ」と言っている意味がお分かりになりますか?
(新項目名について)上述の理由(穴埋め問題を参照)から「日本国天皇(1989-)」は「明仁」よりましであるが「今上天皇(1989-)」のほうがよりよいと考えます。
(本件が日本語の問題であるか、習慣の問題であるかについて)つらつら思うに、文化や習慣や伝統(その言語の発展の歴史)と完全に切り離して「正しい言語」を論ずることができるとお考えなのでしょうか?多くの場合はできるのですが、稀には切り離せない場合があることや、百科事典の文章を少しでも格調高いものにしようとしたらこういった古典や教養といった「文法外の要素」を考えなくてはならない場合があることも認識していただければと思います。言語の正しさは誰かが書いた文法書によって決められるものではなく、その歴史や文化によっても決められるものだからです。dakusui 2006年9月11日 (月) 04:31 (UTC)

「移動の残骸」というのは、メディアウィキ上で、文書名Aの文書をBに「移動」した場合、文書名Aの文書は新文書となり、その内容は「#REDIRECT [[A]]」となります。この文書を俗に「移動の残骸」とよびます。この状態では文書名Cの文書を文書名Aに「移動」することはできません。移動前にいったん文書名Aの文書を削除する必要があります。
格調高く文章を書くことも大切ですが、それ以上に大切なこともあります。ウィキペディアの方針文書に従うことです。また、言語の問題とそのほかの問題と、分けることができるのにあえてごっちゃにしようとする必要を感じません。dakusuiさんは認めていらっしゃいませんが、私たちの日常以外の日本語文化もあるということを認識する必要があります。

>本日現在皇位にある人物の「諡号」の代用に使われるのは「今上」である。

典拠を示していただけますか?
ところで、「第125代天皇」はどうですか?-- 2006年9月11日 (月) 14:02 (UTC)

途中でおじゃまします。「今上天皇」の語は、用法上、「現在の天皇」「現天皇」「当代の天皇」などとは異なり、固有名詞的に使用されるケースがあるように思います。例えば、歴代天皇総覧といった書籍がそうですよね。--oxhop 2006年9月11日 (月) 14:30 (UTC)
コメントありがとうございます。私も「今上天皇」固有名詞説は考えたのですが、たぶん「っ」さんには理解できないでしょう。固有名詞といえども時代の変化にともなって意味が変化することがあることも理解できなさそうですし、日本語が背景とする文化においては天皇の代替わりが文字通り「時代の変化」に相当することも理解できないでしょうし。これら二つの考え方を有機的に総合して一貫して考えることなどとてもじゃないがおぼつきますまい。ということで別の線から説明することにした次第です。dakusui 2006年9月12日 (火) 14:57 (UTC)
っさん。あなたの回答の仕方は議論を混乱させる危険があります。私が論点を箇条書に整理しているのですから、その個別の論点ごとに回答をいただいた方が洩れも混同も生じにくいはずです。次のコメントで、論点ごとに回答して下さい。さもなければ、コメントのついていない論点に関しては私の主張にすでになっとくいただいたものと考えます。また、これまでのやりとりであなたの日本語に対する知識の水準や主張、Wikipediaの他の項目名との一貫性の認識、どこまでの考え方が一致しているのかをハッキリさせる必要を感じました。したがって以下の事項へのあなたからの回答をいただいた上で回答します。

1. あなたは、Wikipediaの歴代天皇一覧を見たことがありますか? 2. あなたはWikipediaで今上の前の天皇、その前の天皇の項目名がどうなっているかしっていますか? 3. 先の穴埋め問題が現代国語の問題として出題された場合に、あなた自身はなんと回答しますか? 4. 3.その解答に、その教師はマルをくれるとお考えですか? 5. あなたは国語の教師を日本語の専門家として承認しますか? 6. 最後に、「私たちの日常以外の日本語文化」なるものを思いつく限り具体的に列挙して下さい。 dakusui 2006年9月12日 (火) 00:56 (UTC)

お答えしましょう。

  1. あります。
  2. しっています。
  3. 答えがない、が正解でしょう。今上天皇には諡号に代わる物はあるかもしれないが、諡号はありませんから。
  4. はい。
  5. はい。
    • ハワイにおける日系社会
    • ブラジルにおける日系社会
    • 日本語を学習する人々

最後についてですが、このほかにもdakusuiさんの日常以外の日本語文化には、日本におけるキリスト教社会や共産党などの、天皇から一定の距離を置く人々の文化が抜けているのではないかと思われますが、いかがでしょうか。

私からも質問しましょう。昭和天皇は、「1926年から1989年までの今上天皇」と呼ぶことができますか?-- 2006年9月12日 (火) 01:29 (UTC)

(移動の残骸について)ご説明ありがとうございます。一回作成した項目名とまったく同じ項目名を移動先とすることはできない(おそらくはエラーになって移動自体ができない)ということと理解しました。現在皇位にある人物の項目名を「今上天皇」だけ(諱、年代、第~代を含まず)とすることにシステム上の制約があることは理解しました。前堤は若干違っていましたが、先の私の立論に影響はなかったようです。
さて、いきなりの苦言ですが、ものごとを精密に、論理的に、一貫性を持って考えて下さい。あなたの提案や立論には既存の項目との調和を図る意図も感じられません。「また、言語の問題とそのほかの問題と、分けることができるのにあえてごっちゃにしようとする必要を感じません」などと能天気に言っているのがその証拠です。
あなたは多分、あなた自身が言っていることが何を意味しているか理解できていません。せめて自分が書いていることの意味くらいは徹底的に考えて下さい。以下、あなたの答案へのコメントです。
1. 結構です。その天皇の一覧には現在、皇位にある人物になんといって言及してありましたか?当然ながら「今上」です。
2. 結構です。言うまでもなく昭和天皇、大正天皇として項目がたてられています。
3. まじめにいってます?もしほんとうにそうお考えならば、あなたにはこの議論に参加しないことをお推めします。われわれが今、やろうとしているのはまさしくこの穴埋め問題の解答をえることだからです。現時点では諡号のない、現在皇位にある人物を昭和天皇、大正天皇と列記して違和感のない項目名を決めたいのです。だからこそ単純に「穴埋め問題に回答して下さい」と言っているのです。諡号がどうこうなんてのは、この問題をあなたが解けた上でのことです。
4. 自分が出題した問題に回答しないことに対して得点をくれる教師がいるとほんとうにお考えなのでしょうか?私の経験上、間違った答案を書いても部分点を下さる先生はいらっしゃいましたが、白紙に点数を下さる先生は寡聞にして知りません。ぜひともその先生にお会いしたいものです。
5. 結構です。
6. 大別するとa. 移民社会、b. 外国語として日本語を学習する人々(在日朝鮮人、韓国人のコミュニティも原則論としてはここに属するでしょう)、c. 天皇制に対して、その信条に基づいて政治的・宗教的意見を持つ人々となりますね。あなたは明示的には挙げていませんが、所謂「右翼」と呼ばれる人達や、神社の神主さんたちもここに入ります。Wikipediaからしたら神社だろうが教会だろうが、アカだろうが街宣右翼だろうが関係ありませんから。さらに別の分類としてd. 方言話者もありえますね。(まあ、Wikipediaのスタンダードからするとd.の考慮はしなくても好いことになっているようですが)さまざまな立場の人が、自分の立場に基づいて「正しい呼称」なるものを主張するわけですね。でも、今回の場合はまさしくあちらをたてればこちらが立たずなわけですよ。というかどれに決めてもだれかがギャアギャア言う。さらに言えば、Wikipedia自身の「ルール」もあります。こうした中でそれでもどれか一つに決めなければなりません。こうしたときには何にたちかえるべきですか?わたしたち「日本語を母語とする話者、専門家」が正しいとする日本語、「日本文化の専門家」(今回の場合は日本の制度・文化に関する項目であるためです)が正しいとする用語しかないんじゃないんですか?どれほどc.の人達にギャアギャア言われようと。それ以外の決め方では誰もがどこかしら不満でなおかつ専門家からみても正しくなく、他の項目との一貫性もない「中途半端」なものにならざるを得ません。そんなやり方は百科事典の価値を損なうだけで何のメリットもありません。
さて、前回と前々回の質問の回答をします。
(「今上」が「諡号」の代用であるかについて)Wikipedia自身の記述(他にも必要なら列挙しますが?)に基づいて、演繹(上述)によって得られる一つの結論です。つまり、現に古代から現代までそうやって使われて来た例があるでしょ?ってことです。これ以外の典拠がご入用ですか?
(第125代天皇の可否)「第125代」と簡単にいいますが、弘文天皇が即位していたとかいなかったかとかそういう議論があるのしってます?そもそも神武天皇を初代と数えることを前堤とした呼称がNPOVなんですか?僕ならその数え方も日本語の基礎をなす文化だととらえるのでべつにいいけど。こんなんなら「天皇(1989-)」や「日本国天皇(1989-)」のがなんぼかマシでは?そもそも役職名だけからなる文字列によって個人の記事を特定しようとするのがWikipediaのルールにそっているんですかねえ。ってことで「明仁」よりはすぐれているが、「今上天皇(1989-)」よりはすぐれていないと思います。(項目間の一貫性の観点、「今上」は諡号の代用と見なしうるとの観点から)。つうか第125代と書くのがいいのか1989-が書くのがいいのかあなたの意見はどっちなんです?こういうのを説明しないまま変えるのは無定見じゃないの?
「役職名だけからなる項目名」はすでにアウグストゥスに先例があることに気づいたので削除。dakusui 2006年9月18日 (月) 01:52 (UTC)
(「1926-1989までの今上天皇」と昭和天皇を呼ぶことができるか)専門家でも意見が分かれると思いますよ。と、つづきを書こうと思いましたが、呼べたらどうなのか?呼べなかったらどうなのか?これまでの議論との関連が分りません。ご説明願います。
あと、最後にいっておきますが、私の実家は聖公会の信徒で私自身も幼児受洗しクリスチャン・ネームまであります。その一方で、こどもの頃はどういうわけだか家に配達される「赤旗」日曜版(当時)もよく読んでたものです(こっちのほうはもう興味がないのでよみませんが)。おそらくはキリスト教の用語法・神学・教義・信仰・歴史・文化についてはあなたよりもはるかにくわしいでしょう。あなたが神学の博士号保持者とかなら別ですが。だからといってクリスチャンが主張する用語法やその背景にある観念を用いて日本語の用語法を律しようなどとはこれっぽっちも思いませんがね。もちろん誰であれ自分が属する共同体の中で独自の価値観に基づいた独自の用語法を用いるのは自由なのでその限ではそういう謂わば特殊化された日本語を使用するのは勝手にやらせてもらいます。ここはそのような少数派日本語話者のための百科事典ではないと理解していますが?
とにかくキリスト教徒が使用する日本語を知らないなどとあなたの限られた経験や知識にもとづいて憶断される筋合はありません。撤回と謝罪を要求します。
前回設問の3. 4.についてはあなたに再度、回答の機会をさしあげます。dakusui 2006年9月12日 (火) 14:32 (UTC)

