ノート:第二次世界大戦/過去ログ2
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分割について
関連項目が長いので分割したいので提案します。--Kuty 2007年1月7日 (日) 13:05 (UTC)
- どう分けるかを提案しないと先に進まないことが予想されます。提案者としてのあなたの意見を聞いてみたいです。--Kazutoko (会話|履歴|保管倉庫) 2007年1月7日 (日) 13:17 (UTC)
- 全般的にそのまま関連項目ごと分割したと思います。--Kuty 2007年1月7日 (日) 13:37 (UTC)
- (賛成)現在の第12節の「関連項目」だけをこの記事から分離するのに賛成です。逃がせる分は、逃がしてしまったほうがいいでしょう。ただ、これ以上の分割は反対です。第二次世界大戦関連映画を分割したような形で分割してください。あと、分割に関して、時間を区切ったほうがいいと思います。勝手ながら、Kutyさんが提案した2007/1/7 13:05(UTC)から丸一週間経った段階で大きな反対がなければ、実施してもいいかと思います。--Tantal 2007年1月7日 (日) 13:48 (UTC)
- あまり関係ないですがその第二次世界大戦関連映画、削除依頼が出されています。(提案がなかったみたいで)--Kuty 2007年1月7日 (日) 14:04 (UTC)
- (賛成)現在の第12節の「関連項目」だけをこの記事から分離するのに賛成です。逃がせる分は、逃がしてしまったほうがいいでしょう。ただ、これ以上の分割は反対です。第二次世界大戦関連映画を分割したような形で分割してください。あと、分割に関して、時間を区切ったほうがいいと思います。勝手ながら、Kutyさんが提案した2007/1/7 13:05(UTC)から丸一週間経った段階で大きな反対がなければ、実施してもいいかと思います。--Tantal 2007年1月7日 (日) 13:48 (UTC)
- 全般的にそのまま関連項目ごと分割したと思います。--Kuty 2007年1月7日 (日) 13:37 (UTC)
反対します。この項目が何故にこれだけの巨大項目になったのか、を大前提として考えていただきたい。はっきり言えば、この項目は、前後約100年近くに及ぶ地球世界の趨勢を決しているといってよいほどの大問題である、軽々に語り分割できるような問題ではない。WW1からWW2にいたるまでに何があったのか、そして、この戦争の結果、何があったのかは、分けて考えるような問題ではないのである。それを「分割できる」と論ずるならよろしい。しかしながら、それは読者の視点を分散せしめ、結果的にWW2の実像をゆがめることになるであろう。同一項目内に納められること、こそに意味があることを、理解されよ。もし、それが解らないのならば、貴君は・・・。0null0 2007年1月8日 (月) 09:27 (UTC)
条件付賛成(もしくは条件付反対?)です。現在性急に分割、編集作業がされているようですが、0null0さんやTantal さんの言われるように性急な大規模な分割、編集作業には反対です。あまりに書き込むべき内容が多いために、ある意味必然的に大きな記事となったのであると言う点をまず理解し、分割、編集作業はなるべく最小限に抑えないと、「大戦の全体を知ろうとすると、その結果様々な項目へ飛ばないといけない」というような、閲覧者に余計に負担をかけることになりかねません。
Ajtnk 2007年1月8日 (月) 18:44 (UTC)
- 反対。関連項目に人物記事を不記載にすれば要領は少なくなるので、問題なし。--経済準学士 2007年1月8日 (月) 10:25 (UTC)
- 関連項目全てをひとまとめに別記事にするのはナンセンス。第二次世界大戦の人物一覧に分割するのであれば良い。--猪山人 2007年1月8日 (月) 12:49 (UTC)
2007年1月14日 (日) 13:05 (UTC) までに反対が多ければ却下したいと思います。そして次のとき猪山人さんの意見「第二次世界大戦の人物の一覧」がいいと思ったのでを採用したいと思うのですがどうでしょうか。--Kuty 2007年1月9日 (火) 04:42 (UTC)
(追記)それか人物のところを不記載にしたいと思います。--Kuty 2007年1月13日 (土) 06:31 (UTC)
(追記)人物を挙げるときりがないので2007年1月14日(日)13:05 (UTC) に却下した後人物の部分を削除したいと思うのですがどうでしょうか。広く意見を求めます。--Kuty 2007年1月14日 (日) 07:08 (UTC)
