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ノート:海城中学校・高等学校/過去ログ1

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外部リンク

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校歌について

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作詞者の品田聖平さんが亡くなられた年わかりますか?死後50年たっていたら校歌を掲載したいのですが。--西の果て 2008年2月7日 (木) 06:17 (UTC)


たしか品田さんて、四兄弟すべて海城だっだ人ですよね?!確実に死後50年は経っていると思いますが・・・--咲くのか咲かないのか 2008年2月26日 (火) 14:23 (UTC)

沿革について

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沿革の部分で、100年史を使い、記入することは出来ないでしょうか?引越に関しては、これまでの引越経歴が、他の学校や様々な歴史的な出来事にリンクしていたと記憶しています。--らんだう 2007年1月22日 (月) 14:22 (UTC)

校章

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現在の校章は、本校教諭だった利根山光人のデザインで帆布でKaijoとSchool又はShipの頭文字をとったKSを模様化したもの。←ちなみに横にすると帆船に見えるようになっている --利用者:220.209.6.181

写真の掲載のお願い!

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校門やアリーナ、グラウンド、カフェテリアなどの写真をお持ちの方、貼っていただけませんか?--利用者:123.218.176.167

特定版削除を行いました

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上記の通り、削除依頼に基づいて特定版削除を行いました。著作権の保護期間が切れていない文書、校歌、画像などはご自分の学校のものであっても絶対にウィキペディアには持ち込まないようにしてください。--スのG 2007年8月21日 (火) 16:25 (UTC)

教育方針

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  • フェアーな精神を育てる
  • 思いやりの心を育てる
  • 民主主義の精神を育てる
  • 明確に意思を伝える能力を育てる                       --利用者:ギャラクシー

教育目標

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教育基本法のおよび建学の精神に基づき次の目標達成を期する

  • 1、民主的な国家および社会の有為な形成者として必要な高い知性と豊かな情操を養い、社会に対する深い理解力と健全な判断力を育成する
  • 2、自立協調の精神をたっとび、健全な身体と実践力を育成する
  • 3、意志強固にして、責任を重んじ、かつ礼儀正しく、公共心に厚い態度を育成する   --利用者:ギャラクシー

リダイレクト

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海城学園 海城中学・高校 海城中学校・海城高等学校 海城中・高 海城中学・海城高校 海城中・海城高 海城中 海城中学 海城高 海城高校 海城 海軍予備校

本校卒業生で海軍兵学校合格者の1/3を占めていたこともあった。          --利用者:西の果て

プロジェクト2050

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入試について
  • 現状:中学募集280人(140×2)、高校募集125人
    • 10年以内に中学募集300人(150×2)、高校募集100人
    • 30年以内に中学募集240人(240×1)、高校募集80人
    • 50年以内に中学募集180人(180×1)、高校募集60人   
    • 100年以内に中学募集2000人(250×16÷2)、高校募集4.3人 
    • [中学募集:高校募集は3:1が理想的。高校募集のカードは持ち続けた方が得策。]
服装について
  • 現状:過去10年の生徒会活動により、白カバン廃止、セーター着用自由化、コート自由化、通学カバン自由化と徐々によい方向に進んでいる
    • 10年以内に体操服・体育館履き・(上履き)の廃止、自由化
    • 20年以内に中学は制服、高校は私服(式典時、テスト期間中は制服着用)にする
    • 50年以内に中・高共に肩パットの着用を義務化する 
ホームページについて
  • 現状:メールマガジンや海城PRESSの取り組みは素晴らしい
    • 海城PRESSの更新を増やす
    • 立命館小学校の公式サイトが大いに参考になる (授業の紹介の仕方、校内のスライドショー等)
    • 進学状況の地域別表示を改め、PDFファイルのもの(学部学類別)を表示する
    • プレミアム会員(月額931円)に御登録頂くとスムーズにホームページをご利用いただけます。


