コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:生野峠

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

本項目から生野北峠と青垣峠を除去する提案

[編集]

本件に関し井戸端にて先行して議論を行いました。本項では初版以来現在に至るまで、生野峠とは「生野峠(真弓峠)」「生野峠(生野北峠)」「生野峠(青垣峠)」の三つの峠である、とされていますが、リンク先の地理院地図や現地の標識における表記から、私はこれを事実誤認であると考えております。そこで、生野峠(真弓峠)の名称を「生野峠」、生野峠(生野北峠)の名称を「生野北峠」、生野峠(青垣峠)の名称を「青垣峠」とそれぞれ定め、本項では「生野峠」のみを扱い、生野北峠と青垣峠に関する記述を除去することを提案します。この除去は反対意見がなければ一週間程度の後に行う予定です。なお、生野北峠青垣峠に関しては、今後必要に応じて新規に立項するものとします。

また、井戸端での議論により、これに付随する二つの論点が明らかになりました。

  • 生野峠は歴史的な経緯により位置が変更されており、現在の生野北峠が「旧生野峠」だったのではないか。
  • 生野峠の鉄道に関する記述は現状では「独自研究」ではないか。

前者に対する私の意見ですが、朝来市ホームページ県道姫豊線(現在の国道312号)が、生野町円山から小田和の集落を通って生野峠まで続いていたが、この間は、カーブがきつく、鉄道と平面交差をしているため、通行に不便をきたしていた。そのため、昭和29年に県移管、昭和33年にルート変更がなされ、県により播但線の東側を通る従来の鉱山道路を活用した形で、改修付け替えが行われたとあり、生野北峠は播但線(地下ですが)の西にあるため、やはり「生野北峠≠旧生野峠」ではないかと思います。井戸端で私は播但線の東側であるこの位置A地点と呼びます)が旧生野峠ではないかと指摘しましたが、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によると標高266m。(中略)第2次世界大戦後,国道のつけ替えで現在の峠の位置は4kmほど南に移ったとあり、これを傍証するようにこの位置B地点と呼びます)に標高266mの水準点があり、現在の生野峠のちょうど4km北方でもあります。しかし、B地点はブリタニカの言う「朝来市の南端」とも「中央分水界」とも異なる地点であるため、私はブリタニカの記述に事実誤認があると考えます。A地点のGoogleストリートビューで、[1]が「旧生野峠」と称する写真とほぼ同一とみられる地点を確認したため、私はやはりA地点こそが旧生野峠ではないかと考えます。「生野峠」と呼ばれる場所の移転については[2]に記述があります。私の結論は、生野峠とは但馬と播磨の国境上の峠であり、その位置は歴史的な経緯による国境の移動に伴い「旧生野峠」(正確な位置は保留)から「真弓峠」に変更された生野北峠は国道の付け替えにより旧生野峠とは別の位置に新設された峠であるというものです。なお、但馬の情報誌「T2」VOL.56 pp.8-9によるとA地点は「向峠」といい、かつては真弓峠と並ぶ交通の要衝であったそうです。姫路市ホームページにある播磨古道調査報告書 pp.28-29にもかつての生野峠に関する記述があります。

後者(鉄道の生野峠)に関しては、現在の記述は要出典であると感じるので{{要出典}}を貼りますが、追記や除去については鉄道に詳しい方にお任せしたいと思います。

新しい「生野峠」の内容の案を私のユーザーサブページに執筆しています。こちらにもご意見があればよろしくお願いします。--LABE会話2018年10月1日 (月) 02:13 (UTC)[返信]

コメント 改訂お疲れ様です。1点だけ。現在の脚注6番目でsubst展開されずそのまま表示されている{{Kotobank2}}は拙作テンプレートなのですが「<ref></ref>のタグ内でsubst展開は実施不能」という脚注タグの制限がありますので、テンプレートの利用説明に記述されている通りMediaWikiの仕様であり、ご自身のサンドボックスなどを使用しsubst展開・保存し自動展開された結果内容を貼付する必要性が生じています。つまりテンプレートの利用意図通りの表示結果ではありません。お知らせまでに。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年10月3日 (水) 18:49 (UTC)[返信]
Nami-jaさん お知らせありがとうございます。実は前回の投稿後にその問題に気付き、その後の追記の際に直すつもりでおりました。追記はまもなく投稿予定となります。--LABE会話2018年10月4日 (木) 02:09 (UTC)[返信]

