コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:晒し首事件 (シンガポール)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

編集注記・事件の発生時期について

[編集]

篠崎(1976)はこの事件を日本軍の「占領初期」の治安の悪化の一例として挙げており、治安の悪化が華僑粛清事件につながった、という風に記述しています。また大西(1977)は事件の発生を「昭和17年春頃と思うが日時は明瞭でない」としていて、篠崎(1976)を参照しているようなのでそれに引きずられている観があります。しかし馬駿(許・蔡(1986))や中島(1977)など日付まで特定している文献によるとこの事件が発生したのは7月7日前後で、粛清事件より半年ほど後の出来事です。篠崎(1976)37-38頁にあるような、「市内は憲兵隊がいたから大丈夫だったが郊外は略奪の坩堝で、晒し首で狂暴な掠奪はピタリと止んだ。」というお話はちょっと違うかなと思います。また篠崎(1976)の話をそのまま孫引きしてしまっている文献もいくつか散見されますが、文献の数が多くても正確ではないこともありますので、ご注意ください。--宇井木辺出夫会話2015年10月10日 (土) 12:38 (UTC)[返信]

中立的な観点の欠如

[編集]

宇井木辺出夫さんによる他記事にも共通しますが、日本軍側の事情が記されていない、あるいは、極端に少なくWikipedia:中立的な観点が欠如していると考えます。この記事においては、民間人に扮したゲリラに日本軍が悩まされていたなどの背景や事情などは記すべきでしょう。日本軍の残虐性が強調されすぎているような論調になっていますが、それは、事実ではなく意見ですので、意見として記述の訂正を行うべきだと思います。--Husa会話2016年7月10日 (日) 03:44 (UTC)[返信]

