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ノート:美 (複写版)

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美の項目収拾の提案

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はじめまして、以前の「美」の項目で、哲学に偏っているので、もっと一般的な記事にするため、編集加筆等を行っていました、Maris stella です(現在は、「美 (哲学)」という項目に変えられてしまった為、一旦、暫定的に、過去の状態に revert させて戴いております)。

さて、現在、「」と「美 (哲学)」という二つの項目があるのですが、この両者について、収拾の提案を行わせて戴きたく思います。目下、「美」は、削除依頼(削除依頼)に出させて戴いておりますが(提起したのは、わたしです)、「存続」「削除」と明確な意見が出ておりません。これは、最初 GFDL 違反であると思い、削除依頼に出したものですが、どうも違うようにも、思えてきました。しかし、「存続」「削除」と明確な意見が出ていませんでので、わたしも判断に迷っております(「存続」意見が多数の場合は、直ちに「取り消し」を出させて戴くに吝かではありません)。
そこで、具体的な提案ですが、とりあえず以下の二つを考えます。
  • 1) 現在の「美」の項目は、自主的に削除依頼を出して、削除とする。その場合、現在の最新版の内容は、削除の前に、出典を要約に記して、現在の「美 (哲学)」の項目にコピーする。この作業のあと、あいた「美」の位置に、現在の「美 (哲学)」の項目を移動させて、以降は、編集上で、色々な人の意見に基づき、編集を進めて行く。
  • 2) 上の1)の方法では、すでに複数の編集も行われている、現在の「美」の項目の履歴が保存されません。そこで、「美」と現在の「美 (哲学)」のページを、統合する。そして「美」の新しいページに復活的に造る。その後は、上と同様に、編集を行って行く。
  • 追記) なお、「ノート」についても、コピーするか、または統合するか等、判断する。そして、「美 (哲学)」という項目もあった方がよいということであれば、元の「美」つまり、現在の「美 (哲学)」の過去の版で、Aphaia 氏の編集になると思われる最終版を、あいた場所の「美 (哲学)」に項目を造り、ここにコピーして、このような項目を新規作成する(Aphaia 氏の記述は、明らかに「哲学における美」です)。

以上の提案をさせて戴きます。宜しく御検討をお願い致します。Maris stella 2005年6月24日 (金) 13:56 (UTC)


現状では、GFDL違反でもなく、著作権も関係ないために削除依頼でどうにかなるわけではなく削除依頼ではMaris stella氏一人がGFDL違反と勘違いして削除だなんだと騒いでいただけ。そんなわけなんで、新規に他の誰かが介入しない限り、現状ではMaris stella氏一人が収まれば全て収まるのではないかと思う。もちろんaphaia氏やmiya氏のようなのが戻って再びコメント依頼合戦を始めたりしない限り。

それでだ、Maris stella氏がどういった理由でどうしたいのか?が問題なのだが、自分で加筆した部分の内、美 (哲学)にそぐわないと思う部分をこちらのに移動すりゃいいだけやんと思うのだが。移動だの統合だの削除だのMaris stella氏が主張する理由がわからん。

現在のの内容は本来にあった内容で、これをaphaia氏が白紙化し、現在の美 (哲学)の内容に変えてしまったところから問題が始まっている。そこでおきた胃の痛くなるような騒動を一度リセットするためにもいまの形の美 (哲学)という分け方は悪くないと思うし、実際、Wikipedia:削除依頼/美においてもそのように提案されている。 そこに、どういうわけかそういった事を全く無視してMaris stella氏が編集をはじめて話をさらにややこしくしていると思うのだが、Maris stella氏はいったいどういった目的で話をややこしくしようとしているのか?--219.101.47.241 2005年6月29日 (水) 08:19 (UTC)