まず、Wikipedia:ウィキケットWikipedia:個人攻撃はしないを読み、上の文章を書き直してください。-- 2006年9月12日 (火) 15:39 (UTC)

他人から少し苦言を呈されると聞く耳持たずですか?せめてどの部分を「個人攻撃」と受け止めたのか個別・具体的に、どのルールに違反しているのかお教え願えますか?私自身としては建設的な議論のためにあなた自身の意見、それが基づくであろう思考方法について忠告しているつもりですので「個人攻撃」にはあたらないと考えています。
また再度、主流文化以外の日本語を知らないなどとしたあなたの憶断の撤回と謝罪を要求します。dakusui 2006年9月12日 (火) 22:47 (UTC)

具体的に書かないといけないのですか。では、この場はふさわしくありませんから、コメント依頼にしましょう。-- 2006年9月13日 (水) 02:23 (UTC)

上記2件の文書を検討し、私としては問題なしとしました。私はあなたではないので何を個人攻撃と感じたかもどう直して欲しいかもわかりません。「~の表現を侮辱と感じる」「~が不快だ」と書けばいいでしょう。そうすれば「個人攻撃の指摘があった事項は自分の主観では個人攻撃ではなくても修正する」のルールにのっとり修正します。dakusui 2006年9月13日 (水) 03:28 (UTC)

わかりました。「修正します」のお言葉をもって、すでに書き換えられたものと考えることにします。すみませんでした。

最初にお断りしておきますが、私は「今上天皇」を項目名に含むことに、とりわけ反対しているわけではありません。ただ、せっかく項目名を選ぼうとしているのですから、複数考えられる候補の内、もっともウィキペディアの項目名としてふさわしいものを慎重に選びたいだけです。

さて、「Wikipedia自身の記述(他にも必要なら列挙しますが?)に基づいて、演繹(上述)によって得られる」とありますが、ウィキペディア自身は典拠になりません。また、「演繹(上述)によって得られる一つの結論」もWP:NORに触れるのではないでしょうか。これ以外の典拠が必要です。つまり、『「今上」は「諡号」の代用である』と明記された、信頼のできる典拠が必要です。見つかるんじゃないかと思うんですがね。ただ私はまだ発見していません。Yahoo辞書2つも「現在の」止まりでした。

「そもそも神武天皇を初代と数える....」—やっぱりそうですよね(ウィキペディアの現在の記事は書き換える必要がありますね)。

「第125代と書くのがいいのか1989-が書くのがいいのか」—最初に書いたとおり、慎重に選びたいのです。まだ判断を終えていません。しかし、dakusuiさんのご指摘を考えれば、1989年-のほうがいいでしょうね。

「呼べたらどうなのか?呼べなかったらどうなのか?」—呼べるとすれば、それこそ、dakusuiさんの問題の形を借りて言えば

今上天皇 (1926-1989) — 今上天皇 (1989-)

のように並べられるじゃないですか。(だから昭和天皇の項目名を「今上天皇 (1926-1989)」としろとはいいません。)呼べないなら、上のように並べることはできません。つまり「今上天皇 (1989-)」は、席がなくなりますね。うまく説明できていない論理なんですが、通じていますでしょうか。別のいい方をすれば、かりに今上天皇が3000年に退位したとして、そのあと(1989-3000)と書くことが可能であるか、まったく不可能であるか、という意味です。(1989-3000)と書けないならば、(1989-3000)と書けるのより(1989-)と書く正当性が低くなりませんか?

「少数派日本語話者」—よく、WP:NPOVのからみで少数者のことは話題になりますね。そのこと自体、なかなか簡単に結論づけられないのが常です。でも、「少数派日本語話者」が使っているから、それとの中間を取れ、などという意味ではありません。私が言いたかったのは、これもいつも頭を悩ます問題なのですが、

ウィキペディア日本語版はウィキペディア日本版ではない

これは、とっても難しい問題だと思っています。日本語と日本が、ほとんどオーバーラップしているのは事実ですから。ですから、私は日頃、そのオーバーラップしていない部分を意識するようにしているのです。それで、小数かもしれないけれど、小数であることを意識しつつ、そういった方々の日本語を参考にしています。日本語には(方言という意味でなく)バリエーションがあります。また、普段意識していない、文化とか政治とかいった言語外の影響も、言語の中に入り込んでいます。それらを排除しろとは言いませんが、それが言語外からの影響であることを意識することは、ウィキペディアの日本語版を完全な日本版にしてしまわない手助けになると思っています。

「キリスト教徒が使用する日本語を知らないなどとあなたの限られた経験や知識にもとづいて憶断」—私は「抜けているのではないかと思われますが、いかがでしょうか。」と書きましたが。ただ、その書き方が、「抜けているぞ」という断定に読めたのなら、謝罪します。申し訳ありませんでした。

先の質問の3について。回答は変わりません。

明治天皇 - 大正天皇 - 昭和天皇 - (____)

この順列のタイトルはなんでしょうか。極論かもしれませんが、「退位した天皇の名前」ではないでしょうか。

物事の本筋から話をしましょう。退位した天皇を呼ぶ場合、通常「諡号-天皇」と呼びます。在位中の天皇は、元来単に「天皇」と呼ぶべきですよね(もしこれが違っていたら指摘してください)しかしながら、「諡号-天皇」が並んでいるとき、単に「天皇」と呼んだのでは都合が悪いなら、現在在位中の、という意味を付けて、「今上天皇」と呼びます。私はそれだけだと思うのですが、固有名詞説もあるし。固有名詞なら、さっきの話に戻ってしまいますが、「1926-1989までの今上天皇」または「1926-1989まで今上天皇であった人物」のように昭和天皇を呼ぶことができるのではないでしょうか。-- 2006年9月13日 (水) 08:08 (UTC)

まず、二つの課題があると思います。(1)どう呼ぶことが中立的か(2)利用者の便宜(代替わり時の項目名変化など)。「明仁」は(1)に疑問がありますし、「今上天皇」は(2)に疑問があるわけです。それならばいっそ、歴代天皇を含めて「天皇 (125代)」というような項目名にしてしまい(もしくはリダイレクトを作り)、現在の「明仁」項も「天皇 (125代、諱:明仁)」とでもすれば、恐らく左派右派どのような立場からも異論の出にくい中立性は保てると思われます(勿論、「諱を陛下以外が書き記すこと自体が不遜だ」という意見も出るかも知れませんが、そうなると本文にすら諱を書けないので)。その上で、リダイレクトによって「明仁」なり「今上天皇」なりを作り、他の記事からのリンク時は正式な「天皇 (125代)」でリンクするようにすれば、記事検索時の便宜と記事間相互のリンクの便宜の両方が図られると思うのですが如何でしょう? 210.153.153.136 2006年9月14日 (木) 19:20 (UTC)

項目名に補助的に「諱:明仁」とはいるのはおっしゃる理由にもとづけばやむをえないという考えはあります。ですが「今上天皇 (125代、諱:明仁)」でもいいわけですよね。下に作った表でのメリット・デメリットを勘案すると「今上天皇 (125代、諱:明仁)」のほうがよりよいと思います。項目名の移動については「天皇 (125代、諱:明仁)」の場合でも生じる問題なので、それだけではこちらを選ぶ理由にならないかなと。相互リンクの件については、項目名確定後におっしゃるような措置が必要になると思います。まずはいわば「語幹」にあたる部分が「今上天皇」なのか「天皇」なのか。なのかなと。dakusui 2006年9月14日 (木) 22:15 (UTC)

(報告:「今上」は「諡号」の代用か)さて金曜に連絡があるはずと申し上げていたこの件ですが、昨夕友人からの電話がありました。結論から言うと「その旨の記述無し」。しかし、たんに「見付からなかった」という結論よりも興味深い考えかたを聞きましたのでその内容も含め報告します。

(調査の内容、結果)対象は書籍「天皇」(近藤出版)。ここに「今上は諡号の代用に用いる」との記述があることを期待したそうです。しかし結果は前述のとおり、その旨の記述はありませんでした。さらには「熟考すると、そもそもそんな説明書きがある専門書は存在しないだろう」でした。まず「今上」の語が諡号の代用のように用いられるのは事実としてそうである。しかし「代用」であると言い切ると、こんどは人物としての今上がすでに諡号を贈られた人物(死者)ということになり、勝手に殺すなという話になり逆に「今上」の語が使えなくなる。この性質は日本史に対する専門性が高い出版物ほど高いと推察される。と。したがって天皇を諡号をもって列記する際にその時点で皇位にある人物を「今上」を諡号に「代用」として言及するのは事実をもって察するべきことであり、「定義」するべきことではないのだ。と、このように理解しました。

(つまり)この調査で、「今上=諡号の代用」論には定義がないらしい(見付からないのではなく、ない)。したがって「今上=諡号の代用」論を確立された説のように用いている箇所があれば修正します。いちおうこれまでもそうならないように気を付けていたつもりなので大丈夫と思いますが。 dakusui 2006年9月16日 (土) 07:17 (UTC)

