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ノート:烈風

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提案表を記事にはって、議論せずに分割する行為は薦められません。あと、曖昧回避にする場合は、選択肢として2記事が必要ですが、1記事しかない現状では、分割は不要です。(あと、移動を使わずに、分割指定あるので履歴問題がよろしくないのだが。)--Los688 2006年12月2日 (土) 13:45 (UTC)[返信]

ミリタリーマニアには比較的人気がある。とありますが、出典を明確に出来ない憶測や主観、推論に基づいた記述はいかがな物かと思います。 。--以上の署名のないコメントは、121.1.167.101会話/Whois)さんが 2007年3月11日 (日) 18:49(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。

  • ↑基本的に賛成。主観的かもしれませんね、前後の記述に気をつけて編集なさってはどうでしょうか。papamaruchan22 2007年5月4日 (金) 10:56 (UTC)[返信]
    • いわゆる「幻の戦闘機」の中では、特異な機体である震電と並んで抜群の人気と知名度を得ている事は間違いないでしょう。その種の書籍の多くに、かなり大きな扱いで取り上げられている事は傍証にはなると思います。翼面荷重や発動機問題など、用兵側の「不当な押し付け」によって活躍の場を奪われた悲運の戦闘機、というイメージが堀越氏や碇義朗氏らの著作によって広く浸透し、半ば判官びいき的な人気を得ている側面もありますが。ただし表現については再考の余地もありますね。--202.225.110.132 2007年5月5日 (土) 04:20 (UTC)[返信]

キ84の防弾装備について

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>因みに烈風とほぼ同時期に開発が始まった陸軍のキ八四(後の四式戦疾風)も当初は防弾装備の搭載は考慮されておらず、開発途中で追加装備されている。

キ84の防弾装備の要求は計画当初すてにいる、また陸軍単座重戦闘機の操縦席防弾が本格的に考慮されたのもキ44(鍾馗)開発のときからだった。碇義朗『決戦機疾風 航空技術の戦い』(光人社NF文庫、1996年) ISBN 4-7698-2122-0 第三章 二千馬力戦闘機計画 p75およびp98~p99を参照。--玄史生 2008年4月16日 (水) 17:36 (UTC)[返信]

出典の明記

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脚注に、

堀越二郎は戦後に記した著書において、「エンジン出力が3割低下すると速力は1割、上昇力は4割低下する」と指摘している。

とあるのですが、原典の書名が書かれていないので何を参照したのか分かりません。--61.114.204.208 2011年3月19日 (土) 16:09 (UTC)[返信]

零戦 堀越二郎・奥宮正武 朝日ソノラマ文庫 P445 の記事です--優羽&アイ会話2022年5月18日 (水) 09:01 (UTC)[返信]

局地戦闘機か否か

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運用は空母が既になかったので陸上機として配備するしかないので局地戦闘機とする表現も有りでしょう、が、あくまで運用上の話しであります。本機体は甲戦ですので機種的にはその記号が示すように三菱製の七番目に開発された艦戦ですし、烈風という「風」の名前の示す通り主力戦闘機なんですよね。『電の付く名前の防空戦闘機=乙戦=局地戦(雷電とか紫電)』や『夜間戦闘機=丙戦=光(月光とか電光)』の範疇には入らないのです。関連記述直しておきました。papamaruchan22 2011年8月25日 (木) 14:25 (UTC)[返信]

現実問題として、海軍で烈風を正式に「局地戦闘機」として分類し直したのかどうか、したのならば、それを示す文献名が欲しいところですね(同様に、私は海軍部内で彗星を「陸上爆撃機」と分類したという文献・書類の引用・映像を見た事がありません)。ウィキペディアは、記載内容が検証出来るかどうかが大切ですし、マニア同士の知識披露大会ではないのですし。--Prince Skyline S54B会話2016年3月25日 (金) 09:22 (UTC)[返信]