わたしは端的に、「美」という項目の編集を行い、記述を試みていただけで、そのことが何か問題があると言われるのでしょうか? 「美」の項目で、「美 (哲学)」ではありません。項目の名は「美」であったからです。まず。Aphaia 氏が記していた、冒頭の「哲学における美」というものを外したはずです。ここで、何をしているか、方針が明確ではありませんか? その後、一般的な「美」の説明に進んでいます。
哲学においても「美」は問題となって来たというのも事実です。Aphaia 氏の記述は、実は、半分以上、迷惑でもあったのです。しかし、わたしは、先に執筆者がいる記事では、それを尊重して、よほどのことがない限り、いきなり全消去などはしません。よほどのこととは、明らかにスタブ状態で、それよりも内容豊かな記述を提供できる場合は、置き換えます。しかし、Aphaia 氏の記述も、率直に言いますと、おかしいと思う部分が多々あるとはいえ、それなりに構成されているので、これを何とか処理する必要があったので、記載を、哲学の美の項目についても及ぼして行っていました。そこで、おそらくそのまま続ければ、Aphaia 氏の記述部分は、半分以上、消えることになったでしょう。全体のバランスから言えば、半分でも重すぎるので、その段階で、「美 (哲学)」というような項目への分岐を考えた可能性が高いです。
Wikipedia では、「まず、執筆してください」というのが原則で、執筆できない項目は、しかるべく「保護」等がかけられています。保護等が、かかっていない項目は、参加者が、自分にできる範囲で記事を書くことになっています。「ノート」に、「削除」の文章と、「今後の方針」が記されていたのは知っていますが、その「方針」と別に矛盾しない記述を始めたはずです。つまり、まず「哲学における美」を外し、「基本定義説明」を入れ替えました。「哲学における美」を、一つの「節」に降格したのです。この編集方針は、明らかではありませんか?
では、具体的な提案を、もう一度しますが、現在「美 (哲学)」となっている項目は、過去履歴が蓄積された文書単位であり、「美」は、ここから開始すべきです。「美 (哲学)」という項目は、Aphaia 氏の記述の版をコピーして、別途作成すればよいと思います。(また、「美 (哲学)」という項目を造るのが筋だというのなら、何故、すぐに造らなかったのかという疑問を抱きます)。いずれにしても、あなたの御意向はよく分かりましたので、「美 (哲学)」は、Aphaia 氏の版で、新しく造ることを提案します。現在の「美」は、いずれにしても、消えて戴きます。「履歴の継承」ということから言えば、現在のこの「項目」の内容は、いまは、「美 (哲学)」になっている項目からコピーして来たものです。両方の履歴を残す最善の方法は、「美」という項目への両者の「統合」だと考えますが、どうでしょうか? 統合のあと、「美」の記事をどうするかは、その記述に関係する人の編集の方針ということになります。反論がない場合は、合意されたものと考えますが、宜しいでしょうか。Maris stella 2005年6月29日 (水) 11:24 (UTC)
  なお、Aphaia 氏や Miya 氏が過去に何をしたか、未来に何をするか、こういうことは、わたしの責任外のことです。わたしは、Wikipedia というオンライン百科事典の記事を書いている者で、何らかの政治活動や、派閥活動をしているのではありません。GFDLの大原則の一つは、使用フリー・改変フリーであるが、原執筆者の「寄与は尊重する」というものです。これが「履歴尊重」というか、履歴継承なき場合は、削除というような Wikipedia の基本方針の根源ではありませんか? わたしは、PPP氏の移動によって生まれた新しい「美」のページについて、その「履歴」の継承も尊重して、統合を提案しています。しかるに、あなたにあられては、Maris stella 一人が、勝手に騒いでいるという表現は、許容しがたいものです。わたしの投稿履歴は、実質的な記事の記載が大部分です。Maris stella の利用者ページを造ったとき、自己紹介として、「Wikipedia の利用者(コンテンツ起草者)です」と記し、いまもその記述のままです。わたしは、Wikipedia とは、「項目記事を執筆する」という点で、接点を持っています。その記事がどれだけ価値あるのかどうか、屑の類でないのかどうか、それはわたしには判断できません。しかし、そもそも「コンテンツ起草者」なしで、どうやって、百科事典が成立し得るのでしょう。あなたにあられましては、根本的に認識を変えて戴きたくお願い致します。Maris stella 2005年6月29日 (水) 11:24 (UTC)

