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ノート:歴史学/過去ログ1

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「歴史観」と「歴史学」

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私は「歴史観」から転送されて「歴史学」に来たのですが、「歴史観」を見たかった理由が昨今よく使用される「~史観」と言う用語に違和感を感じたからです。この「~史観」というのはイデオロギーを主張するのに使用され、何を正しいとするのか、何に価値を見出すべきなのか、どう評価するのかなどの論争のように思われます。それ対して、「歴史学」は本文冒頭を引用すると「歴史的事実、及びそれらの関連を追求する学問」であるはずです。そして「歴史観」とは「歴史学」によって示された「歴史的事実」によって規定されるものであると、私は認識していましたが、しかしながら昨今の「~史観」は「歴史的事実、及びそれらの関連」として「どういう歴史的事実があったとすべき」かの論争になり、「~史観」によって「歴史学」が規定されるかのような様相を示しているように見えます。前置きが長くなりましたが、私はこの差異について「歴史学」という学問の見地からはどのようになるのかを知りたくて「歴史観」を見たいと思いました。私のもともとの「歴史観」の認識が勘違いなのか、そうではないのか、現在「識者」と呼ばれている人たちの「歴史観」という言葉の使用方法が正しいのか間違っているのか、それが本稿の現在の歴史観の記事ではあいまいでよく分かりません。どなたか詳しく書いていただけないでしょうか。また、本稿の「歴史観」の説明はヨーロッパ史の話です。しかし以上の問題は日本史のことです。以前、「皇国史観」の反省として「歴史観」から脱却して、「学問」としてどうのこうのというのを読んだような気がするのですが、何を読んだのか覚えておらず、あいまいになってしまうので私ではかけません。「自虐史観」だの「自由主義史観」だのと喧々としておりますので、以上のことは私だけの問題ではないのではないと思い、ここでお願いさせていただきました。よろしくお願いします。61.197.219.182 2006年8月15日 (火) 10:57 (UTC)

ノートで論争中だったのですね、ごめんなさい。ただ、以上のことを説明してくださるように追記してくださるとうれしいです。61.197.219.182 2006年8月15日 (火) 11:09 (UTC)

「ノートで論争中だったのですね」とは、どの項目のノートで論争中なのですか?--yamato 2006年8月15日 (火) 12:54 (UTC)

「中立的な観点」「記事の正確さ」のテンプレ

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「中立的な観点」「記事の正確さ」のテンプレがありますが、荒らし行為が続いたため、 2006年5月2日 (火) 22:57 にJohncapistrano氏が張りつけたものです。荒らしが収まり次第、削除予定。 --忠太 2006年5月17日 (水) 11:56 (UTC)

江上説

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江上波夫の古代史へのアプローチ」は相当あやしげではないか? 少なくとも一般的な歴史学の説明に、まず江上を持ち出す理由がよくわからない。--忠太 2005年2月9日 (水) 15:26 (UTC)

以下の文章(2005年2月9日 (水) 16:34 の版よりコピペ)は、一般的な「歴史学」の説明としては不適切であるため、削除しますが、何らかの参考になるかもしれないので、こちらに貼っておきます。 --忠太 2005年2月23日 (水) 14:32 (UTC)

研究法

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歴史事実の確定をどのようにして行うかは、概ね三通りある。

  1. 史料の部分的復元。
    史料をできるだけたくさん探し出して、正しくつないでいって、より大きな史料にする。
  2. 比較研究あるいは分類的研究。
    史料を他の史料と比較して、全体像における相関関係や、その占める位置を設定して、全体像の仮説作業を行うのである。比較研究とは、全体像の仮説作業にほかならない。しかし、それは創造的なものであって、固定的な、不可変的な原則ではない。歴史の復元でも同様で、比較研究のためにはつねに仮説的全体像をもたなければならないが、その仮説的全体像そのものが、新しい比較研究に基づいて、不断に新しく形成しなおされることが肝要である。
  3. 総合的研究。
    歴史の仮定的復元作業はいちおう出来上がっても、それはあくまで仮説作業であって、同じ問題を他の面から別な史料で、いくつか仮説的復元作業を繰り返してみて、その結果がみな矛盾なく組み合わさって、はじめて真の歴史の復元となるのである。(江上波夫の古代史へのアプローチから)

以下の文章( 2005年2月23日 (水) 15:10 よりコピペ)は、このままではあんまりなので、削除しますが、何らかの参考になる可能性もあるため、貼り付けておきます。 --忠太 2005年2月25日 (金) 15:07 (UTC)

歴史観

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特定の固定した歴史観によらず、客観的立場で探求するのは困難であり、実際にはマルクス主義の唯物史観、ユダヤ教、キリスト教による歴史観など、政治、宗教、伝統、文化、日常に基づいた歴史観がある。そのため歴史修正主義などでは、歴史の客観性を放棄し、歴史は単なる主観的な物語とする意見もあるが、それを許すと無制限に過去が歪曲、捏造される危険性があるため、一般には歴史学はある程度の客観性、普遍性を持つよう努めるべきと考えられている。(←論旨が混乱している。要修正)


2005年2月5日 (土) 15:45 の版以前にあった以下の部分は脱線気味なのでコメントアウト・削除しましたが、何らかの参考になる可能性もあるため、貼り付けておきます。 --忠太 2005年3月8日 (火) 14:46 (UTC)

そのような考え方に変化がみられたのは、第一次世界大戦後のヨーロッパである。第一次世界大戦は従前なら非戦闘員として埒外にいられたはずの一般市民が巻き込まれ、多大の犠牲を被った。その凄惨な結果を目にした人々は歴史観の転換の必要を悟り、問題解決の手段としての武力行使になんらかの歯止めを掛けようとした。その成果がジュネーブ条約ハーグ陸戦条規である。しかしながら人類は再び過ちを犯してしまう。互いの権益の優位を主張し、地球上のあちこちで武力を行使し、人権をないがしろにした。この愚かな行為の責任は勝者にも敗者にも共にあることを我われは知っているし、過ちを繰り返さないように戦争を無条件に肯定する歴史観を捨てている。

一次史料から五次史料まで

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  • 2005年10月27日 (木) 21:43 の版で、一次史料から五次史料までの区分が書き込まれましたが、小林よしのりの説(上記)なんでしょうか。コピペ臭くもあるのでリバートします。(それにしても「何の為に作成されたのか不明なものは五次史料」というのは何とも楽しい見解かも?) --忠太 2005年10月27日 (木) 14:24 (UTC)

マルクス儒教云々の荒らし

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61.124.199.79氏の編集は個人的な意見の書込みでありソースが示されていません。一度削除しましたが、その後も繰返されるようです。johncapistrano 2006年5月2日 (火) 08:54 (UTC)

証拠は提示してある。

マルクスについて マルクス+史学で検索かければうなるように見受けられる事実がある。

儒教について ・史学では漢文を重視し、それ以外を全て否定する事実がある。  これは儒教的価値観以外の何者でも無い。  歴史学が着眼点を他の学問(法・経済・宗教・芸術・理系科学)の見解を考慮したことは過去一度としてなく。漢文がこの世の森羅万象の全てであるというスタンスであるからこれが儒教以外のいったい何者であるのか?  発狂せず現実をみよ!61.124.199.79 2006年5月2日 (火) 20:33 (JST)

暴言は不要です。検索結果とあなたの書込みとは関係がありません。johncapistrano 2006年5月2日 (火) 11:42 (UTC)

暴言?根拠なしで言論封鎖は史学の特権とでも?-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 21:48(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)

