ノート:立花直次
「末裔のひとりに麻生太郎(内閣総理大臣(第92代)、自由民主党総裁(第23代))がいる。」とあるのですが、これのソースは何でしょうか?麻生太郎氏の項目ではまったく触れられていませんが。--ポテンシャル0(会話) 2015年6月4日 (木) 22:29 (UTC)
検証可能性
[編集]たびたび『糸島郡誌』の記述を元に異母兄弟として、糸島高橋家の祖先となったと伝えられる市郎丸(統重)の記載がされますが、記載が必要なほど検証可能性の高い史料でしょうか。立花家史料館や研究者の論文にも記載のない情報です。『糸島郡誌』以外に唯一記載のあった吉永正春著『筑前戦国史』ですが、こちらもソースは『糸島郡誌』と家伝のみです。全ての根拠となっている『糸島郡誌』ですがその説のソースの記載はありません。吉永氏もこの説について「立花家系図や各書にはこの名前は見受けられない。現地には高橋家が祀る始祖市郎丸の墓がある。おそらく後世の者が建てたものと思われる」「高橋家にゆかりのある人物とも考えられるが、明確な資料が現存しないので一応「伝」としておきたい」と付け加えられています。息子宗茂に実子がおらず、紹運女や直次実子などが宗茂の養子養女となっていたことなども鑑みると、信頼されている史料に記載のない人物の存在を、現時点で学術的な資料に記載されている子供と並べて項目に記述する必要が感じられません。『筑前戦国史』において吉永氏は糸島高橋家以外の高橋紹運子孫説をいくつか取り上げておりますが、どれも家伝以外での明確なソースがない情報としてまとめてあります。それ以外にも岩屋城落城に関する口碑伝承は多いので、この伝承のみを取り上げる必要もないかと思います。
また、『糸島郡誌』を誤字のまま何度も回復されておりますので、注意してください。--Burauza(会話) 2016年2月8日 (月) 05:56 (UTC)
- 利用者‐会話:Burauzaの方に質問させていただきました。ただ上記の話は十分に検証可能性を満たします。ウィキペディアの基準が「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」であるということをBurauza氏はご理解されないように思います。異説を異説として書くことに問題はありません。『筑前戦国史』も十分に出典として使えるので補強して市郎丸について書くことにします。ただしこの項目そのものは立花直次のページですので、ここでは脚注に留めるべきでしょう。改訂中の高橋紹運のページか、もしくは高橋市郎丸のページを新設して詳しく書こうと考えています。--Quark Logo(会話) 2016年2月8日 (月) 06:17 (UTC)
- 「上記の話は十分に検証可能性を満たします」とのことですが、『糸島郡誌』の資料としての検証可能性におきましては、信頼できる情報源#情報源にあります『ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。』に則りまして、ノートを書かせていただきました。『糸島郡誌』は一次資料であるというご認識をいただければと思います。また二次資料として『筑前戦国史』を挙げましたが、こちらにおける糸島高橋家のソースは『糸島郡誌』と伝承であり、文中でも『糸島郡誌』の信憑性が疑問視されておりました。よって十分な検証可能性を満たすと断言できかねるため、記載には議論の必要性があると考えております。--Burauza(会話) 2016年2月8日 (月) 17:39 (UTC)
- ただし、Quark Logo|氏は利用者‐会話:Burauzaこちらのノートにおきまして、まだ資料に目を通していないととられる発言をされております。なので今後wikipediaを改訂される際は資料に目を通したうえで慎重なご判断をお願いいたします。また誤字脱字に対しても、今後は慎重な書き込みをよろしくお願いいたします。--Burauza(会話) 2016年2月8日 (月) 17:39 (UTC)
- 高橋紹運のページを今後改訂される場合や、高橋市郎丸のページの必要性についても、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源、Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められる、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独立記事作成の目安、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません、等のページを参考にして、場合によっては議論を重ねたうえの記事編集、新設を検討していただければと思います。--Burauza(会話) 2016年2月8日 (月) 17:39 (UTC)
??は? 『糸島郡誌』は一次資料ではありません。資料とは何かわかってないようですが、利用者:Burauza(会話 / 投稿記録 / 記録)氏がなんと言おうと、一次資料ではありません。一次資料云々にこだわっているのは、Wikipedia:信頼できる情報源に一次資料を使わないように書いてあるからなんでしょうが、それも趣旨が違う。ちゃんとガイドラインに書いてありますが、一次資料慎重な扱いが必要というだけで、別に言及すること自体に問題は無いのです。そして『糸島郡誌』は福岡県糸島郡教育会が編集したもので、郷土の水月哲英氏の監修と書いてあり、普通の内容です。特に悪書とかいうわけでもなんでもない。ウィキペディアの基準で信頼できる情報源ですし、完全に二次資料に該当します。史書、軍記物とかの話も出てるので『筑前戦国史』は三次資料です。
そして「検証可能性≠信憑性」です。これを混同しないでださい。Burauza氏は、話がこんがらがっています。検証可能性は、出典が明示されることで完遂されてます。「十分な検証可能性を満たすと断言できかねる」と言ってますが、それは単に検証可能性を理解してないということですし、信憑性と検証可能性を混同してます。
「まだ見てない」と言ってますが、私が書いた記述のみに関しては、『筑前戦国史』は別に必要としないです。Burauza氏の主張にそれが必要というだけで、Burauza氏の削除編集の根拠というだけなので、それは当然であり、少し乱暴ではないでしょうか。一般的に望まれる編集とは、出典をもって追加して記事の精度を高めていくことです。Burauza氏については削除編集が主で、記事の向上という観点が欠けているのではないでしょうか。--Quark Logo(会話) 2016年2月9日 (火) 09:29 (UTC)
独自研究
[編集]IP:125.224.129.64(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)氏の「長実は鎮実の父で、宋雲を鎮実の娘と記載していたことは長実の誤記とするかもしれません。また、長実は二階崩の変で早世したので、鎮実が妹を養女として紹運と結婚する可能性がある」というこの記述は、明らかな独自研究です。ガイドライン(Wikipedia:言葉を濁さない、Wikipedia:検証可能性)を熟読ください。保護解除後に削除します。書く内容というよりも、書き方が間違っています。--Quark Logo(会話) 2015年11月25日 (水) 07:57 (UTC)