語感について

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(はじめに)私の表現によって不快な思いをさせてしまいました。お詫び申し上げます。また、冷静で建設的な議論を継続する意志と努力に対して敬意を表します。
(「今上」が「諡号」の代用であるかについて)Wikipedia以外の典拠はWikipediaの性質上必要な気がしていました。わたしは資料名が思い当たらなかったので、一昨日この種の問題に詳しい友人に相談しました。「思い当たる資料はあるが調べるのに時間がかかる。金曜に連絡する」とのことでした。併せて「固有名詞説」の典拠も聞いてみたいと思います。
(呼べたら?呼べなかったら?今上天皇(1926-1989)の可能性)おそらくそういう意図ではないかとは想像したのですが、語法ができてもできなくても現在皇位にある人物の記事の項目名を決定するための判断材料にならないのでは?と思っています。1. 可能な場合:たとえば「現在のアメリカ大統領」なる語は「1985年現在のアメリカ大統領」として過去の時点のアメリカ合衆国大統領に言及することができます。しかしこの項目名がありえるとは思えない。2. 不可能な場合:人物項目名はその人 物を特定する固有名詞またはそれに準ずるもの(諡号、廟号、征服称号等)であるのが望ましい。固有名詞であるならば、それゆえにこそ「1453年の昭和天皇」といった言及は不可能である。このことは「1926-1989の今上天皇」という語法が不可能であればそのことによって「今上天皇」の固有名詞性 の根拠となり、「だからこそ今上天皇」であるべきという主張にもなりえる。どちらの答えをえるにしろ、決定の根拠とするには弱いでしょう。わたし自身としては「意味はわかるけれど、やらないねえ」という見解です。
(明治天皇 - 大正天皇 - 昭和天皇 - (____)とはなにか?)あえてこのリストがなにを示しているかは書かなかったのですが、私の意図としては「Wikipediaの項目名」であり「Wikipediaにおける歴代天皇一覧」です。日本語としてただしく、専門家から見てもただしく、Wikipediaの運用上もなんとか問題の生じない項目名を決めたいものです。
(少数派日本語話者)「中間をとろう」という意味ではないと聞き、安心しました。現在皇位にある人物への言及はいくつもの方法があります。しかも立場によって受ける印象がことなります。教養ある日本語話者でありたいと思う自分は現在皇位にある人物に言及する際に「天皇」という用語を用いてあるのを見れば「今上という用語をしらずにいっているか、あえて若干の敵意を表現しているのでは?」と感じます。「明仁」なら諱を呼ぶべきでないという習慣を知った上での明白な敵意を感じます。その一方で、クリスチャンのコミュニティにおいては「今上」は余り聞いたことがありません。その理由はいろいろ想像できますが。口答では「天皇」ないし「天皇陛下」が多いでしょう。今上登位の折りに、今上に「明仁」として言及する文書を聖公会が発表したことがありましたが、内容・用語法ともに「おぞましいもの」と感じました。私の眼からすれば世俗(共産党?)の影響を受けた天皇制反対に偏った不適切な文書でした。このように単に少数派日本語話者といってもその内実はさまざまです私としては「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」と主が教えられたとおり神の権威と世俗の権威は別のものであり、このような文書をキリスト教徒がキリスト教徒として公表するのは好ましくないと考えています。日本のキリスト教会にはどうも共産主義にシンパシーと信仰を両立させられる方が多くいるらしく、そもそも一貫した用語法があるのかどうか、大体クリスチャンにとっては世俗(天皇制)のことなど重要なことではないので一貫してようがしてまいが大した問題ではないのではないかと思います。聖公会のような日本に置いては少数派の教派でさえその内部の人々の考えかたはさまざまです。さらに違う教派についていえば日本におけるオーソドックス・チャーチでは今も「皇室のための祈り」があるそうです。(聖公会にもかつてありました)これなどは「カエサルのものはカエサルに」に則った典礼と感ぜられます。カトリックの現在については生憎存じませんが、後学のためにどなたか補足いただければうれしいです。当面の議論に関係ない部分を書き直しました。追加については斜字体。推敲不足で申し訳ない。dakusui 2006年9月14日 (木) 22:33 (UTC)
(そういえば)キリスト教、ユダヤ教でも「父なる神」「神」の名前は口にしない習慣があるのですがWikipediaでは「神(キリスト教)」なんでしたっけ?「ヤハウェ」なんでしたっけ?ひょっとして項目がない?英語版はどうやら「父なる神」(God the Father)であってYHWHではないようですけど。最後に現在皇位にある人物に言及する呼称と、私がそれから受ける印象(話者の意図)を列記しました。私が想定する教養ある日本語話者の多くの同意を得られると思います。違う意見をお持ちのかたもいらっしゃいましょうから右側に列を増やして表明していただければ参考になるかと思います。
  • 現在皇位にある人物に言及する呼称と、それを用いて口頭による言及を行ったときに感じとる天皇、天皇制に対する意図のマトリクス
呼称 dakusui (口頭による) dakusui (資料における) Wikipediaの項目名としてのメリット Wikipediaの項目名としてのデメリット
今上 敬意も反感も表したくない。三人称としての言及 同左 「敬意も反感も表さない」という意図が明示的であるため中立的。諡号によって言及される天皇と、その時点で皇位にある人物を列記する際の記法として多数の用例がある。天皇ないし天皇制にたいして積極的で大きな興味を寄せる(したがって当該項目の主要な)筆者・読者が適切と感じるであろう項目名である。 歴代天皇の項目との一貫性がない。皇位の移動が生じると項目名の変更が生じる。「今上」を単に「現在の」と捉えると普通名詞的である。現在の「今上」が過去の人物となったときに、それまでの「今上」という項目名が別の人物の項目を指示することに違和感がある。
今上天皇 敬意も反感も表したくない。三人称としての言及 同左 「敬意も反感も表さない」という意図が明示的であるため中立的。歴代天皇の項目名との一貫性が高い。「今上」を諡号(固有名詞)の代用と考えれば人物の項目名としてもふさわしい。諡号によって言及される天皇と、その時点で皇位にある人物を列記する際の記法として多数の用例がある。既存の百科事典にも用例がある。天皇ないし天皇制にたいして積極的で大きな興味を寄せる(したがって当該項目の主要な)筆者・読者が適切と感じるであろう項目名である。 皇位の移動が生じると項目名の変更が生じる。「今上」を単に「現在の」と捉えると普通名詞的である。現在の「今上天皇」が過去の人物となったときに、それまでの「今上天皇」という項目名が別の人物の項目を指示することに違和感がある。既存の百科事典に用例がある。
今上陛下 ごく通常の敬意。三人称としての言及 同左 (敬称を含むため、不適。検討しない。)
天皇 若干の反感? どうして今上といわないのだろう別の言い方があるのにしないのだろう?(*) 資料の内容に照らして反感がない(中立的)と判断されるときは、日本史、日本文化、皇室制度に関する興味や専門性の低い資料との印象を受ける。 敬意も反感も語義自体には含まれていない。将来、今上が過去皇位にあった人物となったときにも「天皇(1989-)」「天皇(第125代)」などの項目名は(名辞矛盾にならずに)成り立つ。 資料、発言の文脈によっては天皇制への「反感」を表現するために使用される場合がある(いわば表現の範囲が広い)。歴代の天皇の項目との一貫性が低い。普通名詞だけの項目名が項目名として適切かどうか。既存の百科事典には項目名としての用例がない。
天皇陛下 ごく通常の敬意。二人称または三人称 同左 (敬称を含むため、不適。検討しない。)
明仁 天皇制に対する反感。用語に対する無知。 天皇制に対する明示的な反感。 既存の百科事典に多数の用例がある。固有名詞による項目名である。代替わりにおいても項目名が指し示す対象が変わらない。 価値中立性が疑われる。
明仁天皇 反感。または用語に対する無知 天皇制に対する明示的な反感。 固有名詞を含む項目名である。代替わりにおいても項目名が指し示す対象が変わらない。 価値中立性が疑われる。既存の百科事典に用例がない。
明仁陛下 矛盾。または特殊な立場(外国の外交官?)。外国語の直訳。 同左 (敬称を含むため、不適。検討しない。)
聖上(**) 私は小説の中でしかみたことない。時代がかった用語。三人称。 同左 百科事典の項目名としてのメリットは特に思い当たらない。あえて言えば陛下もしくは天皇制に対する「敵意を含んではいない」こと。 概ね過去の語法であって、現代の百科事典としてふさわしいか疑問。
聖上陛下 時代がかった用語。通常以上の敬意。三人称。 同左 (敬称を含むため、不適。検討しない。)
天ちゃん 敬意を含まない三人称。親しみ。侮蔑。場合によっては敵意。 大衆的な出版物。または冗談。 (敬称を含むため、不適。検討しない。)

(*)地位についての言及か人物についての言及かが紛らわしい。→わざわざ天皇というのはなぜ?と僕なら思う。したがって場合によっては若干の反感をかぎとる。(つまり意図的に「陛下」と付けていないと感じる) (**)「おかみ」--以上Dakusuiさん、2006-09-13T22:26:59Z 文書による言及の場合と、用語「天ちゃん」を追加。 Wikipediaの項目名としての適否の列を追加dakusui 2006年9月14日 (木) 15:00 (UTC) 今上天皇のメリット。天皇のメリット、デメリットを追加。dakusui 2006年9月14日 (木) 22:33 (UTC) 明仁天皇のデメリットを追加。dakusui 2006年9月14日 (木) 22:39 (UTC)

(不要な改行を削除し、編集の便のため項目を分けました。)

なるほど、天皇の語に「あえて若干の敵意を表現しているのでは」と感じているのですね。よくわかります。その解釈は日本の社会の一般に広くあると思います。

「天皇陛下」において、「陛下」が敬語であることをわたしなども忘れがちですが、陛下は敬語です。「部長さん」「校長先生」というのと同じです。一方、「天皇」は敬語を抜かしています。「部長」「校長」というのと同じです。それぞれに場面に応じた使い分けがあります。そして、ウィキペディアでは一貫して敬語を使わないようにしています。これについては存命人物(変な表現です。いい表現ないですか?→Wikipedia:存命人物の伝記)についても同じです。敬語を付けないことにしている場面において、敬語を付けない表現は、礼を欠いたせいではなく、ましてやわずかなりとも敵意の表現は意図されないのではないでしょうか。

アブラハムの神の項目はヤハウェです。この項目名についても長い議論があり、投票まで行きました。私も投票していますね....-- 2006年9月14日 (木) 00:57 (UTC)

(「父なる神」の項目名について)ご教示ありがとうございます。聖書そのものに「エホバ言ひ給ひき」という表現がありますしねえ。現代の知見に照らしてこれがヤハウェになるのも首是するところなしとしません。
(「天皇」がよいか?または「天皇」が敬意・敵意を含むか)「天皇」が中立的ではないと言っているわけではなく、(私の認識において)より適切な語である「今上天皇」があるのにわざわざ使用する必要はないと言っているつもりです。中立的であり、なおかつその項目を主たる興味、知的活動の領域としている人々にとって専門的に正しい項目名が望ましいと考えています。たぶんあなたが「天ちゃん」がふさわしくないと考える理由と私が「天皇」がふさわしくないと考える理由は通ずるものがあると思います。dakusui 2006年9月14日 (木) 04:09 (UTC)

他の百科事典の項目名

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すみません、dakusuiさん、一度図書館で百科事典とはどんなものかご覧になっていただけませんか。百科事典の項を見ていただくとお分かりのように、 大野一将さんが 2006年8月10日に挙げておられた万有百科大事典(小学館)は、大日本百科事典(ジャポニカ)と並立するジャンル別の事典(ジャンル・ジャポニカ)です。5・6巻が「日本歴史」の巻で、これは百科事典というよりむしろ「歴史事典」に近いでしょう。同じ小学館でも、『大日本百科事典』(ジャポニカ)や『日本大百科全書』(ニッポニカ)では「裕仁」「明仁」または「明仁親王」となっていました。 また上で代言人さんが2006年3月に多々ご提示くださったのは「人物事典」で、これもまた「百科事典」とは異なるものです。

ご参考までに、下に比較対照表を掲示します。--miya 2006年9月13日 (水) 05:53 (UTC)微加筆miya 2006年9月13日 (水) 06:10 (UTC)微修正2006年9月14日 (木) 04:47 (UTC)

Encyclopædia Britannicaを参照、追加しました。Encyclopædia BritannicaにはKinjoという項目は存在せず、tennōの項目内にも言及はありませんでした。S kitahashi(Plé)2006年9月13日 (水) 07:46 (UTC)訂正。Naruhitoという項目は存在しませんが、AkihitoおよびJapanの項目でNaruhitoとして言及がありました。間違い失礼しました。S kitahashi

(Plé)2006年9月13日 (水) 11:17 (UTC)

