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ノート:玄語

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本項目には以下のローカルルールが設定なされています。

  • 本項目について、2006年以前の版(この版 以前の版)の内容を転載により復帰させる場合は、本ノートでの提案・合意を経なければならない。

設定にいたった提案や議論については、ローカルルール設定の提案 までの節、Wikipedia:削除依頼/玄語 をご覧ください。


当記事の中立性について

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可読性と可用性の問題のため節を分割しました。また、ノートページでの議論の仕方についての注意事項を記しましたので、ご覧ください。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 00:09 (UTC)追記(下線部)。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 00:56 (UTC)[返信]

語法や階層構造, 論理学的基礎については、親記事の中にも一定の解説があったほうが理解しやすいと感じましたので、統合しました。 玄語関連の記事が最終的にどのくらいの規模になるのか分かりませんが、現状ではあまり細分することもないと思います。

また、「論理学的基礎」や「数学的考察」のように一般的な名称は玄語に関して論じている記事のタイトルとしては適切でないと思われます。日本関係の記事がそうしているように「玄語の」と付けて限定するか、あるいはサブページの使用が適切です。

また、一部に、三浦梅園研究所の固有の見解が含まれている気がします。

『玄語』を一般システム理論とみなす解釈は20世紀に行われた梅園研究ではまったく無視された

ということですので、Wikipediaの記事としてはもう少し中立化の必要があると思います。Yugui 11:43 2004年2月13日 (UTC)



なるべく中立性に考慮した書き方をするように心がけます。昭和における梅園研究においては『玄語』を日本における弁証法哲学と見なす学説が主流を成しておりました。それ以外の解釈は無視されるというのが、一般的傾向でしたので、無視された側の研究者はついつい過激になりがちです。でも適宜編集していただけるので、助かります。固有の見解ということにつきましては、条理=弁証法学説も最初は固有の見解でした。最初はみなそういうものだと思います。今日においては、電子文書を基本においた研究に取り組んだ研究者がたった一人だったという状況そのものに問題があると思います。コンピュータを使った研究の必要性をずいぶんと説いたのですが、十数年たったいまでもまったく取り組む気配がありません。日本の学界の問題でしょうか? Gengo 19:15 2004年2月18日--2004-02-18 10:26:41 contributions/220.109.116.46(履歴より確認された署名・日付を追加--ikedat76 2006年4月19日 (水) 14:59 (UTC)[返信]

出版された『玄語』の問題点をここに移動しました。--2004-02-22 11:01:08 contributions/Gengo(履歴より署名・日付を追加。--ikedat76 2006年4月19日 (水) 14:59 (UTC)[返信]



はじめまして。 梅園哲学の解釈についてですが、まず「西洋哲学との比較」ということが出ているのは、いかがなものかと思いました。 黒い言葉の空間―三浦梅園の自然哲学によれば、三浦梅園は、儒仏道、西洋科学のさまざまな文献を読み込んでおり、そこから彼なりに取捨選択し、統合し、思考を展開したということです。まずそうしたバックボーンを紹介するのは、いかがでしょう。 Hanmu 2005年7月12日 (火) 19:11 (UTC)[返信]


バックボーンの研究・紹介は、専門の学者の仕事として重要だと思いますが、きちんとそれをやった人がいませんね。それと山田さんの仕事は、梅園に関する限り、かなり怪しいです。Gengo 2005.10.05--2005-10-05 09:27:51 contributions/210.252.135.150(履歴より確認されたユーザー名および時刻--ikedat76 2006年4月19日 (水) 14:59 (UTC)[返信]


コンピュータとの整合性については、ライプニッツが『易』をヒントに2進法を考案したので、「『易』→ライプニッツ→コンピュータ」または「『易』→梅園」という流れはあるが、「梅園→コンピュータ」という流れは無理があると思います。Hanmu 2005年7月23日 (土) 05:51 (UTC)[返信]


それは、コンピュータ内部の論理(コンピュータの駆動原理)のことでしょう? それと『玄語』は無縁です。『玄語』の数理には0がありませんから、演算が出来ません。Gengo 2005.10.05--2005-10-05 09:27:51 contributions/210.252.135.150(履歴より確認されたユーザー名および時刻--ikedat76 2006年4月19日 (水) 14:59 (UTC)[返信]