授業について 
  • 現状:レポート作成、PAの取り組みはとても良い
    • スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を目指す
    • 愛校心育成のための授業の実施(早稲田大学法学部に「歴史的存在としての早稲田の歴史に学ぶ」という 愛校心育成の科目があったように、新入生に「海城の歴史~海軍予備校 時代から受け継がれるもの~」とでも題した授業を行う)
    • 早稲田大学理工学部との連携授業の実施 (早大教授を海城に招いて授業してもらったり、早大の研究室にお邪魔して大学生、大学院生と共に実験するなど)
    • デジタルハリウッド大学提供のIT教育の実施 (本校OBの杉山校長の協力を得て、最先端教育の実現)
    • 卒業までに10~30時間のボランティア活動(保育園・老人ホーム等)を義務化
    • 全教員のユーゴスラビア人化を目指す 
進路指導について
  • 現状:高2の夏休みに大学のオープンキャンパスへの参加を促す程度
    • 東大、一橋、東工大等に通うOBによる大学キャンパスツアーの実施 (地方高校が実施して効果を挙げている)
    • 中学生の間に一応の志望校に必ず一度は見学に行かせる
    • 月に一度自己暗示セミナーを開講し、第一志望への合格を促す
部活動について 
  • 現状:顧問の先生(専門でない場合も)がなんとか面倒を見ている状態
    • 専門のコーチを雇い、効率の良い練習を実施   (部活動のレベル向上、先生方の負担軽減)  
    • ただし上記は文化部以外には適用されない   (相撲部は特例的に適用)
自習室について 
  • 現状:昼休みや授業の合間に、静かに自習しようとすると図書館しかない  
    • 学年ごとの自習室を、教室の近くに設置 (放課後も使えるようにする)
    • ノイズキャンセラーを導入し、全くの無音状態を保つ
那須高原海城について
  • 2050年までに那須高原海城が北九州大合格者を複数名出せなかった場合は廃校とし、新宿の海城に経営を専念する。跡地は合宿等に使うセミナーハウスとする。
成城中・高を吸収合併(陸軍士官学校への予備校)
  • 2050年までに成城中・高を吸収合併し、校名を「海城」、校章を「成城」の三光星とする。
    • この際予想されるメルセデス・ベンツ社からの訴訟に逆転勝訴し、賠償金でランボルギーニ・カウンタックを購入する。
  • 新校舎は防衛庁の地下に建造し、シェルターで覆う。
  • 成城の跡地を芝生のグラウンド、野球場、テニスコート、大仏、スポーツセンターを建てる。
  • ただし生徒会室のみ負の遺産として残す。

→このような自分勝手な記載は成城中・高に失礼ではありませんか?あなたの良識を疑います。Hokusai


保善高校の校地を購入
  • 2050年までに保善高校の校地を購入し、現在の校門を旧保善側に移す。(西早稲田駅・高田馬場駅利用推奨のため)
  • 校門は学習院女子のような立派な門にする。そこから並木道にする。
  • 地上三階・地下一階の図書館、2000人収容の大講堂を建て、残りは芝生化、植林する
  • ついでに女子校にする。

→このような自分勝手な記載は保善高校に失礼ではありませんか?あなたの良識を疑います。Hokusai


校舎について
  • 英国のパブリックスクールのような格式ある建物とする。 
  • すべての階段を下りのエスカレーターにし、下校時刻は上りに変える。  

            --利用者:大和屋

あまりにも勝手な議論であり、海城中学・高校に対しても非礼であると思う。--221.242.128.74 2009年2月13日 (金) 00:43 (UTC)ユーザー

海軍兵学校への合格者数

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海軍予備校の前身、海軍兵医学校予備校では、明治21年8月の第一期卒業生から海軍兵学校3名、海軍軍医学校3名の合格者を出した。22年には兵学校3名、23年は兵学校4名、24年は兵学校3名、商船学校3名を送り出している。海軍予備校となった明治24年以降の合格者・入校員数については複数の資料がある。



海城学園百年史内の文書によると以下のようになる。(すべて入校人員数、過年度生も含む)
  • 明治25年 海軍兵学校 3名 海軍機関学校 3名 商船学校 3名  
  • 明治26年 海軍兵学校 4名 海軍機関学校 6名 商船学校 3名 
  • 明治27年 海軍兵学校11名 海軍機関学校 3名 商船学校19名 
  • 明治28年 海軍兵学校19名 海軍機関学校 6名 商船学校 3名


 

明治時代の同期別進路(例、明治27年度卒53名から兵学校19名、海機6名、海軍中将1名、少将3名を輩出)
  • 明治27年度卒業生 53名 海軍兵学校19名 海軍機関学校 6名 海軍中将1名 海軍少将3名 
  • 明治28年度卒業生 23名 海軍兵学校11名 海軍機関学校 6名 海軍中将3名 海軍少将4名 
  • 明治29年度卒業生 72名 海軍兵学校56名 海軍機関学校10名 海軍大将2名 海軍中将1名 海軍少将7名 
  • 明治30年度卒業生 58名 海軍兵学校31名 海軍機関学校19名 海軍中将1名 海軍少将9名 
  • 明治31年度卒業生 53名 海軍兵学校29名 海軍機関学校13名 海軍中将3名 海軍少将2名 
  • 明治32年度卒業生118名 海軍兵学校49名 海軍機関学校18名 海軍大将1名 海軍少将5名 
  • 明治33年度卒業生133名 海軍兵学校22名 海軍機関学校 9名 海軍中将1名 海軍少将3名 



