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ノート:竹田恒泰/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

注意

本項目はinfo-jaに対して寄せられた削除依頼により、名誉毀損に当たる可能性のある記述が見られると判断し、削除対処を行いました。竹田氏は現在、雑誌「フラッシュ」を発行している光文社、あるいは雑誌「週刊新潮」を発行している新潮社に対し、名誉毀損の名目で訴訟を行うための準備中ということです。そのため同雑誌に掲載された内容が本項目、及び関連する項目に再掲された場合、「削除されたものの再投稿」と判断し、再度削除を行います。Tekune 2005年10月28日 (金) 12:37 (UTC)

“提訴予定”表明から一年近く経ちますが、その後の経過は?--124.155.16.55 2006年8月31日 (木) 02:16 (UTC)

加筆依頼の件

即時削除に値する分量しかありませんでしたので加筆しましたが、断片的な情報しか持ち合わせておらず、また皇位継承問題についてのみ記述する訳にも行かず、加筆依頼としました。具体的には

  • 環境問題などに関する活動について
  • 数々の公職について
  • 横浜市長選挙についてのエピソード

等です。宜しくお願いします。また、さしあたって『日本の評論家』というカテゴリにしましたが、あまり適切ではない気がするので良いカテゴリがありましたら移動をお願いします。--代言人 2006年2月4日 (土) 04:31 (UTC)

現在は『日本の評論家』になっていますが、山本七平賞を受賞されたようですし、評論家としての活動はしていないみたいですから、作家のカテゴリに移動したらよいのではないでしょうか??--葦原水穂国 2007年3月14日 (水) 13:15 (UTC)

中傷記事について

反論があるのなら、消さずに反論を書き込みなさい。編集合戦はやめましょう。Roter Stern Leipzig ’99 e.V. 2006年9月20日 (水) 14:31 (UTC)
除去されていたコメントを復帰しました。--Bellcricket 2006年12月21日 (木) 23:00 (UTC)
Wikipedia:存命人物の伝記を参照してください。少なくとも検証可能性を満たす出典を明記してください。--Calvero 2007年2月2日 (金) 15:03 (UTC)
本件の話題がノートに記されること自体が、名誉毀損に該当する可能性があるため、出典のあやふやな中傷に関する記事を削除しました。出典の明確でない中傷記事を削除する根拠はWikipedia:存命人物の伝記です。--葦原水穂国 2007年3月14日 (水) 13:18 (UTC)
FLASHが報じた事自体は事実です。ならば亀田興毅に対しても同等にする事を求めます。--121.1.236.70 2007年3月16日 (金) 03:26 (UTC)
何故他の記事を持ち出すのか正直意図が全く分からないのですが…私は未確認ですが、向こうはそうなっているから全ての記事の責任まで取れと言われても困るというか。ただの議論の摩り替えでしょう。ウィキペディアは事実を書く場所ではありません。重要なのは百科事典にふさわしいかです。その上この件に関して言えば、写真週刊誌の報道レベルでは話になりません。
後、貴方自身私にノートでの議論を呼びかけておきながら、一旦コメントアウトするでもなくちゃっかり差し戻しをするというのは言動不一致ではないのですか?--CHELSEA ROSE 2007年3月16日 (金) 03:53 (UTC)
“衡平に欠ける”と申し上げてるだけですが。ご理解頂けないんですか?--203.212.63.65 2007年3月16日 (金) 03:59 (UTC)
少なくとも、「申し上げてる」だけではないですね差し戻しした時点で。だから発言に対して行動が伴っていないと指摘しているのですが。それが仰りたいだけなら貴方自身が記事を戻す必要はないでしょう。上でも言ったように、他の記事の話をして一体私に何をさせたいのか…理解に苦しみます。他所が直されていないからここを編集してはいけないなんて決まりはありません。それなら亀田だけでなく週刊誌報道の記述がある全てを直さなくてはいけなくなります。貴方に私にそれを強制させる権限もありません。後IPが違うようですが、121.1.236.70氏ですか?CHELSEA ROSE 2007年3月16日 (金) 04:17 (UTC)
ウィキペディアは少なくとも「2ちゃんねるの」類とは異なります。もし、写真週刊誌の報道が各項目に盛り込まれるのなら、著しくウィキペディアの価値を損ねることになります。私にとっては「平衡にかける」かどうかは関係のないことですから、「平衡」の議論の顛末に関係なく、写真週刊誌が個人を中傷した記事を掲載すべきではないことを改めて求めます。再度の保護を検討する必要がありそうです。--葦原水穂国 2007年3月16日 (金) 04:12 (UTC)

写真週刊誌の報道でも検証可能性は満たすでしょう。その点から言えば、号数などもきちんと提示して出典を明確にすれば記載可能と考えられます。ただし、百科事典の記事として載せるべきかどうかは別の問題です。記載を主張される方は、この報道が記事に載せるに値する理由を説明べきです。

また、いずれにせよ別の項目とのバランスを持ち出すのは(ほとんど)意味がありません。亀田興毅を直すべきというなら、ノート:亀田興毅で論ずるべきところです。あちらで認められているから良いではないか、という主張はあり得ないわけではありませんが、それは「平衡」の問題ではありません。 -- NiKe 2007年3月18日 (日) 03:44 (UTC)

検証可能性に関わらず百科事典の人物記事として相応しくない。週刊誌記事そのものが中傷的な情報である婆も過去にはあり、信憑性はともかく出典の情報源として相応しくない。参照文献としては大よそ週刊誌等は含まないものだと考える。 中傷かそうでないかを越えて、週刊誌的記事は書かない方がよいに一票。--海衛士 2007年3月25日 (日) 02:10 (UTC)

私は参考文献としても写真週刊誌を認める立場にいるが、この書籍の記事が人物記事にどう影響するのか? 単なる興味本位の暴露や晒し者扱いにするだけでは、記述は不要でしょう。--経済準学士 2007年3月29日 (木) 17:23 (UTC)
同感。書くべき内容の記述とはとても思われない。--遠野能史 2007年4月22日 (日) 19:50 (UTC)

誹謗中傷議論の禁止

誹謗中傷記事の書き込みは犯罪です --以上の署名のないコメントは、222.12.148.226会話/Whois)さんが 2006年9月20日 (水) 16:14 (UTC) に投稿したものです(Calveroによる付記)。

本項目で展開されている編集合戦は、上記「名誉毀損に当たる可能性のある記述が見られると判断」された内容です。本件書込みは名誉毀損に当たる可能性があるため、保護依頼が提出されています。たとえノート記事であっても、かかる記述が為されれば、名誉毀損に当たる可能性があるので、根拠のない主張は削除されるべきだと判断し、該当部分を削除しました。 --新撰組 2006年9月20日 (水) 16:30 (UTC)

保護依頼の趣旨は権利保全ですから、逸脱する議論は控えるべきでしょう。 --222.12.148.226 2006年9月20日 (水) 16:35 (UTC)

特に問題を引き摺るような恐れはないと判断する。保護解除希望。--海衛士 2006年12月3日 (日) 04:36 (UTC)

あまり誹謗中傷の書込みが続くようなら、再度保護をした方がよいかもしれません。--葦原水穂国 2007年3月14日 (水) 13:13 (UTC)

「慶應義塾大学法学部講師」という肩書きについて

表題の件ですが,慶應義塾大学の教員一覧に名前がなく,また公開されているシラバスの中にも(法律学科政治学科)名前が見あたらないのですが,この講師という肩書きはどこから出てきたものなのでしょうか? --Zyugem 2011年2月12日 (土) 05:07 (UTC)

追記です。一般に大学教員の職制において「講師」は,「教授」や「助教」などと同様に正式な職位として存在し,大学の中における職階を表すものです。慶應義塾の場合「専任講師」という職位がありますが,だからといって大学とは関係ない専任でない人に「講師」を使っていいものではありません。大学に属しておらず,単に講義を行ったという意味での「講師」であるなら,「非常勤講師」と書かねばなりません。また,継続して講義を受け持っておらず,単発で受け持ったことがある経歴から非常勤講師とするのも,実体を表さず読者に誤解を招かせる表現です。大学と当人双方に迷惑をかけることになります。「慶應義塾大学に属する(専任)講師なのか」「非常勤なら,現在も継続して講義を持っているのか」この点,引き続き出典を探しております。必要ならば要出典タグを貼り付けることも考えます。--Zyugem 2011年2月14日 (月) 07:50 (UTC)

  • 全体として宣伝的なところ、くどいところが目立ったので整理しました。また「非常勤講師」と書かねばならない理由はありません。一般的に、学士号しか持っていない点から見て、非常勤講師であろうと思われます。仮に専任講師であれば、週5コマ程度に授業を持つはずです。

何度となく「非常勤」を外す編集がなされていますが,もし講師であるなら塾側のリストに名前がなければおかしい。自称,あるいは他称で講師とするのは,正式な慶應義塾の職制を無視した編集で,塾側,また当人にも迷惑のかかる不当なものです。また記事を読んだ第三者に間違った認識を与えます。ご注意ください。 --Zyugem 2011年7月19日 (火) 15:36 (UTC)

