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ノート:泣きゲー

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「アダルトゲームとして必須であった性的な描写は大きく後退することとなった。」とありますが、LVNS以前のアダルトゲームと比較して、現在のアダルトゲームは性的描写においても充実が図られているように思います。後退というよりは、性的描写とストーリーの主客が逆転した作品が多く製作されるようになった、というべきかと思います。218.40.223.158 2006年1月3日 (火) 02:48 (UTC)[返信]

一年以上前の案件ですが、保護される前に修正を入れておきます。--Joyeuse 2007年2月17日 (土) 15:42 (UTC)[返信]
ぎりぎりで保護されてしまいました。編集はまた今度。--Joyeuse 2007年2月17日 (土) 15:48 (UTC)[返信]
加筆--124.38.88.141 2007年2月26日 (月) 14:51 (UTC)[返信]

対象作品のリスト化について

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何度か戻していますが、本文に「泣き」の歴史として記載されている作品まで削除するのは如何な物かと。 明確な条件を示して下さい。(あなたの好みと言うのはやめて下さい)

本文には、「泣きゲーが確立するまでのステップとなった作品」がTo HeartやONEだといっているのであり、別に「泣きゲー」そのものだとは一言も言っておりません。そもそも、To Heartが泣きゲーなのか? ONEで泣ける人がいるのか?(シナリオ性は高く評価しますが),疑問はつきません。あと、ノートには署名をしましょう。名乗らないのならWikipediaで活動する資格はありません。--124.38.73.232 2007年2月16日 (金) 19:18 (UTC)[返信]
ではその基準で貴方が「泣きゲー」と判断した物しか、この項に書けないとでもおっしゃているのでしょうか?中立的な観点とは到底言えないと思いますが。ARIEL 2007年2月16日 (金) 23:30 (UTC)[返信]
情けない方ですね。Wikipediaは何でないかを良くお読み下さい。私は、本文に『泣きゲーはKanon以降』という記述があり、それ以前の作品は『ストーリーを重視した作品』という記述しかなく、『泣きゲー』だとは一言も触れられていないから、それに従うべきだといっているのです。さらにいえば、リストに載せる作品が『泣きゲー』に値するかどうかはノートでしかるべき論議を経てから記載すべきだといっているのであり、貴方のように『これも泣きゲー、あれも泣きゲー』というようにリストに記載するのが間違っているといっているのです。それを無視し、rvをくりかえし、荒らしに準じた行為です。どちらが中立的な観点を持っていないのでしょうか?--124.38.73.237 2007年2月17日 (土) 07:00 (UTC)[返信]

このところ主な作品に掲載する作品を巡って編集合戦になっています。これ以上編集合戦状態が続くのであければいっそうのこと主な作品の節を削除した方がいいような気がします。--おはぐろ蜻蛉 2007年2月17日 (土) 13:10 (UTC)[返信]

確かにものすごい荒れようです。ただ、「リストに載せる作品が『泣きゲー』に値するかどうかはノートでしかるべき論議を経てから記載すべきだ」というIP氏の意見には賛成です。確かに本文では、To Heart や ONE ~輝く季節へ~ は、『ストーリー重視』の作品と評され、泣きゲーはKanonをルーツとする、という書かれ方がなされていますし、個人的にもTo HeartやONEが泣きゲーだといわれると抵抗感を感じますし、これは決してマイノリティーな意見ではないと思います。ちなみに、ARIEL氏は『貴方が「泣きゲー」と判断した物しか、この項に書けないとでもおっしゃているのでしょうか?』とおっしゃっていますが、それは氏も同様で、「貴方が泣きゲーと判断すれば、IP氏がそれに賛同しなくても、記載してかまわないということなのでしょうか?」。だから執拗にrvするわけですし、IP氏もそれに応酬しなくてはならなくなるわけです。ノートでの議論に必要性を訴えます。--Modmouse 2007年2月17日 (土) 15:39 (UTC)[返信]
確かに、「泣き」という評価という物は主観的であり、客観的に個人が決められる物ではないと思いますので、ある程度の人数から支持を受けた作品を出すべきかもしれません。参考までに某掲示板の中で「泣けるエロゲを語るスレ Part46」という物が在り、その中でこれまでに挙げられた作品がリスト化されています。これを参考にするのも一つの方法かと思います。ARIEL 2007年2月18日 (日) 00:32 (UTC)[返信]
出典をいくつか提示。扶桑社刊『週刊SPA!』2002年1/22号内、「なぜボクらは『泣けるエロゲー』にハマったのか!?」によると、泣きゲーの泣きとは「かわいそう・切なさ・はかなさ」に対する泣きで、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』や『風の谷のナウシカ』の自己犠牲的なクライマックスに対するものとは異なる、と指摘。起源としては『ToHeart』のほのぼのした物語の中に多少見られた「泣き」の要素がキーワードとして特化したとあります。ここでは、『ToHeart』は基本的には『Piaキャロットへようこそ!!3』と並んで「萌え系・ギャルゲー」にカテゴリーされており「泣き・癒し系」には入っておりません。「泣き・癒し系」にカテゴリーされているのは『加奈~いもうと~』、『銀色』、『Kanon』、『月姫』などです。講談社刊『萌え萌えジャパン』(堀田純司著)によると、『ToHeart』を「ハートフルコメディーでビジュアルノベルのスタイルを美少女ゲームの世界で大きな存在感を示した作品」、『Kanon』、を「この一作でもって「泣きゲー」というジャンルを確立したと評しても過言ではないほど、プレイした人を泣かせた作品」と、評価しています。『Kanon』、に関してはアスペクト刊『E-LOGiN』1998年11月号によるとインタビュー記事で、「エッチしたらエンディング、というゲームにはなりません」、「ユーザーの心に感動を与えるようなものを作っていこうと思ってはいるんですよ」という発言が載っているので、泣けるかどうかは置いたとしても、それに近いものを企図していたのは確かです。--べっ甘七みつ・たけタカひろ 2007年2月26日 (月) 16:00 (UTC)[返信]

元々「ONE」が「泣き」系を意図した作品であった事を作者の企画書より引用します。株式会社コンパス刊「タクティクス MOON.&ONE ~輝く季節へ~ 設定原画集」132頁より

*内容(前略)
そしてエンディング付近から一気に色濃く”せつなさ”を描きたい。それにより心に残る何かをひとつでもユーザーに残せたら、と考える。
いわゆる従来のお涙頂戴系の話を、避けられない「別れ」を取り入れることにより。恋愛対象となる全員に対して描けるという、シナリオライターのエゴを取り入れた企画でもある。(後略)

この企画者の意図がユーザーに伝わった事は、現在の「ONE」のセールス文が『心に届く「泣きゲー」ジャンルを開拓した元祖学園恋愛アドベンチャーゲーム!!』となっている事でも明らかだと思います。また、前出のリストもその客観的な証拠になるかと。

また、これはこの項で議論すべきではないと思いますが、本文の歴史的経緯はもう少し掘り下げた形で記載すべきでは?具体的に言うと「LeafToHeartのマルチシナリオを萌芽とし、TacticsONEがそのジャンルを開拓した。そのジャンルの中で始めて広く知られるようになったのがKeyKanonである」といった表記に変えてはどうでしょうか? ARIEL 2007年3月4日 (日) 04:40 (UTC)[返信]

