コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

海城中学校・高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海城高から転送)
海城中学校・高等学校
地図北緯35度42分16.56秒 東経139度42分08.81秒 / 北緯35.7046000度 東経139.7024472度 / 35.7046000; 139.7024472座標: 北緯35度42分16.56秒 東経139度42分08.81秒 / 北緯35.7046000度 東経139.7024472度 / 35.7046000; 139.7024472
過去の名称 餘力學舎
東京英華學校
海軍兵醫學校豫備校
海軍豫備校
日比谷中學校
海城學校
海城中學校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人海城学園
設立年月日 1891年11月1日
創立記念日 11月1日
創立者 古賀喜三郎
共学・別学 男子校
中高一貫教育 完全一貫制
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D113310400014 ウィキデータを編集(高等学校)
C113310400016 ウィキデータを編集(中学校)
高校コード 13540C
所在地 169-0072
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

海城中学校・高等学校(かいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう、: Kaijo Junior & Senior High School)は、東京都新宿区大久保にある、中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校

概要

[編集]

1891年明治24年)に、古賀喜三郎により、「国家・社会に有為な人材を育成する」という建学の精神の下、海軍兵学校入学を目指す予備校として創立された。現在は、その建学の精神の下、「リベラルでフェアな精神」「思いやりの心」「民主主義を守る意思」「明確に意思を伝える能力」を身につけた高い知性と豊かな情操を持つ理想的な人物を「新しい紳士」と名付け、その育成に取り組んでいる。

かつては、高等学校での生徒募集を行っていたが、2011年に高校募集を停止しており、現在は完全中高一貫校となっている[1]

教育方針

[編集]
  • 建学の精神 - 国家・社会に有為な人材の育成
  • 教育理念 - リベラルでフェアな精神を持った「新しい紳士」育成
  • 校風 - 「質実剛健・リベラルでスマート」を校風として標榜している

沿革

[編集]

略歴

[編集]
古賀喜三郎

1891年(明治24年)、佐賀藩出身の古賀喜三郎(海軍少佐・教育者)により、海軍兵学校入学を目指す予備校「海軍予備校」として創立された。海軍兵学校は、「一に海兵(海軍兵学校)、二に陸士(陸軍士官学校)、三・四がなくて、五に東大(東京帝国大学)」と言われ[要出典]、その教育を行うため、商議員には渋沢栄一高田早苗ら、また議定員には西郷従道伊東祐亨ら朝野の名士を集め、講師にも海軍兵学校の有力な教官を揃え、万全の体制を敷いた。全盛期には、海軍兵学校の全入学者の半数近くを占めるほどに発展し、「海軍兵学校に進むには海軍予備校(海城)を経なければならない」とまで言われた。また、1904年(明治37年)の日露戦争には、多くの卒業生たちが海軍士官として、旅順港封鎖に、日本海海戦にと活躍した。しかし、中学校令により、1899年(明治32年)に海軍予備校に併設された日比谷中学校(1899年 - 1906年)および1906年(明治39年)以降は、海城中学校(1906年 - 1948年)が次第に主流となり、海軍予備校の系譜である海城学校(1900年 - 1931年)が従となってくると、高等学校等へ進学するための普通の中学校に性格を変えていった。1945年昭和20年)の太平洋戦争終結後、学制改革により、1947年(昭和22年)に新制海城中学校、1948年(昭和23年)に新制海城高等学校として発足し、現在に至る。

年表

[編集]
  • 1885年明治18年) - 漢学者の新楽金橘が余力学舎を芝区三田(現:港区三田)に創立。
  • 1886年(明治19年) - 余力学舎を東京英華学校と改称。
  • 1888年(明治21年) - 麻布区桜田町、麻布区仲ノ町(現:港区西麻布・六本木)に移転。東京英華学校を海軍兵医学校予備校と改称。
  • 1890年(明治23年) - 麹町区元園町(現:千代田区麹町)に移転。
  • 1891年(明治24年) - 海軍兵医学校予備校を一旦廃校とし、古賀喜三郎が私財を投じて海軍予備校を創立。
  • 1896年(明治29年) - 麹町区下弐番町(現:千代田区二番町)に分教場を設置。
  • 1897年(明治30年) - 麹町区八重洲町(現:千代田区丸の内)に移転。
  • 1899年(明治32年) - 麹町区霞関町(現:千代田区霞が関)に移転。海軍予備校に併設して日比谷中学校を設置。
  • 1900年(明治33年) - 海軍省の要請により、海軍予備校を海城学校と改称。
  • 1902年(明治35年) - 海城学校・旧日比谷中学校校友会を合併し学友会が発足。
  • 1906年(明治39年) - 日比谷中学校閉鎖、海城中学校発足。財団法人海城学校認可。
  • 1914年大正3年) - 古賀喜三郎、死去。学校葬を挙行。
  • 1921年(大正10年) - 海軍予備校・日比谷中学校・海城学校・海城中学校の卒業生を糾合して、同窓会組織である海原会が発足。
  • 1927年昭和2年) - 豊多摩郡大久保町字百人町(現:新宿区大久保)に移転。
  • 1931年(昭和6年) - 財団法人海城学校を財団法人海城中学校と改称。海城学校を廃止。
  • 1943年(昭和18年) - 保護者会が発足。
  • 1944年(昭和19年) - 太平洋戦争激化により、生徒が勤労動員に出動。
  • 1947年(昭和22年) - 学制改革により、新制海城中学校発足。
  • 1948年(昭和23年)
    • 学制改革により、新制海城高等学校発足。
    • 保護者会を解散し、海城中学・高等学校PTAが発足。
  • 1951年(昭和26年) - 財団法人海城中学校を学校法人海城学園に組織変更。
  • 2007年平成19年) - 海城中学・高等学校後援会が発足。
  • 2011年(平成23年) - 高等学校生徒募集停止、完全中高一貫校[2]
  • 2021年令和3年) - 創立130周年記念事業。新理科館 (Science Center) 竣工。

