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ノート:林献堂

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本ページに「日本の政治家」のテンプレートを貼られた方々へ

林献堂は日本の貴族院議員に任命されています。 しかし、それは極めて一時期(一年弱)のことであり、しかもその貴族院議員としての実績、功績は 極めて限定的なものと考えます。 やはり本文記載のとおり林献堂の本質は、台中地区の名士にして、台湾人の民族運動家と考えます。 従いまして当該テンプレートは、事の本質を表さず、不適当なものと考えます。 これは特定の歴史観に基づくものではなく、 wikipediaが百科事典であるということにかんがみると、 テンプレートの意義は、記述の本質を捉えてそれを一目で理解させるというものと考えます。 その観点から、「日本の政治家」のテンプレートは林献堂にはふさわしくなく、 ともすれば誤解を招きかねないものと考えます。

(Claw of Slime様へ) 当該テンプレートがなくとも、林が日本の貴族院議員であった事実を伏せるということでなく、 それは本文に記述すれば十分なことであり、それをテンプレートとする必要性もないと考えます。

--二林史夫会話2015年1月19日 (月) 01:05 (UTC)[返信]

林 献堂
林 獻堂
林献堂の肖像写真
生年月日 1881年12月3日
出生地 清 福建省台湾道台湾府
彰化県阿罩霧荘
没年月日 (1956-09-08) 1956年9月8日(74歳没)
死没地 日本の旗 東京都杉並区
前職 大東信託社長

在任期間 1946年5月 - ?

選挙区 貴族院台湾勅選議員
在任期間 1945年4月3日 - 1946年7月4日
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汎用テンプレートを特別な理由をもって除去するのであれば、まずノートで提案し合意を得てからにすべきではありませんか?記事に記載されている経歴を見る限りでは、戦前戦中は「民族運動家」と呼んで間違いはないようですが、1944年に皇民奉公会台中支部大屯群事務長に就任、1945年には貴族院勅撰議員に任命されており、戦後の1949年に日本に移り台湾に戻ることなく日本で没しているなど、生涯を通して「民族運動家」が第一義であったとは言い難いように思われます。また、{{政治家}}テンプレートは、日本に限定されたものではありませんから、冒頭部を「大日本帝国の議員」から「中華民国の議員」に変更したうえで日本の貴族院議員であったことと台湾省参議会の議員であったことの両方を書く形でもよいと思います。右は一例。--Claw of Slime (talk) 2015年1月19日 (月) 13:51 (UTC)[返信]

再びテンプレートについて

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Clow of Slime様の今回の提案に関しましては、賛成したいと思います。林献堂が戦後、安藤総督等と台湾島内の治安維持について会談したり、省参議員に当選したり、2・28事件の善後策を述べたりという活動をしていることからすれば、「中華民国の政治家」としての役割を果たしたといえ、実態に近いと考えます。--二林史夫会話2015年1月20日 (火) 16:41 (UTC)[返信]

遅くなりましたが、こちらでの議論に基づきテンプレートを復帰しました。--Claw of Slime (talk) 2015年1月30日 (金) 09:17 (UTC)[返信]
感謝 会話ページへのご連絡、ありがとうございます。長期にわたり留守にしておりウィキペディアにアクセスできなかったため、ご返信が遅れ失礼いたしました。上記のご議論、拝見いたしました。○○の政治家の欄を修正し台湾省参議会議員としての経歴も追記したうえでテンプレートを残すとのこと、了解いたしました。--Taiwaan会話2015年2月28日 (土) 11:30 (UTC)[返信]