こんにちは。コメントありがとうございます。Wikipedia:中立的な観点の問題の解消方法としては、複数の出典を参照し、文献によって記載内容が食い違うなど意見の対立がある場合には併記するのが建設的な解消方法と思っております。本記事では、これまでに8つの参考文献を参照しており、うち5つは占領当時日本軍政に携わった方が執筆者になっていますので、日本軍側の事情にも十分配慮していたつもりでおりましたが、意見の対立がある個所について併記の方法を改善するなど、記事の改善に努めるようにしたいと思います。ご指摘どうもありがとうございました。
ところで、Husaさんは、「この記事においては、民間人に扮したゲリラに日本軍が悩まされていたなどの背景や事情などは記すべきでしょう。」と記されていますが、どの参考文献を参照して、そのように思われたのでしょうか?--宇井木辺出夫会話2016年7月10日 (日) 08:48 (UTC)[返信]
応急措置的な修正を施しました。篠崎(1976)37-38頁にあるような、「>市内は憲兵隊がいたから大丈夫だったが郊外は略奪の坩堝で、晒し首で狂暴な掠奪はピタリと止んだ。」なども複数の歴史的事実として言及がありますので必ず記すべきです。自分の考えに合った記述だけを記すことはやめましょう。--Husa会話2016年7月10日 (日) 09:27 (UTC)[返信]
Wikipedia:中立的な観点#中立性を達成するためににありますように、一般に情報の偏りを正す方法は複数の出典を参照することであって、1つの出典の記述の中から「歴史的事実」だと編者が思うものを書いて他の出典の記述を削除することではないと思います。篠崎(1976)の「占領直後の略奪対策」という記述は、事件の当事者に近かった大西覚の著書・大西(1977)によってほぼ否定されていますし、参考文献に挙げた各文献を参照すれば、非常にあやふやな記述だということがお分かりいただけると思うので、その点について記述を書き換えられたのは残念です。Husaさんの編集前に付されていた出典注は適切でない位置に移動され、冒頭部の「軍の命令によるものではなく、実行者は不明」というような、どの参考文献にも書いていない、出典のない記述も書き加えられています(篠崎(1976)p.38には軍がやった、と書いてあるし、大西(1977)p.149が書いているのは、(やったのは憲兵ではなく軍だが、)軍の誰が指示したかは知らない、ということです。現状ではHusaさんの編集はWikipedia:荒らしにいう「百科事典の品質を故意に低下させようとするあらゆる編集」の域を出ていないと思います。「故意性」を認められないように、編集を差し戻すことをお勧めします。
付随して技術的なことですが「リー・クアンユー(2000)」の参照の記法もうまくいっていないようです。ハーバード方式では引数yearが必須なので(dateと重複しても大丈夫なので)それを追加して、あとisbnが別の書籍を参照しているようなので、その点も修正する必要があるした方がいいと思います。--宇井木辺出夫会話2016年7月16日 (土) 17:18 (UTC)[返信]
初版の記述は明らかに歴史的事実から離れていました。実行者が不明でなければ、どなただというのでしょうか。--Husa会話2016年7月17日 (日) 00:22 (UTC)[返信]
(上記コメント若干修正しました。)参考文献・出典を提示せずに「歴史的事実と違う」といわれても、それは他人からしてみればHusaさんの主観的な見方と違っているという話、としか受け取りようがありませんし、WikipediaではWikipedia:独自研究は載せないことになっています。「実行者が誰か」は、Husaさんの編集前の「経緯」節にいくつか説が書いてあったと思いますが、どれも軍の誰かがやったという話になっていたと思います。--宇井木辺出夫会話2016年7月17日 (日) 13:45 (UTC)[返信]
実行者が特定され判明しているという出典を提示されていないのは宇井木辺出夫さんです。上記発言により、宇井木辺出夫さん自身が、実行者は不明ということを認められています。--Husa会話2016年7月17日 (日) 14:15 (UTC)[返信]
Husaさんはこの編集[1]で概要部に「軍の命令によるものではなく、実行者は不明」と記載されました。編集前の記事では「軍(日本軍、第25軍)」を主体としていて、その中で誰がやったかには(敢えて特定して書くこともないので)言及していませんし、「実行者・命令者が軍の中の誰なのかについては諸説ある」ならそういえると思いますが、問題は「軍の命令によるものではなく」と書かれたことです。ご参考までに引用すると、出典では
  • 篠崎(1976)p.38「軍は非常手段をとって、(…)これを斬首し、その生首を(…)曝した」
  • 大西(1977)p.149「これに手を焼いた(日本軍の貨物廠の)警備隊は、柵内に無断侵入したものは射殺することを公示した。(…)警戒兵は命令どおりこれを射殺した。」
  • 中島(1977)pp.133-138「日本軍の歩哨を襲ったマライ人の強盗集団を捕えて斬首刑に処し、シンガポール市内のあちこちに、見せしめとしてさらし首が置いてあるというのだ。乱暴者の作戦参謀が独断でやらせたいやがらせだという。」
と書かれています。「軍の命令によるものではなく」との記載は、出典の記載を逸脱しており、もともと出典に沿っていた記載を独自研究で書き換えているため、虚偽情報の記載に該当すると思います。--宇井木辺出夫会話2016年7月19日 (火) 10:20 (UTC)[返信]

(インデント戻します)ところで上に書きました「技術的な問題」については訂正対応いただけないのでしょうか。Husaさんが訂正されないのであれば、私が訂正しても構いませんが、訂正して差し上げた方が宜しいですか?--宇井木辺出夫会話2016年7月19日 (火) 10:46 (UTC)[返信]

特筆性・著作権・記事名

[編集]

単独立項するほどの特筆性はないと考えます。この事件は、現代にも中韓が日本へ謝罪を求めるネタとなってるものの一つであると思いますが、当時は、華僑によるゲリラ行為(テロ行為)等が蔓延していたため戦闘集団を排除する目的があったと理解しています。「>中国系住民の抗日行動を警戒した日本軍が先制的に見せしめに出た」のみではそれらの背景が説明不足であると言わざるを得ません。この記事名についても適当であるのか疑問です。また、著作権に関する理解が薄い発言が見られるため、著作権についての調査もお願いできればと存じます。--Husa会話2016年7月10日 (日) 04:03 (UTC)[返信]