かなり昔に平凡社世界大百科事典(1960年ごろ出版)をよんだ際の記憶をもとに言っており、逆に百科事典では「今上天皇」とするものだと思い込んでいました。しかしこの調査結果からするとその記憶自体も不安になってきました。この点に付いては自己の不明を恥じるしかありません。申し訳ありませんでした。またわかりやすい表をつくっていただきありがとうございます。あとは日本史、日本文化への専門性の高い事典でどのような項目名をたてるのか、これらの項目名の立て方がどういう考えかたにもとづくのかを知りたいところです。例えば紙の百科事典であることによる制約、記事名更新のコストによって「妥協の結果として「明仁」にしている」のでは?という反論はありえると思います。dakusui 2006年9月13日 (水) 22:10 (UTC)
万有百科事典5,6巻が「歴史辞典」であって「百科事典」ではない点を強調されていたので一言書くことにしました。「百科事典」にはそもそもジャンル別のものとその言語におけるアルファベット順のものがあると思っています。「歴史事典」であるならば通常の百科事典よりも歴史に関する項目の専門性が高いという主張は成り立つと思います。万有百科事典の5,6巻は日本史についてプアな記述しかないものならばこの事実をもとにした主張はとりさげますが。dakusui 2006年9月16日 (土) 06:30 (UTC)
ちなみにWikipediaはどちらでも無いかとdakusui 2006年9月16日 (土) 06:31 (UTC)
百科事典名 出版社 改訂年 122代
天皇
123代
天皇
124代
天皇
125代
天皇
125代
天皇の
皇太子
古事類苑 編纂:文部省 - 東京学士院 - 皇典講究所 - 神宮司庁 1896年(明治29年)~1914年(大正3年) 今上 (?) (?) (?) (?)
国民百科事典
平凡社 1971 明治天皇 項目なし 裕仁 明仁 項目なし
大日本百科事典
(ジャポニカ)
小学館 1980 裕仁 明仁親王 徳仁親王
万有百科大事典
(ジャンル・ジャポニカ)
小学館 1980 今上天皇 (?) (?)
グランド現代百科事典 学研 1983 ひろひと つぐのみやあきひと (?)
日本大百科全書
(ニッポニカ)
小学館 1988 裕仁 明仁 徳仁
世界大百科事典 平凡社 1988 明治天皇 大正天皇 ひろひと あきひと なるひと
世界大百科事典 第2版 平凡社 1998 明治天皇 大正天皇 昭和天皇 明仁 徳仁
ブリタニカ百科事典 ブリタニカ 昭和天皇 明仁 (?)
エンカルタ 総合大百科 2005 マイクロソフト 2004 明治天皇 大正天皇 昭和天皇 明仁 (?)
Encyclopedia Britannica ブリタニカ 2005 Meiji Taisho- Hirohito Akihito Naruhito
世界大百科事典 ネットで百科 日立システムアンドサービス online 明治天皇 大正天皇 昭和天皇 明仁 徳仁
MSNエンカルタ MSN online 明治天皇 (?) 昭和天皇 明仁 (?)

比較対照表を見て

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なるほど、この表に一目瞭然なわけですね。基本的に「明仁」となっていることは理解しました。ただ、大いに参考になる一方、日本語版のみの、しかも紙ベースの百科事典と、多国籍かつ項目の増加・改訂が可能なwikiとでは、必ずしも同列になるとは思いません。

ひとつは、wikiの場合、書籍の百科事典同様の紙幅の制限はないことです。 書籍の百科事典の場合、紙幅の関係で項目を厳選しています。それに、一項目ごとに記述は専門的な記述よりも一般的に通用する説明が基本になり、その正確さが学問的に完全無欠であるとはいいきれない部分です。wikiは専門書とは違うとはいえ、紙幅の制限はなく、事実上、専門書に匹敵するクオリティを追及することが可能であることを考慮してもよいでしょう。

いまひとつは、wikiでは外国の君主は()づきで地位を付随させた項目名としていることです(日本国は憲法の規定により基本的には象徴という地位ですが、対外的には元首であるという認識で支障はないことは政府答弁にも見られますし、国家体制としては共和国説はあるものの、一応において立憲君主国に相当することもあります)。

そこで提案です。少なくとも最低限、明仁(日本国天皇)とすることを提案したく思います。日本国民は明治の苗字必称令以来、氏がない人はいませんから、純粋な「明仁」なる人名を持つ人は天皇陛下しかおられませんが、人名としての明仁が天皇陛下にのみ、使用されているとは限らない。これは、今上天皇という名称が必ずしも、天皇陛下に独占されるわけではないのと同じです。

通常の百科事典が基本的に百科事典を開いて閲覧する意思をもって読むものであるのに対して、wikiの場合、検索をすれば、否応なくヒットするものですから、通常の百科事典よりも、さらに慎重な説明が必要だと思うのです。つまり、書籍の場合、百科事典風の文書であることは理解して読むことができますが、ネットでは、何の心構えもできないまま、開くわけです。中立性も百科事典の体裁も重要ながら、ネットとしての影響力と、崇敬或いはその反対含め、様々な国民感情のある天皇という存在は、少ながらず影響があり、その意味での配慮も必要であると感じます。

如何でしょうか。--Suifu 2006年9月15日 (金) 05:12 (UTC)

国内からのみアクセスできる日本版ならそれもよいでしょうが、日本語版ですからね…ノンジャパニーズの日本語話者は世界中にいくらでもいるのではないでしょうか。S kitahashi(Plé)2006年9月15日 (金) 05:58 (UTC)
政治的判断(Wikipedia日本語版内の)になりますが、諡剥き出しであることに違和感を覚える方々との妥協は成立するでしょうか。私は、記事名の付け方としては邪道だろうけど「明仁_(天皇)」「明仁_(日本国天皇)」などという記事名は「今上天皇_(125代)」「天皇_(1989-)」などよりははるかによいと思いますので、合意が得られるのなら検討する価値があると思います。
うしろの括弧は曖昧さの回避のためなので、重複がないなら必要のないものです。西欧圏の君主ですべてつけているのは、そのほうが楽だからという理由です(フィリップ3世 (フランス王)ではつけてフィリップ5世 (フランス王)はつけない、だとリンクの確認を一々しなければなりません)。したがって重複がない天皇にこれを適用する必要は本来ないです。霧木諒二 2006年9月15日 (金) 19:42 (UTC)
(ウィキペディアが海外からのアクセスを想定する「日本語版」であることについて)ノンジャパニーズの日本語話者(外国語として日本語を学ぶ人々)のことを考えると「明仁」なる項目名は逆に不適切と思います。「日本語版の百科事典」の項目名を日常使うことが、日本語を母語とする人々の感情を傷つけたり、その人の日本語の教養を疑わせたりするなどと想像がつくでしょうか?
(既成の百科事典の特性、ウィキペディアの特性)愚考しますに「明仁」なる項目名が不適切だと指摘を受けた場合、既成の百科事典なら例えば平凡社の担当者は「百科事典は高額な出版物であり現在皇位にある人物の地位変更にともなう再印刷や改訂、それに伴う利用者の負担を考えると『御名』をもって項目名とせざるを得なかった」とエクスキューズできますが、ウィキペディアではそういった「言い訳」ができないことを考慮する必要はあるかと。dakusui 2006年9月16日 (土) 05:09 (UTC)

メリットとデメリット

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上に、dakusuiさんの個人的な得失表がありますが、みなさんで合同で「項目名としたときの」デメリット一覧を作っていきませんか? 候補は、3つに絞りたいと思いますが、他にも有力候補があれば加えてください。なお、メリットの方は不要かと思いますので、省略します。また、諡号がおくられたら項目名が変わるのはどの項目名でも同じですので、特記する必要はないかと思います。-- 2006年9月15日 (金) 08:05 (UTC)

夜にくわしく書きますが2点ほど。「今上天皇」「天皇」「明仁」それぞれ主張する人達(謂わば「派」)はそれぞれ違う観点でのメリット、デメリットを挙げると思います。私が上に作った表を「今上派」用「天皇」派用「明仁」派用でそれぞれの観点でカスタマイズして派内の整理を終えた上で、突き合わせを行なうのはどうでしょうか?自分と違う考え方の人達が、どういう考えで違う侯補を推すのか理解するたすけになるはずです。もう一つメリットが不要とお考えとのことでしたが、それがなぜか分りませんでした。比較検討を行なう際は長短両方の観点から各候補を検討した方がよいかと。dakusui 2006年9月15日 (金) 09:49 (UTC)
(はじめに)遅くなりすみません。
(メリット、デメリットについて)やはり長短両方の観点から比較するべきと考えます。なぜならあなた自身も言われるように我々は「少しでも良い項目名」を決めたいのであって、「悪くない項目名」を決めたいのでは無いからです。であれば「メリット」に主眼があるべきで「デメリット」がないことが主眼ではないとおもいます。
(「派」別の観点整理の必要性について)ここまで議論が出ているのですから、各候補をあげる人たちは各人なりの比較・考量をした上で理論、論理性、一貫性を持って各人の主張をしていると思います(そう信じます)。今の時点でいきなり全参加者の意見を集約しようとするのは時機尚早であり、却って議論が混乱すると思うのです。明仁派が今上派のふりしたらどうするの?という問題はあると思いますが参加者の水準を考えれば良心にまかせても大丈夫だと思います。
(今後の展開について)各派別の1. メリット・デメリットに基づいて論点となっている観点を洗い出し、それに基づいて2. 得失表を作成(必要であれば各派別に)。3.得失表に基づいて各々の主張を検証、合意をはかる。
前回、こう書いたのですが派別に「メリット・デメリット」までは作らないでいいような気もしてきました。どう思われます?っさん。dakusui 2006年9月17日 (日) 02:23 (UTC)
(括弧内の表記)括弧内をどうするかについては「今上天皇」とした場合にも諱が必要との見解(Suifuさん)があります。また1989-の方が良いというのは単に私とっさんの間の合意に過ぎずこれを決定事項とするのは時機尚早と存じます。括弧内は「XXX」とするなどし上記の検討を終えたうえで決定することにしませんか?
(おわりに)これだけの議論が生じた以上、どの項目が選ばれたとしても「どうしてその項目名を選んだのか?」という見解文書の作成と公開の必要性を感じます。Wikipediaの性質上、そうしたものが無いと利用者の不信を招いたり、項目名変更の再提案が頻繁に行われる可能性があるでしょう。逆にそういった十分に論理的な見解文書が作れない候補は項目名としてふさわしくないと言えると思います。専門でない読者が「一体なんでこんな項目名になっている?」という思いを一瞬抱くのはどの項目名をえらぶにせよ生じる問題と思いますので、

dakusui 2006年9月16日 (土) 04:51 (UTC)

上記(今後の展開について)2. で言うところの「観点別得失表」の体裁

観点 「今上天皇(XXX)」 「天皇(XXX)」 「明仁(XXX)」 備考
中立性 「明仁」には明示的な敵意が含まれるとの見解がある。
既成の百科事典項目名 大多数は「明仁」。
等々

