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ノート:旭川市

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北海道第2の都市って函館なのでは?

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確かに人口から見れば、旭川ですが、産業や北海道の優遇のされ方から見れば函館だと思いますが…。--以上の署名のないコメントは、あいちん会話投稿記録)さんが 2006年3月9日 (木) 14:01 (UTC) に投稿したものです(無言雀師による付記)。[返信]

余談ですが、旭川市は北日本では札幌市仙台市についで3番目に人口が多い都市でもあります。利用者:121.116.110.24 2007年7月16日 (月) 10:53 (UTC)[返信]

特定の選挙候補者に着目する記載

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市長選挙との関係で特定の候補者についてのみ記載するものがありましたが、中立性に問題があるために消しています。「理由なき削除」として編集を戻した方がいますが、掲載できる可能性があると主張されるのであれば、適切にご説明下さい。--磯多申紋 2006年10月25日 (水) 17:34 (UTC)[返信]

旭川市の行政の項目について

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磯多申紋のノートより移記(個人の問題ではありませんので、該当ページのノートに記載します。)

あなた(移記注:磯多申紋)は 2006年10月27日 (金) 22:41の編集で旭川市の行政の項目の中で「同市長は歴代市長の中でもっとも多くの借金をつくったとして批判がある。」との記述を「歴代市長の中でもっとも多くの借金をつくった市長として批判する見解がある。」などと編集しましたが、菅原が歴代市長の中でもっとも多くの借金をつくったことは紛れも無い事実であり、「見解がある」との記述はどう考えてもおかしいです。何故「見解がある」との記述にしたのか教えて下さい。また、同時刻の編集で同項目の家庭ゴミ有料化についての記述を「2007年8月からの家庭ごみの収集の有料化が決定している。ごみの減量を目的として掲げていたが、「すでに目標を超過達成しているとして有料化を批判する見解がある。」と編集しましたが、市の有料化の根拠が崩れた中での強行にも関わらず、「有料化を批判する見解がある」との記述に変更したのかも教えて下さい。--219.108.115.252 2006年10月29日 (日) 00:58 (UTC)[返信]

どちらもほぼ同じ回答になりますね。批判する立場の人もあれば、事実を知った上で特定人に帰責したり批判しなかったりする人もいることを示しています。そもそもウィキペディアは批判そのものを記載する場ではありません。むしろ私は、あなたが「見解がある」という言い回しをなぜ受け入れられないのかがわかりません。別に煽りではなく、見解がある、ということは、別に批判を隠しているわけでもなく、事実に相違するものでもないと思いますが。--磯多申紋 2006年10月29日 (日) 03:58 (UTC)[返信]

移記ここまで--磯多申紋 2006年10月30日 (月) 03:39 (UTC)--(移動に伴い一部コメントアウト)磯多申紋 2006年10月30日 (月) 03:41 (UTC)[返信]

行政の欄ですが、 五十嵐広三元市長の記述や、ごみ問題・借金問題に関する記述は不要だと思います。市長の名前だけあれば良いと思います。 --210.196.148.194 2006年11月7日 (火) 09:24 (UTC)[返信]

借金批判については市長交代時に削除、五十嵐氏の記述は存続が是だと思います。ごみ問題については意見を保留します。ごみ問題について記載がなくて私が困ることはありませんが、削除する理由がはっきりしないのでそれを明らかにしていただければ、と思います。--磯多申紋 2006年11月8日 (水) 17:22 (UTC)[返信]

理由です。

まず五十嵐元市長の件ですが、必要性もないのに過去の市長の名前をわざわざ書くことはないと思ったからです。彼の業績はすばらしいものとは思いますが、現時点で彼自身が大きな話題になっているという事も特に無く、わざわざ「行政」に記述する必要性が感じられません。旭川出身の有名人の項目にその名があるので、そこで十分ではないかと思います。

次にごみ問題・借金問題に関してです。現段階の文章では一方的な書き方であり、中立性に欠けると思うからです。もし記述するならなぜそういう政策が採られたかという記述が必要だと思います。両論併記が中立性で保つ上で必要なのではないでしょうか。また、山積する市政の課題のなかで、特に大きな争点となっているわけでないという事も理由の一つです。 --210.196.148.194 2006年11月10日 (金) 08:20 (UTC)[返信]

