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ノート:西武モハ101形電車

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改名提案

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この車両の項目を作成されたMaximusM4さんには頭が下がります(私も作成したいと思ったこともありますが、資料不足から着手までは至りませんでした)。

しかしながら、現状カッコなしの西武モハ101形電車は項目が存在しないため、本項についていずれかの対処を行いたいと考えます。

  1. 西武モハ101形電車へ改名。
    101系へは現状どおり{{Otheruses}}で誘導
  2. 西武モハ101形電車 (初代)へ改名。
    西武モハ101形電車は本項目と101系との曖昧さ回避として別途作成。
  3. 西武101系電車 (初代)へ改名。
    101系については改名せずに現状どおり本項目へ{{Otheruses}}誘導、もしくは西武101系電車 (2代)へ改名の上「西武101系電車」を曖昧さ回避化。

私としては過去の西武の大改番以降の車両項目の事例(101系登場前の100・200番台車両は個別形式単位で作成)に基づき、1.案での対処を軸に考えております。ご意見がございましたらお願い申し上げます。--七之輔/e56-129 2009年5月16日 (土) 09:16 (UTC) 敬称付け忘れ付記 --七之輔/e56-129 2009年5月16日 (土) 09:17 (UTC)[返信]

(コメント)お褒めのコメントをいただきまして誠に恐縮です。
さておき、本題に関しましては1.案がベストなのでしょうが、七之輔さんから本コメントをいただいたことに気付く前に、曖昧さ回避ページとして西武モハ101形電車を作成してしまったため、上記選択肢の中であれば2.案(もしくは項目名を現状のままとする)を推させていただきます。もっとも、前記曖昧さ回避ページへ本項を移行させる形で統合することが可能であれば1.案が最良の選択肢だと思います。なお、以前Template‐ノート:西武鉄道の車両で申し上げた通り、系列という括りで扱われることのなかった形式に対して「系」という呼称を用いることには抵抗を覚えるため、3.案については個人的には避けたいと考えております。
正直に申しますと、本項の項目名をどうするか迷った末、東武鉄道における例(「スペーシア」用東武100系電車と日光軌道線用東武100形電車 (軌道))を鑑みて(多摩湖線)としたものでありまして、項目名に関して個人的な拘りがあるわけではありません。その辺は各種整合性を鑑みて調整いただければと思います。--MaximusM4 2009年5月16日 (土) 10:00 (UTC)[返信]
コメント 1.案が最良ということであれば、現状西武モハ101形電車はMaximusM4さんの投稿履歴しかないため初版投稿者依頼による即時削除が可能ですから、削除後に本項目を「西武モハ101形電車」へ改名すればよいのではないでしょうか。--Yasu 2009年5月17日 (日) 03:38 (UTC)[返信]
コメント特に異論は出ていないようですので、1.案を採用ということで宜しいでしょうか。後ほど西武モハ101形電車記事へ即時削除テンプレートを貼付しておきます。--MaximusM4 2009年5月23日 (土) 16:48 (UTC)[返信]

チェック 改名を実施しました。--MaximusM4 2009年5月26日 (火) 10:58 (UTC)[返信]

日本油脂ク102について

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東大高交通児童公園に静態保存されていた日本油脂ク102ですが、老朽化のため、(同じ場所に置かれていた同社デキ2とともに)2012年12月に解体されたそうです。

ところで、この車両は、記事中にある静態保存の写真を見ても分かるとおり、軽量気動車用のような菱枠台車を履いていましたが、この台車はどこから出たものでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら加筆をお願い致します。--Mts7665会話2013年7月24日 (水) 00:51 (UTC)[返信]