反対 反対、というより不賛成・慎重意見です。端的に言うと、調査不足・独自研究です。もう少しちゃんと調べてからにしましょうよ、ということです。

  • まず、私が下記文献にあたった旨お知らせしておきます。
  • これらは私の手近な図書館で30分ほど眺めた程度です。私からはアクセスが容易ではないのですが、兵庫県史、朝来市史、生野史(全4巻)や、生野銀山関連文献にあたると、もっとずっと捗ることだろうと思います。
  • 『新日本地名索引』第一巻p87には、「生野峠(いくのたわ)」が3つ掲載されており、そのうち2つは同一地点を刺しています。
  • 生野峠(いくのたわ)E134°47’N35°08 - すなわち現在の生野峠(真弓峠)
  • 生野峠(いくのたわ)E134°57 N35°13 - すなわち現在の青垣峠
  • 生野峠(いくのたわ)E134°57 N35°13 - すなわち現在の青垣峠
  • これにより、青垣峠も生野峠の名を持つことが明確にわかります。すなわち、「私はこれを事実誤認であると考えております。」というLABEさんの推論は誤りということになります。
  • 乏しい材料であれこれ推測するのは楽しいことなのですが、Wikipediaでの記事の拠り所とすることはできません。(無意味ということはなく、それらの推測をもとに図書館で調べ物をするので、欠かせないプロセスではあります。)
  • そうした推測をもとに取捨選択するのではなく、やるならすべて白紙化して信頼できる情報源だけを使って書き直すべきです。
  • とりあえず一般論としますが、地名、とくに古い自然地名のようなものは、ピンポイントで場所を特定するのが相応しくないことも多々あります。また一つの事物が複数の名前をもったり、複数の事物が名前を共有したりします。ときにはそこに誤解から異なるものを同じ名前で読んでいたりもします。広域行政の都合で明治や昭和期に統一名称のようなものを法令で定めたりしていますが、それはあくまで広域行政の文脈で有効なだけで、狭い地域の文脈では昔のままの呼称が用いられてたりします。ややこしいのです。
  • 地名の場合、たとえば千曲川/信濃川が好例ですが、新潟の人は「信濃川」と呼ぶが信濃の人はそう呼ばない、ということは極めてよくあります。鎌倉街道なども好例で、「鎌倉へ向かう道」が全て鎌倉街道なのですが、鎌倉から見れば、それらは信州街道だったり房州街道だったりします。
  • 峠の場合には、ピンポイントの山頂部というよりは、A地点からB地点へ移動するの途上にある険所のことを峠などといっています。本件の場合にはどうも、大雑把に言うと、(1)「生野にいくときに通る峠」の場合と、(2)「山陽から山陰へ行く途中の生野らへんの山間部の総称」のような場合があるようです。
  • (1)の観点では、各方面から生野に行くための峠は全部「生野峠」であったりすることになります。その峠を逆に生野側から攻める場合には個々別々の呼称がついたりします。
  • 「あるようです」というのは、文献に「これこれの場合がある」と明記されているというよりは、いろんな文書を並べて眺めたらどうもいろいろあるようだと私が気づいた、ということです。
  • 狭義の「生野峠」を求めるならば、たとえば国土地理院地図などを基に、「現在の」生野峠(≒真弓峠)とすることもできそうです、が、もしかするとそれはかなり狭義で、いつから有効な概念なのかよくわかりません。(ブリタニカによる「移転」情報もあるし。)
  • たとえば『日本歴史地名大系29-1 兵庫県の地名』のp694「生野峠」の項目には次のように書かれています。
  • 「史料上の生野峠は播磨国側の追上峠をさすのか、但馬国側の田和坂峠をいうのか、判別できない場合がある」
  • 「『播磨国風土記』では生野は播磨国に属するので追上峠を称したと考えられるが、生野嶺は国境であって分水嶺である田和坂こそそれにふさわしいとする説もある」
  • 私の材料だけでは、この「追上峠」「田和坂峠」がどの座標なのかは明確にはわかりませんでした。(分水嶺にあり、小田和地区を通るのが田和坂でしょうねえ。ここでいう「峠」は、ピンポイントで坂の頂上というよりは、坂道全体を指すでしょう。)
  • 個別具体的なことを書き始めると長くなるのですが、大雑把に言うと次のような要素があるようです。
  • 生野は古代の風土記に遡る古い地名である。それゆえ史料や言及は多いがよくわからない(正確とは限らない)言及も多い。
  • 生野地域は、国でいうと日本海側の但馬国だが、水系でいうと山陽側の市川 (兵庫県)(播磨国)に属しており、昔から取扱いがややこしい地域である。国境(現在の生野峠)と分水嶺(生野北峠およびA地点)が別である。また、「現在の生野峠」がいつから道路となっていたのか(今の私には)よくわからない。
  • 南(山陽)との往来は古くはこの峠越えではなく市川の水運で、明治期に川沿いに馬車道が築かれたとある。(この市川沿いの険路を生野の峠道と表現するものもあるよう?)この市川経由ルートは古代から山陽と山陰を結ぶルートだった(らしい)。
  • 中世の「生野峠の戦い」もピンポイントではどこで行われたのかよくわからない。史料では「真弓峠」などと書いてあったりもするが、それが現在の「生野峠(真弓峠)」であるとは断定し難い。史料文献による混乱もあるようだ。
  • 資料により、生野峠の標高もかなり違う。「真弓と猪篠のあいだ」(≒真弓峠=現在の生野峠)を「320m」とする文献も多いが、国土地理院地図で見る限り、峠の頂部の標高は確実に350m以上ある。ここ30年ほどの間に30m以上土盛りしたのでもない限り。
  • 結局のところ、私も『生野史』などにあたっていないので、詳しいことはわからないです。ただ、文献によって「生野峠」が指す対象が違うことがわかります。先に書いたように、そういう歴史的・個別的なアレコレはさておき、道路行政上の便宜のために国道を管理する国交省としては「現在の生野峠」を「生野峠」と呼称することに決め、分水嶺のほうを「生野北峠」と呼称することに決めたということなのでしょう。しかし国交省の支配下にない情報源はそんなの関係なしにA地点を「生野峠」と呼んでいるかもしれません。たとえばブリタニカなども「事実誤認」というよりは、昔は分水嶺側を生野峠と呼ぶのが普通だったが、国交省のせいでその呼称が4km移ったということなのかもしれません。(こういうのはしょっちゅうありますね)
  • 「朝来市の南端」という表現も、必ずしもピンポイントでの南端ということではなく、「南の端の方面」ぐらいのニュアンスかもしれません。だって、現在の生野峠も正確には朝来市の南端ではなく、本当の「南端」は2.6kmほど南西の山上にありますし。朝来市も、つい最近まで生野町と朝来町に分かれていましたので、そこらへんも注意する必要もありますね。--柒月例祭会話2018年10月4日 (木) 12:00 (UTC)[返信]