さらに、中村文雄氏の『軍諸学校入学資格獲得をめぐる私学と官学との抗争』には、海軍兵学校・海軍機関学校合格者の学校別の内訳もある。


海軍兵学校学校別合格者数 ※( )は東京府立尋常中学校の合格者数
  • 明治30年9月 総数179名 海軍予備校55名 攻玉社32名 府県立尋常中学校51(3)名 その他36名 家庭自学者5名

 

海軍機関学校学校別合格者数 ※( )は東京府立尋常中学校の合格者数    
  • 明治29年2・10月 総数46名 海軍予備校13名 攻玉社8名 府県立尋常中学校9(1)名 その他14名 家庭自学者2名



海軍兵学校学校別合格者数(明治30年9月) 
  • 全国1位 海軍予備校(海城) 55名 
  • 全国2位 攻玉社      32名 
  • 全国3位 国民英学会    14名       

東京府立尋常中学校(日比谷高校) 3名

東京以外の府県立尋常中学校  48名 その他私学 22名  家庭自学者  5名


さらに凄い年もあるのだが、他校も正確にわかるのは上のだけ。

中村文雄氏の『軍諸学校入学資格獲得をめぐる私学と官学との抗争』より



島祐吉(海軍中将、明治31年卒)の弁
『・・・その頃の生徒の気風は、世間も同様であったが、粗野乱暴の風があり、殊に本校は攻玉社と共に定評があった。 併しその反面勉学の方も群を抜き、当時より其方で優秀なりと世評があった一中、四中(今の日比谷高校、戸山高校) も眼中になかった。従って成績も抜群で、当時の優秀学校であった海軍諸学校への入学率は全国より海軍に入学する 総数の五分の一から、多い時には、三分の一以上に達することもあり、全国の海軍入学志願者は風を望んでまず本校に 入学しようと上京し来るというが如き有様だった。暫くして明治三十年頃を頂点とする前後10年間位は全盛を極むる 状況であった。そのころ既に海軍諸学校の入学試験はむずかしいといわれ数年反復受験して後入学する者も極めて多く、 又一旦高等学校(旧制)に入学して後海軍に受験入学する者も相当あった有様であるから我校の成績優秀だったことが、 推測出来ると思う。・・・』


                          --大和屋 2007年12月8日 (土) 05:54 (UTC)


--咲くのか咲かないのか 2008年3月31日 (月) 17:51 (UTC)

「海軍兵学校出身者名簿」による事実関係

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以下のリンクは「海軍兵学校出身者名簿」であるが、海城出身者はあまりいない(というか極めて少ない)ことがよくわかる。当時から海城のレベルは低く、海城レベルでは海軍兵学校に合格するのは困難だったことが如実に表れている。事実を変えてまで誇張な学校宣伝をするのは如何なものでしょうか。

Hokusai 2007年12月8日 (土) 09:11 (UTC)

上記のサイトを見て、『海城(海軍予備校)からの進学者が少ない』と誤情報を流される方がいるので、データを載せたんです。上記サイトは、数が少なくエリートとして大変希少価値のあった明治初期・中期の出身者については出身地しか書かれていませんよね。歴史を知らない方が増え、勘違いなさるのも無理はありませんが。--123.218.176.167(大和屋) 2007年12月8日 (土) 15:20 (UTC)


海軍兵学校出身者名簿を拝見しました。海城からの進学者は本当に少ないですね。むしろ攻玉社の方が多いくらいですね。あと、大和屋さんの成城や保善を冒涜するような記述内容には驚きました。何故このようなことを書くのか理解できません。65.121.103.66 2007年12月9日 (日) 07:17 (UTC)


昭和初期まで海軍兵学校は、募集人数が少なく日本最高のエリート校でした。(福田和也)

インターネットの情報に踊らされず、本を読みましょう!ネット情報はほどほどに。

攻玉社は、明治初期・中期、日本でも1、2位を争うエリート校でしたよ。海軍予備校(海城)と同じく全国から俊英が集まってきた所です。--國分紀一郎 2008年2月20日 (水) 10:40 (UTC)


創立者について

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意外と知られていないが、海城学園はいわゆる皇族に連なる一族によって経営されている。

創立者

創立者

創立者一族

  • 詳しくは江藤淳氏、小谷野敦(OB、昭和56年卒)氏の著書を参照。

麻布と兄弟校だという説

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海城学園創立者古賀喜三郎と麻布学園創立者江原素六は、攻玉社の創立者で教育者として名高い近藤真琴の門下生であった。海軍兵学校の前身、海軍操練所で近藤真琴に教えを受け、その中で頭角を現した俊英が古賀喜三郎と江原素六だった。--大和屋 2007年12月8日 (土) 06:10 (UTC)