61.124.199.79さん、あなたの幼稚な馬鹿話につきあってられません。誰のどのような論考がどうしてそのようになるのか具体的に提示してください。--怪蘇 2006年5月2日 (火) 13:00 (UTC)

↑ 歴史学者の意見だけに従うおばかさんですねw 史学が朝鮮と支那の馬鹿史観を黙認した事実だけをとっても 罵倒されて当然ですよwおまえらに何が出来る? 漢文の翻訳だけで全てを語るなってことだよw-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 22:18(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)

だから誰のどのような論に対してあなたがそのように感じるのか聞いているのです。それに答えられないならここはあなたが来る場所ではありません。どこかの掲示板にでも退去してください。--怪蘇 2006年5月2日 (火) 13:26 (UTC) ↑ 学者の論文と同じでなければ意見を述べることが出来ないとするお前の発言の法的根拠を述べよ!-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 22:35(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)

発言内容で程度が知れますよ。 --忠太 2006年5月2日 (火) 13:40 (UTC)

↑ 法的根拠を述べろと言えば程度が知れるのか?所詮三流学問だなw-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 22:58(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)


マルクス云々は分かりませんが、転載は分かりますので削除依頼に出しました。--Los688 2006年5月2日 (火) 13:54 (UTC)

↑ 逃げんなよ馬鹿-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 22:58(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)

やれやれ、どの学問領域でも学問的論争をするのには最低限誰のどのような論考がどうして間違っているのかを明示しなければ成り立ち得ません。「お母ちゃんが○×ちゃんの言うことはダメといったからダメ」といった幼稚園児の発言に対しては議論は成り立ちません。61.124.199.79さん、あなたは学問論争の指導を受けたことがあるのですか?具体的に誰のどのような論があなたにとって不快なのか教えてください。--怪蘇 2006年5月2日 (火) 13:59 (UTC)


メンテナンスおよび上の議論を拝読しました。徒労感は察してもあまりあるものがありそうです。先方には議論する意思がないと判断せざるをえず、とりあっても無益なように思われます。--S kitahashi(Plé)2006年5月3日 (水) 00:57 (UTC)


史料批判

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史料批判の項にある
次代の王朝を正当化するために先代の王朝の最後の皇帝などは悪くかかれる傾向にある
のところは、
次代の王朝の正統を主張するために先代の王朝の腐敗や退廃が強調される傾向にある。そのため最後の皇帝などは悪く書かれたり、天命を受けた者に相応しい行為があったとしても記述されないことが多い。
とした方が良いように思います。理由は「正当」でも良いのですが、ここは「正統」という言葉を使っておきたいのと、歴史の歪曲には事実無視ということもあるのだと知っておいてもらいたいからです。以上、なぜか私には編集できないのでこちらで提案させていただきます。219.97.86.72 2006年11月5日 (日) 15:45 (UTC)

<節テーマ設定コメント>歴史学記事本文では歴史学#研究法歴史学#意義歴史学#歴史観歴史学#歴史法則歴史学#客観性といくつもの節を分けて論じられていますが、歴史学方法論については研究法節で比較的まとまって論じられているもののランケに始まる実証主義との関連性が明確でなく、歴史学研究法が英語版en:Historical method翻訳記事として別個に存在していますが、それを詳細として関連付けもされていませんし、反復性と反証可能性(客観性)の学理において人文科学ではなく人文学とされるものに含まれる歴史学の学理に関する議論が一体的に記述されているものとは思えません。このノートにおける議論も同じです。

歴史を記述する上でいかなる事象を取り上げてどのように表現するかで取捨選択を行わざるを得ず、その基準となる歴史観は必要不可欠で、歴史観節では様々な歴史観を紹介していますが、歴史学として何を持って妥当とするのか否かについて、明確に論じられるているわけではないと思います。歴史観と重要な関係にある歴史哲学については関連項目としてあげるのみで、全く言及がありません。日本語版ウィキペディアCategory:歴史理論の定義は「文献に記された歴史だけではなく、ある事象が何故起こったか、そして未来へ向けてへの可能な限りの手段の方法を研究する理論である。」となっていますがこの定義は英語版Wikipediaen:Category:Theories of historyの翻訳そのものです。日英双方ともen:Social Darwinism等ずらりと歴史観関係の記事がカテゴライズされています。少なくともWikipedia世間では歴史理論=歴史学理論でなく歴史理論=歴史観という見方が成り立つと思います。ちなみに、ドイツ史が専門のイギリスの歴史学者Mary Fulbrookがその著書Historical Theory: Ways of Imagining the PastでHistorical Theoryが歴史観であるとの前提で、その妥当性を論じています。また、近代史が世界システムを構成する中で成立していると論じた世界システム論を確立した、アナール学派の流れを汲むウォーラステインは寄稿記事"Writing History"において、専門家による論争となっているテーマ(Colloquium)として、「歴史を書く」というテーマの英仏蘭の命名の相違から正当化・妥当化(Legitimisation)に関する論を起こしています。(追加)英語においてもHistorical TheoryとTheories of historyは歴史観(historical view / beliefs about history)と渾然として、截然とは区別されていないと思われます。--ゴンベイ 2008年3月15日 (土) 20:04 (UTC)

現下で歴史観と密接に結びつく事象として歴史修正主義があります。いわゆる自由主義史観に依拠する新しい歴史教科書をつくる会の主導により作成された『新しい歴史教科書』のサンプル版序文において「歴史は科学ではない」と言明したことにより、歴史学原理を揺るがす事態と議論を引き起こしています。日本の歴史学「記事」はこのようなエポック・メーキングな状況下にあります。

歴史学記事では、歴史学理論歴史理論歴史観歴史学方法論歴史学説の用語定義を明確にし、それを踏まえた展開構成を望みます。このことについて、このノートでご議論いただければ幸いです。(なお、この節テーマはノート:世界の一体化/世界の一体化とは何かノート:世界の一体化/世界の一体化とは何か#「世界の一体化」は独自観点による独自研究節で発し、さらにノート:世界システム論ノート:世界システム論#世界システム論は「歴史」理論か節での議論を元に設定しました。--ゴンベイ 2008年3月15日 (土) 19:25 (UTC)

(追加)歴史(学)理論と歴史学方法論においては「時代区分論」へも目配りを願います。--ゴンベイ 2008年3月15日 (土) 19:31 (UTC)

