ノート:笹沢用水
この記事は2015年12月19日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
著作権問題調査報告
[編集]「歴史」節の記述について、出典として示された日経新聞記事(縮刷版にて確認、書き起こしも参照)からのほぼ丸写しを確認しましたので、Wikipedia:削除依頼/篠澤用水を提出しました。「概要」節の出典として示された朝日新聞長野地方版記事(図書館にて確認、書き起こしも参照)については著作権侵害のおそれはないものの、本文の裏付けとしては不十分でしたので、{{出典無効}}を貼付しました。初版では個人ブログが出典とされていましたが[1]、出典無効の指摘を受け[2]、後の編集で朝日新聞記事が出典であると書き換えられたようです[3]。--Qurren(会話) 2015年12月19日 (土) 12:55 (UTC)
特筆性
[編集]篠澤用水は、江戸時代に造られた、長野県佐久地域を流れる用水路であるということです。ところがおかしなことに、角川・平凡社の地名辞典や、地元の地誌『北佐久郡志』・『佐久市志』には、篠澤用水に関する記述が一切見つからないのです。1933年の『地理学評論』に佐久地域の用水路に関する論文(御影用水#外部リンク参照)がありますが、こちらにも篠澤用水に関する記述はありませんでした。
初版は著作権問題で既に削除されておりますので、最古となる2015年12月19日 (土) 12:07 (UTC) の版を見てみますと、出典は「朝日新聞平成23年9月27日号12版記者乳井泰彦」とあります。書き起こしを読んでみますと、篠澤用水開発者の子孫で宿泊施設を営む人物に取材した内容をもとに記事を作っているようです。「用水に詳しい軽井沢町の郷土史家」なる人物は、篠澤用水の存在を肯定しているそうですが、果たして信憑性はどの程度あるのでしょうか。キリスト教がご専門のようですが。その郷土史家さんの個人HPを見ると、開発者の子孫の方と郷土史家さんは用水の歴史を研究するNPO法人の役員をされているようです。
関連項目の御影用水にも篠澤用水との関連について記載があります。こちらは角川や平凡社の地名辞典にも掲載されている有名な用水路です。御影用水では前出の朝日新聞記事のほか、ローカル新聞記事を出典としていますが、おそらく篠澤用水関係者の受け売りを記事にしているものと推測します(未確認)。また、「『佐久地方に流れる用水』甘木書房2010年4月20日42P」も出典とされていますが、そのタイトルの書籍は長野県内の図書館には1冊も蔵書がなく(横断検索)、「甘木書房」なる出版社の存在もインターネット検索では確認できませんでした。初版投稿者の利用者:Sakusakusaku1234(会話 / 投稿記録 / 記録)さんによる出典の明記にはかねてより不信感を覚えております(会話ページ、ノート:佐久地域参照)。
さて、「独立記事作成の目安」を満たすためには、信頼できる情報源からの有意な言及が必要であるとされております。現状、出典が篠澤用水関係者への取材を基にした新聞記事や、篠澤用水関係者が関わったウェブサイトの記述に頼りきっており、地名辞典や地誌などの信頼できる情報源から有意な言及があるとは言えず、独立記事作成の目安を満たしていないのではないでしょうか。削除依頼の提出も検討しております(Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事)。
誤解しないで頂きたいのですが、別に篠澤用水の存在が全くのウソだなどと言いたいのではありません(正直、疑わしいと思ってはいますが)。ただ、ウィキペディアの方針に照らし合わせてみたとき、一個の記事として成立すると言い切るにはまだ不十分ではないか、ということです。
今後も地域を広げて文献調査を進めたいと思いますが、見落としや思い違いなども十分考えられるため、コメント依頼にて多くの皆様から情報や見解などを広く募集したいと思います。--Qurren(会話) 2017年6月24日 (土) 12:51 (UTC)
