コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:武蔵高等学校 (旧制)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

新規に立項しました

[編集]

この記事はもともと、独立した項目ページとして存在していたのですが、独立記事としては分量・内容ともに不十分なもので、かつ立項後、長い間編集加筆がなされなかったことから(この点については後ほど説明します)、Redaktoroさんの提案によりいったん武蔵中学校・高等学校のページに統合されました。その後私が独自にアクセスしたソースを元に一から独立記事を執筆し(したがって統合以前の記事内容との継承関係はありません)、当該ページに提示して独立記事としての再度立項を提案し、特に反対意見もなく十分な移行期間を経たため、新規に立項したものです。なお、当初提案されていた記事草案のうち、根津嘉一郎を中心とした根津育英会の設立経緯、同会の財政状況に関わる部分は、こちらの項目よりも学校法人根津育英会武蔵学園のページで言及することがより適切と考え、そちらに移しました。
いったん別項目(新制後身校の記事)に統合されていたこの項目を改めて独立記事とするについては、いくつかの意義があると考えます。以下の3点は、当初の立項提案からのコピーペーストに若干の加筆を施したものであり、立項提案とともに現時点では基本的には承認された内容と考えます。

  • 日本最初の私立・7年制旧制高等学校であり、根津嘉一郎という一財界人のほとんど個人的な資金拠出によって設立されたという経緯、また7年一貫教育という特殊な教育方針、根津化学研究所という附属研究施設、さらに新制大学でなく新制の中等教育学校に継承されたという移行の経緯など、どれをとっても特筆性に値します。
  • 現存の新制学校と継承関係をもつ旧制学校の記事を立項することは広く許容されており、旧制武蔵高等学校以外の旧制高等学校は、すべて独立項目が作成されております。現存の新制学校の記事との適切な役割分担をはかることは十分に可能であり(後出)、旧制武蔵高校のみを例外とする、特に有力な根拠は見当たらないように思います。
  • 新制武蔵中学校・高等学校との継承関係が強いのは同校において特徴的ではありますが、高等教育機関である旧制武蔵高校とは学校制度上、別物であることは否みがたく、旧制武蔵高校の歴史を紹介するソースにおいてはいずれも「1950年において旧制高校が終焉した」ことが述べられており、ここに大きな校史の断絶を認めるのは当然の見方であろうと考えます。

なお、この項目の編集にさいして、過去、記事内容の一部を議論や合意を経ることなく(かつ記事継承の手続きを踏まず)武蔵中学校・高等学校に移動された経緯があります。この点は当該ノートで既に指摘されており、2007年3月6日の編集([1]および[2])がそれに相当するものだったと考えられます。統合以前のこの項目が、立項後ほとんど加筆編集がなされなかったのは遺憾なことでありますが、同時に新制後身校の記事との適切な役割分担が機能しなかったことは(私も含め)きわめて問題だったと思います。したがって、この項目が新規に立項されて以降は、他の多くの旧制学校記事でなされているような、現存の新制後身校(および経営母体たる学校法人)の記事との適切な役割分担をはかるような努力が払われるべきでしょう。具体的には、武蔵中学校・高等学校のページにおいて、旧制時代の沿革に関しては、このページ(あるいは経営母体である学校法人根津育英会武蔵学園のページ)においてより詳細な加筆編集がなされるよう、誘導のテンプレートを付するなどの措置が必要であると考えます(もちろん後身校に継承された教育方針などの記述については、一部重複するのもやむを得ないことと思います)。また、当然のことではありますが、この項目の記事の一部を他のページに統合・移動(コピー移動ではなく)するに際しては、このノートでの議論・合意の手続きが守られなければならないでしょう。以上さしあたり。--Straysheep会話) 2013年6月20日 (木) 05:29 (UTC) (加筆修正)--Straysheep会話2013年6月20日 (木) 05:42 (UTC)[返信]

この記事ページへの転送ページ「旧制武蔵高等学校」を作成しました。--Straysheep会話2013年6月20日 (木) 17:25 (UTC)[返信]

尋常科についての記述

[編集]

この項目の新規立項提案に際して、Redaktoroさんから旧制中学に相当する本校の尋常科の記述について、いくつかご意見を頂きました(ノート:武蔵中学校・高等学校#独立記事「武蔵高等学校 (旧制高等学校)」の立項提案における同氏の2013年6月7日のレスを参照)。以下、それに対する応答になっているのかどうか分からないのですが、さしあたりの所見を述べたいと思います。
私自身、旧制学校については、特に高等教育相当の学校(旧制大学・旧制高等学校・旧制専門学校・高等師範学校)を中心に手がけていたので、確かにご指摘の通り、7年制の旧制高等学校については、どうしても尋常科よりも高等科に偏った記述になりがちであったことは否定できません(最近書いたものでは高等師範学校の附属学校(旧制の中学校・小学校・幼稚園)については、比較的高等教育以外の記述を充実させるよう心がけているつもりです)。これは記事を作成する際に参考にするソースの内容の問題と思いますが、全体的に7年制といえど高等科中心の記述がなされる傾向によるところが大きいと思います(よく分からないのですが、尋常科は高等科の「おまけ」のような意識なのでしょうか)。高等教育機関ですと後身の新制大学が包括校の歴史ということで、前身の学校をわりと詳しく紹介してくれるし、個別大学の正史(いわゆる「校史」ですね)ならば、手元になくても図書館に行けば比較的アクセスしやすい文献です。また浩瀚な「校史」ではないにせよ、新書レベルの入手しやすい概説書もいくつか出ており、研究者による第三者的な立場からの研究書も多数刊行されています(代表的なものでは、古いものですと週刊朝日連載の記事をまとめた『青春風土記 旧制高校物語』、最近なら秦郁彦氏の『旧制高校物語』(文春新書の方です)、天野郁夫氏の『大学の誕生』『高等教育の時代』などでしょうか)。
しかし中等教育相当の旧制学校については、歴史の古い学校であっても、後身である新制高校の公式HPで校史まで詳細に紹介してくれている学校は、ごく少ないように思います(例外的に、国立大学の附属学校のHPでは、高師の附属学校時代について比較的詳しいように思います)。私を含め旧制学校の記事を手がけている人が、あまり中等以下の学校記事に手を出したがらないのは、そういう事情もあると思います。
以上は一般的事情ですが、旧制武蔵高校の個別事情に限定していえば、実際記事を執筆して分かったのですが、尋常科と高等科が渾然一体となっている組織(ご存じのように、この学校においては意図的にそういう方針がとられたのですが)であるため、尋常科に限定した記述というのは、実際のところ非常に難しいところです(このあたりは、いちいち繰り返すのも煩雑ですので、本記事およびソースとした外部リンクなどをご参照ください)。そういうこともあって、もし旧制の尋常科と高等科を厳密に区別しようとするならば、前者についての記述は、当面新制後身校の記事(武蔵中学校・高等学校)に分担してもらうという方法もありうるかも知れません。--Straysheep会話2013年6月20日 (木) 06:29 (UTC)[返信]

この項目への転送ページ「武蔵高等学校尋常科」を作成しました。これにともないCategory:日本の旧制中等教育学校へのリンクはそちらに移しました(なお、同時に他の7年制旧制高等学校8校の項目についても同様に各校尋常科からの転送ページを作成し、リンクの付け替えを行いました)。--Straysheep会話2013年7月2日 (火) 18:18 (UTC)[返信]