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ノート:演奏記号

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その音だけ強いことを表すもの(俗に「アクセント記号」と称される)について

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表の下に書かれた文章が、いささか個人的な見解が含まれているように思われます。私は百科事典には、記号や用語の原意や一般的な解釈を載せるべきであって、個人的な見解についてはそう言う考え方もあるという程度にとどめておくべきだと思いますが、いかがでしょうか。また、sfなどを「アクセント記号」にくくるというのは、私は知りません。-- [Café] [Album] 2005年10月6日 (木) 00:18 (UTC)[返信]


私はクラシックの分野で演奏にかかわっているものですが、っさんが指摘されているように、個人的見解と感じられる部分もあります。しかし、同時に実際に演奏する上では非常に大切な考え方であるように思えます。確かに「一般的な解釈」にとどめるということも大事なことかもしれませんが、それは教科書やほかのwebページを見ればわかることであって、このような(ウィキペディアのような)百科事典では、教科書的な意味にとどまらず、実際の現場(この場合は実際に演奏をするという状況)を想定しての解釈、つまり実運用に耐えられるような解釈にまで踏み込んで記載されている、というのもいいのではないでしょうか。私はむしろもっともっと深く踏み込んだ内容の記述に変更しても問題ないと思います。あと、sfは音量記号ともアクセント記号ともとっていいと思います。--2005年10月9日 (日) 02:51 202.24.142.31さん

実運用に耐えるというのは、ひょっとしたらウィキブックスの範疇かもしれません。ここにはなるべく客観的な説明を試みるべきだと考えます。一般論はさておき、コメントアウトした内容についてですが、実はわたし自身、こういった内容があったらいいなとは思います。ただ、人によって見解が異なることが分かり切っていることですから、扱うのは難しいかな、と、腰を引いてしまっている面があります。もし、挑戦するのでしたら、このノートページでじっくりと取り組んでから、項目に反映させるべきでしょうね。-- [Café] [Album] 2005年10月9日 (日) 06:17 (UTC)[返信]

sfなどを「アクセント記号」にくくるというのは、私は知りません
シューベルトが明らかにその用法で使っています。 交響曲9番(新番号8番)「ザ・グレート」や、「ロザムンデ序曲」で確認できます。 同様に、ベートーヴェンはfをアクセント記号として使用しています。210.250.9.98 2006年1月29日 (日) 10:00 (UTC)[返信]

pppとfff

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ここでいう「ピアノ・ピアニシモ」と「フォルテ・フォルティシモ」って、それぞれ「ピアニシシモ」「フォルティシシモ」と何かの本に書いてあったような気がするんですが...。 春風 2005年11月12日 (土) 16:29 (UTC)[返信]


結論から言うと,どちらも正しいです。前者は2つずつにわけて言う言い方で,例えばffffは「フォルテシモ・フォルテシモ」になり,pppppは「ピアノ・ピアニシモ・ピアニシモ」になります。これを後者のようにイタリア語の最上級を表す「-issimo」を重ねる言い方で言うと「フォルティシシシモ」,pppppは「ピアニシシシシモ」になります。厳密にはどちらかが間違いなのかもしれませんが,実際のところはどちらも使われているようです。言いやすさやその場の状況などで適宜好きな方を使えばよいのではないでしょうか。  Btysk 2005年11月14日 (月) 13:12 (UTC)[返信]

イタリア語の先生に伺ったら、-ississimoは通じないそうです。 確かに現場で-ississimoが使用されていることは確かです。 しかし、正しいものを載せておいたほうが、百科事典としてはよいかと思われます。 ちなみにffffはDoppio fortissimo(Doppioは「2倍の」。ダブルと同義)といいます。ppppも同様です。210.250.9.98 2006年1月29日 (日) 10:00 (UTC)[返信]

最近の加筆について

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2006-06-27 12:18:54の版以降に行われた大量の加筆についてですが、私は百科事典の領域を超えた情報だと感じていますが、他の方はどうでしょうか。特にご異論がなければ、2006-06-26 14:05:30の版まで戻したいのですが-- 2006年7月11日 (火) 05:53 (UTC)[返信]