返信 (Mts7665さん宛) ク102、やはり解体処分されてしまいましたか。本項掲載の画像が撮影された2009年時点で相当状態が悪化していることが見て取れたため、先行きを懸念してはいたのですが・・・残念です。なおもモ101が残存していることを喜ばねばならないのでしょうが、扉や窓が住宅用建材に置き換えられてしまった現状のモ101にはいまいち魅力を感じないのです(苦笑)
閑話休題。おたずねの菱枠台車ですが、鉄道ピクトリアル2002年4月臨増号p.85にて、同形状の台車をクハ1112 II(←クハ1113 I ←モハ103 I)が1960年9月当時に装着していたことが確認できます。同車は同年11月の車体延長改造と同時、あるいは改造後に台車をブリル27Eタイプのものへ振り替えられており、クハ1112(2代)から捻出された台車がクハ1113(2代)→日本油脂ク102へ転用された可能性が考えられます。しかしながら、モハ101形・クハ1111形の装着した台車の振り替えなどに関する確実な情報源は存在せず、これらは当時の雑誌掲載画像などから推測したに過ぎません。従ってこれらを本文へ記述することはできかねること、平にご容赦ください。なお、この小型菱枠台車は武蔵野鉄道および(旧)西武鉄道といった前身事業者へ在籍した車両を含め、同台車を装着したと推測される該当車両が存在しません。恐らく戦中から戦後にかけての混乱期に、どさくさ紛れで台車のみを入手したジャンク品であったと思われます。
以上、取るに足らない情報で恐縮ですが、参考となれば幸いです。--MaximusM4会話2013年7月24日 (水) 13:35 (UTC)[返信]

山形交通ハフ3について

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本題に入る前に、クハ1113(2代)についてです。 昭和32年に撮影された、当時のクハ1112つまり後のクハ1113(2代)(←こんがらがりそうなのでここで定義しますが以降基本的にモハ102→クハ1112→クハ1113(2代)を「クハ1113(2代)」、「モハ103→クハ1113→クハ1112(2代)を「クハ1112(2代)」と書きます。「1114(3代)」等も同様。)の写真を見ると、同車は裾が1111、1112(2代)(←一応言っておくけど元1113初代の方ね)とは違いたしかに直線になっているのですが、前面裾含め裾が全体的にやはり微妙に長く、そのためか連結器が車体に埋め込まれている他、側面昇降ステップが4個である点、ベンチレーターが3個である点、前照灯配線が前面右にある点などが初代1114/1115のグループ(←ここで言う初代1114/1115のグループとは当初よりクハとして新製の2両のことです。つまり後のモハ104(3代)、クハ1114(3代)。)等と異なっており(←初代1114/1115は裾が通常の高さで連結器も車体裾から下に出ており、ベンチレーター4個、側面昇降ステップ5個、前面の前照灯配線なし。)、これらの特徴からクハ1113(2代)がほかの車両とは各部の仕様が異なることが分かります。 そしてこのクハ1113(2代)はのちに車体延長され600v末期まで活躍したのち日本油脂ク102となった・・・とのことです。 ところがどっこい。先述の、昭和32年のクハ1113(2代)の特徴がこのク102にはなく、かわりに先述初代1114/1115の特徴を持っています。すなわち裾の長さは通常で連結器は前面裾とツライチで、なんといっても側面昇降ステップが5個、ベンチレーターは5個(←ベンチレーターがもともと3つだった1111、1112は1個増えて4個なので1つ多くもともと4個だったことになる)、前照灯配線なしということです。これらは車体延長前後のクハ1113の写真を見ても同様で、これらを考えると、昭和32年のクハ1113と、昭和35年以降のクハ1113つまり日本油脂ク102は、別物であるだろうと思うのです。 ここで、細かいところは後述するとして私の仮説から言わせてください。 私の仮説では、本当のクハ1113(2代)は1958年に3回目の車体新製をしたのち山形交通ハフ3となっていると踏んでいます。つまりこのwiki等では、山交ハフ3はクハ1114(3代)つまり元クハ1115とのことですが、これは間違っているんです。 そして私の仮説ではそれとは別に、クハ1114(3代)つまり元クハ1115が後にクハ1113(3代)になって、これこそが日本油脂ク102になる方、つまり車体延長前後のクハ1113の姿である。これが真実だと、私は考えます。 要するにこのwiki等の「クハ1115→クハ1114(3代)→山交ハフ3」「モハ102→クハ1112→クハ1113(2代)→日本油脂ク102」という話は間違っていて、「クハ1115→クハ1114(3代)→クハ1113(3代)→日本油脂ク102」「モハ102→クハ1112→クハ1113(2代)→車体新製→山交ハフ3」というのが真実だ、と私は思うのです。 ※文字数が足りないので続きは返信参照。 (うまい結論は出せませんでしたが。)--61.45.56.240 2024年7月28日 (日) 17:17 (UTC)[返信]

