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ノート:江華島事件

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所詮ネウヨがつくる辞書。それがwikiか………………。 死ね。 以上の署名の無いコメントは、58.5.111.49(会話履歴)さんによるものです。湘新特快 2008年9月14日 (日) 12:25 (UTC)[返信]

暴言はあかんでしょ。駄目やと思うんなら根拠を提示して訂正すればよい。まともな論文や研究書に依拠して主張するんなら、支持されると思うんだけどな。根拠のない加筆に対し、訂正して回っている人も多いよ。Wikipediaは。--Tears for Asia 2006年10月1日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nicho/koukatou.html 上記HPに非常に類似した記述が見られます。

080806の「要出典」への回答

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「朝鮮が倭館に「侮日掲示」をしたとの報告が伝わった。しかし近年、この報告が作為されたものであったことが立証されている」(井上勝生『幕末・維新』岩波新書1042、2006、p209)--Tears for Asia 2008年8月5日 (火) 15:57 (UTC)[返信]

その本を拝見しましたが、本当にその一文しかありません。参考文献は巻末にまとめて記載されているので、何を基にしたのかも分かりません。実際にそれを立証した資料等を持ってきてもらわなければ検証のしようがなく、それに対して反論がなされているかも分からないので、出典としては不十分ではないでしょうか?--鳴海 2009年12月3日 (木) 03:30 (UTC)[返信]
  • その議論はその出典書籍の著者(井上勝生)に請求する内容でしょう。Wikipedianは「そのように記述された信頼できる情報源から適切に引用」してさえすれば、その内容の真偽については無責任でいいというのが原則。「作為されたものであったことが立証されている」に反論するには、直接反論している信頼できる情報源を探してきて貼り付ければ良いだけです(ちなみに僕は探していますので、発見されたらぜひWikipediaで紹介ください)。--大和屋敷 2009年12月3日 (木) 03:51 (UTC)「明治六年の征韓論争」吉野誠(東海大学紀要文学部第73輯2000年)[1]PDF-P.14(脚注5,6))が何か調査の足がかりになるかもしれません。--大和屋敷 2009年12月3日 (木) 03:56 (UTC)[返信]
私自身、wikipediaのルールには精通していないので、そう言われると返す言葉はないのですが…しかし、基の情報源すら分からない記述を「信頼できる情報源から適切に引用」として扱い、知らない人が読めば井上勝生氏の書中でそれが立証されているかのように紹介されるのは、疑問を感じずにはいられません。--鳴海 2009年12月3日 (木) 06:15 (UTC)[返信]
「立証」という言葉が確証的な印象を与えてかえって危うい感じはしますね。せいぜい「論証」「検証」が適切そうな感じはします。「倭館に掲示された侮蔑的な字句」というのの原文を探しているんですけど、無いんだろうなたぶん・・--大和屋敷 2009年12月3日 (木) 20:33 (UTC)[返信]
アジ暦の資料で恐縮ですが、『公文別録・朝鮮始末・明治六年~明治八年・第一巻・明治六年~明治八年(レファレンスコードA03023629100)』の19~20Pにある「東莱府使釜山僉使等其属官ニ達スル所ノ示令 和館ノ守門貼掲セシモノ」が『倭館に掲示された侮蔑的な字句』の具体的記述でしょう。これは東莱府使が東莱府に所属する朝鮮官吏への通達として釜山の倭館の門に掲示したもので、資料は漢文なので意訳すれば、(日本は)「無法な国だ」「衣服容貌とも日本人ではない(洋装した日本人を揶揄して)」「一朝であると自称するなど天下の笑うところなるを平然としている恥知らずである」等、確かに誹謗と取れる内容が多々あると思います。一応ネットで閲覧できる公文書ですから、「信頼できる情報源から適切に引用」にはなるかと・・・。あと、これはどの資料か忘れてしまったのでぼやきでしかないのですが、この掲示文が日本の新聞でも報じられて日本国民の反朝鮮感情を煽った、といった記述を読んだ記憶がありますね。--61.12.218.85 2009年12月12日 (土) 16:36 (UTC)[返信]