(*) 「明仁(XXX)」の場合は項目名として単に「明仁」とする(現状維持)場合も含む (**)上記の観点抽出、評価は、現時点でdakusuiが個人的におこなったものであり、この議論の参加者の合意に基づくものではなく、単に体裁を説明するための「参考」である。 (***) XXXの部分はシステム上の便宜や項目の識別性を担保するためのものであり上記3候補のうちのどれにするかを決定した上で検討する。 dakusui 2006年9月16日 (土) 05:33 (UTC)


  • 「今上天皇 (XXX)」(*)
    • メリット
      • 諡号によって言及される天皇と、その時点で皇位にある人物を列記する際の記法として多数の用例がある。
      • 天皇ないし天皇制にたいして積極的で大きな興味を寄せる(したがって当該項目の主要な)筆者・読者が適切と感じるであろう項目名である。
      • 既成の百科事典での用例がある。(「古事類苑」「万有百科事典」)
    • デメリット
      • 退位したら直ちに今上天皇でなくなるとするならば、その場で直ちに不適切な項目名となる可能性がある。
      • 「今上」に敬意を含んでいるという指摘がある(典拠不明)
      • 厳密には正確でないという指摘がある。(典拠不明)現時点では反証され、再度の根拠提示はない。
  • 「天皇 (XXX)」
    • メリット
      • 敬意も反感も語義自体には含まれていない。
      • 将来、今上が過去皇位にあった人物となったときにも「天皇(1989-)」「天皇(第125代)」などの項目名は(名辞矛盾にならずに)成り立つ。(ただし、記事の移動はいぜれにせよ行うことになるであろう)
    • デメリット
      • 「地位」の名称に過ぎない「天皇」を人物の記事の項目名とすることに違和感がある。
      • 退位した天皇の項目とバランスが取れない一貫性がない。(dakusui修正)
      • 「今上天皇」に比して敬意が少ないという指摘がある専門性の低さを感じさせる。(dakusui修正)
      • 既成の百科事典に項目名としての用例がない。
  • 「明仁(XXX)」(**)
    • メリット
      • 個人名による項目名であって、皇位の移動によって指示対象が変化しない。(ただし、記事の移動はいぜれにせよ行うことになるであろう)
      • 既成の百科事典に項目名としての多数の使用例がある。
    • デメリット
      • 中立性を疑わせるという指摘がある。(dakusui追加)
      • 外国語として日本語を学習したものにとって、それを使用することが特定の政治的な意見の表明として受け取られる語が項目名として妥当か疑問。(dakusui追加)
      • 礼を失しているという指摘がある。
      • かつて天皇であった人物の項目とバランスが取れない一貫性がない。(dakusui修正)
  • 「日本国天皇の明仁」「天皇の明仁」
    • メリット
      • 個人名による項目名であって、皇位の移動によって指示対象が変化しない。(ただし、記事の移動はいぜれにせよ行うことになるであろう)
    • デメリット
      • 中立性を御名のみの項目名よりも強く疑わせる。
      • 外国語として日本語を学習したものにとって、それを使用することが特定の政治的な意見の表明として受け取られる語が項目名として妥当か疑問。
      • かつて天皇であった人物の項目と一貫性がない。

(*) XXXの部分はシステム上の便宜や項目の識別性を担保するためのものであり上記3候補のうちのどれにするかを決定した上で検討することにしたい。 (**) 「明仁(XXX)」の場合は項目名として単に「明仁」とする(現状維持)場合も含む


カウンター・テーゼ「今上天皇」は「日本語として間違い」か

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まず、「今上天皇」という語自体が厳密には正確でありません。そうした不正確性を有する「今上天皇」という項目名で今上陛下について記述することは、陛下に対して大変失礼なことであると思料いたします。そもそも百科事典というものは、記述する事物・人物を客体化・対象化することが求められます。たとえ、畏れ多くも先帝陛下や今上陛下について記述すると雖も、陛下の事績を客観的・中立的に記述しなければならないのであり、項目名も「先帝陛下」「今上陛下」を採用する訳にいかないのです。それが百科事典ウィキペディアの信頼性を担保する唯一の道でもある訳です。ですので、「明仁」という項目名には確かに違和感を少なからず覚える訳ですけれども、百科事典に求められる客観性・中立性を確保するためには、十分許容される範囲のものであり、勤皇家を自認する私の眼から見ても決して礼を失したものでないように思われます。他の百科事典との較量を通じても、非礼に当たらないことが言えると思います。どうしても違和感がぬぐえないのであれば、「明仁 (天皇)」としても良いのではないでしょうか。--shimoxx 2006年9月15日 (金) 12:13 (UTC)

「厳密には正確でない」の根拠は何でしょうか。-- 2006年9月15日 (金) 23:56 (UTC)
これは私も知りたいです。その根拠によっては自説の修正も行わなくてはなりませんので。dakusui 2006年9月16日 (土) 04:51 (UTC)
天皇陛下をお呼び申し上げる名目には、天子・皇帝・帝の他、上・主上・今上・当今・当代など様々あります(cf.和田英松『官職要解』など)が、とまれ「今上」のみで現今帝位にあらせられる方=天皇陛下を表すことになる訳です(余談ながら、「今上」の語が陛下への敬意を既に含んでいるものであることは謂うまでもないでしょう)。ですので、今上天皇にもあるとおり、「今上天皇」は「今上」と「天皇」という同義語が重なる重言であり、戦後日本で慣用的に使用されてはおりますけれども、上記の理由から厳密には正確であるとは言えません。「主上天皇」「当今天皇」に違和感を感じるのと同様、私は「今上天皇」にも強い違和感を感じます。--shimoxx 2006年9月16日 (土) 07:38 (UTC)
(「今上」が敬意の表現か)「今上」が絶対に敬意を含んでいるかというと、「万有百科事典」や「古事類苑」(後述)のように対象を客観化して中立的に記述する目的の典籍での用例があるため「敬意を含める場合もあれば含めない場合もある」とするべきと思います。「明仁」が「悪意を含める場合もあれば含めない場合(既成の百科事典のような特殊な場合)もある」のと同様です。
(「今上天皇」が重言で間違いか?)「間違いとまでは言えない」との認識です。http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BA%A3%BE%E5%C5%B7%B9%C4&kind=jn のように国語辞典に項目がたてられる用語ですし、現に項目名とする百科事典がありますので。間違いと言い切るには、Wikipedia以外の典拠が必要になるケースかと。また日本国語大辞典(日本史研究において信頼される国語辞典)では「今上」は「今上天皇」の略として定義されています。
(古事類苑について)明治時代に出版された百科全書で、明治天皇の項目名が「今上」となっています。(孝明天皇の項目はなし)dakusui 2006年9月17日 (日) 01:27 (UTC)

私もしばらく「今上天皇派」でしたが、今上天皇という概念に対する理解不足であり、また、百科事典の体裁等をこちらで学び自分でも確認するうちに、「明仁」の御諱の使用はまず必要であろうという認識に達しました。shimoxxさんも仰せのように、明仁 (天皇)もよいと思いますが、私は個人的には、明仁 (日本国天皇)とすべきではないかと考えました。諸外国の君主は、国名があるのに、日本国の天皇陛下にはないとなると、日本語版を日本版と混同しているということにはならないかと思うのです。--Suifu 2006年9月15日 (金) 12:50 (UTC)

「日本」は必要ないかと言えば、厳密には必要ないと思います。というのは、現在「天皇」と呼ばれるのは日本の天皇だけで、曖昧さがないからです。それが「国王」や「皇帝」との違いだと思います(あれ、皇帝はイギリスのだけかな?)。あと「日本国天皇」は、戦前はそう呼べないのでどうしようかな、と。-- 2006年9月15日 (金) 23:56 (UTC)
(Shimoxxさんのいう項目の客観化、記述の中立化)客観化は事物を第三者としてとらえることで、この点においては「今上天皇」も要件を満たしていると考えます(万有百科事典や各種の人名事典はその例)。「中立性」の観点で言うと、他にとるべき手段がなければ非礼ではないと考えることはでき、既成の百科事典についてはこれにあたると思います。Wikipediaでは「とるべき手段」があるためこのような議論が生じるのだと思います。
(戦前は日本国天皇ではないか)戦前も日本国天皇でも間違いでは無いという理屈は成り立つでしょう。そもそも正式に国号を「大日本帝国」としたのが戦中のことですし。
(余談1)現在、冗談以外のなんらかの意味で「皇帝」の地位にある人物とみなしうるのは今上のみのはずです(天皇の英訳がEmperorであるので)。英国国王を皇帝とみなすのはインド帝国皇帝を兼ねていた時期ならともかく現代では無理と思います。
(余談2)日清戦争開戦の詔勅では天皇は「大日本帝国皇帝」と唱えていました。

dakusui 2006年9月16日 (土) 06:03 (UTC)

いや、オーストラリアやカナダでは皇帝だったはずです-- 2006年9月16日 (土) 23:52 (UTC)
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E9%80%A3%E9%82%A6 をみても英国国王をEmperorとみなす特段の事情が思い当たりません(英国国王であるエリザベス2世が総督を派遣して海外領土を統治させるという旧弊な建前にてらしても別段皇帝である必要はないかと)。どういった文脈で英国国王を「皇帝」とみなしていたのかご教示ください。どっちみち余談なんですけど。dakusui 2006年9月17日 (日) 01:27 (UTC)

日本国天皇に関して。「天皇」の項目名はそのまま天皇でいいでしょう。何故なら、訳す段階で英語などで日本の天皇であるという項目名にすればよいから。故に諡号としての天皇を号する歴代天皇や今上天皇など、他の天皇の項目に影響はないと思います。今日、憲法上の天皇は陛下お1人ですから。日本国天皇の称号を用いるのは、今上をおいて他にはありえません。 しかし、「明仁」の項目名を変更する場合、外国語版に何らかの影響を与える可能性は想定されると思います。その場合、明仁(天皇)を訳した場合、地位を付記する以上はどこのEmperorなのか。事実上、今日、Emperorが世界に1人であろうが、イギリス女王を含もうが、いずれにしてもどこのEmperorなのか、一応の説明は必要であるかと。日本国天皇は外交称号としても用いられており、国内的にも国際的にも地位を正確に表す意味でいいのではないかと思います。故に今上天皇その他の案と並んでひとつの選択肢として明仁 (日本国天皇)を推したいと思います。--Suifu 2006年9月17日 (日) 00:23 (UTC)