某ゲームコンテンツにより作成された原寸大模型の取扱について

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本日小規模な編集合戦が行われていましたがこれをどう扱うかを議論するべきだと思います--以上の署名の無いコメントは、Fahrenheit1919ノート履歴)さんによるものです。--アルトクール会話2019年5月13日 (月) 14:13 (UTC)[返信]

コメント 実物大として模型が製作・展示されたことが『重要』であるならば、一次資料ではなく二次資料によって書かれるべきものとなります。例えばこの差分においては、「いついつ時点において世界で唯一である」という文言がありますが、これはあくまでこの模型を製作した側の自己評価あるいは過剰な形容(Wikipedia:大言壮語をしないに抵触するもの)になっていますので、書き方としては問題があるといえます。Wikipedia:出典を明記するだけを守ればいいわけではないので、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点も守れるような情報を示せないなら当該記述は削除されても文句は言えないでしょう。--アルトクール会話2019年5月13日 (月) 14:13 (UTC)[返信]
コメント 最初に記事に「世界で唯一」の記載をした方の意図に関しては分かりかねますが、私個人としては単に以前の記述をベースに復帰させただけなのでWikipedia的に妥当でないのであれば「世界で唯一」のくだりは除去する形となっても問題ないと考えます。記載箇所についても関連項目の作品の補記とする形で構わないかと。--Komimon会話2019年5月13日 (月) 14:26 (UTC)[返信]
コメント ありがとうございます。再度の編集投稿はおまかせしてもいいでしょうか?--Fahrenheit1919会話2019年5月13日 (月) 14:43 (UTC)[返信]
コメント 登場作品の項目に補足する形で記述しました。ありがとうございました。--Komimon会話) 2019年5月13日 (月) 15:41 (UTC) 文法ミス修正。--Komimon会話2019年5月13日 (月) 15:42 (UTC)[返信]

空盒式自動空戦フラップについての覚書

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光人社NF文庫 軍用機開発物語【1】P81に曽根嘉年は「この空盒式も管制器の生産が着手されて半月たらずで終戦となり、ついに機体に装備して、その成果を確認できずに終わってしまった。」と書く一方、同書のP92には当時のメモを引用して「空戦フラップの実用試験も併行して行った。」と矛盾した内容を曽根嘉年本人が書いている。川西が先に開発し水上戦闘機強風から装備している水銀使用の自動空戦フラップ管制器を烈風に流用したとしてもフラップの種類(ファウラーと子スプリット)が異なりポン付けはできない。また学研М文庫 零戦 P507には「空戦フラップ試験 自動管制器(官給品)」とあり、官給品→空廠製である事を暗示しており、空戦実験(A7M2二号機で1945年2月に行ったとされる)の結果「自動管制器の機能がデリケートで整備に細かい配慮がいることがわかった」とあるのも、既に実用化されている川西製管制器への言及としては相応しくない。当時三菱の技師だった関田力も 光人社 軍用機メカシリーズ【4】P174で「烈風にもちいられた」管制器の原理の解説で水銀を使わないアネロイド式の図解を示している。--ジーニハルト会話2024年8月16日 (金) 12:30 (UTC)[返信]

烈風用空戦フラップは「本機の設計と同時に開発のスタートを切った」と曽根嘉年は記しており(光人社NF文庫 軍用機開発物語【1】P80)、空戦フラップが要求仕様に載った昭和17年7月頃だと推測される。また、学研М文庫 零戦 P487には「この自動管制装置の原理を説明すると、その感部は動圧を感ずるアネロイドと加速度を感ずる重錘との組み合わせで、これによって油圧切り換え弇を操作する電磁石の電路を開閉するものであった。その切り換え弇操作機構は外国の飛行機用自動操縦装置からヒントを得たもので、設計は空技廠計器部、試作は田中計器が担当した」とある。--ジーニハルト会話2024年8月23日 (金) 09:16 (UTC)[返信]