なにやら、こちらが書いてもないことまで尾ひれをつけて被害妄想に陥っているような感があるね。許容しがたかろうがなんだろうが

  1. 削除依頼でGFDL違反と勘違いしていたのはMaris stella氏一人
  2. 騒いでいたのは、Maris stella氏一人

というのは事実だろう?事実ではないというのであれば、Maris stella氏以外に、勘違いし、騒いでいた人の名前をあげてみてくれ。

再掲するが

  • 削除依頼ではMaris stella氏一人がGFDL違反と勘違いして削除だなんだと騒いでいただけ。

こんな基本的なことすら理解できてなかった人が、Wikipediaの原則がどうのこうのってさ…笑っちゃうよね。 --219.101.47.241 2005年7月1日 (金) 07:30 (UTC)

井戸端より

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項目「美」の移動

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削除依頼」「6月19日」に出していますが、「美」の項目の内容全体を、「美 (哲学)」の項目に移動させ、跡地に、元の「美」の過去の版よりコピーして、新しい「美」の項目を造った人がいます。削除依頼に書いていますように、最初、「GFDL違反」だと思ったのですが、詳しく調べると、どうも違うようにも思えてきました(その経緯は、コメントに記しています)。削除依頼は、あくまで、削除相応と思えた事項を問い合わせるもので、この場合も、最初は、削除相応と判断したものです。削除に当たらないのであれば、「存続」との意見を記して戴ければ、はっきりとことが決まると思うのですが、(コメント)だけで、どういう判断か分かりません。また、そのこととは、別に、事前の話し合いも、合意形成への努力もなしに、いきなり「移動」というのは、おかしいのではないかという思いもあります。「ノート:ミュンヒェン」の項目の移動の可否議論では、「拙速」とか「禍根を残さないように話し合いで慎重に合意」とか主張されていた方もおられ、その点については、納得がいったのですが、では、この「美」の移動は、どうなるのか、ということが疑問です。ルールがないのであれば、整備する必要があるのではないでしょうか。(revert一日三回ルールとかあるようですし)。皆さんの意見をお聞かせ願いたく思います。(なお、「美 (哲学)」は、わたしの加筆した部分について、一旦、以前の状態に revert していますが、移動前は、次のような状態でした:美=2005年6月18日 (土) 22:42 の版。なお revert したのは、わたしは「哲学における美」について加筆していたのではないので、端的な「美」の項目外では、記述が不適切と思えたからです。それは上の版の記述を見られれば、お分かり戴けると思います。「哲学における美」を一つのサブ項目として扱うように書き直しています)。Maris stella 2005年6月23日 (木) 08:52 (UTC)

  • 「美の移動問題」については、私見では、たいへん重要な問題であると思惟するものです。しかし、一般論はともかく、目下の問題について、わたしの方より、「収拾提案」を述べさせて戴きました(ノート:美)。本来、「話し合い」「合意」等は、一方的に移動させた側が、提案するのがすじであるとの考えから、わたしの方からの提起は控えておりましたが、これでは問題が解決しません。提案内容は、十分に妥当なものと思惟しますし、それに対し、相手の方からの別提案も可能です。これによっても話し合いに応じて戴けない場合は、wikipedia の紛争解決の原則に反しているのは誰であるか明らかとなると思います。なお今回のわたしの対応について、各位の御意見をたまわれば幸いと存じます。Maris stella 2005年6月24日 (金) 14:09 (UTC)

