ノート:機動戦士ガンダム00/プトレマイオスのガンダムマイスター
ここは「プトレマイオスのガンダムマイスター」節及びその前に置かれる節「プトレマイオス」に関する整理を実行するための議論用ページです。
刹那・F・セイエイ
[編集]意見募集
[編集]現行の記述に対する変更案と方向性などを出し合います。
- ソレスタルビーイング前文の整理が完了したので、そろそろこちらにも取り掛かりたいと思います。
- CB前文での議論でも述べましたが、主人公とはストーリーの中心となり物語を牽引し、物語上の最大の問題に立ち向かい、物語の主題を実行するキャラクターであるはずで、個人的にも刹那・F・セイエイについての詳細な解説は作品の主題や特色を示すことにも繋がる有益な内容だと考えています。刹那は元々無口で秘密も多く、解説が難しいキャラだと思いますが、彼の「ガンダムを戦争根絶を体現する存在として捉え自己同一化の対象とする」という特徴は、あらすじには絡まない内面的な事柄でありつつも、刹那というキャラクターを解説する上では欠かせない主題であり、また彼の「俺がガンダム」「ガンダムになれない」「俺たちがガンダム」「俺のガンダム」といった台詞の変遷を辿っていくことで、彼が向き合ってきた困難のうち重要なものを拾っていくことが可能だと、私は考えます。ですが今の刹那は主人公として彼を駆り立てていた原点となる出来事(オーガンダムとの出会い)の意味を覆されアイデンティティを揺さぶられている状態であり、彼自身も2nd第16話で「俺自身を変革させる」など、今まで背負ってきた主題を覆すことを伺わせる発言をしています。恐らくその変化については後の更新で盛り込まなければならず、今は流動的な状況であり記事を書きにくい状況ではありますが、この機会をひと区切りの節目と捉え「変革する前までの刹那」の軌跡を整理するのもよい機会なのではないかとも思っています。
- 個人的には刹那のガンダム信仰のバックボーンが、かつて信仰に裏切られたことに端を発している点や、以前から彼を苦しめている親殺しの過去について、新たに記事に盛り込むべきだと考えています。なぜなら彼が神への信仰とガンダムへの信仰との二度に渡って裏切られたことは、刹那のアイデンティティを大きく揺さぶる物語上の特筆すべき困難であると考えられ、いずれ2nd第16話を含めた今後の刹那の行動を説明するために必要となってくる記述だと思うからですが、今後の刹那がどのような結論を導くかが流動的だという状況も含めて、どのように書けば良いのかは悩むところです。また、1st第22話でトランザムを託された際にイオリアから「CBの為ではなく君たちの意思で」戦うことを求められた辺りから、刹那が「意思」を連呼しているのも、同様に重要な変化だと思われ盛り込むべきだと思っているのですが、2nd第16話で「意思」を掲げるブシドーに対して「だが今は、そうでない自分がいる」とも発言しており、やはり流動的なので悩むところです。
- 現在の記述について。公式サイトなどで「元少年兵」として紹介されている刹那ですが、ディランディ兄弟との絡みではどちらかと言うと「元テロリスト」としての一面が強調されているようにも思え、「テロ組織KPSAの少年兵」などといった紹介に改められないものかと考えていますが、うまい記述が思いつかずにいます。また現在の記述には「~出会いを経て少しずつ変わっていき」とありますが、刹那は精神的な変化が著しいティエリアなどと比べて、精神的に成長したり態度が変わったりしているような描写が少なく(余談ですがMS操縦技術にしても1stの終盤にもなってアレハンドロから未熟呼ばわりされており、またブシドーから指摘された射撃の上達についても1st終了後から2nd開始までの間と解釈する余地があります)、2nd第16話という終盤の展開になってようやく出てきた「俺自身を変革させる」発言についても、それまで大きく変化する必要に迫られていなかったことの裏返しであるとも受け取れ、1st時点での彼を成長キャラであるかのように見なす記述は正しくないような気がしています。他人との接し方が作中で変化しているのはまあ間違いないと思うのですが、ここは「周囲に認められていき」のような記述の方が相応しいように感じてます。--Kanohara 2009年1月31日 (土) 19:43 (UTC)
- 変わっていると評価する根拠としては、Kanohara氏も挙げられている台詞に、「俺がガンダム」→「俺たちがガンダム」となっている変化があると思います。そのあたりが「少しずつ変わって~」という表現となっていると考えました。また、2ndにおいてはアレルヤが発見されたとの知らせに笑顔を見せている、ということもあります。
- 書き方としては、全体の流れとして必要な部分を先に持っていく、次に1st及び2ndでのそれぞれの部分を記述する、という方法になるのではないでしょうか。--春日椿 2009年2月1日 (日) 10:13 (UTC)
- まあ、その辺の分析をするのは我々の仕事ではないので(我々が許されるのは誰かが公にリリースした分析結果を要約してまとめることだけ)、本編内容だけでそれを書くとほとんどが発表済みの情報の合成になりやしないかと心配ですが、一般論では説明に骨が折れるので下書きは見てみようかと思います。--KM-0901 2009年2月2日 (月) 14:23 (UTC)
- (追記)前文議論の時に「下書き練りこみ」節がリンクリストみたいな使われ方をしていましたが、その節は下書きが何度か更新された際に上から読んでいって議論の内容が下書きの変遷も含めて追えるように用意したものなので、下書き1版ができたらそのリンクを張って、それに関する議論はその下に行い、下書きが改定されたら1版に関する最新コメントの下に2版のリンクを張って、それに関する議論はまたその下から始めるという使い方が良いと思います。--KM-0901 2009年2月2日 (月) 14:41 (UTC)
- 他に意見も出てこないようですし、この機会に文章も推敲したい思いがあり、独断でこつこつ下書きの文案を考えてはいるのですが、正直難航中ではあります。
- 現在の記述から独自研究を廃していくことも整理の課題ではありますね。ぼちぼち一次情報だけで記事を書くことにも限界を感じてきたので、アニメ雑誌や特集本なども物色しています。刹那のガンダムへの想いを信仰と解釈したり、台詞における「ガンダム」を「自分救ったガンダムのような存在」と言い換えて説明したり、刹那の変化について「周囲と打ち解け性格が変わった」「マリナとの出会いで少しずつ変わっていった」のように表現することに関しては出典を確保しましたので(日経エンタテインメント!『新・大人のガンダム』日経BP〈日経BPムック〉、2008年12月24日。ISBN 978-4-8222-6328-7。)、これらは<ref>{{Cite book}}</ref>のような形で文献を示せると思います。しかしこの書籍に載っているサブキャラクター紹介、本項の記述と似通った箇所が何箇所かあり、思わず発売日の版に遡って著作権侵害を確認してしまいました。ひょっとすると本項を参考にしているのかも知れません。--Kanohara 2009年2月7日 (土) 16:14 (UTC)
- 突然すみません。刹那のセリフの変遷は、CBのアロウズのメカニックに対する認識(主にはGN-Xシリーズ)にも起因していると思われます。「ガンダム同士の戦いになる」とは1stでのスメラギの弁ですが、CBはたとえ疑似的なものであろうとGNドライヴを搭載したGN-Xをガンダムタイプと認識しているので(公式な資料にその記述がありました。資料名は覚えていないのですが)、「CB製のガンダム」と「国連(連邦・アロウズ)が保有するガンダム」の違いを強調するために、刹那はダブルオーに搭乗し初出撃した際に「これが、俺達のガンダムだ」と叫んだのだと思われます。この作品における「ガンダム」の認識は(少なくともCBにとって)、「GNドライヴを搭載したMS」ということなのだと思われます。小説にもたびたび「太陽炉搭載型」と書いて「ガンダム」と表記していますから、この件に関しては私の推測ではないです。Kanoharaさんの意見には賛成です。確かに現在のところ独自研究が多いように感じます。なので、本編で描写されたことと、公式資料で記されたことのみ残して、残りは切り捨てた方がいいと思います。正直今の状態では目によろしくないほど字の量が多いですから。--Jack Tlam 2009年2月10日 (火) 13:48 (UTC)