歴史的経緯について突っこんだ記載をするのであればMOON.についても触れておきたい。『鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV』として企画され『少女の心模様、葛藤を描き、痛いほどの共感を呼ぶ物語』を目指したようです。出典タクティクス設定原画集(コンパス 1998年 ISBN 4877630147 p130)--おはぐろ蜻蛉 2007年3月4日 (日) 06:23 (UTC)[返信]

それは違うでしょう。感動モノとして企画されたものと、結果的に「泣きゲー」としての評価を得た作品とは全くの別物です。また、「To Heart」はあくまでシナリオ重視のゲームの萌芽であって、「泣きゲー」のそれとは関係ありません。また、「ONE」は確かに「泣きゲー」の萌芽かもしれませんが、これを泣きゲーとするかどうかは賛否両論が分かれすぎています。このノートを見れば一目瞭然でしょう。あくまで、「Kanonが泣きゲーの始祖的存在」とするのが妥当であり、歴史的な流れとしては「Kanon」が第一項にくるのであり、「To Heart」や「ONE」は触れられるべきではないでしょう。あと、前出のリストに客観性は無いでしょう。明らかに偏りがありますし、「泣きゲー」とは認識されていないものまでリストに掲載されている地点で、信憑性が無いでしょう。Wikipediaの基準はWikipedianが定めればよいのです。したがって、現行の記述が一番正確かつ妥当。--124.38.84.43 2007年3月4日 (日) 06:32 (UTC)[返信]

確かにその通りだと思います。このノートを見ても、「To Heart」や「ONE」を泣きゲーと主張することに疑問を覚える人は結構いるようです。そういう私も疑問に思う側の人間です。ARIELさんの、LeafToHeartのマルチシナリオを萌芽とし、TacticsONEがそのジャンルを開拓した。そのジャンルの中で始めて広く知られるようになったのがKeyKanonである」というのは、まさに「To Heart」や「ONE」が泣きゲーであるという前提の記述であり、これでは納得しないWikipedianは多いでしょう。MOON.まで触れるべきだという意見も出てきていますが、私の主張はこうです。そもそも「泣きゲー」というのは正式なジャンルではありません。大抵は「恋愛ADV」に属するのでしょうし、「MOON.」では「鬼畜系」に属します。「泣きゲー」というのは、制作者サイドが決めるものではなくて、プレイヤーが決めるものです。だから、「感動モノとして企画された」というのは、「泣きゲー」にはなりません。前出のリストを根拠に上げられる方もいますが、少なくともこのノートでは「To Heart」や「ONE」を泣きゲーとして認めることは、Wikipediaでは受け入れられないでしょう。「Kanon」に関しては全く異論がないようなので、やはり完全に「泣きゲー」というジャンルが確立したのはKanonからと考えるのが妥当であり、私も現行の記述のままがWikipediaの記事として一番相応しいと考えます。--XGman 2007年3月4日 (日) 06:44 (UTC)[返信]

ONEとKanonは似た作品だと思うのでONEを泣きゲーとしないのは反対。しかし異論も多いようなので「ONEを泣きゲーとするのかについては賛否両論ある」と書くことを提案します。--58.93.96.115 2007年3月5日 (月) 12:59 (UTC)[返信]

と、いうかWikipedia内の『ONE ~輝く季節へ~』側の記述を元にするなら『ONE ~輝く季節へ~』と『Kanon』の製作スタッフの多くは同じで、いくつかは『Kanon』の原型になっている、なにより「俗に言う「泣きゲー」のジャンルを開拓した作品であるとの呼び声も高い」とあるから、この記述が否定されない限り「泣きゲー」として記載しないと記事間の整合性が取れないでしょう。『To Heart』は『To Heart』側の記述が「泣きゲー」として定義していないから弾いても文句はないでしょう。ただ『To Heart』に代表されるストーリー重視路線の進化があって、その中で泣かせるストリーとして発展進歩したのが「泣きゲー」なら、今の記述は問題ないと思います。逆に『Kanon』が元祖と言い張る人はそう書いてある何らかの出典を出さないと「検証可能性」も「出典を明記する事」も満たさないからそれこそWikipediaでは受け入れられないでしょう。個人的には『同級生』の「泣きゲーは『同級生』の亜流と言っても過言ではない」という記述の方が問題かなあ、と思っています。--べっ甘七みつ・たけタカひろ 2007年3月5日 (月) 13:41 (UTC)[返信]
ONEが元祖となっているページは他に『アダルトゲーム』、『Tactics』(MOON.も泣きゲー?)、『麻枝准』。Kanonが元祖となっているのは『アリスソフト』、『恋愛ゲーム』、『Key』がありました。『Kanon』にはKanonが泣きゲーを流行させたとしか書いてありません。--以上の署名のないコメントは、キーボード会話投稿記録)さんが 2007年3月6日 (火) 16:42 (UTC) に投稿したものです(キーボードによる付記)。[返信]


出版物では在りませんが、その他の例として「はてな」のONE~輝く季節へ~の記述でも”「泣きゲー」のジャンルを作り上げた”と記載されている事を挙げておきます。
また、エロゲのデータベースとして有名な「erogamespace」のONE~輝く季節へ~の項目で作品の傾向として「泣いた」という感想が多く寄せられている事も付記します。ARIEL 2007年3月7日 (水) 11:10 (UTC)[返信]
出版物ですと『「ONE」「Kanon」は感動的なストーリーだったために「泣きゲー」という呼ばれ方をした。(中略)「ONE~輝く季節へ~」だが、これは「泣きゲー」の元祖的な存在である。』(本田透 (2005) 『萌える男』筑摩書房 ISBN 4480062718 p90-91)とする記述があります。--おはぐろ蜻蛉 2007年3月7日 (水) 12:00 (UTC)[返信]
べっ甘七みつ・たけタカひろさんの指摘にもある、「検証可能性」も「出典を明記する事」も満たすようですので、本文の記載を「ONEを元祖として、Kanonがそのジャンルの爆発的な拡大を齎した」と変更したいのですが。
皆さんの意見を求めます。ARIEL 2007年3月9日 (金) 23:36 (UTC)[返信]

今回発売されたアニメKanon第3巻のオーディオコメンタリにて、「ONE」原作者の麻枝准氏が「ONEが泣きゲーのはしり」との発言を行っています。 原作者がこう発言している以上、「Kanon」ではなく「ONE」が元祖としても全く問題無いと考えますが、如何でしょうか?ARIEL 2007年3月10日 (土) 03:36 (UTC)[返信]

これは私個人の意見ですが、あまり「元祖」という言葉に囚われない方がうまくまとまるんじゃないかと思います。『ONE~輝く季節へ~』と『Kanon』は対立する概念というよりむしろ地続きと考えた方がよろしいかと思います(ただ、この2作品の間には開発チームが所属企業を移していることと、『Kanon』には久弥直樹さんの存在があるため、完全にそうだと言い切れませんが)。『MOON』まで関連するのかは私はよく分かりませんのでその辺りは詳しい方のご意見をお待ちします。
この話とは別に、「泣きゲー」と「鬱ゲー」は関連しているのでしょうか?リストを作られる方と各作品の記事を作られる方の調査にブレがあるのか、ややこれらがごっちゃになっているように感じられます。『銀色』と『君が望む永遠』は作品の個別記事では「鬱ゲー」なのにここでは「泣きゲー」としてリストアップされていたり、『AIR』は個別記事では「泣きゲー」のみですが、「鬱ゲー」の記事では鬱ゲーにリストアップされておりやや統一性に欠けるのではと思います。この観点で行くと、『SAKURA 〜雪月華〜』『アズラエル (ゲーム)』『久遠の絆』『沙耶の唄』は個別記事側がそう定義していないので、「泣きゲー」のリストに入れるのはどうかと思います。『家族計画 (ゲーム)』に至ってはジャンルがハートフルコメディーなのに何で「泣きゲー」なのか疑問です。--べっ甘七みつ・たけタカひろ 2007年3月10日 (土) 14:26 (UTC)[返信]
上記にてご指摘頂いた点を踏まえて改定してみました。--ARIEL 2007年3月10日 (土) 23:09 (UTC)[返信]
私も、『家族計画 (ゲーム)』は、内容的にも泣きゲーとは違う作品なのではないかと思います。--Chestnut 2007年3月18日 (日) 05:28 (UTC)[返信]