理由のご記載ありがとうございます。全般的におっしゃってることに強い違和感はありませんが、私は以下のように考えます。いずれについても、記載がないところに私が敢えて記載するかどうかは疑問ですが、記載がなされた以降であれば、敢えて削除する必要はない、というものです。
  • 五十嵐氏については、旭川市の市長経験者が国政で大臣クラスになっている例ですので、特筆することにそれなりの意味はあると思います。同氏がすでに引退されており、特に政治・選挙対策目的の宣伝的色彩が強いわけではありませんので、敢えて記載する必要があるかはともかく、記載してあるのを削除するほどの必要性もない、と考えています(当該箇所の記載は私が行ったわけではありません。)。
  • 借金問題は、上記しましたとおり市長交代時削除で十分かと思います。
  • ごみ問題は、ご指摘の中立性の問題であれば、加筆により修正されることがむしろベターではないかと思います。現状の項目は、ごく最低限の中立性を維持すべき記載になっているのではないかと思っています。私個人は当該「批判」に共感するものではありませんが、批判の存在が事実であれば、削除するよりは、それを穏当な方法で記載するのが妥当だと思います。ご参考までに、過去に本項目が作成された時点の記載についてはこちら[1]をご参照下さい。
--磯多申紋 2006年11月10日 (金) 15:41 (UTC)[返信]

「あさひがわ」「ASAHIGAWA」の表記について

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30年ほど前に旭川市在住の親戚からもらった手紙の消印には集配郵便局名として「ASAHIGAWA」の印字がありました。現在は「ASAHIKAWA」のようです。この辺りの市名の発音の変遷を加筆していただけるとありがたいのですが。市名と郵便局名とは必ずしもリンクしないので本来であれば旭川中央郵便局のノートにでも書くべきことなのかもしれませんが、同記事が存在していないので、また、もしかすると市名の発音にも関連があるかもしれないので、一応ここで提起というか要望させていただきました。--無言雀師 2007年3月27日 (火) 13:32 (UTC)[返信]

旭川の語源についての部分(要改善)

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これを聞き誤ってチュッ・ペツ(日の川)したことから「旭川」という呼ばれるようになった・・・の表記はおかしいように思います。--121.102.83.123 2011年10月14日 (金) 22:03 (UTC)[返信]

>また、忠別川には「チゥ・ペッ」(ラテン文字表記:ciw-pet。「波」・「川」、「波立つ川」の意味)や「チュㇰ・ペッ」(ラテン文字表記:cuk-pet。「秋」・「川」の意味)などに由来する説もある[注 2][11]

この部分はあくまでも忠別(チゥ・べッ)の訳であって、旭川の語源とは無関係と思われます。 --KNZTKD会話2017年8月26日 (土) 00:33 (UTC)[返信]

旭川の冬の気候について

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単なる感想ですが、一言。

久しぶりに覗いてみたら、以前あった「旭川の冬の気候について」(項目名ははっきりしませんが、そういう内容)という段落が、無くなっているんですね。まあ、ちょっと詳細すぎる内容かな、とも思っていたんですが、しかし、北海道外のひとの旭川に対する“ものすごく寒い”という誤ったイメージを、資料を示して正すものではあったので。別に、独自研究というわけでもないし。 まあ、気象に対する無知による誤ったイメージなので、わざわざ旭川の項目に書くことでもないのかもしれませんが。

単なる感想で、すみません。別に、内容を復活させてほしい、ということではありません。 --himuro.kohji会話2017年7月4日 (火) 01:33 (UTC)[返信]

地名の由来をもう少し正確に議論しませんか?

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地名の由来についてwikiの書き換えが行われているようですが、さまざまな説があるといって思考を停止している感があります。
momongaさんの考察はこれまでになかった開村前の新しい新聞記事という事実に基づくもので、これまでの由来を書き換えるに値するものだと思います。
先ずは事実を確定し感想や憶測は排除すべきと考えます。 そういう意味では旭川市の公式サイトである「旭川市のあゆみ」は事実に欠ける部分が多く信憑性がありません。
私にとっての事実は、
1.明治23年2月9日の北海道毎日新聞(当時)の記事
2.明治23年9月23日の旭川村開村の日に北海新聞に掲載された記事
これは説ではなく事実です。
この事実を元にして当時の状況を積み重ねることは可能ですが、この事実を消すことや捻じ曲げることはあってはなりません。 --KNZTKD会話2017年8月25日 (金) 12:50 (UTC)[返信]