峠についての言及を(委細未検討未整理のまま)列記します。

番号 文献 記事名 峠の名前 標高 位置・備考
a 『角川日本地名大辞典28 兵庫県』 生野峠 生野峠(真弓峠) 320m 猪篠と真弓の間。国道312号
b 真弓 真弓峠   播但国境。古戦場
c 『日本地名大辞典』 イクノ (北方の)谷峠 320m 「北方の谷峠(320米)を越えると朝来川の斜面」
d 『兵庫県大百科事典』 生野峠 生野峠 349m 「昔は生野街道筋の峠だが今は国道312号が通る」
e 『日本歴史地名大系29-1』 生野峠 生野峠 320m 中世には真弓峠(?)
f 生野嶺   近世の但馬街道(生野街道)筋の峠
g 追上峠   =真弓峠=現在の生野峠(?)
h 田和坂峠   国境?分水嶺?
i 生野越   播磨口番所と但馬口番所の間(?)
  • 『日本歴史地名大系』によると、口銀谷と小田和のあいだを生野峠とする史料がある。ここは「但播のさかいなり」とされ、「口銀屋町境の森垣村と小田和の間の坂道を生野峠と称していたのであろう」(p695)
  • 『日本歴史地名大系』によると、これとは別に、真弓と猪篠の間(真弓峠≒現在の生野峠)を追上峠とする史料がある。ここを真弓峠とする史料もある。江戸時代に円山川-生野峠-市川経由の陰陽短絡路の計画を立てた際には真弓峠を生野峠としている。(p695,p59)
  • 「生野=飾磨港に明治6年着工・明治9年に完成した馬車道(生野銀山道)」と312号がどこまで一致するのか不明
  • 国土地理院地図でみると、「A地点」は確かにちょうど320mほど。
  • aは「真弓峠」を320mとするが地図とは不一致。cの「谷峠」(320m)はA地点のこととすると平仄が合う。生野から見て「北方」だし、越えると朝来川(円山川)にでる。
  • 国土地理院地図でみると、現在の生野峠(真弓峠)は350mほどであり、dの349mとほぼ一致。
  • 峠と分水嶺についての関連の言及も多い。ただし、生野(村、町、地域)のことを「分水界にある」「分水域にあたる」とする文献もあれば、「(但馬国内だが)分水嶺外の山谷」と表現する文献もあり、ピンポイントを指すのかふわっとした範囲を指すのかは注意を要す。
  • (ここからは推測遊び)LABEさんのいう「カーブがきつい」「鉄道と平面交差」などは、ここらへんが旧道なんだろうと思います。「鉄道との平面交差」や、鉄道との位置関係(「播但線の東側を通る」)は、もしかすると現在の地図はあてにならないかもしれません。播但線もいまは長いトンネルでラクラクと抜けちゃってますが、もしかすると昔はもっと峠越えをしたり険しい隧道を通っていたかもしれません(生野駅の南側の市川沿いの旧路線跡についてはググるとたくさん情報があります)。ここらへんは鉄道分野の詳しい方に調べてもらえば一発で出てくるような予感はします。
  • 鉄道分野で「生野峠」というと、撮影スポットとしてよく知られていて、生野駅・新井駅間のこと、すなわちの北から南を目指すときに新井駅から坂を登っていく区間のことを指すようですね。--柒月例祭会話2018年10月4日 (木) 13:10 (UTC)[返信]
柒月例祭さん ご意見と、詳細な情報をありがとうございます。私も加筆案を書きながら、峠の位置や名称に混乱があると感じていました。お示しいただいた文献を私は読んでいませんが、自説に合う情報も合わない情報も区別なく収集して加筆案に落とし込んでいたつもりです。歴史的に生野峠と呼ばれた峠は複数あったことは間違いありません。そこで、いずれにせよ本項は以下のいずれかの状態にしなければなりませんが、柒月例祭さんとしてはどのようにお考えですか。
  • 現状のまま存続
  • 「生野峠」と呼ばれたすべての峠を公平に記述
  • 時代ごとの「生野峠」を中心として記述
  • 「現在の生野峠」を中心として記述