Wikipedia:記事名の付け方において、記事名は、WP:CRITERIAの5つの基準を満たす記事名を検討して、これにWikipedia日本語版独自の「正式名称」を考慮して総合的に決めることになっており、正式名称でなければ記事名にしてはいけない、というルールはないと思います。一例として「イギリス」は外務省の呼び方では「英国」かまたは「グレートブリテンおよび(…)連合王国」が正しかったと思いますが、記事名には「イギリス」が採用されています。--宇井木辺出夫会話2016年7月16日 (土) 17:40 (UTC)[返信]
シンガポール華僑粛清事件等に付随した記述等ではなく、この事件だけを単独で研究した書籍などあるのでしょうか。また、著作権に関する発言は、各種削除依頼における発言をもとに判断しています。削除依頼については、結果が出てからよく考えてもらえばと思います。--Husa会話2016年7月10日 (日) 09:30 (UTC)[返信]
参考文献に挙げた各出典では、いずれも単独の事件として研究…というか言及していると思います。篠崎(1976)の書き方だと関連事件のように読めるかもしれませんが、むしろその方が例外だと思います。
著作権の話は、この記事と関係なさそうですし、謝罪し取り消し願いたいです。「相手(個人)は著作権への理解が薄い」という書き方は、Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしないに反する記述だと思います。もし取り消しされないのであれば、Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃への対処法に従い、コメントアウトします。--宇井木辺出夫会話2016年7月16日 (土) 17:40 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除依頼/日台の鉄道の姉妹提携において著作権に関する理解が薄い発言をされています。また、著作権の話とこの記事が関係ないかについては、まだ判断できません。理解が薄い発言であることは事実であり、また、その事実を指摘することによって、この記事の著作権の見地からの検証の必要性を主張する根拠としているために、コメントアウトはなさらないでください。これから著作権に関する理解を深められることを期待します。また、事件化することについては独自研究であり、関連性の深い他記事との合併が望ましいと考えます。--Husa会話2016年7月17日 (日) 00:18 (UTC)[返信]
著作権の話は現状この記事とは関係ないということですね。また「著作権に関する理解が薄い発言」「理解が薄い発言であることは事実であり」などはWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしないに反する記述だと思いますので、撤回されないのであれば、適宜コメントアウトします。事件化?というのはおそらくWikipediaの用語ではないと思いますが、事件に言及している複数のWikipedia:信頼できる情報源を参照して記事を作成しておりますので、Wikipedia:独立記事作成の目安にいうWikipedia:特筆性を満たし、独自研究にはあたらないと思います。--宇井木辺出夫会話2016年7月19日 (火) 10:34 (UTC)[返信]
Wikipedia:個人攻撃はしないに反する記述について取消対応いただけませんでしたので、Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃への対処法に従い、コメントアウトしようかと思いましたが、コメントアウトされたくないというご意向でありまた話の流れが分かりにくくなりそうだったので取消線を引きました。--宇井木辺出夫会話2016年8月3日 (水) 14:18 (UTC)[返信]
発言の改ざんを戻します。--Husa会話2016年8月3日 (水) 15:39 (UTC)[返信]
個人攻撃の除去のための他人のコメントの改ざんは、Wikipedia:荒らし#コメントの改竄の例外として荒らし行為に該当しません。それを改ざんする編集は、Wikipedia:荒らし#コメントの改竄に該当すると思います。--宇井木辺出夫会話2016年9月20日 (火) 07:56 (UTC)[返信]

コメントこんにちは。Husaさんに質問させていただきますが、太平洋戦争における日本軍の事件に関する記事は大紅門事件など、この記事よりも出典も記載も少ない記事が少なくありません。『単独立項するほどの特筆性はないと考えます。』というのはHusaさんの感性に拠るものでしょうか。--青鬼よし会話2016年7月23日 (土) 05:26 (UTC)[返信]