  • 下記の通り、慶應義塾はシラバスに「講師 竹田恒泰」と記載していて、当人の著書の略歴も「慶應義塾大学講師」となっていますから、慶應義塾と当人に迷惑が及ぶことはありません。しかも、大手新聞が軒並み「講師」と表記しているため、問題はないでしょう。それどころか、存命人物の伝記の方針に従えば、むしろ、当事者(慶應義塾と当人)が公表している職名に従うべきです。--研究会門下生 2011年7月20日 (水) 00:57 (UTC)

法学研究科のシラバスに記載があります。ちなみに、慶應のシラバスには「講師 竹田恒泰」と表記されています。--研究会門下生 2011年7月19日 (火) 17:20 (UTC)

朝日新聞、産経新聞は「慶應大学講師」乃至「慶大講師」を用いています。慶應のシラバスに記載があり、大手新聞が用いている以上、「慶應義塾大学講師」の表記に問題はないものと考えます。--研究会門下生 2011年7月19日 (火) 17:22 (UTC)

慶應義塾のシラバスをウェブを確認しました。あのシラバスの「講師」表記には常勤と非常勤の区別がありません。氏が慶應義塾の「講師」かどうか(教授や准教授などと同じく大学の教員職としての「講師」であり,かつ常勤であるか)の判断には使えません。またマスコミによる他称や自称で講師かどうかが分かるわけではありません。もし正式に慶應義塾の構成員としての講師(慶應義塾なら専任講師か?)であるならば,氏は教員一覧に載っているはずで,ここにないのであればあえて講師と書くべきではありません(講義一コマだけで講師と書く特筆性にも疑問符を付けていいと思う。例えば長島昭久平沢勝栄も講師として慶應義塾に呼ばれているがあえてそれを記事トップに書かれてはおらず,特に長島の場合は記事本文中に「非常勤講師」と厳密な表現で書かれており,前例となるのでは?)。「大言壮語」にも絡みますが,特に存命人物の記事は内容に正確性を確保し「抑制的な表現」を求めたいものです。もし常勤でないことを合意の上で,あえて非常勤を付ける必要がないのだ,というご意見であるなら,私は反対いたします。不正確で厳密でない表現を放置することは関係者に損害を与えます。自称や他称,「マスコミもそう書いてるし問題ないんじゃない?」という非厳密な根拠による記述は許されません。

この件,合意形成議論をするには参加者が少ないのでコメント依頼を出すことにします。 --Zyugem 2011年7月23日 (土) 01:33 (UTC)

コメント依頼から
シラバス・教員一覧を見ると専任講師ではないが、講師ということがわかりますね。しかしながら常勤か非常勤かの記載はない。専任講師ではない以上おそらく非常勤講師であると思われますが、それは確認できないので、記載するとなったら別途出典が必要になると考えます。Zyugemさんは上で「大学に属しておらず,単に講義を行ったという意味での「講師」であるなら,「非常勤講師」と書かねばなりません。また,継続して講義を受け持っておらず,単発で受け持ったことがある経歴から非常勤講師とするのも,実体を表さず読者に誤解を招かせる表現です。」と書かれていますが、これは完全に独自研究といわざるを得ません。また大学には講義を受け持たない教授や、常勤の非常勤講師など、制度との絡み、給与体系との絡みでさまざまな雇用形態があることも併せて申し述べます。Zyugemさんが危惧されるほど大きな問題であるとは思いません。シラバスの記載とおり「講師」でよいと考えます。--Xx kyousuke xx 2011年7月23日 (土) 16:44 (UTC)

こちら「独自研究」のご指摘はごもっともであります(現在も受け持っていることをよく理解していなかった故の不正確な表現でもありました)。しかし教壇に立って講義する先生という意味の「講師」と,大学の正式なポストである「(専任)講師」を混同させる書き方は避けなければなりません。これは言葉の問題で,同じ言葉を違う意味に用いる表現なので混乱するのは必至ですが,二つはまったく異なるものです。現在の表現,文脈のままですと,氏が慶應義塾に教員ポストを持っているのかいないのかを正確に表現できておらず,読む人を誤解させる表現になっています(実際私は最初誤解していた)。慶應義塾の常勤の教員には単なる講師と呼ばれるポストが存在しない(専任講師の存在)ことを知っている人なら見て分かるのかも知れませんが,そのような曖昧な表現は放置できません。大学に複雑な雇用形態があることは理解しております。慶應義塾の中でどのような制度運営をしているのかを完全に理解してるわけではありません。しかしこの場合,「教員一覧や研究者一覧に名前がない」点から,むしろ「非常勤」を外す側にこそ,常勤の職にあることを示す出典を求められるのではないでしょうか。氏が慶應義塾において,職位では助教の上で准教授の下にあたる常勤の「講師」ポストにあるなら教員一覧に載っているはずです。また例のシラバスの表現,担当教員名に「講師」と書かれているのは,どうやら非常勤で招かれた先生のみのようで,専任講師の場合には肩書きが何も付いていません。シラバスの「講師」は,まさに「教壇に立って講義する先生」という意味であり,招いて講義してもらう外部の先生に対する敬称のようなものと受け止めた方が正確ではないかと思います。常勤の講師職にあるとの出典にはならないと考えます。私は別に「非常勤」という言葉にこだわるつもりはありませんが,氏の立場を正確に表す表現方法を求めたい。この場合,リード部分で「慶應義塾大学大学院でナニナニ論の講義を受け持っている」などとシンプルに書けば十分ではないかと思いますが。--Zyugem 2011年7月25日 (月) 15:36 (UTC)
「しかし教壇に立って講義する先生という意味の「講師」と,大学の正式なポストである「(専任)講師」を混同させる書き方は避けなければなりません。」との主張も独自研究です。教壇に立って授業を受け持つこと自体が「正式なポスト」以外の何物でもありません。教授会で決議されなければ、授業を受け持つことはできないのです。そのことと、学内でどの程度の権限を持つかは別問題です。もし「非常勤」と表示するなら、出典が必要です。出典なくして「非常勤」の表示をすることは、存命人物の伝記の方針に違反します。次の方針を熟読してください。「特に著名な公的人物の場合、第三者による情報源から情報を得ることができるので、ウィキペディアの伝記はそれらの情報源の内容を記事化するだけです。 もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要(relevant)なもので、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。 もし信頼できる第三者的情報源によって文書化されていないなら、除去してください。」つまり、「非常勤」の表示は「信頼できる第三者的情報源」によって文章化されていません。少なくとも、大手新聞社は「信頼できる第三者的情報源」に該当します。当事者である慶應と当人は「講師」と表示し、大手新聞社の軒並み「講師」を用いているのですから、慶應大学の講師であることに疑いはありません。保護するのであれば、「講師」の状態で保護すべきです。「非常勤」であることの情報がないにもかかわらず「非常勤」と表示するのは不適切です。--研究会門下生 2011年7月25日 (月) 17:56 (UTC)
すこし補足しておきます。Zyugemさんは自らの主張が独自研究であることを認めています。この点は重視しておくべきでしょう。ところが、Zyugemさんは「しかし、」以下、延々と主張をしていますが、「しかし」以下の主張は、独自研究であることを治癒する内容になっていません。「存命人物の伝記」の方針は、独自研究を認めていません。また、独自研究を採用してよい理由は同方針には示されていません。独自研究は排除されるべきです。--研究会門下生 2011年8月2日 (火) 08:11 (UTC)


「慶應義塾大学講師」「慶應大学講師」「慶大講師」と表記している例をあげます。これらは「信頼できる第三者的情報源」に該当します。

NHK  http://www.nhk.or.jp/matsuodo/kako_hoso/backnumber/2011_05.html 産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110708/art11070808020004-n5.htm      http://sankei.jp.msn.com/region/news/110410/hrs11041002050000-n1.htm      http://sankei.jp.msn.com/region/news/110504/wky11050401570000-n1.htm テレビ朝日 http://asahi-newstar.com/web/?p=1321 朝日ニューススター http://asahi-newstar.com/web/12_tetsugaku/?cat=12 朝日新聞出版 http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=12483 世界日報 http://www.worldtimes.co.jp/today/photonews/091209/091209-2.html 宗教新聞 http://religion.easy-magic.com/user/index.php?menu_id=38&mode=view_content&news_content_id=444&page=1 チャンネル桜 http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1541 ニッポン放送 http://www.1242.com/program/asa/2011/05/1839.html J-Wave  http://itunes.apple.com/es/podcast/j-wave-ana-world-air-current/id428880719 明治神宮 http://www.meijijingu.or.jp/books/09newyear1.html 週刊ダイヤモンド http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/diamond-20110621-03/1.htm 月刊『到知』 http://www.chichi.co.jp/monthly/200912_index.html JB PRESS http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5858 船井総研 http://www.keieikikaku-shitsu.com/report/397/ 日本教育再生機構 http://www.kyoiku-saisei.jp/kouhoushi/PR_magazine_34.html 愛媛県庁 http://www.pref.ehime.jp/governor/governor_koremade-2202.html --研究会門下生 2011年7月25日 (月) 18:55 (UTC)

