ノート:氏
明治以降の氏の加筆について
[編集]今回加筆した内容は、重複を避ける意味で姓に加筆すべきかとも思いましたが、法制度上は、明治初期の頃はともかくそれ以降は一貫して「氏」の語が使われており、「姓」の項目に加筆することに違和感もあったことから、とりあえず氏に加筆する体裁を採りました。ただ、重複説明のこともあるので、時間のあるときに記述の統合・整理も検討します。Krp 2005年1月28日 (金) 15:51 (UTC)
名字と苗字
[編集]名字と苗字について、これは同じものと考えてよいのか。記事中の説明で「苗字」を使っていた段落の次の段落では、「名字(苗字)」といきなりなっている。名字と苗字の違いまたは同じかどうかについて、短くでも説明がほしい。-218.110.198.82 2010年2月24日 (水) 08:52 (UTC)
氏(姓)の発生理由が「個人呼称説」? それが「現在の民法学上の通説」???
[編集]同氏(同姓)の多い氏(姓)や、同じ氏(姓)である家族や親族の氏(姓)をすべて完全無視できるのは、正真正銘、かなり頭の悪い似非学者か、妄想患者だけだろう、と考えざるを得ません。読むに堪えません。頭悪すぎます。非常識すぎます。無知すぎます。たとえ wiki が信用不可の百科事典であるにしても、これは酷すぎると思います。どの程度頭が悪いのか、どの程度妄想に狂ってしまっているのか、を検証するためには、どこそこの何ページに書いてあるというような情報ではなく、検証可能な出典からの該当箇所全域の全引用を求めざるを得ません。それができないのであれば、最初っから余りにも論外な説であるので、バッサリ割愛で全く構わないと私は思います。--180.18.251.5 2023年5月8日 (月) 08:47 (UTC)
氏(姓)の発生理由が「男系祖先を同じくする同族血縁集団」? 「血縁共同体名説」?
[編集]この世の「氏(姓)」のすべてを、源平合戦の「源」氏と「平」氏のようなものだと決めつけていない限り、到底あり得ない説だと思います。ちなみに、wikiでは、氏姓制度#氏姓の中程に、参照付きで、以下のように記されています。
「このため日本古代のウヂは単なる自然発生的な血族集団としての氏族(Clan)とは異なり、ヤマト王権自体と密接に結びついて成立していた政治的集団または政治的組織であるとされている。氏の成立が自然発生的なものでなく政治的関係性によるものであることは、氏名がしばしば仕奉すべき職掌を表し(つまりは天皇と氏の間の君臣関係を前提とし)、氏姓が制度的に定まった後も王権側が氏姓を賜与・変更する権能を保持したことにも表れている。」
これが元々の、つまり、原初の「氏(姓)」です。
また、常識的に考えてみても、農業も、土木も、昭和後期に工業化かつ効率化されるまでは、とにかく人手が必要だったはずです。血縁よりも地縁のほうが遙かに優先されたはずです。地縁より血縁のほうを優先しても、ほとんど無意味だからです。血縁関係があるが故の骨肉の争いなんかに巻き込まれたりしたら、むしろ有害無益だったでしょう。
周辺諸国との戦争なら、地縁的結びつきこそ遙かに重宝したはずです。明治から昭和前期にかけての軍隊の編成も、地域ごとに編成されているくらいだからです。
そもそも、とにかくマンパワーが必要というときは、血縁なんて全く関係ないからです。地域的な結びつきは、サッカーをやるにしても、何かイベントを開催するにしても、血縁とは比較にならないくらい強力で利用可能であり、かつ、広範囲に有効です。逆に言えば、地域的な結びつきが弱い地域は、何をやってもうまくいかない地域、どんなに血縁関係だらけでも、衰退して行くしかない地域という事になります。
よって、氏(姓)の血縁共同体名説は、検証するまでもないような虚説だと考えざるを得ません。この氏(姓)に関する「血縁共同体名説」に関しては、よほど説得力のある大局的考証や信用できる具体的な例証が実際に豊富に示されない限り、さっさと割愛すべきではないでしょうか。
もうひとつ。さらに大問題なのは、この世の血縁関係のない養子縁組のすべてを完全無視してしまっている点です。完全差別とでも言うべき完全無視だからです。医療が今よりは遅れていた昔のほうが親や親代わりの人が早死にする場合が多かったはずなので、今日では考えられないほど、血縁関係のない養子縁組や、それに類する親子関係が多かったであろうと考えるべきところです。まともな人間なら。
たとえ wiki が信用不可の百科事典であるとしても、このような数々の大欠陥のある非人間的な「血縁共同体名説」についても、まともな説であるかのように扱っては絶対にいけないと私は思います。
以上を読んでも、「血縁共同体名説」がまともな説であるかのように思えますか。 --180.18.251.5 2023年5月8日 (月) 08:47 (UTC) 校正--114.157.36.27 2023年5月8日 (月) 20:12 (UTC) 追加--114.174.97.223 2023年5月27日 (土) 17:42 (UTC)
「氏(うじ、うぢ)は、男系祖先を同じくする同族血縁集団」?