- 論文検索 (Google論文検索 , j-stage) では、「篠澤用水」はヒットしない。蛭田浩一郎による1933,1934 年の論文中(doi:10.4157/grj.9.997 , doi:10.4157/grj.10.27)では、岩村田地区にある潅漑用水を「常木用水」と「岩村田用水」としており『篠澤〜』は出現しない。村上成一、栗田亘の共著論文(doi:10.11408/jjsidre1965.37.7_477)では「岩村田用水路」としている。従って、篠澤源佐衛門の子孫の宿泊施設経営の関係者が篠澤一族の功績を過大に宣伝するために作成した内容である可能性が高いと考えます。つまり、Wikipedia:ビコリム戦争と同質ではないでしょうか。当初から利用者:Sakusakusaku1234 さんおよびその別アカウントの編集内容は篠澤源佐衛門の子孫の宿泊施設経営の宣伝色の強い記述がされています。Wikipdeia 以外の場所に「篠澤用水」が氾濫しているので、嘘が本当と誤解されてしまう弊害が既に出現してしまっているのではないでしょうか。--小宮山広明(会話) 2017年6月26日 (月) 08:04 (UTC)
コメント うーーーーーーーん。特筆性のことはひとまず棚上げして、検証可能性を問題とすることはできるのではないでしょうか。既に『北佐久郡志』・『佐久市志』といったレベルのものまで検証なさって「非掲載」を確認され、『佐久地方に流れる用水』が県内にないことを確認し、「甘木書房」の実在も確認できないというところまで来ているのであれば、検証可能性を根拠として異議を述べて当該部を取り除く、あるいはノートに移すということをしてもよいと思います。そうやって検証可能性を欠く部分をとりのぞいって行ってもまだ残る部分を眺めたときに、単独記事に値する特筆性が見いだせるかどうかでしょうねえ。
- 既に市史レベルまで確認なさっているのであれば不必要な情報かとは思いますが、『長野県百科事典』『長野県の歴史』(山川)、『長野県の歴史散歩』あたりも眺めては見ましたが出ていませんねえ。きっと既に確認済みかもしれませんが、もしもアクセスが比較的容易なのでしたら『御代田町誌』(御代田村誌?)とかの流域の町村史もチェックしてみるとか。。。(私からは、この用水路がどこを流れているのかもわからないので、どの町村をチェックしたらいいのかもわからないのですが。)まあそうは言っても、手がかりもないものを手探りであたるというのもしんどいものです。少なくとも現時点で「検証可能性がうたがわしい」「責任は執筆者側に」の観点で、そこまで調べずともいったん除去し、相手方に適切な情報源を求めるというスタンスでもよかろうと思います。
- 異名(?)とされる岩村田用水、あるいは笹沢用水については、断片的な情報源はぽつぽつ見つかりますね。[4],[5]など。笹沢用水と呼ばれるものがあり、それを篠澤用水と呼ぶべきだと主張している方がいる、というところまでは(いちおう)検証可能であるようなので(高いレベルで信頼できる情報源かは度外視)、記事名を「笹沢用水」と改め、その中で「篠澤用水と呼ぶ説」について言及する、ぐらいのことは、あるいは可能かもしれないですね。
- ただし最初に「特筆性のことは棚上げ」していますように、そこまでやったとしても「笹沢用水」に単独記事に見合うだけの特筆性が見いだせるかどうか。
- 本筋ははずれますが、Qurrenさんは相当苦心なさってこうなっているのだろうと思いますが、「『北佐久郡志』(1915年)にも「篠澤用水」の記載はないが」というのは苦しいですよね。文献Aに「北佐久郡志にも篠澤用水のことが書いていない」という言及があるならともかく、そういうものを欠く状態で、『北佐久郡志』に出ていないからといって「出ていない」と書くのは、まあふつうはダメでしょう。(当座の苦しい措置というのは理解します。)--柒月例祭(会話) 2017年6月26日 (月) 17:14 (UTC)
- お忙しい中、調査にご協力下さりありがとうございます。
- 「篠澤用水の真偽」はひとまず置いときまして(篠澤用水に関する信頼できる情報源がなく、篠澤用水の存在を肯定も否定もできない、疑わしくともウソとは断言できない)、「(佐久水道企業団の)笹沢水源」に関してであれば、企業団の冊子や『御代田町誌』(地誌編では篠澤用水に関する記述確認できず、他巻も含め後日再調査)から単独記事として何とか成立できるのではないかと。
- 今後も御代田町や軽井沢町の地誌を読み進め、篠澤家から企業団に水源の権利が渡った経緯(そうした事実があれば、ですが)など判明次第、追記およびご報告・ご相談させて頂きますので、よろしくお願いします。本来ならば最初に記事を書いた方に尋ねるのが一番手っ取り早いのですけれども。
- それにしても、用水関係者のサイトやブログ等を読み進めますと、
- 等々、異説珍説が次から次へと出て来るので思わず圧倒されてしまいます。真に受けてしまう方も少なくないのではないでしょうか。--Qurren(会話) 2017年6月27日 (火) 12:19 (UTC)
地元資料数点確認してまいりましたので、ご報告します。
- 御代田村誌編纂委員会編纂『御代田村誌 全 歴史篇 現代篇』御代田村誌編纂委員会、1958年。