コメント依頼を見て来ました。。Xx kyousuke xxさんの御意見を支持いたします。ウィキペディアは真偽や正邪を決着することに主眼がある訳ではありません。必要な出典が提示されれば充分です。研究会門下生 さんが上記に提示された出典で「慶應義塾大学講師」の肩書きを証明するのに充分であります。専任か非常勤かなどは、後で明らかにする資料・出典が判明した時点でどうするか決めれば良いだけです。蛇足ですが、竹田恒泰氏の御尊父である竹田恒和氏でしょうか、藤沢キャンパス(SFC)プロフィールを見ると同大学の「講師(非常勤)」をしておられます。この一覧表には「特任講師」という肩書きもあるようですね。つまり講師にこの様な区別があるようです。しかし、該当の竹田恒泰氏がどちらかという記載は私の見たところ見つかりませんので上に述べた扱いが妥当かと思います。--故城一片之月 2011年7月26日 (火) 15:53 (UTC)
Zyugemさんの意見をほぼ支持します。大学教員の世界では、ただの「講師」と書けば、「専任講師」なのか「非常勤講師」なのかが曖昧になるので、普通の専任講師は特に外部や第三者に自分の職名を名乗る場合は、必ず「専任講師」と言います。東京では「非常勤講師」のことを「兼任講師」などと呼んだりすることもありますが、それは例外です。専任講師がその2つの区別にこだわる理由は、いわゆる「専業非常勤講師」と呼ばれる人々がいるからです。「専業非常勤講師」とは本務校を持っていないパートタイムの講師です。専任講師の多くは、特に文系の専任講師は、自ら「専業非常勤講師」を経験していることが多いので、なおさら2つを区別しようとします。上の方で多くのウェブページに記載してあるからといって、「信頼できる第三者的情報源」と称している方がいますが、それらのウェブページは何を根拠にそう記載しているかが明らかではありません。本人の申告か他のウェブページが根拠になっているのではないでしょうか。それならトートロジーです。慶應義塾大学の専任教員一覧に記載されていない「講師」は、「非常勤講師」と考えるのが妥当です。もしかすると「常勤講師」や「嘱託講師」かもしれませんが、決して「専任講師」ではありません。単に「講師」とだけ記載する人の中には、自分のことを「専任講師」だと世間が「誤解」してくれることを期待している人もいます。。--202.219.178.54 2011年7月27日 (水) 14:53 (UTC)椋鳥
WP:Vをご覧ください。--Xx kyousuke xx 2011年7月28日 (木) 02:41 (UTC)
202.219.178.54さんは「慶應義塾大学の専任教員一覧に記載されていない「講師」は、「非常勤講師」と考えるのが妥当です」と言いますが、その根拠は示されていません。独自研究でしょう。常勤か非常勤かを示す明確な根拠がない場合は、「講師」と表記するほかありません。また、誤解することを期待する云々は関係のない議論です。また、NHKをはじめとすす報道機関は「信頼できる第三者的情報源」に該当します。少なくとも、202.219.178.54さんの独自研究とは比較にならないほど、信頼できるといえるでしょう。Xx kyousuke xxさんと故城一片之月さんの意見に賛同します。--研究会門下生 2011年8月2日 (火) 07:10 (UTC)


IP 202.219.178.54さんのコメントにほぼこの講師という言葉の使われ方の事情と,単に「講師」としか書かれない場合に対する私の問題意識は言い尽くされています。また講師 (教育)の項にもそのあたりの事情が説明されています。 氏については,慶應義塾の常勤の教員,専任講師でないことは教員リストに載っていないことからわかるのですが,「非常勤」という言葉を裏付ける根拠を出せと言われると難しいです。つまり検証可能な情報源から「非常勤」を裏付けることは悪魔の証明に近く難しく(所属がありませんから),逆に常勤のいわゆる専任講師職に就いていることを裏付けるのは簡単で,所属のリストを引けばいいわけです。大学によっては時間割に非常勤講師担当であることを明記することもありますが,慶應義塾の場合はそうしていません。また,例のシラバスの「講師」表記は「常勤の講師」であることを表していません。専任講師には「講師」が付いておらず,逆に付いている先生は誰も教員リストに載っていませんので,シラバスの講師表記は非常勤講師を表す記号と見た方が正しい可能性が高い。これを持って「講師」と書くと曖昧さを排除できないので,情報源として選択しない方がいい。

私は,講師という言葉が持つ事情により,氏が慶応義塾の常勤ポストにあると誤読される可能性の残る書き方を避けるべきだと考えます。IP氏が指摘する,「世間の誤解」を期待する向きを助ける書き方は論外です。信頼できる情報源を示すことが難しいので非常勤という言葉にこだわるつもりはありません。他の意味に誤読される可能性があり,また他に言い換える表現があるのならそちらで書いた方がよいでしょう。もちろん自称するのは氏の自由ですが,ウィキペディアの人物伝は参照されることも多いので,誤解の種を埋めたたままにしておくのはダメでしょう。前述しましたが,例えば「慶應義塾大学大学院でナニナニ論の講義を受け持っている」などの文章表現で説明する事は良いと思います。--Zyugem 2011年7月28日 (木) 13:38 (UTC)

ちょっと冗長でわかりにくかったのでまとめておきます。まず「講師」という言葉を単独で使うことは,本質的に異なる立場の「専任講師」と「非常勤講師」を混同し誤読を誘うので避けるべきである。氏は常勤講師の職にない。しかし非常勤という言葉に情報源を求めるのは難しい。曖昧さを排除した表現として講師という言葉を使わない言い方をしたらどうか,ということです。--Zyugem 2011年7月28日 (木) 14:02 (UTC)
逆でしょう、例示の慶應義塾大学のシラバスでは「専任講師」と「講師」の表示を行っている事実が見て取れるのに、ウィキペディアで他に検証根拠にすべき資料も提示せず別の表現にすることはできないでしょう。だからこそ、NHKも産経新聞も船井総研もその表記に従っているのでしょう?「講師」以外の表記をすることは言葉をかえって濁すことになります。それから、この肩書きの問題で本人や慶應義塾大学が異議を唱えているのですか?誰かの名誉や利益が具体的に毀損されているのですか?そうでないなら焦らずにいま現在、信頼できる出典元で使用している表現で留めておいて良いはずですが。私は、「非常勤」である可能性を否定しているわけではありませんから、「非常勤」または「専任」等、他に有力な出典元(例えば慶應義塾当局の別な資料とか)が提示されれば、それに沿うべきと考えます。--故城一片之月 2011年7月28日 (木) 14:36 (UTC)
「「講師」という言葉を単独で使うことは,本質的に異なる立場の「専任講師」と「非常勤講師」を混同し誤読を誘うので避けるべきである」というのは独自研究でしょう。「氏は常勤講師の職にない」というのも根拠がありません。Zyugemさんは、上に私が示した以上に、信頼できる情報を示さない限り、非常勤であることを証明したことにはなりません。故城一片之月の意見に賛同します。--研究会門下生 2011年8月2日 (火) 07:16 (UTC)