括弧の前の部分に付いて「明仁」でしか合意が得られないならばそれ(明仁 (日本国天皇))もやむなしと思います。
ただメリット、デメリットを列挙して行き、三候補を比較考量して「なぜそれを選んだのか?」を説明するときに「明仁」っていうのはしんどいことになりそうな気がしました。煎じ詰めると「既成の百科事典がそうなっていた」っていういわば安直な理由で採用したんです。ってことになりそうだから。さらに既成の百科事典とウィキペディアの特性の違いにつっこまれたら僕は反論できないなあ。dakusui 2006年9月17日 (日) 02:23 (UTC)
(日本国天皇)とするのは、他国の君主の項目と整合性が取れないと思います。他国の元首は、エリザベス2世 (イギリス女王)カール1世 (オーストリア皇帝)などと、( ) 内の国名は正式国名ではなく略称になっています(「エリザベス2世 (グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国女王)」「カール1世 (オーストリア帝国皇帝)」ではない)。--U3002 2006年9月17日 (日) 03:15 (UTC)
略称を使ってるのは単に正式名だと長すぎるからでしょう。括弧の中に「オーストリア皇帝・ハンガリー王・ベーメン王・ダルマチア王・クロアチア王・スロヴァニア王・ガリツィア王・ロドメリア王・イリュリア王・オーストリア大公・トスカーナ大公・クラクフ大公・ロートリンゲン公・ザルツブルク公・シュタイアーマルク公・ケルンテン公・カリオニア公・ブコビナ公・トランシルヴァニア大公・モラヴィア辺境伯・上下シュレージエン公・モデナ公・パルマ公・ピアチェンツァ公・グアスタラ公・アウシュヴィッツ公・テッシェン公・フリウリ公…」なんて書いていたらきりがないですから。そもそも括弧をつけること自体が記事名の付け方と整合性の取れないことなんですから、そこは措いておきましょうよ。―霧木諒二 2006年9月17日 (日) 04:17 (UTC)

見方によっては「今上天皇」も「天皇」も「明仁」も失礼となりうるわけですよね。そもそも、日本語の(日本社会の?)制約として「当代天皇を表現するときは常に敬意を持たせなければならない」という不文律があるわけですから、前記の3つのうちどれを用いても同程度に失礼になるわけです。一方、ウィキペディアの記事名の付け方の制約として「敬意を持たせる呼称は原則として避ける(が、絶対ではない)」というのがあり、絶対ではない以上、敬意を持たせる呼称が許される余地が生じるわけです。さて、「明仁 (日本国天皇)」とカッコ書きすることによって敬意を表すという意見がありますが、もともとカッコ書きは曖昧さ回避のために用いるものです。またカッコ書きの中であろうと外であろうと敬意を表していることに違いはありませんから、敬意を持たせるために「明仁 (日本国天皇)」とするのであれば、思い切ってカッコを取って「日本国天皇の明仁」とするほうがまだましです。私自身の意見としては「天皇 (XXX)」を推しますが。--春野秋葉 2006年9月17日 (日) 05:33 (UTC)

えっと、議論の現段階においては「今上天皇」は失礼にはなりません。というのが上のやりとりの結論になります。無論、Shimoxxさんから典拠の提示を伴う反証があれば別ですが。Shimoxxさんは「今上天皇」が用語上間違いであることに論拠をおいて「失礼」とおっしゃっていました。これに対して私は典拠を伴う反証(「今上天皇」は日本語として許容される)を行いました。したがって「今上天皇」が「失礼」とする未反証の見解は現在、この場には存在しません。dakusui 2006年9月17日 (日) 14:55 (UTC)

曖昧さ回避の使い方の点は確かにごもっともなお話ですが、そもそも改名をめぐる議論で春野さんには誤解があると思います。個人的に皇室を崇敬しているかどうかはともかく、少なくとも項目名の変更に敬意をこめることを主目的に据えた議論はしていないし、していたとすれば、ここまでに議論するまでもなく論破されていたと思うのです。あくまで、陛下の記事として歴史的観点と法的観点、社会的観点から妥当といえる表現方法を探していると理解すべきだと思います。敬意を込めるために改名させると申しているわけではありません。その点をまずご了承下さい。

では、本題。候補を絞り、三択でそれぞれの得失の議論がなされていますが、私は得失を論ずるとしても、順序として次のような点がポイントだろうと思います。

まず、この議論は改正「派」より、称号を基本とする項目名への改正要望からはじまっている。 つまり、この議論の最大のポイントは第一に称号を項目名にできるかどうか。つまり、天皇ないし今上天皇、日本国天皇のみで陛下の項目を構成することが可能かどうか。これは、ペンネーム、芸名で記事が立っている芸能人、作家などとの比較及び諸外国の君主、貴族の項目名における称号の使用状況がひとつ論点であろうと思います。但し、天皇家の場合、憲法上は象徴である。さらに、天皇という現時点では世界にない唯一無二の称号を使用しているという特殊な事情がある。 他の項目名と比較しつつ、皇室の特殊性をどこまで尊重すべきかが最も大きな論点であると思います。

称号での項目名が使用可能だとした場合、次に諱を付記するかどうか。本名である以上、項目名に何らかの形で「明仁」の付記が必要だとするのなら、称号の後に、そのままつける案(例:天皇明仁)と称号の後に括弧づきで表記する案とが考えられる(例:天皇(明仁))。

また、称号で項目名をつくるのが好ましくない場合。明仁が項目名の基本にるわけです。そこで()づけで称号を付記するかどうかか議論になる。 つまり、これらの議論を踏まえた上で現項目名の明仁のままか、或いは天皇 (明仁)、明仁 (天皇)の三択になるのだと思います。

そして、最終的には、称号が先に来るか後に来るかを越えて、現在の天皇陛下を指す概念として法的・社会的・歴史的観点から、純粋に天皇がよいのか、今上天皇か、日本国天皇のいずれが正確であるといえるのか。それによって、項目名が絞り込みできると思います。

選択肢

  1. 称号のみの項目名の場合 → 天皇、今上天皇、日本国天皇
  2. 称号プラス諱の場合   → 天皇明仁、今上天皇明仁、日本国天皇明仁、天皇 (明仁)、今上天皇 (明仁)、日本国天皇 (明仁)
  3. 諱プラス称号の場合   → 明仁 (天皇)、明仁 (今上天皇)、明仁 (日本国天皇)、明仁 (第125代天皇)、明仁 (西暦~)

--Suifu 2006年9月17日 (日) 06:26 (UTC)

(称号のみの項目名が人物の記事として許容されるか)ローマ帝国初代皇帝の記事名は元老院から贈られた「アウグストゥス」(通常「尊厳なる者」と訳される)という「称号のみ」の項目名のようです。許容されるかされないかというと許容されるが結論では。dakusui 2006年9月17日 (日) 06:53 (UTC)
(補足)「人物記事の項目名として、称号のみの項目名は許される」しかし「ウィキペディアのシステム的な制約および一つの項目名はウィキペディア日本語版の全歴史を通じて一つの事物を指すべきであり、少なくともそのように努力するべきであるとの合意にもとづき」括弧内には「第125代」「1989-」「 御名」「今上天皇」等を補うことにする。これが今の流れだと理解しています。

上記愚案について。大体、三段階ぐらいの論点にわけてみましたが、ひとつひとつ議論することもよいですが、分科会的にそれぞれ同時並行的に議論できると思うのですが如何でしょう。。--Suifu 2006年9月17日 (日) 07:03 (UTC)

(質問)「分科会」は上記の1. 2. 3.のそれぞれについて設置ですか?以下、イエスだとして…
(1. について)設置不要と思います。理由は上述の「補足」に基づきます。
(2. 3. について -- 1)上述の「三択方式」の範囲で網羅されています。その一方「天皇(第125代)」等が考慮されていません。「御名のみ」も外れています。項目名変更を行うことを前提として議論することに合意はあるとおもって良いのでしょうか?>Suifuさん、みなさん
(2. 3. について -- 2)分科会ごとに結論を出して分科会がえらんだチャンピオン同士の決勝戦をやるんですよね?そうだとすると検討の一貫性を担保できない気がします。こういう場合を考えてみてください。2. では天皇(明仁)を選んだ。3. では明仁(1989-)を選んだ。侃侃諤諤の議論の末、3. が優勢を占めた。しかしあとから考えてみるとその侃侃諤諤の議論のもっとも重要なポイントでは「日本国天皇(明仁)」は「明仁(1989-)」よりも決定的に優れていた。私としては分科会方式よりも上で僕とっさんがやっている三択方式をおします。dakusui 2006年9月17日 (日) 15:19 (UTC)

Shimoxxさんは「今上天皇」は単に日本語として不正確であるがゆえに失礼であるとおっしゃっていたのですか。私は「失礼であり」を「当代天皇に対する(普通の人物に対するものと異なる)敬意が含まれておらず」と誤解していました。「不正確な人物名の表記はその人物にとって失礼である」というのは当代天皇に対してでなくても当たり前のことですし、「不正確な日本語表記はウィキペディア日本語版の記事名としてふさわしくない」のも当たり前です。また、項目名をめぐる現在の議論で問題になっていたのは「皇室に対する敬意」ではなく「皇室の特殊性の尊重」ですね。失礼いたしました。

Suifuさんが選択肢をまとめていらっしゃいますが、たとえばマグダラのマリアのように「の」を入れた「日本国天皇の明仁」や「天皇の明仁」という項目名は成立しえないのでしょうか。「日本国天皇明仁」や「明仁 (日本国天皇)」よりも「日本国天皇の明仁」のほうが日本語として意味が通っていると思うのです。カッコ書きは曖昧さ回避との関係上控えたいし(曖昧さ回避以外でカッコ書きされた例は存在するものの、それはカッコ書きされた名称が正式名称である場合がほとんどである)、かといって称号と諱をそのまま連結すると、それ自体が1つの呼称のように誤解される危険性が生じます。「の」でつなぐと両方の問題を一度に回避できるので、これが一番いいように思えるのです。それでは皇室の特殊性を尊重することにならないのでしょうか。--春野秋葉 2006年9月18日 (月) 04:07 (UTC) 一部加筆・消去あり 2006年9月18日 (月) 05:22 (UTC)

マグダラのマリアの場合には俗称(たしか)とはいえ慣用句として定着しています(固有名詞化している)ので、同列には扱えないかと。-- 2006年9月18日 (月) 04:43 (UTC)
(マグダラのマリア)マグダラのマリアが俗称であるかはともかく、彼女にはそれ以外の呼び名がなく(マリア・マグダレネでは結局外国語を音写しただけで「マグダラのマリア」であることには変わりがない)、「マリア」だけではイエスの母マリアと区別が付きません。ということで「天皇」と言っただけで少なくともその瞬間においては唯一人が特定される人物の項目名における議論に援用するのは難しいかと思います。
(ご提案の呼称)うーん…。「日本国天皇の明仁」「天皇の明仁」なる項目名が感じさせる政治的中立性への疑いは単なる「明仁」よりもさらにおおきいでしょう。この項目名でこの記事を印刷して日本史の研究者に見せたら…、顔をしかめるか、鼻で笑うか、共産党系の研究者が書いた記事と思われるか…。いずれにせよWikipediaの名誉に取ってプラスになる結果は期待できないかと。dakusui 2006年9月18日 (月) 05:54 (UTC)
(皇室の独自性の尊重)これはSuifuさんが重視しておられる観点の一つであり、このセクション「カウンター・テーゼ『今上天皇』は『日本語として間違い』か」における現時点での論点です。項目名を決めるにあたっては他にも多くの観点を考慮する必要があり、それらを随時「メリット・デメリット」のセクションに反映していくのがいいと私は思っております。
(閑話休題)私の人生のなかでこれほどの短い期間にこれほどの回数、御名を書いたり口にしたりしたのはこれがはじめてです。議論の上で已むを得ないとはいえ、かなりのストレスです。わたしの教養に照らして言えば御名を不必要に書いたり口にしたりするのは「非常識」以外のなにものでも無いからです。これは英語で言えばFで始まる4文字の単語を気安く口にしたり、糞便に関することばを連発したりするのと同程度に下品なことだと感じているためです。以後、この場では「御名」と斜体で書いてありましたら読む際にはそこに御名が直接書いてあると理解するというルールを認めていただければと思います。その書きかたでも紛らわしい場合にはやむを得ず御名を直接書きますが。また御名を項目名として認める方々が御名を直接お書きになることを妨げるつもりもありませんが。dakusui 2006年9月18日 (月) 05:54 (UTC)