  • コメント momongaさんの加筆に一番致命的なのは「信頼できる情報源」がないことです。新聞記事は事実だとしても、その説明にはmomongaさんのオリジナルな解釈があり、事実とは言えないでしょう。もし松井恒幸・元旭川市郷土博物館長の論文が入手できるなら、それに基づいて加筆することが認められると思います。ただし、「あさひかわ新聞」には旭川のアイヌ語地名研究というコラムがあって、松井説に対する反論もあるので、加筆する際にこういった反対意見も載らないといけません。この問題については学術上の論争があって、一定の結論がありませんので、このテーマに関する学術的な論文を熟読する上加筆するのは無難だと思います。--そらみみ会話2017年8月25日 (金) 15:10 (UTC)[返信]

旭川の語源には諸説ありという言い方をします。
主に語られるのは以下の5説だと思いますが。
1 永田方正:チッベツ、東川、この川の水源が東にあって日の出るところ
2 ジョン・パチェラー:チウ、ベツ、急なる川
3 知里真志保:オウ、ベツ、波つ川
4 松井恒幸:アイヌ地名とかかわりな、つけられた(上川離宮計画)
5 山田秀三:チュウ、ベツ、秋の川(魚が秋に盛んに上る川)
上記5説の内、1と4以外の2,3,5は忠別(チュ・ベッ)の解説であり旭川という名前とは無関係です。
残る2説は私の示した新聞記事に証拠があり事実に基づくものです。
momongaさんの加筆は確かに憶測を含むところもありますが、一番真実に近づいていると思われます。
現在の旭川市の解釈は明治23年9月の公的な新聞発表を基にしているだけで、それ以上のものはありません。
同時に明治23年2月の新聞発表内容事実を無視し続けている事は大問題です。
--KNZTKD会話2017年8月26日 (土) 01:22 (UTC)[返信]

  • コメント >そらみみさん、新聞記事原文をそのまま掲載しているのに「信頼できる情報源がない」「事実とは言えない」と言うのはどういう理屈ですか?それにオリジナルな解釈とは具体的にどの記述を指していますか?もし別な解釈ができるなら指摘して頂きたいです。旭川新聞のコラムに載っている高橋基さんの元の論文である『旭川地名起源考』は私も何度も読み返しておりますが、この方は明治23年3月の永田方正の上川調査の前に件の2月9日の新聞記事がある事を無視して永田方正が命名者であるとしている方です。その矛盾を併記するならできましたが自粛した次第です。いずれにしてもあなたのように有無を言わさず編集の取り消しを乱用されると何も進みません。--Momonga-hokkaido会話2017年8月26日 (土) 06:42 (UTC)[返信]

>「旭川」という地名は開村の告示で村名として初めて登場した[9]。

  • 村名としては初めてだけど、旭川という名前の由来としては明治23年2月9日の北海道毎日新聞がずっと先です。

この文章は変更するべきですよね。間違いを掲示続けるのは罪です。

>その由来は諸説あり定かではないが、

  • アイヌ語の解釈は諸説あるけれど、旭川の語源は2つしかないです。余計な議論を混在させているだけ。

>アイヌ語で忠別川を指す「チュプ・ペッ」(ラテン文字表記:cup-pet。「チュプ」は「日」の、「ペッ」は川の意味)を語源にしている説がある[9][10]。

  • これは説ではない、9月20日付けの村名告知の時の新聞記事そのものです。事実だ。

なぜ旭川と訳したのかは語源とは別の議論になる。

>また、忠別川には「チゥ・ペッ」(ラテン文字表記:ciw-pet。「波」・「川」、「波立つ川」の意味)や「チュㇰ・ペッ」(ラテン文字表記:cuk-pet。「秋」・「川」の意味)などに由来する説もある[注 2][11]。

  • 旭川の語源とは意味の無い次元の話だ。

いずれにせよ、現在のwikiに書かれている由来は、間違いだらけの記述であり早急に訂正されるべきものです。
旭川という言葉の由来は、誰よりも先に岡部方幾により語られその事実が新聞にしっかりと残っているにもかかわらず、その事実が語られないことに強い違和感を覚えるし、なぜ岡部方幾の新聞発表の後から上川の調査解釈を行った永田方正の解釈とされるか?
--KNZTKD会話2017年8月26日 (土) 07:22 (UTC)[返信]