- 資料名を覚えておられないのなら、GNドライヴを搭載したGN-Xをガンダムタイプと認識しているということは記述できる情報ではありません(思い出されたらその限りではありません)。
- そろそろ練り込み段階に移りましょうか。--春日椿 2009年2月10日 (火) 14:11 (UTC)
- 個人的には、発表済みの情報の合成を避けつつ出典に即した内容にすることと、文章量を改善することは、相反するものと思っています。出典の内容を正しく引用したり要約したりするためには、曖昧な記述を避けて回りくどい書き方をしなければならない場合もあるからです。--Kanohara 2009年2月11日 (水) 13:55 (UTC)
下書き練りこみ
[編集]下書きを執筆中ですが、一目見れば分かるように、ちと頓挫しています。個人的には作中において重要な変化だと考えている刹那の「俺の意思」発言を、1st第22話におけるイオリアの「CBの為ではなく君たちの意思で」という台詞と結びつける出典が見つからなかったため、「少しずつ変わっていき」の内容を具体的にするのと併せて記述するよう試行錯誤していますが、他の内容共々、どうしても簡潔にまとめ切れずにいます。この文章量は明らかに内容過剰で、整理の趣旨とも反するので、推敲して後日改めて提示するつもりでいますが、この段階での意見などあれば参考にしたく思います。--Kanohara 2009年2月11日 (水) 13:55 (UTC)
私の現在の文章の修正案は、このくらいではないかと思っています(工事中以後の内容の加筆分はまだしていません)。--春日椿 2009年2月11日 (水) 15:05 (UTC)
- ううむ、春日椿さんの案を拝見しましたが、(私の案は論外としても)ここまで削ってしまうと正直、刹那・F・セイエイがどのような特色を持つ主人公で、主人公として何を成し遂げたのかという説明を果たしきれていないようにも感じますし、残った記述の多くも削り残しに過ぎないという印象を受けました。例えば「CBに所属する」こと自体はCB節に置かれている以上は当然のことであり、書く必要がないでしょう。またサーシェスとの関係は「絆」と呼べるものではないと思いますし、「自らの意志で戦うことを決意する」のは、どのような文脈で発せられた決意なのかが書かれていなければ無意味な内容で、少なくとも作品を見ていない人には伝わらないと考えます。「連邦やアロウズ」に「憤りを感じて」いるのは、プトレマイオスに属するマイスターに共通する認識であり、他のマイスターにはない刹那の特徴とは言えないと感じますし、「最終決戦以後消息不明となる」ことも「再びCBに合流する」以上、1stと2ndをひと続きの作品として捉えればあまり重要ではないエピソードのように思えます。これらの説明の多くは、プトレマイオスのガンダムマイスター節の前文に書くべき内容(そうすることで他のマイスターの説明を簡略化することにも繋がる)と思えますが、それらを省いて残る記述、例えば出身地や本名や体重といったプロフィールは、刹那・F・セイエイという登場人物が物語上でどのように位置付けられる人物なのかを表現できておらず、単なるデータベース的な内容に近づいているようにも感じます。--Kanohara 2009年2月12日 (木) 03:10 (UTC)
- 削りすぎでしょうか。元の文章と比べて「すぎ」と言うほどは違わないと考えます。「刹那がどのような特色を持つ主人公で、主人公として何を成し遂げたのかという説明」は不要ではないかと思っているので。もっと削れるんですが、ある程度は残そうと思っていて。絆についてはかかるのは仲間だけ、前の2人については今後リボンズにかかわる部分も加筆する段階で「との対峙」とでもしようかと思っていました。今回、以前の全体的な合意事項については、それに沿うか再考するべきかということを考えているのですが、再考は少なくとも個々の整理でするべきことではないと思うので(そのあたりは全体で統一するべきでしょう)、沿う形で修正しています。例えばデータ情報についてはメインのマイスターのみ記述するということになっています。--春日椿 2009年2月12日 (木) 10:41 (UTC)
- 何度も述べている通り、私は主人公とは作品が世間に向けて訴えかけるテーマを体現した存在であると考えています。主人公がとのような特色の主張を掲げ、どのような困難に立ち向かい、何を成し遂げようとしたのかを明らかにすることは、作品の影響などを語る上で必要な記述ではないでしょうか? 少なくとも登場人物の肩書きと死亡理由のみを書き連ねていくような記事は「百科事典的な記事」とは呼べないと考えます。個人的にはトリニティやアレハンドロに関する記述は、主人公の主題と対立する概念の提示や、克服すべき困難を示す意義があり削るべきではなく、記述を膨らませることで記事を有益な内容にできると考えています。--Kanohara 2009年2月13日 (金) 19:40 (UTC)
- それに対しては別の見方をもっています。主人公だから影響が大きいものだとは、一概に言えないのではないでしょうか。また、作品の影響を語る上で必要という観点で記述を決めるなら、現在は全くその議論に適さない時期だと思います。あくまでも現時点では作品の理解に必要な記述、という観点ではないでしょうか。--春日椿 2009年2月17日 (火) 18:41 (UTC)
- 理解に必要な記述となればなおのこと、この作品の主人公がどのような存在であるのかを明らかにすることが必要だと考えます。明言しておきますが、私には春日椿さんの「主人公だから影響が大きいものだとは、一概に言えない」「刹那がどのような特色を持つ主人公で、主人公として何を成し遂げたのかといった説明は不要」といった主張は、到底受け入れ難い主張です。例えば辞書や事典などにおける作品解説、例えばgoo辞書の罪と罰解説などには、ラスコーリニコフがどのような思想の元に何を成し遂げようとし、どのような困難に脅かされ、他の登場人物との相克の末にどのような変遷を辿ったのか、といった内容が(短く簡潔にではありますが)紹介されています。物語の主人公が作中でどのような人物として描かれたのかという内容は、物語の最小単位であり、作品を理解する上で欠かせない内容だと考えます。ウィキペディアとして有益な記述とは本来そのような内容であるはずで、その核心部分を「不要」と切り捨てるのは、その他作品の理解を助けるために存在を許されている補助的な記述の意義すら失わせ、記事を一ページ丸ごとゴミの山へと変えてしまう意見であると考えます。我々がこうして整理のための議論に参加しているのは、有意義であるべき記事をゴミの山にしないためであったはずで、もしWikipediaにそのような記述を書くことは許されないとするのならば、私はWikiepediaにおけるフィクションの記事に登場人物の節は不要とする主張、或いはフィクションの記事すら不要、という結論に賛同せざるを得なくなります。しかし、そもそも私が知っている百科事典とはそのようなものではないはずで、ゆえに私は、刹那・F・セイエイの主人公としての特色を明らかにし、何を成し遂げようとしているのかという記述が必要だと考えます。
- 一方で、刹那はCBという組織の一員であり、四人のガンダム操縦者の一人という位置付けゆえに、物語に占める存在感が限定されるという側面はあるでしょう。実際、サンライズ公式サイトでは、刹那が主人公であるとは明記されていません。ただし刹那が主人公として扱われていることはMBS公式サイトや手元の資料にある水島監督の発言などで明言されており、これを覆して「刹那は主人公ではない」とする主張をWikipediaに載せることは不可能でしょう。そして記事中で刹那・F・セイエイを「作品の主人公である」と紹介する以上は、作品解説の一環として、この作品の主人公がどのような人物であるのかを明示しなければならず、刹那の影響力の大小は我々が判断することではないと考えます。影響力が小さければなおのこと、あらすじ節に書ききれない内容を、登場人物節でフォローする必要があると考えます。
- なお、恐らく春日椿さんは「主人公の特色や作中の行動内容などはもっと短く簡潔な文章で全て言い表せる」という考えておられると見受けますが、刹那の「ガンダムになることを模索し続ける」という概念は、個人的には一言では読者に伝わりにくい概念だと考えていて、説明にはある程度の例示が必要だと考えています。少なくとも個人的には「単純明快な成長キャラクター」として紹介することは、作品から受けた印象と異なります。あと、マリナ姫との交流による変化については、戦うことへの迷いや逃避という後ろ向きな一面(夢に現れて「もう戦わなくてもいい」と誘いかける場面など)も描かれており、その影響を他の登場人物と同列に扱うのは不正確な記述なのではないかと考え始めています。--Kanohara 2009年2月18日 (水) 20:44 (UTC)