- (コメント)一覧を見た限り、フィンランドのカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムやスイスのアンリ・ギザンが無い一方で、開戦時には病床にあり翌年には病死する(ちなみに日本の参戦はその翌年)西園寺公望があるなど、一覧の人選そのものにどういう基準があるのかさっぱり分からないのですが。水野白楓 2007年1月15日 (月) 10:29 (UTC)
分割は却下しました。--Kuty 2007年1月14日 (日) 13:05 (UTC)
- 本件に関しては、第二次世界大戦に関連する人物の一覧を分割ではなく新たに作成しました。未完成ですので加筆をお願いします。--猪山人 2007年1月17日 (水) 15:41 (UTC)
日本の「指導者」について
日本の「指導者」をどうしても昭和天皇にされたがっている方がいらっしゃるようですが、日本が参戦した当時の首相は東条英機だったはずです。もし「指導者」=「法的な元首」というのなら、なぜ同時にイタリアの「指導者」をイタリア国王にされないのですか?。
Ajtnk 2007年1月8日 (月) 18:52 (UTC)
私も東条英機で問題ないと思います。「じゃあ、小磯国昭はどうなんだ?」というツッコミがありそうですが、アトリーやトルーマンが記載されていない以上問題は無いと思います。--水野白楓 2007年1月13日 (土) 06:21 (UTC)
私も現状の東条英機でいいと考えます。それぞれの陣営で、主戦論を掲げて戦争を指揮した指導者が1名ずつ選ばれており、また、昭和天皇を指導者にしてしまうと第二次世界大戦の戦争責任の問題が絡んでくるので、定説通りに東条英機を指導者とするのが、政治的に中立で無難な選択だと思います。富樫仁(TOGASHI Jin) 2007年1月14日 (日) 19:13 (UTC)
日本の指導者が国家元首=昭和天皇となるのなら、イギリスの指導者はジョージ6世、ソ連の指導者はミハイル・カリーニンとなりますな。--猪山人 2007年1月15日 (月) 15:04 (UTC)
お知らせ
皆さん、脚注の編集をお願いします。なかなか編集されてないし、脚注はとても重要だといわれていますので。--Kuty 2007年1月10日 (水) 09:47 (UTC)
- 長すぎると脚注の節まで行くのが大変なような・・・。--Kazutoko (会話|履歴|保管倉庫) 2007年1月13日 (土) 06:23 (UTC)
大戦による・・・の節について
秀逸選考のところで指摘を受けましたので「大戦による・・・」の節を分割とは別に作成しました。--Kuty 2007年1月20日 (土) 07:24 (UTC)
- GFDL違反と合意なき分割により、該当項目には即時削除のテンプレートを付与しました。--Tantal 2007年1月20日 (土) 08:09 (UTC)
外部リンクについて
現状の、靖国神社やらヒロシマへリンクはあまりに局地的かと。広汎な記事名に対応する読者に役立つリンクが欲しいところです。--fromm 2007年4月24日 (火) 10:26 (UTC)
査読依頼に対して
3 原因 の「昭和金融恐慌以後の苦境から「満州」を生命線とみなし」――「満州」ではなく「満蒙」のほうがふさわしいかと思います。当時一般的に使われていたスローガンは「満蒙は日本の生命線」であると思います。--Mimboo 2007年4月27日 (金) 13:25 (UTC)
4.3 アジア 日本 の「その後日中戦争が激化した結果、日本政府は1940年に東京で国際博覧会と同時に開催される予定だった夏季オリンピック、東京オリンピックの開催権を1938年7月15日の閣議決定により返上するなど、国民総動員で臨戦体制を固めてゆく。」――「国民総動員で臨戦体制を固めてゆく」例としてはオリンピック辞退よりも国家総動員法のほうがふさわしいかと思います。--Mimboo 2007年4月27日 (金) 13:25 (UTC)
5.4 1942年 の「自身が想像していなかったほどの勝利により戦線が伸びきったことや」――「自身」とは誰のことを指しているのでしょうか?本文中からは読み取れません。--Mimboo 2007年4月27日 (金) 13:25 (UTC)
6.1 1941年 ――南京陥落などの記述がありますが、1937年(4年前)の出来事であり、「4 両大戦間の国際情勢」へ記述を移動するべきであると思います。--Mimboo 2007年4月27日 (金) 13:25 (UTC)
ソ連のドイツに対する対応に関する記述が矛盾しています。 4.3 アジア ──「ドイツの対ソ侵攻計画を予見してこれに対抗するため日本に急接近していたソビエト連邦に対し」 5.3 1941年 ──「独裁者であるヨシフ・スターリン率いるソビエト連邦はこの攻撃をまったく予想せず」--Mimboo 2007年4月27日 (金) 13:25 (UTC)