シラバスの担当教員名の表示部分ですが,「専任講師」の場合には何の肩書きも付けられていません。「講師」と肩書きされているのは教員一覧に記載のない先生だけです。そのため「シラバスの講師表記は非常勤講師を表す記号と見た方が正しい可能性が高い。」と書きました。ここを「講師」の表記の根拠とすることは避けることが望ましいと思います。
またこの場合,講師という言葉を使わないのは言葉を濁すことにはなりません。地位が異なるのに同じ言葉で表されるという,多義性を持つ言葉を回避し曖昧さを取り除く表現です。そして人物の肩書きに曖昧さを残すことは潜在的に誰かの名誉や利益に影響を与える可能性があり(中立性を保つために悪い影響を避けるだけでなく優良誤認も避けねばならない)表現は厳密にしておきたいのです。先ほど私が挙げた一例文はシラバスで裏付けられた「講義を受け持っている」事実を書くもので,この表現は問題ないと思います。--Zyugem 2011年7月28日 (木) 15:04 (UTC)
現実問題、それで貴方の言う表現「慶應義塾大学大学院でナニナニ論の講義を受け持っている」でここの記事を書くとします、これを見た他の利用者さんは「教授?准教授?講師?ナニ?」ということになり、結局外部リンクなりをクリックして慶應義塾のシラバスを見て、「ああ講師って書いてあるね」となるはずです。遠回りして結果は同じです。これではただの二度手間でしょう。仰っている潜在的悪影響に関して、例えば「会社勤務」という自己紹介はよく使われますが、貴方の論法だと悪影響を及ぼすから使えないことになります。平社員なのか課長なのか、はたまた取締役なのか、「地位が異なるのに同じ言葉で表される」から相手が誤解して駄目だという話です。そうなんですか?--故城一片之月 2011年7月28日 (木) 16:01 (UTC)
ここでは「専任」か「非常勤」かを問題にしているのです。「会社勤務」か「職位(地位)」かではありません。会社を例にするのなら、「正社員」か「契約社員」かの違いです。結婚相手が「正社員」か「契約社員」かは大きな問題でしょう。
失礼、上の書き込みはUse_the_Force_Lukeによるものです。--Use the Force Luke 2011年7月28日 (木) 23:15 (UTC)
ええと、Use_the_Force_Lukeさんは新規アカウント取得された方のようですね。恐縮ですが、以前にウィキペディアでの活動経験はお有りの方ですか?ここでは検証可能性の観点から議論しているのですが、その辺りの方針文書を御存知かどうかは鍵になりますので。御存知ならこのまま続けます。--故城一片之月 2011年7月29日 (金) 14:13 (UTC)
同じ二度手間を問題にするのであれば,「講師」としか書かれていない文面を見た読者が慶應義塾の常勤教員のリストを確認して氏が載っていないことに気付いたときの方が当人に対する影響が大きいと考えます。IP 202.219.178.54氏が指摘した,世間の誤解を誘導する記述をしているのではないか,と疑われる可能性は,当人の名誉に関わります。またこの講師という言葉が持つ多義性は,社員と請負業者を混同するようなもので,よくパートタイマーと表現されることがありますがあれはあまり正確ではありません。いずれにせよこの場合,講師という言葉を使いたければ,「専任講師」か「非常勤講師」かどちらかをきちんと明記するべきで,単なる講師という言葉を単独で使うのは避けなければなりません。
ところでシラバスを情報源に「講師」と書くことについて,私は実際の肩書きの使われ方を見て「講師」を非常勤講師の記号として使われているのではないか,と書きました。このシラバスでの肩書きの使われ方について慶應義塾にメールで問い合わせたところ,非常勤講師には「講師」という言葉を付けているとの回答を得ました。つまり慶應義塾は氏を非常勤講師として遇しているということです。私信ですので情報源として使える広く公表されたものではありませんで,私からの単なるお知らせですが,これを知った上でシラバスを「講師」の情報源として引用することは,情報源の記述の厳密性に疑義がある,ということで避けるべきものと考えます。(もちろん非常勤という言葉を付けるための情報源とも使えませんが,凡例などにその旨が記載された場合には非常勤を付ける情報源となるでしょう) --Zyugem 2011年7月31日 (日) 05:43 (UTC)
Zyugemさんが慶應義塾から得た回答は私信であり、独自研究の領域を出ません。したがって、上記のNHKなどの「信頼できる第三者的情報源」によって文書化されたものとは性質が異なりますので、参考程度にとどめるほかありません。その上で、Zyugemさんの同時研究について論じます。Zyugemさんは「非常勤講師には「講師」という言葉を付けているとの回答を得ました」といいますが、ならば「常勤講師」にも「講師」という言葉を付けているのであって、その回答文からでは竹田恒泰が常勤ではないことの理由にはなりません。これは論理の飛躍です。つまり、「リンゴは果物と呼んでいます」が真だとしても、「ミカンは果物ではない」ことの根拠にならないからです。また、「講師」と表示することの根拠は、シラバスだけではありません。情報源の記述の厳密性について主張するのであれば、NHKをはじめとする全ての出典について取材をして公表しなくてはならないはずです。NHKなどの表現を覆すだけの証拠を示して下さい。それがない以上は「講師」と表記するほか手段はありません。--研究会門下生 2011年8月2日 (火) 07:27 (UTC)


記事の導入部分をどう書き直すのか,一つ提案です。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)の導入部分を指針としましたが,このような感じでどうでしょう。

竹田 恒泰(たけだ つねやす、1975年- )は、日本の評論家、「竹田研究会」主宰者。

慶應義塾大学法学部法律学科卒業。学部時代の専攻は環境学。家系は伏見宮家より分かれた北白川宮家の分家にあたる竹田宮家明治天皇の玄孫に当たる。

氏の活動は作家と言うよりは評論家で,人物としての特筆性は「三千人以上が会員登録している」という研究会の主宰者であるという点ではないでしょうか。そこをリードに持ってくる。慶應義塾で非常勤講師をしていることについては,研究会主宰者と比すれば特筆性があるのか個人的には疑問に思いますが,書くなら本文の略歴中に「慶應義塾大学大学院でナニナニの講義を受け持っている。」と付記するのがよいと思います。非常勤講師の件の記述をリードに持ってくるのは冗長だと思います --Zyugem 2011年7月31日 (日) 07:14 (UTC)

何十行も使って延々と独自研究を繰り返すのはおやめください。本人が「作家・慶応大学講師」と言っており、それが信頼できる第三者的情報源でも確認できて、もちろん慶応大学側の資料でも確認できる。それ以上の考察はただの独自研究であることに気づいてください。「講師という言葉を使いたければ,「専任講師」か「非常勤講師」かどちらかをきちんと明記するべきで,単なる講師という言葉を単独で使うのは避けなければなりません。」などと、ここで独自見解を述べても意味はありません。慶応大学に言ってください。このページのZyugemさんの同じ演説の繰り返しこそ「冗長」です。--Xx kyousuke xx 2011年7月31日 (日) 08:48 (UTC)


自称はこの際関係なく,マスコミなどの表現もどこが情報源か確認できず(自称を引いているのかも知れない),また慶應義塾も氏を非常勤講師として遇しています。講師という言葉で異なる立場を混同するという問題は言葉の問題であり私の独自研究ではありません。回避できる表現があるならそちらを使って厳密性を高めるべきです。--Zyugem 2011年7月31日 (日) 09:06 (UTC)
Xx kyousuke xxさんの意見に賛同します。Zyugemさんは、独自研究を繰り返すのをやめるべきです。少なくとも「講師」は「信頼できる第三者的情報源」により文章化されたものとして確認することができます。これを否定したいなら、これらの全ての提示された情報源を否定する、新たな情報源を提示しなくてはなりません。それがないなら、「講師」と表記するのが妥当です。また、「慶應義塾も氏を非常勤講師として遇しています」には根拠が示されていません。慶應義塾からの回答がその根拠にならないことは既に上で示した通りですし、そもそも私信は「信頼できる第三者的情報源」により文書化されたものではありません。また「講師という言葉で異なる立場を混同するという問題」といいますが、講師には常勤と非常勤の二形態があることは、常識的であれば想像可能な範疇であり、まったく異質なものと誤認させる危険性はありません。Zyugemさんの独自研究というべきでしょう。とにかく、もう独自研究はやめにして、証拠を示すべきです。--研究会門下生 2011年8月2日 (火) 07:36 (UTC)