- 私は、「主人公だから」最も優先するべき存在、とは一概に言えないと思っています。Kanohara氏の主張されている内容は、「主人公以外の解説上重要な人物」がいるからこそ、「結果的に主人公の記述が重要となっている」ということなんではないかなと思います。例えば、「主人公だから最も優先するべき」となれば、もう一人の主人公についても書かなくてはならなくなりますが。
- 例示するということについては、何が一番特筆する例なのかということで、難しいと思います。--春日椿 2009年2月19日 (木) 13:45 (UTC)
- 失礼ながら春日椿さんが執筆中の、最新の下書きも拝見しましたが、この方向性で削っていって残った内容は、記事中の固有名詞を他の作品の主人公、例えばシン・アスカとその関連人物・用語に置き換えても概ね意味が通ってしまうような、本作をよく知らない人に対して「ガンダムシリーズの主人公の一人である」以上のことを説明できない内容なのではないかと懸念します。娯楽作品における主人公の役割なんてどの作品でも似たり寄ったりなのだから、そういった記述に落ち着くのは当たり前、というニヒルな境地には辿り着けそうにはありません。「主人公以外の解説上重要な人物」の誰と関係を結んだのかがその主人公のオリジナルであり解説すべき事柄だとするなら、関連人物を列挙するだけでなく、その人物とどのような関係性を結び、どのような影響を受けあるいは与えたかという記述も必要になると考えます。
- 例示について。アニメ雑誌などの出典で取り上げられているものが望ましいと思いますが、例示に限らず、何が最も特筆する記述なのかを決めることも、今回の整理作業の趣旨であると考えます。個人的には、刹那の例だと「俺がガンダムだ」などの一連の台詞に沿ったものが望ましいと考えます。--Kanohara 2009年2月19日 (木) 18:40 (UTC)
- ええと、こちらにまだリリースしていない下書き最新版については、上でKanohara氏が、「刹那の項目に最終決戦以降の詳細な経緯は不要」とおっしゃったので、一回それを反映したものを検討しようとしただけなんですが。
- 例えば対人関係で言うと、今のところ私が見た範囲では仲間との絆に関するものが多いように思われます。一期のころはOP映像との関連で「マリナを救えるのか」といった特集もあったように記憶していますが、他は見ていません。--春日椿 2009年2月20日 (金) 12:18 (UTC)
- それに対しては別の見方をもっています。主人公だから影響が大きいものだとは、一概に言えないのではないでしょうか。また、作品の影響を語る上で必要という観点で記述を決めるなら、現在は全くその議論に適さない時期だと思います。あくまでも現時点では作品の理解に必要な記述、という観点ではないでしょうか。--春日椿 2009年2月17日 (火) 18:41 (UTC)
- 何度も述べている通り、私は主人公とは作品が世間に向けて訴えかけるテーマを体現した存在であると考えています。主人公がとのような特色の主張を掲げ、どのような困難に立ち向かい、何を成し遂げようとしたのかを明らかにすることは、作品の影響などを語る上で必要な記述ではないでしょうか? 少なくとも登場人物の肩書きと死亡理由のみを書き連ねていくような記事は「百科事典的な記事」とは呼べないと考えます。個人的にはトリニティやアレハンドロに関する記述は、主人公の主題と対立する概念の提示や、克服すべき困難を示す意義があり削るべきではなく、記述を膨らませることで記事を有益な内容にできると考えています。--Kanohara 2009年2月13日 (金) 19:40 (UTC)
- 削りすぎでしょうか。元の文章と比べて「すぎ」と言うほどは違わないと考えます。「刹那がどのような特色を持つ主人公で、主人公として何を成し遂げたのかという説明」は不要ではないかと思っているので。もっと削れるんですが、ある程度は残そうと思っていて。絆についてはかかるのは仲間だけ、前の2人については今後リボンズにかかわる部分も加筆する段階で「との対峙」とでもしようかと思っていました。今回、以前の全体的な合意事項については、それに沿うか再考するべきかということを考えているのですが、再考は少なくとも個々の整理でするべきことではないと思うので(そのあたりは全体で統一するべきでしょう)、沿う形で修正しています。例えばデータ情報についてはメインのマイスターのみ記述するということになっています。--春日椿 2009年2月12日 (木) 10:41 (UTC)
下書き練りこみ2
[編集]個人的には、どうせ削るならもっと別の箇所を削り、最終的にこのような方向でまとめることを理想としています。なおグラハムに関しては、ミスター・ブシドーの正体が彼であった場合、彼とはまだ勝負が付いていないと考えられ、記述を見合わせました。ただし今回例示したものは個人的な作品解釈が入っていますし、合意なく元の文章を大きく変えてしまっている上、上記で意見募集した内容も反映されていないので、このままでは使えないものと考えます。もっと出典の解釈を厳密にし、特定の観点に誘導するような記述を避けた、回りくどく婉曲な表現を使う必要があると思います。--Kanohara 2009年2月13日 (金) 19:40 (UTC)
- わかりずらくなっているのでインデントを変えました。前回の際の指摘はこういうことだと思います。一部に関しては、本当にそのように文を繋げていいのか(内容が繋がっているように感じましたので)どうかという思いはあります。修正する際に、回りくどい表現を使おうとされるのならば、それは書かなくていい・書くべきではない・書けない部分だと思います。現時点で妥当なのは修正案2ではないかなと思います。--春日椿 2009年2月17日 (火) 18:41 (UTC)
- 出典に即した回りくどい表現は、出典の明示と共に「<ref>○○にはこのように説明されていた。出典○○。</ref>」のように表現する手もあるかも知れません。相変わらず滞っていますが、もう少し考えてみます。--Kanohara 2009年2月18日 (水) 20:44 (UTC)
- 僕の想定していた形式で議論を進めていただこうとしているようですので、再度フォーマットを整えておきました。とりあえずKonoharaさんの下書き3を拝見したのでそれについてのコメントです。
- まず最初の段落は出典が付いているのでそんなに渋い顔をしないで済みました。それらを確認しているわけではないので何とも言えませんが、個人的には出典があるなら作品やキャラの解釈を載せることに反対はしません。実際、純文学などで「学術的研究」と言ったら作品解釈やら時代背景や作者の人物像からの作品考察もそのなかに入りますから、知の集合としては間違っちゃいないんだろうと思います。ただし、作品の解釈に関する記述では誰がその解釈を与えたのかは本文中に明記しておいた方がいいと思います(出典はあくまでもその情報が載っていた「場所」を示すだけなので)。現在の文章ではその解釈が公式見解なのか、スタッフの誰か個人なのか、評論家なのか、役者なのか、またはファン対象の調査でそういう結果が出ているのかなどが不明確であるように思います。いずれ(といっても数十年単位ですが)複数人の解釈を併記する時が来るかもしれません。中立的観点をまもり、この文章の解釈が必ずしも万人にとっての絶対でないことは読者にも注意してもらわなくてはならないでしょう。
- 二番目の段落は、現段階ではない方がいいかもしれません。作品が完結していないために実況中継のような感が否めませんし、出典を付けなければならない部分も多そうです。
- 最後に、「トリニティ」「イノベイター」はここで初出なので、このままでは上から読んだ時エラーが出ます。他のキャラの解説でも今後頻出しそうなのでCB前文に組織構成を軽く説明する必要があるかもしれません。二段落目を残す場合に限りですが、同様の理由でサーシェスやマリナ、アレハンドロがグレーゾーンにいます。どうしても残したいなら名前の前につける説明はその人物と現在紹介しているキャラとの関係にした方がいいでしょう。信条や行動理念に関しては必要ならその人物自身の解説文で盛り込めばいいと思います。「師」や「第1皇女」なら初見でもなんとなく想像はできますが、今のままではまるで解説済みのキャラのような感じです。
