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ノート:祖神

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大小高低氏による編集への疑問

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大小高低氏による2019年12月26日 (木) 12:37‎ および 2020年1月16日 (木) 12:25 の編集に疑問があります。‎

  1. 「主な氏族と祖神の対応」につき、各追加項目の信頼性が疑問です。
  2. 史料価値について…『諸系譜』、『百家系図』が典拠として挙げられていますが、これらは近世近代の編纂ものであり、その史料自体の根拠が不明確な「一説」「珍説」に過ぎないものではないかと思われます。神典として広く認められている『記紀』、『古語拾遺』、『先代旧事本紀』や、せめて(これも後世の仮冒がたくさん含まれたものですが)『尊卑分脈』等に記され、現代の歴史学・神道学界隈で定説と認められているもののみを掲載すべきだと考えます。
  3. アラハバキについては、その実態も未だ未解明なものであり、その末裔にあたる氏族で、かつそれを「祖神」として崇敬している氏族は絶無ではないでしょうか。
  4. また、系統の全く異なる複数氏族にアラハバキが祖神として挙げられていますが、血縁上の氏祖のみを祖神と定義する以上、基本的に氏族と祖神は一対一で対照されるべきでしょう。
  5. 出雲氏・土師氏・菅原氏の項目では天穂日命の他に建比良鳥命・野見宿禰を挙げましたが、これは全て天穂日命の直系子孫であり、氏祖天穂日命と並んで特に篤く崇敬されていることから掲載しました。
  6. 代表的な祖神のさらに祖、またのちのちの子孫で神格化されているものを挙げていけばきりがありません。例えば、諏訪氏の項で大国主神は確かに建御名方神の父ではありますが、建御名方神はいわば出雲の分家という形で諏訪地方に勢力を築いたわけですから、大国主を祖神に含めるのは蛇足です。それを際限なくやれば、あらゆる祖神は伊弉諾・伊弉冉、あるいは高御産霊・神産霊に至ってしまいますし、平安神宮明治神宮さえ皇室の祖神になってしまいます。
  7. 「熊野神」は即ち「須佐之男命」であるとして挙げられていますが、そもそも熊野神=須佐之男命であるという定説が定まっているわけではありません。
  8. 皇族である豊木入日子命は、大田田根子を祖とする地祇系氏族大神氏とは少なくとも男系上は全く別系統であり、同じ項目に毛野氏を記すのは不適当ではないでしょうか。

その他列記すればきりがありませんが、以上のように疑問に思わざるを得ない記述があまりに多いのが現状です。一定期間中に信頼性の高い史料・文献に基づいた典拠が示されない場合、こちらでも調べて妥当と思われる記述は残すようにしたく存じますが、改めて大部分を削除したく存じます--Obendorf会話2020年1月18日 (土) 22:16 (UTC)[返信]


