ノート:終末論
この記事は2011年6月3日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
2004年3月の投稿
[編集]世界の終りがまさに近づいたと主張するムーブメント。
ほぼ、パターン化しており、
- 終末が近づいた。
- 終末には救世主が現れる。
- 救済されたければ、悔い改めを急げ。
のような説法となる。
新興宗教の中には、好んで終末論を称えて信者を怯えさせ、意のままに扱い、金品等を教団に納めさせるような悪質のもののあるので注意しなければならない。
過去に何度か、大きな終末論の運動があったが、世界はもちろん終わってはいない。
終末論がキリスト教だけのものという主張には納得できません。アーレフも終末論を唱えていたし、仏教徒の中にも終末論を唱えている方もおられます。K.M. 12:00 2004年3月6日 (UTC)
2010-10-14T16:39:42 の 要出典範囲貼り付けについて
[編集]この記事には一切出典がなく、全体に出典が必要ですが、とくに疑問に思った二点に{{要出典範囲}}を貼り付けました:
- 「チャールズ・ダーウィンの進化論にも」キリスト教的な歴史観の影響の痕跡が認められるという記述 - たしかに、ある種の進化論の理解、受け止め方にはキリスト教的な歴史観の影響があるかもしれません。しかし、ダーウィンの理論に、その影響の痕跡があるかといえば、疑問に思われます。
- ここで説明されている歴史観が「一般に言われる、俗世間の」キリスト教のものであるという記述 - イエス自身の思想と何を対比しているのであれ、いずれにせよ宗教思想なのですから、「俗世間の」キリスト教といわれてもどう考えたら良いのか分かりません。言葉を濁さず、出典に基づき、例えば「いついつの何々はこう理解していたが…、イエスは本来…」といったような記述にするのが理想です。
--mizusumashi(みずすまし) 2010年10月14日 (木) 16:53 (UTC)
編集提案
[編集]キリスト教の項目の終わりに次の項目を追加したいと思います。
新約聖書にある終末信仰の確立
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P920 )(注、この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされている。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P495)テサロニケの信者は下記の予測についての終末信仰を始めた。
・パウロが生きているうちに主の来臨がおきる。・パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる ・パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。 ・パウロが生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。 ・パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる。
(注 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。テサロニケ人への第一の手紙第4章 15 )
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した。((出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P921)コリントの信者は再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めた。 (注、 コリント人への第一の手紙第15章 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。)
95年から96年ごろ著者は不明であるが、ヨハネの黙示録が著され、天にてキリストの支配がはじまったという終末観が表明される。((出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P939)
(注パウロの他界した年は65年ころとされるので、それから30年くらい経過した時点での新たな予測の表明が為された)小アジアの信者は天にてキリストの支配がはじまったという終末信仰を始めた。
--Tokinokawa(会話) 2020年4月14日 (火) 03:58 (UTC)
問題が無いようですので、本文に移行しました。--Tokinokawa(会話) 2020年6月1日 (月) 06:18 (UTC)
文献
[編集]宮本久雄さんが2002年刊行の『新カトリック大事典』の「終末」の項目であげている(参考)文献のうち日本語のものは次の通りです。
- G・ボルンカム『ナザレのイエス』善野碵之助訳、新教出版社、1961年。
- R・ブルトマン『イエス』川端純四郎、八木誠一共訳、未来社、1963年。ISBN 4624100042。
- G・ボルンカム『パウロ』佐竹明訳、新教出版社、1970年。(ISBN 4400130444)
- J・エレミアス『イエスの宣教』新約聖書神学 1、角田信三郎訳、新教出版社、1978年。
- 関根正雄『旧約聖書文学史』下、岩波書店、1980年、185-226頁。(ISBN 4000218964)
- G・フォン・ラート『旧約聖書神学』第2巻、荒井章三訳、日本基督教団出版局、1982年。(ISBN 4818450383)
- W・シュミットハルス『黙示文学入門』土岐健治他訳、教文館、1986年。ISBN 4764280264。
--Lmk2019(会話) 2020年6月28日 (日) 00:28 (UTC)
追記について
[編集]新約聖書の終末信仰の確立の項目の最後に、次の文を載せたいと思います。
キリスト教の終末観といった場合、ヨハネ黙示録を考証されることが多いが、新約聖書を歴史的な文書としてみる立場<『新約聖書』岩波書店 はしがき 新約聖書翻訳委員会>からは、この黙示録は文学作品として扱われることがある。岩波書店の『新約聖書』(2004年)においては、新しい神支配の経綸を象徴的に解釈開示するキリスト教的黙示文学作品であるとされている。『新約聖書』岩波書店P939(ヨハネの黙示録解説 小河陽)
ナザレのイエスが語った終末観
[編集]ナザレのイエスが直接に語った終末観とは、マルコ福音書13:32にある「かの日ないし〔かの〕時刻については、誰も知らない。天にいるみ使いたちも、子も知らない。父のみが知っている」、という記述であるとされている。<『新約聖書』岩波書店P495(1テサ5:1の注19 青野)>なお、マルコ福音書に出てくる終末については、エルサレム神殿崩壊を世の終わりの出来事と理解する筆者の見方や古い注によって編集されており<『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店P55、P57> 不明瞭な記述となっている。世の終わりについて、ナザレのイエスは天のみ使いさえも計り知ることのできないほどの深遠な事態であるとしているのに対して、パウロは、自分が生きているうちに主の来臨の時はやってくるとしていた。テサロニケ第一の手紙が書かれてから40年ほどしてからヨハネ福音書が書かれた。<詳細については、キリスト教#福音書等の成立年代と著者を参照。>ヨハネ福音書< 執筆年代は90年代、著者は無名の作者で、彼をよく理解した別の人物が今の形に成したとされる。『新約聖書』岩波書店P918 (ヨハネ福音書の解説 小林)>はイエスの終末観と共通の部分があると思われ、世の終わり・裁きの時という概念は明瞭になっていない。人々がイエスの啓示に対して下す判断が、その人の運命を決定するとされ、悪人を裁いて滅ぼすためではなく、救うために布教していることが記されている。<『新約聖書』岩波書店補注 用語解説P19 裁きの項目 新約聖書翻訳委員会>ヨハネ福音書では、裁きはもう来ているとされていて、この世の支配者はすでに裁かれたともされている。<『新約聖書』岩波書店補注 用語解説P19 裁きの項目 新約聖書翻訳委員会>--Tokinokawa(会話) 2020年12月6日 (日) 01:35 (UTC)本文に移行--Tokinokawa(会話) 2020年12月23日 (水) 00:26 (UTC)