- それから、出典について今後の事も考えてひとつお話が。以前、この記事だったか他の記事だったか、本編で明示されている内容の出典は提示するのかという話をしたことがあります。当時は「そこまでしなくても」という結論だったと思いますが、1年ほどこの記事の編集に関わってきた結果、後からの検証のためにも、また初心編集者が個人解釈で適当な加筆をすることに注意を促すためにも、第何話だったのかくらいは付けた方が管理上効率がいいかもしれないと思ってます。都合上、途中でストップしているのですが、二期がはじまったばかりのころその辺の事を考えて一期をはじから見直していたことがあります。--KM-0901 2009年2月22日 (日) 08:46 (UTC)
- ううむ、「トリニティ」「イノベイター」「アレハンドロ」については、あらすじに記載されるべき内容であると考えます。これらをCB節前文で説明するという提案は否決されていますし、登場人物の項目でも同様に、(現在コメントアウトされている)あらすじの内容は既に読んでいることを前提にした記述で良いのではないかと考えます。--Kanohara 2009年2月22日 (日) 23:54 (UTC)
- 出典に即した回りくどい表現は、出典の明示と共に「<ref>○○にはこのように説明されていた。出典○○。</ref>」のように表現する手もあるかも知れません。相変わらず滞っていますが、もう少し考えてみます。--Kanohara 2009年2月18日 (水) 20:44 (UTC)
- なるべく出典のある回りくどい表現に改めてみました。ちと長くなっているのでもう少し削りたい所です。
- 個人的には、ソラン・イブラヒムという本名については、(ロックオンやスメラギなどと異なり)彼をその名で呼ぶ登場人物がほとんどいないことから、個人的には省略しても構わないのではないかと思っているのですが、今回の修正では一応入れておきました。それと両親を殺害したこと、信仰に裏切られたことについては、自分の提案でもあったので今回は入れています。
- マリナとの関係や、CB節前文で否定的な意見があったイノベイターとの敵対関係については、記述の根拠となる1次情報や出典を厚めにし、その内容にも触れています。ただしWikipediaでは引用の解釈について賛否があるのて、あまり詳細に載せるのもどうなのかなと迷うところです。Oガンダムのマイスターの正体を知って以降の展開については、まだ状況が流動的なこともあり、合意は難しいようにも思えますが、とりあえず仮の記述を入れています。
- アザディスタンについては、刹那の故郷に関係した地名であることだけ説明すれば、後はアザディスタン節で説明すれば良いと考えています。また、刹那は寡黙という割にはよく喋るし、他者の干渉を拒み常に一定の距離を置いているという設定も1st中盤までの設定であり、最初は仲間と打ち解けていなかったことさえ伝わればよいと考え寡黙設定は省略しました。グラハムとの対決については、先述の通り(もしブシドーの正体が彼であった場合には)まだ決着が付いていないのと、刹那の側からグラハムやブシドーに対してアクションを仕掛ける様子が見られないので、グラハムとブシドーについては刹那の項で扱わなくてもよい気がします。消息不明となった後に一人で世界を放浪したことについては、1stと2ndを一つの作品として見た場合はあまり大きな意味がなく、あらすじまたはプトレマイオス節でメンバーの離散があったことについて触れてあれば十分だと考えます。--Kanohara 2009年2月22日 (日) 23:54 (UTC)
- まず、脚注が過剰ではないかと思う部分がありました(2、3の脚注がある部分)。ここは引用符を用いたものではなく、一個に記述をまとめていいと思います。また、出典が示されているのに、回りくどすぎる表現が見受けられ(「とも評される」とか「とも解説される状況」の部分)、これらは記述するなら本文ではなく脚注の方が良いと思います。逆に、出典では推測と表現されているものが確定情報として扱われている部分(マリナには理解~)があり、そここそ回りくどい表現にするべきではないかと思います。
- ただし一部は、出典に基づいているとしても不要な記述ではないかと思う部分があります。--春日椿 2009年2月24日 (火) 16:33 (UTC)
- 過去ログにてその経緯をを読んでいただければすぐにわかると思いますが、あらすじの中でコメントアウトされているものは今のところリリースの予定がありません。あのコメントアウトは僕が行ったものですが、その意図はすぐに削除することによる論争や議論の蒸し返しを避けるためのものであって、放送が終了したらあれをまんまオープンするという約束をした覚えはないのですが……。
- また、現行の概要節を仕上げたのも僕ですが、あれはランダムアクセスのユーザーを考慮して固有名詞を極限までブラックボックス化する方向で書きました。誰が読んでも百科事典として分かりやすい記事であることはどの記事のどの部分にも言えることですが、こと概要節までの記述に関しては本当に知らない人の為にまとめたもので、登場人物節から先を読まなくてもスッキリ記事を離れられるように、もしくは用語や名詞のラッシュにうんざりして先を読もうと言う気をそがれることがないようにと考えて作りました。ここにそれらの名前をだしてもかえって混乱を招き逆効果でしょう。いずれあらすじをストーリー全体を包括するものに直そうと言う意見はありますが、それにしてもそんなにたくさんの名詞の出現を避けられないかどうかは微妙です。
- それから、前回の「情報が誰発進なのかを明確に」に補足をしておきますと、公式発表の情報(つまり境遇や性格に関するパーソナルデータ)、制作側の裏話、他の評価などはそれぞれ段落を分けるべきだと思います。従来のアニマンガ記事にあるようなごちゃ混ぜの記事構成はいくら内容が保障されていても文章がジャンク情報をかき集めたファンサイトのようになるので忘れていただいた方がいいです。作品の中の事は中の事、外の事は外の事、設定は設定で、評価は評価だと一発で分かる書き方でないと、客観的視点に立っているとは言えません。言っていることがいまいち分からないということでしたらそのうち僕がこれまでの下書きをもとに一筆出してみようかと思います。なお(まだ手をつけてないので保障できませんが)上記の記事構成に直すと春日椿さんが指摘されている脚注過剰の問題もある程度緩和されると予想してます。--KM-0901 2009年2月26日 (木) 16:04 (UTC)
下書き練りこみ3
[編集]- 一か月も空けてしまいました。すいません。2ndの内容についてはとりあえず書いてませんがイメージとしてはまあこんな感じです。内容はあまり変わりませんが、基本的に作品の「外側」から切り込む形で、情報の発信者は本文だけ呼んでも分かるようにしています。
- 文中の丸括弧は特に断りがない限り本編での話数を表しています。誰がどういう解釈をしているのかはあまり脚注に回してしまうとまずい、というか脚注は弁解の場ではないと思いますので、必要最低限を本文で説明するという形をとりました。また、本名は解説上重要に見えないので後ろへ回しました。第一段落はキャラの基本情報、第二段落は性格に関する文章でまとめ、三段落目には刹那のガンダムに対する価値観です。
- サーシェスとゲリラ組織やマリナと刹那との関係はそれぞれの解説で補足ができるので混乱を避けるため、ここでは触れていません(しょっぱなである刹那の項目で二人のことに触れるのと、後の方の二人の解説で刹那とのつながりに言及するのとでは読者の負担度が異なると思いますし、「対立を」や「理解を」だけではしっくりこない感じがします)。それぞれ既に「ゲリラ組織」「クルジス」のワードが出してあるので一度に出さなくても関連付けは可能でしょう。
- ストーリーの内容をどの程度この解説に含むのかは今後あらすじの改稿と合わせて考えていく必要があるような気がしますが……。--KM-0901 2009年3月29日 (日) 15:33 (UTC)