  • 「美」の移動問題について、現在の「美」の「ノート」に提案を記させて戴いておりましたが、本日、投稿履歴でみても、「美」とどう関係しているのか不明なIPユーザーの方より、コメント(反論とも見えます)がありましたので、返答を記しました。GFDLについて、何故「履歴」が重要となるのか、根本的な原則について述べましたので、その文書をここに引用いたします。この見解が解釈としておかしいという方は、意見をどうか述べてくださいますよう。以下のような文書です:
では、具体的な提案を、もう一度しますが、現在「美 (哲学)」となっている項目は、過去履歴が蓄積された文書単位であり、「美」は、ここから開始すべきです。「美 (哲学)」という項目は、Aphaia 氏の記述の版をコピーして、別途作成すればよいと思います。(また、「美 (哲学)」という項目を造るのが筋だというのなら、何故、すぐに造らなかったのかという疑問を抱きます)。いずれにしても、あなたの御意向はよく分かりましたので、「美 (哲学)」は、Aphaia 氏の版で、新しく造ることを提案します。現在の「美」は、いずれにしても、消えて戴きます。「履歴の継承」ということから言えば、現在のこの「項目」の内容は、いまは、「美 (哲学)」になっている項目からコピーして来たものです。両方の履歴を残す最善の方法は、「美」という項目への両者の「統合」だと考えますが、どうでしょうか? 統合のあと、「美」の記事をどうするかは、その記述に関係する人の編集の方針ということになります。反論がない場合は、合意されたものと考えますが、宜しいでしょうか。Maris stella 2005年6月29日 (水) 11:24 (UTC)
  なお、Aphaia 氏や Miya 氏が過去に何をしたか、未来に何をするか、こういうことは、わたしの責任外のことです。わたしは、Wikipedia というオンライン百科事典の記事を書いている者で、何らかの政治活動や、派閥活動をしているのではありません。GFDLの大原則の一つは、使用フリー・改変フリーであるが、原執筆者の「寄与は尊重する」というものです。これが「履歴尊重」というか、履歴継承なき場合は、削除というような Wikipedia の基本方針の根源ではありませんか? わたしは、PPP氏の移動によって生まれた新しい「美」のページについて、その「履歴」の継承も尊重して、統合を提案しています。しかるに、あなたにあられては、Maris stella 一人が、勝手に騒いでいるという表現は、許容しがたいものです。わたしの投稿履歴は、実質的な記事の記載が大部分です。Maris stella の利用者ページを造ったとき、自己紹介として、「Wikipedia の利用者(コンテンツ起草者)です」と記し、いまもその記述のままです。わたしは、Wikipedia とは、「項目記事を執筆する」という点で、接点を持っています。その記事がどれだけ価値あるのかどうか、屑の類でないのかどうか、それはわたしには判断できません。しかし、そもそも「コンテンツ起草者」なしで、どうやって、百科事典が成立し得るのでしょう。あなたにあられましては、根本的に認識を変えて戴きたくお願い致します。Maris stella 2005年6月29日 (水) 11:24 (UTC)

(なお、わたしが「美」の項目に執筆したことを非難するような内容なので、ここで時間的な出来事の順序を記します。まず、「ノート」において、Ghaz 氏が、(削除済みノート)を記されたのが、 2005年5月17日 (火) 22:04 です。他方、わたしがこの項目を最初に編集したのは、IPアドレスになっていますが、 2005年6月16日 (木) 20:48 です。投稿した後、IPアドレスが出たので、ここでログインし直して、その少し後に、Maris stella の投稿があります。Ghaz 氏の記載とのあいだで、一ヶ月間、時間が開いています)。また、上記文書で、「現在の「美」は、いずれにしても、消えて戴きます」と書いているのは、「原則的」には、統合すれば、二つの項目の並立状態は消えるという意味です。統合した後、「一般の美」の項目から、「哲学の美」の内容文を分割して、「美 (哲学)」を造るというのが手順的にも妥当と思惟します。Maris stella 2005年6月29日 (水) 14:37 (UTC)


以上はWikipedia:井戸端から移動(ログ化)したものです。

コメント

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ここ最近は、Maris stella氏以外にこの項目の編集に携わってる人は誰もいないようですから、Maris stella氏が好きなように再統合でも何でもすればいいんじゃないですか? 万が一それに反発して編集合戦起こすような人が出てきたら、そうなってから合意形成なりすればいいわけで、何の議論も起こってないうちから独り相撲で杓子定規なルールを喚いても周りは白けるだけでしょう。Wikipedia教条主義じゃないんですから。Hermeneus (talk) 2005年7月6日 (水) 17:59 (UTC)