ノート:正本堂 (大石寺)
正本堂取り壊し
[編集]- 正本堂は白い大理石で覆われ、完成したときは白く輝いていた。
- 数年すると大理石の表面は雨水の跡が黒く残り、また内部の鉄骨のさびが表面に赤く浮き出てきた。
- 数千万を懸けて化粧直しを施したが、あまり効果がなかった。
- 外壁を支える金具がさびて、外壁が落下するという事故が起きた。
- (すべて事実なので隠蔽しないように願います)Tetralemma 2005年12月21日 (水) 03:40 (UTC
慧妙は日蓮正宗の機関誌で、中立ではないので、必ずしも事実を裏付ける資料にはならない。ここは、解体の理由は判然としない。若しくは現在も議論中、とした方が中立であると思う。 Mastu123(会話) 2019年9月6日 (金) 06:41 (UTC)
取り壊しの理由
[編集]- 池田大作の増上慢とあったが、リンク先の意味をどう解釈しても、=増上慢にならないと思う。のでこの記述は疑問。そうであって、そうでないのが自負ではないのか。
教義でそうなるのなら或いは、それを理由に過去の供養を無いものとするのも増上慢にあたるのではないかと思う。これは日蓮正宗の問題なのでここではふれないが・・・ :--220.105.32.199 2008年7月15日 (火) 02:28 (UTC)
- 増上慢かどうかは、事実とは関係がない。判断の是非は辞書に載せるべきではない。ただ、池田大作がどういうことをしたかは事実を記載するべきではある。しかし、争いになるので、控えておく。[1]Tetralemma 2008年8月16日 (土) 15:19 (UTC)
- 「正本堂取り壊し」という事実に対し、「創価学会が過激に反応している」という事実が発生し、その理由が、取り壊しの権限を持った主体者である宗門側が「池田大作が増上慢になったと判断した」という事実である。2009年2月1日(日)(JNK)
その後の経過
[編集]- 正本堂に関しては池田大作が執拗に宗門批判を取り壊し決定から2009年1月現在に至るまで行っている。当然の成り行きとして39件の創価学会員による訴訟が起こされたが、創価学会員側が全敗したという事実は銘記されるべきであって、削除されるべきではない。2009年2月1日(日)2:58(xyz)
正本堂の評価
[編集]正本堂の評価について、境内の景観を先進的外見をしていた正本堂が損ねていた、とだけありますが、それは日蓮正宗側の主張だけであり、正本堂が数多くの賞を受賞したことや、多くの建築家や建築協会から評価されていたことも同時に記載されなければ、中立な評価とはいえないのでは。なので評価については、良い評価と悪い評価の2つに分けるべきかと。 Mastu123(会話) 2019年9月6日 (金) 06:34 (UTC)
正本堂の位置づけをめぐって
[編集]日蓮正宗側の主張のみが主に書かれており、客観的ではない。日蓮正宗の主張と創価学会の主張の両方をそれぞれ併記するべきである。 Mastu123(会話) 2019年9月6日 (金) 06:44 (UTC)
創価学会の破門と正本堂解体
[編集]文章の最後の方に「ただし、日達法主時代の1979年に宗門側がすでに創価学会の「逸脱」を批判し始めている。」の部分は、当時宗門は公式には創価学会批判を禁じており、従って1979年時点で創価学会を教義逸脱等と批判したのは後に正信会を結成する宗門の若手僧侶等であると認識している。だがこの文言では、あたかも宗門そのものが創価学会を批判しているように受け止められかねないので削除しておく。文句があればどうぞ。 Mastu123(会話) 2019年9月8日 (日) 00:47 (UTC)
匿名者による文章の大幅な削除について
[編集]創価学会のプロパガンダと決めつける具体的な根拠を明示していただきたい。 Mastu123(会話) 2021年11月11日 (木) 19:34 (UTC)