別作品についての議論なので行を変えます。 「家族計画」のキャッチフレーズは確かにハートフルコメディーですが、そのテーマは「"擬似的な"家族形態によって齎された心の触れ合い」と思います。 キャッチフレーズと作品の内容が異なる事は良くあります。某「王道恋愛」ゲームが、蓋を開いてみれば残虐表現を含んだ作品であったように、その内容を持って「泣きゲー」かどうかを考えるべきだと思います。 そして、私見ですが「家族計画」は琴線に触れる「泣かせる」ゲームだと思います。--ARIEL 2007年3月18日 (日) 00:57 (UTC)[返信]

どのような作品を追加するのか、その追加する定義をできれば良いのですが。「泣きゲー」だと思うか、そうで無いと思うのか、その定義は個人の主観によって決められますがその想いの否定はしません。ですが、絶対評価でも相対評価でも、目安となるものを定めることが出来れば良いのではないでしょうか?むつかしいことだとは思いますが。--Chestnut 2007年3月28日 (木) 16:45 (UTC)[返信]

この問題の解決はまさに「泣きゲー」の定義をはっきりさせる事しか無いと思います。本文中に

(以下引用) 一方で、性的描写にのみ重点の置かれた従来のアダルトゲームとは異なるが、それほどの感動を呼び起こすことの無い、いわゆる誤用法の「泣きゲー」においては、逆に性的描写においても充実が図られるようになった。これらのゲームでは、ストーリー性にも若干の重点が置かれているが、感動できるとは言いがたく、これらのゲームの魅力を維持するためにはやはり、性的描写に頼らざるを得ないことによる。(引用終わり)

と、ありますが、リストにあるゲームは本来の意味か誤用法なのかもはっきりしません。リストに入れるかどうかはまず個々の作品の項でそう書かれているかどうかと、はっきりそう書かれている出典を明示する事で判断すべきで、個々のページの正確性は個々のページを執筆する人が持ち寄った出典ではっきりするでしょう。つか、Wikipediaは出典を明記する事と検証可能性を満たす事が前提で、独自研究は認められておりません。出典が偏っているかどうかも偏っている事が検証できる別の出典が必要です。これは「『邪馬台国』の場所がどこにあるかは今なお不明で畿内説と九州説が主流」としか書きようが無いのと一緒です。--べっ甘七みつ・たけタカひろ 2007年4月28日 (土) 13:19 (UTC)[返信]

これからは定義化するかどうかの話題になるのかもしれませんが、可能であればKeyのPlanetarian_~ちいさなほしのゆめ~を追加したいなと思っていたりします。--Chestnut 2007年05月05日 (土) 01:35 (UTC)[返信]

泣きゲーを泣けるゲームとするなら、「痕」はまさに「泣きゲー」なのでは? ゲーム自体が「家族の絆」「過去との絆」などであり、ライター本人も「絆をテーマにした作品にしたかった」と言っていますからね。 まさに「泣きゲー」の基本的なシステムを踏襲しているのではないでしょうか? 泣けるゲームならば、EVEやYUNO、闘神都市2なども泣けるゲームですし、その為の演出もちゃんとされています。 演出されていないのに泣けるゲームなんてないですからね。 つまり、「泣きゲー」というのは一つのジャンルとして確立し得ないものだと思いますよ? 昔からゲームには、泣き要素があるし、それを前面に押し出してプレイヤーを感動させようとしているのは演出として当然なのですしね。 確立し得ないものを確立しようとするから、その歴史や根源部分で異論が噴出してしまうのだと思います。以上の署名の無いコメントは、Lark10264(会話履歴)さんによるものです。

「ピアノの森の満開の下」が削除されていたので復活させました。 メーカー側も「泣き」をテーマに製作されている以上、泣きゲーに入れてもおかしくは 無いと思うのですが。 matsuri123

ノートを参照しろと言われて参照したが、泣きゲーの始まりがONEかKanonかが議論されていて、To Heartのマルチシナリオだと言っている輩はARIEL 一人だけじゃないか。そもそも、「LeafToHeartのマルチシナリオを萌芽とし…」っていう提案は散々にここで否定されているのに、そんな記述を復活させ、必要にrvしているのは荒らしだよ。「萌芽」を「直接のきっかけ」って言葉でごまかしてるつもりかもしれないけど、なんか政治家の答弁みたいだな。最近は「気に入ったゲームはとりあえず『泣きゲー』ってことにしておけば評価される」みたいな変な風潮があるから(まさに誤用法だな。これをWikiに書き込んだ人はなかなかだ)、マルチ好きはどうしても泣きゲーにしたいんだろうけど。でも、このノートじゃそんなことにはなってないよ。このページの日本語きちんと読もうよ。118.236.40.220 2008年12月4日 (木) 18:27 (UTC)[返信]

あと、Lark10264さんやmatsuri123さんに言いたいんだけど。俺は違うと思うな。124.38.84.43 さんの意見が一番的を得てると思うよ。Lark10264さんの言うとおり「演出されていないのに泣けるゲームなんてない」っていうのは事実だけど、じゃあ「泣ける演出がされていれば泣けるゲームになるのか」と言われればそれは違うだろ。泣けるゲームと製作者がうたっているのに実は糞ゲーなんていくらでもあるもんな。「メーカー側も「泣き」をテーマに製作されている以上、泣きゲーに入れてもおかしくは無い」ことは無いよ。泣けないのに色々こじつけて「あれもこれも泣きゲーにしよう」「マルチも泣きゲーにしよう」っていう変な人がいるから、やっぱりこじれるんだ。議論したら?118.236.40.220 2008年12月4日 (木) 18:57 (UTC)[返信]

Sienir氏の追加した作品は、何の議論もなく独断で追加された模様なので一時コメントアウトしています。 個人としては「きっと澄みわたる~」に関してはご都合主義かつ投げやりなシナリオでとても泣くと言えるレベルの作品ではありません。 星空のメモリアに関してはプレイしていないので何ともですが。 この2作を作品に入れるのであるなら、議論をしたいと思うのですが。--Corsesca 2009年10月25日 (日) 10:35 (UTC)[返信]

いっそのこと、別ページに分割して、そっちに詳細な全作品を一覧にしちゃって、「詳細は別ページを参照」という形にしたほうが、こまごました争いが起こらないのでは? --アイバー 2009年10月26日 (月) 08:35 (UTC)[返信]
「沙耶の唄」、追加いたしました。個別記事側の定義の件ですが、現在では個別記事側の記事に「鬱ゲー」との掲載が見られません。