おおおー!詳細ご存知の方はご存知なんですねえヽ(゜∀゜ )ノさすがWikipediaこういうところすごいdesu勉強の足がかりになりそうであります--大和屋敷 2009年12月12日 (土) 17:20 (UTC)[返信]
お役に立てたなら幸いです。「(前略)……この報告が作為されたものであったことが立証されている」については、私はよく存じていないので何とも言えませんが(この掲示文が国民感情を害したことと征韓論を後押ししたことしか知りませんので)、具体的にどのような作為があったのか解説している資料をご存知の方は教えていただきたいです。作為というと 1.この文が掲示されたことそのものが捏造である 2.この文は改竄されていて本来の文面はもっと穏やかだった 3.意図的に過激な部分のみを公表して世論を煽った 4.そもそもこの様な文章を世間に公開すること自体が作為的だ────と、受け取り方次第でどうとでも取れるので。--61.12.218.85 2009年12月12日 (土) 17:59 (UTC)本文読んで気にになった点をもう一つだけ質問させて下さい。「測量等のために朝鮮側の官僚と面会しようとして武装端艇でその陣営近くまで遡航し、さらに朝鮮側に断ることなく奥(ソウル方面)へと進もうとして砲台から砲撃されたと記されていた。軍船が他国の河川を無断で遡航することは国際法違反であり、この場合さらに首都方面に行こうとしたことから、日本軍の行動は挑発だったと考えられている。」というのは最新の研究と有りますが、どなたのものでしょうか? 該当資料をご存知の方は教えていただけると嬉しいです。そもそも両国は未だ条約交渉中(即ち、万国公法に基づいた関係か、華夷秩序に基づいた関係かで両国の意見が異なる)であり、国際法違反という指摘には首を傾げてしまいます。(当時の日朝両国は300年来の友好国を謳っており、測量船が上陸の為に役所に出向こうとするのは当然の行為です。)雲揚号は測量の過程で咸鏡道永興沖の測量を黙認され、慶尚道迎日湾で慶州県令の尋問を受けたが退去要請もなく(賄賂は請求された)、釜山の草梁に何事も無く帰還したという経緯があります。「測量には(中央政府の)許可が必要」というのは後世の常識であり、当時の朝鮮国に「外国の艦船が測量するためのルール」など無かったのですから、道義的にはともかく、明確な「違反」という言葉を用いるのは不適切だと思いますがいかがでしょう? そして上陸行為を「挑発は明らかだ」というのにも違和感があって、当然「挑発」とは反撃を想定したものですから、艦長以下が乗った艀で上陸しようとする行為が(「武装端艇」とありますが、小火器を持った人間が乗ったただの艀ですよね?)反撃を想定したものであるとはとても思えません。(とはいっても、この辺りは「挑発」と断言された論文を色々読んできましたからwiki上では妥当な表現なのかなとも思います)長々書いてしまいましたが、断定的に論ずるにはこの事件はまだまだ議論の余地がある問題だと思うということです。せめて断定的表現を用いるのであれば、『~の説によると』と注釈を付けていただけると一読者として助かる次第です。編集者の皆様の益々のご活躍を祈念致します。--61.12.218.85 2009年12月12日 (土) 18:58 (UTC)[返信]

2月3日の編集について

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脚注7,8a,bにおいて井上良馨の明治八年九月二九日付け江華島事件報告書(『孟春 雲揚 朝鮮廻航記事』)とNHKの番組を根拠に挑発は確かだったとありますが、NHKの番組内容は存じませんのでさておき、脚注にある"本日戦争ヲ起ス所由ハ、一同承知ノ通リ"は砲台発砲事件の翌日の記述なのであり、続けて"昨日我端舟出測ノ時、第三砲台ヨリ一応ノ尋問モナク乱リニ発砲シ、大ニ困却ス。此儘捨置クトキハ、御国辱ニ相成、且軍艦ノ職務欠可キナリ。因テ本日彼ノ砲台ニ向ケ、其罪ヲ攻ントス。"と続く文章の一部なので、日本側の計画的挑発行為と断定するに足る根拠とは思えないのですが(素直に読めば先日の被発砲事件を受けて反撃に出ることを船員等は承知していた、と読めます)、NHKの番組中により具体的に計画的挑発を証拠付ける何かが放映されたのでしょうか? 説明を求めます。--122.145.254.169 2010年2月4日 (木) 04:14 (UTC)[返信]