査読依頼に対して その2
別の観点からコメントいたします。
- 原因(日本に関して)
原因の項目にある「満州事変の成功とその後の好景気によって、政党政治よりも軍部の方が頼りになるという世論が支配的となり、その後の相次ぐ政治家の暗殺、軍部の暴走、さらにそれを抑制できない政治権力の弱さによって政治そのものが軍事化していった。」(2007年5月3日 (木) 16:37UTC版より抜粋)とありますが、
- その後の好景気に関して・・・高橋是清による経済政策についてを言及すべきです。
政党政治よりも軍部の方が頼りになるという世論が支配的になり・・・何がしかの文献(当時の新聞の一次資料でも、それを元に書いた歴史の概説書でも結構です)を当たってみてください。その後の相次ぐ政治家の~政治権力の弱さによって・・・五・一五事件、二・二六事件は最低でも言及しておくべきでしょう。
- 加筆有難うございます。--Wushi 2007年5月11日 (金) 14:57 (UTC)
- 両大戦間の国際情勢_日本に関して
- 大戦の経過(アジア・太平洋)
- (自己レス)加筆しました。--Wushi 2007年5月11日 (金) 15:18 (UTC)
;新たに登場した兵器・戦術
- 加筆有難うございます。--Wushi 2007年5月11日 (金) 14:57 (UTC)
- 評価
- 三光作戦(「これは日本語として不自然な漢語由来の名称であるから作戦自体が中華民国及び中国共産党のプロパガンダであるとする主張もある。」2007年5月3日 (木) 16:37UTC版 脚注56より抜粋)について中国語の「光」には「 きれいさっぱり無くなる 」という意味があります(逆に日本語にそのような意味はありません)ので、プロパガンダの可能性は高いと思います。但し、「 ~とする主張もある。 」と書いている以上、何がしかの文献に依拠しているはずです。それを明記すべきだと思います。--Wushi 2007年5月4日 (金) 14:04 (UTC)
- Wushiさんのコメントとは別個に当該箇所の修正版を用意していました。コメントを拝見して大体着眼点は同じかと思うのですけれども、Wushiさんは高橋是清の積極財政に触れるべきとされていますね。これは思い至りませんでした。触れるとしたら脚注かなと思うのですが、それで構いませんか? 赤い飛行船 2007年5月5日 (土) 02:12 (UTC)
- 高橋是清蔵相の施策(軍事費・時局匡救費の増大といった財政政策、金輸出再禁止といった金融政策)はF.ルーズベルトのニューディール政策やヒトラーの経済政策(アウトバーンの建設など)との対比で文中に文言に入れておくべきと考えます。--Wushi 2007年5月5日 (土) 08:58 (UTC)
- (自己レス)ヒトラーの経済政策は加筆しました。--Wushi 2007年5月11日 (金) 14:57 (UTC)
- 高橋是清蔵相の施策(軍事費・時局匡救費の増大といった財政政策、金輸出再禁止といった金融政策)はF.ルーズベルトのニューディール政策やヒトラーの経済政策(アウトバーンの建設など)との対比で文中に文言に入れておくべきと考えます。--Wushi 2007年5月5日 (土) 08:58 (UTC)
- 「政党政治よりも軍部の方が頼りになるという世論が支配的になり」について、とりあえず注釈を入れましたが、『昭和天皇独白禄』ならびに木下道雄『側近日誌』に出展があるようです(私が確認したのは独白録のみ)。ただ、独白録自体が天皇の戦争責任を回避するために作成されたのではないか、という評価もあり中立性に疑問があります。--Mimboo 2007年5月9日 (水) 11:27 (UTC)
- 加筆有難うございます。--Wushi 2007年5月11日 (金) 14:57 (UTC)
- 継続調査(文芸春秋、読売新聞等)しているのですが、当時はまだマスコミも発達しておらず、今日で言う世論と呼べるようなものがあったのかどうか疑問に感じてきました。満州事変に対しても「戦争があったが日本が勝ったらしい」「軍人さんが遠くで頑張っている」という程度の認識でしかなかったようで、二・二六事件に至っては戒厳令によって言論統制が敷かれていた為、詳細には報じられていないようです。今の記事は拡大解釈が過ぎるかもしれません。
- 不景気が原因で浜口内閣の人気が無かったのは確認できましたが。--Mimboo 2007年5月18日 (金) 15:14 (UTC)