しかし、もう少しちゃんと調べてからにしましょうよやるならすべて白紙化して信頼できる情報源だけを使って書き直すべきとは、私の加筆案に対するご意見でしょうか。私の加筆案は、本項主題が井戸端で「特筆性に疑問がある」と指摘されたため、本項主題に十分な特筆性があることを実証するために補強したもので、「信頼できる複数の情報源」に従ったものであると考えています。私にはこれ以上、またはこれ以外のことは書けませんので、Wikipediaにふさわしくないという場合はどなたかに改稿をお願いしたく思います。ただ、事実誤認がないにしても、本項の現在の冒頭部分は「生野峠」に関して現状または歴史的に誤解を招きかねず、早急に改善しなければならないとの思いは変わりません。Wikipediaにおいて「生野峠」という名前の項目に記述するのに何がふさわしいのかははっきりとはわかりませんが(記事名の付け方の問題に起因する錯誤でしょうか)、必要なら「生野峠(青垣峠)」については青垣峠を新規立項して記述してはどうでしょうか。ちなみに、生野鉱山寮馬車道と国道312号のルートについては[3]にマップがあります。--LABE会話2018年10月5日 (金) 16:47 (UTC)[返信]
返信 たぶん私とLABEさんは共通の趣味があると思うんです、今回のような歴史/地理主題であれこれ探るのってその過程自体が楽しいですよね。
「調べてから」「白紙化」については、LABEさんの加筆案に対して、というよりは全体的な方向性についてです。(もちろん加筆案もその中に含むことになります)
とりあえずいま現時点でのことを言うと、私はこの主題は難易度高いなーと思っていまして、いまの私の持っている材料では、記事をどういうふうにしていくかを決めるには材料不足だ、と考えています。「まだわからない」というのが答えです。執筆の前に入念な下調べをする必要があり、「百科事典の執筆には簡単に検索した情報だけではとても不十分」なのです。
もちろん最終的には方向性を決めなければいけないですし、その時にはいくつかの選択肢からチョイスするということになるでしょう。憶測ですが恐らく「生野峠と呼ばれた複数の場所についての総合的包括的な内容」か、「特定の座標に関する限定的な内容」ということになろうかと思います。ただ問題は、史料・資料文献が「どの地点/いつの時点のことを指しているのかわからない/判別できないものがたくさんある」というところです。
LABEさんは「歴史的に誤解を招きかねず、早急に改善しなければならない」とおっしゃいましたが、そこは私は意見が違います。私は、別の今の記事のままでも「誤解」ではなく妥当な情報を提供している、改善の余地は大いにあるが、急がなければいけない事情はない、と考えます。
話の出発点として、井戸端でいまの記事に疑義が呈されましたよね。私はこの疑義はリーズナブルな疑義だったと思います。確かに現在の国土地理院地図・現地標識をみると「青垣峠を生野峠と呼ぶなんて間違いじゃないの?」と感じるのは自然なことです。ところが文献を調べてみると青垣峠も「生野峠」と表記されていたことがわかりました。なので結果的には、もともとの記事は間違っていなかった、ということになります。(適切な情報源が示されているかどうかは未解決ですが。)
  • なお、青垣峠が生野峠と表記されていたことを示す文献(『新日本地名索引』(1993))ですが、これは国土地理院地図に掲載されている地名を網羅したものです。つまり、今現在の国土地理院地図には「青垣峠」と書かれていますが、昔の国土地理院地図にはそこに「生野峠」と書かれていた、ということです。昔の国土地理院地図を直接確認していないので、「推測」ということになります。無理するとここから1972年の2.5万分の1「大名草」を見ることができまして、この地図の青垣峠相当地点には確かに「生野峠」と書いてあるような気がします。(ネットで閲覧では解像度が低いので細かい文字を判読できる水準にないのですが、少なくとも1文字目は「青」ではなく「生」じゃないかなあ、という程度。)たぶん、2001年の地図までそうなっていて、2007年の地図から文字列が変わっています・・・これは紙の地図を閲覧すればすぐに解決することであり、相応の調べ物をする必要はあります。(オンラインでは1972年が最古ですが、地図というのは明治に遡ります。)
  • 難易度高い案件を前にろくな下調べもしない時点でこんなことを言うのはアレなんですが、きっと結論としては、
  • (1)現在の生野峠(≒真弓峠≒?追上峠)の地点・時代に限定した記事にして、それ以外の(時間的・場所的な)「生野峠」は別記事とする、が記事作りとしては難易度が低そうに思います。
  • (2)「生野北峠」&「A地点」(≒向峠≒谷峠≒?田和坂峠)については、なんとなーく、同一ルートの旧ルート・新ルートとして両者を一記事で語れるんじゃないかなあという予感はしますが、具体的な根拠はまだありません。
  • (3)青垣峠=生野峠についても別記事にできそうな予感はしますが、これもまだ材料不足です。