NHKや産経新聞のような、国営放送局や大手新聞社は正当な取材過程を経て情報提供していると見なしうるから、その報道内容について取材過程も含め、中味の真実性をウィキペディアの編集者がわざわざ検証するに及びません。それはウィキペディアの3大方針の1つ、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」において、「編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。」と例示されております。Zyugemさんの仰る、「記述内容に厳密性を高める」ことは、もし検証可能性が満たされるならば、勿論反対どころか賛成です。それで改めてZyugemさんにお尋ねします。「慶應義塾も氏を非常勤講師として遇しています。」これは何を参照すれば検証できますか?--故城一片之月 2011年7月31日 (日) 11:55 (UTC) 
それと、Zyugemさんが行った慶應義塾大学に対するメールでの照会は「非常勤講師には「講師」という言葉を付けているとの回答を得ました。」とのことですが、無論あなたが嘘を言う方とは思いませんから、私はその様な回答があったものと思いたい。けれども、確かに私信であるしこれでは出典には使えないでしょう(上記方針では、これは独自研究とされている典型例になります)。単なる「講師」という呼称は慶應義塾側が実際に使用している表現ですから(慶應義塾大学 講義要項・シラバスキャンパス名:三田、科目設置学部:法学研究科、担当教員名:竹田恒泰で検索すると担当2科目がヒットするので確認可能)、これを使用することが何の違反行為でもないし虚偽行為でもない。従って「講師」表記を強いて排除する根拠が現時点で揃わないから、非常勤かどうかは出典条件が揃えばその時点で言及すればよいのではないでしょうか。--故城一片之月 2011年7月31日 (日) 12:32 (UTC)、シラバスのリンク補記--故城一片之月 2011年7月31日 (日) 15:23 (UTC)
ウィキペディアでは何かを情報源として採用するとき,それが信頼できるか,曖昧な言葉遣いや文脈や多義性で厳密に欠いていないかなどを判断する余地は残っています。必ずそれをひいて表現にくわえなければならない事はなく,何か疑義があるなら引用せずにおくという選択の余地があると思います。また情報源の取捨選択には厳密な挙証を求める必要はありません。疑わしければ採用しない,で十分です。
私はあえて,氏の名誉のためにも,シラバスを「講師」の情報源に採用しないことを選びたい。シラバス内で非常勤講師のマークとして使われる「講師」という記述を説明無しでそのまま引用すると,誤解を招き氏の名誉を傷つけかねないのです。問題の一文は,一般に「ナニナニ大学講師」と書かれたら,文脈そのまま理解するなら常勤の講師(慶應義塾ならば専任講師か)にあると解釈されるものです。もし非常勤講師の人が自分の職歴にそう書いたとすると,IP 202.219.178.54氏が指摘した,世間の誤解を誘導する記述の可能性が疑われてしまいます。(氏が非常勤講師として遇されていることは「常勤教員のリストに名前がない」ことで十分検証されているのではないかと思います。付け加えるならシラバスに「講師」と肩書きされていることが傍証となります。しかし名簿に存在しないことも,私信も,ウィキペディアでの情報源にはなり得ないことも理解していますので「非常勤講師」にこだわるつもりもありません。)
シラバスの存在は講義を受け持っていることを説明するには十分な情報源ですのでその旨を書くことは賛成です。また別に大学にこだわらなくても,研究会主宰者など書くべき特筆性のある内容もあります。先ほど上げた一文例を一考していただけたらと思います。--Zyugem 2011年7月31日 (日) 14:39 (UTC)
竹田氏の名誉云々はこの呼称を使用している氏本人・慶應義塾大学当局の責任にあるのであって、ウィキペディアの編集者に過ぎない私たちの及ぶ問題ではないと考えます。しかし、Zyugemさんの仰る特筆性の意見については傾聴すべき点はあると思います。竹田氏については作家として受賞歴があり実績があります。また、竹田研究財団を立ち上げており皇室問題の方面での研究活動がメインであることは明白であり、大学研究科の講義科目もこれに関連した内容です。この肩書き問題で延々と議論することは保護解除を遅延させるだけで、この記事の充実の阻害になるマイナス面は大きいと考えられます。よって、私は大学教員の肩書き呼称は継続審議として、典拠となる新資料の提出までの間は大学教員の肩書き呼称の記載を控える事とし、現在の「慶應義塾大学非常勤講師(憲法学)」も削除することならば同意可能といたします。--故城一片之月 2011年7月31日 (日) 15:23 (UTC)
故城一片之月さんの意見には大方賛成しますが、大学教員の肩書を削除することには反対です。「非常勤講師」であることの出典は確認されていませんが、「講師」であることの出典は確認されています。まずは「講師」として表示しておき、後に「講師」であることが完全に否定され「非常勤講師」であることの証拠が提出されれば、「非常勤講師」と書き換えるのが適切でしょう。ウェブサイトで「竹田恒泰」と検索すると、大抵、大学教員の肩書が表示されますから、これを一切表示しないというのは、混乱を招くだけです。--研究会門下生 2011年8月2日 (火) 07:01 (UTC)

既に十分な議論がされたと思いますが、いかがでしょう? これまで様々な角度から議論がされてきましたが、どうあるべきかは、究極的には公式方針であるWikipedia:存命人物の伝記に従うことが肝要です。すなわち、

  • 1検証可能性
  • 2中立的な観点
  • 3独自研究は載せない

の各要点を重視するということです。また、同方針には次のように書かれています。

  • 「その人物の生涯の細部については、信頼性の高い参考資料だけを用いるべきです。存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソース(情報源)しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです」
  • 「信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべきです」
  • 「特に著名な公的人物の場合、第三者による情報源から情報を得ることができるので、ウィキペディアの伝記はそれらの情報源の内容を記事化するだけです」

繰り返しますが、これは公式方針であるWikipedia:存命人物の伝記に記された内容ですから、これについて、ここでは議論の余地はありません。上の点から考察すると、「講師」については、「信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したもの」が提示されているため、これを文章化することは妥当というべきでしょう。一方、「非常勤講師」は「信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したもの」が提示されていません。「ウィキペディアの伝記はそれらの情報源の内容を記事化するだけです」から、「非常勤講師」の表記は妥当性を欠きます。上の点が最も重要な論点であるはずであり、もし今後も引き続き議論が必要なら、この点に絞って掘り下げるべきでしょう。これ以上に重要な論点はないはずです。したがって、ほぼ議論は尽くされていると考えますので、「慶應義塾大学講師」ということで合意を形成してよいのではないでしょうか。--研究会門下生 2011年8月2日 (火) 07:50 (UTC)

私は、故城一片之月さんが、2011年7月31日 (日) 15:23 (UTC) で書かれた、「よって、私は大学教員の肩書き呼称は継続審議として、典拠となる新資料の提出までの間は大学教員の肩書き呼称の記載を控える事とし、現在の「慶應義塾大学非常勤講師(憲法学)」も削除することならば同意可能といたします。」に賛成します。
研究会門下生さんは、 2011年8月2日 (火) 07:36 (UTC)で、「また「講師という言葉で異なる立場を混同するという問題」といいますが、講師には常勤と非常勤の二形態があることは、常識的であれば想像可能な範疇であり、まったく異質なものと誤認させる危険性はありません。」と書かれていますが、これは「独自研究」ではないでしょうか?
私は大学教員の肩書を削除することに同意しますが、研究会門下生さんが、あくまでもシラバスを根拠にして「講師」という表記を主張されるのであれば、単に「慶應義塾大学講師」とするのではなくて、より厳密に「慶應義塾大学大学院法学研究科講師」とすべきと主張するのが筋ではないでしょうか。勝手に簡略化するのは「独自研究」ではないでしょうか? マスコミ等は紙面スペースの関係から簡略化するかもしれませんが。--Use the Force Luke 2011年8月2日 (火) 10:42 (UTC)
もしシラバスの表現をより厳密に表現するなら,「慶應義塾大学大学院法学研究科の講義ナニナニ論の講師」が正確な表現となるでしょう。確かにこれを略せば「慶應義塾大学講師」になりますが・・・--Zyugem 2011年8月2日 (火) 13:39 (UTC)
私も故城一片之月さんご提示の「大学教員の肩書き呼称は継続審議として、典拠となる新資料の提出までの間は大学教員の肩書き呼称の記載を控える事とし、現在の「慶應義塾大学非常勤講師(憲法学)」も削除する」で同意いたします。これで十分な内容と思います。講義を担当していることを本文で触れましょう。
私は「シラバス」の表記をそのまま情報源として扱うことに疑義を呈します。あのシラバスでの「講師」は「非常勤講師の記号」として使われており,私信でもそれを確認しました。また一般的な大学教員の職制で「講師」と書く際には常勤の講師を指すことが多く,この場合不正確です。単にシラバスの二文字だけを見てその「意味」を吟味せずに引用することで,氏の立場を誤った認識を導く形で説明する危険性があります。よってこのシラバスを情報源として採用しないことを選択します。他に慶應義塾が表明する教員リストなど,厳密な典拠が出るまで削除するのが妥当と思います。--Zyugem 2011年8月2日 (火) 13:20 (UTC)

報告 管理者伝言板への依頼により、本項目と竹田恒和から暫定的に「非常勤」の文言を除去する編集を行いました。この暫定対処は当ノートでの議論に基づいて竹田恒泰氏の肩書きの扱いをさらに変更することを妨げるものではありません。ただし議論に参加されているみなさまにおかれましては、ウィキペディアでは「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(Wikipedia:検証可能性)が問題なのであることに、くれぐれもご留意下さい。--Sergei 1207 2011年8月2日 (火) 15:42 (UTC)

合意形成にむけて

  • かなり重くなってきたので、恐縮ながら節を区切らせていただきました。

それは、各大学で教職員の呼称を微妙に個別設定していることもあるでしょう。つまり、慶應義塾では非常勤講師を「講師」とし、常勤(?)講師を「専任講師」と内部規定しているのかもしれません。教員リスト=教員プロフィールでは専任講師までしか現状は掲載されておらず、その使用実例を示す「シラバス」の出典採用を否定することは検証可能な公表資料を否定するわけですから、それでは方針からみて合理性はありません。ただし、私が上に既出させた、同大学の藤沢キャンパス(SFC)プロフィールで竹田恒和氏の肩書きを「講師(非常勤)」とする例もあり、内容的に「講師」が非常勤を意味している蓋然性は高いですから、これだけ大汗掻いて、「非常勤」は出典なしで削って「講師」としても、いずれシラバス改訂で「講師(非常勤)」と改められてしまう可能性も否定できません。シラバスは(教員リストも)毎年改訂されるでしょうから、時間の経過とともに新資料による事実関係の検証の機会は生じてくるでしょう。それならば定義部で肩書き記述を今は控えて(削除して)、慎重を期するのは何ら方針違反ではないはずです。Zyugemさんもすぐ上のコメントで記事本文では大学研究科の講義担当事実を記述することを認めて居られます。本来、竹田恒泰氏が何を主張され、何を教えられているか、そしてその業績において特筆性の重点はあると思われ、その意味で大学教員としての活動は、何の科目でどのような講義内容の講師をされているかをやや詳しく記述すればその方が解りやすくなると思うので、研究会門下生さんもこのあたりで合意の形成を検討頂けるよう望みます。--故城一片之月 2011年8月2日 (火) 16:31 (UTC)