項目「三浦梅園」にあった記述のうち、「玄語」関連のものは、項目「玄語」に移動しました。Hanmu 2005年7月23日 (土) 06:15 (UTC)[返信]


『玄語』はコンピュータの論理と直接に関係を持つものではなく、データベースおよびハイパーリンクと関係を持つと考えられます。全体として、地球生態系のおおまかなデータベースになっております。 Gengo2005年10月3日


Gengoさん、お返事ありがとうございます。だいぶ文章量も増えてますね。

>一貫したデータ処理を困難にしている。この問題の解決には、マークアップ言語を用いる必要があるが、まだその試みは為されていない。

上記箇所は、三浦梅園研究所の「固有の見解」ではないでしょうか。三浦梅園研究所サイトは見せてもらっているので感謝していますが、この場所では中立的なほうが望ましく思います。 Hanmu 2006年2月5日 (日) 10:32 (UTC)[返信]

『玄語』という題材とWikipedia

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可読性と可用性の問題のため節を分割しました。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 21:15 (UTC)[返信]

本記事の問題点は中立性ではないでしょう。Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#オンライン百科事典と違うものにある「個人の随筆や論文」ないし「独自の調査結果の発表」であること(また、そのことを投稿者自身が認めている)です。この問題が改善されないならば、Wikipedia:削除の方針#削除の対象になるものの「ケース E: 百科事典的でない記事」に言う「研究結果の発表」であると判断せざるを得なくなるでしょう。また、中立性の指針にしても、そうした非百科事典的な記事を許容することを要求しているわけではありません。--ikedat76 2006年4月19日 (水) 14:59 (UTC)[返信]

Gengo です。ご無沙汰しておりました。『玄語』は取り扱いの難しい書物です。未だに底本さえ定まっていない状態ですし、PCの検索機能を使った研究など、誰もやってはおりません。その必要性を梅園学会などで、ずいぶん説いたのですが、会員が高齢であることもあって、取り上げられないままです。半世紀以上、学界の通説であった、条理=弁証法説も、結局は、三枝博音の個人的見解でしたし、しかも、その解釈の根拠とした文例が、『玄語』の中にあるとされていたにもかかわらず、実は梅園が書いていない架空の文であることが判明しております。しかし、条理=弁証法説を認めない者は無視されるという状況が長く続いておりました。こういう研究状況の中で、中立的であることは困難です。私は、自分の書いた記事が訂正され、適宜編集されることに異議を唱えているわけではありません。海外にも『玄語』の研究者はおりますし、彼らにもデータは送っていますので、海外から編集・訂正などの書き込みがあるかも知れません。『玄語』という素材が、wikiで扱うにふさわしいほど、素材としてこなれていないのが一因であるように思いますが、それは、歴史の中でこなれていくのを待つしかないでしょう。そういう素材は、いつの時代にも存在するでしょう。Gengo 2006年4月20日 (木) 05:01 (UTC)(署名位置を修正。署名は発言の最後にお願いします。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 00:09 (UTC)[返信]

Wikipediaには明確な指針があり、それに合致しないものは掲載できません。「wikiで扱うにふさわしいほど、素材としてこなれていない」ものがいつの時代にでもある、ということと、それをWikipediaに掲載してよいかどうか、は全く別の問題です。
仮にその点を譲歩するとしても、Wikipediaにおける中立性の概念に反した記事であると指摘しなければなりません。中立性の指針(特に2.5節および2.7.10節)をきちんとお読みください。Wikipediaにおける中立性の概念とは、---極論すれば---意見の対立のある対象について書く際には両論併記、ということです。Gengoさんのおっしゃるような研究状況だとしても、Wikipediaにおける中立性の指針に従うことは不可能な要求ではありません。むしろ、そうした研究状況をよく知っているにもかかわらず、自説のみ有利な編集をすることは、Wikipedia記事としても学術論文としても歓迎されないと指摘しなければなりません。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 00:09 (UTC)[返信]