新しい歴史教科書をつくる会が歴史を科学ではない、としたことは別にエポック・メイキングでもなんでもなくて、「歴史は科学か」なんてことは昔から史学科学生の間でも普通に問われてきたことです。学生なら大抵読まされることになる、E.H.カー『歴史とは何か』あたりを読んで見てください。新しい教科書をつくる会のすごい所は「科学でないから明確な証拠がなくても歴史を書いても良いんだ、都合の悪いことは書かなくてもいいんだ」と開き直ったことです。西尾寛二『国民の歴史』が良い見本になるなると思います。「歴史をたんに目先の記録や目録の類だけで、科学的に立証できるか否かだけに限定して議論する視野の狭さを言いたいのである。(中略)そのエネルギーと上昇への意志を確かめるためには、片々たる記録だけに頼るべきではない。その日から千三百年も展開してきた、この国の今日までの歴史が示したひとつの意志もまた、証拠として採用されてしかるべきではないだろうか。」(西尾寛二著 新しい教科書をつくる会編『国民の歴史』産経新聞社、1999、p.21)とか、とにかく凄い。まあ確かに科学じゃないし、それ以前に学問でもないですよね、という感じです。歴史学的にはやっていることと目指しているものが違い過ぎて、正直、反対なんだけれども絡みようがない、といった所でしょう。
歴史観とかの定義については、きちんとした方が良いのでしょうが、ゴンベイさんが求めるような形では多分難しいと思います。私には「歴史学理論」は歴史学の理論、「歴史理論」は歴史についての理論。歴史学と歴史が違う程度に異なる。歴史観と歴史理論は重なる部分もあるかもしれないが基本的に「視座の置き方」と「理論な」なので概念としては違う。自由主義史観は歴史学ではない。・・・といった断片的な説明しかできません。そもそも私の見解が正しいという保証もありません。本来はこういった史学概論的な内容は、本職の歴史学者、それも相当に経験豊富な方が書かれるべきかと思います。現在のWikipediaとしてはあの本にはこう書いてある、という風にしていくしかないと思います。私はAmazonの書評を読んだだけなのでMary Fulbrookの"Historical Theory: Ways of Imagining the Past"の内容を書き加えることはできませんが、ゴンベイさんは既にお読みになられたとのことですので、是非その内容を出典と註をつけて歴史学に反映してください。 --コータ 2008年3月16日 (日) 03:13 (UTC)
ところで、ついあまり気にせずに感じるままに答えていたのですが、「歴史学理論」という言葉はあまり聞かないのですが、どのあたりの由来の言葉でしょうか。同じくあまり聞かない「歴史学方法論」、「歴史学説」なども、それぞれ「歴史学の方法論」、「歴史にかんする学説」という意味だとは思うのですが、新しい言葉を作ったり、あまり聞かない言葉を無理に定義づけする事はWikipedia:独自研究は載せないに抵触すると思われます。--コータ 2008年3月16日 (日) 08:44 (UTC)
ちなみに社会学でも歴史を扱った理論は「歴史理論」と呼ぶそうです(高坂健次、厚東洋輔編『講座社会学1 理論と方法』東京大学出版会、1998、p.50)。--コータ 2008年3月17日 (月) 14:27 (UTC)
コータさん曰く、「『歴史学理論』は歴史学の理論、『歴史理論』は歴史についての理論」ですが、基本的に意味の違いはないように思えますが・・・。歴史観は、歴史についてどのような観点に立っているかということを示す言葉で、歴史学や歴史理論とは異なります。つまり、特定の歴史観に立って論じられるのが歴史学であり、歴史理論ということです。
さらに、コータさんは「歴史学理論」を聞いたこともない用語であるとおっしゃっていますが、これは単に学問上の分類に「理論」という語を付け足しただけのものであり、新語でも造語でもありません。歴史学理論とは、歴史学説のことを指して言っているのでしょうし、普通にほかの学問分野でも法学理論(略して、法理などといったりもします)、経済学理論、社会学理論などと呼んだりしますので、特に問題ないと思いますけど。--M.M 2008年4月5日 (土) 17:21 (UTC)
いや、それが何故か歴史学では「歴史学理論」とはいわず「歴史理論」と言うのですよ。歴史のことを扱った理論は全て歴史理論というのであれば、歴史学は歴史を扱う学問なので、その理論はすべて歴史理論になる、ということかと思います。そこで気をつけねばならないのは歴史学以外の歴史理論もある、ということです。これは社会学の歴史理論とかではなく、過去の歴史理論など、現在の歴史学からすると学問とはいえない歴史理論のことです。古代ギリシアの生態循環論なども歴史学ではなくとも、歴史理論にはなるかと思います。このあたりは「歴史学」という言葉と「歴史理論」という言葉の歴史の差で、歴史学という学問の微妙な立場が表れているのかもしれません。「歴史学」より断然「歴史」の方が古いですから。
「歴史観は、歴史についてどのような観点に立っているかということを示す言葉で、歴史学や歴史理論とは異なります」という点については同意しますが、「特定の歴史観に立って論じられるのが歴史学であり、歴史理論ということです」という点は、これはちょっと違うと思います。歴史学は特定の歴史観に基づいていてはならない、と私は考えます。誤解されないようあらかじめ補足しておきますが、これは、歴史学には歴史観がない、ということではなく、「歴史学における歴史観は特定の見方に偏っていたりしてはならない」ということです。一国史観、唯物史観、唯心史観、進歩史観、ホイッグ史観、皇国史観など色々な名前の歴史観がありますが、これらはその方向性からその名を与えられています。つまり、名前のあるような特定の歴史観はそれぞれ特定の偏りがを持っている、ということです。逆に現行歴史学の、一国単位ではなく、物質的側面だけでも精神的側面だけでもなく、人類が常に進歩しているとは考えていないような歴史観は特に名前がありません。これがつまり、特定の歴史観に偏らない歴史観ということで、名前の無い無色透明な歴史観を維持することが、歴史学が学問であるためには不可欠の条件と私は考えています。この辺は私個人の見解が含まれますので、E.H.カーの『歴史とは何か』あたりを読んで頂くのが良いかと思います。--コータ 2008年4月6日 (日) 14:39 (UTC)
コータさん、こんばんは。「歴史学理論」と「歴史理論」の違いについてですが、結論から言うと、通常歴史学の分野では「歴史学理論」とはいわないということですね。「歴史学」と「歴史理論」については、ご説明いただいたところを読んでみても正直違いはよく分かりません。まず、いつの時代に歴史学が始まったかという点から見ると、はっきりいつから始まったと断言できるものはないと私は認識しています。それは歴史学に限らず多くの学問に当てはまることであると思います。比較的新しい学問分野である社会学は、19世紀の思想家オーギュスト・コントによって提起されたものですが、実際にその起源をたどるとかなり昔まで遡ることができるようです。少なくとも、アリストテレスの政治学理論には社会学の分析的視点が見られると評価されています。19世紀まで学問分野として確立していなかったとしても、社会学的な理論としてはかなり昔から社会学は存在していたということになると思います。もしコータさんが、「歴史学」と「歴史理論」の違いをこのように認識されているのであれば、その通りだと私も思います。
ところで、コータさんの説明の中に「古代ギリシアの生態循環論」というものが出てくるのですが、これは生物学上の概念ではないのですか? 歴史学上の概念としては、聞き覚えがないものですから・・・。
さて、「歴史学における歴史観は特定の見方に偏っていたりしてはならない」というご指摘についてですが、これは不可能であると申し上げておきたいと思います。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、このような価値中立性ということが様々な学問分野で論議されましたが、「ありえない」という結論に達しています。もっとも有名なのがマックス・ヴェーバーによるWertfreiheit(没価値性とか価値自由とかいう和訳がつけられていますが、適当な訳ではありません)という概念です。彼は、特定の価値観に基づいて形成された社会に生きる人間は、たとえ科学者であっても特定の価値観の下で態度を決定するものであるし、むしろ自らの態度を決定するには特定の価値観に従わなければならないとしています。ただし、科学者が科学者であるためには、自分が特定の価値観に立って物事を見ているということを自覚し、他の価値観と同様に客観的に分析できることであると言っています。
これは歴史学についてもいえることで、歴史学者は何かしらの歴史観に立って歴史的事実を見て、解釈しているはずです。それが特定の歴史観にどっぷり漬かって、自らの立場を批判的に検討することなく自分の歴史観に反するものを排除しようとする態度が歴史学者として問題とされているもののはずです。ちなみに、現在の日本の歴史学会は自由主義史観という歴史観が主流を占めていて、小・中・高校では自由主義・民主主義の立場から歴史教育が行われているはずです。このことからもお分かりのように、「名前の無い無色透明な歴史観」というものはありえないし、「学問であるためには不可欠の条件」とはなりえないということです。
議論の本筋からだいぶ外れてしまいましたが、とりあえず以上の点をご理解いただければと思います。--M.M 2008年4月6日 (日) 16:53 (UTC)
補足をば。「古代ギリシアの生態循環論」は変換ミスで、コータさんがおっしゃっているのは、おそらくポリビュオスの「政体循環論」のことであると思います。また「自由主義史観」は日本の歴史学会で主流の歴史観ではないと思いますし、この自由主義史観は主に保守系言論の立場から提唱されているもので、「自由主義・民主主義の立場から歴史教育」を行おうという主旨の歴史観のことではありません。自由主義史観を参照してください。
(以下は個人的な雑感として)私は基本的に歴史観ぬきに歴史研究をおこなうことは不可能だと思っていますから、歴史観なしの歴史理論はないとは思っていますが、しかしより合理的な歴史観を持つべきというコータさんの考えには同感です。--Kanbun 2008年4月6日 (日) 17:06 (UTC)
>この自由主義史観は主に保守系言論の立場から提唱されているもので、「自由主義・民主主義の立場から歴史教育」を行おうという主旨の歴史観のことではありません。
∑(◎□◎|||)をを!! これはとんだ勘違いをしておりました。大変失礼いたしました。知ったかぶりが暴露されてしまった(汗。「現在の日本の歴史学会は自由主義史観という歴史観が主流を占めていて、」というところは、撤回させていただきます。もうちっと、用語には気をつけないといけませんね。--M.M 2008年4月7日 (月) 10:11 (UTC)
私からも補足させていただきますと、歴史を著述するということ自体は本文にも書いている通り、司馬遷とかヘロドトスとかの時代からあったことですし、また「史学」という言葉は昔からあったものです。しかし「歴史学」と単に言った場合は普通ランケ以来の「近代歴史学」を指します。「国家」といった場合に普通「近代国家」を指すのと同じような感覚でしょうか。
日本の歴史学界に於ける史観については、戦後は唯物史観が支配的であり、70年代からはそれが崩れて実証主義的な考え方にシフトし、(個々人の史観は無論ありますが)学界全体を覆うような史観は無いのが現状と思います。少なくとも中国史分野ではそうでしょう(他の分野では状況が違うかと思いますが)
完全な客観的・中立的な視点はありえないというのは全くその通りです。が、それと上でコータさんが書いているつくる会の「だから何を書いても良いんだ」という開き直りとは光年の差があります。完全が不可能としてもより蓋然性が高い、より万人の納得できるという地点を目指す姿勢は必要かと思われます。それこそこのウィキペディアでの「客観的・中立的な記事」を作ろうという姿勢が大切なのと同じ事と思います。らりた 2008年4月7日 (月) 11:58 (UTC)
E.H.カーは「社会と歴史とのうちに置かれた自分自身の状況から来る狭い見方を乗り越える能力」、「いかに自分がこの状況に巻き込まれているかを認識する能力」を歴史家が客観性に近づくために条件として挙げています(E.H.カー『歴史とは何か』岩波新書、1962年、p.183)。Kanbunさん、らりたさんからご説明頂いたように、完全に客観的な歴史というのは不可能だけれどもそれに近づける努力を怠ってはいけない、ということですね。歴史学の歴史とは異なる「自由主義史観」のような歴史も、国民統合という面からすると(それこそ歴史学的な研究対象として)、まあ動機は理解できなくもないですが、歴史学以前に一人の歴史好きとしては、あまり歴史を政治的に弄りまわさないでほしい所です。
「生態循環論」は「政体循環論」の間違いです。済みません。--コータ 2008年4月7日 (月) 12:27 (UTC)