また、同販売元のゲーム、シュタインズ・ゲートにもこのような掲載は見られません。 その見解ですと、そもそもこの記事自体が、独自研究に基づいた記事と定義されてしまうのではないでしょうか。

>ゲームメーカー(制作者)が行っている正式なカテゴリ(範疇)またはジャンル(種類)としての区分ではなく、何によってどのように「泣ける」かは実際にゲームをプレイしたユーザー(プレイヤー)自身にしか認識できない(感じ取れない)ため、作品に対するユーザーの感想を端的に言い表したものであって、ゲームの特徴を表現した俗語に過ぎないという側面もある。

とこの記事の本文にもありますので、鬱ゲーと関連している、またはそれ自体という理由付けで、つま弾きはできないと考えております。 --利用者:Ssbbi5 2011年6月30日 (木) 3:32 (UTC)

提案 ウィキペディア的には個々の作品名に、その作品を「泣きゲーである」と定義付けているニュース・雑誌記事・批評などを脚注を用いて出典としてつけていき、出典が示せないものは将来的に除去、という方式にするのが最も適切なのではないでしょうか。もっとも、古いゲームについては今らか出典を探すのが困難であろうと思われますので、すぐに除去するというのも乱暴であるかも知れません。--Kanohara 2011年6月29日 (水) 23:51 (UTC)[返信]

リストの整理

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上記の議論とは別に(各作品についての判断云々は抜きに)、現状のリストが相当見づらかったので整理いたしました。少し前に五十音順に整理してリバートされた方がいらしたので、発売日順(ブランド順は、シナリオ担当の移籍などがあるので少々無理があるかと)としました。もっと良い整理法(記載順)があればよろしくお願いします。--螢66 2008年6月8日 (日) 13:29 (UTC)[返信]

作品一覧では、基本的に発売日順・放映順がわかりやすいし、有用だと思います。50音順はタイトルを知っていないと役に立ちにくいですので、あまり意味がないかと…。年ごと・月ごとにして、その中で50音順にするのは良いかと思います。最終的はケースバイケースでしょう。--アイバー 2009年10月26日 (月) 08:16 (UTC)[返信]

改題提案

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題名が略称のようにも見えるので改名するべきでは?219.105.45.238 2007年2月18日 (日) 09:43 (UTC)[返信]

おたくの間では略称ではなく一般的な呼称だと思います。--おはぐろ蜻蛉 2007年2月18日 (日) 11:50 (UTC)[返信]

主観ありきといえども

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Wikipediaでもこの手のジャンルは情報が充実してますね。勉強になります。
本題です。
>これらのゲームでは、ストーリー性にも若干の重点が置かれているが、感動できるとは言いがたく、これらのゲームの魅力を維持するためにはやはり、性的描写に頼らざるを得ないことによる。
この言い方はちょっと酷いと思います。仮に性的描写を主旨としているゲームなのであれば、「感動できるとは言いがたい」などと言われる筋合いこそないと思います。このような表現になってしまった原因は、おそらくですが、この文章が「自分が泣きゲーと判断しないゲームを泣きゲーと呼ぶな」という筆者のエゴによる怨み節として書かれているからでしょう。そういう印象を強く受けます。そして、そんなものはWikipediaに期待しておりません。このノートに出されている意見の方がよっぽどためになります。以上です。--以上の署名のないコメントは、221.106.198.71会話/Whois)さんが 2007年8月20日 (月) 12:49 (UTC) に投稿したものです。[返信]

そもそも、

一方で、性的描写にのみ重点の置かれた従来のアダルトゲームとは異なるが、それほどの感動を呼び起こすことの無い、いわゆる誤用法の「泣きゲー」においては、

のパラグラフがこの節に記述として掲載されていること自体が不自然に読めるので削除してはどうか。「概要」の節で「抜きゲー」と対比しているもので十分だと思われるし、あるジャンルについての記述をする際に、網羅的な分類をする必要はなく、このような「誤用法の『泣きゲー』」という区分を突然定義なしに持ち出して論ずる必要性もない。--119.228.15.88 2009年1月14日 (水) 20:29 (UTC)[返信]

テンプレートについて

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(性的)のテンプレを入れた方が良いのではないでしょうか?ここで紹介されているゲームの殆どが18禁作品です。--Wyvern61 2008年12月12日 (金) 11:56 (UTC)[返信]

IPユーザーさんによって3度にわたって{{出典の明記}}{{独自研究}}などのテンプレが除去されていますが([1][2][3])、問題点を解消することなくこういったテンプレを除去されないようにお願いします(Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でテンプレートを剥がそうとすることも参照)。
それと、Wyvern61さんによって「議論を経ない大幅削除について・中立的観点からの執筆について」という内容の告知タグが貼られていたのですが([4])、おそらく編集ミスと思われますので除去しました。
{{性的}}タグについて、よくよく考えてみると記事内容の表現自体はあまり性的な要素を含んでいないので、必ずしも貼らなくてもいいのかもしれません。まあ18禁のゲームタイトルがたくさん列挙されているので積極的に剥がすべきとも思わないですが。--貿易風 2008年12月12日 (金) 15:01 (UTC)[返信]

だからさぁ、どこが独自研究なわけ? どこに未成年が見ちゃいけない内容が載っているわけ? 「鬱ゲー」はともかくとして「泣きゲー」では初めてだよ、独自研究って言われたの。ノートの論議を見れば一目瞭然だけど、みんな出典を探したり、こういう論説がある・こういう評価があるって考察してきているわけでしょ。あなたがこの分野に無知だからと言って、勝手に独自研究扱いしないでいただきたいね。こういうのを昔言われてた「出典荒らし」っていうのかなぁ。貿易風のノートを見ても、「出典荒らし」としてさんざんに批難されているようだし。迷惑だなぁ。
とにかく、あなたの主観で非中立的とか、独自研究とか、性的とか、勝手にレッテルを張らないでいただきたい。この記事は、きちんと議論がされているし、出典の捜索もされてるでしょ? 日本人ならこのノート読めばわかると思うけど、もしかしてそれさえもできない薄知とか? テンプレは外しておくよ。文句があるなら、Wikipediaの基本原則である、ノートでの合意をとってからにしな。--118.236.10.185 2008年12月12日 (金) 15:42 (UTC)[返信]