私自身を含めて、『玄語』研究そのものがまだこなれていない。いずれ書き改めることが出来るでしょう。あるいは、書き改めてくださっても構いませんし、削除していただいても構いません。三枝博音から続いている梅園研究は、今日なお継続しているものなので、それについて書くことは難しいです。それに私のようなアンチ弁証法の立場に立つものは、三枝以降の研究について何かを書けるほどには、情報を持っておりません。古在由重氏は「梅園の思想が弁証法でないならば、私は梅園には興味がありません」と言っておりました。湯川秀樹氏は、玄語の図を見たとき「これは原子モデルに近いものだ」と驚嘆しました。三枝、古在、湯川のような巨大な学者が、どのような玄語解釈を持っていたのか、どのような梅園感を持っていたのか、私のような市井の学者には分かりません。3本の貴重な論文を書かれた末木剛博氏の玄語理解は、論文を通じて、また書簡の往復を通じて、いくらか存じ上げておりますが、これは形式論理学的立場からの個人的研究であって、この解釈に同意する人はあまり居ません。そのなかにコンピュータを使った『玄語』研究というものがあって、それは今のところ私以外にやっている人がおりません。玄語研究は、  

漢学的立場からの研究(主たる研究者:田口正治、高橋正和、ともに故人)
弁証法的立場からの研究(主たる研究者:三枝博音、古在由重、ともに故人)
論理学的立場からの研究(末木剛博)
書誌学的立場からの研究(主たる研究者:五郎丸延)
梅園学会における研究(主たる研究者:小川晴久、その他会員)
比較思想史的立場からの研究(主たる研究者:近藤均)
電子文書による研究(主たる研究者:Gengo)


とありますが、これらを網羅的に書く力は私にはありません。これらの研究の特徴は、それぞれがそれぞれの立場から行ったものであって、議論の摺り合わせがまったく為されていないと言うことです。摺り合わせる以前に、無視と嘲笑と怒号がありました。wikiの基準は、ひとりの研究者にとっては、あまりにハードルが高すぎます。もし、基準に沿わないのであれば、削除されればよろしいと思います。今その山に登っているものに、その山を遠くから見た姿を描け、あるいは、あるルートから登っている者に、他のルートについても書けと言われても、それは無理というものです。Gengo 2006年4月22日 (土) 13:44 (UTC)[返信]

多くの人が参加し、協力して編集することで、よりよい百科事典を目指すのは確かにWikipediaの精神でしょう。しかし、だからといって最初からルール抵触すれすれの記事を投稿してしまうのは信義に反しはしませんか?
市井の学者」であることは言い訳にはなりません。ある分野(この場合梅園の思想)についての研究者を名乗るのであれば、自分の研究主題における先行研究のレビューが行き届いていることが条件です。すくなくとも私が大学(学部および大学院)に在籍した当時に受けた教育はそう教えていました。また、研究主題に関連するものがあるかぎり、他の専門分野にも目を向けなければならない、とも教えられたものです。Wikipediaが求めている中立性とは、そうしたレビューをひとつの範例とするものです。
しかし、それを「摺り合わせがない」「無理だ」と言って、Gengoさんはなさらないわけです。もし、“先行研究がどうなっていようが知らない”という態度で梅園学会に臨まれたのなら、それは無知なアマチュア扱いされても仕方ありません。それが知的な作法であって、それを老化うんぬんするのは(100%不当とはいわないが)失礼と言うものでしょう。それに、そうした一方的な思い込みとも映りかねない仕方で評価されたとして、梅園翁が喜ぶものでしょうか。--ikedat76 2006年4月22日 (土) 15:24 (UTC)[返信]

私は、梅園学会が結成される前からの研究者ですし、第1回からの参加者で、20年間は会員でした。梅園学会の事務局員として仕事をしたこともありますし、とある大学の漢文学研究室で開かれていた研究会に数年は参加しました。いくつかの大学の院生もおりましたし、指導教授もおりました。私は、底本作成と電子文書化の必要性を説きましたが、聞き入れられませんでした。したがいまして、私は梅園学会を退会し、みずから底本を作成し、電子文書としての玄語の資料整備をしました。それは本来は、大学で行うべき仕事であって、市井の研究者が行うべき性質のものではありません。梅園翁が悲しむとすれば、みずからの学問が政治的に利用されたことでしょう。『玄語』が理解されなかったことについては「千年の知己を待つ」として、生前すでにあきらめておりました。『玄語』の思想とヘーゲルの思想が類似性を持つことは、末木論文「梅園とヘエゲル」であきらかです。類似点よりも相違点の方が多いことも明らかです。しかし、梅園を和製ヘーゲルとして称揚してきた人たちは、梅園の思想とヘーゲルのそれを同一視してきたのであって、その方が一方的な思いこみであり、その思いこみに同調しない人たちを排除してきた排他性は、学問本来の中立性を蹂躙するものでした。それは政治であり、プロパガンダでありました。Gengo 2006年4月23日 (日) 05:52 (UTC)[返信]