そこは事実行為に対する解釈(ここではNHKの番組)に相当する箇所なので、引用元にあたり適切に引用されているかご自身で確認するしかないのではないでしょうか。--大和屋敷 2010年2月4日 (木) 04:53 (UTC)*「雲揚号事件をめぐる一考察」金光男(茨城大学人文学部紀要no.43 p.33-45 社会科学論集2007-3-30)[2]のPDF5ページに示威行動として計画された経緯が記述されており、常識的な読解として挑発行動であったと説明して問題ない(示威≒挑発)と個人的には感じました。ただしどうしても「挑発」なる字句の尖突性や猥曲性が受け入れがたいという場合は、上記のようにご自身でNHKの原典でそのように表現されているか確認するしかないと考えます。--大和屋敷 2010年2月4日 (木) 05:02 (UTC)[返信]
『引用元にあたり適切に引用されているかご自身で確認するしかないのではないでしょうか』については、先ず編集者様の意見を聞くのが筋だと思っての質問だったのですが……。オンデマンド版を購入すべきでしょうか……。また私が問題視している『挑発』とは、本文中の『日本軍の行動は戦闘を起こす意図をもった挑発[7]だったと考えられている。』であり、戦闘を前提とした挑発を裏付けるような証拠が見つかったという話は聞いたことが無いからです。「雲揚号事件をめぐる一考察」における『示威行動として計画された経緯』とは、「軍艦ヲ派遣シ對州近海ヲ測量セシメ以テ朝鮮國ノ内訌ニ乗シ以テ我応接ノ聲援ヲ為ン事ヲ請ウノ議」を指すと思いますが、これは三条太政大臣の批判を受けて外務卿が提示した譲歩案を含有した弾力的運用を行うことを前提に艦艇が派遣されたものであって、決して戦争覚悟の威力挑発行為を決議するようなものではありません。外交圧力として派遣された艦艇の行動を『挑発』と見るのは理解できなくもありませんが、それが『戦闘を前提とした』となれば話は別であって、日本政府側にそのような決意があったとする公文書を私は寡聞に知りません。ですから、『挑発』文言そのものは論文や公刊されている書物に多用されているため使用に異議を唱えるつもりは無いのですが、『朝鮮側の攻撃を誘発するように意図した計画的挑発』があったと断言するような本文には異議を唱えさせていただきます。そしてその意味で脚注に加えられた"本日戦争ヲ起ス所由ハ、一同承知ノ通リ"が、『朝鮮側の攻撃を誘発するように意図した計画的挑発』を証明するに充分なものではないだろうと質問したのです。いずれにせよ、当該編集者さん御自身が説明していただければ嬉しいのですが……。--122.145.254.169 2010年2月4日 (木) 06:00 (UTC)[返信]
2.3についてはWikipedia編集ルール上は厳密になればどうか、という議論もできそうですが個人的には非常に得心させられる内容で、その他につきましても詳細がさらに詰まったよい記事に編集されたと考えます。--大和屋敷 2010年2月24日 (水) 02:01 (UTC)[返信]