「かなりのストレスです。」とのお言葉、同感です。私もdakusuiさんに倣い御名とさせて下されば幸いです。ここに「明仁(以下、御名と記す)」と明記致しますので以後、御名といえば陛下の諱であることをご理解下されば幸いです。 さて、私も「の」をつけることに、失礼ながら、まったくメリットを感じないのです。お許し下さい。現に平凡社『国民百科事典』にある記述では、称号と御名は続けて表記されていました。故に事例は少なからずあるわけです。よって、春野さんのご提案には残念ながら同意は致しかねるというのが、今のところの見解です。

さて、dakusuiさんが代弁くださったのように、私の問題関心は皇室の特殊性です。これは皇室への崇敬や皇国史観との関係ではなく、あくまで客観的な立場で、皇室という存在を客観的に学術的にとらえた場合、適当な表現はないかと模索しております。特殊性という観点からは諸外国の君主と同様ではなくあまり過度に外国の事例を模倣したりする必要もないとは思いますが、逆に現状の議論では外国君主すら問題になっていないことについて、とかく陛下の項目にだけシビアな注文が多いことも散見されることから、そのことに違和感を覚えています。

ここで、私の項目名を考える上での優先順位をあげておきたいのですが、現時点では「日本国天皇」で完結できればベストだと思います。今上天皇も使用事例があるとのことで、これも有力な候補と考えています。ただ、日本語版であることを考慮し、外交称号として正当足り得る日本国天皇が安定性と中立性があると思います。 ただ、露木さんはじめ、御名が入ることが基本とされるご意見もあり、あえて私は日本国天皇 (御名)か御名 (日本国天皇)での項目名が、合意形成し得る選択肢ではないかと考えております。

--Suifu 2006年9月18日 (月) 06:27 (UTC)

申し訳ありませんが、Suifuさんが「の」入りにメリットを感じないのと同様に私はカッコ書きにメリットを感じません。カッコ書きはそれが正式名称であるか、曖昧さ回避のために本来の項目名と区別する必要がある場合に限られているのがウィキペディア日本語版のスタイルであり、「天皇」や「日本国天皇」の後ろに当代天皇の諱をカッコ書きしたり、また逆に当代天皇の諱の後ろに「天皇」や「日本国天皇」をカッコ書きするのはどちらもウィキペディア日本語版のスタイルに合致しません。
なお、dakusuiさんやSuifuさんのコメントを見ていると、表向きは「皇室の特殊性の尊重」としながらも実質は「皇室に対する敬意」なのではないかと感じるものがあるのですが、これは本論ではないので置いておくとします。--春野秋葉 2006年9月18日 (月) 07:55 (UTC)
(はじめに)もし、わたしが前回使った「鼻で笑われる」の表現等がお気にさわったのでしたら、お詫びします。他意はありませんのでどうか御容赦のほどを。
(ご提案)「マグダラのマリア」を援用して「日本国天皇の御名」という項目名を提案されるのは(やはり私としては賛成でき兼ねますが)皮肉ではなく独創的で興味深いとも思いました。「メリット・デメリット」の項にあげた三候補のどれにも包摂されない案ですので新たな第四の候補としてあげさせてください。ただ、すみませんが私自身の立ち位置からのデメリットも記述させてください。メリット・デメリットについて春野さんから積極的な記述があることを期待しています。
(私が「今上天皇」を推す理由)私とSuifuさんが同一の立場にたっていると考えておられるようですが、私が「今上天皇」を推す理由には「それが敬意を含まず、含んでいるとしても最もすくないレベルであり、研究者にとって自然であろう語だから」です。したがって「皇室の特殊性の尊重」は私個人の主張には含まれていません。事実の誤認ですので削除のほどをお願いします。
(ウィキペディアのスタイル)ウィキペディア日本語版のスタイルをどのようにお考えになっているのか、まずは確認させてください。「正式名称(曖昧さ回避のための文字列)」または「通称(正式名称)」のどちらかを用いるのがウィキペディア日本語版のスタイルとお考え、ということでしょうか?もうひとつ、春野さんは御名を正式名称とお考えなのですよね?もし違ってましたらお詫びしますが、その上で…。
(御名は「正式名称」か?)当事者たる天皇ご自身、または宮内庁から第三者が御名によって言及することを「正式な呼称」とする定義、宣言が発表されていればともかく、そうしたものが議論に参加する誰からもご提示いただけない状況で御名が正式名称と呼び得るのでしょうか?といったことまで検討する必要があると思っています。この点についても参考にしていただければと思います。dakusui 2006年9月18日 (月) 09:22 (UTC)(署名追加)

曖昧回避のご指摘には、一度一定の理解をしている旨お返事しているので、こまかいことは省きます。しかし、それは、曖昧回避の原則に立ったとしても、技術的に調整できないことではない。それは、今回の問題の軸ではないと思います。

それに、そのようなかんぐりをうけないといけないんでしょうか。皇室に尊敬していることは間違いないですし否定はしません。心の底で動機のひとつにもなっているかもしれません。それも否定はしない。しかし、私は尊敬以上に客観的学術的観点から、現行の項目名に疑問を感じている。それに嘘はありません。それを、否定されるようで正直申し上げて不愉快です。本論でないと仰せなら、本当に仰せにならなければいいと思うのですが。私のコメントを読み返したら、おそらく不遜か不快を与える部分があったと思うのでその点はお詫びします。すみませんでした。しかし、その点をわりびいても、春野さんの人の内心をかんぐったようなご意見はさすがに穏やかではないと思います。そもそも、内心に帰属する問題で貴方の側から断定できることではない。所詮は憶測です。疑わしいとの一点をもって、人の内心をかんぐるような書き方をされることは好ましくない。よって、抗議します。--Suifu 2006年9月18日 (月) 08:18 (UTC)

私の発言を不愉快に思われたのならば、率直にお詫びしたいと思います。しかし、わたしが前記のように考えた理由については、「御名」という言葉に「皇室の特殊性の尊重」を超える「敬意」の存在を感じたからです。この表現は私にはとても中立的とは思えませんでした。ただ、当代天皇の諱を直接書き記すことを不愉快に感じる方がいらっしゃるのは仕方がないので、私のほうも以下「御名」に相当するものを「当代天皇の諱」と表現いたしますのでご了解ください。--春野秋葉 2006年9月18日 (月) 08:33 (UTC)

こちらこそいい過ぎた点はお詫びしなくてはなりません。すみませんでした。あえて、補足しますと、正式な項目名や項目の記事内容に御名などの尊敬語を用いるのならいざしらず、合議の場では、崇敬の念を見せることは、いささかも否定されべきではないと思っています。逆の思想観念の方がおられたとしても、私はとかくそのことで、人の内心を誹謗することはしません。(例えば、「アキヒトさん」といったところで、最低限一個人の人権を尊重している限りは咎める意図の発言はしません)それは、一々指摘すべきじゃないと思う。逆に春野さんも「私の方も…ご了解ください」と申されていますが、別に私の関知するところではないし、第三者に断るものでもないでしょう。何か同じ言葉を用いることを強制したかのようなとららえられ方をされても、困りますし。--Suifu 2006年9月18日 (月) 08:57 (UTC)

私についてもSuifuさんと同様です。春野さんが「明仁」とお書きになったとしてもそれはご自由に、です。ただ、私自身がそう書くのが苦痛と言うだけです。私は私とは違う価値観の持ち主がいることは弁えているつもりです。dakusui 2006年9月18日 (月) 10:09 (UTC)

さて、本題の天皇陛下の項目名についてですが、改めてdakusuiさん、っさんご両所の提示されるそれぞれの得失について論ずるという方法にご同意申し上げます。どなたか音頭をとって、ファシリテーターになって議事進行して頂けると良いと思いますが。ご両名或いはいずれかのうちお1人がファシリテーターをされるというのは如何でしょうか。--Suifu 2006年9月18日 (月) 10:14 (UTC)

私に付いては無論、お受け致します。しかし私自身は「今上天皇」を推しております。これがもとで他日、「今上天皇」に偏った結論になったなどと言われるのはWikipediaのために好ましくありません。っさんと今一人御名派からもファシリテータの任にあたっていただける方はいらっしゃらないでしょうか?dakusui 2006年9月18日 (月) 12:42 (UTC)

反対派へのご配慮は当然ですが、そもそもファシリテーターは行司役で完全中立を保てる人でなくてはならないと思います。この際、可能なら行司は項目名にこだわりのない第三者にお願いし、dakusuiさん、っさんはそれぞれ改名派、現状維持派のオピニオンリーダーとなるのも手です。如何でしょう。あくまで、改名を前提とされる方がファシリテーターをされると、その方はおつらいと思います。私が提唱しといてなんですが、よくよく考えるとそう思います。如何でしょうか。--Suifu 2006年9月19日 (火) 09:37 (UTC)

(っさんのスタンス)はどちらかというと今や改名もあり。改名するならば「天皇(1989-)」等ならどうでしょう?ということだと思ってます。むしろ「天皇(XXX)」派かと。いかがでしょう。>っさん。
(完全中立なファシリテータ)現在、議論の場にいるすべての方が納得できる「完全中立」なファシリテータっていらしたらぜひお願いしたいです。しかし…。現実問題としていらっしゃるでしょうか…。所詮みんな自分こそは中立って思ってるわけだし。私も含めて。次善の策として、各派の主張を代表できる人物が合議でファシリテータを努めるという考えもあるな、と思ったしだいです。しかし、皆が承認する「完全中立なファシリテータ」が実際に現れる可能性もゼロとはいえない以上、まずはそのような方が現れるのをお待ちしたいです。dakusui 2006年9月19日 (火) 14:12 (UTC)
(お返事)私はそもそもウィキニュースの記事を書いていて皇室の敬称の問題にぶち当たり、ここにたどり着いただけですので、実際のところそれほどどうしたいという強い希望があるわけではありません。しかし、議論は大変におもしろいです。どうしたい、という意味から言ったら、「今上」が項目名にはいるのは抵抗があるな、という程度です。それは、過去形に用いることができるか、という一点に疑問があるからで、「天皇であった」とは言えても「今上天皇であった」とは言えないのではないか、それでは百科事典として不便であろう、というそれだけです。-- 2006年9月20日 (水) 03:15 (UTC)
(百科事典として不便か…)それがわからないんですよねえ。そのことがそんなに不便なんですかねえ。私としても興味ありますし、別のセクションで議論してみましょうか…。dakusui 2006年9月20日 (水) 13:49 (UTC)