- 基本的説明についてはそんな感じで良いと思います。前のコメントでの脚注過剰は解消されてきていますし、記載内容も本文に含めたことで脚注が少なくなったので出典や誰発信の言葉かわかりやすくなっています。マリナやサーシェスに関しては別のところでもよいと思います(ロックオンのところで書くべきかはまた別となるでしょう)。プラスで2ndの記述として追加するとすれば、イノベイターとしての覚醒(やその前兆)についてくらいではないでしょうか。Oガンダムやリボンスについては、2ndにおいての刹那への影響は実はそんなにないので(思い悩む姿もほとんど見れなかった)ここで記述するべきことではないでしょう。イノベイター(イノベイドとするべき?)であったティエリアや、CBメンバーとの敵対関係のなかでは言うべき項目であるかもしれないので、あらすじとして記述するなら良いと思います。--春日椿 2009年3月30日 (月) 07:46 (UTC)
- そろそろ終盤のネタバレに触れてもよい時期でもあるのでコメントを。方向性としてはこういう形も良いのではないかと思うのですが、宮野真守氏や水島精二監督のインタビュー記事などは、紹介文で示したエピソードが特記に値することを示す材料として引き合いに出したつもりですので、こういう形で紹介するのはどうなんだろう、という思いもあります。例えば作品の方針を転換したことについての記述は、1stの開始当初にファンの間で刹那が「主人公らしくない」と言われているのを個人的に目にしたことや、公式サイトに「主人公」であるという記述がないことを念頭に置いた出典のつもりでした。もしこの内容を前面に押し出すのであれば、インタビュー記事内の前後で述べられているもっと作品全体の話、例えばファンからの「ドラマが薄い」という序盤の評価を受けて、1stの途中からキャラクター間の因縁を増やす方向で物語を修正したといった制作秘話などを織り交ぜて、刹那の項目ではなくもっと作品全体の特色を説明する説明で紹介したいところです。なお、同監督インタビューには「マリナ姫は物語の中心人物」「リボンズは決して諸悪の根源ではない」などといった、監督が伝えたかった思惑と視聴者の反応の間に乖離が感じられる記述もあり、これだけを出典とすることには危うさも感じますので、可能であれば、もっと出典を厚くして第三者からの解釈や評価なども織り込むのが望ましいと思います。
- サーシェスやマリナとの関係について。個人的には「サーシェスに戦いしか知らない人間として育てられた過去を否定する→マリナとの出会いを通して異なる価値観を肯定する→戦いだけが全てではない自分を自覚→自分の戦いの意味を変革させ、自身の身に起きたイノベイター化も許容する→最終的にトランザムバーストによって大勢の登場人物を救済に導く」といったプロセスは重要だと思っているので、ざっくり削ってしまうことにはあまり賛成できません。細かな解説はサーシェスやマリナの解説に譲るとして、刹那に大きな影響を与えた人物として名前を挙げる必要があるように感じています。またリボンズについても、作中から明確に読み取れることは少ないとしてもその因縁は深く、また作品について説明する上で主人公とその敵役の関係性に触れない訳にはいかないだろうと個人的には感じています。
- 丸括弧で示されている本編での話数は、唐突に書いても数字の意味が分かりにくく思えますので、これは脚注に逃がしたほうが良いように感じます。--Kanohara 2009年4月6日 (月) 01:42 (UTC)
- >主人公とその敵役の関係性に触れない訳にはいかない
- 主人公サイドとその敵サイドの関係性については、「あらすじ」で言えばいいのだと思います。主人公とその敵役の関係性という意味では、特にリボンズに対しての刹那としてみると、ほとんど特筆すべき点はありません。リボンズからみた刹那とすれば特筆点はあるかもしれませんが、そのあたりの個人的な部分はリボンズの項目が担うべきだろうと考えます。
- 二人に関しては影響を与えた人物ということに否定はしませんが、その二人が与えたものが他の人よりも大きいのかという点に関しては(刹那の項目で語るべきか)、悩むところですね。名前だけを出すということには、あまり意味がなかろうと思います。--春日椿 2009年4月19日 (日) 15:11 (UTC)
- 「組織としてのイノベイターvsプトレマイオス2」の関係性については、「あらすじ」で説明すればよいと考えますが、「刹那とリボンズ」の関係性は、物語全体に与える影響としては省略できるものの人物を説明する上で必要な情報であり、人物紹介に書く事柄だと考えています(あらすじが完成しないことには机上の空論ではありますが)。刹那にとってリボンズ(≒オーガンダム)は、物語に関わる発端となった存在であり、そして最後は乗り越えるべき対象となるなど、因縁浅からぬ関係なのではないでしょうか。
- サーシェスとマリナについては、二人が刹那に与えた影響について記述する際には名前を挙げる必要があるのではないでしょうか。刹那が自らを戦いしかできない人物と定義しつつもサーシェスの提示する価値観は否定していたこと、また非暴力を信念とするマリナの価値観を肯定していたことは、登場人物のスタンスを示す上で重要な情報だと考えます。--Kanohara 2009年4月21日 (火) 16:39 (UTC)
- 刹那にとってのリボンズ個人は重要とは言えません。やはり重要なのはガンダムです、彼がそのパイロットであったことと語られた真意については衝撃を受けていたようですが、その後に彼がリボンズ個人に向けて(イノベイターの首領という以上に)特別な感情を抱いていた描写はありません(小説やその他の出典で明らかにされる部分はあるかもしれません)。
- 二人が刹那に与えた影響について記述する必要について合意がなくまずはそこの話をしていますよね、名前だけ挙げる必要(十分な説明なしにといってもいいですが)はないでしょう。「マリナの価値観を肯定していたこと」については、雑誌の推測ですので絶対的事実ではありません。--春日椿 2009年4月22日 (水) 13:28 (UTC)
- ううむ、個人的には刹那とリボンズとの決着についての記述は何らかの形で必要だと考えていますが、その辺りはあらすじ節の内容がどうなるかにも左右されるでしょう。個人的には「絶対に書くべき」とも「絶対に書くべきではない」とも結論付けたくなく、文章の構成上必要なら記述してよいと考えています。
- 刹那がマリナの価値観を肯定していたことは、刹那が1stの最終回で「オレと違う道で、同じものを求めるあなた」と述べていることから、少なくとも理解を示していたことは事実と考えてよいと考えています。--Kanohara 2009年4月22日 (水) 13:50 (UTC)
- 基本的説明についてはそんな感じで良いと思います。前のコメントでの脚注過剰は解消されてきていますし、記載内容も本文に含めたことで脚注が少なくなったので出典や誰発信の言葉かわかりやすくなっています。マリナやサーシェスに関しては別のところでもよいと思います(ロックオンのところで書くべきかはまた別となるでしょう)。プラスで2ndの記述として追加するとすれば、イノベイターとしての覚醒(やその前兆)についてくらいではないでしょうか。Oガンダムやリボンスについては、2ndにおいての刹那への影響は実はそんなにないので(思い悩む姿もほとんど見れなかった)ここで記述するべきことではないでしょう。イノベイター(イノベイドとするべき?)であったティエリアや、CBメンバーとの敵対関係のなかでは言うべき項目であるかもしれないので、あらすじとして記述するなら良いと思います。--春日椿 2009年3月30日 (月) 07:46 (UTC)
- 理解を示すのと価値観を肯定するのとは別だと思いますが。
- 2009年4月19日 (日) 15:11 (UTC)にも書いたとおり、リボンズ→刹那には確かに特筆すべき関係性がありますが、刹那→リボンズは現段階での本編&情報ではそのような部分は見られません。--春日椿 2009年4月22日 (水) 16:39 (UTC)
- ううむ、結局のところ何が重要な情報で何が重要な情報でないかという話題は、個人の主観ということになってしまうのでしょうか。個人的には、物語最大の敵対勢力の指導者と対決し手を下した、ということは十分に特筆すべき内容だと考えます(例えばファーストガンダムの場合、ギレンに直接手を下したのはアムロ・レイではなかったように、「主人公だからラスボスを倒すのは当たり前」とは限りません)。それ以外にも、マリナとの対話を通じて「戦いだけが全てではない自分」を自覚し、トランザムバーストを発動させて大勢の登場人物を対話へと導いた刹那が、最終的にはリボンズに対して殺す気で立ち向かっている(つまりマリナような非暴力や、SEEDのキラ・ヤマトのように不殺に目覚めたわけではない)ことは、刹那という主人公の特色であり一筆に値すると考えているのですが。--Kanohara 2009年4月23日 (木) 20:30 (UTC)