→なぜこのことだけで兄弟校と言えるのですか?? 因みに、下記「海軍兵学校出身者名簿」を見ると良くわかるが、麻布出身者は多数見当たるが、海城出身者はほとんどいない。当時から麻布と海城では天と地ほどの差があったことが良くわかる。

Hokusai 2007年12月8日 (土) 09:11 (UTC)

『麻布と兄弟校だという説』が掲示板で流されているので真相はこうですと言ったまでです。何も本当に兄弟校とは言ってませんよ。それと麻布はいい学校ですが、海軍大将は出していませんよ。--123.218.176.167(大和屋) 2007年12月8日 (土) 15:20 (UTC)


Hokusaiさん、ネット情報はほどほどに、軍関係の書を読みましょう。日本史の学習を!--國分紀一郎 2008年2月20日 (水) 10:45 (UTC)

 大和屋氏の書き込みについて

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成城中・高を吸収合併するとか、保善高校の校地を購入するとかの書き込みは非常に問題があると思います。書かれた側の成城中・高や保善高校の関係者からすれば非常に不愉快に感じるはずです。そして何よりもこのような一方的で独りよがりな身勝手な書き込みはWikipediaの主旨からしても許されることではありません。 Hokusai 2007年12月9日 (日) 05:55 (UTC)


PTAは解散していない。

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PTAは解散しておらず、別組織として後援会が発足した。--61.21.195.182 2008年1月7日 (月) 07:28 (UTC)


明治25年発行の『東京遊學案内』によると

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海軍豫備校
本校ハ海軍兵學校ヘ入学志願ノ生徒ヲ養成スル所ニシテ・・・


試作

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海城中学校・高等学校
過去の名称 餘力學舎
東京英華學校
海軍兵醫學校豫備校
海軍豫備校
日比谷中學校
海城學校
海城中學校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人海城学園
設立年月日 1891年11月1日
創立記念日 11月1日
創立者 古賀喜三郎
共学・別学 男子校
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 13540C
所在地 169-0072
東京都新宿区大久保3-6-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

海城中学校・高等学校(かいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう、Kaijo Junior & Senior High School)は、日本東京都新宿区大久保にある私立中学校高等学校である。中高一貫制男子校

概観

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明治時代に、古賀喜三郎により海軍兵学校への予備校、海軍予備校として創設され、一世紀以上の歴史を有する伝統校である。「フェアーな精神」 、「思いやりの心」、「民主主義を守る意思」、「明確に意思を伝える能力」を身につけた、高い知性と豊かな情操を持つ人物を 『新しい紳士』 と名付け、リベラルでスマートな校風のもと、その育成を目指している。

建学の精神

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  • 国家・社会に有為な人材を育成する

教育理念

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  • 「新しい紳士」を育成する

沿革

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経緯

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古賀喜三郎

1891年佐賀藩出身の古賀喜三郎により海軍兵学校への予備校、海軍予備校として創設された。当時の日本は、国力の上昇に伴い、海軍思想の普及と相俟って、優秀な海軍士官の養成が急務とされた時代であった。海軍兵学校の教官を経験した創立者古賀喜三郎は、海軍士官の人材が乏しいことを痛感し、海軍予備校を背負って立ち上がったのだった。海軍式エリート教育を行うため、商議員には渋沢栄一高田早苗ら、また議定員には西郷従道伊東祐亨ら朝野の名士を集め、講師にも海軍兵学校の有力な教官を揃え、万全の体制を敷いた。全盛期には、海軍兵学校の全入学者の半数近くを占めるほどに発展し、「海軍兵学校に進むには海軍予備校を経なければならない」とまで言われた。また1904年日露戦争には、多くの卒業生たちが青年士官として軍艦に乗り組み、旅順港封鎖に、日本海海戦にと武功をたてた。しかし、中学令により海軍予備校に併設された日比谷中学校(1899~1906年)と、その後の海城中学校(1906~1948年)が次第に主流となり、海軍予備校の跡を継ぐ海城学校(1900~1931年)が従となってくると、高等学校等の上級学校へ進学するための普通の中学校に性格を変えていった。終戦直後、GHQより閉校命令が出て学校存続の危機に陥ったが、学制改革により1947年に新制海城中学校1948年に新制海城高等学校として発足し現在に至る。

太平洋戦争終結前、成立経緯から攻玉社と深い関係を築いていたが、現在は交流が途絶えている。また、陸軍士官学校への予備校としては成城が挙げられる。ちなみに日比谷中学校と府立一中とは関係がない。