続き。
まず、山形交通ハフ3について、クハ1114(3代)の譲渡車ではなくこれこそがクハ1113(2代)だ、という仮説についてですが、これは裏付けとして、以前入手した「鉄道ピクトリアル109 1960年8月号」掲載記事の「私鉄車両めぐり(39) 西武鉄道 完」p.39に、「昭33.10、クハ1113の車体を所沢工場で新製し、山形交通へ売却ハフ3とする。」「クハ1114は欠番を埋めるためにクハ1113に改番」という記述があります(←これは101形現役時代の記事であり他の後発の物より信憑性があるのでは?)。
確かに当時の山交ハフ3の当時の写真を見ると、各部の仕様は「裾は通常の高さでベンチレーターは4個、前面の前照灯配線なし、側面昇降ステップの数は5個」であり、1114(3代)と一見同じに見えるのですが、よく見てみると色々と異なっており、クハ1113(2代)はもちろん、クハ1114(3代)両車とも、各部手すりの位置や長さや数、側面昇降ステップの位置(←同じ5個タイプですが数センチ位置が違うように見えます)、ベンチレーター形状などが異なっているほか、この山交ハフ3のみ、クハ1114(3代)はもちろん他のすべての西武モハ101形及びその譲渡車と異なり、何故か乗務員扉上にドアヘッダーがついていて、乗務員扉まわりの細かい造形も微妙に違うように思えるし、雨樋形状も違います。つまるところこのハフ3は、旧西武モハ101の中で唯一の客車である点などを含めても、各部の仕様が大きく他の仲間たちと異なっていて、これらの点が山交ハフ3がクハ1113(2代)の車体新製である説を裏付けるのではないでしょうか?
最後に、台車の件について少し調べたので少し書きます。
別にこの話は自分の仮説を裏付けるわけでもなく、ほかのノートでも言及されているものの確実な結論が出されていない通りまとまらない話になるのですが、少し書かせていただきます。
まず先述山交ハフ3の台車なのですが、実は日本油脂ク102と同じような菱枠台車を履いていたことを確認しています。また、昭和32年に撮影された写真を見ると当時のクハ1115(後のクハ1114(3代))についても同様の菱枠台車を履いているのが鮮明に映っており、ほかにも上記ピクトリアル記事のp.39には、「昭和33.8、1112・1113が台車交換」との記述を確認しています。また前から話に出ているとおり車体延長された昭和35年以降のクハ1113つまり解体された日本油脂ク102も同じく菱枠台車を履いているほか車体延長前のクハ1112も同様です。また反対に昭和32年のクハ1113(2代)つまり当時のクハ1112や末期のクハ1112についてはブリル76Eもしくは27Eタイプのものを履いているのを確認しました。
しかし、ほかのノートでも言及があった通り、モハ101形の台車の振り替えに関する確実な情報源は存在せず、せめてもう少し当時の写真があればよいのですが・・・真相は分かりません。
最後に一応結論を出させていただきます。
資料が少ないとはいえ鉄道ピクトリアルやRMライブラリーなど各種雑誌やインターネット、ブログ、個人サイトなど、モハ101形についての情報や写真、当時の資料はある程度あると思うのですが、これといって全てが正しいわけではなく本によって辻褄が合わなかったり、所々間違いがあったりでたらめが書いてあったりするので、もう実車がいない今となってはなにが本当でなにが嘘かなど判別するのは大変難しくなっていると私は考えます。
ここで述べた内容も、あくまで私の仮説であり、出来る限りソースや当時の写真、いろんな書籍や資料を分析した結果ではありますがまったく突拍子もない勘違いが含まれる可能性も可能性も十分ありますし、写真に関してもヤフオクで落札したフィルムの写真やインターネットの画像などを見て考察した部分も大きく、個人の感想に過ぎないということを最後に書かせていただきます。
結論として、山交ハフ3の車体云々やクハ1115が日本油脂ク102云々や台車云々の話はどれも真実は今や闇の中ということで私のノートは終わりたいと思います。
解決すればそれが一番いいのですが・・・。--61.45.56.240 2024年7月28日 (日) 17:27 (UTC)[返信]