お久しぶりです(ここのところコレばっかですいません)。だいぶ前に残していたメモからそのまま抜粋なので、最近のコメント内容は反映されていませんが、放っておくと古くなりすぎるのでとりあえずそのまま投下しておきます。参考にどうぞ。
文章の方向性について。あくまでも作品の記事の登場人物紹介ですので、「キャラがどうこうした」という形よりも「この作品はこのキャラによってどうこうなった」と作品を主体に登場人物の役割を論じていった方がいいのだろうと思っています。逆に言えばそういう資料集めが困難なキャラや事項は作品解説としての必要性もWikipedia的には低いと言えるのだろうと。これらの解説をキャラごとに行うよりも作品全体の制作秘話として扱ったほうがよいということであれば、キャラ紹介の記述を抑えて別の節を設けてもいいと思います。また、僕も可能であれば第三者からの評価などを掲載してバランスが取れればいいなと思いますが、とりあえず現在挙がっている情報だけで文章を組んだらそんな感じなのかなというものを作りました。
また、サーシェス・マリナ・リボンズに関する事柄が重要だと思われるお気持ちはお察ししますが、現状では一つ一つの要素を検証することができるだけで、一連のプロセスや関係の重要性について十分に論じるのはまだ難しいかとの理由もあって、あまり手が出せなかったというのが実際のところです。そこに触れることができなければ、完成するアウトプットは単なるあらすじでしかなくなってしまいます。
名前を出すことに関してですが、それをする以上はある程度の解説を伴わなければ、読者にはトップに来ている所以が分からないために、備忘録のように見えてしまうと思います。書いている我々が納得することよりも、読者が理解できることが重要でしょう。
また、僕が下書きで挙げた内容は前述の通り作品が主体、つまり「刹那→作品」に関する記述であって、「刹那←他キャラ」に関する記述というのは、趣旨も異なりますし盛り込むのを躊躇する感はあります。刹那自身を個別記事として独立させるのであれば、その記事は刹那が中心になるので面白い内容であるとは思いますが、作品の記事であることを念頭に置くと下り方向に芋づる式で他のキャラをリンクさせても解説としての貢献度が低く、またキリがないような気もしますし。これらのキャラクターも「主人公に影響を与えた人物」として各解説文で「キャラ→作品」という上り方向の形に統一した方がいい気がします(ちゃんと伝えられてるかなコレ……)。--KM-0901 2009年4月30日 (木) 18:01 (UTC)
- 「主人公だからラスボスを倒すのは当たり前」ではないから書くべき、というのはちょっと違うような気がしますが、そもそも「誰が誰を倒したか」ということ自体がそれだけで特筆事項とはなりませんし、それが主人公と敵の首領だからというだけで必要な説明となるわけではありません。今回は主人公組織が敵組織と対決し勝利したという部分で、刹那の説明ではなくあらすじかCB前文に追加されるべき内容でしょう。
- マリナとの対話がイノベイター化の要因なのかとか、他のキャラクターの関わりは未だ明言されていないので、解釈はここでするべきではないというのが私の考えです(確認できていないアニメ誌もあるので、記載されているのだったら示していただければと思います)。そして名前を出すならば刹那との関わりとしての記述をある程度するべきであり、それができない段階では名前だけ出しても編集者の満足に終わってしまうだけです。--春日椿 2009年5月1日 (金) 15:57 (UTC)
本ノートページでは分割の話題が進んでいますが、そろそろこちらも進めた方が良いでしょうね。
さて、上の私のコメントですが、リボンズと対決したことについて、プトレマイオスvsイノベイターという以上に、個人として記述するべき根拠があるかという点については回答が頂けなく、「絶対に書くべき」とも~文章の構成上必要なら記述してよい、とのコメントがあることから、この件に関しては情報源が出てくる、あらすじとの関連で必要になったら考えるということで、「保留」と結論付けて良いでしょうか。
もうひとつ、サーシェスとマリナについては、詳細は刹那の項目では触れない、ただ名前を出すだけでは意味がないから名前を載せない、ということで良いでしょうか。それともうやはり名前を出すだけでも必要、最低限の記述は載せるべきというならば、コメントをお願いします。
インタビュー記事については作品解説で述べた方が良いということなら、そのあたりは削ることになるかと思います。--春日椿 2009年5月26日 (火) 15:20 (UTC)
下書き練りこみ4
[編集]インタビュー記事に関しては裏設定・解釈の部分についてを、削るという方向で手を入れてみました。また上の記事の文章の修正について私が残していた部分は、刹那が自らの目で世界を見て、CBの活動再開に加わった2ndの始まりという点で、残しておいても良い部分だと思い加えました。サーシェスについては名前だけ出ていた部分が始まりにもあったので、それも除いてみました。--春日椿 2009年5月26日 (火) 15:58 (UTC)
- 登場人物が一覧として分割されることを考えると、どういう傾向でまとめるべきかは難しいところもありますが、特に今のところ異論はありません。インタビュー部分を削ったことで加筆のハードルは下がった気がするので、後の加筆者が文章の客観性に十分留意してくれるかどうかが心配ですが。削ったインタビュー部分を「評価・解釈」みたいな形で作品記事の方に残すという感じでしょうか?--KM-0901 2009年5月27日 (水) 21:32 (UTC)
- インタビュー記事については、記述の出典として該当部分をあげただけで本文に組み込む気はないと、上で言われていると理解したので、削りました。記述するなら本記事の方になると思います。--春日椿 2009年5月28日 (木) 14:14 (UTC)
- インタビュー部分については、このような形の記事でまとめることをイメージしています。私が所有している出典記事は少ないので、この程度で精一杯なのですが、作品の反響や作品全体込められたテーマなどについて記述する記事にできればよいと考えています。--Kanohara 2009年6月22日 (月) 04:26 (UTC)
- インタビュー記事については、記述の出典として該当部分をあげただけで本文に組み込む気はないと、上で言われていると理解したので、削りました。記述するなら本記事の方になると思います。--春日椿 2009年5月28日 (木) 14:14 (UTC)
下書き練りこみ5
[編集]まだ試案段階ではあるのですが、やはり個人的にはこのような方向で主人公の思想や物語中での変遷、物語的な意味をまとめたい、という思いもあります。前の下書きには色々と異論もありましたが、TV本編の放送が終了したことで物語の見通しも良くなり、また各アニメ雑誌では放送終了を記念した特集や監督・脚本家インタビューなども掲載されているので、見解が分かれる部分の検証などは以前より容易になったのではないでしょうか。--Kanohara 2009年6月3日 (水) 14:58 (UTC)
- 以前の案と変わった部分については今回提示されている参考文献の『VEDA'S REPORT』かと思うので、それをもとにコメントします。今回もやはり、各人の名前を出す意味についてはあまり感じ取れないのですが、記述を残すとして、サーシェスについては2箇所の説明をまとめられると思います。マリナとの関係の表現として『同志』という言葉を用いることには違和感があります。この言葉の文字通りの「同じ志を持つ」という部分には志を平和への願いとすれば合致するとも言えますが、仲間ではありませんし理解を深めるという表現も違うと思います。「手段は違うが同じく平和への意志を持つマリナには(戦うものと認め)理解を示していく」くらいではないでしょうか。
- また人々を相互理解へと導いた刹那がリボンズとは戦いをしているから、これは特筆事項だという部分にもやはり異論が残ります。刹那の意識として「戦いより対話が重要」という境地に至ったのかという部分が(対話の必要性はあるものの)まだ不明です。--春日椿 2009年6月6日 (土) 03:35 (UTC)