「本日戦争ヲ起ス所由ハ、一同承知ノ通リ"は砲台発砲事件の翌日の記述なのであり」は、報告書なので当然です。資料としては長く表にでなかった、しかも公式よりも古い、貴重なものがあったのだなと思います。-218.110.153.41 2010年4月18日 (日) 04:12 (UTC)[返信]
記事が「9月の上申書は時系列を明確にしたうえで報告内容もより詳細である」とあるので、脚注に「没稿」という付け加えは不適と考えました。もし必要であれば、また資料価値がない上申書と考えるのであれば、「没稿」の意味するところも踏まえ、記事内に記述されるとよろしいと思います。-218.110.153.41 2010年4月18日 (日) 04:33 (UTC)[返信]
この項を立てた元IPユーザーです。回答ありがとうございます。ですが、私には『本日戦争ヲ起ス所由ハ、一同承知ノ通リ』が、結局どうして計画的挑発の証拠になるのか、また、誰がこの記述を以って計画的挑発の証拠だと主張しているのかまるで読み取れません。>『貴重なものがあったのだなと思います。』に関しても、はあ、そう思われたのですか、としか回答しようがありません。>『戦争に関する記述があるのに、証拠がないという断定部分不適。』というご主張ですが、そもそも『どうしてその記述が戦争を企図していた証拠になるのか』お答えいただいておられないようですから、1.誰が証拠であると主張しているのか、2.どうしてこの記述が計画的挑発の証拠になるのか、を示していただきたいのです。何度も申し上げますように、かの記述は『先日端艇が攻撃を受けたので戦争(反撃)を行う』という趣旨の文中にあり、それ単独で日本側の計画的挑発を裏付けられるようなものではないと思うのですが? そもそも貴殿の>『日本軍の行動は戦闘を起こす意図の記述』とは、どのような想定の下で記述されたのでしょうか? 『日本側が朝鮮側の砲撃を意図的に引き起こして、計画通りに攻撃を始めた』、といった意味でしょうか? 単に『日本軍が反撃を行わなければ両軍に被害など出なかったのだから戦争を引き起こしたのは日本側だ』、といった意味でしょうか? 更に問えば、貴殿は『戦闘』の起点を朝鮮側の砲撃においているのか、日本側の反撃においているのか、或いは雲揚が江華島沖に現れた事実そのものにおいているのか……。その辺りが私と貴方の議論が噛み合わない原因だと思うのですが、いかがでしょうか? 私は、朝鮮側の攻撃を日本側が予期していたという資料は皆無であり、艦長は『昨日思いがけない攻撃を受けたので、本日戦闘(戦争)する』と報告して居るに過ぎないのではないか、という視点で質問しております。改めて貴殿の見解を伺いたい。そして、没稿という表現は確かに私の不注意でした。かの資料の冒頭が『此段不取敢致御届候也』とあり、10月の報告書があくまで正規の報告書ですから、正規の報告書に先んじて届け出た『取り敢えず』の仮報告書、ゆえに没稿と捉えたのですね。説明不足かつ、誤解を招くような表現を用いてしまいました。また、韓国の学説の大勢というのは、韓国唯一の国定歴史教科書に表されていると思うので、この議論が終わったら追加しようと思います。私の方から申し上げることは以上です。ご返答をお待ちいたしております。--椰子 2010年4月23日 (金) 19:24 (UTC)[返信]

