コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:谷原秋桜子

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

2015年8月7日 (金) 13:45‎の更新について

[編集]

標題時刻の更新(Gtorew氏による)は、従来までの本ページの編集方針と大幅に路線を異にするものであると考えます。こうした路線変更を、一過的におこなわれた作業のまま継承すべきか疑問に思いましたので、下記に疑問点をまとめ、皆様のご意見を請いたく存じます。

まず当該編集作業では「あらすじや登場人物は作品ページに入れるべきでは」として大幅に記事を削去しています。確かに作品数の増えた現在ならば、著者のページから独立した作品のページを作ってもよいとは思いますが、では当該編集作業者はその作品ページを作成したのでしょうか(探した限り見付かりませんでした)。これでは「作品ページに入れるべきでは」とあたかも意見を述べた様で、実際は「~べき」との自己判断をおこない、しかし「判断」に反し記事として瑕疵のない部分を引き継ぐことなく消去し、これまでに文章を作成した方への敬意を払っていないかの様です。このまま記事内容が消失するに任せるのでしょうか。

著者紹介に関して、当該編集作業では大幅に註釈=「出典」のリンクが付与されましたが、大半がインターネット書店のものであり(出版社のものは少数)、情報源としては二次的なものに過ぎず、かつ絶版した書籍のものを含み、リンク先として不安定と思われます。作家の一般的な諸情報に関してこうしたリンクを付けたものを管見の限り知らず、もしどうしても出典が必要だというならば、一次情報たる各書の著者紹介を挙げるべきと考えます。

当該編集作業者は「出典」に並ならぬ拘りがある様に見受けられます(但しインターネット上で確認出来る範囲に留まる)。「出典なき文章を削除」したとの由ですが、これにより本ページはインターネット上に二次引用された著者紹介及び単なる作品の羅列となりました。確かに行き過ぎれば「独自研究」となりますが、Wikipediaの記事である必要性、言うなればWikipediaの「百科事典」としての「オリジナリティ」をも喪っています。本ページにおける当該部分の記述は、新規ページ作成より約8年の間、記事の主要部分を為し、その間衆目に曝されることで、一定程度の蓋然性を支持されたものと考えます。何より当該部分の記述、即ち2000年代初期の富士見ミステリー文庫を含むライトノベルを取り巻く状況――ミステリ進出・挫折、それらが小説家たちに及ぼした影響――は、各レーベル・同時期の小説家の記事や谷原秋桜子氏著作に加えられた解説などからも裏付けられ、谷原氏の作品への評価は、刊行当時の書評(刊行物・インターネットサイト)に照らしても問題ないと思われます。

以上より、下記二点を提唱致します。

  • 「美波の事件簿」シリーズの新規記事を作成する。
  • 著者紹介文などを、過去(当該編集作業より以前)のものを参考に再構成する。

本提案の掲載より2ヶ月程度を目安とし、それまでに異論なき場合には上記作業をおこないたく存じます。--Oryzanin会話2016年2月27日 (土) 15:00 (UTC)[返信]

