ノート:浦森林鉄道
記事作成の経緯について
[編集]本記事「浦森林鉄道」および関連記事「黒河内森林鉄道」の基となった記事「伊那森林鉄道」は、2017年5月13日 - 14日にかけて開催された「ジオパークぶらり+WikipediaGEO」において作成されたものだそうです。
--Qurren(会話) 2017年5月20日 (土) 04:06 (UTC) 期間修正--Qurren(会話) 2017年5月20日 (土) 04:28 (UTC) リンク修正--Qurren(会話) 2017年5月28日 (日) 13:34 (UTC) 改名・分割を反映--Qurren(会話) 2017年6月4日 (日) 00:28 (UTC)
伊那森林鉄道の名称について
[編集]質問です。「伊那森林鉄道」という名称ですが、こちらの資料にある浦森林鉄道・黒河内森林鉄道の総称ということでよろしいでしょうか。「伊那森林鉄道」という名称が実際に用いられていたのかどうか、インターネット検索では確認できませんでした。参考文献に挙げて頂いた資料の中で、「伊那森林鉄道」という名称を用いているものはどれでしょうか。お教え頂ければ幸いです。--Qurren(会話) 2017年5月14日 (日) 15:48 (UTC)
資料調査報告
[編集]コメントがありませんので、独自にて確認を行ってまいりました。
まず、脚注・参考文献に挙がっていた資料のうち、下記について確認しました。
- 池上正直、伊藤一夫、荻原貞利、柿木憲二、長瀬康明、松崎岩夫 著、向山雅重監修 編『図説・上伊那の歴史 下巻』郷土出版社〈長野県の歴史シリーズ 5〉、1987年。
- 竹入弘元『上伊那の今昔』郷土出版社、2003年。ISBN 4876636419。
- 戸草ダム民俗等調査委員会編 編『奥三峰の歴史と民俗』長谷村教育委員会、1994年。
- 西村富夫「森林鉄道の想い出」『伊那路』第22巻第10号、上伊那郷土研究会、1978年。
- 長谷村誌刊行委員会編 編『長谷村誌 第2巻 自然編・現代社会編』長谷村誌刊行委員会、1994年。
- 矢部三雄『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編』信濃毎日新聞社、2015年。ISBN 9784784072705。
以上6資料のうち、「伊那森林鉄道」という用語を用いているものは見つかりませんでした。『図説・上伊那の歴史 下巻』109ページにおいて「赤石森林鉄道」と総称されていることを確認しましたが、赤石山脈の森林鉄道は他にもある(遠山森林鉄道や千頭森林鉄道)ため、これを浦・黒河内森林鉄道に限った総称として用いるのは適切でない気がします。
このほか、下記資料について確認しました。
- 『角川日本地名大辞典 20 長野県』
- 160ページに「浦森林鉄道」、1095ページに「黒河内森林鉄道」という記述が見えます。897、1356ページにも森林鉄道に関する記述があります。
- 『日本歴史地名大系 20 長野県の地名』
- 長谷村に関する記述がある411 - 415ページには、森林鉄道に関する記述は見つかりませんでした。
- 西裕之『全国森林鉄道』JTB〈JTBキャンブックス〉、2001年。ISBN 4533039790。
- 61 - 62ページにわたって浦森林鉄道に関する記述がありました。
- 伊那営林署編 編『伊那営林署のあゆみ』伊那営林署、1978年。
- 『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編』214 - 217ページに、森林鉄道に関するページ(32 - 34、38 - 43、49 - 51、80 - 83ページ)の写しが掲載されています[1]。
以上4資料のうち、「伊那森林鉄道」という用語を用いているものは見つかりませんでした。
今回、調査を見送った資料は下記の通りです。
- 小林一行「三峰川渓谷 ―森林鉄道の思い出―」『伊那路』第15巻7号から12号のうちいずれか、上伊那郷土研究会、1971年。
- 本文中では人客輸送に関する記述の出典となっていますが、同じ内容と思われる記述が『奥三峰の歴史と民俗』[2]にあるため確認を見送りました。
- 美和ダム起工60周年記念資料作成実行委員会編 編『水と人の詩 三峰川と歩む長谷の60年』2016年。
- 収蔵図書館が限られており(長野県内では高遠町図書館のみ)、手間と時間の都合により断念しました。
- 本文中では昭和34年台風第7号に伴う流域の林道被害に関する記述の出典となっています。主題(森林鉄道)とは関係のない記述として除去しても差し支えないと思われます。
報告は以上です。「伊那森林鉄道」という呼称の出典が示されるまでは{{暫定記事名}}といたします。確認漏れなどありましたらご指摘下さい。--Qurren(会話) 2017年5月20日 (土) 04:06 (UTC)
改名・分割提案
[編集]本記事の作成から1週間となりますが、今日まで大きな加筆もなく、ノートのメッセージに対する反応もなかったため、勝手ながらwikifyさせて頂きました。