(インデント戻)ということで、いちおう歴史観と歴史学・歴史理論とのかかわりについては、共通認識が出来上がったということでよろしいでしょうか? そこで、ゴンベイさんが提起されている用語の定義の話に戻るわけですが、今までの議論を整理すると以下のような感じですかね。

  • 歴史学理論(歴史学の分野では「歴史学理論」という表現は通常使わない)
  • 歴史観:特定の観点に立った歴史の捉え方
  • 歴史理論:歴史観に基づいて立てられた論理的な体系

さらに提起されている用語についても、以下のように定義できるのではないかと思います。

  • 歴史学説:独自の歴史研究に基づいて形成された歴史学上の考えまたは仮説
  • 歴史学方法論:歴史を論理的に考察するための方法を探究する歴史学上の一分野

なお、つくる会が主張するところの「歴史は科学ではない」というテーゼですが、これは「我々の歴史認識は科学ではない」ということを意味しているものと私は捉えています。まあ「歴史は科学ではない」と主張している時点で、自分たちは科学的ではないと言っているのと同じですけどね。--M.M 2008年4月8日 (火) 11:50 (UTC)

ん?まず歴史学説・歴史学方法論という言い方自体あまり無いと思います。歴史学説・歴史学方法論という言葉自体は無論あるでしょうが、それぞれ歴史学「の」学説・歴史学「の」方法論程度の意味しかなく、「用語」として確立したものとは思えません。歴史学界でこの二つの「用語を定義づけ」しているとは思えません。あくまで私の所感ですが。らりた 2008年4月8日 (火) 11:57 (UTC)
歴史学説・歴史学方法論という言い方をあまりしないというのは、通常、「学説」とか「方法論」という省略形を日ごろ使っているからじゃないですかね。正式な呼称としては、歴史学説・歴史学方法論という語は存在するものと思いますよ。--M.M 2008年4月8日 (火) 12:14 (UTC)
"歴史学方法論"で調べたところ600件ほどかかりましたからあまり無いというのは言いすぎだったようです。失礼しました。ただ同じことを言いますが、「歴史学方法論」は「歴史学に於ける方法論」程度の意味しか無い様に思います、歴史学独自の方法論はもちろん存在しますが、それは現時点で用語として定義できるものでしょうか?らりた 2008年4月8日 (火) 12:38 (UTC)

(インデント戻し)定義自体存在しないのであれば、「歴史学に於ける方法論」という表現自体もできないということになりませんか。つまり、歴史学独自の方法論はあるとしながら、定義は存在しないという。これは、どう考えてもおかしくないですか? 歴史学の独自性を主張するのであれば、歴史学方法論という語はあってしかるべきということになります。--M.M 2008年4月8日 (火) 13:05 (UTC)

追記です。「歴史学に於ける方法論」は歴史学方法論を言い換えただけのものですよ。--M.M 2008年4月8日 (火) 13:07 (UTC)