  • (4)さらにこれらとは別に、歴史的に生野峠と呼ばれたものについての総合的な記事、
  • (5)場合によっては鉄道分野で言う生野峠(歴史的には「田和坂」に近いものになりそう)、があっていいでしょう。史料上は「生野峠」とされるがそれがどの地点のことかわからない、というものがたくさんあり、それらを網羅する形になります。
  • この(1)-(4)&(5)はすべて別記事にしたほうがやりやすいだろうと思います、記事名や曖昧さ回避でひどく悩むことになりますけどね(紙の百科事典ならば全部「生野峠」で済むのですが)。そうした完成形・最終型の前段階としては、現状の「生野峠と呼ばれた場所はあちこちあるよ」的なごった煮として今の記事のままでも、そう問題はないと考えます。
意地悪みたいですがLABEさんの下書きの問題点を列挙します。(下書きは下書きですから、下書きの段階のものに物申すのはちとマナー違反かなとも思いつつ。)
  • 信頼できる情報源ではないものを使用している。個人ブログは論外、個人サイトもほぼほぼ論外です。(個人サイトは、当該サイトの「表記を信じるならば」、誰が書いたかは追うことができ、地元在野の郷土史研究グループによるものだろうということはわかります。なので、その内容が嘘っぱちでデタラメだということではないのですが、Wikipediaでは採用できないということです。無価値ということではなく、これらのブログ・サイトの内容を裏付ける資料文献を探して調べればいいのであって、手がかりとしては有益です。)これら以外の情報源も、生野峠を主題として直接的かつ詳細に述べているものとは言い難く、オンライン上の断片の寄せ集めです。もう少し手間をかけて適切な情報源を探す必要があります。
  • 現在の記事は短いながら、ぱっと見で「生野峠と呼ばれる場所が複数(少なくとも3地点)ある」ことが読み取れます。それは正しい情報です。しかし下書きでは、生野峠という場所が1地点に限定されるかのように見えてしまいます。
  • 座標が示されていますが、これは「現在の生野峠(≒真弓峠)」の座標ですよね。
  • 冒頭部に「中央分水界をなす」とありますが、「現在の生野峠(真弓峠)」は明らかに中央分水界ではありません。これは誤った情報です。分水嶺になっているのは生野北峠&「A地点」です。
  • 同じく「生野峠と呼ばれる峠の位置は変化した」とありますがこれもほぼ誤っており、「生野峠と呼ばれる(呼ばれた)場所が同時に複数存在していた(いる)」のです。
  • また、冒頭部では国境についてもふれていますが、記事の中にも言及がある通り、時期によっても但播の国境の位置は変わっており、峠が国境ではない時期もあります。
  • 地名の扱い方が、昔のことと現代の地名がごっちゃになっています。古代の「生野」と現代の「生野」は範囲が違います。真弓村が生野の一部となったのは現代のことです。「生野」がどの範囲を指すのかは資料の文脈により様々で、江戸時代以前の生野(村・銀山)と真弓村や森垣村地域を含むのかどうかが不明瞭なまま一緒くたになっています。
  • 馬車道のルートについても、お示しの資料は手がかりとして有益と思いますが、Wikipediaの材料としてはあまりよいものではないです。こうしたリーフレットができるからには、その基になる情報源があるはずで、その情報源を探しに行く、というのが正しい対処です。
  • 確かにお示しの画像には標高361mとあり、それは疑いようないのですが、逆に言えばその写真しか根拠がありません。しかし文献資料では「320m」「349m」などの情報があります。現在の国道の峠が361m地点を通過しているのは確かなんでしょうけれど、他の情報にもそれなりの根拠があるはずで、調査不足・記述不足です。
下書きからは、限られた情報からLABEさんが苦心なさったことは読み取れます。ですが、残念ながらWikipedia的にはそういう苦心した情報の合成よりも、調べものによる材料から簡単に読み取れることを書くべきです。
さまざまな史料は、A地点のことなのか真弓峠のことなのか明確に示さないまま「生野峠」と書いているため、私たちが勝手に「これはA地点のことだろう」と推測して書くのはダメでして、明確に示されていないならその通り書くしかないor不確実なら書かない。