[編集]1898年(明治31年)の明治民法公布から今に至るまでの法的な「氏」(つまり、夫婦同氏かつ親子同氏の、家族名としての「氏」)と同様な、親子同氏とならざるを得ないような「氏(氏名(うじな、姓氏、本姓、姓、苗字)」制度が古代(あるいは、中世、近世)に確立されていたという一体どういう証拠があるのでしょうか。全く示されておりません。かつ、あり得るとも思えません。時代を混同しているように見受けられます。「男系祖先を同じくする同族血縁集団」があったはずだと言い得る制度そのものがまだないからです。
藤原氏、源氏、平氏、いずれも、これらの「男系祖先を同じくする同族血縁集団」の上の方の人たちは確かに一世を風靡することに成功します。その上、どんなに権勢を誇った「氏」の集団であっても、やがてうまくいかなくなるという教訓や悲哀のようなものも残します。
しかし、これらを、天皇制とあわせて、『日本人はも血統主義・純血主義で集団(グループ)を作る民族なんだ』、『古代からずっと血統主義・純血主義で「氏」という集団が形成され続けてきたんだ』などと決めつけてしまうと、とんでもない大間違いを犯していることになると思います。
例えば、源義経の一の谷の戦いの騎馬軍団には源氏と同族血縁ではない有能な武者たちが掻き集められていたはずです。源氏と同族血縁ではない彼ら功績が、「男系祖先を同じくする同族血縁集団」としての源氏の功績に含まれてしまっているのであれば、虚偽である事は明らかです。
また、ある個人が天皇から賜った「氏(氏名(うじな、姓氏、本姓、姓)」を、後の時代の苗字同様に扱って次の代が勝手に受け継いで行くという事はあったでしょうが、仮にそうであったとしても、「氏(うじ、うぢ)は、男系祖先を同じくする同族血縁集団」であるという考え方(思い込み)そのものが歴史的事実と矛盾しています。歴史的事実は、むしろ、そのような考え方が一般には乏しかった事を証拠づけています。
- 藤原○○→→→三條○○、鷹司○○、etc.(多すぎて省略)
そして、1867年の王政復古の大号令の後でさえ、氏(氏名(うじな)、姓氏、本姓、姓、苗字、名字)は随時に変わります。
さらに、この記事自身、「氏」を以下のように説明しています。
- 国名(国造)に由来する氏 - 出雲氏(出雲国造)、尾張氏(尾張国造)、紀氏(紀国造)、諏訪氏(洲羽国造)、吉備氏(吉備諸国造)、葛城氏(葛城国造)、毛野氏(上毛野国造・下毛野国造)など。
- 原始姓に由来する氏 - 和邇氏、穂積氏、蘇我氏、阿曇氏、久米氏など。
- 朝廷内の職掌(品部)に由来する氏 - 物部氏、大伴氏、丈部氏、額田部氏、膳氏、海部氏、磯部氏、阿曇犬養氏、鳥取氏、坂合部氏など。
これらも同じ「氏」としてまとまっている集団(グループ)なのであれば、「氏」とは同じ特定目的集団の仲間同士であれば良いだけです。当然、血縁関係など無くても構わないという事にならざるを得ません。 e.g. X Japan(YOSHIKI、Toshl、PATA、HEATH、SUGIZO)、GLAY(TERU、JIRO、TAKURO、HISASHI)、LUNA SEA(RYUICHI、SUGIZO、INORAN、J、真矢)、ケツメイシ(Ryo、Ryoji、大蔵、DJ KOHNO)、MAX(NANA、MINA、REINA、LINA)、セカオワ(Nakajin、Fukase、Saori、DJ LOVE)、WANIMA(KENTA、KO-SHIN、FUJI)
同じ「氏(氏名うじな)」ということにして同じ集団名(同じグループ名)を名乗るメリットが大いにある事は自明です。
- 集団(グループ)として自動的にまとまる(少なくとも、まとまりやすい、まとめやすい)
- 集団(グループ)としての一体感を持てる(持ちやすい)
- その所属集団(所属グループ)への貢献というだけで自己肯定感を持てる(持ちやすい)
- 所属意識を持てる(持ちやすい)
