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ノート:民主主義

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宇山卓栄氏の言説を削除することについて

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ノート:宇山卓栄において歴史学の非専門家である宇山卓栄氏の言説を削除することを提案しています。--らりた会話2022年11月30日 (水) 12:06 (UTC)[返信]

導入部分について

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こんにちは、33メルメルと申します。利用者:감사합니다감사합니다会話 / 投稿記録 / 記録さん、利用者:日蓮大聖人会話 / 投稿記録 / 記録さん、IP:210.130.221.109会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが導入部分の差し戻しを行っておられますが、감사합니다감사합니다さんの差し戻しはIP:125.203.133.200会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんによって差し戻しされ、日蓮大聖人さんと210.130.221.109さんの差し戻しは私によって差し戻しされました。

そちらの三名さまが差し戻しなさる際、理由を具体的に明記なさったのは125.203.133.200さんのみで、「独自研究[1]とのことでした。しかし既にTemplate:出典除去を会話ページへお伝えしたように、出典を除去することはウィキペディアでは推奨されておりません。むしろ記事の独自研究性を上げ、検証可能性を下げると思われます。


三名さまによる導入文はどれも同じ内容です[2][3][4]ので、私からはまとめて以下の点をご指摘させていただきます。

  • "人民が国または地域の権力を所有し、それを自ら行使する政治思想または政治体制のことである[2]"

この出典[2]は「民主主義 - コトバンク(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)、(精選版 日本国語大辞典)、(日本大百科全書)、(百科事典マイペディア)」となっており、どの出典にどのように基づいて記述されているのかが不明確です。したがってこの文章は、「出典が明示されていない編集」に当たるかなと思います。

  • "古代ではアテナイの民主政が有名であり、近代では市民革命により一般化した政治の形態・原理・運動・思想で[3][4]、"

この出典[3][4]は「松村 2019c, p. 「民主主義」」と「ブリタニカ・ジャパン 2019, p. 「民主主義」」であり、つまり『デジタル大辞泉』での項目「民主主義」と『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』での項目「民主主義」です。しかし出典には「古代ギリシャに始まり~」「語源は demos (人民) と kratia (権力) とを結びつけたギリシア語の demokratiaで~民主主義は,古代においては~」等とあり、"アテナイの民主政"といったような内容はありません。ウィキペディア記事に載せられるのは、出典に「解釈を加えていないものだけ」ですので、この文章の"古代ではアテナイの民主政が有名であり"という部分は、独自研究ではないかと思われます。

  • "対義語は権威主義・寡頭制・独裁政治・専制政治・神権政治など[8]。"

出典[8]は「平凡社 2019, p. 「民主主義」」、つまり『百科事典マイペディア』の項目「民主主義」ですが、出典に基づいている記述は"神権政治"(神政政治)だけで、他は独自研究のようです。実際の出典の内容はこうなっています。

支配の権威が民衆に由来し,その意味で支配者と被支配者が同一であるという主義,あるいはその原則にたつ政治体制(民主制)。君主制,神政政治などと対照的。〈民衆の福祉のために〉という啓蒙君主制や民本主義も民主主義ではない。

もしかしたら記事の"権威主義・寡頭制・独裁政治・専制政治"という部分は、「君主制」(さらには「啓蒙君主制」)を指す意図で記述されたのかもしれません。しかし方針(特にWP:NORWP:V)を遵守する面でも、ウィキペディア編集者間の議論を合理的に効率化する面でも、民主主義と対照的だとされているのは「君主制」と「神政政治」だという直接引用が適切ではないでしょうか。

全体的に、【出典を示してはいるものの出典内容に沿わない、検証可能性が足りない記述(独自研究)】が多いんじゃないかなと思います。--33メルメル会話2023年1月23日 (月) 15:03 (UTC)[返信]

2023年2月21日 (火) 10:10時点、IP:60.41.204.105会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisによって、導入部の先頭が記述・出典ともに差し戻し[5]白紙化荒らしに該当すると考えられます。「記事から全ての、あるいはまとまった部分の記述を理由もなく除去したり、ページ全体を無意味な内容に置き換えてしまうのが、白紙化荒らしです。時には、出典のある情報や重要な検証可能な参考文献が、要約欄に正当な理由を書かずに除去されることもあります」。なおIP:60.41.204.105、利用者:감사합니다감사합니다、利用者:日蓮大聖人、IP:210.130.221.109は、差し戻し内容が類似している他、編集時に要約欄で
  • 「内容修正」
  • 「細部修正」
という共通の文言を記入しており、多重アカウントである可能性があります。--122.25.121.130 2023年2月24日 (金) 13:31 (UTC)[返信]
導入部の先頭について、
民主主義(みんしゅしゅぎ、英:democracy)または民主制(みんしゅせい)とは[2]、人民[3]・民衆が[2]権力[3]・権威を持ち[2]、それを自ら行使する政治的な形態[3]・原理[4]・運動[4]・思想[4]。
とありますが、導入部分にこれほど多くの出典が必要であるとは考えられませんし、何より読みづらいと感じられます。対義語についても基本的に出典は必要なく、その辺りの改善および修正が求められます。--Elpabt会話2023年2月28日 (火) 19:26 (UTC)[返信]
返信 (Elpabtさん宛)
導入部分の出典の表記方法は、もう少し合理的にまとめられるのではないかなと思います。ただし、これまで導入部分を差し戻しされた方々は、どの記述がどの出典に基づいているかが曖昧な状態を好んでいるらしき傾向があります。今の極端に厳密な出典表記があれば、そのような差し戻しが行われたかどうかが一目でわかりやすいため、ちょっと考えどころです。
なお、「基本的に出典は必要な」いと仰る点については、すみませんが論拠がわかりかねます。「すべての利用者が従うべき」とされているウィキペディアの方針には「出典のない記述は除去されても文句は言えません」「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべき」とありますので、少なくともウィキペディア内では方針に従うべきだと思います。--33メルメル会話2023年3月12日 (日) 14:26 (UTC)[返信]

