コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

紀太藤一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

紀太 藤一(きた とういち、1879年9月9日 - 1936年10月7日)は、教育者、英語学研究者、翻訳家、英語文法書著者。父は紀太武一郎、母は、しかの(旧姓、石川)。妻はつる(旧姓、矢内)

略歴

[編集]
  • 1898年(明治31年)3月東京私立明治義會中学校卒業。
  • 1898年(明治31年)4月-1900年(明治33年)3月 東京私立青山学院高等科にて修学。
  • 1900年(明治33年)4月-1901年(明治34年)3月 東京私立正則英語学校英文科にて英語の研究を行う。
  • 1901年(明治34年)6月 茨城県立土浦中学校(現在の土浦第一高等学校)教諭心得拝命。
  • 1902年(明治35年)3月 文部省中等教員英語科検定試験合格
  • 1905年(明治38年)同校舎監心得拝命(舎監=寄宿舎を管理・監督するもの)。
  • 1906年(明治39年)9月 茨城県立土浦中学校を依願退職。(引用文献:上記経歴については茨城県立土浦中学校創立百周年記念誌「進修百年」H9.11.1、茨城県立土浦第一高等学校創立百周年記念誌編さん委員会編集、同記念事業実行委員会発行。在職記念一覧p225を参照した。)
  • 1906年(明治39年)第20回 :師範学校・中学校・高等女学校教員検定予備試験合格者(『官報』第 7013 号,明治39年11月13日,272-273頁)
  • 1909年(明治42年)第23回:師範学校・中学校・高等女学校教員検定予備試験(文検)合格(『官報』第7886号,明治42年10月6日,152 頁)[1]
  • 1910年(明治43年)4月-1911年(明治44年)3月 東京私立正則英語学校にて英語を教授する。
  • 1911年(明治44年)4月-1916年(大正5年)3月 日本大学にて英語を教授する。
  • 1912年(大正元年) 矢内つると結婚(東京上野精養軒にて)
  • 1916年(大正5年)3月-1917年(大正6年)6月 中央大学にて英語を教授する。
  • 1917年(大正6年)6月以降、千葉県保田町(現在の鋸南町)に居住して、英語に関する著作に従事する。
  • 1927年(昭和2年)4月より亡くなるまで東京私立赤坂中学校(現在の日本大学第三中学校・高等学校)教員。
  • 1936年(昭和11年)10月病気により死亡。享年58。

業績・著作

[編集]
  • バイオグラフィカルストウリズ詳解
  • パーレー万国史 欧羅巴の部 2 紀太藤一訳註
  • フィフティ・フェイマス・ストゥリズ 紀太藤一訳註
  • 和文英訳詳解
  • ワンダブック ゴ−ガンノ頭 [第11冊] ホーソン著 紀太藤一訳註
  • Hawthorne,Nathaniel(1804−1864)
  • イソツプ物語 紀太藤一訳註 武田芳進堂 1914年
  • イーソップ物語詳解 紀太藤一訳 AEsopus 芳進堂 1917年
  • 英文解釈法精講 : 構文研究 三宅書店 1928年
  • グリムのお伽噺 紀太藤一訳註 武田芳進堂 1914年
  • 初等英語独習自在 武田芳進堂 1926年

脚注

[編集]
  1. ^ 茂住實男、「文検英語科予備試験合格者一覧(回,氏名,族籍,願書進達地方庁)」『拓殖大学語学研究』 2006年 112巻 p.201-255, NAID 110006405580