イージーなアプローチとしては「現在の生野峠の地点(真弓峠)」に限定した情報を積み重ねていくのがラクでしょう。確実に真弓峠地点のことに言及しているといえる情報源だけを用いること、真弓峠と呼ばれていた(いる)こと、明治期の馬車道、それを改修して成立した国道、あたりのことを書くことになるでしょう。『兵庫県大百科事典』の生野峠の項目はそういうふうに近代以降のことだけを書いており、銀山や旧生野峠のことはバッサリ切り捨ててあります。(不確かなことは書かない、というスタンスでいくと、それは賢明な方法と思います。)中世の合戦のことも「史料では真弓峠とあるがそれが現在の真弓峠のことかどうかは不確か」であり、そのことも明確にすべきです。
国交省(運輸省?)/国道に関する資料にあたるなどして、峠のルート改修や命名の経緯について確実な情報を得たいですね。--柒月例祭会話2018年10月6日 (土) 05:21 (UTC)[返信]
柒月例祭さん 趣味というのは少し違うかなと、私は提案ついでに本項の情報量を増やそうとしただけで、正直に言うともうあんまりやりたくないです(笑)。これまで多くの良質な記事を執筆してこられた柒月例祭さんですから、Wikipediaとしてふさわしい記事の書き方は私よりも心得ておられるでしょうし、今回の提案は合意を形成できないのかな、と感じています。提案の内容を「本項の主題としていつの何を扱うかについての合意形成」、に変更したほうがいいでしょうか。
「早急に改善」については、私は今回の提案で本件を先送りせず解決したいとの思いでそう書きました。現状の本項では「三つの生野峠」が大した説明もなく並立し、しかも地形図や現地の標識を見ればこれは誤りであると「思ってしまう」ような、閲覧者にとっては混乱こそ招きますが意義の薄い記述になっており、内容を追加するなり、記述する主題をどれかに絞るなりの対処が必要だと感じています。私の加筆案に、「複数の生野峠」の説明を加え、出典を妥当なものに改めるなど、修正を施して本項を加筆することはできるでしょうか。私の加筆案について多くの問題点を指摘していただきましたが、つまり「まるでダメ」ということでしょうか。私は普段は雑草取りのような編集ばかりをしていまして、こういった大掛かりな執筆には不慣れなので、私としては柒月例祭さんにぜひ本項の執筆をお願いしたいですが、あくまで希望ということで(笑)。
「結論」として「生野峠」についての記述方針案も示していただきましたが、それらの主題について複数の記事が書かれることもないでしょうから、項目を分ける場合には「どれかは書かれてどれかは書かれない」という結果になるのかなと思っています。私としては「本項には現在の生野峠を中心として記述する」のに賛成です。とはいえ生野峠の歴史の項目がないのであれば、本項でも歴史について触れなければならないと思いますし、どこかでの線引きは必要になると考えます。--LABE会話2018年10月6日 (土) 06:36 (UTC)[返信]
返信 そうですかあんまりやりたくないですか(笑) まあ、行きがかり上やむなく手を出すことになる、というのはWikipediaでは非常によくあることでして、これを機にLABEさんが本格的な執筆に取り組んでくださると嬉しいなあという感じなのですが・・・(笑)しんどいですよね、正直(笑)
気分を害されたらごめんなさい、「問題点を列挙する」というのは問題部分ばかりを指摘し、「問題がない部分」についてはスルーしちゃうので、「問題だらけ」と言っているようにしか見えませんよね。もちろん「まるでダメ」ということではなく、従前に較べて情報量は増え、良い部分もたくさんあると思います。
たとえば冒頭部分で「ぱっと見」で「生野峠と呼ばれる場所が複数ある」ことが明瞭であるようにすればよく、冒頭部分を改良したり、概要節を設けたりして複数の地点について小ざっぱりと書けば当座は解消するように思います。
  • (熟考したものではないですが、たとえばこんな雰囲気)生野峠(いくのとうげ、いくのたわ)は、兵庫県朝来市生野町周辺にある峠。おおむね播磨国・但馬国の国境に位置しており、歴史的には複数の峠道が「生野峠」と呼称されている・・・とかなんとか。
LABEさんの下書きの大部分は文量的にもっぱら「真弓峠」のことを書いていますから、概要文や節名などを工夫して、「以下は「現在の生野峠(真弓峠)」の話ですよ」と断った上でいろいろ書けばうまく納まっていくように思います。