コメントこんにちは。以前より当ノートを拝見し、基本的に33メルメルさんやElpabtさんの主張が適切と思うので、近日中に導入部(冒頭)を修正してお知らせ予定です。なお(1)当記事は安易な編集合戦(特に導入部)が多く、2017年にノート議論を経て客観的記述に全文書き直し後は減少したものの、時々発生している認識です。(2)現在の、出典と異なる記述や、過剰脚注も、その影響と思います。(3)ガイドに従い適切な出典は必要で、またどの箇所からの出典かも明確な方が望ましいと思います(検証可能性上。脚注は必須ではありませんが、当記事導入部のように編集合戦も多く中立性が特に求められる箇所では特に重要。)(3)ただしウィキペディアは一般向け百科事典の作成プロジェクトで、記事としての前後含めた可読性や整合性も必要なため、単純引用の列挙ではなく、趣旨を踏まえた執筆のバランス感覚は必要と思います。(4)導入部に日本の憲法は不要なので削除します(JPOVで特筆性なし)。(5)その後に改善のご指摘があればお願いします。--Rabit gti会話2023年3月29日 (水) 13:55 (UTC)[返信]

報告 特に反対が無いため上記を反映しました[6]。後から安易に追加された重複・過剰な注釈・出典を整理し、記述を従来からの出典に揃えました(ほぼブリタニカと平凡社だけで済みました)。出典とは用語の違う「対比」「否定的」などは、中立的および政治思想系の他記事とも表現を揃えるために使用しました(趣旨は出典に沿っていると思っていますが)。皆様、いかがでしょう。--Rabit gti会話2023年4月2日 (日) 07:42 (UTC)[返信]

返信 (Rabit gtiさん宛) 編集お疲れさまでした。二点質問させていただくと、まずRabit gitさんが、学術論文「政治的リテラシーを高める政治教育のために」に基づく記述を除去された点です。Rabit gitさんは上記論文が「中立的な観点#良質な研究」に当たらないというか、今回の場合は辞事典のほうが論文よりも「良質な研究」の類である――より方針に適した出典である――といったようなご判断でしょうか?
もうひとつ。
  • "民主主義という用語は古代ギリシャで「多数者の支配」を意味し、君主政治や貴族政治との対比で使用された。しかしその後は衆愚政治などを意味する否定的な用語として使用され続け、近代より肯定的な概念として復権して、第一次世界大戦後には全世界に普及した[2]。"
この記述の内、"民主主義という用語は(…略…)使用された。"の出典が[2]であることは、今までの記事内容とRabit gitさんの編集経緯[7][8]を存じている方々には分かることだと思います。しかし、今までの民主主義など政治系記事の編集履歴から察するに、この記述が(善意によって)出典とそぐわない内容に変更させられる可能性は低くないかと。
文末に"(…略…)使用された[2]。"と出典を付けても良いのではと思いますが、どんなものでしょう?--33メルメル会話2023年4月5日 (水) 10:04 (UTC)[返信]

返信 (33メルメルさん宛) コメントありがとうございます(1)政治的リテラシーを高める政治教育のためには、意識的に削除したというより、単に必要が無かった(上述のように、著名なブリタニカと平凡社だけでほぼ足りた)からです。専門の学者が「民主主義」について書いた論文は極めて多数ある中で、何故それを選定したか、それを載せるなら別の出典も山とある、と編集合戦に陥りやすい事情もあります。なお当出典を再読すると、日本の高校教育関連で、近代以降のいわゆる自由民主主義しか触れておらず、日本特有の記述も多いなど、「民主主義」全般の記事の導入部としては著名なブリタニカや平凡社の方が世界的・歴史的で適切に思えます(逆にお伺いすると、当出典が特に望ましい理由が何かあるのでしょうか)。(2)各行出典は過剰かと避けましたが、追加してみました[9]。いかがでしょう。--Rabit gti会話2023年4月5日 (水) 13:47 (UTC)[返信]

返信 (Rabit gtiさん宛) ありがとうございます。学術論文は「もっとも信頼できる」情報源ですが、複数の辞事典から引用することは方針の「掲載すべきは専門家たちの共通見解」という部分に沿っていると思います。特に記事冒頭においては、単一の学術論文に基づく記述を除去すべきか掲載すべきか個人的には微妙と思いますが、裏を返せば、あってもなくても良い気がします。(理想的な記事を目指すなら、複数の学術論文の見解における共通部分を、要約的に冒頭で間接引用することになるかと思います。)
そして現在の当記事の出典表記は、「Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/レイアウト」などの過去の議論を踏まえると、妥当な数に収まっているように思われます。上記議論に「秀逸・良質記事でおこなわれているような、1文毎かそれ以上の頻度でいちいち出典を示す書き方というのは、論文レベルでもそう見られるものではない」とコメントがあり、その点は私も同感です。ウィキペディアで秀逸良質記事を目指すと、出典表記が論文よりも過剰になる傾向があるのではないかなと思います。--33メルメル会話2023年4月8日 (土) 08:37 (UTC)[返信]