年表

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  • 1885年 漢学者の新楽金橘が余力学舎を芝区三田(現、港区三田)に創立。
  • 1886年 余力学舎を東京英華学校と改称。
  • 1888年 麻布区桜田町、麻布区仲ノ町(現、港区西麻布・六本木)に移転。東京英華学校を海軍兵医学校予備校と改称。
  • 1890年 麹町区元園町(現、千代田区麹町)に移転。
  • 1891年 海軍兵医学校予備校を一旦廃校とし、古賀喜三郎が私財を投じて海軍予備校を創立。
  • 1896年 麹町区下弐番町(現、千代田区二番町)に分教場を設置。
  • 1897年 麹町区八重洲町(現、千代田区丸の内)に移転。
  • 1899年 麹町区霞関町(現、千代田区霞ヶ関)に移転。海軍予備校に併設して日比谷中学校を設置。
  • 1900年 海軍省の要請により、海軍予備校を海城学校と改称。
  • 1902年 海城学校・旧日比谷中学校校友会を合併し学友会が発足。
  • 1906年 日比谷中学校閉鎖、海城中学校発足。財団法人海城学校認可。
  • 1914年 古賀喜三郎逝去。学校葬を挙行。
  • 1921年 海軍予備校、日比谷中学校、海城学校、海城中学校の卒業生を糾合して海原会が発足。
  • 1927年 豊多摩郡大久保町字百人町(現在の地)に移転。
  • 1931年 財団法人海城学校を財団法人海城中学校と改称。海城学校を廃止。
  • 1943年 保護者会が発足。
  • 1944年 太平洋戦争激化で生徒が勤労動員に出動。
  • 1947年 学制改革により、新制海城中学校発足。
  • 1948年 学制改革により、新制海城高等学校発足。
  • 1948年 保護者会を解散し、PTAが発足。
  • 1951年 財団法人海城中学校を学校法人海城学園に組織変更。創立60周年記念式典挙行。
  • 1961年 創立70周年記念式典挙行。
  • 1971年 創立80周年記念式典挙行。
  • 1981年 創立90周年記念式典挙行。祝賀会をホテルニューオータニで開催。
  • 1991年 創立100周年記念式典挙行。祝賀会を赤坂プリンスホテルで開催。
  • 1996年 那須高原海城中学校・高等学校を創設。
  • 2001年 創立110周年記念式典挙行。
  • 2007年 海城中学・高等学校後援会が発足。

  

基礎データ

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上空からの学園
新宿高層ビル群と学園

所在地

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アクセス

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創立年月日

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本校の創立年を、海軍予備校が創立された年にするか、それより前、漢学者の新楽金橘が私塾を創立した年にするかは、明治以来あいまいになってきた。そこで、1932年、理事会にて、設立年月日を1891年11月1日とし、創立記念日は11月1日と定めた。

象徴

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校名

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校名の『海城』とは戦艦を意味する古語。海軍省の要請により、海軍予備校を海城学校と改称した経緯がある。

校章

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現在の校章は、本校教諭だった利根山光人のデザインで帆布でKaijoとSchool又はShipの頭文字をとったKSを模様化したもの。1947年から用いられる。それ以前、創立当初から55年間用いられたのは、錨にNavy Schoolの頭文字をとったNSをあしらったもので、海軍士官と間違られるほど似ていたため当時の生徒の大変な誇りでもあった。戦後、海軍が消滅したため1946年に小判型の校章に変えざるを得なかった。これは生徒からの評判が悪く、わずか一年余りで現在のものに変更にされた。

校歌

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現在の校歌は、作詞は品田聖平、作曲は向出利雄で、1923年に制定された。

校旗

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現在の校旗は、KSの校章をあしらったもので、1961年より用いられる。それ以前、終戦時まで用いられた校旗は、赤地に白で校章と波形が表されたもので、縁は紫の房がついた軍旗風のものだった。街頭行進の時などに用いられ、旗手は成績が首席の者がつとめた。現在は学校の資料室に保存されている。

八重洲、霞ヶ関時代の校門

校門

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本校が八重洲霞ヶ関にあった当時の校門には、江戸時代に松平和泉守の長屋門であったものが用いられた。大名屋敷の表門であっただけに堂々たる立派なもので本校の名物となっていた。後に国宝に指定された。

校風

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「リベラルでスマートな」校風を標榜している。

制服

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現在の制服は、黒の学生服に校章入りの金ボタンとなっている。それ以前は、海軍兵学校式の七つボタンの制服(1892~1915年)や蛇腹にホックの海軍士官風の制服(1915~1942年)が用いられた。

スクールカラー

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スクールカラーは、海にまつわる学校だけに『青色』である。校章にも用いられる。 しかし、案内図の校章はオレンジ。なぜ・・・・? --シュウマイ男 2008年8月13日 (水) 12:18 (UTC)