Gengoさんの苦労話をお願いしたつもりはないのですが。それはともかく。それほどの経歴をお持ちなら、信頼される学術論文は「敵」の主張もきちんと書かれなければならないことはご存知でしょう? くどいようですが、Wikipediaにおける中立性の概念とはそうしたものによく似ているのです。そして、私が求めているのもそうしたことです(むやみに削除に追い込みたいわけではありません)。それをしないでいる現在の記事は、ご自身に「同調しない人たち(の意見)を排除」しているもので---つまり、Gengoさんが批判してやまない人たちと同断の振る舞いではありませんか?--ikedat76 2006年4月23日 (日) 06:47 (UTC)[返信]

5年後か10年かければ書けますけどね。それまで削除しておきましょうか? ご要望に添うような記述になってから登録すると言うことも出来ます。私は、いずれでも構いません。本当にどちらでも構いません。むしろ削除した方が、こういった煩わしさが無くなるので、楽です。私個人のwebに書けば済むことですし・・・・  Gengo 2006年4月23日 (日) 09:52 (UTC)[返信]

さてさて、まだまだのようですね。wikiってものが何だかよく分からなくなりました。Gengo 2006年4月28日 (金) 12:37 (UTC)[返信]

全文削除し、推敲の上、いずれまた投稿します。Gengo 2006年4月29日 (土) 01:39 (UTC)[返信]

削除にも手続きか・・・。ホンマにやっかいやねえ・・・。もうwikiには、関わらないようにするわ・・・。紙に書かれた百科事典とどう違うの?? Gengo 2006年4月29日 (土) 15:26 (UTC)[返信]


本文をざっと読みましたが、記事が偏って肥大しています。全体の構成が整っていないのは仕方ないにしても、市井の研究者による、斯界への非難とはいわないまでも極めて批判的な立場をもって展開された自説となっていおり、これは『三浦梅園研究所提供「三浦梅園の謎を解く」』という執筆者のサイトの宣伝でもあります。

この説自体は非常に興味深いものですが、どんなに優れた論文であっても、百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の記事には不適切といわざるを得ません。ご本人も一旦は全文削除を試みられた様でもありますので、この記事全体を削除し、公平な立場の記事が投稿されるのを待つべきでしょう。 2006年11月4日 (土) 00:15 (UTC)[返信]


2点のみ書いておきます。

梅園学会に私を「無知なアマチュア扱い」する人は居ないと思います。「市井の研究者」である私は「斯界」(何これ? いわゆる権威筋のこと??)の専門研究者(を自称する人たち)が底本あるいは定本すらまともに作っていないので、やむを得ず自分でそれを作りました。来月の梅園学会で、梅園学会版玄語の作成と、梅園生誕三百年の記念事業としてそれを出版することを提唱するつもりです。
岩波版、あるいは、梅園全集版の『玄語』は、長子三浦黄鶴(こうかく)の理解不足による訂正が多数混入していますので、そのまま三浦梅園の著作と認めることは出来ません。岩波版・梅園全集版ともに三浦黄鶴編集版『玄語』なのですが、どこにもそのことを書いておりません。つまり編著者自身がそのことを知らなかったのです。私は、岩波版の翻訳を執筆した島田虔次氏とは面識はありませんが、協力者の田口正治博士や緒方純男氏とは何度かお話ししておりまして、そのことは確認できております。岩波版の編集方針は田口正治博士の「版下本を以て玄語の最終稿本とする」という決定にしたがっておりますが、それは「三浦黄鶴編集版玄語を三浦梅園自筆の玄語とみなす」というのと同義であり、これがそもそもの間違いの始まりでありました。
定本決定には方法がふたつあります。ひとつは五郎丸延氏が梅園学会報六号で提唱したもので、文献学的方法です。
もうひとつは、梅園自身が設定した記述ルールに従って、最も妥当と思われる文を採択し、採択されなかった文は、全て校注に回すと言う方法です。
もっとも、いずれにの方法によっても、ほぼ妥当な準拠本が作られるに過ぎず、「これが玄語だ」という形のものは作られません。というのは、梅園自身が活字に起こせる形で『玄語』全八巻を遺しているわけではないからです。したがって、研究用準拠本しか作ることしかできません。それでも、無いよりははるかにマシです。こういう作業が必要なほど、三浦黄鶴の訂正・編集作業には間違いが多すぎます。黄鶴その人は、非常に優れた儒学者であり、また杵築藩の家老を務めたほどの有能な人物でした。また、版下本があるから、後世このような訂正作業が出来るわけですから、その歴史的価値は大きなものがあります。Gengo 2007年9月22日 (土) 14:12 (UTC)[返信]