戦争テンプレート

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武力衝突に戦争テンプレートはおかしいですし、テンプレート中の記述や家紋の選択もおかしいです。リバート。--大和屋敷 2010年6月4日 (金) 03:27 (UTC)近代国際(外交)関係では「戦争であるのか、ないのか」自体が重要な論題になりますので、安直な戦争テンプレートの導入には慎重にお願いいたします。--大和屋敷 2010年6月4日 (金) 03:33 (UTC)[返信]

2011年1月2日(日)06:13版

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冒記[3]編集について、あきらかにWikipedia編集者による筆の滑りですので、削除できる箇所を削除し段落を入れ替えて「読める体裁」にしました。「読める体裁」にするために筆が滑ってしまい、結局独自研究になっちゃうのは良くあることで、難しい。--大和屋敷 2011年1月2日 (日) 06:38 (UTC)おっと勝手に決め付けてしまいましたが、元版[4]の状態で信頼できる情報源に類似の文言があるようでしたら、どうぞリバートのうえ情報源を追記頂けると記事がより充実したものになり結構なことだと存じます。--大和屋敷 2011年1月2日 (日) 06:41 (UTC)[返信]

2011年5月3日(火)01:11版

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  • 可変IPアドレス投稿者さんにより投稿がなされましたが、Wikipediaは百科事典の作成を目指すプロジェクトで、外部の信頼できる情報源を参照・引用する形式で記事を作成する基本方針があります。よくありがちな投稿例として(Wikipediaの記述を読んで)(自分の理解や解釈を)(そのまま自分の意見として直接記事に加筆してしまう)ことがあり、これは独自研究ないしエッセイ的として除去の対象になります。ウィキペディアの記事は、学術的な話題について編集者どうしで議論がなされているかのように見え、自分の意見や解釈、知見などを表明して良い場であるかのように見えてしまうため、最初は非常にとまどうWEB空間であるのですが、いちどWikipedia:方針とガイドラインWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:ウィキペディアは何ではないかなどのガイドラインをお読み頂くようお願い申し上げます(他にも重要なガイドラインが存在します)。たとえば「客観的で信頼できる検証可能な引用元にそのように記述されている」ことを示すことができなければ「たとえ真実であっても」記述できない、という非常に特殊なルールがWikipediaには存在します(Wikipedia:検証可能性)。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 07:29 (UTC)[返信]
  • 5月2日15:04の削除について削除理由をお聞かせくださいませ。本文の「開国と示威」の修正、削除を要求しているものではありません。世の中色んな見方があってしかるべきです。しかし異論、反論を一方的に削除されますと、議論が前に進みません。とにかく一方的に削除されるのは如何なものでしょうか? 雲揚号事件は日朝双方の怠慢、誤解(日本側もまずかった、朝鮮側も対応がまずかった)から生じたものと認識しています。なお、小生wikiについては全くの初心者ですので、失礼がありましたらお許しください。--以上の署名のないコメントは、125.201.170.147会話/Whois)さんが 2011年5月3日 (火) 10:34(UTC) に投稿したものです(大和屋敷による付記)。
  • ノートへの投稿は下へ下へとお願いします(Wikipediaでの慣例になっています)。上記に解説させて頂いておりますのでご一読宜しくお願い申し上げます。ノートで投稿のさいは、発言の末尾に署名アイコン[5]をクリックして署名する慣例になっております。クリックすれば(--~~~~)という記号が塗布され、これが自動的に投稿日時と署名に変換されます。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 10:46 (UTC)[返信]

2011年5月3日(火)01:11版の回答について

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大和屋敷様、とりあえず回答了解しました。貴殿が信頼に足るかどうかの判断は別にして、まず本文を私なりに書き換え、私自身が信頼たる情報源(検証可能な)を脚注に書き込むということで宜しいのでしょうか? その後、貴殿が検証し判断するということですか? また「開国と示威表現」について、貴殿は如何なる外部の信頼できる情報源を参照・引用し、検証したのか明らかにして下さいませ。署名の方法が判らずスイマセン。--以上の署名のないコメントは、125.201.170.147会話/Whois)さんが 2011年5月3日 (火) 13:04(UTC) に投稿したものです(大和屋敷による付記)。

  • Wikipedia:署名という記事をお読み下さい。また初学者(小中学校程度)の方とは拝見しておりませんので、いちどWikipedia:方針とガイドラインWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかなどのガイドラインをお読み頂くようお願い申し上げます(他にも重要なガイドラインが存在します)。当ページは私(大和屋敷)が主執筆したものでも何でもなく、非常に多くの方(アカウント取得済・非取得の方)による執筆の成果によるものです[6]。私はタマタマ貴殿の投稿・編集に気がつき対応させて頂いている一編集者にすぎません(Wikipediaにおける特別の地位をもつ高位の編集者でも何でもありません)。まずはWikipedia:方針とガイドラインをお読み頂き、いわゆるWikipediaの記事内容に関する三大方針(Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点)あたりを押さえて頂ければ、編集内容・投稿内容についてWikipediaが要請している編集方針がおおむね把握できるかと思います。信頼できる引用元から適切に引用されていれば(私だけではなく)無名のあらゆる訪問者・読者がその投稿内容が適切に引用できているか事後的に確認することができますので、記事の記述の正確性がいったんは担保できるというということがWikipedia:検証可能性の主張するもっとも重要な論点です。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 13:44 (UTC)雲揚号の回航と江華島事件の示威性については「雲揚号事件をめぐる一考察」金光男(茨城大学人文学部紀要no.43 p.33-45 社会科学論集2007-3-30)[7]のPDFページ5、6、7,9などで言及されており、この文献を根拠に紹介することができます。なお、学術的に「示威」であったとWikipediaで確定させるようなことはできません。あくまでそのような研究者による言及があることを中立的に紹介することができるだけです。無論示威活動ではなかったとする信頼できる情報源をお持ちであれば、それも適切に引用することができます。現在の記事の版では、そのような文献がどの編集者からも紹介されておらず記述されていないだけです。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 13:59 (UTC)[返信]