キャンパス

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発祥の地

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本校発祥の地は、麹町区元園町二丁目四番地(現、千代田区麹町3-8-3)である。また、この地は本校含め、四つの学校の発祥の地となっている。

  • 暁星学園 - 明治21年に当地で開校し、明治23年に移転
  • 海城学園 - 明治24年に当地で開校し、明治30年に移転
  • 実践女子学園 - 明治32年に当地で開校し、明治35年に移転
  • 麹町学園 - 明治38年に当地で開校し、現在に至る

キャンパスの変遷

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1891年 - 1897年 麹町区元園町二丁目四番地(現、千代田区麹町3-8-3)
上記を参照。
1897年 - 1899年 麹町区八重洲町二丁目一番地(現、千代田区丸の内2-1)
宮内省所管の旧司法省の建物を下賜され、移転。この地を確保できたのは、古賀喜三郎有栖川宮威仁親王(教え子)ら皇族とつながりがあったからである。そして、後に時の宮内大臣土方久元を本校議定員に迎え入れることになる。
1899年 - 1927年 麹町区霞関町二丁目一番地(現、千代田区霞が関1-2-2)
官庁街のこの官有地を30年間借用する許可がおり、移転。隣は海軍省、目の前は日比谷公園という一等地だった。海軍省裏のこの地を確保できたのは、古賀喜三郎が海軍出身であっただけでなく、喜三郎の娘婿江頭安太郎(当時海軍省軍務局勤務、のちの海軍中将)の働きに負うところが大であった。
1927年 - 現在  豊多摩郡大久保町字百人町(現在の地)
海軍省より霞ヶ関の借用地の返還を求められ、代替地としてこの官有地を30年間借用する契約が成り、移転。後にこの借用地は買収。また、数度にわたり、大規模な校地拡張を行った。

学校行事

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4月

  • 入学式
  • 始業式
  • オリエンテーション
  • 健康診断・身体測定
  • 遠足(高校)
  • 山の家(高1)
  • プロジェクト・アドベンチャー(中1)

5月

  • 中間考査
  • スポーツテスト(高1)
  • PTA総会

6月

  • スポーツ大会(高校)
  • 校外研修(中学)
  • 全校保護者会

7月

  • 期末考査
  • 終業式
  • 海の家(中1)第四隊は8月にかかることも

8月

  • 夏期講習
  • 海外研修(高校)
  • 帰国子女編入考査

9月

  • 始業式
  • 実力・学力考査
  • 学園祭(中学高校合同)
  • 体育祭(中学)

10月

  • 中間考査
  • 修学旅行(中3・高2)
  • 校外研修(中学)
  • プロジェクト・アドベンチャー(中2)

11月

  • 開校記念日
  • 全校保護者会

12月

  • 期末考査
  • 終業式
  • スキー教室(中1・中2)

1月

  • 始業式
  • 実力考査
  • かるた大会(中学)

2月

  • 中学・高校入試

3月

  • 期末考査
  • 中学・高校卒業式
  • 終業式
  • 海外研修(中学)

主な行事

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海の家
中学1年の夏休みに千葉の富浦寮で行われる、遠泳を目的とした「海の家」と呼ばれる70年以上の歴史を持つ伝統行事がある。水泳訓練や自然観察を通じて団体生活を学ぶ。また挨拶の徹底などの規律が厳しいことで知られる。
山の家
高校1年生全員を対象に、湖や森林に囲まれた自然環境の中、ハイキング、オリエンテーリングなどを通じて連帯感や協調性、自然保護の大切さを学ぶ「山の家」がある。
PA(プロジェクトアドベンチャー)
グループで困難を解決しながら、人間関係を構築するPA(プロジェクトアドベンチャー)がある。中一春、中ニ秋(泊りがけ)に実施される。
海城祭
文化祭である海城祭は9月に2日間行われ、毎年15,000人以上を集める。
体育祭
中学生のみの体育祭は9月に、生徒会と体育祭実行委員会が中心となり実施される。
スポーツ大会
高校生のみのスポーツ大会は6月に、スポーツ大会実行委員が中心となり生徒が企画・運営する。学年ごとにクラス対抗で行われる。サッカー・バスケットボール・卓球・腕相撲・駅伝などの種目がある。
スキー教室
中学1・2年の希望者を対象として、スキー教室は行われる。志賀高原にて実施。