大紅門事件はまさに事件であると考えます。ただ、この出来事については、あまり事件として扱われることも少ないのではないかと考えます。日本軍がシンガポールに到着したときに起こった出来事、エピソードとして当時のシンガポールで語られているという認識です。当時のシンガポール在住者の回想録で語られているとはいえ、あまり事件として報じられることもなかったものと考えます。--Husa会話2016年7月23日 (土) 11:59 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございました。『事件の影響』が曖昧であることが異議の理由ということで宜しいでしょうか。--青鬼よし会話2016年7月31日 (日) 09:39 (UTC)[返信]
上の返答と若干重複しますが、この事件がシンガポールの現地住民や、また日本軍政幹部にも強い印象を残し、また占領当初の「治安不良」を改善するために起きた事件ではなく、占領当初の混乱がやっと落ち着いたと思った頃にまた起きた事件である、としている文献は、シンガポールの現地住民の戦後の回想録、当時の日本軍政幹部の回想録など、非常に多いです。
  • 大西特警隊長(大西(1977)p.144)は「昭南における日本軍の3大汚点」として昭南華僑粛清事件などとともにこの「晒首事件」を挙げています。
  • 中島(1977)の評価については記事に記載のとおりで、宣伝班にいた人たちは「これではいくら宣伝しても軍のおかげで台無しだ」と匙を投げた、という話もあります。
  • 参考文献に挙げていない文献でも、大谷敬二郎『憲兵‐自伝的回想』p.191では「マライ人のさらし首」について「おおよそ、軍政を阻害し現住民に悪感情を与えたものは、われわれ日本人自らであったであろう。」として軍がさらし首をしたことを非難しています。
もしかしすると、Husaさんは、「当時騒がれたかもしれないが、今ではシンガポールの人も皆覚えていないのではないか」ということを指摘されたいのかもしれませんが、私がこの記事を書いた理由として、今でも旧フォード工場英語版チャンギ博物館に行くとこの晒し首事件のことが書いてあって、何しろ日本ではあまり知られていない話なので、日本人が何のことやら分からなくて反感を覚えるというお話を聞いて(ググればブログなどもいくつか出てくると思います)、どんな話かくらい知っておいた方がいいと思ったことがあります。言及している文献が多いだけあって、『事件の影響』はそれなりに大きく、現地ではよく記録・記憶されているのだろうと思います。
「現代にも中韓が日本へ謝罪を求めるネタとなってるものの一つであると思いますが、」というHusaさんのお考えについては、シンガポールでの出来事ですので、中国や韓国は関係ありませんし、リークアンユー(2000)を参照されているのであれば、下巻に書いてあったと思いますが、リー・クアンユーは日本に謝罪を求めたりはしていませんので、深読みされすぎているということもあると思いますし、また他方では上巻p.60に書いてあるように、日本人が占領中の事件のことを忘れていないかどうかはそれなり注目されているということだと思います。--宇井木辺出夫会話2016年8月3日 (水) 14:18 (UTC)[返信]
出典も当事者の回想録が主となっていますので、日本占領時期のシンガポール等で言及するほうが適切であると考えます。--Husa会話2016年8月3日 (水) 15:39 (UTC)[返信]
出典の中に回想録が多くても、公刊されていますし(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)、(少し怪しい人もいますが)厳密には事件の当事者ではありません(加害者でも被害者でもありません)ので、Wikipedia:特筆性の要件は充足していると思います。日本占領時期のシンガポールの中でこの事件に言及されることはあるかもしれませんが、同記事中に記すべき話題はこの事件以外にも(現在の記事に書かれていることの他にも)色々とあるはずですから、言及するとしても1行足らずでしょう。事件について詳述するには独立立項されている現状が望ましいと考えております。--宇井木辺出夫会話2016年8月8日 (月) 09:58 (UTC)[返信]

記事名

[編集]

この事件の正式名称はあるのでしょうか? この名前は一般的な名称でもないと思います。正式な事件名もないような記事は不要であると思います。他記事と統合を考えるべきだと考えます。--Husa会話2016年7月10日 (日) 09:34 (UTC)[返信]

1つ上の話題『特筆性・著作権・記事名』と重複しているので、そちらに書きます。--宇井木辺出夫会話2016年7月16日 (土) 17:20 (UTC)[返信]