- 比較的詳しく記載されていたので、これをもとに加筆修正をいたしました。ただし、大半は水論に関する記述で、用水開削の年代や経緯に関する記述や「篠澤用水」の表記は見つかりませんでした。
- 御代田町誌編纂委員会編纂『御代田町誌 自然編』御代田町誌刊行会、1995年。
- 135ページ「御代田町の水系図(参考資料)」(地図中に川筋・用水筋を強調記載したもの)に「⑩笹沢・谷地沢用水」・「⑪岩村田用水」との記載が見えます。濁川の左岸(東側)を並行して流れていることが見て取れます。「篠澤用水」の表記は見つかりませんでした。
- 御代田町誌編纂委員会編纂『御代田町誌 史料編』御代田町誌刊行会、2002年。
- 222 - 251ページに土木・用水関係の古文書の書き起こしが掲載されています。242 - 244ページが岩村田用水に関連したものですが、「篠澤用水」の記載は見つかりませんでした。
- 御代田町誌編纂委員会編纂『御代田町誌 民俗編』御代田町誌刊行会、1996年。
- 86 - 92ページに用水関係の記述がありました。『御代田村誌』をもとにしているようで、「谷地沢用水」「笹沢谷地沢用水」の記載がありましたが、「篠澤用水」の記載は見つかりませんでした。
- 御代田町誌編纂委員会編纂『御代田町誌 図説編』御代田町誌刊行会、1992年。
- 『軽井沢町誌 自然編』軽井沢町誌刊行会、1987年。
- 『軽井沢町誌 歴史編(近・現代編)』軽井沢町誌刊行会、1988年。
- 『軽井沢町誌 民俗編』軽井沢町誌刊行会、1989年。
- 笹沢用水に関する記述は見つかりませんでした。
- 「北佐久の農業土木」編集委員会編『北佐久の農業土木』長野県北佐久地方事務所・長野県北佐久土地改良事業研究会、1975年。
- 17ページの用水路図に「笹沢谷地沢」が見えます。27 - 32ページは仙禄湖建設に関する記述ですが、「篠澤用水」の記載は見つかりませんでした。
- 佐久水道企業団編集『佐久の水 佐久水道企業団40年史』佐久水道企業団、1996年。
- 60ページに笹沢水源ほか各水源の水温・水質・取水量などのデータが記載されています。32 - 33ページにも「笹沢用水」の記載が見えます。143ページには1991年12月10日付けの「佐久水道新聞 第55号」縮刷版7面があり、「笹沢水源」との記載が見えますが、「篠澤用水」の記載は見つかりませんでした。
- 佐久水道企業団編集『佐久の水 佐久水道企業団50年史』佐久水道企業団、2006年。
- 48 - 50ページに「笹沢用水」の記載が見えますが、「篠澤用水」の記載は見つかりませんでした。
--Qurren(会話) 2017年7月1日 (土) 03:41 (UTC) 修正--Qurren(会話) 2017年8月1日 (火) 22:28 (UTC)
- コメント 佐久地域の図書館での調査を行って頂いたのでしょうか? その労力と費やされた時間に最大限の敬意を表すると共に感謝の言葉を贈ります。利用者:Sakusakusaku1234 さんは篠澤一族の名誉をねつ造するためにネット上に虚言をばらまいてするようですが、その全てをもっと前向きな活動に使っていたら.... もったいない。利用者:Qurren の今後の活動が、自身の興味に対し前向きな活動で消費され、更に充実する事を願います。--小宮山広明(会話) 2017年7月5日 (水) 03:09 (UTC)
皆様、ご協力ありがとうございました。笹沢用水の存在は『御代田村誌』『御代田町誌』といった信頼できる情報源で確認が取れましたので、それらを基に記事本文の方も修正いたしました。これにて本議論は一区切りとさせて頂き、次の段階#改名提案に移行したいと思います。--Qurren(会話) 2017年7月7日 (金) 12:24 (UTC)
改名提案
[編集]記事本文については『御代田村誌』『御代田町誌』等を基に書き換えましたので、記事名につきましても、そうしたWikipedia:信頼できる情報源に則った「笹沢用水」とするのが望ましいと考えます。--Qurren(会話) 2017年7月7日 (金) 12:24 (UTC)
- 一週間経ちましたが、異論ありませんでしたので改名しました。--Qurren(会話) 2017年7月15日 (土) 11:12 (UTC)
- しばらく留守にしていましたため事後となりましたが、改名に賛同する旨、表明しておきます。今回、Qurrenさんのおかげで記事は大幅に品質や信頼性が向上しました。丹念で真摯な調べ物に敬意を表します。おつかれさまでした。--柒月例祭(会話) 2017年8月1日 (火) 04:24 (UTC)