- 褒賞も受けられる(受けやすい)
- 同じ目的に向かって団結できる(団結しやすい)、
- 計画的組織的に成果を出せる(成果を出しやすい)
などなどです。
逆に、「氏(氏名(うじな))」という集団(グループ)名を持たない/持たせないほうがよいなどという場合は、その集団が危険な集団とみなされた場合だけでしょう。 e.g. (解散させられた)オウム真理教
集団(グループ)名を持たせる、持たせないという判断には、血縁とは全く関係のない、現代日本人にも十分分かる立派な理由があったはずだ、という事です。
そして、「国名(国造)に由来する氏」、「原始姓に由来する氏」、「朝廷内の職掌(品部)に由来する氏」という「氏」集団が存在したという歴史的事実は、古代の人々も、経験上からか、特定の目的を達成するために集団(グループ)を形成する事のメリットを間違いなく認識していた(少なくとも、察していた)と断言できる明確な証拠です。
他方、「氏(うじ、うぢ)は、男系祖先を同じくする同族血縁集団」であるというような記述は、純血主義・血統主義的な自己満足の快感を得たい、それをwikiに反映させたいという願望がある人による主張だということだけは分かりますが、現実問題として、「男系祖先を同じくする同族血縁集団」に一体どういうメリットがあったというのでしょうか。そもそも、一体どういう理由でどういうメリットがあり得るのでしょうか。全く、何も説明されておりません。
総じて、「氏(うじ、うぢ)」=「男系祖先を同じくする同族血縁集団」を証明する何の証拠も示されておりません。そう推察できる理由すら何も示されておりません。
古代の人たちは、「万世一系の天皇、バンザーイ」で後は亡国一直線だった昭和前期の人たちと同じような、純血主義・血統主義の考え方しかできないドアフォばっかりだったとでもいうのでしょうか。タチの悪い話です。そういうドアフォは、「氏(うじ、うぢ)は、男系祖先を同じくする同族血縁集団」であるというような主張をしている人たちだけでしょう。
既に説明したように、歴史的事実は、「氏(うじ、うぢ)」=「男系祖先を同じくする同族血縁集団」を否定しています。「氏(氏名(うじな))」そのものが永続的なものではないからです。随時に変わるからです。そして、1898年(明治31年)の明治民法公布より前の時代には、「氏(うじ、うぢ)」=「男系祖先を同じくする同族血縁集団」と考えたくなるような必要性も歴史的証拠も全くないからです。
よって、この、「氏(うじ、うぢ)」=「男系祖先を同じくする同族血縁集団」と同じような、wiki掲載の全記事の該当尾部分を全て削除しまくって、「氏(うじ、うぢ)」=「何らかの共通目的あるいは共通項目がある男系集団」ぐらいに全てすっきり修正しまくる必要がある、と私は思います。よろしく。--114.157.36.27 2023年5月9日 (火) 03:23 (UTC)
- まず、文章が冗長・感情的に過ぎます(Wikipedia:ノートページのガイドライン参照)。
- 総じて違和感を感じる記述が多く、ウヂカバネ(氏姓制)と苗字、実名と通称の併用という前近代日本の常識を無視している疑いがあります(参考)。例えば「木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉」とありますが誤り。最初の本人署名は苗字+仮名 (通称)+実名の「木下藤吉郎秀吉」です(名古屋市博物館編『豊臣秀吉文書集 永禄八年~天正十一年』2015年、1頁)。藤吉郎→筑前守(受領名)であって、秀吉に改名したのではありません。また羽柴→豊臣ではなく、本姓(ウヂ)が平→藤原→豊臣になったのであって、苗字(※当時は名字表記が主流)は羽柴のままです(黒田基樹『羽柴を名乗った人々』2016年、10頁)。「1898年(明治31年)の明治民法公布より前の時代に」とありますが、ウヂカバネ制度は明治4年の姓尸不称令で公用廃止になっており(井戸田博史『氏と名と族称 その法史学的研究』2003年、105頁)、明治23年公布民法の時点で法文に「氏」とは源平藤橘ではなく佐藤や中村などの苗字ですので(井上正一・亀山貞義『民法正義 人事編巻之貳』、1890年)、この文脈で31年民法を持ち出しても意味不明です。混同されがちなウヂカバネと苗字の区別こそ本項の重要テーマのはずなのに、大丈夫なのでしょうか。