「日本が砲撃を誘発した」との見解があるの記述について

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江華島事件が、朝鮮側の攻撃を誘発するべく企図された計画的挑発行為によって引き起こされたとする論は韓国など[誰?]では主流な学説となっている。日本国内においても、日本側の砲撃を誘発する意図、組織的情報隠蔽などを疑う学者は少なくない。9月29日付の上申書にも、日本軍の行動は戦闘を起こす意図の記述が見受けられる[21]。

脚注21「本日戦争ヲ起ス所由ハ、一同承知ノ通リ」 とのことですが、9月20日に韓国側の砲撃があり、21日に日本が応戦。 29日の上申書の”日本が戦争を起こすつもりであった”という文章を脚注に用いるのであれば”9月20日以前の段階”で戦争を誘発する意思があったとまでを脚注に掲載すべきじゃないのでしょうか? つまり文章中の本日がいつであるかを記載しなくては誘発の論拠として成り立っていない気がします。

おっしゃる点ごもっともですが、元々の日本側史料に矛盾する点があるわけで、そもそもハッキリしないわけです。ハッキリさせるため一方に断じてしまえば編集における独自研究回避ルールに抵触するため、明瞭に因果関係や前後関係を断定してしまえないわけです。直感的には「どうもあやしいな」と感じる点についても、史学は「小説」ではありませんので根拠をもって明瞭に記述できない点は(我々は研究者ではありませんので)明瞭に記述すべきではないと考えます。なおこの点について論じた信頼できる論文等ございましたら、どなたでも随時ご紹介頂き、追記頂ければ記事の充実につながると考えます。--大和屋敷 2011年8月31日 (水) 16:06 (UTC)[返信]

2011年12月17日(土)11:03版について

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大変有意義な情報の追加があったと考えますが、情報源の明示がありませんので合せて追記のほど宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年12月17日 (土) 16:01 (UTC)海軍御旗章国旗章並諸旗章(明治3年太政官布告第651号)では、日章旗について「御国旗 白布紅日章」と定めていたそうです。「日の丸」がこの当時で重要となる「御国旗」であり、旭日旗や(のちの)海軍大臣旗のいずれが掲揚されていたか、あるいは両者が掲揚されていたか、あるいは現実はどうであったか云々はあまり重要では無いのではなかろうか。そのあたりの事情は調べた限り判然としませんでしたので、より詳細で信頼できる情報源をお持ちの場合はぜひご紹介ください。--大和屋敷 2011年12月17日 (土) 16:38 (UTC)[返信]

日朝修好条規との関係

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「背景」および「事件発生までの背景」は、日朝修好条規の記事と重複している部分が多く、そちらの方が良く書けているようですので、適宜そちらを参照として、こちらは簡素化してはどうかと思うのですが、如何でしょうか。--4thmoon会話2012年8月25日 (土) 16:10 (UTC)[返信]

  • 両方記述してあっても問題ないですよ。むしろ読者の常識的な便宜を考えるべきでしょう。--大和屋敷会話) 2012年8月25日 (土) 21:08 (UTC)See alsoで誘導リンクを導入しました。「事件発生までの背景」項目については当記事のほうが雲揚派遣までのいきさつと交戦状態になるまでの推移が詳しいようなのでやはり独立記事のほうが良いでしょう。--大和屋敷会話2012年8月25日 (土) 21:14 (UTC)[返信]