コメント - ご批判を受けて当該編集を戻しました。ただ、出典が全く(あるいはほとんど)ないような記事はいかがなものかと思います(Wikipedia:出典を明記する)。過去にwikipediaで編集をしてきた経験からも、情報に出典を求められることが多かったために、私もそうした編集をしているだけです。しかし、登場人物などの部分の編集については、軽率と思われても仕方がなかったと思い、戻すこととしました。上記2点の提唱に異議はありません。この記事がより良いものになることを願います。--Gtorew会話2016年2月29日 (月) 00:10 (UTC)[返信]
ご返答・ご処理、ありがとうございます。諸事情でしばらく間が空いてしまっている内に(失礼を致しました)、状況が大きく変わってしまいました。元々、著者プロフィールに関しましては、何かの雑誌の特集記事などで特に語られたりしたものではなく、作品に著者紹介として簡単に記載された内容ですので、その他の作家と同様、逐一出典を表示する必要はないかと考えました。しかしここにきて、このプロフィール自体が架空と明かされましたので(2016年4月)、内容の正確さを云々する意味は失われしまったと思います。一方で「デビュー作」の富士見ミステリー文庫(=若年層向けの「ライトノベル」)において語られた「家業の洋菓子店」などの記述は、今となっては「谷原秋桜子というキャラクター」を説明するものとして、むしろ詳細に書き留めておく必要が出来たのかも知れません。
次いで、作品に関する評価です。近年の著者紹介では「大胆で精緻なトリックと、清新な作風で注目される」と表現されます。作品評価を述べたものは、記名・無記名とも数多くあり、何れも一定程度共通した見解を述べていたことから、多く一般に支持された評価として看做しておりました。ただ記名記事を挙げるとなると、私が今のところ容易に参照出来たのは、著者作品の巻末解説の類です(故に、作品を悪し様に言う性質のものではないのでしょうが)。本記事(或いは脚註)にその文章を一々引用するのも冗長になりますから、さしあたり「解説」執筆者の名前を挙げるに留めてあります。こうした評価は、私個人もミステリ雑誌でも見掛けた記憶があるのですが、具体的な誌名・号数などを思い出せません。そうした雑誌記事などを以て補強出来れば何よりなのですが、現状、出典を明示せよという指摘に回答するならば、今のところ「解説」を挙げる他にありません。自分でも探してみますが、作品について言及する記名記事をご存じの方がいらっしゃいましたら、補足してくだされば幸いです。--Oryzanin会話2016年4月16日 (土) 07:52 (UTC)[返信]
なお参考までに、作品に関する評価(記名記事)の例を提出しておきます。
本記事における作品評価は「古典を踏まえた本格ミステリ」(ライトノベルがミステリに進出した時期だが、本格的な作品は少なかった)「続刊は絶望的だった」(富士見ミステリー文庫の路線変更)が主たる構成要素であると考えますので、それらを中心に引用致します。
  • 鷹城宏(『天使が開けた密室』解説)
「玉石混淆の趣があった斯界(引用者註:「ちょっとしたミステリ文庫創刊ラッシュとなった」ラノベ界)のミステリ作品群の中にあって、本格ミステリの書法をしっかり押さえて書いている点に、作者のセンスの良さを感じた」(p.339)
「ラノベ界のミステリと一口に言っても、サスペンスはもちろんSF・ホラーをも含むきわめて広義のミステリ作品がその範疇には含まれていた。また、名探偵や怪盗、密室作品という本格ミステリ的な道具立てを使いながらも、それらが単なるガジェットとしての利用にとどまっている作品も散見された。」(pp.339-340)
「〈富士ミス〉も…(中略)…「L・O・V・E!」を標語に掲げ、レーベル全体のミステリ度を薄める方向に舵をとっている。」(p.340)
「……『龍の館の密室』が刊行された後、ストップしたままとなっていた。このたび、創元推理文庫からシリーズ再開の機会を得ることができたのは、まことに喜ばしい。」(p.343)
  • 柴田よしき「きらきら輝く青春ミステリ」(『砂の城の殺人』巻末)
「どちらかと言えば、ジュニア小説、ヤングアダルト小説に、ちょっとミステリーっぽい要素を入れてみました、といった作品がラインナップを占めていた中で、刊行当初から、本格推理小説としての出来栄えの見事さで話題になっていた。が、評価は高かったものの、やはりシリーズ文庫の読者層にはそれぞれの特色があるようで、そうした読者層とのずれが作者本人にもしんどかったのか、二作目の『龍の館の秘密』が出たあと、実質的な休筆状態になっていた。」(p.408)
「旧二作が再刊、しかもそれぞれ短編作品まで併録されておめでたい、と思っていたら、なんと、遂に新作の登場!」(p.408)
※なお氏は初期の富士見ミステリー文庫で作品を出しており、「LOVE寄せ」前後の実体験も述懐している。
「作品の存在は前々から知っていた。しかしこのレーベルから出る作品に期待を持てなくなっていたので、結局そのときには読まないで済ませてしまった。だが心ある本格ミステリ読者の中には玉石混淆の中から谷原さんの作品を見つけ出し、評価したひとたちもいた。そんな評判はインターネットを通じて広まっていく。しかし如何せん、評価が上がった頃には作品が入手困難な状態で、谷原さん地震の作家活動も続いているのか分からない状況だった。」(pp.339-340)
「このまま埋もれてほしくないと思った。谷原さんはこれからも作品を書くべきだ。書く場所を与えられるべきだ。そんな僕の思いは、僕ひとりのものではなかった。…(中略)…創元推理文庫から再刊されることになった。それだけでなく新作長編『砂の城の殺人』も書き下ろしで出版された。谷原秋桜子は、ここに完全復活した。」(p.340)
「ライトノベルの中にあっては特筆すべきミステリ純度の高さゆえに、かえって続刊が途切れてしまう形となった」(p.327)
何れも「『玉石混淆』のライトノベル系ミステリの中で本格的だった」ことに言及しています。ネット上での個人評価の幾つかを通覧してみても、概ね、共通の評価であると思われます。
また、富士見ミステリー文庫の作品状況についても、当初は本格ミステリを目指したが、「LOVE寄せ」以降は「“探偵”も“殺人”も“密室”も、それっぽい雰囲気を醸すための道具立てでしかなく」(太田忠司による解説、p.339)など、ある程度の見解の一致をみていると思われます(この件に関しては、ライトノベルの歴史などを扱った研究・言及も参考になろうかと思います)。谷原作品の続編が出ない原因を、この「LOVE寄せ」(方針転換)に求め、「ミステリとしての完成度が高かったために残念である(≒新作が刊行されて喜ばしい)」という各執筆者の思いも読み取れると考えます。これら記名記事と同様、ネット上の匿名記事からもこうした思いを汲めるため(また私個人としても共感出来るものでもあるため)、本記事の内容を積極的に擁護するものであります。
なお、少なくとも方針転換後の富士見ミステリー文庫から続編が出ないであろうことは、他の初期の本格ミステリ作品と同様に予測出来、沈黙期間が長く「実質的な休筆状態」(柴田よしき、p.408)であったために、程度はともあれ「続刊は絶望視」(続刊が出ないと危惧)されていたことも、「作者本人にもしんどかったのか」(柴田よしき、p.408)、「このまま埋もれる」(太田忠司、p.340)などの表現から推せるのではないかと思います。--Oryzanin会話2016年4月16日 (土) 08:06 (UTC)[返信]


多忙につき当初の予定から大分経ってしまいましたが、「美波の事件簿」シリーズの新規項目を立て、関連する内容をそちらに分離独立させました。同時に、谷原秋桜子の「正体」が明らかになったことに合わせ、富士見ミステリー文庫(=ライトノベル)に対して本格ミステリ作家がどう在ろうとしたかなどの分析に資することを期待し、これまでに「作られて」きた「谷原秋桜子というキャラクター」についての内容を追加しました。--Oryzanin会話2016年7月21日 (木) 08:17 (UTC)[返信]