まず神道の基本をなすものは祖霊崇拝です。これらに多少のアニミズムも含まれますが、その後の仏教に与えた影響を見れば改めて議論することでもないでしょう。

  • 2→確かにこれら史料は近世編纂ではありますが、そもそもwikipediaには近世作であれば引用してはならないという原則は存在していないはずです。「一説」、「珍説」ともされますが、そもそも何をもって一説、珍説とするのかも不明です。多分に貴方の偏見、予断から来る一種の感情論のようにも受け止められます。確かに収集した系図の中には問題があるものも無いではありませんが、それら一部を取り挙げて指摘しても意味のないことですし、系譜学・祭祀学的観点からこれら史料が史料たりえない理由があるのでしたらご指摘願います。またそれを端的に指摘した論文なりをご提示頂ければ幸いです。また史料の信憑性でいえば明らかな偽作を指摘される『古事記』や『先代旧事本紀』などは論外であり、加えて前述の系譜学・祭祀学的観点の指摘が得られたとしても、それは『諸系譜』、『百家系図』の頁を作って考証面に掲載するに留めるものです。wikipediaはこれら史料の真贋を議論する場所でもないはずです。
    定説としても使えるものであれば尾張氏の祖神として系図史料や『姓氏録』に記載される綿津見命が挙げられます。
  • 3→アラハバキについては某偽書の騒動以降盛んに議論が交わされていますが、製鉄氏族との関係を指摘されていること、熊野神(須佐之男命)の祭祀者によって祀られているなどの点があります。つまりこの神は物部氏、出雲国造家及びその同族である武蔵国造家などの領域、神社において祀られ、古来からの原則で考えればアラハバキを遠祖として祀ったことは容易に考えられます。
  • 4→全く系統の異なる氏族とされますが、前述の通り出雲国造家と武蔵国造家は系図でも示されるように同族であり、また物部氏も含めてこれら氏族は出雲国造家が熊野大社を、物部氏の熊野国造家が那智熊野社を、武蔵国造家が氷川神社を、加えてアラハバキを祭祀した事情からも非常に近しい同族であったことが伺われます。祖神を「櫛玉命」と伝えることもその傍証でしょうか。
  • 5→確かに天若日子や下照比売は現存史料で祖神と伝えるものは存在しませんが、式内社として古来より出雲国造の領域内に祀られ、他にこのペアを祀るのは倭文氏が存在するものの、特に出雲地域においてこれらを祭祀した記録もありません。伊佐我命も式内社で出雲に祀られています。また祖神でないのならどういった縁で祀られたものでしょうか。
  • 6→原則として祖神として神社に祀られているものを列挙しました。例えば諏訪氏はその支配域に建御名方神、八坂刀売神を中心として父の大国主神、子の伊豆早雄命を祀ります。際限なくやればと仰いますが、例えば諏訪氏は大国主神より前の神、すなわち天之冬衣神や淤美豆奴神といった遠祖を祀ったのでしょうか。また系図に見えるものの、諏訪氏の領域外に祀られ正確な祭祀者が不明な武水別命や建御名方彦神別命などは列挙を控えました。
    神話に遠祖と伝える伊邪那岐命や伊邪那美命も祭祀した神社自体が限られ、祭祀者も不明です。また平安神宮や明治神宮について、確かにそれらが皇室の祖神であることは間違いありませんが、これら神社は祖神祭祀として創祀された神社なのでしょうか。少なくとも私はそのような説を耳にしたことはありませんが。
  • 7→熊野神=須佐之男命が定説ではないと仰いますが、では神道界隈で各熊野神社毎に祭神が異なるなど、そこまで議論が紛糾しているのでしょうか。
  • 8→確かに三輪氏、毛野氏は共に大国主神や三輪神を遠祖として祭祀するものの、意富多多泥古を共通の祖神とはしませんね。そこは訂正したいと思います。

--大小高底会話) 2020年1月19日 (土) 9:25 (UTC)

ご回答および一部編集ありがとうございます。
  • 2→天児屋命のページで、大小高低様の編集により、何の断りもなくタケミカヅチを父として、しかも順番として筆頭に記していることに驚きました。「また異説としては」などと注記して、出典を明記してあくまで附記として書き添えるのであればともかく、通説となっていないことをあたかも通説であるかのように記すのはいかがなものでしょうか。「通説でない」というのは、様々な文献にあたる、春日大社宮司や神道学の教授に「天児屋命の父は建御雷神であるか?」と質問するなどすれば容易に分かることでしょう。
古事記』や『先代旧事本紀』は偽書であり論外であると仰いますが、これらは序文のみが後世の付加であるというのが今日の通説です。ウィキペディアも偽書説に言及しつつも、この通説を主軸にして執筆されています。少なくとも、これらの書は平安・鎌倉時代以来、「神典」として神道において受容されてきたものであり、たとい全文が偽書であったとしても、神道における重要性は変わりません。新約聖書『ヨハネによる福音書』の編者が使徒ヨハネではないという高等批評が提唱されているにもかかわらず、ヨハネによる福音書は多くのキリスト教教派にとって非常に重要な聖典であることに変わりはない、ということと同じです。この一点を以てしても、大小高低様の方こそ偏見に満ちているのではないかと感じ、編集姿勢に疑問を強めます。
  • 5→“祖神でないのならどういった縁で祀られたものでしょうか”と仰いますが、逆に、祀られているだけで祖神であると見なすことはどうしてできるのでしょうか。出雲国造氏は代々出雲大社の祭司長を世襲していますが、天穂日命の末裔であり、(少なくとも男系では)大国主神の末裔ではありません。
“容易に考えられます”、“伺われます”という言葉が散見されますが、それはあなたの独自研究に他ならないのではありませんか?
  • 7→熊野三山および全国の熊野神社では、実際問題、“各熊野神社毎に祭神が異な”ります。むしろスサノオを主祭神としている方が少ないのではないでしょうか。熊野本宮大社では家都美御子大神が主祭神であり、家都美御子大神はスサノオと同一であるとは少なくともウェブサイトには記されていません。ウィキペディアの記事になっている神社を見る限り、全国の熊野神社では伊弉諾命、伊弉冉命、速玉男命、事解男命などを祭神としているところが多いように見受けられます。
  • 全体として、本記事「主な氏族と祖神の対応」のような単語の参照表・各記事への水先案内人的な記述の中では、諸説分かれるような事項は記さず通説のみを端的に記し、詳細・異説は各個別記事で解説すべきであると考えます。
  • 以上を踏まえて、現在の事項の疑問点を列挙します。典拠をご提示ください。
  1. 皇室-生島神(生産霊神、天活玉命)
  2. 中臣氏・大中臣氏・藤原氏・卜部氏(伊豆系・壱岐系)-火之迦具土神、波邇夜須毘売神、櫛真智命、建御雷神(天児屋命の記事において建御雷神を櫛真智命の子とする点も疑問)
  3. 出雲氏・土師氏・菅原氏-熊野神、天若日子
  4. 物部氏・穂積氏-熊野神
  5. 倭文氏-天若日子
  6. 大伴氏・佐伯氏-火之迦具土神、波邇夜須毘売神、天手力男神(天石門別神)
  7. 尾張氏・津守氏・海部(あまべ)氏-大国主神、綿津見神、住吉三神、宇都志日金拆命(阿曇氏と同族なのかという点を含めて)
  8. 賀茂県主氏-少名毘古那神
  9. 吉備氏-三輪神
  10. 毛野氏(上毛野国造・下毛野国造)-大国主神、大物主神、事代主神
  11. 阿蘇氏・宇佐氏-八幡神(阿蘇氏と宇佐氏が同族なのかという点を含めて疑問。宇佐氏の祖神は菟狭津彦ではないか? また阿蘇氏の祖神として健磐龍命は異論ないが、神八井耳命を除外した根拠が不明)
  12. 紀氏(紀伊国造)-火之迦具土神、波邇夜須毘売神
  13. 多氏・印波国造など-稚産霊神(多氏と印波国造が同族なのかという点を含めて疑問。多氏の祖神は神八井耳命でではないか?)
  14. 科野国造-生島神(天活玉命)、建御名方神(“女系遠祖”を祖神として掲載するのは蛇足ではないか?)
  15. 倭氏(大倭氏・大和氏)、久比岐国造-倭大国魂神(倭大国魂神と大国主神が同一神かどうかという点も議論が分かれる)
以上です。--Obendorf会話2020年1月20日 (月) 03:09 (UTC)[返信]