以前某記事(具体的に記事名を書くと、そっちも荒らされるかもしれないからな)で、執拗に「出典を明記してください」とか「検証可能性を求めてください」とか主張して、Wikiの記事の拡充を妨げて喜んでいた輩がいて、他のWikipedianからさんざんに避難されていたものが「出典荒らし」。管理者ですら「ここまで出典や検証可能性云々言うのはどうかと…」と言っていたにもかかわらず、rvを繰り返して荒らしていて、俺もその他のWikipedianも非常に腹立った記憶があるよ。最近は見かけなくなったと思ったんだけど。つまりは、あなた一人の判断で独自研究にして、記事を勝手に抹消しないでよってこと。--118.236.10.185 2008年12月12日 (金) 15:48 (UTC)[返信]
横から失礼いたします。
このノートをざっと見た感じでは、たしかに出典となるような記述が出てきているようです。しかし、本文には一切反映されていない事がテンプレートが貼られた原因かと思われます。ノートでの議論内容は量が多くなったりした場合には過去ログ化されたりして、より見つけにくくなるでしょう。せっかく皆さんで探した出典ですからそれに関する記述を本文に明記してはいかがでしょうか?もしも、その作業がなされていたならば、今回のようにテンプレートが貼られてしまうような事態は避けられたと思います。どうか御一考ください。
Carbucketty 2008年12月12日 (金) 16:08 (UTC)[返信]
私はIP氏に賛成です。この記事は中立的ですし、記事の内容も、単に歴史的事実を連ねているだけであって、問題ないと思います。というか、「○○年○○月○○日にこういうことがあった」って、いったい何の問題があるのでしょう? 別に嘘をついているわけではないし、別にWikipedia:検証可能性っていうのは、些細なことに揚げ足を取るために作られた決まりではないはずです。多くの人がノートで議論し、合意を得た記事に、Wikipedia:検証可能性を盾にして揚げ足を取るというのは好ましい行為ではありません。私は軽々しく「荒らし」という言葉は使いたくありませんが、今回ばかりはIP氏に賛同いたします。
ちなみに、『要出典タグの悪用、乱用'も荒らし行為の一部です。』とWikipedia:荒らしに書かれていますし、この記事を「一概に独自研究とは言えない」「ある程度までは「共通認識」として出典を記さないことを認めていいレベルがある(これはWikipedia‐ノート:検証可能性で大いに議論されています)」と主張する私やIP氏がいる以上、即刻のテンプレ貼付・記事の削除はNPOV違反です。文句があるなら、まずノートでの議論から。そして不満が合意された部分に要出典タグを張りましょう。--Mamemobu 2008年12月12日 (金) 16:11 (UTC)[返信]
追加。Carbuckettyさんのおっしゃるとおりですよ。どの部分に出典を明記しなくてはいけないか、議論を行ってからテンプレを張るなり、記事を白紙化するなりしてはいかがでしょう。ご存じないかもしれませんが、議論を経てWikipediaの記事の執筆方針を決めていくことは必須です。守られない場合は、NPOV違反違反になります。--Mamemobu 2008年12月12日 (金) 16:16 (UTC)[返信]

IP氏とMamemobu氏の意見に賛成。Wikipediaの基本方針としてWikipedia:検証可能性や出典の明記が挙げられているが、それをどの範囲まで適応するかはWikipedia‐ノート:検証可能性で議論中。つまり、公式な方針としては存在しない。したがって、この内容が事実に限りなく近く、現在議論されている検証可能性範囲に相当しないと多くのWikipedianが考えているならば、勝手なテンプレ貼付や記事の白紙化は認められない。ちなみに、私もこの記事は現行のままで問題ないと考える。--LACPTLer 2008年12月12日 (金) 16:27 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:検証可能性参照。ちなみに、Wikipedia:検証可能性に「記事の執筆に検証可能性が必要」とは書かれていても、「すべてのあらゆる些細な内容について記事の執筆に検証可能性が必要」とは書かれていない。つまり、すべてのあらゆる些細な内容について検証可能性云々を言い出すのなら、揚げ足取りか荒らし以外にはない。--Escaribork 2008年12月12日 (金) 16:41 (UTC)[返信]

おっ、結構俺よりの意見が多いじゃん。つーか、Wikipedia:検証可能性ってなんかみんなそろって絶対的なもののように語っているけど、『Wikipedia‐ノート:検証可能性参照』と書かれてあるそのリンク先を見ると、否定的な意見が結構あるじゃん。みんな「要出典荒らし」に困らされているのな。というか、こんなに賛同意見集まるなんて思わなかった。みんな貿易風に痛い目見られていたのかな。
さらにさらに、、「教条主義的に出典非記述部分の削除を行い、ノートでの対話に応じないやつは、ウィキケット違反ないし対話拒否で、ブロック対象としていい」っていう意見まであるじゃん。しかも大筋合意されているみたいだし。このノートでの議論を無視して、ノートでの合意のないケチを付け、執拗なrvを繰り返してくる場合は、これに基づきブロック依頼に出してみる? 訓戒の意味も込めて。--118.236.10.185 2008年12月12日 (金) 19:16 (UTC)[返信]

再び失礼いたします。もしかしたら私の発言の趣旨が伝わってないかもと思い、追記させていただきます。
私は「最近更新したページ」で偶然目についたから来たので、このノートでの議論は当初知りませんでした。残念ながらMamemobuさんのおっしゃる「共通認識」も持ち合わせておりません。その後ノートを流し読みして前回の意見を書き込んだのですが、個人的には「当記事は現行のままで問題ない」とは思っておりません。(実際、要出典を貼りたくなる所も何カ所か有りますし)
率直な感想としては「貿易風さんの行動はやや乱暴かなぁ?」と思う一方で、このノートで議論していた方達に対して「ノートの議論で出典になりそうなものが出てるなら、本文に記述しておけばいいのに、面倒なのかなぁ?それをしないから独自研究とか言われちゃうんじゃない?」といった感じです。
皆さんは貿易風さんに対して攻撃的な姿勢をとられて居ますが、その前に(自衛手段という意味も含めて)このノートで出てきている出典に相当するものを本文に記述することをお勧めいたします。たぶん、その記述がされて、それが十分だと思われれば貿易風さんも納得するでしょう。それでも事態が進展しない場合にこそ「荒らし」とか「NPOV違反」とかいった対処になるべきかと思います。まずは記事の充実を図りませんか?
皆様、どうぞ御一考ください。
Carbucketty 2008年12月12日 (金) 23:43 (UTC)[返信]
私も出典を明記することに異論はないですよ。もちろん明記できるものはそうしていくにこしたことはないんです。というか、他の方もそういう意味ではないでしょうか? ただ、現行の記述は、ノートで議論された出典+「共通認識」で十分に宜しく、それですべて事足りるという意味であり、ノートにこのような議論があるにもかかわらず、ノートへの何の指摘・書き込みもをないままテンプレを張ったことが皆さんおかしいと感じられたのだと思います。あとは、貿易風さんの編集はかなり乱暴なので、この項目も議論を経ないまま押し切られて、どの部分がご不満なのか全く分からないにもかかわらず、些細な記述まで検証可能性なる揚げ足を取られて、削除・白紙化されることをみなさん恐れられたのではないでしょうか? そういう私も恐れたWikipedianの一人です。
正直私も忙しいですし、みなさんも忙しいと思うので、あせらずゆっくりと出典を本文に載せていこうと思います。くれぐれも即削除されませぬよう。--Mamemobu 2008年12月13日 (土) 00:45 (UTC)[返信]
まず、{{独自研究}}のタグについて。「どこに独自研究のおそれがあるのか指摘されていない」というのがIPユーザーさんがタグを剥がした理由だということが判明しましたので、最初にこのタグを付加されたWyvern61さんから具体的に説明がなければ、このまま(=タグが除去されたまま)でも僕はかまいません。最初にタグを剥がす段階で要約欄またはノートで剥がした理由を説明していただければ無駄に版を重ねずに済んだように思います。
次に、{{出典の明記}}のタグについて。これについては、すでにCarbuckettyさんから指摘がある通り、出典情報が記事本文に明記されていなかったことが、Wyvern61さんがこの記事にタグを貼られた動機だと思われます。ノートの出典を本文に反映させていくという方向性に賛同します。現段階ではまったく出典の明記がないので、まずは{{出典の明記}}を復帰した上で実際に出典の付加を行ったほうがいいように思いますが、まあこれ以上差し戻すと編集合戦になりそうなのでやめておきます。
3番目に、{{性的}}タグについては、「2008年12月12日 (金) 15:01 (UTC)」の発言で書いたように、僕は必ずしも貼る必要はないと考えています。ただし、Wyvern61さんは「貼った方がいいのではないか」とお考えのようですので、これについてもやはりWyvern61さんのコメントを待ったほうがよさそうです。
続いて、「記事の白紙化」「記事の中立性」という言葉がいくつかみられますが、少なくとも現時点でこの記事を白紙化しよう考えている人や記事が非中立的であると指摘している人はいないと思います。
最後に、MamemobuさんとLACPTLerさんとEscariborkさんは、いずれも僕が「2008年12月12日 (金) 15:01 (UTC)」にこのノートで発言したあと2時間以内に新たに取得されたアカウントのようですが、ふだんお使いのアカウントがあればそちらでお願いします。--貿易風 2008年12月13日 (土) 06:04 (UTC)[返信]