ざっと目を通しただけですが、歴史的な推移、記号が意味する幅、記号が指定する範囲、演奏上の問題などがまとめて書かれているようです。適切な節を立てて整理すれば、有用な情報もあるように思いました。コピペや「独自の調査」でないことが前提ですが。現状は全体の構成が悪くなっているので、加筆が一段落したら(したのでしょうか?)、概要、歴史など文章を先にし、具体的な記号の紹介と参考文献は後にするのがよいように思います。ただ、これだけ容量が大きいと、記事分割が必要かもしれません。--みっち 2006年7月11日 (火) 08:13 (UTC)[返信]
ウィキブックスに分割したらどうでしょう。-- 2006年7月11日 (火) 08:39 (UTC)[返信]
私も分割することに賛成です。みっちさんと全く同意見で,ちょっと情報量が多すぎて,しかも結局のところ何の情報を提供してくれるのかがわかりににくい文章に感じます。前に私が加筆した分は逆に稚拙すぎでしたが(^^;--Btysk 2006年7月13日 (木) 11:17 (UTC)[返信]
分割への賛成、ありがとうございます。1週間くらいは待って、特に大きな異論がなければ、来週の火曜日あたりに作業したいと思います。-- 2006年7月13日 (木) 15:30 (UTC)[返信]
b:強弱記号に2006-07-07 19:31:45の版を反映したものを分割して、2006-06-26 14:05:30; 125.202.240.1による版にrev.しました。あと、画像の移動をしなければならないのですが。-- 2006年7月24日 (月) 13:22 (UTC)[返信]

載っていない発想記号が…

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カンタービレの反対語のパルランド(話すように)が載ってないですよね?

必要だと思われるなら追加してください。ただし、パルランドはカンタービレの反対語でも類語でもありません。-- 2006年12月14日 (木) 13:26 (UTC)[返信]

漢字の演奏記号

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「很弱」などが乗っていますが、いるのでしょうか。-- 2007年2月3日 (土) 04:10 (UTC)[返信]

それらは中国語における楽語なのでしょうが、私は以前から、その記述は中国語版に譲るべき情報だと感じていました。
西洋音楽における楽語は、その昔は基本的にイタリア語が公用語でありましたし、その後の作曲家たちが徐々にそれから逸脱して、イタリア語の楽語に自国の言語を幾分か気紛れに織り交ぜながら自由に楽語を記述する風潮が始まってからでさえも、多言語的とはいってもその範囲は当分西洋の言語に留まっていましたから、日本語版に必要な情報は、原語と日本語との対応のみであるのが自然で、それ以外に西洋音楽に由来しない言語での楽語は、それぞれ当地の言語版にて記述・対応を任せるべきではないでしょうか。
そういう理由で、西洋音楽における楽語に対応する中国語が日本語版に割り込まれているという現状は、西洋音楽における楽語の情報を日本語で読んで知りたいと検索して訪れた読者にとって必要以上の情報であるはずで、本当に中国語が必要とする人なら、中国語版へ行くか、各言語版の言語リンクから辿るはずでしょう。日本語版の中に、漢字で記述できるという関連性以外に、西洋音楽にとって中国語の一般的な必要性はないように感じられ、スペースとしても余分に必要となりますし、どの楽語にとっても中国語のスペースが割り込んでいる様子は、多くの読者にとって読みにくくて不必要に感じるでしょう。本当に、多くの読者にとってそれらが有用な情報ならば、いくら読みにくくても残しておくべきでしょうが、殆どが日本語版としての役割にとって必要以上の情報となっており、それを避けて読む苦労と読みにくさは、その不便を超えるだけの有用な情報をもたらしてくれるものとは思えません。
これらが、あくまでも西洋音楽についてのものであることを重要視し、そして、クラシック音楽が世界的に広がった現代にとってさえも、中国や世界において西洋の方式の楽譜に中国語で楽語を記入するという作曲家が多く現れ、それらを一般的に見かけるような時代がやってくるまでは、西洋音楽に関連する日本語版の項目に、直接中国語を割り込ませず、言語リンク先に役を分割するのが適当だと感じます。同様に、西洋音楽に関する他の項においても、日本語版の記述に中国語を記入する方々がいらっしゃるようですが、西洋の楽器についての記述に中国語が書き込まれている不自然な例として、具体的にはトロンボーンなどが他に挙げられます。これら中国語での記述を日本語版に書き加えている執筆者は、日本語版で読みたい読者に対して、不当にも中国語の普及活動をしているかのような行為にさえ感じてしまうのは私だけでしょうか。それらを発見した時点で、言語リンク先へと分割を進めていいのではないかと私は感じています。但し、中国語版におけるリンク先の項がないものは、分割をどう処理すべきか考えなくてはならないと思います。
確かに、漢字を使用し漢語を借用する日本語は、中国を中心とする漢字文化圏に属するようですが、だからといっても、西洋の楽語に関する日本語版の記述の中に、中国語における対応語を直接的に入れるべき情報でないと、私は結論として考えます。--音理捜査 2007年2月5日 (月) 21:36 (UTC)[返信]