  • コメント
@Momonga-hokkaido:あなたが加筆した文章のうち、以下の内容に出典が必要だと思います。
  1. 「地名由来とは関係のない忠別川語源説と混同しているなど誤解が多い」
  2. 「この記事は、当時の北海道庁長官(兼屯田兵本部長)永山武四郎の直属の部下である岡部方幾(屯田兵司令部付曹長)[注 3]が会見したもので、前年末に上川への離宮設置が山縣有朋内閣によって閣議決定されて以降、まだ村名すら無い地の離宮の名称はどうなるのかという世論に答えたもの」
  3. 「現在まで確認できている資料としては開村前に「旭川」の名が登場する唯一のものである」
  4. 「永田は北海道庁の命を受けて全道のアイヌ語地名を調査した当時の権威学者であるが、上川郡の調査はこれからというはずの永田の意訳がこの時点で既に成されていたという事は、この意訳が旭川命名のために創作されたものである可能性がある」。
  5. 「注5:同年9月の旭川開村を伝える新聞記事では、名の由来についてアイヌ語意訳にしか言及しておらず、何故に大日本帝国との縁について省いたのかは定かでない。」

うち2は記事で確認できると思いますが、ネットではその記事を保存するアーカイブが見つからないため間違ったら申し訳ないですが、他はさらなる論文(例えば松井恒幸によるもの)を提示しなければなりません。また、1と5は個人による評価にも見えます。Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料というウィキペディアの方針によると、新聞記事のような一次資料を利用する時、分析・合成・解釈・評価などについては二次資料を提示しなければなりません。--そらみみ会話2017年8月28日 (月) 03:15 (UTC)[返信]

@KNZTKD: 大樹町にも参照してください。そこではちゃんと「山田秀三著 『北海道の地名』より。町のホームページには「『大木が群生するところ』を意味する『タイキ・ウシ』が由来」と書かれているが、アイヌ語で大木は「ポロ・ニ」であり、文法的に疑問が残る。」と書いてあります。つまり自治体のホームページが間違い、別説が正しいと思う場合は必ず二次資料を提示してください。
ちなみに北海道庁による地名の語源ページには永田自身による説しか載っていないから、おそらく松井説は広く受け入れていないと思います。--そらみみ会話2017年8月28日 (月) 03:15 (UTC)[返信]
なるほど具体的なご指摘をありがとうございます。つまり、そらみみさんはあくまでWikipedia規約上の出典欠如を問題にしているのであって、これらをクリアさえすれば取消の手段には出ないと理解してよろしいですね?--Momonga-hokkaido会話2017年8月28日 (月) 12:52 (UTC)[返信]
  • 了解しました。では後日また記述を改めた上で書込みますので、いきなり取消すのはおやめください。まずはこのノート上に理由を明記して頂きたいと思います。上述の出典に関する判断もあなたの解釈である事をお忘れなく。--Momonga-hokkaido会話2017年8月28日 (月) 14:23 (UTC)[返信]

そらみみさん、新聞記事は一次資料なので、二次資料を示すようにというご指摘ですが、現在の旭川市のwikiの記述は旭川市のホームページである「旭川市のあゆみ」を出展としていますよね。
これは二次資料と言えるのでしょうか?
「旭川市のあゆみ」は誰が執筆したものかもわからないし、何から引用しているのかもわからない。独自の解釈かもしれない。
しかも大幅に間違っているというこの「旭川市のあゆみ」は資料としてはまるで値しないと思うのですが、いかがでしょうか
それであれば、そらみみさんが一次資料だといって引用を拒否される新聞記事の方がよっぽど信頼のおけるものでは無いでしょうか?
しかもその新聞記事は他に別な解釈のあるような記事ではありません。
--KNZTKD会話2017年8月29日 (火) 02:12 (UTC)[返信]

私の考えでは、その新聞記事はあくまで「上川離宮」の名前に関するコメントで、のちに成立した村の名前と一致するのは偶然である可能性もあります。また、旭川市のそれは一次資料ですが、方針には「信頼できる公表ずみの一次資料はウィキペディアでの使用が許されます」と書いてありまして、今の状態は原文そのままですので、問題はないと思います。--そらみみ会話2017年8月29日 (火) 03:21 (UTC)[返信]

はぁ?「旭川市のあゆみ」が一次資料???それは単に引用先であって、「地名由来」の一次資料でもなんでもありません。
信用できないものをコピペしただけではないですか。
地名由来を語る時の一次資料というのは、「公式な報告書、手紙の原本、実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事」などです。
間違いだらけの「旭川市のあゆみ」が信頼できるという証拠をお示しください。
信頼できない理由は上にたくさん書いてますよね。
地名由来に関しては
1.明治23年2月9日の北海道毎日新聞(当時)の記事
2.明治23年9月23日の旭川村開村の日に北海新聞に掲載された記事
これが信頼できる一次資料です。
不毛な議論にしないでください。
--KNZTKD会話2017年8月29日 (火) 06:48 (UTC)[返信]