- いや、ニュータイプ2009年6月号付録記事の「VEDA'S REPORT」については、これはこれで資料性が高く推敲の参考にした部分もあるのですが、今回の下書きは主に、最終回で一区切りついたことによって見通しが良くなった一次資料(アニメ本編)に基づく記述を中心としており、幾らか主観的な部分が入っているかも知れません。出典に即した記述への修正はこれから行う予定です。
- マリナの重要性について。水島監督自身も視聴者から「マリナはヒロインじゃない」「貧乏姫」などと言われていることや(新・大人のガンダム)、カタロンの描写が当初より少なくなった分大きく扱えなかった(ニュータイプ2009年6月号付録)ことは認めているのですが、一方で「ドラマの軸となっている女性の登場人物」「ヒロインだと思って描いている」(新・大人のガンダム)「(女性キャラクターの中で)個人的に思い入れがあったのはマリナ」(ニュータイプ2009年6月号付録)などと述べており、私としては監督の中では物語上重要な立ち位置を占めているキャラクターなのだろうと解釈しています。また水島監督は作品について、「この作品のテーマって、大きな括りで言うとコミュニケーションの難しさや人と人との関係性なんですよ。刹那たちは少しずつ向き合って行ったけれど、王留美にはそれができなかった」(アニメディア5月号)、「結局、他者に心を開くことが大事なんです」(ニュータイプ2009年6月号付録)と説明しており、まあ文中では刹那が向き合ったり心を開いたりした相手が誰かは明言されていないため「刹那とマリナの関係は作品のテーマを体現している」とまで言い切ってしまうのは発表済みの情報の合成だとしても、刹那とマリナの間柄について一方からの関係ではなく、双方にどのような影響を与えたのかという点について、監督の意を汲んだ何らかの言及が必要だと考えています。
- なお、マリナと刹那の関係性については、
- 「刹那とマリナは、求めているものが同じなんだけれど、アプローチがまったく違うんです。だからこそ相手がどんなことを考えているか気になる」(黒田洋介、アニメージュ2009年5月号付録)
- 「刹那は自分の行動を迷ってないじゃないですか。その、本来迷う部分をマリナが引き受けくれているんじゃないか(中略)、彼はその半分をマリナに依存することで、全力を出せていると言うか……」(高河ゆん、ニュータイプ2009年6月号付録)
- 「刹那はマリナを認めることで、戦えたと思う」(高河ゆん、ニュータイプ2009年6月号付録)
- 「刹那の心の中で特別な位置を占めているし」(高河ゆん、ニュータイプ2009年6月号付録)
- といった発言を確認しています。これをどう短く纏めるかについては迷うところです。
- リボンズとの決着については、現在のあらすじ節ではどのように決着したのかまで触れていないのと、単純に文章を「イノベイターとの最終決戦ではトランザムバーストを発動させて多くの登場人物たちを相互理解へと導いた」ところで止めてしまうと、刹那とイノベイター勢力(リボンズ)との間に和解が成立したことによって戦いが終結したかのように誤読される可能性があり、アニメを見ている読者にしか通用しない不適切な表現になってしまうと考えたからです。「多くの登場人物たちを相互理解へと導いた(ただし和解を拒んだリボンズらは除く)」という表現でもよいのですが、そのように書くよりは文章としてまとまっていると考えています。--Kanohara 2009年6月6日 (土) 18:44 (UTC)
- なるほど。では則した部分に書き換えた案ができるのをおまちしています。ただ個人的には高河ゆん氏は、キャラクターデザインという内容に関わるわけではない立場のスタッフとして考えると、監督や他のメインスタッフ・そのキャラを演じたキャストの言葉と同じ扱いにはならないのでは、と思います。あらすじに追加するとすれば、「多くの登場人物たちを相互理解へと導いた。和解を拒んだイノベイター勢力とは…」とかけば、文章はまとまると思います(多くのであり、すべてのではありませんし、括弧内に書くというのはいい案ではないと思います)。--春日椿 2009年6月7日 (日) 13:57 (UTC)
- とコメントして以来、一週間が経過しましたが、どのくらいで修正案はできますでしょうか。--春日椿 2009年6月15日 (月) 14:09 (UTC)
- 更に1週間経過しましたが、もし案が出ないのであれば現在反対意見が付いていない「下書き練りこみ4」が採用となります。もしくはロックオンの整理第一段階をはじめようかと思いますが。--春日椿 2009年6月21日 (日) 15:20 (UTC)
- なるほど。では則した部分に書き換えた案ができるのをおまちしています。ただ個人的には高河ゆん氏は、キャラクターデザインという内容に関わるわけではない立場のスタッフとして考えると、監督や他のメインスタッフ・そのキャラを演じたキャストの言葉と同じ扱いにはならないのでは、と思います。あらすじに追加するとすれば、「多くの登場人物たちを相互理解へと導いた。和解を拒んだイノベイター勢力とは…」とかけば、文章はまとまると思います(多くのであり、すべてのではありませんし、括弧内に書くというのはいい案ではないと思います)。--春日椿 2009年6月7日 (日) 13:57 (UTC)
すっかり遅くなってしまいましたが、修正案5に出典を追加し、一部記述を修正するなどして修正してみました。大筋ではあまり変わっていません。できればもっと短くまとめたいのですが、あまり出典元を要約しすぎると不正確な記述になってしまうと考えられ、悩むところです。「この辺りは出典に即していなくて独自研究が残っている」「この辺りは出典を示さなくても大丈夫ではないか」といった意見など頂ければ有難く思います。--Kanohara 2009年6月22日 (月) 04:26 (UTC)
- コメント遅くなりました。少し長い部分(刹那との関わりというよりそのキャラクターの説明である部分)と、以前の脚注過剰の部分がまだあるように思います。--春日椿 2009年6月27日 (土) 13:45 (UTC)
下書き練りこみ6
[編集]脚注過剰の解消としては連続して同じ出典の記述であるものをまとめ(重なっていないものに関しては削るなどしています)、刹那との関わり以上の説明や、文章の流れなどを一部修正しました。--春日椿 2009年6月27日 (土) 13:45 (UTC)
- 10日以上経ちましたが、この案で異論がないようですので、刹那の整理はこれで終了ということでよろしいでしょうか。念のためあと十二時間ほど待ちます。--春日椿 2009年7月10日 (金) 03:29 (UTC)
- 細かい点では手を入れたかった部分もあるのですが、親記事のノートの方でもあまりに長すぎる整理期間が問題視されていることですし、私としても春日椿さんには色々と折れてもらった部分もあります。そろそろ決着としなければならないでしょう。
- 個人的には、刹那の過去については一文でスマートにまとめたかったのですが、そういった細部の推敲は元の記事に戻してから、他の多くの編集者の手を経て修正されることを待ちたいと思います。他の執筆者の方がどう考えているかは分かりませんが、個人的には、合意に反して記事の内容を変えるような加筆修正でなければ許容範囲だと考えています。
- トリニティに関する記述については、個人的にはどうしても「刹那がトリニティをガンダムと認めなかったことをきっかけとして、仲間からガンダムマイスターとして肯定される」という趣旨の説明が外せないと考えています。ですが、独自研究を挟まない形になると少々冗長にならざるを得なかったのは、個人的に残念な点です。ただ、これは今後の整理を予定しているロックオン、ティエリア、プトレマイオスのガンダムマイスター節前文が修正されることによって、もう少し短くできるかも知れないと漠然と考えています。
- リボンズについては、刹那がリボンズに対して具体的にどのような感想を抱いたのか(自分がそうありたいと願う目標であったはずの0ガンダムが刹那の中でどのような存在に変化したのか)という情報を入れたかったのですが、これについては小説版で言及されるのを待ち、それを出典として記述を追加するのがよいと思います。--Kanohara 2009年7月10日 (金) 13:52 (UTC)