いえ、ですから「歴史学方法論」という「用語」が存在していないのではないかといっているのです。まあ、例えは悪いでしょうが、「漫画に於ける方法論」は確実に存在しています。しかし「漫画方法論」という「用語」は存在するでしょうか?ということです。らりた 2008年4月8日 (火) 13:11 (UTC)
漫画をたとえにあげていらっしゃいますが、あまり適切な例ではないと思います。漫画は学問のように方向性が定まったものでしょうか? みんな同様の手法に基づいて漫画を描いていたとしたら、同じようなものが出来上がってしまって面白みがなくなるのではないですか? 漫画には学問とは違って、このような方法論に従って描きましょうという定まったルールはないのではないかと思います(ちなみに、描画法は漫画の方法論とはいえません)。
歴史学独自の方法論があって、なぜ用語の定義が存在しないのでしょうか。用語の定義が存在しないということは、歴史学には定まった分析手法が存在しないということになりませんか? そこに矛盾を感じるわけです。なぜなのでしょうか? それに、それほど「歴史学方法論」という言葉にこだわる必要があるのでしょうか? 歴史学方法論は歴史学上の理論のうち方法概念をカテゴライズするものであって、それ以外に使用するものではないと思いますけど。べつに、私は「歴史学方法論」であっても「歴史学における方法論」であってもかまわないと思います。いずれにしろ、これらは意味のうえでは同じものであり、ただ単に言い換えているだけのもですから。--M.M 2008年4月8日 (火) 13:39 (UTC)
私の言い方が悪いせいでどうも誤解を招いているようですが、私の言いたいのは「歴史学方法論」という「言葉」が「用語」として熟したものではないということを言いたかったのです。いまいち上手く説明する方法が思いつかないのでこれ以上は言いません。らりた 2008年4月8日 (火) 14:03 (UTC)
私も歴史学が「方法論」や「学説」という言葉を他の学問とそれほど違う意味で使っているとは思えません。広辞苑によると「方法論」とは「学問研究の方法に関する論理的反省」とのことですが、「歴史学方法論」と言ったときの「方法論」の意味もこれとそう変わらないと思います。歴史学独自の方法論、というのは「方法論」という言葉の意味自体ではなく、そこに含まれる具体的な要素のことかと思います。史料批判の手法や実証主義などに関する議論などが当てはまるかと。そういう意味では、社会学にも「社会学独自の方法論」はあるでしょうし、物理学や天文学などにも独自の「方法論」があるはずです。が、どの分野においても「方法論」という言葉の意味自体は変わらないかと思います。
歴史理論を「歴史観に基づいて」と言い切ってしまうのはちょっと抵抗があります。特定の歴史観と密接に関連した歴史理論もありますが、そうでないものもあります。これまでに出た話のように歴史哲学的なことを言えば、歴史観がついてまわる訳なのですが、理論に主観がついて回るのは歴史学に限った話ではありませんし、同様に主観(歴史観)の影響を排すために可能な限り努力をしなければならないのも、歴史学と他の学問に違いはありません。
結局のところ、歴史観は「歴史の見方」、歴史理論は「歴史についての理論」、歴史学説は「歴史の学説」あるいは「歴史学の仮説」、歴史学方法論は「歴史学の方法論」ぐらいのことしか言えないんじゃないでしょうか。そもそも言葉を独自に定義する事はWikipediaで行うべきことではありませんし。--コータ 2008年4月8日 (火) 14:49 (UTC)

(インデント戻し)コータさん、これまでの私の投稿の内容をちゃんとお読みになっていらっしゃいますか? それに、ご自分で書かれている内容に矛盾があることにお気づきでないようですね。「理論に主観がついて回るのは歴史学に限った話ではありませんし、同様に主観(歴史観)の影響を排すために可能な限り努力をしなければならない」とありますが、理論に主観がついて回るのに、どうして主観を排除できるのですか? コータさんはよくE.H.カーを引用されますが、先の投稿で引用されている「いかに自分がこの状況に巻き込まれているかを認識する能力」とは、自分が特定の価値観に立って物事を見ているという事実を認識する能力という意味ですよ。

コータさんが引用されている部分を一文丸々下に書き出します。

先ず、第一に、その歴史家が、社会と歴史とのうちに置かれた自分自身の状況から来る狭い見方を乗り越える能力――前の講演で申し上げましたように、半ばは、いかに自分がこの状況に巻き込まれているかを認識する能力、謂わば、完全な客観性が不可能であることを認識する能力に依存するところの能力――を持っているということを意味します。 E.H.カー「歴史とは何か」(清水幾多郎訳)岩波新書 p.183 (太字部分はM.Mによる指定)

引用されている文のうち、太字で私が指定したところを見てください。明確に完全な客観性が不可能といっていますよね。その事実を認識することが、客観性に近づけるのだとE.H.カーは主張しているはずです。つまり、E.H.カーはマックス・ヴェーバーと同じことを言っているわけです。引用する場合は正確に行ってください。それに、コータさんがE.H.カーの主張を引用して投稿されているということは、E.H.カーの視点(特定の価値観)に立って主張を行っているということです。もう一度申し上げますが、歴史観を排除することは不可能ですし、特定の歴史観に基づかない歴史理論は存在しません(コータさんは、主観と歴史観を混同されていますが、歴史観は普遍性を持つものであり、特定個人の主観とは区別される概念です)。

「そもそも言葉を独自に定義する事はWikipediaで行うべきことではありませんし」とのことですが、上記の「歴史観」「歴史理論」「歴史学説」「歴史学方法論」は、大辞泉を参考に書いたものです。つまり国語辞典の定義に従っているのが上に示した用語定義です。「『歴史学方法論』と言ったときの『方法論』の意味もこれとそう変わらない」とおっしゃっていますが、「そう変わらない」のではなくて「まったく変わらない」のです。上の「歴史観」「歴史理論」「歴史学説」「歴史学方法論」のそれぞれの用語と説明文の中の「歴史」という言葉を、「政治」でも「経済」でも「社会」でも、お好きな言葉と置き換えてください。ちゃんと「政治学」「経済学」「社会学」の定義として当てはまりますよね。したがって、上記の定義が私の独自の定義であるという主張は、不適切なものです。

私は先の投稿で、「歴史学理論」は「単に学問上の分類に『理論』という語を付け足しただけのもの」と申し上げましたが、他の用語もそれと同じということです。「理論」「学説」「方法論」といった場合、他の学問分野と区別するために「歴史学」を頭につけているだけだということです。お分かりいただけましたか? --M.M 2008年4月8日 (火) 17:04 (UTC)

