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ノート:本川弘一

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脚注の不足

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「脚注の不足」が貼られていますが、それ以前に文献が偏っていると思います。現在使われている文献は、石川県発と、東北大学発の2つに分かれますが、どちらも業績を客観的に述べるものではなく、入手しにくいものです。これだけ業績がある人物について述べた文献がこれしかないとは思えません。文献から選び直さなければならないのではないでしょうか。

石川県発の『本川弘一博士の青少年時代』は、加賀市教育委員会が作った二十数ページほどの冊子です。「市民の皆さんに」(1ページ)向けて書いたとはあるものの、前半はひらがな主体・ですます調のやさしい文章で書かれており、小学生向けに地元の偉人の幼少期を紹介することが主目的なのは明らかです。『加賀ふるさと人物事典』は1人を2ページほどで紹介している大人向けの人物事典ですが、本川弘一の項(300-301ページ)は『本川弘一博士の青少年時代』が参考文献です。子ども向けの本を使わないと幼少期が書けないのなら、幼少期に業績がある人ではありませんし、幼少期は省いた方がよいと思います。

東北大学発の文献は、入手に苦労しそうな東北大学内部文献ばかりです。入手しやすいと思われる『艮陵の教授たち』も、「東北大学医学部の小話的伝説」(154ページ)をまとめたものです。どちらかというと「まじめに研究している教授たちも、こういう一面があったのですよ」という裏話を集めたもので、これを根拠に通常の伝記を書くようなものではないと思います。逆に、今の本川弘一の記事は、一体どこでこの本を使っているのかわかりません。ダイナマイトの件はこの本にも出てきますが(102, 108ページ)、記事には詳細な内容が書かれており、この本を根拠に書いたわけではないでしょう。

全体に紀太藤一を読んだときの印象と同じで、主題の人物とある種の関係にあるとこういう文章になってしまうのか、と思わざるを得ません。「業績」にあるような記述を、もっと普通に入手できる文献を使って書き直し、こちらを主体にすべきだと思います。--西村崇会話2022年8月19日 (金) 07:43 (UTC)[返信]