黄色旗の意味について

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この当時の日朝間に国際信号旗に関する有効な合意や通知があったといえるのか、との批判が出ておりますので要検証範囲を塗布しております。--大和屋敷会話2012年10月29日 (月) 11:42 (UTC)[返信]

日朝間ではありませんよ。当時の国際間(例えば英国と日本)に国際信号旗に関する有効な合意があったかどうかです。で、仮に国際的な合意があったとしても鎖国体制化の朝鮮は、国際信号旗等が何たるかは判りません。日本側は海軍旗章について説明しただけです。--222.150.152.82 2012年10月29日 (月) 12:52 (UTC)[返信]

「事件は偶発か、計画的挑発か」の項目について

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  • この箇所については謀略説が通説であると確認できる信頼できる二次資料が発見できていませんので文脈に配慮した経緯があります。おなじ事実関係でも前を後にするだけでもまったく読み手に与える印象がことなってきますので難しいところです。基本的には交渉のさいには事故としてあつかわれたという史実、それに対して国内の研究者から謀略だった可能性の指摘があげられているという事実、この2点のみを適正に記述するために工夫して文脈をつくってあります。事故であったか謀略であったかはwikipedianが判断してはいけないことで(独自研究)、外部の信頼できる研究者の論文を待ちたいところです。--大和屋敷会話2018年4月11日 (水) 07:03 (UTC)[返信]


いやむしろ『東洋史研究』や『史学雑誌』に発表しているような研究者の中で偶発説を採っている人を寡聞にしてしらないのですが、誰が偶発説を唱えているのか教えてもらえないでしょうか。123.1.56.73 2018年4月11日 (水) 10:32 (UTC)[返信]
  • 偶発説がないから故意説が通説だ、というのが独自研究なんです。「~が通説」とかいてある二次資料を探してください。当方は探したのです。--大和屋敷会話) 2018年4月11日 (水) 11:26 (UTC)あるいはそう明記した論文を信頼できる媒体で公表してください。それでこの編集観点は決着します。--大和屋敷会話2018年4月11日 (水) 11:28 (UTC)[返信]


大和屋敷様へ。 本日(2018年4月11日)昼頃に、本項へ編集を加えた者です。まずは、現在の記事に至った経緯を知らぬまま、突然に追記したことをお詫びいたします。論争のあるテーマについては、予めノートで相談するべきでしたね。失礼いたしました。当方、まだWikipedia編集初心者ですので、何か至らない点等あれば、その都度ご指摘していただければ幸いです。

さて、それでは本題ですが、 ①謀略節が通説であると確認できる二次資料について ⇒少し古いですが、とりあえず日本の近代政治史を専攻されている歴史学者の先生の論文を挙げておきます。(ページ番号では52ですが、pdfの中では9枚目なの注意してください)本文中に、『第一、これはすでに定説となっているが、首都防衛の重要拠点への軍艦の侵入という雲揚の行動は意図的な挑発行為であった、ということである』とあります。他にも、探せばいくつも出てくると思います。(昔、何かの本で読んだ記憶があるのですが、忘れました笑) URL;高橋秀直, 江華条約と明治政府, 京都大学学術情報リポジトリ, pp52

この論文が正しいかどうかはさておき、謀略説が真であるという研究もある以上、そちらについても同様に記事に掲載するべきではないかと私は思っております。 最後に一つだけ。初めから出典を明記すべきでしたね。お騒がせしてしまったようで、申し訳ないです。以後気をつけます。[ベジタリアン三号]--ベジタリアン三号会話2018年4月11日 (水) 14:12 (UTC)[返信]