キャンパスの変遷

[編集]
本校発祥の地。
  • 1897年(明治30年)- 1899年(明治32年):麹町区八重洲町二丁目一番地(現:千代田区丸の内2-1、明治生命館
宮内省所管の旧司法省の建物を下賜され、移転。この地を確保できたのは、創立者である古賀喜三郎有栖川宮威仁親王皇族との繋がりがあったからである。そして、後に宮内大臣土方久元を本校議定員に迎え入れることになる。
  • 1899年(明治32年)- 1927年(昭和2年):麹町区霞関町二丁目一番地(現:千代田区霞が関1-2-2、中央合同庁舎第5号館
官庁街のこの官有地を30年間借用する許可がおり、移転。隣は海軍省、目の前は日比谷公園という一等地だった。海軍省裏のこの地を確保できたのは、創立者である古賀喜三郎が海軍出身であっただけでなく、娘婿の江頭安太郎(当時、海軍省軍務局勤務、後の海軍中将)の働きに負うところが大であった。
  • 1927年(昭和2年)- 現在:豊多摩郡大久保町字百人町(現:新宿区大久保3-6-1)
海軍省より霞が関の借用地の返還を求められ、代替地としてこの官有地を30年間借用する契約がなり、移転。後に、この借用地を買収して、数度にわたり校地拡張を行い、現在に至っている。

所在地・交通アクセス

[編集]
海城中学校・高等学校の位置(東京都内)
海城中学校・高等学校
交通アクセス

象徴

[編集]
校名
校名の「海城」は、戦艦を意味する古語が由来となっている。また、1900年(明治33年)に、海軍省の要請により、「海軍予備校」を「海城学校」と改称した。
校章
創立当初から用いられた校章は、に「Navy School」の頭文字である「NS」をあしらったものであり、海軍士官と間違われるほど似ていたため、当時の生徒達にとって大きな誇りだった。しかし、敗戦により海軍が消滅したため、1946年(昭和21年)に小判型の校章に変更せざるを得なくなった。その後、生徒達からの評判が悪く、翌年1947年(昭和22年)からは、本校教諭であった利根山光人がデザインした、帆布に「Kaijo School」の頭文字である「KS」を模様化した校章を用いている。
校旗
現在の校旗は「KS」の校章をあしらったもので、1961年(昭和36年)から用いられている。終戦時まで用いられた校旗は、赤地に白で校章と波形が表され、縁には紫の房が付いた軍旗風のもので、現在は、学校のメモリアルホールに保存されている。また、当時は、街頭行進の時などに用いられ、成績首席の者が旗手を務めた。
校歌
現在の校歌は、作詞は品田聖平、作曲は向出利雄で、1923年(大正12年)に制定された。
制服
黒色の詰襟学生服に、金色の校章入りボタンである。それ以前は、海軍兵学校式の七つボタンの制服(1892 - 1915年)や蛇腹にホックの海軍士官風の制服(1915 - 1942年)が用いられた。
スクールカラー
海に因み青色となっている。学年ごとに青、赤、緑の三色がそれぞれ振り分けられている。

IT教育

[編集]

2024年8月現在、中学高校両方でApple社のMacBook Airを全員が購入、授業の一環で使用している。また、教員もiPadMacBookを所有しており、授業でプロジェクターと接続して授業を進めている。

さらには、全教室にプロジェクターが設置されている。これによりデバイスを用いた授業がより一層活発に展開され、家庭学習や遠隔学習などでも活用している。

中学では、今後は中学1年から高校1年の4年間にわたる情報教育のカリキュラムを技術という授業の中で新たに開始し、基礎的な操作から動画編集、プログラミングなど段階的に学習していく[3]。プログラミングはプログル技術というソフトウェアを使っている。

学校施設

[編集]

敷地面積は21,142㎡ほどあり、山手線沿線に所在している学校の中では最大級である。校舎の建て替えが進んでおり3号館は2011年7月に完成しており、4号館と5号館も建て替えが決定されている。