{{性的}}タグですが、本文自体には確かにことさら性的な記述はないですね。リンクを辿っていくとそういうページに行きつく場合もあるのでタグを貼った方が良いのではないかと思いました。貿易風さんは「貼る必要もないが積極的に剥がす必要も感じない」との立場ですので、ここは貿易風さんの意見を採用し、私も「貼らなくても良い」という事にします。 {{出典の明記}}と{{独自研究}}に関しては、私は「剥がされたなら別にいいや」と思っていて差し戻す気はありませんでした。自分は編集合戦はやりません。貼った理由は鬱ゲーのページに貼られていたのを見て、泣きゲーのページもほぼ同じような内容なのだから貼ったほうが良いだろう・・・と考えたからです。「どこに独自研究のおそれがあるのか」という事ですが、そこまで細部までは考えていませんでした。剥がされたなら、そのままで良いと思っています。--Wyvern61 2008年12月14日 (日) 06:36 (UTC)[返信]

なんか疑われているようで癪なので説明しますが、私はもともとIPで時々書き込んでいたものです(このノートに書きこんでいるIP氏とは別です)。ただ、昨今の「検証可能性による理不尽なrv」には関心を持っていたのですが、今回の編集合戦・議論を見て、一度正式にアカウントを取得しようと思ったまでです。それほど、議論なくテンプレートが張られたことが衝撃的だったと思ってください。
また、LACPTLerさんとEscariborkさんとも別です。
で、ひとまず落ち着いたのでしょうか。個人的には「鬱ゲー」のページも、検証可能性についての過剰な言及はやりすぎだとは思うのですが、個人的に「鬱ゲー」には詳しくないので、そっちの編集はIP氏はほかの人に任せて。ぼちぼち出典は書き込んでいきますよ。ただ、項目が項目ですから、ゆっくりと見つけていこうと思います。ほかの方も、それで納得されるのではないでしょうか?--Mamemobu 2008年12月14日 (日) 08:13 (UTC)[返信]

とりあえず{{性的}}タグについては「貼る必要はない」ということで合意形成できたようです。
出典についてはMamemobuさんが書き込んでくださるということなので、お時間があるときにでもよろしくお願いします。--貿易風 2008年12月16日 (火) 14:35 (UTC)[返信]

20090113の編集に関して

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20090113の編集で削られた部分を編集した者です。ちゃんと出典を明記した上で編集したつもりですし、NEWS23に関してはテレビという媒体で取り上げられた数少ない例ですので特筆性はあると思うのですがいかがでしょうか。あと、独自研究のタグを除去したのはどうかと。このノートを見ればわかるように長らく議論されている事柄ですので、事前にノートにて諮った方が良かったのではないかと思います。--おはぐろ蜻蛉 2009年1月13日 (火) 12:21 (UTC)[返信]

このノートでは、「Moon.」に関して記述すべきだと主張しているのは氏だけで、「ONE 〜輝く季節へ〜」や「Kanon」を始祖的として記述すべきだという意見が大部分のようですが。そういう意味では、独断が過ぎませんか? あと、「加奈 〜いもうと〜」に関しては、このノートの論議で出ていない作品だったので。もし、ノートでの議論で、再び記述が必要ということになれば、なんら異論はないです。
独自研究のタグに関しては、必要でしょうか? あまり独自研究という言葉がこのノートになかったものですから。主観で独自研究と思われるのではなく、ノートでの合意のもとでならば、タグ添付すべきだと思います。
「削られた」と仰いますが、何ていうか、私はこのノートの議論を照り合わせて、よりよくなるように書き直しただけのつもりですよ。別に記事の白紙化とか、パラグラフの単純な削除を行ったわけではないですし。もう少し、言葉に慎んでいただけると幸いです。
あと、ARIELヘ。このノートでもあなたの行動は問題になっているようですが、不当なrvはおやめください。--118.236.23.133 2009年1月15日 (木) 09:01 (UTC)[返信]
おはぐろ蜻蛉氏の、検証可能性を踏まえた編集は大変有意義なものと思います。ただ、私の目から見ても、ノートでの合意にそぐわない箇所がいくつかあります。それを118.236.23.133氏が修正編集されました。これも大変意義のある編集だと思います。なのに、例の如くと言いましょうか、ARIELが不当rvを繰り返しています。少々度が過ぎるようです。義がない、迷惑千万な編集をされているのはARIELのほうです。いい加減自覚されてはいかがでしょうか?--115.36.165.98 2009年1月16日 (金) 01:54 (UTC)[返信]

おはぐろ蜻蛉さん、どうもありがとうございます。本日、時間ができて出典明記の作業をやろうと思っていたところ、すでに出来上がっていました。 しかし、いくつかご意見を。「Moon.」は泣きゲーではないと思うのですが。「『鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV』として企画され『少女の心模様、葛藤を描き、痛いほどの共感を呼ぶ物語』を目指したようです」が、個人的には「泣きゲー」としては見事に失敗していると思いますし、決してこの意見は少数派ではないでしょう。「ONE 〜輝く季節へ〜」は確かに泣きゲーのメッカのKey作品と同等に扱われることが多いですが、「Moon.」は賛否両論あるでしょう。むしろ、鍵っ子から黙殺されているような感じもありますし。これを泣きゲーの歴史に加えるのは反対です。 あと、「加奈 〜いもうと〜」について。これは「泣きゲー」かもしれませんが、「泣きゲー」というジャンルに大きな影響を与えたのは明らかに同時期に発売された「Kanon」のほうであり、この作品がテレビで取り上げられたからと言って、それが「泣きゲーの歴史」として末節にくわえられるようなものなのでしょうか? 私個人的には疑問です。これをいいだしたら、「同級生」はどうなんだとか、「To Heartのマルチシナリオ」はどうなんだとか。この前、番組名は忘れましたが、「『Fate/stay night』が泣けるんです」って言っていた痛いオタクがいましたが、じゃあこれも泣きゲーとして特筆すべきことなのか、疑問です。そもそもそんなに知名度がある作品ではないと思いますよ。やはり、ジャンルとしての歴史に加えるのは反対です。 あと、独自研究のタグについては、必要かもしれないと私は思いますが、「泣きゲー」の評価が主観的である以上、永遠に独自研究ですよね。でも記載することに意味がないとは思いません。「泣きゲーとして周知されている作品」などのように、「そういう評価もある」という書き方に濁せば、二次資料の一次資料化が成立するわけですから、検証可能性に問題はなくなると思います。 あと、ARIELさんへ。あなたのrvは私も賛成できません。今後、お控えください。--Mamemobu 2009年1月16日 (金) 08:25 (UTC)[返信]