  • それでよいと思います。「~が定説となっている(とされる)<出典>」のような引用で十分でしょう。記述体裁としては事実があって解説が次に来るほうが歴史的記事の体裁としては見た目がよく、先に解釈がきて「それとは別に史実としては~」は言い訳めいて体裁が美しくないという印象があります。これは好みの問題ですが。--大和屋敷会話2018年4月11日 (水) 18:32 (UTC)[返信]
  • 偶発説を唱えている研究者って誰なんでしょう。それってどこの媒体に発表されたものなんでしょうか。ちゃんとピアレューを経たものなんでしょうか。ともかく唱えている研究者名を教えてもらえませんか。--123.1.29.213 2018年4月11日 (水) 18:40 (UTC)[返信]
  • 過去の編集経緯では「事故として処理された」「謀略だとする説がある」という2点を信頼できる情報源をもとに執筆した経緯があります。上でも指摘しましたが「謀略説が定説だ」と明確に記述してある信頼できる2次情報源が発見できなかったので執筆に苦労したというのが過去の経緯です。加筆するための資料がないのでなにも書けないわけです(あれば書け、今般提示いただけたので書けるようになったわけです)。--大和屋敷会話2018年4月11日 (水) 18:45 (UTC)[返信]
  • 僭越ですがベジタリアン三号氏に挙げて頂いた文献をもとに加筆いたしました。文脈については工夫したつもりですが問題あればご指摘頂くなり直接修正して下さい。--大和屋敷会話2018年4月12日 (木) 01:56 (UTC)[返信]
  • 大和屋敷様へ。
拝見いたしました。お手数おかけします。簡潔で分かりやすい良い文だと思います。文自体に異論はないのですが、いくつか思うところがあったので、指摘させてください。
①説明文の順序について
⇒私個人としては、項のタイトルが「事件は偶発か、計画的挑発か」となっているので、真っ先に結論(と考えられているもの)から書きたいと考えているのですが、大和屋敷様のおっしゃること(先に解釈→史実が来るのは美しくない)も納得がいくので、迷うところです。ただ、良い対案も浮かびませんので、まずは、大和屋敷様の案に賛成したいと思います。
②文脈について
⇒文末の「~(前略)、組織的情報隠蔽の可能性について指摘する説がある」についてです。情報隠蔽の有無については、船長の上申書と政府の報告書が食い違っている時点で明らかなので、「~組織的情報隠蔽の可能性について指摘する説がある」よりは「組織的情報隠蔽の存在が指摘されている」の方がしっくりくるかなぁと。「可能性について」という部分が、文として少し弱いかなと思っています。
③記事の拡充について
⇒他の項に比べて本項(事件は偶発か~)は記事が少なく、内容がまだ十分ではないと考えています。時期を見て、少しずつ加筆していきたいと思っておりますので、ご了承いただければと思います。
④おまけ?
⇒思ってた以上に返信が早くてビビッています笑。当方、すぐには返信できないかもしれませんが、極力確認するつもりですので、今後とも宜しくお願い致します。この度はお世話になりました。 --ベジタリアン三号会話) 2018年4月12日 (木) 03:28 (UTC)--ベジタリアン三号会話2018年4月12日 (木) 03:31 (UTC)[返信]
  • 本件に関する一次資料を確認して情報をまとめた動画がyoutubeにあがっているんですが、計画的挑発説が中々無理があるよう(計画的にしてはあまりにも杜撰)なので修正する必要ないですか?(動画名:教科書で嘘教えてない?江華島事件は日本軍の挑発によって引き起こされたという「定説」に疑問を呈したい)

日名子健二氏および黄文雄氏を引用元とする記述について

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  • いずれも学術的属性が判明しませんのでクレームに対しては慎重に対処するべきだと考えます(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価)。すなわち「百科事典」の「歴史記事」が参照する対象としての「学術的属性」が確認できないということです(一方は郷土史家?一方は評論家)。なお日名子健二氏についてはwikipedia上での内容の加筆箇所はなく、単に情報の補強として列挙された情報源の1つの扱いですので削除で問題ありませんが、黄文雄氏については「另約三論」に関して紹介する記述の引用元として記載されたものですので、「另約三論」について紹介された、他の学術的権威のある情報源による補強が必要です。--大和屋敷会話2023年6月20日 (火) 23:30 (UTC)[返信]