ご回答有り難うございます。

  • 2'→『古事記』や『先代旧事本紀』の史料価値、神道界における神典的価値についてはご指摘に対し特に異論はなく、この両書が偽書であるから参考にしてはならないなどと言うつもりは毛頭ございません。またwikipediaの記事は「学界の大勢や通説だけ」に基づく「研究誌」ではありません。現に学界の定説になっていないような説を掲載した頁は数多く見受けられます。「一説に」は付け足すべきかもしれませんが、記事を取り下げるほどのことでもないと思います。
貴方が『諸系譜』や『百家系図』を近世編纂で典拠不明な記事と申し上げ、「広く認められているもののみ」を掲載するべきと仰いました。私は言外に「真偽不明なものは載せるべきではない」と仰っているように受け止めましたが私の誤解でしょうか。例えその通りであるならば、何度も申し上げる通りwikipediaは史料の真贋を議論する場所ではないし、史料に対して疑問をぶつける端的な論文でもあれば、その史料の記事を新たに作りそこで掲載すれば良いだけ、としか言いようがありません。それにしたって掲載してはいけない理由にはならないはずです。『古事記』、『先代旧事本紀』を論外と書いたのは貴方の真贋性を前提にした記事の掲載・不掲載という姿勢に対して(真贋の問題で掲載不可なら両書は論外ということ)申したまでであり、両書の重要性を議論するつもりはありません。前後の文を読んで頂ければ文意がおわかりになると思いますが。
天児屋命の父祖に関しては別名に出典を添付したことで満足し、肝心なプロフィールの項目に出典を添付し忘れていたことは誠に痛恨のミスであり、そこは直ちに添付したいと思います。しかし必要な事は出典の提示であり、通説・非通説関係なく並べることではないのでしょうか。そもそも「通説」で言えば建御雷神だけに関わらず『記紀』において天児屋命の父祖に関する系譜記事は存在しないため、いずれの説も『姓氏録』や中臣氏関係の系図史料が出典の異説に過ぎません。何故建御雷神だけを取り上げるのでしょうか。
  • 5'→概要の記事を編集した通り、氏神は古くは氏(血縁集団)の祖先神であることがその定義で、彼らが祖神・氏神として祀った神を掲載の基準としています。出雲国造家はそもそも出雲東部にいた氏族であり、熊野大社を奉斎した氏族であることは特に異論がないと思いますし、東漸して祭祀権を掌握したとする見方もありますね。それをここで議論するつもりはありませんが。
それとご存知とは思いますが、出雲大社の祭神は長らく熊野大社と同じ須佐之男命とされていました。
  • 7'→本記事を案内役として個別の記事で掲載すれば良いという意見に関しても特に異論はないので、「主な氏族と祖神の対応」の記事から祖神を取り下げても一向に構いませんが、皇室の八幡神、出雲氏の櫛八玉命、倭文氏の天羽槌命、科野国造の建五百建命、賀茂氏の事代主神、武蔵国造の伊勢津彦など、明らかに祖神とされるものを取り下げた理由は何故でしょうか。明確な回答をお願いします。

