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ノート:曾良旅日記

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「曾良旅日記」の掲載されている文献の記載位置に関して

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みそがいと申します。

少なくとも下記の3文献、

  • 山本安三郎編『曽良 奥の細道随行日記 附 元禄四年日記』
  • 潁原退蔵・尾形仂訳注『新版 おくのほそ道 現代語訳/曾良随行日記付き』
  • 萩原恭男『芭蕉 おくのほそ道 付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄』

については、節を独立させて記載すべきと考えます。この編集において、当該変更が差し戻されましたので、編集意図をより詳しく説明します。

  • 差し戻し編集の理由として「Wikipedia:出典を明記する#記事に参考文献を記載するに反する」とされていますが、この3文献は参考文献ではなく「曾良旅日記」そのもの(ないしは抄録)を掲載した文献であること。
  • 当該文献を本文中で出典として用いれば参考文献ですが、記事の主題である「曾良旅日記」そのものの掲載文献を参考文献節に埋没させるべきではないこと。
  • 関連文献とされている2文献については、出典としては用いられていませんが、掲載文献として同様に扱うべきこと。
  • 本文中でこれら3文献の書誌情報が埋め込まれている部分があり、閲覧者とって一覧性に劣ること。

したがって、これら3文献については独立した節を割り当てて記載を移すべきと考えます。--みそがい会話2019年11月22日 (金) 14:29 (UTC)[返信]

  • コメント 『曽良 奥の細道随行日記 附 元禄四年日記』で出典として用いている頁は、曾良旅日記の本文ではありません。なので参考文献から抜かないでください。どうしてもというなら「参考文献」節と「出版書籍」節の両方に書くことになりますが、(当たり前ですが)はるか昔に絶版なので、「出版書籍」と名付けた節にふさわしいものではないと思量します。入手性も悪いです。私は国文学専門の古本屋を10数件はしごしました。それにこれを入れるなら、幾多の全集その他を網羅しなければならなくなりますよ。『新版 おくのほそ道 現代語訳/曾良随行日記付き』及び『芭蕉 おくのほそ道 付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄』については現行でも入手し易いですから(どちらも普通に本屋で買いましたし)、節の名称を「出版書籍」としても構わないと言えば構わないのですが、{{Further reading}}を消さないでください。節名を「関連文献」とすることは慣例みたいなものではっきり決められてはいないのですが、この種の節を設けた記事の大多数でそうなっています。また、普通は参考文献より下位(下部)に置きます。--LudwigSKDiskussion/Beiträge2019年11月23日 (土) 11:43 (UTC)[返信]
LudwigSKさん、コメントありがとうございます。
以下、LudwigSKさんのお考えに対して私の考えを述べます。
  • 『曽良 奥の細道随行日記 附 元禄四年日記』で出典として用いている頁は、曾良旅日記の本文ではありません
出典としている部分については記事の本文を読めば『曾良旅日記』そのものを指していないことは分かります。問題はそこではなくて当該文献が『曾良旅日記』そのものを掲載しているかどうかです。残念ながら私は当該文献を閲覧したことがないため、あくまで記事本文の説明文および国会図書館の検索結果(の目次)から判断しているのですが、おそらくそうでしょう。
  • 絶版であること
書籍が絶版であることは何ら問題とはなりません。国会図書館に収蔵されていますし、ネット古書店をあたったりマーケットを検索すればヒットしますから全く閲覧・入手できないということは現時点ではありません。
  • 幾多の全集その他を網羅しなければ
記載すべき文献があるのならば記載すれば良いのです。その上で数が多すぎるのであれば何らかの基準を設けて取捨選択すれば良いと思います。(枕草子のような例もあります)
  • {{Further reading}}
はっきり言って、このテンプレートを使う意義が感じられません。詳しく知るための発展資料とはどういう意味ですか。訳注書は発展資料と呼ぶのですか。例えば関連文献(等の)節内に文献があげられていれば(しかも記事名の含まれる文献ならば)何らかの資料であり関連性があることは明白であり、発展資料と名付けなくても良いのではありませんか。80程度の記事にしか用いられていないテンプレートを貼り付ける根拠が分かりません。
  • 参考文献より下位(下部)に置きます
既に説明していますが、3文献は『曾良旅日記』(または抄録)そのものを掲載している文献です。参考文献、関連文献といったくくりにするのでは無く『曾良旅日記』相当のものとして扱うべきです。そもそも、記事内において『曾良旅日記』が掲載されていると判断できる文献がなんなの分かりにくく、参考文献節や関連文献節を見ただけでは『曾良旅日記』という文献が見当たらないとも言えます。ですから(少なくとも本文内に記載されている出版物である)これらの3文献を節を立てて本体部末に記載しようとしているのです。--みそがい会話2019年11月23日 (土) 14:11 (UTC)[返信]
2週間お待ちしましたがコメントがいただけませんでしたので、了としたものと判断して3文献を翻刻出版書籍節として本文最下部に記載しました。なお、山本安三郎編『曽良 奥の細道随行日記 附 元禄四年日記』を確認したところ、志田義秀については同氏による「序」において「本文の校合等においては同氏(注:山本安三郎のこと)の方針に御任せした」との記述もあり、編者に含むのは不適と見なし削除しました。(序文を寄せただけでは通常は書誌情報には記載しないため)
さらに、外部リンクにおいては、リンク切れの更新・削除(個人サイトの校訂状態不明なページを含む)、を行いました。
--みそがい会話2019年12月6日 (金) 11:24 (UTC)[返信]