MOON.についてですが、少なくともファンの間ではKeyの作品と同等に扱われるのは確かです。コミックマーケットのジャンルコード[5](221)や葉鍵板にて扱うことから[6]そのように言えます。また、Template:Keyにも掲載されています。MOON.は麻枝、折戸、樋上といったKeyの主要メンバーが集まった最初の作品で、Keyが泣きゲー界隈に与えた影響を考慮すると触れていてもおかしいものではないと考えます。故にMOON.の制作スタッフは後にKeyを立ち上げることになるとする文も付け加えたわけです。--おはぐろ蜻蛉 2009年1月18日 (日) 00:14 (UTC)[返信]

いや、本当にそうなの? 私の周りの鍵っ子は、MOON.は鍵作品とは切り離して考えていますが。鬼畜系ですし、泣きの要素も薄いので。
まぁ、百歩譲って、葉鍵板にも扱われるとか、Keyの主要メンバーが集まった最初の作品とか考えれば、Keyのカテゴリーに入れるという一つの考え方としては許されるのかもしれません。でも、それって、「Key」の歴史ですよね? 本項目は「泣きゲー」の歴史ですよ? Keyの項目に書かれる分には問題ないのかもしれませんが、果たして泣きゲーの項目に書かれる分には、全く議論がかみ合っていないのではありませんか?
MOON.がKey作品と同等に扱われることと、MOON.が泣きゲーであることは、全く日本語からしても論理学からしても違う議論だし、それをもってMOON.をこの項目に載せる根拠には全くならないと思いますが。--118.104.255.226 2009年1月22日 (木) 08:30 (UTC)[返信]

記載基準についての言及

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ARIELさんに「ノートにて合意を取ってから記載して下さい」として差し戻されてしまったのでこちらに相談を持ちかけます。

コメント WP:CON#合意形成に従い、「2人の編集者による論争には中立な第三者グループを含めた第三者の意見」が必要と思われますので、きちんとした合意形成のために、コメント依頼を行ってはどうでしょうか。--ARIEL / 2011年8月9日 (火) 11:30 (UTC)[返信]

さて本ノートでの議論の経緯を拝見する限り、泣きゲーの元祖は何かという定義で編集合戦や議論があり、最終的には『ONE 〜輝く季節へ〜』が泣きゲーの元祖であるという出典が示されたことを根拠として、それ以前の作品については泣けるという評価があっても泣きゲーとして取り扱わない、という合意が形成されているものと受け取りました。ただ、それ以前の作品にも「泣けるゲーム」と評される作品があったことは本ノートでも指摘されていることであります。その辺りの判断について編集者同士の合意で済ませるのではなく、記事上で「出典に基づき、『ONE』以前の作品は泣きゲーとして扱わない」ことを記事上にも明文化しておいた方が、記事がどのような根拠に基づいて書かれているのかを明示する上でも適切なのではないかと考えました。

ノートでの合意にも沿った加筆だと思うのですが、どうでしょうか。--Kanohara 2011年8月7日 (日) 09:21 (UTC)[返信]

コメント 議論の経過により、『「ONE 〜輝く季節へ〜」以前の作品を取り扱わない』という合意が得られている事を理解されているのなら、本田氏の名前が唐突に出てくる理由が分かりません。「泣きゲー」については他の方も言及しており、出典として記載されています。また、本文中に、『「泣きゲー」という言葉は美少女ゲームに感動系のものが急増した1990年代終わりから2000年代初めに使われるようになったため、それ以前のゲームは内容にかかわらず泣きゲーとは呼ばないことが多い。』と記載しており、冗長な加筆を行う必要は無いと考えます。--ARIEL / 2011年8月7日 (日) 09:58 (UTC)[返信]
理由 ノートではともかく、記事中で出典として記載されているのは本田氏のみでしょう。それに、1990年後半頃の作品についても「泣ける」と評された作品は幾つかあり、そうした作品について「今で言う泣きゲー」といった言い回しで紹介している文献が出てこないとも限りません。……言っている傍から、Amazon.co.jpの「なか見検索」でそうした言及のある書籍を見かけてしまったので、後で注釈にでも加筆しておきます。定義について諸説あるうちのどの説を採用しているのかという点は、はっきりしておいた方が良いのではないかと思うのですが。
この記事に対するTwitterの被リンクを見ていると「あの作品がないのはおかしい」という意見がちらほら見受けられるので、その点は二度繰り返すことになっても強調した方が良いのではないかと感じています。--Kanohara 2011年8月7日 (日) 11:28 (UTC)[返信]
コメント ノートで議論中に、ご自身が基準とした時点より以前の作品まで追加するのはおかしいのではないでしょうか。また、ノートでの議論を経ずに当該項目に変更を加えるのは、wikipediaユーザーとしての基本を蔑ろにしていますよ。WP:CONの熟読をお勧めします。また、告知テンプレートが無かったので、私の方で追記しました。--ARIEL / 2011年8月7日 (日) 13:05 (UTC)[返信]
理由 ARIELさんに差し戻されてしまったこの加筆ですが、リストに1997年以前の作品を加えることについてはこのように議論中でもあり合意もないので、コメントアウト文の中に加えるようにしました。本文については争点となっていないと考えます。
今回は1995年の『同級生2』を「泣きゲーである」とはっきり定義している文献をみかけたため、注釈という形で書き加えました。過去の議論で問題とされたのは、当時には根拠となる出典に乏しく独自研究と指摘されたためであると考えますが、今回はそうでないと考えます。Wikipedia:中立的な観点のためにも、特定の意見のみに頼るべきではなく少数意見も掲載すべきかと考えます。
また、出典があるものをリストに付け加える、という点については私が2011年6月29日 (水) 23:51 (UTC)に提案した後、反論もなかったため、合意形成が済んでいるものと考えましたがどうでしょうか? 特に反論がない様子でしたら、今回の編集については復帰させて頂きます。--Kanohara 2011年8月7日 (日) 13:30 (UTC)[返信]
上記のコメントに対し、2つに分けて意見を述べさせて頂きます。--ARIEL / 2011年8月9日 (火) 11:30 (UTC)[返信]
(1) 反対 『同級生2』を「泣きゲーである」とはっきり定義している文献とおっしゃっている文章は、その作品における一キャラのシナリオが「泣きゲー」に相似しているとしか読めません。そして、そういった作品については「To Heart」のマルチシナリオを題材にして既に議論済みであり、追加する事に賛成できません。
(2) 条件付賛成 (1)に同意して頂けるのなら、「出典があるものをリストに付け加える」という事については賛成します。
コメント そもそも記事中の「「泣きゲー」という言葉は美少女ゲームに感動系のものが急増した1990年代終わりから2000年代初めに使われるようになったため、それ以前のゲームは内容にかかわらず泣きゲーとは呼ばないことが多い」という解説には出典が示されていません。別に「独自研究だ!」などと言うつもりはないのですが、特に明確な根拠もない記述を錦の御旗にして、出典のある記述を除去するというのは本末転倒であると考えます。
過去の議論では幾つか出典が出され、今や『ONE』や『Kanon』が泣きゲーであることについては疑う余地がないと考えています(現に記事にも出典が示されています)。ですが他の作品については、誰かが思い思いに追加したり、除去したりということが続いているように見受けられます。そのゲームで泣けたか否かが個人の感性に左右される以上、主観を元にノートで合意形成を重ねても独自研究となってしまうのは必然ですので、検証可能な出典を元に「泣きゲーである」と定義している文献を出典にするのが望ましいと考えます。かつてARIELさんが2007年2月18日 (日) 00:32 (UTC) に出典として示した2ちゃんねる掲示板のスレッドは、当時のウィキペディアではともかく、現在は情報源として使用してはならないとされるものです。信頼できる情報源による出典がないものを即刻除去すべきなどとは言いませんが、なるべく出典のあるものに移行していくべきです。--Kanohara 2011年8月7日 (日) 15:14 (UTC)[返信]
コメント 本文中で、1998年に発売された「ONE 〜輝く季節へ〜」、そして1999年に発売された「Kanon」を「ジャンルの先駆け」としているのですから、「それ以前のゲームは内容にかかわらず泣きゲーとは呼ばないことが多い」という事は論理的に明確ではないでしょうか。--ARIEL / 2011年8月9日 (火) 11:30 (UTC)[返信]

