ノート:清水正孝
- 発言録の7番目「我が国が経験したことのない.......」の記載内容について
記載内容の一部の”福島原発事故”への転載。 発言内容の後の原子力損害賠償法に関連した記述ですが、当ページへ記載するより福島原発事故へ記載する内容ではないかと思います。記事の中立性が危惧されます。 損害賠償に関しては原賠法に絡んできて、それ自体に自然災害の免責、無限責任、賠償額1200億円、国(国税による)の支援と理解しづらい記述があります。今後事態が収束に向い損害額などが判明してくると、よりこの個人ページの範疇から遊離してきます。 内容を記載されたユーザー他如何でしょうか?--Masaqui 2011年3月31日 (木) 15:39 (UTC)
ここに至った事態すべてをこの人に押し付けるのもどうかと思いますが、世界的に見ても歴史に残る大事故となってしまったという事実は間違いなく、どう控え目に言っても、今回の事故における最高責任者の一人でもあるわけですから、まったく記述しないというわけには当然行かないでしょう。それよりも発言録と称してダラダラ並べ立てる状況をどうにかしたいですね。東日本震災における対応だけでも新に節をもうけて対応や経過を記述すべきではないでしょうか?全部の発言を詳細に記述する必要もないでしょう。略歴や人物に大きく関係しない発言は削除してもいいでしょう。--あな@34 2011年4月13日 (水) 08:56 (UTC)
- そうですね。発言録、いつの間にか脈絡の無い箇条書きになってしまってますね。中にはCitationの無いものもあるようですし。整理整頓が必要ですね。まずは小生の記述分から掃除します。--Masaqui 2011年4月14日 (木) 05:47 (UTC)
- 震災及び事故については節を設けました。--あな@34 2011年4月14日 (木) 09:07 (UTC)
- 原発事故関連の発言内容をこの事故対応の節へ移動しました。まだ発言録は整理が必要ですね。--Masaqui 2011年4月14日 (木) 15:17 (UTC)
昨日辞任を発表し、箇条書きに関するテンプレを貼り付けてから1か月立ちましたので、これを機会に発言録は削除します。なお、削除した発言を来歴などに組み入れて復帰することを妨げるものでない事は明言しておきます。--あな34(須磨寺横行) 2011年5月21日 (土) 05:39 (UTC)--あな34(須磨寺横行) 2011年5月21日 (土) 08:10 (UTC)
過剰とまでは判断しませんが…出典があるからと言って、「資材部配属以降」の項目の最後の2つの発言まで記載する必要性は低いように思います(出典も東電社報という「対象と関係のある」冊子ですから、特筆性という意味でも疑問です)。また、「東京南支店太田支社長も務めている」という「時期は明示されていない」ものまで出典があるからといって記載する必要はあるでしょうか?--221.186.91.193 2012年5月14日 (月) 23:49 (UTC)
- 清水氏の考えを表明したものであり、経営者の思想を知るために掲載してあります。「としている」と記載したとおり、清水氏の主張を字面通り受け取るかどうかは別問題でしょう。ここでは挙げませんが、あの福島原発事故でも「同業他社のやり方」と比較した文献は複数出ていますし。また、記事としては他のソースを色々使用している訳です。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM(会話) 2012年6月4日 (月) 02:22 (UTC)
- 追記更に申し上げるならば、経歴として重要なのは役員就任後の言行であり、子供時代のエピソードならいざ知らず(私はそれもあっていいと思ってますが)、何故「最後の2つの発言まで」という選択なのか、理解に苦しみます。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM(会話) 2012年6月4日 (月) 03:34 (UTC)
- 「また」と書いた上で2つの発言を引用し「としている」と結んでおられますが、何を受けての「また」なのか読み取りにくいのです。「資材部配属以降」の項目について単純にまとめれば、「資材部の経験より、取引先を格下ではなくパートナーと見て扱うこと、同業他社や顧客目線から考えれば業務改善の余地が多いこと、グループ全体での人材交流の重要性を認識した」という清水氏の考え方があり、それを示す根拠としてこの2つの発言なのでしょう。岩見様のいう「経営者の思想」の説明も一切なく、ただ単に発言をボンと載せても、発言を載せた意図は伝わらないかと思います。また「東京南支店太田支社長」の件についてはどうお考えでしょうか。そして、「(名は明かされて無いが当時存在した東京電力の原子力発電所は福島第一原子力発電所のみである)」という一文については、「明かされて無い」以上、どんな出典を組み合わせて解明しても独自研究となりますので削除いたします。--221.186.91.193 2012年6月4日 (月) 03:50 (UTC)
- 当該記事は経歴を語った後取締役の視点から東電全般を語る流れとなっています。「また」は単純にコストダウンの話からの話題転換を示すAndの意味で使用してます。東京南支店太田支社長については在職期間の情報は無く、前後の経歴は書かれているので現状の記述としてあります。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM(会話) 2012年6月4日 (月) 05:08 (UTC)
- 単純な接続詞のつながりであれば、改行して段落を区切る必要はありませんので、編集いたしました。--221.186.91.193 2012年6月4日 (月) 05:34 (UTC)
- 当該記事は経歴を語った後取締役の視点から東電全般を語る流れとなっています。「また」は単純にコストダウンの話からの話題転換を示すAndの意味で使用してます。東京南支店太田支社長については在職期間の情報は無く、前後の経歴は書かれているので現状の記述としてあります。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM(会話) 2012年6月4日 (月) 05:08 (UTC)
- 「また」と書いた上で2つの発言を引用し「としている」と結んでおられますが、何を受けての「また」なのか読み取りにくいのです。「資材部配属以降」の項目について単純にまとめれば、「資材部の経験より、取引先を格下ではなくパートナーと見て扱うこと、同業他社や顧客目線から考えれば業務改善の余地が多いこと、グループ全体での人材交流の重要性を認識した」という清水氏の考え方があり、それを示す根拠としてこの2つの発言なのでしょう。岩見様のいう「経営者の思想」の説明も一切なく、ただ単に発言をボンと載せても、発言を載せた意図は伝わらないかと思います。また「東京南支店太田支社長」の件についてはどうお考えでしょうか。そして、「(名は明かされて無いが当時存在した東京電力の原子力発電所は福島第一原子力発電所のみである)」という一文については、「明かされて無い」以上、どんな出典を組み合わせて解明しても独自研究となりますので削除いたします。--221.186.91.193 2012年6月4日 (月) 03:50 (UTC)