--大小高低会話) 2020年1月20日 (月) 017:55 (UTC)

  • コメント 横から失礼します。Wikipediaの方針を踏まえると祖神の例を列記するような学術論文など二次資料を出典とするべきであり、系図など一次資料から祖神を判断するのは独自研究で方針外だと思います。--Saigen Jiro会話2020年1月20日 (月) 10:49 (UTC)[返信]
  • 返信 Saigen Jiro様、コメントありがとうございます。“一次資料に記載されている情報の解釈には、信頼できる二次資料が必要です。”(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)とありますね。また、一次資料にしても二次資料にしても、“信頼できる”資料が必要とあります(Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料)。大小高低氏の挙げておられる『諸系譜』、『百家系図』について、その史料価値の高さを論じた“信頼できる”著作(神道学や日本史学の学者が著したものなど、できれば複数)や、その記述を典拠として「建御雷神→天児屋命」という系譜を掲載した“信頼できる”著作などがあれば、一考の価値ありといえるところでしょう。しかし、それらが無ければ、やはり「一説」「珍説」に過ぎず、大小高低氏が“いずれの説も…異説に過ぎません”として同列に挙げておられる『新撰姓氏録』(平安初期に編纂され、1200年間にわたって諸氏族のアイデンティティとして受容されてきた歴史があり、それについての研究資料もふんだんにある)に比べれば格段に史料価値が劣ります。個別記事ではせめて注意深く「また異説としては」等と断ったうえで末端に記し、当記事のような大枠の記事には載せないべきであろうと考えます。また、出典としては『諸系譜』、『百家系図』の当該ページ番号を記すべきでしょう。--Obendorf会話2020年1月21日 (火) 06:26 (UTC)[返信]
大小高低様、ご回答および一部編集ありがとうございます。
  • 2'→建御雷神のみならず、天児屋命のページで他にその父として挙げられている興台産霊神、櫛真智命についても、本記事の中臣氏等の項目には掲載しないのが良いと考えます。建御雷神を天児屋命の父であるとして記すことに疑問な理由は、Saigen Jiro氏への返信のとおりです。
  • 5'→“氏神は古くは氏(血縁集団)の祖先神であることがその定義”と仰いますが、ある氏族の奉斎神が古義の「氏神」=「祖神(系譜上の祖先)」にあたるかどうかは別問題ではないでしょうか。出雲大社と出雲国造氏の関係に見られるように、特定氏族の「氏神」として奉斎されているからといって、そこに血縁関係があると見なすことはできません。その「氏神」とは、古義ではなく、語義の変化したのちの新義であるかも知れないからです。では何をもって血縁関係があると見なし得るかといえば、Saigen Jiro氏への返信のとおり、“広く認められた系譜”と“信頼できる研究資料”に依拠するのみと考えます。
  • 7'→疑問に思わざるを得ない記述があまりに多かったことと、大小高低様の会話ページを拝見して、大小高低様が別件でも不適当な編集を繰り返しておられることを確認し、信頼感を得られなかったため、一律差し戻しとさせていただいた次第です。しかし、明らかに祖神とされるものも含めて差し戻ししたのは早計でした。お詫びいたします。
以上を踏まえて、今回は具体的な編集提案をさせていただきます。
  • 中臣氏・大中臣氏・藤原氏・卜部氏(伊豆系・壱岐系)→「建御雷神」を削除。
  • 大伴氏・佐伯氏→「天手力男神(天石門別神)」を削除。
  • 阿曇氏・尾張氏・津守氏・海部(あまべ)氏→「綿津見神、住吉三神、宇都志日金拆命」を削除、別項目で「阿曇氏綿津見神宇都志日金拆命」を立てる。
  • 諏訪氏→「建御名方神」を冒頭に移動。
  • 阿蘇氏・宇佐氏→「八幡神」を削除、「神八井耳命」を挿入、別項目で「宇佐氏菟狭津彦」を立てる。
  • 多氏・印波国造など→別項目で「和珥氏春日氏小野氏丈部氏印波国造など-天足彦国押人命」を立てる。
  • 倭氏(大倭氏・大和氏)、久比岐国造→「倭大国魂神」を削除。
以上です。--Obendorf会話2020年1月21日 (火) 06:26 (UTC)[返信]
報告大小高低様、上記提案事項につき一部編集ありがとうございます。上記に基づいて、またいくらかの新規修正事項を含めて、私の方からも改めて編集実行いたしました。--Obendorf会話2020年1月22日 (水) 03:18 (UTC)[返信]