特に反対の無いようでしたら削除してしまいますがよろしいでしょうか? イタリア語と日本語のほかに書くべき言語をもし選ぶとするならば、シューベルト、シューマン、マーラー、R.シュトラウスらが好んで用いたドイツ語や、ドビュッシー、サティー、ラヴェルらが用いたフランス語にするべきでしょう。中国語はあまりに一般性を欠いています。--Ich57 2007年3月4日 (日) 01:54 (UTC)[返信]

強弱記号

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「強弱記号」の節の冒頭に

あくまで「強弱」であり「音量の大小」を表すわけではない、ということに注意しなければならない。「強い=大きな音量で演奏する」また逆に「弱い=小さな音量で演奏する」と思われがちであるが、これは間違いを招きやすい語弊のある解釈であると認識されるべきであろう(より詳しい説明がウィキブックスの記事にある)。

とありますが、ウィキブックスには

強弱記号は音量を示すだけのものであり、音楽的表現・性格を示すものとはされていない。同じ音量であっても、様々な表情を持った音楽的場面が存在し、強弱記号によって表情を感じるのは主観的な誤解とされる。特に日本語においては、"piano"を「弱い」と訳すことは敬遠される。そこには弱々しさは含んでおらず、純粋に音量のみが指示されているだけである。

とあります。どちらが正しいのでしょうか。--Kirishima 2007年3月31日 (土) 07:23 (UTC)[返信]

異説もあるかもしれませんが、私は前者を支持します。これは楽語全般に言えることですが、はじめはイタリア語の意味にしたがっていた(つまりf=強く、p=弱く)。→しかしある一つの軸(音量)の対立とだけみなして海外に輸出されたため、fが「大きく」以上の、pが「小さく」以上の意味を持たないようになってしまった、という事例だと思います。作曲家はイタリア人ばかりではないので、原義には無頓着だった人もいます。

Allegro(陽気な)が、テンポのみを軸として「速い」と認知された結果、真っ暗な曲想のAllegroが出てきたのも似た例です。--Ich57 2007年3月31日 (土) 14:51 (UTC)[返信]

tasto solo

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「tasto solo」の意味に「鍵盤楽器だけで」とありますが、数字付き低音では、 「リアライズせずに記譜された音のみを演奏する」という意味もあると思います。 「このページに記載」、「数字付き低音に別途記載」、「ウィキブックスへ記載」…等々の方法があると思いますが、読譜素人の小生(例としてレクイエム (モーツァルト)しか知らず)には分かりません。 個人的には「リアライズしない」という意味を知ったとき、本ページの記載がもう少しあったらうれしかったです。例えば、「鍵盤楽器だけで(数字付き低音ではリアライズしない意もある)」のように。 どのようにしたらよいか有識者の方のご意見を伺いたいのですが、いかがでしょうか?Chikuwa 2007年4月21日 (土) 10:28 (UTC)[返信]