「歴史学方法論」というときの「方法論」が意味が他の場合と「まったく変わらない」のなら、なおさら「歴史学方法論」という言葉を定義し直す必要はないのではないですか。私は「歴史学」という言葉が前に付いたことによって「方法論」の意味が変わらないのなら、わざわざ「歴史学方法論」という言葉を定義する必要はない、と申し上げたつもりなのですが伝わっておりませんでしたでしょうか。
E.H.カーは完全な客観が不可能と認めつつ、できる限り客観に近づけなければならない、と言っているはずです。「完全な客観は不可能ですよ」が結論ではなく、まず自分の見方が周囲の状況などに影響されていて完全な客観は不可能であることを認識すれば、その事を認識している分、より客観的に歴史を見ることができますよ、と、M.Mさんが引用された部分はそういう文脈の中にあります。すぐ後に、「完全な歴史」は書けなくともより永続的でより客観的な歴史は書ける、と書いてあるはずです。
話を『歴史とは何か』から戻すと、歴史観は歴史を見る全ての人の中にあるけれど、自分自身の歴史観を客観的に見ることで、その歴史観による歪みを小さくすることはできますし、唯物史観でも進歩史観でもヨーロッパ中心史観でも皇国史観でもない、名付けようもないような(歴史を見る上で)無害な歴史観に近づけることはできるはずです。また、歴史学として歴史を研究するのなら、そうしなければならない(と私は思う)のです。その為に史料批判したり、別の国の研究者と共同研究してみたり、文献以外の資料に手を伸ばしたり、別の学問の手法を取り入れてみたりしているのです。歴史学と教科書をつくる会の違いはどこにあるかといえば、少しでもより客観的な歴史に近づけようとする姿勢です。従って、歴史理論は「特定の歴史観に立った」と定義されるべきではありません。なかには一国史観と発展段階論のように特定の歴史観に則って出てきた理論もありますが、少なくとも歴史学ではその理論が特定の歴史観を依存しないように努めています。
一応、まとめておきます。「『方法論』の意味が他と違わないなら、『歴史学方法論』を定義する必要はないんじゃありませんか」と「歴史理論は、『特定の歴史観に基づく』と定義されるべきでありません。歴史学では特定の歴史観に強く影響されることを望ましいとは考えられておらず、現実としては歴史観の影響を完全に排除することはできなくとも、影響をできる限り小さくしようと努力しているので、少なくとも『特定の歴史観に基づく』と定義されるべきではありません」というのが私の考えです。 --コータ 2008年4月9日 (水) 11:33 (UTC)(署名忘れ修正しました)
???要するにM.Mさんも「歴史学説」や「歴史学方法論」という言葉は「歴史学の学説」・「歴史学の方法論」と意味は変わらないということですよね。それは全く私と同じ認識です。だとすれば「学説」・「方法論」という言葉の定義にそれぞれ「歴史学の」とつければそれで済む話ではないですか?ここで改めて定義づけをするまでも無いでしょう。独自の定義かどうかを問題にするまでも無く、話が決着してしまいます。少なくとも「辞書の定義」プラス「歴史学の」というだけの定義であるならばいちいち独立項目にする必然性は全く無いと思います。らりた 2008年4月9日 (水) 11:25 (UTC)
やはり、ちゃんと理解なさっていないようですね。「『歴史学方法論』という言葉を定義し直す必要はない」とおっしゃっていますけど、私がいつ定義し直すなどということを主張したのですか? いいですか。私はゴンベイさんが「用語定義を明確にし、それを踏まえた展開構成を望みます」とおっしゃっていることを受けて議論に参加しています。私は、ゴンベイさんが定義を明確にしないまま議論に参加したり、記事を書く人がいるから、議論が混乱し、編集合戦というようなことが起こるので、まずは共通認識として定義を明確にしましょうということを提起されているものと理解しています。
先の投稿で、私は「自由主義史観」について勘違いしていました。つまり、Kanbunさんからご指摘をいただくまで、私は「自由主義史観」という用語の定義を明確に捉えていたわけではなかったわけです。だから、あのような勘違いをしてしまったわけです。コータさんも、歴史観と主観を同じものとして勘違いされていましたよね。これも、ちゃんと明確に定義を捉えていなかったからです。このようなことがあるから、用語の定義を明確にして、勘違いによる不確かな記事にしないようにしましょうというのが、ゴンベイさんの趣旨であると思います。だから、「歴史学方法論」などという用語は存在しないから、定義は必要ないという主張しているのではないですか?
さらに付け加えると、このノート:歴史学の初っ端の投稿の中にIPユーザーさんが「本稿の現在の歴史観の記事ではあいまいでよく分かりません。どなたか詳しく書いていただけないでしょうか。」と書いてあったのをご覧になっていますか? これは「歴史観」の定義が明確でないから「あいまいでよく分かりません」という書込みがされるのではないですか? コータさんは以上の点をちゃんと理解されて議論に参加されていますか? コータさんはこの点をまったく理解されていませんよね。だから、何度も同じように「用語を定義する必要はない」とか「用語を定義し直すのはおかしい」と主張されのでしょ。らりたさんも、その点がお分かりではないから、「そんな用語はない」から必要ないとおっしゃっているわけですよね。お二人とも、私が自分独自の定義によって用語を創出しようとしていると思っていらっしゃるようですが、まったく違いますよ。私の投稿の内容をよく吟味のうえ、返答をください。斜め読みをせずに、ちゃんと詳細にわたって論議の内容を検討し、ご自分の主張を客観的に分析の上、反論をしてください。コータさんが信奉されているE.H.カーもそのように主張しているはずですよね。
それから、もう3度目になりますが「少なくとも歴史学ではその理論が特定の歴史観を依存しないように努めています。」というのは、不可能です。何度、特定の歴史観を持たないようにしているといっても、返答は変わりません。努力しようが、何しようが不可能なものは不可能です。結局、先の投稿の内容をちゃんと吟味されていないからこういう回答をされるのでしょう。コータさんは、歴史学は客観性を保持するためには主観を排除し、特定の歴史観を持ってはならないというステレオタイプが出来上がってしまっているわけですね。だから、E.H.カーの主張されている内容を、特定の歴史観を排除することで客観性が保てると解釈されるわけですね。そういうのを「客観的」とはいいません。もう一度繰り返しますけど、マックス・ヴェーバーが考える「自分が特定の価値観に立って物事を見ているということを自覚し、他の価値観と同様に客観的に分析できること」が客観的な立場であり、E.H.カーがいうところの「いかに自分がこの状況に巻き込まれているかを認識する能力、謂わば、完全な客観性が不可能であることを認識する能力に依存するところの能力」を持つことが客観的な立場にたって物事を見るということです。「この状況」とはどの状況のことかお分かりですか? 「社会と歴史とのうちに置かれた自分自身の状況」のことですよ。つまり、特定の価値観にある社会、それを形成してきた歴史の中で生きている自分の立場を自覚的に捉えるということですよ。「『完全な客観は不可能ですよ』が結論」とおっしゃっていますけど、私はE.H.カーがそのような結論をもって主張しているなんてことは書いていないはずですが・・・。私はコータさんが、E.H.カーの主張をって「特定の歴史観を排除」できるとおっしゃっているのは違うでしょ、ということを指摘するために、コータさんがご自分の主張に都合の良い様に引用した箇所を、丸々一文抜き出してきただけですよね。ちゃんと、主張の内容を吟味してください。
コータさんは、そこのところを自覚的に捉えていないから「特定の歴史観に立たない」ということを主張されるわけです。すでにあなたは「特定の歴史観を排除」する、という特定の価値観に立っているのだということを自覚してください。--M.M 2008年4月9日 (水) 12:23 (UTC)
なんというか・・・、完全な水掛け論になってしまってますからもう止めませんか?「歴史観を『出来る限り』排除すべき」というコータさんと、「歴史観を排除は出来ない」というM.Mさんの議論はかみあっておらず全く意義がありません。「歴史学方法論」の定義は「歴史学の方法論」なんですよね?それを確認したということですかねぇ・・・。何か意味があるのですか?らりた 2008年4月9日 (水) 12:31 (UTC)
そうですね。私も正直疲れてしまいました。ただ単に「定義を明確にして、変な記事にならないように共通認識を持ちましょう」ということをいっているだけなんですけど・・・。--M.M 2008年4月9日 (水) 12:39 (UTC)
誤解なさっているようですが、「歴史観を完全に排除することはできない」という点には同意しています。ただその上で、「特定の歴史観に基づいた」と定義されるべきではない、と申し上げています。定義に付随する説明として「歴史観を完全に排除することはできない」と記述するのであれば反対しません。--コータ 2008年4月10日 (木) 15:09 (UTC)


(インデント戻)コータさんは、「歴史観を完全に排除することはできない」ということが、「特定の歴史観」に基づいて歴史を捉えることにつながるという簡単なロジックがお分かりでないようですね。では、コータさんに問題を出したいと思います。

問1 「歴史観を完全に排除することができない」とする見解の論拠を述べよ。 問2 特定の歴史観に基づかない理論とは、どのようなものかを具体的に提示せよ。 問3 「排除」という日本語の意味を答えよ。 問4 「特定」という日本語の意味を答えよ。