ひと通り経緯を読みましたが、なぜこれがここまで議論になっているのか理解できません。「講師」と記述することについてWikipedia方針上のいかなる問題も存在していないのは明白です。したがって、その記述を斥けるべき理由が何ひとつありません。斥けるべきと主張する編集者が存在し、妥協点を得るため、というのはWikipediaの方針とは無関係な話で、正しい編集方針ではないと考えます。いろんなところで似たような問題に遭遇しますし、勘違いしやすい点ではありますが、「みんなで話しあって何が正しいかを検証して決定して記述する」ものではなく「だれでも入手可能な典拠に何と書いてあるかに従って記述する」べきもの、ということを忘れてはいけません。「講師」という記述が何を意味するかとか、だれのどういう意図でそのような呼称が使われているかとか、まったくもってWikipediaの記述の方針とは無関係です。信頼できる情報源に「講師」と書いてあるなら「講師」と記述すればよい、それだけのはずです。議論の余地がありません。--Horlicks 2011年8月2日 (火) 17:37 (UTC)
何かを書くことについては厳密な出典要求,情報源の提示が求められるのですが,逆に「敢えて書かない」事について,ウィキペディアの編集方針は何か言っていますでしょうか。情報源の信頼性,厳密性には幅があって,書かれていたら考えずそのまま書かねばならないと言うことはないはずです。(例えば,別の例ですが,「社員」と書かれている文書がある,出資者か従業員か書き分ける必要が文脈上発生している,しかし出典が他にないので,多義性で混乱を招く可能性よりあえて書かずに置くことを選ぶ,という編集方針は可ではないか,と。) --Zyugem 2011年8月2日 (火) 21:08 (UTC)
「あえて書かない」ではなく「すでに書いてあるものを除去する」というのが一方の主張ですから、問題の設定が間違っています。「講師」という記述を除去したり、他の典拠のない表現に差し替えるなどの編集行為にはまったく正当な理由がありません。記述の削除についてはちゃんと方針(よほどのことがない限りは慎重に、という)はありますよ。編集者が勝手に「きっとこうだろう」とか「こうに違いない」「こうしたほうがよさそうだ」と考えて(=独自研究)編集を行い、その考えの違いによって編集合戦が起きるのを防ぐ意味で、Wikipediaの諸方針は出典主義などの原則を明確にしているのです。明らかにその方針に従った正しい記述については議論する意味がないと思います。--Horlicks 2011年8月4日 (木) 13:52 (UTC)

数百行上で申し上げましたが、Zyugem さんはただの独自研究を繰り返しているだけということに気付くべきです。慶應義塾大学がオフィシャルに出している文書とZyugemさんの独自研究のどちらに信頼性があるかと考えれば、自明のことだと思います。再掲しますが、「本人が「作家・慶応大学講師」と言っており、それが信頼できる第三者的情報源でも確認できて、もちろん慶応大学側の資料でも確認できる。それ以上の考察はただの独自研究であることに気づいてください。」したがいまして、私は肩書呼称の記載を控えることには反対します。Horlicksさんも書かれているように、議論の余地はありません。
ちなみにこれは本議論とは全く関係ありませんが、私はコメント依頼を見て議論に参加しただけであり、この記事あるいは対象者に特別の感情をいだいているものではなく、さらに言えば、おそらくこの方は非常勤講師であろうと考えていることを申し上げておきます。--Xx kyousuke xx 2011年8月3日 (水) 04:39 (UTC)

ここは既に編集合戦状態になっていた為に編集保護を受けている経緯があります。編集保護を解除するための合意を形成することは必要なことです。合意形成は単なる妥協とは意味が異なりますし合意形成は話合いによるものです。方針文書の通りだから議論の余地が全く無いとするのは少し違和感を覚えます。ウィキペディアは規則主義ではありません は「合意形成を重視した議論によって解決」することを推奨しております。この先、合意形成がどの様に決着したしても、議論を述べることで問題点はより明確になっているのですから、編集合戦回避のためには意味があった筈です

ここまでの議論の流れのまとめをしますと、竹田恒泰氏の慶應義塾大学の教員肩書きについて、

  • 明らかになっている点。
  1. 「非常勤講師」は記述上、依拠すべき出典は無い。
  2. 「講師」は、依拠すべき出典は有る(1次資料は同大学講義要項シラバス検索、2次資料は前節例示のNHK・産経新聞・船井総研等のウェブサイトでの人物紹介)。
  3. 同大学の資料:藤沢キャンパス(SFC)プロフィールに講師について「専任講師」・「特任講師」・「講師(非常勤)」の表記区別が認められる。但し、三田キャンパスの講師に(非常勤)の表記はない。
  4. Zyugem氏の大学当局への問い合わせで「講師」は非常勤である旨の回答を得たとするが、Wikipedia:独自研究は載せないの方針に抵触するのでこれを採用できない。
  • 提示されている合意案(以下)
  1. 定義部に「慶應義塾大学講師」と記述をする案(現行表記)。
  2. 「講師」について、定義部の記述から「慶應義塾大学非常勤講師」を削除する案。
  3. 「講師」について、定義部の記述を新規出典の提示までは控え、本文内容には法学研究科における憲法特殊講義科目担当講師であるとの記述をする提案。
  • 上記合意案への賛同者
  1. 利用者:研究会門下生氏、利用者:Horlicks氏、Xx kyousuke xx氏
  2. 利用者:Use the Force Luke氏
  3. 利用者:Zyugem氏、利用者:故城一片之月、利用者:Use the Force Luke氏


以上ですが、もしも間違っていたら、指摘して下さい。また私がまとめた事自体に異議が有る場合も含め、取扱いを以下にコメント頂けますように希望します。--故城一片之月 2011年8月3日 (水) 15:26 (UTC)

コメント:利用者:研究会門下生氏は、ここでの議論参加後に無期限ブロック(WP:ILLEGIT)を受けており、利用者:Use the Force Luke氏は新規登録利用者として1ヶ月未満かつ編集回数50回未満ですが、その辺りの扱いはどういたしますか?--故城一片之月 2011年8月3日 (水) 15:26 (UTC)
コメント:当初の編集合戦の当事者のブロックという事態に驚いていますが,本項での議論には直接影響しないと思います。また投票で何かを決めるわけではないので編集回数に関しても関係ないと思います。 --Zyugem 2011年8月4日 (木) 13:39 (UTC)
コメント:私は「2」となっていますが、「2」は「3」に含まれると理解していましたので、「3」にしてください。--Use the Force Luke 2011年8月3日 (水) 23:47 (UTC)
報告Use the Force Lukeさんの賛同先を申し出により変更しました。--故城一片之月 2011年8月4日 (木) 16:41 (UTC)

大変わかりやすく整理していただきありがとうございます。

何度か私の主張に対して「独自研究」と評されている件について釈明しておきます。「非常勤講師」と記載する件については無出典独自研究の誹りを受けることは理解しております。この記述を求めることは止めております。しかし少し上で述べたとおり,記事に「書かない」こと,何かの出典について記述の意味を解釈し厳密性の観点や記述の文脈などの総合的判断を行なって,あえて情報源を採用せずに「書かずにおく」ことについては,独自研究には当たらないと理解しています。出典の疑義を理由に記述を削除することは,このような議論を経た上で行なう分にはまったく正当な編集だと思います。

この記事は「存命人物の伝記」です。出来るだけ記述は抑制的,保守的に書かれるべきです。「書く」ことよりも迷ったら「書かない」ほうが一般に安全であります。氏の全ての肩書きを列挙する必要はなく,特筆性なども考慮しつつ記述は最小限にしましょう(前述していますが,氏の特筆性は大学で講義を行なっていることだけに限りません。)もし「慶應義塾大学講師」などと氏の所属に関わる記述を行なうためには,私はより厳密な出典を求めたい。例のシラバスは,何度か述べている理由により出典にしないことを私は主張します。--Zyugem 2011年8月4日 (木) 14:07 (UTC)