補足です。少なくとも一度は梅園自身が確信を持って書いた文字のみによって書かれた『玄語』は再現できます。梅園全集版、岩波版は、黄鶴の筆が入っているのが問題なのです。Gengo 2007年9月22日 (土) 14:15 (UTC)[返信]

このページで議論をされている方々へ

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  1. Wikipedia:ノートページおよびWikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするをお読みいただき、可読性の改善にご協力ください。
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  3. これだけで分かりにくければ、他の記事のノートページを見るなどしてくださるようお願いします。--ikedat76 2006年4月19日 (水) 14:59 (UTC)[返信]


ローカルルール設定の提案

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Wikipedia:削除依頼/玄語 での同意に基づき、記事の大幅な整理を行いました。さらに以下のような本記事限定のローカルルールを提案いたします。2週間程度様子を見まして、大きな異論がつかなければ本項目のルールとして設定させていただきたく存じますので、ご検討・ご意見よろしくお願いいたします。--スのG 2007年1月11日 (木) 17:44 (UTC)[返信]

今回、多くの Wikipedia 賛同者が適否を判断できない記事が存在し、現在のルールでは手が着けられないことが明らかになりました。『玄語』は歴史上重要な文書でありながら、マイナーなものだということです。たまたま私は以前、岩波の『玄語』を読んだことがあったために問題に気付きました。Gengo さんはこの本を非難していますが、この岩波の本(絶版?)以外には一般の人には『玄語』を入手できないと思います。今後、同様な事態の発生の可能性を考慮して、ローカルルールではなく是非とも標準化すべきだと思います。 2007年1月13日 (土) 11:02 (UTC)[返信]

  • ローカルルール案:本項目について、2006年以前の版(この版 以前の版)の内容を転載により復帰させる場合は、本ノートでの提案・合意を経なければならない。


背景と理由:本記事の Wikipedia:削除依頼/玄語 提出時点の内容は量的に大規模ではありましたが、その大部分は残念ながら Gengo さんのご自説であり、主要な学説はほぼ省かれていた状態でした。Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自の調査 の各方針に抵触する不安定な内容であることと、その大規模さゆえに多少の編集では各方針に合う形へ持って行くことが非常に困難であったろうことは、本記事とノートをウォッチされていた方には異論がないところと思います。今回、応急処置的に記事内容の大幅な整理を行いましたが、これからはまず主要な学説を主要なものとして、Gengo さんのご自説を解説するならば現時点での傍流として、加筆編集するべきと考えます。本ルールは、当面の加筆にあたり中立的な観点を担保するためのものとして提案いたします。将来、それぞれの学説がバランスよく記述される目処がたった段階で、本ルールの解除をご検討いただければと思います。--スのG 2007年1月11日 (木) 17:44 (UTC)[返信]

大きな異論がなく一定時間が経過したことを踏まえて合意とみなし、ローカルルールとして設定いたしました。2006年以前の版の内容を復帰させる際は編集作業の前に、ノートにて提案・合意の形成の上で執り行ってください。--スのG 2007年1月29日 (月) 04:31 (UTC)[返信]
※極めて難解な、かつ独自な哲学書ですからとりかかるのに逡巡してしまいますね。しかしながら、あまりに本文がさびしすぎます、もともと梅園が弁証法的態度を貫いていたこと自体はまごうことなき事実でしょうから、どなたか部分的にでも復帰させる方が現れないものでしょうかねぇ。2年も放置されているとはね、、、、かといって手をつけようにも、エネルギーも知識も自分には、、、。Gengoさんのような梅園学会の方が離れざるを得ないのがウィキペディアの限界なのでしょうか。最も独自研究は排しなければならないでしょうがね、そのうち記述工夫してみましょうか。papamaruchan22 2009年8月18日 (火) 02:22 (UTC)[返信]