はっきりいって、このやり取りは端から見るとかなり滑稽です。おそらく皆さん笑っていることでしょう。なぜだかわかります? 特定の視点から物事を捉えるなどということは、自明のことであって、いまさら論議するようなことではないからです。もし、コータさんが学会などで「特定の歴史観に基づかない」理論だとか、「無色」「無害」の歴史理論なんてことを発表しようものなら、いい笑いものになりますよ。実際に、あなたがおっしゃる歴史理論が可能であるかどうかを、専門家の方に聞いてみたらいかがですか? --M.M 2008年4月10日 (木) 21:39 (UTC)

さて、長々と非建設的な論議を繰り返してきてしまいましたが、これでようやく決着がつくことになります。これまで、コータさんは「歴史学は特定の歴史観に基づいていてはならない」、「現実としては歴史観の影響を完全に排除することはできなくとも、影響をできる限り小さくしようと努力している」と執拗に主張してきたわけですが、その論拠となっているE.H.カーの『歴史とは何か』においては、そのような主張がまったくなされていないことが判明いたしました。下記の引用文をごらんいただければ分かるように、E.H.カーは客観的な歴史家とは、事実(歴史的事実)と価値(歴史観)とがかかわりあっていることが見抜ける人といっており、特定の歴史観に依拠しない人を客観的であるとはしていないということです。これは動かしがたい事実であり、反論の余地はありません。
したがって、歴史理論は「特定の歴史観に基づく」ことを定義として明記することは問題ないという結論になります。コータさんは、自説を通すために『歴史とは何か』の一部を抜き出してきていましたが、それはまったくの誤りであり、恣意的であったということです。自らの主張の問題点には目を向けようとせず、自らの思い込みをもって正当性を主張することは客観的とはいいません。これは、Wikipedia:独自研究は載せないの趣旨にも反するものであり、このような認識をもって歴史学関連の記事を書くことは厳に慎んでいただかなければなりません。文献をしっかりと読み込んで理解することを改めて学んでいただきたいと思います。
【以下、引用】
「私たちが事実を知ろうとする時、私たちが出す問題も、私たちが手に入れる解答も、私たちの価値体系が背景になっているものです。私たちの環境の諸事実に私たちがどういう姿を与えるかは、私たちの価値によって、つまり、私たちが環境を見るときに媒介に用いる範疇によって決められております。この姿は、私たちが考慮せねばならぬ重要な事実の一つです。私たちが私たちの環境に適応するという能力も、私たちの環境を私たちに適応させるという能力も、私たちはすべて私たちの価値を通して獲得しているのです。(中略)歴史における進歩は、事実と価値との間の相互依存および相互作用を通して実現されるものなのです。客観的な歴史家というのは、この事実と価値とが絡み合う相互的過程をもっとも深く見抜く歴史家のことなのであります。」
E.H.カー『歴史とは何か』(清水幾多郎訳)岩波新書 P.195-6 太字はM.Mによる指定
議論は決着していますので、コータさんは先に私が提起した問題に答えていただく必要はありません。コミュニティが疲弊したかどうかは分かりませんが、少なくとも私は疲弊しました。 ς(_。。)_ --M.M 2008年4月11日 (金) 14:47 (UTC)
場所も参加者も限定されていますので、コミュニティはおそらく疲弊していないかと。リソースは浪費されていますが。「まったくの誤りであり、恣意的であった」とまで言われては抗弁しないわけにもいきません。疲弊されているとのことなら流されても結構ですが。カーの内容については「自分の歴史観を認識すれば客観に近づける」ということですよね?この点では見解は一致しているかと思います。では自分の歴史観を認識することがどうして客観に近づくことに繋がるのか、この点についてどうお考えですか。私は歴史家自身が、自分の歴史観を認識すればその分を差し引いて歴史を見ることができるからだと考えています。今度はおしかりを受けないように、ちゃんと引用します。
「これは歴史の役割に対するあまりにも甘い見方のように思われるかもしれません。しかし、自分は一個の個人であって社会現象ではない、と声高に抗弁する歴史家に比べますと、自分の状況を非常に鋭く意識している歴史家の方がこの状況を超越する力をもっているし、その方が自分の社会や見方と他の時代および他の国々の社会や見方との間の相違が大切であることを認める力がある、とさえ私は考えているのです。自分の社会的および歴史的な状況を超越するという人間の能力は、それに自分がどんなに巻き込まれているか、それを認める感受性の如何によって左右されるように思われます。」E.H.カー『歴史とは何か』岩波新書、1962年、p.61
冒頭の「これ」というのは度々言及されるアクトンの「歴史は時代とか環境とかからの影響から自分たちを解放するものではなくてはいかん」という趣旨の言葉をさします。ここでカーの言っている「状況を超越する」ということが「歴史観の影響を排除する」ということだと私は理解しています。M.Mさんはこの辺りをどうお考えでしょうか。少なくとも、まったくの妄想を書いたつもりはないのですが。誤読、誤解はあるかもしれませんが、恣意的にカーを使ったつもりはありません。その事だけは、はっきりと申し上げさせていただきます。
それはそれとして、「歴史理論は『特定の歴史観に基づく』ことを定義として明記することは問題ない」というM.Mさんのご意見は承りました。では(もし定義についての話を続けるおつもりがあるのなら)次に「歴史理論は「特定の歴史観に基づく」と定義されなければならないか、何故二文目以後ではならないのか」という点についてご見解をお聞かせ下さい。一応、一文目で定義されるべきでない根拠として、今までに述べた歴史観に関する努力目標以外にも、「「歴史理論」という言葉は辞書、事典などにも載っていないことから「歴史の理論」という程度の意味でしか使われていないと思われる。従って、いくら事実とはいえ『特定の歴史観に基づく』というように定義してしまっては独自研究になる」という理由も挙げておきます。もしかしたら、「歴史理論」という言葉が載っている辞書があるかもしれませんが、私が探した限り見つかりませんでした。ちなみに見付けられたなかで唯一「歴史理論」を定義していたのは高坂健次、厚東洋輔編『講座社会学1 理論と方法』(東京大学出版会、1998年、pp.50-54)でした。社会学者・歴史学者を自任されるM.Mさんには釈迦に説法でしょうけれど。これによると歴史理論は「歴史事象を対象とする社会学理論」(前掲書、p.50)だそうです。「社会学理論」と断定されているのが微妙ですが、そもそもの発議が「歴史理論を使うのは歴史学だけはない」というあたりの疑問から出ていることを考えると、一応の整合性は視野にいれるべきかと思います。--コータ 2008年4月11日 (金) 17:25 (UTC)
コータさんへ。すでに決着がついた議論をいちいち話を蒸し返さないでいただきたい。これまで私が論証してきたとおり、あなたが考える歴史理論なり、歴史学者の立場は、あなたの独自研究によるものであり、普遍性を持っていないことは明らかです。「『状況を超越する』ということが『歴史観の影響を排除する』ということだと私は理解しています」というのは、あなたの勝手な解釈でしかありません。あなたは自分の都合の悪いことは見えなくなるフィルターでも装備されているのですか。上にあなたが引用している文の最後の一文を見てみなさい。どこに、歴史観の影響を排除するなどということが書かれてあるのですか? 資料を自分の都合の良いように引用し、解釈しているから、私はあなたの見解は恣意的だといっているのです。
「まったくの妄想を書いたつもりはない」とのことですが、はっきり言ってあなたの妄想です。歴史的事象を分析していく上での基本的なスキル、いや、文章の内容を把握するための基本的スキルである「読解力」が欠如しているといってよいと思います。それから、歴史理論という言葉の有無などという論点のすり替えはやめていただきたい。あなたの議論における姿勢は、非常に不誠実です。
さて、コータさんに悪いお知らせです。あなたの主張の根幹をなしている「歴史観の影響を排除する」という見解が歴史学者から否定されています。コータさん、ピンチです!
史観=歴史を統一ある全体と認識する場合の基礎的立場。歴史的事実の認識にあたり、歴史家の史観にもとづく価値判断の立場が、史料の発見・選択を決定し、事実を再構成してゆく。史観は何を歴史の主要動因・構成要素と見るかによって決定される。 村川堅太郎・江上波夫 他編「世界史小辞典」(山川出版社)P.271(引用箇所は、「史観」という用語についての解説部分)
上記引用部分の執筆をご担当された方は、亀山健吉さんというフンボルト研究で知られる歴史学者です。これを見て、「歴史理論」についての解説ではないという異論は却下です。わざわざ説明するまでもありませんね。ところで、コータさんの「歴史家自身が、自分の歴史観を認識すればその分を差し引いて歴史を見ることができる」という見解ですが、相変わらずご自分の主張がいかにおかしなものかお分かりになっていらっしゃらないようなので、ここで解説させていただきます(ごらんの皆様、もう少々我慢してお付き合いください)。
「歴史家自身が、自分の歴史観を認識すればその分を差し引いて歴史を見ることができる」←問題となるのは、太字部分のところです。この文の文脈から考えて「その分」とは「自分の歴史観」を示す指示語であることがわかります。つまり「自分の歴史観を差し引いて歴史を見る」ということになりますね。言い換えますと「自分の歴史観は存在しないものとして歴史を見る」ということです。さらに言い換えますと「他人の歴史観で歴史を見る」という意味になります。なんと!!! コータさんは歴史に対して自己の見解を持たないことが歴史学者にとってあるべき姿だとおっしゃっているわけです。驚愕の新説ですね。と、ここで議論に参加していない賢明な皆様はもうお分かりでしょう。コータさんは「自分の見解」を認識してもいなければ、「その分を差し引いて」物事を捉えていないわけですね。自説を披瀝することで、墓穴を掘るとはやぶへびでしたね。
ということで、議論は決着しておりますので、改めてコータさんからの歴史に関する定義についての異論には答えるまでもない、と判断いたします。それでは皆様、長々とお付き合いいただきありがとうございました。 --M.M 2008年4月12日 (土) 01:05 (UTC)