ウィキペディアの編集は出典至上主義です。ここでの論点は「竹田氏の肩書きがどのように実態的に表記されているか」であって、それを端的に示す資料が既出のシラバスです。そしてその表記の実態は「講師」であって「常勤」や「非常勤」の表記が無いのが実態です。Zyugemさんがこの実態に目をつぶれというのは通らないのです。この実態を踏まえた上で、記述上どのような段取りにするのか工夫をするのかならば解りますが(この中には記述の保留を含みますが、同時になすべき本文中での講義概要記述もシラバスの不採用では出典を失い支障を来たすので)、そうでないとすれば私はZyugemさんとは見解が相違している事になります。--故城一片之月 2011年8月4日 (木) 16:41 (UTC)
シラバスの件は,所属に関わる広い意味を含む「講師」という文言を使わずに説明することが私の主張であり,丸ごと全てを採用しないことまで求めていると思われたのであれば誤解です。大学で講義をしていることを書くためにシラバスや時間割は完全な出典です。シラバスを典拠として「講義をしている」ことを説明する文章を記載する,肩書きについては他の資料が出るまで保留として削除し継続審議とする,という合意案はとても妥当なものと思います。 --Zyugem 2011年8月4日 (木) 22:28 (UTC)
『「書く」ことよりも迷ったら「書かない」ほうが一般に安全であります。』とのことですが、そもそも迷うようなことではない、という立場ですから。これは、異なる立場間の議論という話ではなく、基本方針の無理解または誤解に基づく誤った編集方針の主張を指摘するやり取り、というのがこちらの立場から見た流れになるわけで、そこを踏まえていただかないと最後まで噛み合わないと思います。簡潔にもう一度だけ説明しますが、ちゃんとした出典のある既存の記述を、その内容に対する個人的な疑念を理由に除去することはできません。疑念があるのであれば、出典となっている新聞社や大学当局に問い合わせ、「この記述は間違いなのではないか」と主張して記述を変更してもらってからWikipediaに反映させてください。ぶっちゃけていえば、正しくない記述であっても、また、不正確、不十分な記述であっても、出典に基づいて書かれているものについては、別の記述を裏付ける出典が出てこない限りは除去はできません。もしかしたら不正確かも知れない記述をそのまま残すことが気持ち悪いのは理解しますが、それはWikipediaの運営上避けて通ることのできない問題ですので、そこに執着してはいけません。それは問題を大きくし、トラブルのみを生み出すことにしかなりません。ご理解いただいたうえで、記述削除という主張を撤回していただくようお願いしたいです。これで私の言いたいことはすべて書き尽くしていますので、これでもまだご理解いただけないようであれば、後は議論しても無駄になりますので、私はそれ以上の言及はしないようにします。--Horlicks 2011年8月5日 (金) 15:16 (UTC)
Horlicksさんの御意見は現行の方針理解として最もストレートなものと私は思います。私は記述の工夫で多義性回避が出来るものと考えていたのですが、どうも真意が伝わらず誤解を招いているようで申し訳なく思います。肩書きの一時控える(削除)は端的な表現しかできない定義文のことであり、定義文で省略した場合は、本文中では「講師」の記述を入れなければなりません。そうしないと、「教授」・「准教授」を含め、何の立場で講義を受け持つのか皆目検討のつかない、妙な記述になります。例えば現行本文記述に「2007年から、慶應義塾大学で通年の講座「憲法特殊講義(天皇と憲法)」を担当する講師として、天皇が日本国の象徴であることを記した日本国憲法第1条を一年間かけて教えている。」と編集し、そして、脚注で「慶應義塾大学の講師には「専任講師」・「特任講師」・「講師」があるが竹田氏は「講師」である(シラバスへの外部リンク参照表示)。」と解説すれば懸念されるという多義性が当面は解消されるはずです。私の言う記述の工夫とはこういう事です。私としてのコメントはほぼ尽くしましたので、私もこの先の内容重複する言及は慎みます。--故城一片之月 2011年8月5日 (金) 16:49 (UTC)
私も文章の要を得ず無駄な混乱を招いてしまっているかも知れません。定義部は簡潔な表現をした結果誤解を招く可能性のある単文を避け,本文中に文章で説明を入れる,と言う方針はよいことと思います。たとえばお示しの例文「(講義を)担当する講師として・・」という文章は記事における氏の特筆性という意味からも是非入れたいものですし,文章で説明することで,一連の多義性の問題回避には十分なものと思います。--Zyugem 2011年8月6日 (土) 08:35 (UTC)

議論は出尽くしたでしょうか。議論の一方の当事者からの提案で恐縮ですが,氏の大学での肩書きについては定義部では保留として書かず,本文中にシラバスを引いて具体的に記述するという,故城一片之月さんご提案の合意案で合意は取れますでしょうか。これは出典のある内容を削除することにはあたらず,記述上の工夫で具体的に書こうということです。定義部では略することで解釈に問題が発生する表現をうしろに回すことは,ウィキペディアの方針などにも差し障ることはないかと思います。また氏の特筆性は他にもあり,無理に定義部に押し込む必要もないかと思います。--Zyugem 2011年8月7日 (日) 13:10 (UTC)

何度言っても御理解いただけないようですので、私もこれで最後にしますが、Zyugemさんがこのすぐ上で言っておられる、「また氏の特筆性は他にもあり,無理に定義部に押し込む必要もないかと思います。」というのも独自研究であるということに気づいてください。フリーランスで活動されている方の肩書きを決めるのは非常に難しい場合がありますが、いずれにしてもそれを決めるのは我々ではなく、信頼できる情報源です。現在示されている出典では全て「作家・慶応大学講師」となっていますが、これを採用せずに、別のものにすべきであるという信頼できる情報源による出典が示されるまでは、いかなる別の肩書きを記載することにも反対します。念のために申し上げますが、Zyugemさんがいくら独自研究を繰り返されても何の意味も持たないことに御注意ください。--Xx kyousuke xx 2011年8月7日 (日) 14:39 (UTC)
おそらく方針の解釈の違いに寄るところかと思います。出典にないことを勝手に書くのであれば方針に反することは当然として,書かれていることをどう文章化するかという事については方針準拠で一意には決まらないのではないでしょうか。肩書きを「別のもの」にするのではなく,後段で文章で記述するから前段に書かないという編集は,特にウィキペディアの方針に触るものではないかと思うのですが。--Zyugem 2011年8月7日 (日) 14:54 (UTC)

当座の多義性問題の回避策として,定義部の簡潔性を損ないますがシラバスを文章化し省略されている言葉を補い「慶應義塾大学大学院法学研究科の憲法論講義の講師」と書くことを,ひとつの着地点として提案します。今後もし,定義部に置くには内容が簡潔でない,後段で文章で記述するほうがいい,という編集方針になるなら,それはそれで私は賛成です。後で編集する人が省略表記しようとするならノートでの問題点,議論を示して戻してもらいましょう。「非常勤」という文言について後から情報源を示された際には,それを元に省略表記する事も可かも知れませんし,また今後,研究所や大学などに所属し確認できればそれが簡潔な肩書きとなるでしょう。もちろん後段本文に講義を受け持っていることを詳細に触れるのが良いでしょう。(ウィキペディアの方針を守ることにより氏に慶應義塾所属と読めてしまう肩書きの定義文を付与せざるをえないというのであるなら,ウィキペディアには何らかの構造的な問題があると思うのですよね・・・たぶんここ以外でもたくさん議論されてきている問題だと思いますし,ガイドラインとか方針の解釈の違いだと思うのですが。)--Zyugem 2011年8月16日 (火) 15:46 (UTC)

Zyugem さんのおっしゃるとおりです。どう考えても専任と誤解されかねない表記はまずいでしょう。無い方がましな記述です。それなりの人事形態の知識があれば、事実は明らかです。ルールの精神を無視して、文言にのみ拘泥し、居丈高に硬直的な解釈を振りかざし、「事実は違うと思いますが、それがウィキペディアのルールです」と開き直るのはどうかと思います。そこを何とか工夫するのが編集者の腕の見せ所でしょう。 慶応大学講師」(出典)、「ただし、教員紹介には掲載されていない」(出典)はいかがでしょう。竹田氏が詐称しているように感じられますが、どちらも出典つけられます。--以上の署名のないコメントは、114.172.102.74会話/Whois)さんが 2011年8月20日 (土) 01:26 (JST) に投稿したものです(Mr.Maxによる付記)。

学部時代の専攻に関して

慶應大学在学時に「環境学」を専攻していたと記述されていますが、法学部で環境学専攻というのはありうるのでしょうか?--Wpjapanuser2012会話2012年5月28日 (月) 04:24 (UTC)

>法学部で環境学専攻というのはありうるのでしょうか?
上智大学のHPによると、上智大学の法学部には「地球環境法学科」というのがあるみたいです。
慶応大学に同様のものがあるかは不明ですが、日本国内の大学の法学部で環境学を専攻することががありえる傍証の1つにはなると思います。--180.9.165.145 2012年9月14日 (金) 14:27 (UTC)
なるほど、「環境法」という観点では、法学部でも環境学に関係が無いとは言い切れないようですね。しかし、それならば、「環境学」というよりは「環境法」を専攻したと書いた方が正確になるのではないでしょうか?--Wpjapanuser2012会話 2012年9月30日 (日) 09:59 (UTC)

昭和50年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。物理学(環境学)専攻。(エコマインドから引用)--たまに無敵会話2013年8月5日 (月) 16:54 (UTC)

