ノート:松崎龍夫
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海軍中尉であったとの記載について
[編集]松崎は海兵74期に当たりますが、1945年に卒業なので同期の方々の記事内容を見るとほとんど海軍少尉任官で終わっています。中尉になるとするとかなりの功績がなければ考えられないのですが、参照文献にそのことの記載があれば追記をお願いします。もし何も記載がないのであれば中尉任官は疑問です。--曾禰越後守(会話) 2019年6月19日 (水) 05:26 (UTC)
- 出典は『朝日新聞』1994年12月24日付朝刊です。しかし曾禰越後守さんの言われるとおり、確かに信憑性はうすいと思われます。朝日新聞にはこんなふうに書いてありました。
出棺を見送る約五百人の弔問客を前に、喪主の長男浩成さんが「父の人生の支えは江田島で学んだ精神教育であり、帝国海軍中尉としてのプライドでした。まっすぐな生き方をしてきた父が、なぜこのような姿になったのかと思うと悔しさでいっぱいです」と声を詰まらせると、親類からすすり泣く声がもれた。 — 『朝日新聞』1994年12月24日付朝刊、「500人が『最後の別れ』 松崎龍夫・前北茨城市長の葬儀/茨城」。
- この記述をそのまま出典欄に記載して「階級は中尉だった」の断り書きとしてもいいかもしれません。--Evelyn-rose(会話) 2019年6月19日 (水) 06:40 (UTC)
- ご回答ありがとうございます。ポツダム進級により中尉となった可能性があったかもと気づきました。そうすると他の同期の方々の記事も検討が必要になりますが、とりあえず現時点で中尉のままでよいかと思います。お騒がせいたしました。--曾禰越後守(会話) 2019年6月19日 (水) 07:10 (UTC)