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ノート:藤村操

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宮武外骨に藤村操の「巖頭之感」の強烈なパロディがありますが、そろそろ著作権が切れる頃なので載せたいところですね。--Charon 2005年6月2日 (木) 12:17 (UTC)[返信]

嬋々たるかな阿嬢、娟々たるかな松子。堕落の学生をもってこの女をはからんとす。ホレターの色学ついになんらのオイヨロシイーを得たるものぞ。野郎の懸想はただ一言にして悉す。いわく「不及恋」、われこの恨みを懐いて煩悶ついに死を決するに至る。すでに巖頭に立つにさきだって胸中衡気の外あるなし。はじめて知るなる法螺は大いなる売名に一致するを   

※嬋娟(せんけん)たる⇒容姿の美しいさま。 ※外骨は菊池松子説をほのめかしているらしい。 『日本の百年』第3巻p341再引用

 --忠太会話2018年7月10日 (火) 14:46 (UTC)[返信]

なぜ藤村がこれほど持ち上げられるのか?

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以前、

一学生に過ぎなかった藤村の自殺がこれほど世間の耳目を受けたのかについては、一一高生である藤村をことさら秀才と持ち上げ神格化することで、自分たちの所属する集団の価値を高めようとした当時のエリートの思惑が働いているという解釈もある。

を記しましたが、補完する資料が見当たらなかったので、ボツになったようですが、今はこの記述に拘泥するつもりはありません。ただ本事件は戦前の旧制高校の学生たちの自分たちの集団を特別視する特権意識が色濃く表れている事例だと思います。いずれ補完資料が見つかりましたならば加筆いたします。--お館さま 2010年6月16日 (水) 22:57 (UTC)

「エリートの思惑」や「特権意識」を持ち出す必要はないのでは? --忠太 2011年1月7日 (金) 14:38 (UTC)[返信]

漱石

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「藤村の自殺が漱石のうつ病の一因」という説が記されてますが、どんなものでしょうか。藤村の自殺直後、(36年7月)「神経衰弱が昂じ妻子と別居」ということはあったようですが。 --忠太 2011年1月7日 (金) 14:38 (UTC)    撤回。 --忠太会話2018年3月21日 (水) 06:49 (UTC)[返信]

藤山一郎

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藤山一郎 - 藤村操に因んで芸名を付けた。」とありましたが、藤山一郎の項を見ると関係なかったため、削除しました。 --忠太会話2013年10月31日 (木) 14:03 (UTC)[返信]

藤村の行動は不可能なのではないか?

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平地だけでなく山地の標高も考慮しますと、藤村は 78km の道のりを、休まず迷わず、22時間(時速 3 km)で移動したことになります。(横浜から大宮までの直線距離以上です。)

さらに、明治の旧道には、毒をもつ蛇や多種多様な虫が生息しています。(私は日光市に住んでいた事があり、その恐ろしさを、身をもって経験しています。)それらの苦難を乗り越えても、滝壺の真上に立つ為には、水源(中禅寺湖)を反時計回りに一周(25.5km)歩かねばなりません。

現在(2017年)の登山者は、トレッキング・ウェアーとシューズ、3M Ultrathon、GPS、スマートフォンに加え、明智平へ登る為のピッケルやザイルなどの先進的な器具を装備しています。

藤村が「制服制帽」だけで登頂した…という記述は、間違いなく誤りです。 もし。反論をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非とも再現実験を行ってください。 もちろん、「滝壺に飛び込め」などとは言いませんが、景勝地に「自殺の名所」という汚名を冠するのは、やめてください。--sakimotoruri会話2017年11月25日 (土) 21:16 (UTC)[返信]

(節の位置がおかしかったので修正しました)独自研究の開陳はおやめ下さい。--霧星小根会話2017年11月29日 (水) 13:54 (UTC)[返信]

ホレーショの哲学について

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藤村がハムレットを原文で読んだのかどうか定かでありませんが…。当時「名言集」みたいなお手軽な本が出ており、これがネタ本ではないか、という説を読んだことがあります。ネタ本についてもちらっと見た記憶があるのですが、メモも取っておらず不明となってしまいました。ご存知の方、ご教示をお願いいたします。  --忠太会話2018年7月10日 (火) 13:56 (UTC)[返信]

もう1点、本文に「当時は精度の高い翻訳書は高価であった」とありますが、そのような訳書が存在したのでありましょうか…? --忠太会話2018年7月10日 (火) 15:06 (UTC)[返信]
(自己レス)ネタ本について記述しているブログがありました。礫川全次氏のブログ(2014.12.8)[1]です。
黒岩涙香の『天人論』(藤村が投身する直前の刊行:奥付は5月14日付)のP28に名言の引用で「ホレーショよ、天地には汝が哲学にて夢想し得ざる所の者あり 砂翁のハムレツト」[2]とあります。 --忠太会話2019年1月29日 (火) 14:16 (UTC)[返信]
  • 「ホレーショの哲学」について、(1)藤村がハムレットを原文で読み、誤訳した。(2)誤訳(涙香?)の受け売り。(3)ホラティウスのこと。の3つの説があることになる。
いずれの説も推測の推測でしかない。漠然とした根拠をもとに藤村の読解力を批判する小田島雄志や柴田耕太郎の記述は、珍妙でありおかしいと思う。 --忠太会話2019年2月17日 (日) 14:29 (UTC)[返信]
メモ
  • 藤村はハムレットを原文で読んでいたとのこと。(土方、p36) ※どの程度理解できたかはともかく、読んでいると手紙に書いている。
  • 徳冨蘆花『想出の記』[3]に「ホラシオ、天地のことは卿(ルビ:おんみ)<あなたの意味>が理学に説き尽されぬ事もあるものぞ」とある。(土方、p164)
  • 小田島雄志によれば(略)「その誤訳をした最初の日本人は、おそらく、藤村操である」という
⇒蘆花や涙香(前掲)の方が先行している訳だから誤りである。
  • 藤村の学力については、基本的なレベルにおける英文読解力が欠如していた
⇒出典とされる柴田耕太郎『英文翻訳テクニック』には、そのような記述はない。(藤村への言及はp53-54)
  • 逸身喜一郎(略)「未来に思い悩まされることなく、一日一日を楽しめ」というホラティウスの快楽主義を批判していることになる。
逸身はそのようなことは書いていない。ボラティウスの『書簡詩』に「ニル・アドミラルイ」(無関心)という語があり、鴎外『舞姫』にもこの語が出てくる。『ハムレット』のホレーショと、どこかで聞いたホラティウスを混同したのでは、というのが逸身の説(「ホレーショの哲学」『文学』1992.冬号)。

--忠太会話) 2019年2月18日 (月) 14:02 (UTC) 本文を直しました。 --忠太会話2019年2月19日 (火) 12:58 (UTC)[返信]