過去に何度か議論が行われてきたようですのでそちらにぶら下がりでコメントさせていただきますが、リスト一覧についての掲載基準は明確です。それが「泣きゲーである」というはっきりとした二次出典の存在するもののみを掲載すればいいだけの話でしょう。ないものについては一旦コメントアウトさせていただきましたが、それらについて復帰させる場合は、泣きゲーであるという出典の明示をお願いいたします。なお、上で議題にあがっていた同級生2であろうがTo Heartであろうが掲載に問題ないと思われます。過去のものであろうがそうでなかろうが、泣きゲーかどうかを決めるのは我々執筆者ではありませんし、もし出典が存在するのであれば、それを否定するのは独自研究に他なりません。仮にとある作品について出典Aでは泣きゲーとし、出典Bは泣きゲーではないと書いてあったとします、その際は両方併記して注釈をつけて掲載するのがふさわしいでしょう。泣きゲーとはなんぞやという定義について、百科事典として有意義なものになる筈です。--CHELSEA ROSE会話2014年11月10日 (月) 17:10 (UTC)[返信]

コメント CHELSEA ROSEさんのおっしゃる事は分かりますが、あの様にリストをコメントアウトされてしまっては、出典を示すべき作品が誰にも分かりません。コメントアウトを外して、[[要出典]]を貼り付けた方が良いと思いますので、そのように編集させて戴きます。--ARIEL / 2014年11月11日 (火) 14:39 (UTC)[返信]
独自研究のテンプレートがあるのに作品表記がないのは確かに自分ではどうかとは思いましたが、除去まである程度期間を設けるということでしょうか?それなら依存はありませんが、出典がない以上はコメントアウトでなく本来はすぐさま除去されても仕方がないということはご理解くださいませ。--CHELSEA ROSE会話2014年11月11日 (火) 14:49 (UTC)[返信]
再度確認したのですが、出典の明記タグなどを含めて丸ごと差し戻すのは過剰すぎませんか?、そのように編集させて戴きますとあるのでお待ちしていますが、差し戻しでなく落ち着いて編集対応していただきたかったのですが…。--CHELSEA ROSE会話2014年11月11日 (火) 14:52 (UTC)[返信]

再度テンプレートだけ貼り付けようとしてARIELさんの最新の編集と競合してしまいましたが、ARIELさんのこの編集[7]は過剰すぎます。コメントアウトを解いた上で独自研究タグを復活させるだけでよいかと思うのですが。あそこまで出典のない全ての作品に要出典タグを貼り付けるのは適切とは思えないのですが…。--CHELSEA ROSE会話2014年11月11日 (火) 15:00 (UTC)[返信]

すみません、別の理由でコメントアウトしている作品と間違えてしまう可能性があったので、一度元のリストに戻して編集させて頂きました。「要出典範囲」タグの使用も考えましたが、別の作品を間に追記されると巻き込んでしまうので個別に張ってあります。もう少しスマートな方法があれば良いのですが… 出典の明記タグ等は改めて貼ってありますのでご容赦戴きたく、宜しくお願い致します。--ARIEL / 2014年11月11日 (火) 15:06 (UTC)[返信]
ひとまず了解いたしました。除去についてはしばし猶予を設けることにいたします。記事の先頭のタグにつきましては、概要や歴史等も出典の存在しない文章が大半という状態ですので、いずれ整理が必要という意味合いで存在していますので、よろしくお願いいたします。もっとも大事な概要部分だけでも、出典を参考にした文章であってほしいものですが…。--CHELSEA ROSE会話2014年11月11日 (火) 15:12 (UTC)[返信]
ありがとうございます。あと、編集ミスの修正ありがとうございました。テキストエディタでコピー・ペーストする際に化けたようです。お手数をお掛けしました。--ARIEL / 2014年11月11日 (火) 15:48 (UTC)[返信]

コメント 独自研究とされている記述が大量に除去されたことにより、「それ以前のゲームは内容にかかわらず泣きゲーとは呼ばないことが多い」という記述も除去されました。記事の体裁を整えるために幾つかの出典を参照して加筆したり除去された記述を出典つきで復帰させたりしたのですが、出典を参照する限り本田透は『萌える男』の中で泣きゲーの定義については語っておらず、『ONE 〜輝く季節へ〜』を泣きゲーの元祖的存在としつつも、泣きゲーの定義については「感動的なストーリーだったので泣きゲーと呼ばれた」といった言及に留まっており、その具体的な根拠や、この作品が従来の「泣きゲーとは呼ばれなかった」作品とどのように異なるのかといった点には触れていません。

本田透は一定のネームバリューを持った評論家ではありますが、これを根拠として、それ以前の『同級生』に泣きゲーの要素があったとする出典を排除する根拠にもならないのではないかと感じました。以前除去された、『同級生』の一部シナリオを泣きゲーとする見解については、それがゲームの一部分であることを明記する形で復帰しちゃっても良いのではないかと思うのですが、どうでしょうか?--Kanohara会話2015年1月31日 (土) 20:26 (UTC)[返信]

報告 特に反対意見もないようなので、復帰しておきました。既に記事に使用している出典の中には『Kanon』を元祖とする意見もあるので、そういう意見があることも加筆しておきました。--Kanohara会話2015年2月14日 (土) 09:40 (UTC)[返信]

コメント「泣きゲーと呼ばれる主な作品」を拝見しましたが出典が本田透さん、東浩紀さんの著書以外は宣伝を趣旨とするニュース記事というのは中立的ではない上、整理されたとはいえ逆に6作品は少なく最新の作品も2006年というのはいささか古いという問題をはらんでいます。もし泣きゲーと呼ばれるのがあったら追加すればいいとおっしゃる方もいるかもしれませんが私としては無理して羅列しなくてもいいような気がします。CHELSEA ROSEさんが「泣きゲーと明記している出典があれば良い」と申されましても出典元の趣旨を考慮すべきかと。--K-iczn会話2015年2月14日 (土) 13:01 (UTC)[返信]

返信 (K-icznさん宛) 私は、別に「泣きゲーであると宣伝された作品」でも良いと思っています。結局のところ泣きゲーとは別に批評的精神から生まれた客観的評価とは言い切れず、「感動」を売りにした商業的作品という一面もあるので、「宣伝を趣旨とするニュース記事」であっても中立性が揺らぐことはないと考えます。--Kanohara会話2015年2月14日 (土) 13:13 (UTC)[返信]