学校施設

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運動施設
運動施設としては、グラウンド、アリーナ(体育館)、屋外プール、柔道場、剣道場、テニスコート2面、弓道場がある。本校の体育館は珍しくアリーナとなっている。また、グラウンドの敷地は山手線内の私立では最も広い13,000m²の広さがある。
特別教室
特別教室として視聴覚教室、音楽室、美術室、書道室、物理実験室、化学実験室、生物実験室、共同実験室、合同教室などを備える。他に図書館、講堂(450名収容)、家庭科の調理室、カウンセリングルーム、ガラス張りのカフェテリアなどももある。カフェテリアの営業はレパストに委託されている。
正門・前庭
2008年4月まで工事中。校門の拡張と芝生の導入が予定されている。--咲くのか咲かないのか 2008年2月26日 (火) 14:28 (UTC)

特色ある授業

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社会科の総合学習
92年からスタートした社会科の総合学習の授業は、中学1年から高校1年までレポート作成にあけくれることで有名。会社や公的機関などへの取材が必須となっており、中学3年では原稿用紙50枚の卒業論文が課される。教員がきめ細かく指導し、「社会に出た時に通用するスキルを養う」ことが目標となっている。詳しくは、こちらのレポートを参照。
武道(剣道・柔道)
海軍予備校としての歴史を持つだけに中学1年から高校2年まで体育で武道は必修。剣道と柔道から選択する。共に有段者の教員が指導する。

生徒会活動

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中学校生徒会組織図
生徒会長・副会長   +---文化祭実行委員会+---文化祭実行委員+-----+
   |       |                       | 
   |       +---体育祭実行委員会+---体育祭実行委員+-----+ 
   |       |          |              |
   +------------+           +---デコレ製作委員+-----+
   |       |                                        +---ホームルーム+--+
   |       +---体育委員会+---体育委員+----------------+          |
   |       |                        |          |  
   |       +---会誌委員会+---会誌委員+----------------+           |
   |       |                       |                  |
   |       +---協議会+---議長団+------------協議委員--+                +--全生徒会員
   |       |           |                      | 
   |       |           +---広報部+---広報委員           | 
   |       |           |                      |
   |       |            +---監査部+---監査委員           |
   |       |                                 |
   |       +---部長会+----------+----部長+------+                |
   |       |                 |         |             |
   |       |            +------副部長+---+---クラブ・同好会+----+      
   +---総務部----+            |         |
                      +-------会計+----+ 
     

高等学校生徒会組織図   
生徒会執行部》                                    
                                                                   
                             +----総務部                                  
                       |                                                   
                       +----会計部                                            
                        |                                             
  生徒会長・副会長+----------+                                      
                        |                                 
                      +----広報部                                                
                       |                                            
                        +----ホームページ管理部                                          
                     |                                                  
                     +----監査部 

           

          +---------部長会+-----部長----+   
          |          |          |
          |               +---副部長----+-----クラブ・同好会----------+
          |            |            |                 |
《生徒会執行部》+--+               +---会計-----+                  |
          |                                                  | 
             |                                 +----+全生徒会員
           +---体育委員会+---体育委員+--------------+           | 
          |                            |           |
          +---文化祭実行委員会+---文化祭実行委員+---+           |
          |                       +----ホームルーム+--+  
          +---協議会+---協議委員+-----------------+
          |                       |
          +---新聞委員会+---新聞委員+--------------+
          |                       |
          +---会誌委員会+---会誌委員+--------------+

部活動・同好会

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部活動
体育系
文化系
軟式野球部
硬式野球部
物理部
生物部
サッカー部
バスケットボール部
化学部
美術部
ソフトテニス部
硬式テニス部
演劇部
鉄道研究部
バドミントン部
ラグビー部
写真部
コンピュータ部
アメリカンフットボール部
ラクロス部
囲碁部
将棋部
バレーボール部
弓道部
昆虫自然観察部
吹奏楽部
卓球部
剣道部
軽音楽部
模型部
柔道部
水泳部
ギター部
アニメ研究部
山岳部


同好会
漫画同好会
古典芸能同好会
シミュレーション同好会
映画同好会
百人一首同好会
空手同好会
ハングル同好会
航空同好会
文芸同好会
奇術同好会
地学同好会
映画文学評論同好会

主な戦績

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印のある部は現在廃部又は休部中である。

  • 新聞部* - 毎日新聞社賞・朝日新聞社賞受賞
  • 端艇部* - 対外試合は原則禁止だったが、自他共に認める都下最強校だった。
  • 相撲部* - 全関東学生相撲大会優勝、武狭世界関東学生相撲大会優勝、明大主催全関東学生相撲大会優勝、明大主催御即位記念学生記念相撲大会優勝、全関東連盟大会優勝
  • 写真部 - 東京都私立学校写真コンクール会長賞受賞、全日本写真コンクール入選
  • 美術部 - 全日本年賀状版画コンクール郵政大臣賞・日本版画協会会長賞受賞、全日本学生美術展推奨(最高賞)受賞、毎日新聞コンクール最高賞受賞
  • 将棋部 - 全国高等学校将棋竜王戦東京都代表
  • 柔道部 - 関東大会ベスト4
  • 剣道部 - 都大会ベスト8
  • 陸上競技部 - 全国大会出場(棒高跳び・走り高跳び・400mハードル)、関東大会出場(走り高跳び・砲丸投げ、110mハードル)
  • 硬式野球部 - 全国高等学校野球選手権東京大会ベスト4
  • バスケット部 - 都大会ベスト8、関東大会出場
  • サッカー部 - 関東高等学校選手権大会東京都代表、東日本高等学校選手権大会ベスト8(東京都代表)、都大会準優勝
  • ラグビー部 - 都大会ベスト16
  • バドミントン部 - 都大会ベスト8
  • アメリカンフットボール部 - 都大会ベスト8
  • 水泳部 - インターハイ出場