本記事は記事名を「伊那森林鉄道」とし、「浦森林鉄道」・「黒河内森林鉄道」の2路線に関する記述が混在しています。しかしながら、この2路線は線路で接続されていたわけではなく、同じ事業者によって、同じような時期・場所で運行されていたというだけですので、1つの記事に併存させる必要はないと考えます。「伊那森林鉄道」という総称の出典も未だ見つかっておりません。そこで、本記事を以下の手順により再構成することを提案します。
- 伊那森林鉄道を浦森林鉄道に改名する(ノート含む)。
- 浦森林鉄道から黒河内森林鉄道を分割する。
- 跡地(リダイレクト)となった伊那森林鉄道・ノート:伊那森林鉄道を有用でないリダイレクト(存在が確認できない呼称)として削除する。
以上、提案させて頂きます。--Qurren(会話) 2017年5月21日 (日) 05:41 (UTC)
- (決議)提案から2週間となりますが、異論ないようですので、これより作業を開始します。--Qurren(会話) 2017年6月3日 (土) 23:43 (UTC)
- (報告)提案の1 - 2については6月3日 (UTC)、3についてはリダイレクトの削除依頼を6月4日 (UTC) に提出し、8月9日 (UTC) に削除(ログ)、8月13日 (UTC) に告知テンプレートがBotにより除去されました。ご協力ありがとうございました。--Qurren(会話) 2017年8月13日 (日) 13:39 (UTC)
疑問点
[編集]加筆修正、出典調査する中で疑問を感じました。本項目の立項に携わった方々に、お伺いしたいと思います。
- 「伊那森林鉄道」という総称は用いられているのか。
- 浦森林鉄道と黒河内森林鉄道を1つの記事にまとめた理由は。
以上、回答頂けると幸いです。--Qurren(会話) 2017年5月28日 (日) 13:34 (UTC)
- 回答が大変遅くなり申し訳ありません。浦森林鉄道、黒河森林鉄道を1記事とまとめましたのは、伊那営林署管内での森林鉄道でありましたので浦森林鉄道・黒河内森林鉄道をまとめ「伊那森林鉄道」の記事としました。その総称として「伊那森林鉄道」と総称しましたが、浦・黒河内森林鉄道は個々で記載されていましたので総称としてしまい、ご迷惑おかけしました。--Kzu06(会話) 2017年6月23日 (金) 08:07 (UTC)
- コメントありがとうございます。せっかくですので、この場をお借りして苦言を申し述べさせて頂きます。
- まず、ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません(Wikipedia:独自研究は載せない)。出典もなしに、2路線ある「伊那」営林署の「森林鉄道」を勝手に「伊那森林鉄道」と呼称することは不適切です(やむを得ない事情がある場合は、その理由を説明した上で、「便宜上この呼称を用いる」といった前置きをすることはあるでしょう)。あなた方がなさったことというのは、「浦・黒河内森林鉄道の総称を伊那森林鉄道という」などという真偽不明な情報を公表したということです。真偽不明な文章が一人歩きして、まるで真実であるかのように流布され、やがて定着してしまうことは恐ろしいことです。
- あなた方の活動を初めてお見かけしたのは2015年の進徳館 (高遠藩)でした。あれから2年、もう少し品質を上げて頂くことはできませんか。あなた方のホームページやFacebookを読んでも、「記事の題材を探す」→「記事を書く」(PDCAサイクルのPD)の繰り返しで、その後の「評価」「反省」「改善につなげる」(同、CA)ということをなさっている様子がうかがえず残念です。
- それから、活動報告ページのノートにも書きましたが、「自分の作ったスタブに幾らかの責任を持つ」(Wikipedia:スタブ)というのも大事なことだと思っております。当方が最初に疑問を呈したのが5月14日です。回答を頂くまで1か月以上要するというのは、社会通念上いかがなものでしょうか。
- 以上、地元出身者として厳しく意見させて頂きました。7月には飯田で同様のイベントがあるようですが、実り多き活動となりますことを祈念いたします。--Qurren(会話) 2017年6月23日 (金) 12:10 (UTC)
- この度は、不適切な情報にてご迷惑をおかけいたしました。
- 活動につきまして今後「評価」「改善」など作成した記事についての責任などは、今後の活動にて改善してまいります。また、回答につきましてご指摘いただいました記事についての責任の意識が薄くなってしまっておりご迷惑をおかけいたしました。今後改善してさせていただきます。
- 今後ともご意見いただけましたら幸いです。--Kzu06(会話) 2017年6月24日 (土) 06:52 (UTC)
脚注
[編集]- ^ 矢部三雄 2015, pp. 214–217.
- ^ 戸草ダム民俗等調査委員会編 1994.