LABEさんが使用なさった情報源の中では、但馬ふるさとづくり協会の資料が中核的です。この文書では、「生野峠=真弓峠+向峠」のような扱いをしていますよね。そして文書中では真弓峠の話と向峠の話が明確に区別されています。これに従えばWikipediaの記事も同じようにすべきです。一方、「現在の国道の生野峠」は(大筋で)=真弓峠ですよね。だから、「今話題にしている『生野峠』は真弓峠+向峠のことだよ」「今の文脈の『生野峠』は真弓峠のことだよ」ということが読者にはっきりわかるような書き方をするよう、注意する必要があります(もともとの情報源の側でそこが不明瞭だったりするので、なおさら難しいです。)。
  • 私が言った別記事云々は、あくまで本格的な調べ物をする前の「予想」です。調べ物をしてみたら変わるかもしれません。調べ物をする前の、いまの段階で記事に着手するとしたら、とりあえず全部まとめて1記事にしておいて、節で小分けしておくやり方もありえますよね。別記事にしておいて、出来上がってみてから統合を検討するというのでもいいですし、1記事で作っておいて出来上がったら分割するというのでもいいですし、そこらへんの過程はいろいろやり方が考えられます(実際にやる人がやりやすいやりかたでやればいい)。
今の時点で得られている情報からは、真弓峠と向峠(A地点)のことはぼんやり見えてきていると思います。しかし生野北峠と向峠の関係性についてはまだ明瞭にはわからないし、青垣峠については「以前は生野峠と表記されていた」こと以外には何もわかってないです。(わかっていないのは何も調べていないからで、ちゃんと調べればなにかあるはずなのです。)
  • 調べていないのでテキトーなことを言うのですが、「青垣峠」なる呼称、そもそも「青垣町」という地名自体が昭和30年の合併のときに急にできた新造の地名であり、それ以前には「青垣」なんて地名は存在しない(ハズ)で、それより前には「青垣峠」なんて呼び方であったはずがないのです。東側の麓である大名草村あたりから調べ物をすべきですが、『角川地名辞典』によれば、この村は中世か近世に生野銀山から銀を運ぶようになってからできた村だということなので、そうすると当時この峠を東の麓側からは「生野峠」と呼び銀の輸送ルートであったハズで、であるならば同じく鉱石の輸送ルートであった向峠・真弓峠とともに「生野峠」と総称する文脈もあるかもしれません。西側の地域(黒川)は中世から生野方面よりも但馬・丹波方面とのお取引が豊富だったようで、であれば青垣峠は当時のメインルートだった可能性が高く、何らかの歴史的ないろいろを持っているかもしれません。(現代の青垣峠にはNotableなことは何にもなさそうだと予想するのは自然ではあります。酷道とか心霊スポットとかの言及は見当たりますね、Wikipediaに書くほどの情報源があるかどうかは不明ですが。)いずれにしろ詳しく調べていないのでワカラナイので、ワカラナイ現段階では記事を分割すべきかどうかも判断しようがない、と思うのです。
あくまで予想ですが、記事にはこんなことが書かれるべきだろうなあと思います。LABEさんの下書きにはこれらがかなり盛り込まれており、従前の記事に較べてすこぶる発展しています。
  • 生野峠と呼ばれる場所が複数あること・資料による混乱があること
  • 各地点の概略、物理的な位置、歴史的呼称・変遷の概略
  • 「生野」という地名が古代・風土記に遡る旧い概念であること、生野街道・但馬街道のこと(『播磨国風土記』のような史料にはいろいろと難があるもので、そこに書かれていることが古代における事実を嘘偽りなく正しく伝えているかは怪しいこと、も含めて。)
  • 「生野」(村・町)の範囲の変遷(真弓村は以前は「生野」ではなかったこと、など。)
  • 分水嶺のことと但馬国・播磨国の国境のこと。LABEさんの下書きでは、1889年の町制を機に真弓峠が播磨と但馬の国境となった、というように書かれていますが、1889年にはもう「播磨国」も「但馬国」も存在しないです。言わんとすることはわかるので、もうちょっと改稿すれば解決するはず。
  • 赤松氏と山名氏の戦いのこと(ただしこれは史料からは正確にどこで起きた合戦なのかは判っていない)
  • 銀山がらみのこと(たぶんこれは生野銀山関係の大情報源に突っ込んでいくことになり、大変そう)
  • 江戸時代に計画された(実現しなかった)生野峠経由の陰陽連絡路のこと(これはLABEさんの下書きにないもの)
  • 明治の馬車道のこと(別記事があるので、国道のルーツとして峠部分のことだけに専念)
  • 鉄道の開通のこと
  • 馬車道から現在の国道に至る細かい変遷(ここ重要。私もここはまったく未調査。)