竹の間プロフィールには「藤田ゼミにて」とある--たまに無敵会話2013年8月5日 (月) 17:23 (UTC)

内容の整合性を

大阪のNPO「コリアNGOセンター」から放送局である読売テレビへ「通称名の使用や変更で犯罪歴や経歴の抹消はできず、事実に反する」...(中略)...との抗議申し入れがなされ、放送倫理・番組向上機構へ審理申し立てがされた

とのことですが、 在日特権#優位とされている事柄には

通名の変更には制限が無いため、東京23区内では1人が最高で32回の通名変更を行った事例も有り、頻繁な通名変更は別人に成り済ますことが可能として、通名制度を犯罪と不信の温床であるとする意見もある

とあり、両者の記述に齟齬があります。両者の整合性の確認および付加的説明の付記をお願いします。抗議を受けて読売テレビはどのような対応をしたのか事後経過の記述もお願いいたします。

--Watson system会話2013年11月7日 (木) 16:37 (UTC)

講師の肩書について

講師の肩書についてCornelius355さんとIPさんとの間で編集合戦になっています[1]。このままですと編集保護が掛けられる恐れがあります。お二人で話し合ってください。--Watson system会話2013年11月24日 (日) 02:15 (UTC)

wikipediaの講師 (教育)の項目からも分かる通り、wikipediaにおいては、「講師(専任講師)と専任でない講師(非常勤講師)」の区別を明確に行っております。そのため、もし「講師」という役職を明記するのであれば、当該区別を前提として記載すべきかと思われます(でなければ、「百科事典」としての性質を有するwikipediaにおいて一貫性が確保されないことになります。)。既に行われた議論において、研究会門下生さんなども認められている通り、竹田氏が専任講師では無い点に関してはコンセンサスが採れているように思われるため、「非常勤講師」もしくは「専任でない講師」として記載するべきだと解されます。 また当該役職の記載に関しては、(慶應義塾大学における役職の問題なので)慶應義塾大学によってオフィシャルに提示された定義に基づくことを原則とすべきであると解されます。慶應義塾大学のホームページ上確認できる大学院履修案内( http://www.gakuji.keio.ac.jp/mita/rishu/houken_rishu.pdf )においては、上述の「専任/非専任」の区別と同様に、(1)三田所属専任教員(教授・准教授・専任講師・助教)(2) 他地区の専任教員および塾外からの出講者(講師)という区別を行っております(p14参照)。つまり、「専任教員としての専任講師」と、「塾外からの出講者としての講師」とを慶應義塾大学法学部は明確に区別しています。そのため、当該区別に基づくのであれば、専任教員では無い竹田氏に関するオフィシャルな役職は「塾外からの出講者(講師)」が適切であると解されます。--以上の署名のないコメントは、114.158.89.210会話/Whois)さんが 2013-11-25T00:51:28‎ (UTC) に投稿したものです。

本件に関しては、上記「『慶應義塾大学講師』という肩書きについて」ですでに合意済みです。編集に当たって最も拠り所とすべきは「存命人物の伝記の方針」です。これに従えば、「本人が公表していない個人情報」を書くことはできません。本人は著書やウェブサイトなどで「慶應義塾大学講師」を用いています。また、ノートで議論されたとおり、「慶應義塾大学講師」の出典は無数にありますが、「慶應義塾大学非常勤講師」の出典はありません。「塾外からの出講者(講師)」が適切との意見は、独自研究の領域を出ません。本人、慶應義塾大学共に「講師」を用いているため、これを用いるのが「存命人物の伝記の方針」に従うことになり、妥当です。--国史研究会話2013年11月25日 (月) 07:55 (UTC)

「合意済み」と国史研究さんは述べておりますが、ノートを見る限り合意は形成されておりません。 また、「塾外からの出講者(講師)」という表現は、慶應義塾大学法学部大学院履修要綱に掲載されているものであり、独自研究との御指摘は当たらないと思います。そして、「存命人物の伝記の方針」には、次のような留意点が書かれています。「記事の執筆に本人が参加することもあります。本人自ら編集したり、対象となる人々の代表が編集したりするかもしれません。彼らはノートやメールでウィキペディアンに連絡してくるかもしれません。あるいは、プレスリリースや個人のウェブサイト、ブログ、自伝などで情報を提供するかもしれません。当事者が提供した情報と記事本文の情報源無しの記述が矛盾する場合、出典の無い記述は取り除かれねばなりません。下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません。情報に当事者の知名度に釣り合うような重要性があること。論争が起きやすくないこと。不当に本人に都合よく書かれていないこと。第三者に対する主張や当該人物に直接関係ない出来事に関する主張を含まないこと。それが、確かに項目当事者自身で書かれたものであること。」本件に関しては、①引用元が本人であること②情報に当事者の知名度に釣り合うような重要性が有ること③論争が起きやすくないこと、の3つに該当すると解されます。また、非常勤講師という役職に関しては、MSNトピック、および当該情報を提供したJ-castニュースによって( http://topics.jp.msn.com/wadai/j-cast/article.aspx?articleid=2287038 )によって出典可能でございます。そのため、御本人の出典を前提とすること、および「『慶應義塾大学非常勤講師』の出典はありません」という主張は独自研究です。そもそも、合意形成が為されていない理由は、ノートを確認すれば分かる通り「誤解をされかねない表現である」という点にあります。そのため、誤解を避けるためには「非常勤講師」もしくは「常勤では無い講師」と記載することが適当です。

本件については、すでにノートで合意済みです。合意した結果、保護が解除されています。よく読んでください。 「塾外からの出講者(講師)」という表現は、社会通念上、肩書きとして用いません。慶應義塾大学のシラバスには「講師」と書かれています。 また、2013年11月26日現在(日本時間)、googleのニュースで検索をすると、「竹田恒泰 慶應義塾大学講師」では88件がヒットしますが、「竹田恒泰 慶應義塾大学非常勤講師」では2件しかヒットしません。しかも、大手メディアは全て「講師」を用いています。「慶應義塾大学講師」の肩書きは、①本人のウェブサイト、②本人著書のプロフィール、③慶應義塾大学のシラバス、④大手メディアが常に用いている、という状況にあります。したがって、仮に「非常勤講師」を用いた出典が存在していることをもって、これを書き換える根拠にはなりません。すでにノートで合意済みですから、これまでの議論を全て含んだ上で編集に参加してください。--国史研究会話2013年11月25日 (月) 23:16 (UTC)

追記)たしかに、大学院履修案内( http://www.gakuji.keio.ac.jp/mita/rishu/houken_rishu.pdf )においては、上述の「専任/非専任」の区別と同様に、(1)三田所属専任教員(教授・准教授・専任講師・助教)(2) 他地区の専任教員および塾外からの出講者(講師)という区別を行っています(p14参照)。しかし、本人が「塾外からの出講者(講師)」であるとは書かれていませんし、その他の慶應義塾の資料にも見当たりません。慶應義塾大学のシラバスには「講師 竹田恒泰」と明記されています。--国史研究会話2013年11月25日 (月) 23:25 (UTC)

大学の非常勤講師が「講師」を自称することはよくある。これは専任の大学教員(教授・准教授・(専任)講師・助教・助手)から見れば大変滑稽である。「講師」は学校教育法上の職階であり、非常勤か専任かは雇用形態の違いであるので、非常勤講師が講師を自称しても詐称とまでは言えない(なお、学校教育法上の「講師」ではなく、単に「話者・講演者」という意味で「講師」の語を使うこともあり、この場合「大学講師」を名乗ると詐称に当たるが、大学の講演会に呼ばれただけでその大学の「講師」を名乗っている者も散見される。竹田氏はさすがにそのようなケースには該当しないと信じたい)。しかし、大学の世界において、「教授」といえば専任の教授を指すのと同様、「講師」とは専任講師を指し、非常勤講師とは全く違う扱いを受ける。学校教育法上、専任講師は准教授に次ぐ身分であるが、非常勤講師はあくまでパートタイマー(アルバイト)であり、本来であれば「講師」よりも職階は下であるはずの(専任)助教・助手よりも格下であると見られることすら珍しくない(だからこそ「非常勤」であることを隠したがる非常勤講師が存在するのである)。大学で専任の職に就くためには相応の教育研究業績が求められるが、非常勤講師は「話題の人」や「教育研究業績はないが優れた実務経験を持つ者」をその職に充てることも多々あるからである。この点を鑑み、非常勤講師が「講師」を名乗るまでは嘲笑で済まされる問題であるが、これを非常勤講師と訂正されてなお「講師」を名乗り続けることは詐称であると言われても仕方がないと考えられる。少なくともこの考え方が大学人としては常識である。 また、憲法学及び環境学に関し学会(学界)で認められた研究成果がない以上、専門として憲法学や環境学を挙げるのは明らかに誤りである。これは「お金を使ったことがあるから俺は経済学者だ」と主張することと大差ない。