天野賞

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学年末に成績優秀者に授与され、名誉ある天野賞は、天野敬一第6代理事長から寄贈された百万円を基金として設立された。天野は明治39年、日比谷中学校閉鎖の危機に創立者古賀喜三郎を助け、財団法人を組織させ、以後引き続き理事を勤め、昭和23年から41年まで理事長となり、60年の長きにわたって本校の発展に貢献した。

進路

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東京大学一橋大学東京工業大学を始めとする国公立大学、早稲田大学慶應義塾大学などの私立大学への合格者を数多く出している。さらに、国公立大学医学科の合格者数は東日本で屈指の実績を誇る。近年ではコーネル大学バージニア大学ジョージタウン大学シカゴ大学など日本国内だけではなく海外の大学にも合格者を出している。

姉妹校

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学園関係者と組織

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関連団体

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  • 海原会 - 海城学園の卒業生による同窓組織。現会員は約18,000人。
  • 海城中学・高等学校PTA - 会員資格は、在校生の父母と教職員。
  • 海城中学・高等学校後援会 - 2007年発足した。会員資格は、在校生の父母と教職員、教職員OB、卒業生、卒業生の父母、学校理念に賛同する個人と法人。
  • 海城中学・高等学校後援会と海城中学・高等学校PTAは別組織として両者存在している。--125.14.100.164 2008年2月25日 (月) 13:15 (UTC)

学園関係者一覧

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関連書籍

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  • 『一族再会』 江藤淳 講談社文芸文庫
  • 『夜の紅茶』 江藤淳 牧羊社
  • 『腰折れの話』 江藤淳 角川書店
  • 『東京の中等教育三』 手塚竜麿 東京都公文書館
  • 『名門高校人脈』 鈴木隆祐 光文社新書
  • 『海城六十年史』 海城六十年史編纂委員会
  • 『海城学園八十年史』 海城学園八十年史編集委員会
  • 『海城学園百年史』 海原会編
  • 『われらの海城中学時代』 離錨会編集委員会

関連項目

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外部リンク

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--西の果て 2008年1月27日 (日) 01:35 (UTC)--陸の王者 2008年1月19日 (土) 15:12 (UTC)

本文でPTAが解散したという記事は誤り

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本文の関連団体の項目中にPTAが解散し後援会になったという記事は誤りである。 PTAとは別組織である後援会が2007年に発足した。

海城中学・高等学校 広報委員会 webページ担当 --125.14.100.164 2008年2月25日 (月) 13:23 (UTC)

保護いたしました。

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この記事の対象についてお詳しい方二人による、ノートでの議論がない編集合戦は、ウィキペディアの理念と全く相反するものだと思われますので、半年間の保護としました。--海獺(らっこ) 2008年8月8日 (金) 14:44 (UTC)

編集の自由は憲法の言論の自由に属すため、保護解除の要請を要請します。--シュウマイ男 2008年8月13日 (水) 12:31 (UTC)
その場合はWikipedia:保護解除依頼で要請して下さい。--目蒲東急之介 2008年8月13日 (水) 12:33 (UTC)


編集合戦回避のため

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2009年2月28日 (土) 11:44の版から、この記事をより良くするために意見を交わしましょう。--らんぷす 2009年2月28日 (土) 12:07 (UTC)


海の城さん、あなたの編集の方が誤記があると思いますよ。文化祭の入場者数等、文実HPを見たらすぐわかると思うのですが。 校風のイメージ転換を図っている等の編集は、あなたの主観的なものでしょう。それはwikipediaの編集の方針と違うと思いますよ。--らんぷす 2009年3月1日 (日) 04:07 (UTC)

編集合戦がありましたので、1年間保護をかけました。前回の長期保護が2月6日に解除されて日が経たないうちに編集合戦が再開されたのは、残念なことです。話し合いがまとまりましたら、保護解除を依頼してください。--Kinori 2009年3月1日 (日) 05:05 (UTC)