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ノート:藤原元命

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藤原元命が解任後に吉田祭での上卿弁代役をつとめたこと、またその子が受領になったは記録にあるようですが、本人が「他国の受領を歴任」と言うのは無かったように思います。 それとも私が知らないだけでしょうか。何方かその出典を教えて頂ければ幸いです。—以上の署名の無いコメントは、Ktmchi会話履歴)さんが 2007年10月2日(火)12:52(UTC) に投稿したものです。

該当記述をおこなったのは私ですね[1] 。このとき、参照した書籍を調べてみましたが典拠たり得る記載はありませんでした。おそらく何らかのサイトを根拠に書いたのだろうと思いますが、研究者によるサイトでなかったことは確かであり、信頼できる情報源によるものでありませんので、恥ずかしながら該当記述を消しておきます。ご指摘どうもありがとうございました。--shimoxx 2007年10月2日 (火) 14:57 (UTC)[返信]

修整有り難う御座いました。この藤原元命のページは私のサイトでもリンクさせて頂きました。この人についてはここ見てと。横着者なので。m(_ _)m ---Ktmchi

元命の罷免の「花山新制対摂関家」という構造設定は元々無理があるので一旦コメントアウトしました。そもそも、安和の変後は摂関家内部の権力闘争の時代にあり、花山新制自体も最初から外戚である摂関家の伊尹流を中心とした摂関政治のもとにおける一路線であって花山新制を推進する摂関家の一派(義懐)対反対する摂関家の一派(兼家)という構図は成立しても花山新制が摂関家そのものと対立する構図を採られている方は元々いらっしゃらないと思われるのですが……少なくても説明不足の記述であると思われます。--水野白楓 2008年5月23日 (金) 16:12 (UTC)[返信]

保立道久先生は「花山新制」を何か特別なものと評価し過ぎじゃないのかという問題意識からの記述でしたが、その前段部分をトーンダウンさせて頂いていますので、現状では確かにご指摘の部分は不要かもしれません。コメントアウトから削除に切り替えて頂いても異存は御座いません。--Ktmchi 2008年5月23日 (金) 17:14 (UTC)[返信]