運動施設
運動施設としては、人工芝のグラウンド(約13,000m2)、アリーナ(体育館)、屋外プール、柔道場、剣道場、オムニコート(テニスコート、2面)、弓道場がある。
特別教室
特別教室としては、特別活動室、視聴覚教室、技術室、音楽室、美術室、書道室、物理実験室、化学実験室、生物実験室、共同実験室、合同教室を備える。他に、カフェテリア(3階建のガラス張りの開放的な食堂オープンスペース)、図書館(蔵書数:約60,000冊)、講堂(約450名収容)、家庭科の調理室、カウンセリングルーム、多目的ルーム、自立活動支援室などがある。

天野賞

[編集]

天野賞は、学年末に、成績優秀者に1学年に2人ずつ授与される。天野敬一第6代理事長から寄贈された100万円を基金として設立された。天野は、明治39年、日比谷中学校閉鎖の危機に創立者・古賀喜三郎を助け、財団法人を組織させ、以後引き続き理事を務め、昭和23年から昭和41年まで理事長となり、60年の長きにわたって本校の発展に貢献した。天野賞受賞者の内、三年間を通じて特に成績が優秀であった生徒には、海城学園賞が授与される。

学校行事

[編集]
海の家
中学1年の夏休みに、千葉の富浦寮で行われる伝統行事である。伝統の長距離遠泳や自然観察を通じて、団体生活を学ぶ。また、挨拶の徹底などの規律が厳しいことで知られる。なお東日本大震災の影響で2011年度以降は実施されていない。(2024年8月現在)
山の家
毎年7月の夏休み開始直後に行われる。中学1年生全員を対象に、湖や森林に囲まれた自然環境の中、ハイキング、オリエンテーリングなどを通じて、連帯感や協調性、自然保護の大切さを学ぶ。しかし、2016年に落石事故が発生し、以後は箱根方面への研修旅行が行われている。2019年度は新潟で行われた。また、2021年はコロナウイルスの影響で中止された。2023年は宿泊研修と称し群馬、新潟で行われた。2024年は同じく宿泊研修と称され、新潟県津南で行われた。
PA(プロジェクト・アドベンチャー)
グループで困難を解決しながら、人間関係の構築や自己研鑽を積む目的で行われる。中一春(日帰り)、中二春(1泊2日)に、「高尾の森わくわくビレッジ」で実施される。
海城祭
中学・高校合同で行われる文化祭である。文化祭実行委員会を中心に、生徒達が一丸となって企画・運営する。毎年9月中旬に、2日間にわたり行われ、例年20,000名程度の来校者がある。2020年度は新型コロナウイルスの影響で、オンラインでの開催となったが、2023年より一般開催に復帰している。
体育祭
中学生を対象にして、生徒会と体育祭実行委員会が中心となり実施される。
スポーツ大会
高校生を対象にして、スポーツ大会実行委員会を中心に、生徒達によって企画・運営する。学年ごとにクラス対抗で行われ、これまでドッジボール・サッカー・バスケットボールが行われていたが、2019年度は例外的にドッジボールが行われず、サッカー・バスケットボール・バレーボール・ボッチャの4種目となった。
スキー教室
中学一年生の希望者を対象にして、団体割がきくスキー場(中学一年の宿泊研修先と同様)にて実施される。
アメリカ、イギリス研修
生徒希望者のうち、面接やスピーチなどの選考基準を満たした生徒のみを、2週間ほどアメリカの高校や大学に短期留学させるプログラムである。

学校関係者と組織

[編集]
関連団体
  • 海原会(うなばらかい) - 1921年(大正10年)発足。海城学園の卒業生等による同窓会組織。
  • 海城中学・高等学校PTA - 1948年(昭和23年)発足。会員資格は、在校生の父母と教職員。
  • 海城中学・高等学校後援会 - 2007年(平成19年)発足。会員資格は、在校生の父母と教職員、教職員OB、卒業生、卒業生の父母、学校理念に賛同する個人と法人。
関係者一覧

関連校

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 一般財団法人 東京私立中学高等学校協会編集『2011[平成23年度] 東京都内 私立中学校・高等学校案内(付:東京都内私立小学校案内)』(一般財団法人 東京私立中学高等学校協会、2010年8月発行)の「平成23年度 加盟学校 学校案内 中学校・高等学校編」(pp.25-275) の「海城中学校高等学校」(p.59) のうち「入試情報」によると、「高校募集を停止し、中学帰国生入試を1月に行います。」と記されている。
  2. ^ 学校沿革 - 海城中学高等学校
  3. ^ MacBook Air 中学生への配布完了しました”. 海城中学高等学校. 2022年4月7日閲覧。
  4. ^ 新モンゴル学園だより - 海城中学高等学校

関連書籍

[編集]
  • 『一族再会』江藤淳 講談社文芸文庫
  • 『東京の中等教育三』手塚竜麿 東京都公文書館
  • 『名門高校人脈』鈴木隆祐 光文社新書
  • 『海城六十年史』海城六十年史編纂委員会
  • 『海城学園八十年史』海城学園八十年史編集委員会
  • 『海城学園百年史』海原会編
  • 『われらの海城中学時代』離錨会編集委員会
  • 『中学受験 注目校の素顔 海城中学高等学校―――学校研究シリーズ』おおたとしまさ ダイヤモンド社
  • 『海城学園 創立125年記念誌』海原会

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]