M.Mさんに於かれましては少々言葉が挑発的なように思えますので、もう少し語気を抑えていただくようにお願いいたします。
コータさんもご不満はお有りでしょうが、これ以上ここで議論を続けることが意味があるとは思えないので、ここで矛を収めていただきたく存じます。勝手な言い草になりますが、ご承知いただけないでしょうか。らりた 2008年4月12日 (土) 12:08 (UTC)

らりたさん、こんばんは。「議論を続けることが意味があるとは思えない」というご指摘はごもっともだと思います。「少々言葉が挑発的なように思えます」というご指摘についても、真摯に受け止めたいと思います。ただ、この点はご理解いただきたいのですが、コータさんはご自分の主張のおかしなところを再検討することなく、自説を強硬に主張し続けていることが問題なのです。現に「世界システム論」についてのゴンベイさんとのやり取りを見ているとそのように感じます。もし現状のまま自説を主張し続けるのであれば、必ず他の記事でも同じようなことを繰り返し、編集合戦になることが十分考えられましたので、この時点でその認識を改めていただきたいと思い、あえて反論をさせていただきました。
いずれにせよ結論は出ていることですので、これ以上、この点について議論をする必要はないと思います。らりたさんにもご心配をおかけして大変申し訳なく思っております。お心遣い感謝いたします。--M.M 2008年4月12日 (土) 12:53 (UTC)
私の認識としては以前申しましたように、歴史叙述は歴史観なしには不可能とは思います。ですが、だからこそすべての歴史叙述は主観的かというとそうではなく、より合理的な歴史観を選択することで、歴史学は歴史学なりの客観性を実現しようとしている点には留意すべきと思います。ここでは深く論じられていませんが、歴史観は二重の意味で歴史を拘束します。すなわち、一つは歴史家がその歴史を叙述するときに。もう一つは歴史家が参照する史料が書かれたそのときに。したがって、歴史はすでにして史実の多くの面を捨象した形で成立するのですが、歴史学者はそれをなるべく客観的な形で復元しようとするわけです(コータさんのいう歴史観を透明にするという言葉はおそらくこの過程を指してのことでしょう)。その意味でコータさんのおっしゃることも正しいし、歴史に触れる者として尊敬すべき態度と私は思います。しかし一方で、歴史観の問題は歴史学について回る問題というM.Mさんのおっしゃることもまた然りと思います。
で、翻るに、そもそもの論点である歴史理論を「特定の歴史観に基づく」と明記すべきかどうかについては、私は明記はしなくてよいと思います。なぜならば、これは別に歴史理論についてまわるわけではなく、歴史学にそもそもついてまわる問題のように私は思われるので。現状の議論は非難の応酬になってしまっているのではと危惧します。お二方ともウィキペディアにとっては必要な方と思いますので、細かい相違点はこの際棚上げをしていただけたらと思いますが、いかがでしょうか。--Kanbun 2008年4月12日 (土) 14:32 (UTC)
Kanbunさん、こんばんは。歴史観が「歴史学にそもそもついてまわる問題」であるというご指摘は、まさしく私が主張しているところで、そのことをコータさんに理解していただきたいと思いましたので、長々と書込みをしてきました。上のらりたさん宛ての書込みにもありますように、コータさんを個人攻撃したいがために投稿をしているのではなく、ご自身の主張のおかしなところを見据えていただきたいと思っただけです。らりたさんのご指摘のように、挑発的と受け取られる表現がありましたので、その点は反省すべきであると思います。私もコータさんのおっしゃる歴史は客観的にとらえるものという観点と、歴史学が客観的であるよう努力してきたという見解には賛同します。ただ、そのようにお考えであれば、なおさらご自分の主張を他者の主張と同じ俎上にのせて、比較検討することが必要なのだということを認識していただきたいと切に願っております。--M.M 2008年4月12日 (土) 16:23 (UTC)
歴史学が客観的であるよう努力してきた事に賛成頂けたのなら私としては十分です。なにぶん、歴史学自体についての議論など学生時代以来なもので、要領を得ない説明ばかりになってしまいました。「無色透明」とかでなく、もう少しマシな説明ができればよかったのですが。力及ばす申し訳ありません。代わりといってはなんですが、福井憲彦『歴史学入門』(岩波書店、2006)と浜林正夫、佐々木隆爾『歴史学入門』(有斐閣、1992)の二冊を紹介させて頂きます。『歴史とは何か』と併せて読み返して頂き、「この辺のことを言いたかったのかな」とか、「ここの所を誤解したのだな」などと御確認頂ければとおもいます。同時にM.Mさんから見て「歴史学とは何か」、「歴史学の目的は何か」という事について改めて考えてみる機会として頂ければ幸いです。
らりたさん、Kanbunさんにおかれましても、仲裁に入って頂き有り難う御座いました。ちょうど、月曜早朝より出張に出なければならなくなったため、時間が足りず落とし所に困っていた所でした。 --コータ 2008年4月12日 (土) 17:36 (UTC)