厳密にいえば、私の中では明確な意思表示をしている私とdakusuiさんは中立ではないと断じているのですが。ただ、それをいうと誰もできない。よって、スタンスがどうあれ、ファシリテーターとしての中立を保てることが最低条件をクリアさえすれば、ファシリテーターにはどなたにもなれることにすべきだと思います。要するに議事進行において、一方に利さない。そして、自分の意向は出さない。まわりの意見を見て調整役に徹することができること、これがファシリテーターでの基本だと思います。「行司は相撲をとるな」ということですな。--Suifu 2006年9月19日 (火) 14:40 (UTC)

了解です。たしかに明確な意思表示、という点では私とSuifuさんは他の方とは少し違う立場ですね。dakusui 2006年9月19日 (火) 14:47 (UTC)

私が第三者のファシリテーターを提案した理由は、第一にdakusuiさんはあくまで主張側に立ちたいだろう、またその方がスムーズに進むだろうという憶測がありました。しかし、誰も立候補なり推薦がなければ、かえって停滞を招きますかね。ファシリテーターを誰にするにしても、決めるまではdakusuiさんがイニシアチブをとっていくというのは、どうでしょう。議論の中身ではなく、進め方の協議ということで。--Suifu 2006年9月19日 (火) 15:15 (UTC)

(ファシリテータ)どうでしょう、発言に照らして言えばっさんはファシリテータとしての中立性については要件を満たしておられるように拝察します。あとは今回のように多数の観点にわたる得失を評価して、複数の候補の中からひとつをえらぶ際の議論の進め方については経験やノウハウが必要な部分と思います。そういった経験はおありですか?>っさん。
(進め方の協議)について言えば、参加の必要は感じています。進め方について合意が得られたあとっさんにファシリテータの役割をお任せすることができればスムーズなのかなぁとは想像しています。もし、っさんがお受けしてくださればですが。dakusui 2006年9月20日 (水) 13:49 (UTC)
おっと、すみません、お返事が遅くなりました。
改名論議に経験があるかといわれると、ノート:横浜市主要地方道18号環状4号線Wikipedia:チベット自治区/投票あたりかなあ。-- 2006年9月22日 (金) 04:00 (UTC)
(F:ファシリテータ)じゃあ、僕と一緒にやってみますか。ファシリテータ。もしよろしければですが。今後、私がファシリテータとして発言する際には括弧内の最初に"F:"と記します。dakusui 2006年9月22日 (金) 16:46 (UTC)
(F:ファシリテータ)わかりました。よろしくお願いいたします。ところで、一回過去ログ化したいんですが..... このページのバイト数だけのディスクスペースが編集のたびごとにかかっていると思うと、心苦しくて.....-- 2006年9月23日 (土) 04:15 (UTC)
(F:こちらこそ)よろしくお願いします。余談ですが、本当にこのページ全体を毎回ディスクに保存する方式なんですかねえ。差分だけ保存する実装はできそうなもんだけど。続きは新ページにて。dakusui 2006年9月24日 (日) 09:07 (UTC)
すみません、先程今上天皇明仁親王で項目名が移動されていましたが、合意を得たとはとても思えないのですが。--水野白楓 2006年9月22日 (金) 03:17 (UTC)
(余談)これ、ひどいよね。言語的にも文化的にも政治的にも制度的にも社会的にも右からも左からもどんな観点から見ても正しくない項目名にわざわざかえるってのが。dakusui 2006年9月22日 (金) 16:46 (UTC)

今上天皇の項目名は百科事典として不便か

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上のところで出た話題ですが、セクションを切ります。私が「今上天皇」を含む項目名に疑問がある点は一点に尽きます。この件の項目以外の項目から、

2006年9月20日、[[今上天皇 (1989年-)|今上天皇]]は、

のようにリンクされた場合、または、

2006年9月20日、[[今上天皇 (1989年-)|天皇]]は、

のようにリンクされたことを考えます。何らかの理由で今上天皇が退位された場合、件の項目名は即座に改名されるでしょう。しかし、そこにリンクするページすべてにはなかなか編集が届かないかもしれません。もちろん、それでもリダイレクトにより、リンクの機能そのものには問題が生じませんが、上記のリンク先は、マウスをのせれば表示されるでしょう。それが、なおもって適当か、それとも不適当となってしまうか、ということなのです。もし、リンク先が「天皇 (1989年-)」ならば、不適当となることはないと思うのですが。-- 2006年9月22日 (金) 04:11 (UTC)

そういう事態になったら全てのリンクを俺が直すから問題ないよ。心配するな。退位後を考えるのなら『元号+天皇』が合理的。--代言人【右】 2006年9月22日 (金) 04:41 (UTC)
(っさんへ)うーん。そういうことを言おうとしてたのだろうなあとは思っていたのだけれど…。代言人さんのコメントはなかなか本質を突いていて、執筆者と読者が重なりあうWikipediaにおいては「気づいた人が直せばいいじゃん」って言う論理は成り立つように思うんですよね。
(それに)マウスをのせたときにブラウザのステータスバーに表示される文字列ってそんなに重要かなあ。ステータスバーにURLを表示するのって押しても安全なリンクかどうかを確認するためだけのものだって思ってた。だからリンク先がja-two.iwiki.icuであることまで確認できればあとの文字列は単なる符号じゃないの?適当とか不適当とかじゃなく、識別できればそれでOKな気が。
(代言人さんへ)男前な発言、ありがとうございます。全てのリンクを直すための方法と見込まれる作業量、必要と思われる期間を後学のために教えていただけないでしょうか?っさんもそれを聞かれれば安心なさるかも知れませんし。 dakusui 2006年9月22日 (金) 16:27 (UTC)
今現在、項目明仁のリンク元は500件未満。全てを一人で手作業やっても2~3日でおわるはず。以前各宮妃のリンク元を修正した時もそれくらいで全部終った。(噂によるとbotで自動化できるらしい)--代言人【右】 2006年9月22日 (金) 17:06 (UTC)
(やや芝居がかって)仮に陛下が万歳を全うされ給わなかった場合、それがいつのことになるか口にするのは不敬ではありますが、平成の御世は既に十八年をけみしております。っさんの指摘される「不適正なリンク」が存在する状態は3日。一方正しい状態にある期間は18 * 365日の期間を上回ることだけは確かです。わずか三日間、マウスをリンクの上に置いたときにだけ表示されるステータスバーの内容を正しく保つことが、残る(どんなに少なくとも)六千五百七十日間においてより望ましい項目名を選ばない理由になるのでしょうか?なに?三日は長い?じゃあ僕も手分けしてやりましょう。多分1日半ですみます。
(って)こういうんじゃダメですかね。っさん。dakusui 2006年9月22日 (金) 17:34 (UTC)

Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないって、そう言う意味じゃないと思うんですけれどね....。うまく説明できなかった私が悪いのですけれど、「現状と合わなくなったら修正すればいい」からと言って、将来必ず不適切な表現となることがわかっている表現を使っていいという論理にはならないと思うのです。-- 2006年9月23日 (土) 04:11 (UTC)

確かに、一理はあるでしょう。ただ、じゃあ明仁のままならどうでしょうか。どの道、将来変更になるのではないでしょうか?「現在の元号」天皇として。じゃあ、天皇(在位期間)にすれば解決?いえいえ、普通そのような書き方もされない。どの道、変えるという前提は免れません。--Suifu 2006年9月23日 (土) 15:17 (UTC)

それから、ずっと上の議論ですが、天皇=役職としている議論があるのがおかしくてがおかしくて。皆さん、それぞれの専門分野をお持ちでしょうが、天皇と大統領・首相を同列にしているあたりがきわめて不自然な論理だと思います。天皇は位であり称号です。称号は役職と違って、すべてではないにせよ、人名に溶け込む要素が強い。およそ、役職と称号の関係は水と油です。職は私物化できませんが、称号は個人に帰すものでもある。おおよそ、君主号がタイトルになってはいけないのなら、そもそも歴代天皇の項目を諡号とすること自体なりたたなくなります。チンギス・ハーンとてすべて称号です。つまり人名を基調とするwikiの項目名において称号がタイトルになりえるだけの正当性を担保し得ることを意味すると思います。

古代と現代を一緒にするなという論法は、そこで出で来る可能性はあるけど、じゃあ作家がペンネームを、力士がしこ名をもって項目名とすることを考えれば、何も陛下だけ雁字搦めにしなければならない理由は何一つないんですよね。そもそも、今上天皇とてひとつの事典とはいえ事例があることも重い事実だと思いますよ。--Suifu 2006年9月23日 (土) 15:45 (UTC)

「明仁」が呼び方として正しかったとして、その項目名が退位したことによって不適切な呼び方になるわけではありません。より適切な呼び方がひとつ生じるだけです。しかし、退位したことによって不適切な呼び方になるような呼び方があるのなら、それは項目名として適切でないと私が思うだけです。
今上天皇の項目名の特殊性は、それが地位であるからとかないからにあるわけでなく、名前が呼ばれない人物の項目名をどうしたらいいか、ということにあるわけで、(その点でヤハウェの項目名と共通点があります。)その代わりの呼び方が役職であるか、称号であるかということで、これまで議論されてきたわけではないと思うのですが、ちがいますか?-- 2006年9月23日 (土) 23:45 (UTC)
Suifuさんの話とっさんの話を横から見てると、っさんがいうところの「不適切な表現」の認識が共有できていないと思います。っさんがいうところの「不適切な表現」の定義とかそういうものをおっしゃっていただくのは今後有益と思います。dakusui 2006年9月24日 (日) 09:01 (UTC)

いえ、役職か称号かという言い方は私がはじめてしたものです。少なくとも上の議論では天皇は役職名だからダメという意見があったから私が、役職と称号を混同してはならないということをここで言ったわけです。ちょっと議論の蒸し返しになったために混乱したと思いますが、少なくともっさんが参加される以前から議論のある問題なわけで、トータルしたすべての意見を見ると、天皇号をタイトルとすることへの反対意見は「敬意を含む」「役職名を人名にするわけにはいかない」というのが主だったと思います。--Suifu 2006年9月24日 (日) 07:10 (UTC)

:ごめんなさい、失礼しました。ところで、いったん全部過去ログ化したいのですが、よろしいでしょうか>to all-- 2006年9月24日 (日) 07:58 (UTC)

過去ログ化について異論はないです。過去ログ化したあとでいいですが、現在継続中の議論をどうするべきか方針のようなものをいただきたく。dakusui 2006年9月24日 (日) 09:01 (UTC)