- なおウヂ(≠苗字)の男系継承については、大化元年の「男女之法」(を起点とした慣習法)によるものと学者は言っていること(洞富雄『庶民家族の歴史像』1966年、183頁)、古代の職業集団と中世の源平藤橘で意味が異なることを指摘するにとどめます(井上・亀山『民法正義』)。
- 異論はおありでしょうし記事の改善が必要なのも確かですが、「自明」だからとかではなく、可能な限り学者文献を広く渉猟した上で、学問が到達した客観的水準を紹介する形でなければなりません(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません)。--Cincleat2781(会話) 2023年7月25日 (火) 23:17 (UTC)
- 「平」「藤原」は最も有名な「氏(ウヂ)」の二つ。間違いないですね。時代が移り変わろうとも。(勝手に否定なさっているようですが。)豊臣秀吉の「氏(ウヂ)」に関しても、何もかもごちゃ混ぜにして「本姓(ウヂ)」と呼ぶ人たちも当然いたでしょうが、歴史的事実としては「平→藤原→豊臣」になった。間違いないですね。(そうではなかったかのようにおっしゃってますが。)<最初の本人署名は苗字+仮名 (通称)+実名の「木下藤吉郎秀吉」です(名古屋市博物館編『豊臣秀吉文書集 永禄八年~天正十一年』2015年、1頁)><苗字(※当時は名字表記が主流)は羽柴のままです(黒田基樹『羽柴を名乗った人々』2016年、10頁)>と述べておられますが、「木下藤吉郎秀吉」「豊臣羽柴秀吉」という様な表記こそが歴史的にも日本語名としても正しいのだとおっしゃっているのでしょうか。ほとんど難癖に近いものがあります。明治2年までは諱(いみな)の部分は、朝廷文書のようなものでない限り、省くのが通例であった、あるいは常識であったと私は思っております。そうではないというのでしたら、その当時の歴史資料の明示だけでなく、その歴史資料に具体的に何と書かれているのか、豊富な実例付きでお願いします。例えばですね、吉田松陰、坂本龍馬、桂小五郎、大久保一蔵は、元服後は、それぞれ、矩方、直柔、孝允、利通という名前を持っていたはずですが、吉田寅次郎矩方、坂本龍馬直柔、桂小五郎孝允、大久保一蔵利通とは名乗ってないんですよ。私が知る限り。また、大島吉之助は、西郷大島吉之助隆盛というようには名乗ってないんですよ。そういうような長ったらしい名乗り方をした人がいたとしてもそれは圧倒的に少ない少数派ないし例外であり、西鄕の本当の名前が「隆永」であって「隆盛」ではなかったということすら誰も気付かなかったほどに諱の部分は本当に使われていなかったという歴史的事実が西鄕隆盛という著名な歴史的人物において証明されているわけです。本人の本当の名前でさえそうなのですから、{氏、本姓、苗字}のような時代とともに定義が困難ないし不可能になっていき、本人性や本人識別性にも乏しく、本人の名誉のためだけに存在しているような面倒くさいものは、朝廷文書のようなものを除き、通常はどれか一つしか使われなかった、むしろ好んで{氏、本姓、苗字}が同じようなものとしてごちゃ混ぜにされて使われていたというのが歴史的事実であろうと私は思います。 --180.27.5.14 2023年8月12日 (土) 19:21 (UTC) --180.27.5.14 2023年8月12日 (土) 19:35 (UTC) 誤記訂正、グループ名追加 --180.27.5.14 2023年8月14日 (月) 16:02 (UTC)