- Mimbooさん、調査有難うございます。調査内容や山川出版社や講談社などから出版されているを日本史の概説書等を参考にして大胆に編集していいと思います。--Wushi 2007年5月19日 (土) 02:46 (UTC)
- 加筆有難うございます。--Wushi 2007年5月11日 (金) 14:57 (UTC)
- 冷戦のはじまり (追加です)
- 追加して、賛否両論あると思いますが、戦後すぐにソ連が核兵器を保有、結果として冷戦期間中、米ソ間の核軍拡競争が行われ、その核抑止力によるパックス・ルッソ=アメリカーナがもたらされたことを言及すべきかと思います。--Wushi 2007年5月5日 (土) 22:07 (UTC)
「よい戦争」
評価の節に「よい戦争」という項目があります。これ違和感があります。削除しても構わないように思うのですが、編集合戦になるのも嫌なので予め相談させていただきます。赤い飛行船 2007年5月5日 (土) 02:29 (UTC)
- 英語版にも「よい戦争」についての言及は無いようです。削除してしまってよろしいかと。--Mimboo 2007年5月7日 (月) 10:48 (UTC)
- Mimbooさん、コメントありがとうございます。他に異論が出ないようでしたら今週末にコメントアウトして様子を見ることにします。赤い飛行船 2007年5月10日 (木) 11:59 (UTC)
第二次大戦の評価として「よい戦争」という見方があること。これの解説として、適切な節であると思います。 従い、削除には反対します。Atoms 2007年5月11日 (金) 10:28 (UTC)
- Atomsさんは反対ということですので、より良くするための編集をお願いします。赤い飛行船 2007年5月11日 (金) 14:33 (UTC)
ある意味日本でも「よい戦争」といえるのでは?よりよい形での編集を期待します。山二谷五上六 2007年5月11日 (金) 15:01 (UTC)
というか、「よい戦争」とはカッコ付で表現されることからも分かるように皮肉表現ですよ。著者のジャーナリスト自身が良い戦争と考えているわけではなく、米国の世論に漠然と「前大戦はよい戦争」だった」ととらえる風潮をルポルタージュしたものです。なにやら誤解している人が多いようなので、あえて書いておきます。Atoms 2007年6月3日 (日) 07:42 (UTC)
査読 タイに関して
タイが宣戦布告した相手は英国とアメリカです。従って、タイが戦争で負けた以上、敗戦国として処理するか否かは、この2国にかかっています。アメリカは、タイの2重外交の内の一方の言い分「日本に無理矢理参加させられた」うんぬんを受け入れ、敗戦国として処理しませんでした。ところが、イギリスはタイに一定の配慮を示しつつも、米によってタイに賠償をさせた上で平和条約を結んでいます。つまり、イギリスはある程度、タイを敗戦国と見なしたかも知れないのです。そのため、「タイは敗戦国ではない」とする様な文面は厳密には入れるべきではありません。また、第二次世界大戦におけるタイの「敗戦」はタイの政治を語る上では、軍事政権の最初の没落であり、文民政権の初の台頭という側面もあり、政治史上でもきわめてデリケートな部分ですので、そういう意味でも「タイは敗戦国ではない」云々の断定は避けた方がよいと思われます。--あなん 2007年5月5日 (土) 02:32 (UTC)
南米へのナチス高官逃亡等について
この版において除去がなされていますが、最初の段落における逃亡問題は下の方の南米の節と関係付けて復帰させるべきではないでしょうか。勿論、残りの部分で展開されているようなドイツによる賠償や謝罪についての評価めいた記述は、それなりの出典がないと単なる独自の説になってしまいそうなものなので削除されても仕方が無いものだとは思いますが。 あーーべ 2007年6月4日 (月) 19:39 (UTC)
特に反対も無いようなので一部を復帰させました。 あーーべ 2007年6月10日 (日) 14:47 (UTC)
「枢軸国」の欄について
表示を「独伊日」となっていましたのを、「独日伊」としました。
理由としては、日独間で防共協定を結んだのが36年11月、それに伊が加わったのが37年11月となっているからです。
加えて日華事変をWWⅡの範疇に入れるならば、39年9月の時点で枢軸国家の中で戦争をしていたのは日独のみであり、
また伊は43年連合軍シチリア上陸の結果連合に降伏したため、枢軸国として敗戦を迎えたわけではないためです。--村人A 2007年6月8日 (金) 10:45 (UTC)
付け加えて、枢軸国で(傀儡国とされている国を除いて)四番目に加入したハンガリーと摂政ホルティを欄に加えました。--村人A 2007年6月8日 (金) 10:47 (UTC)