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ノート:盧溝橋事件

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7/11記事について

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「本来事件は、現地での停戦交渉の成立をもって終息に向かうはずのものであったが、現地情勢を無視した政府の派兵決定は拡大派を勢いづかせ、また中国側の反発を招くことにより、以降の事件拡大の大きな要因となった。」 ソースの提示をお願いします。 ソースが無ければ削除します。 --みや東亞 2010年10月13日 (水) 07:18 (UTC)[返信]

この部分は、秦郁彦「盧溝橋事件の研究」P244の記述がベースになっていますよ。ご確認ください。--ゆう(matunami) 2010年10月13日 (水) 11:19 (UTC)[返信]

ありがとうございます。投稿を見落としておりました。該当書籍を確認します。--みや東亞 2010年10月25日 (月) 15:49 (UTC)[返信]

当該書籍の第244頁には、「東京と南京が停戦協定とほぼ時を同じくして、大兵力を動員する介入策に踏み切ったからである」とあります。つまり、研究所にある箇所を南京(中国側)の視点からのみ記述している状況に陥ってしまっていたわけです。そのため、Wikipedia:中立的な観点に従って、このようにソース追加と書き直しをいたしました。Takabeg会話2014年9月16日 (火) 02:56 (UTC)[返信]

8/22/2013の削除箇所

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但しこれを画策したのは支那共産党であり、その劉少奇がスターリンの命令を受けて部下3人に発砲させたものであったのだ。つまりこの一発によって日本と中華民国を争わせ自分が漁夫の利を得ようと画策したものである。実際周恩来は1948年の中華人民共和国成立の際に「あの一発によって日本と中華民国が衝突し共に敗れ今日の我が国建国を成し遂げた」と述べているほどだ。

前半部分はソースが必要。後半部分は単なる意義づけの可能性もある発言(発言自体のソースも必要)を、事件をおこした動機であるかのように書いている。悪質。
この編集のことですか? Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源に従ってソースをつける必要があると思います。Takabeg会話2014年9月16日 (火) 03:19 (UTC)[返信]

61.18.88.76さんの編集をワンダリズムであるとしてリヴァートされていますが、元々ソースが無いですし、別にワンダリズムではないと思います。ソース付情報を除去した場合、ワンダリズムとみなされるかもしれませんが、やはり軽々しくワンダリズム認定するべきではないでしょう。一応、ソース付のデータを入れておきましたが、何日の戦闘までこの事件の戦闘とみなすのか分からなかったので、7月8日5:30に始まった戦闘のものだけ付け加えておきました。必要であれば、7月10日17:00ごろに龍王廟附近での世良小隊の戦闘と同日21:10頃の龍王廟附近の堤防陣地および龍王廟制圧時の戦闘データも付け加えることができます。西五里店での誤解による小競り合いで冀北保安隊が被った損害は加えるべきなのでしょうか?また、日本軍の戦力5600、支那軍のもの100000というのは事件に直接関与した戦力ではなく、支那駐屯軍と第29軍の総戦力が示されているようですが、それでいいのでしょうか?さらに、司令官田代皖一郎中将がこの事件当時機能していたか疑問で、指揮官の欄にこの人物の名前があるのには多少違和感を覚えます。Takabeg会話2014年9月12日 (金) 00:11 (UTC)[返信]

Excuse me for typing in English. I was trying to revert to a version with reasonable casualties number, nevertheless none of these cites any source. Since the current version is referenced, those numbers are probably fine. -Mys 721tx会話2014年9月13日 (土) 05:49 (UTC)[返信]