  • 現在の峠周辺のこと(工業団地のこと。これは『兵庫県大百科事典』にあります。)
私だったら、現段階ではわからないこと・疑問が多く、もっと調べ物をしないと私自身が納得できないので、執筆にはまだ手をつけられないなあ、という感じです。
「本項の主題としていつの何を扱うかについての合意形成」は、どこかの時点ではしたほうが良さそうとは思います、が、まだそれをできるだけの材料不足と思います。(私は急ぐ必要ないと思いますし、主題の難易度からすると、(私だったら)調査と執筆に1年かそれ以上かかるだろうなあ、という感じがします。時間的に集中できる方、兵庫県の図書館にアクセスが容易な方であれば、全然すぐできちゃうよ、という方もいるでしょう。)--柒月例祭会話2018年10月6日 (土) 10:00 (UTC)[返信]
 追記たぶん、私が言っていることは「良質な記事の選考」の水準を求めており、そこまでしなくても、LABEさんの草案でも飛躍的に品質向上となる、とも言えると思います。WP:DIG(だったら自分でやれよ)的でもありますね。--柒月例祭会話2018年10月6日 (土) 11:08 (UTC)[返信]
柒月例祭さん とりあえず、私もあまり時間を取れないので、早急にというのは撤回します。多くのアドバイスをいただいたので、後ほど時間を取って冒頭部分の見直しや概要節の追加などをしてみようと思います。私自身も加筆案を書きながら、生野峠を一つに定めることは難しいと感じていましたし、本件提案は「三つの生野峠の位置付けをより詳細にする」ことにより「閲覧者に無用な混乱を招かないようにする」ことでひとまずの私の結論としたいと思います。加筆案については引き続き意見を募集し、一定期間の後に本項に反映させたいと思います。
青垣峠についてですが、個人サイトですが[4]によると「黒川峠」なる別名があり、地元で使われてきた名称である可能性があります。丹波市防災メールでは現代において「生野峠」と呼称する例(ネット上ではおそらく唯一?)を見つけました(ただ別のメールでは「青垣峠」と呼んでいるものもあり、誤植の可能性も捨てきれなかったので情報源としては採用していませんでした)。
完全に余談ですが、近いうちに生野に出かけようと思っています。自宅から車で2時間ほどです。向峠や、馬車道の真弓峠付近のS字カーブ、街道沿いに複数残っているという「但馬起点一里塚」などを見て個人的に納得するのが目的です。写真も撮って、よく撮れたらコモンズに投稿しようと思います。ちなみに加筆案のInfoboxの写真は4年前に私が撮影したものです。生野北峠や青垣峠の両方面からの写真も手元にあります。青垣峠は頂上付近が最近改良され、驚くほどきれいになったのをGoogle Mapで知ったのでついでに通りたいです。
追記へ いえいえ、私としても、あらためて「良質な記事」のための条件、というよりWikipediaの本来の方針を再確認でき、勉強になりました。--LABE会話2018年10月6日 (土) 13:02 (UTC)[返信]
鉄道に詳しくはないのですが、SL時代からの有名な撮影スポットのようですね。川を上るのだから峠ではないような気がしますが、各サイトに「生野越え」という表現があったのでこれがオリジナルかも? --Triglav会話2018年10月7日 (日) 18:20 (UTC)[返信]

終了 (遅くなりましたが)本件提案については、「生野峠」という主題の複雑な事情に鑑み、より慎重に判断すべきという意見があり、議論の結果、今回は「生野北峠」と「青垣峠」の除去を行なわないことを合意内容として提案を終了したいと思います。ただし、最終的に本項「生野峠」においてどの峠を主題とすべきか、「生野峠」と呼ばれた他の峠をすべて含むのか、峠ごとに分割すべきかについての最終的な結論は、十分な情報源を元にした今後の議論に付したいと思います。ただし、ほかの峠については現状では独立記事作成の目安を満たさず、分割・独立記事立項の状況にないことは付記したいと思います。

また、かねてより執筆していた「生野峠」の加筆案を先ほど本項に反映させました。現在の生野峠(真弓峠)の歴史を中心とした加筆となります。今回の議論の結果を反映してみましたが、問題がある場合は引き続きノートで指摘していただくか、直接編集にて対応していただいて構いません。今回は議論にお付き合いいただきありがとうございました。--LABE会話2018年10月19日 (金) 11:23 (UTC)[返信]