暫定案として反映しました。次のロックオン・ストラトス分のコメントアウトを解除しておきます。--春日椿 2009年7月11日 (土) 11:55 (UTC)
- 拝見しました。紙の百科事典から考えるとまだまだいける感じですが、一回目整理としては、十分だと思います。--うるるーの 2009年7月14日 (火) 05:09 (UTC)
ロックオン・ストラトス
[編集]意見募集
[編集]刹那の議論が長引いたことに関する反省点はいろいろありますが、とりあえず次の整理についての意見は述べておきます。親記事のノートでは現在の版の記事をベースにして整理することで話がまとまっているようですので、その前提で話をします。
まずニールについて。前回の整理の際に情報が整理されているため、1st本編についてはあまり付け足したり削ったりする部分はないと感じています。ただ、刹那に銃口を向けた経緯や、ニールの最期に関する具体的な描写については因果関係が微妙に分かりにくく感じられ、推敲が必要だと考えます。例えば、サーシェスがKPSAの指導者であるという因果関係は、記事を上から注意深く読み進めていれば分かるかも知れませんが、ニールがその事実を知っていてサーシェスとの戦いに挑んだのか否かが説明されていません。逆に「近辺にあったGNアームズ~」のような具体的な反撃手段については「機動戦士ガンダム00シリーズの登場兵器」のデュナメスやGNアームズ TYPE-Dの記事にでも書いた方が適切なように感じます。Newtype2009年6月号付録記事の「VEDA'S REPORT」で公表されたアンケートによれば、ニールの最期は1st中2位の人気エピソードとしてランクインしているそうなので、ある程度の文章量を割くことには反対しません。なお2ndの内容については、ティエリアや刹那に死後も影響を与え、重要な決断を後押ししたことの記載は必要だと考えますが、あまり詳細でなくてもよいと考えています。
ライルについては、全体的な推敲の必要は感じつつも、前半の内容は現在の形でよいと考えています。ただ「アニュー・リターン」のエピソードについては詳細過ぎて、(「VEDA'S REPORT」で公表されたアンケート結果はで2nd中2位の人気エピソードであるとのことですが、それを考慮に入れても)もう少し記述を削っても独自研究にはならないと感じています。それからサーシェスとの決着についても、個人的には「家族を殺した仇という憎しみの対象としてではなく、CBの一員としてサーシェスを撃った」というシーンだと解釈していたので、現在の記述にある「家族の仇を討った」という表現には違和感を感じました。ここは解釈の分かれる部分かも知れません。このシーンの解釈を説明した二次資料などがあれば良いのですが。
それからニールとライルの関係について。アニメージュ2009年5月号付録「FINAL BOOK」によれば、ニールが「大人の男で理想の兄貴」であるのに対し、ライルはその過渡期にいるキャラクターであり、最終的には「性格は違うけれど、同じ立ち位置に立つ」(水島監督の発言による)、「サーシェスと対峙して過去を昇華したことによって、ようやくニールより半歩だけ前に出た」(黒田洋一の発言による)という立ち位置になったことが説明されています。この辺りの情報は、作品におけるキャラクターの役割を示す上で重要な情報だと思うので、できれば記事に盛り込みたいと考えています。--Kanohara 2009年7月13日 (月) 21:53 (UTC)
- え~と、前回の整理というのはいつのことでしょうか? 個人のものを除いてはやってないと思いますが。ニールについて、サーシェスとの戦いの意味については記述したほうが良いでしょうね。これは2ndにおいていわれている部分でもあるので。2ndにおいての影響については、記述は今のままで良いと思います。
- ライルについては、はじめの1段落については表現で少々いじりたい部分はありますが、基本的な文章としてはこのままで良いでしょう。2つめについては、言葉としておかしい部分(括弧の位置や独自の研究など)がかなりあるので、一番手を加える部分かもしれません。サーシェスとの戦いについては、私はどちらかといえば、ガンタムマイスターとしてというより、家族の敵としてという位置づけが強かったのではないかと捉えていたので、解釈の違いという部分となるようですから、この部分は結果だけを記述することになると思います。
- また、「テロにより両親と妹を失った」の部分に関しては兄弟の共通している事項なので、移動するべきかなとも考えています。--春日椿 2009年7月16日 (木) 17:47 (UTC)
- 前回の整理というのはノート:機動戦士ガンダム00/ドラフトでの整理のことを言ったつもりでした。分かりにくくて申し訳ありません。
- ライルとサーシェスとの決着については、個人的な印象では「ライルは家族の仇を討つべく憎しみに駆られて戦うものの、引き金を引く段になってアニューの幻に惑わされ迷いを持つが、最後の瞬間にはCBの一員としての自覚で迷いを振り払って引き金を引いた」というシーンだと解釈していたのですが、それを明示する台詞はないので、出典待ちでしょうね。個人的には「家族の仇であるサーシェスと戦い、サーシェスを殺す」なら可、「サーシェスと戦いサーシェスを殺す。家族の仇を討つ」なら不可と判断しますが、作品を見ていない人にはどちらも同じ意味に受け取るでしょうし難しいところです。テロで家族を失ったという共通の過去については、その部分を移動することには賛成しますが、ニールはその体験を行動の原動力にしているのに対し、ライルはサーシェスと直接対峙するまではあまり自覚がないという違いがあるため、結局ニールの方には同じようなことを二度記載することになるかも知れません。--Kanohara 2009年7月16日 (木) 19:14 (UTC)
- ドラフトの整理ですね。あの時から比べると、2期の加筆を除いても文章としては増えてはいるので、ある程度は手を加えるべきかと思います。
- そうですね、ニールについては過去が全ての原動力、ライルについては理由の一つという、重みに対する違いはあるものの(この部分が「移動する」と断言できないとこなのですが)、実際に書いてみて長くならなければということでしょうね。
- 前者でもやはり敵として討ったというふうにしか取られないと思います、微妙ですね。--春日椿 2009年7月17日 (金) 02:23 (UTC)
ロックオンの家族がわかったのですがどこに書けばいいのか解らないのでここに書いておきますね。
- 母,リンジー・ディランディ(Lindsay Dylandy)・父,オーウェン・ディランディ(Owen Dylandy)・妹,エイミー・ディランディ(Amy Dylandy)--118.17.193.220 2010年1月3日 (日) 16:02 (UTC)
下書き練りこみ
[編集]とりあえずは、今ある文章の中で少し修正編集を行いました。とりあえずは、解釈をなるべく削りました。以降出典の付け加え、所持している出典に応じた記述の修正・加筆、整理を行うつもりです。--春日椿 2009年8月6日 (木) 16:11 (UTC)
- ニールとアニューの対決については、もっと短く簡潔にまとめられそうですね。アニューが自分がイノベイターであることを知らなかったことについては、本日ガンプラの公式サイトが更新され、誰にでも検証可能な公式な情報として掲載されたので[1]、議論の余地もないでしょう。また同ページにはアニューとの対決を「悲しき対決」であると明言しているので、「アニューとの対決を悲劇と受け取るか否かは編集者の主観によるものであって、明言することは独自研究の可能性があるのではないか」といったことで議論を重ねる必要もなくなりました。アニューについてはアニューの項に詳しく書かれているので、ライルの記事では「イノベイターとして覚醒したアニューと悲劇的[2]な戦いを演じ、彼女と死別する」くらいの内容でも構わないかも知れません。
- サーシェスとの因縁については、やはり補足的な加筆が必要に思えます。「元KPSAの指導者サーシェスとの死闘」と書き加えるだけでだいぶ分かり易くなるのではないかと思うのですが--Kanohara 2009年8月7日 (金) 09:24 (UTC)
2週間ルールを考慮しなくても、だいぶ経ってしまいました申し訳ありません。変更案を反映させた上で通常編集しました。上記の家族の名前については、作品・人物の説明としても必要性が感じられないため、加えていません。--春日椿 2010年1月3日 (日) 17:18 (UTC)