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ノート:赤松貞明

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5月29日の戦闘に関する記述についてですが、赤松中尉の搭乗機が「雷電」となっていますがソースは何でしょうか?日本側の記録では、この日戦闘に参加した3機の三〇二空所属の雷電の搭乗員の中に赤松中尉の名前はありません。同時に出撃した8機の零戦のうちの、無事に帰還した3機の中の1機に搭乗していたと考えるのが妥当ではないでしょうか。大日本絵画から出版されている「日本海軍航空隊のエース」でも、機種は「零戦」となっています。--121.84.196.254 2007年12月24日 (月) 03:00 (UTC)[返信]

そのとおり零戦だ、とおもわれます。5月29日、零戦隊の分隊長は頭部重傷で飛行場近くに戻って力尽きて墜死した傍示大尉。「5月29日の戦闘が雷電だ」の記述は、渡辺洋二の『本土防空戦』にまぎらわしい記述があって、読まれて誤解されたのかもしれません。書かれ方が、1945年4月7日の話のあと、日時抜きでこの話をいれて、直後に4月26日~6月26日の間のP-51の戦果の話。渡辺洋二『局地戦闘機 雷電』にも記述があって、赤松貞明中尉と河井繁次飛曹長の雷電2機編隊が小田原上空の下方を飛ぶ2機編隊のP-51をみつけ、赤松中尉得意の摺り鉢編隊戦法で撃墜。こちらには1945年6月23日?とかっこ書きで、出典・信頼度は不明です。この2冊の本は元ネタの戦闘した搭乗員自らの生の回想録・証言集や戦史資料集ではなく、著者が組み立てた筋に各情報を肉付けしたノンフィクション小説だから。 ところでこの摺り鉢戦法、ケンダリー202空、ラバウル204空、本土343空で戦った若いエース、小高登貫が回想録『あゝ青春零戦隊』で説明してます。小高自身が343空で若い士官搭乗員と単機空戦試合したときに完勝した戦法で、日中戦争時代の赤松少尉の得意技と。では~(^。^;)--Shun Zero 2008年10月16日 (木) 16:35 (UTC)[返信]

南郷茂章の記述の分割提案

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この項目全体の分量が多いことと、南郷茂章の記述が一項目として独立しても十分な内容と思いますので、分割を提案します。--曾禰越後守 2009年4月12日 (日) 13:50 (UTC)[返信]

どうぞお願いします。参考文献は次のとおりですので、その場合には一緒によろしくお願いします。「南郷茂章」いろんな人が書いてますが直接その場にいて戦闘機にも搭乗されていた横山保、赤松貞明、の両方の記述は、虚飾のない書き方の文章で、資料本読んでいて個人的には納得できるように、思いました。
  • 赤松, 貞明 『日本撃墜王 (今日の話題 TODAY'S TOPIX)』 今日の話題社、東京, 日本、1954年11月。
  • 横山, 保 『あゝ零戦一代』 光人社 NF 文庫、東京, 日本、1978年。ISBN 4-7698-2040-2
  • 零戦搭乗員会 『海軍戦闘機隊史』 原書房、東京, 日本、1987年。ISBN 4-562-01842-9
  • 柴田, 武雄 「必墜"旋転戦法"事始め」『雑誌 丸, 3月特大号, 零戦時代』 潮書房、東京, 日本、1981年3月。
  • 伊沢, 保穂・秦, 郁彦 『日本海軍戦闘機隊』 酣燈社、東京, 日本、1971年。
  • NHK 「真珠湾への道(山本五十六)-前編」、『そのとき歴史が動いた』
赤松貞明という戦闘機搭乗員が家庭や子供を大切にしている純粋な人だったんだなと思ってたところはこちらにのこしておいてほしいなとは、おもいます。--Shun Zero 2009年4月26日 (日) 03:25 (UTC)[返信]

/* 三〇二空 */ 要出典個所の明記につきまして

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  • 「対戦相手のアメリカ陸軍航空隊パイロットはだれか」出典明記しました。確認・第三者検証、編集など、よろしくお願い申し上げます。
また、「酒に酔って・・・」や「内臓疾患で・・・」の個所は事実ならば、「赤松貞明」の記事最初の時期に概要段落にこれを記載された方からの出典記載を期待いたします。その後に第三者が全体の段落を組み直しされた際に、検証されない内容をこの段落に移動混入編集されたもの、でしょうか。ミリタリー・エンタメ本には類似内容が逸話として見かけますが出所不明で、信頼できる戦後当時の同僚後輩証言者や記録にはこの内容は拝見しません。事情説明や反論できない故人の記事では業績を顕彰する様でありたいもの。200機以上を「撃破」した(=日本海軍航空隊のルーツである英国海軍航空隊式の考え方で、弾を浴びせて損傷させた空中戦に攻撃参加した)と述べたというのは読みました。
赤松さんの、自分より撃墜数の多い小泉藤一さんへの短い回想記録も整理削除されましたが、分割し新記事にされ業績を顕彰なさる予定でしたら充実した立派な故人への顕彰記事となる記載を期待します。よろしくお願い申し上げます。--Shun Zero会話2015年7月23日 (木) 03:57 (UTC)[返信]

撃墜100機座談会

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一部の搭乗員だけ、フルネームで、出身期と出身地が記載されてますが、出典(日本撃墜王?)がそうなんでしょうか。 日本海軍航空隊と海軍戦闘機隊史である程度まで判別できますが。 操練も30期台半ば、乙飛は4期までしか参加出来てませんので (「修羅の翼」によると乙5期が7月ではまだ内地で錬成中とのこと)--61.86.107.90 2015年8月8日 (土) 09:55 (UTC)[返信]