Wikipediaでは「信頼できる資料」という言葉を、世間とはかけ離れた内容で独自に定義して使っています。身元の知れない匿名の編集者集団で世界最高品質の百科事典を創り上げるという目的を達成する手段としてです。
学術研究などでの用法と異なりますので、きちんと確認してからコメントすることをお薦めします。共通理解がないとまったく噛み合わない議論になります。--Yhngv会話2017年8月29日 (火) 09:54 (UTC)[返信]

旭川という名前の由来は、後の解釈ではなくこれまで信頼できる一次資料として2つしか出て来ていません。

  • 一つは、旭川開村時の明治23年9月23日に北海新聞に掲載された「郡村命名の事由」という記事。
そこには「旭川村は土人名チュプペツにてチュプは日月ペツは川の事なり日月此川源の方より出て川口の方に没す故にチュプペツと名つけしこと今訳名を用いて旭川村とす」と記されています。(新聞写真有)
  • もう一つはその7か月前の明治23年2月9日の北海道毎日新聞の「上川離宮の御名称」という記事でです
そこには「上川離宮の御名称 - 昨8日岡部(山室改)方幾氏が弊社に来られ上川離宮の御名称の事に就いては夫々の御詮議も在らせらるべきは勿論のことなれとも九重の深き雲の上の事なれば素より窺い奉るべき様なきことなるが然るに彼の上川郡の忠別はアイヌ人の発音に従ふ時はチユプぺト(Chuppet)にして「チユプ」は太陽、日、東等の意、又た「ペト」は川の義なり故に離宮の御名称は旭川或いは東川等の文字を御用い遊ばさるゝに至らば旧称の意義を存し且つ大日本帝国等の意味に縁あり旁々適当ならんか」との談話ありし(新聞写真有)

と記されています。

後にこのアイヌ語解釈は間違っているという指摘がアイヌ語学者から起こりますが、それは後の解釈であり、明治23年の北海道庁の公式会見として2月と9月に旭川という名前の由来として公表しているのですからそれは動かしようの無い事実です。

両方の会見によってアイヌ語解釈の意味は同一ですので、旭川という名前の由来は「アイヌ語の意味を尊重しつつ、且つ大日本帝国等の意味にも通じる」となります。--KNZTKD会話2017年8月30日 (水) 07:51 (UTC)[返信]

  • コメント
さて、3日前私は再々度「地名の由来」節の書き換えを行ったわけですが、本日何の理由の提示もなく、しかもアカウント表示のないIPのまま書込みを取消すという非常に姑息な手段を使った方がおります。まず疑われてしまうのは@そらみみ:さん、あなたな訳ですが何か身に覚えはありませんか?間違いだったら申し訳ありませんので是非ご釈明ください。また、新たな記述について何か不備な点があるとすればお約束通りこの場でご指摘ください。 ちなみに、旭川市はHPでのこれまでの地名由来の記述の一部に誤りがあったとして一部を削除しました。--Momonga-hokkaido会話2017年9月5日 (火) 02:46 (UTC)[返信]
    • すごいこと言いましたね。私がやるならこのアカウントでやりますよ。確かにあなたの記述にはまだあなた自身が考えた部分が含まれるけど、直ちに撤去するのは今のところ考えていません。--そらみみ会話2017年9月5日 (火) 03:04 (UTC)[返信]
  • それは大変失礼いたしました。あらぬ疑いをかけた事この場で謝罪させて頂きます。なお、今後も自分で必要と感じた点があれば随時加筆するつもりですが、もし気が付いた事があればご指摘頂ければ幸いです。--Momonga-hokkaido会話2017年9月5日 (火) 04:10 (UTC)[返信]

前回momobgaさんの書き込みを削除した人をIPアドレスから書き込みを検索したところ、
https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/240F:65:A335:1:5585:B44A:435E:A49
こんな感じですので、まともな常識的な方ではないようです。
--KNZTKD会話2017年9月5日 (火) 14:21 (UTC)[返信]

  • 改めてMomonga-hokkaido様の加筆を読みましたけど、「永田は函館県令・北海道庁の命を受けて全道のアイヌ語地名を調査した当時の権威学者であるが、空知・上川・樺戸3郡の調査は同年3月[13]であるはずの永田の意訳が2月のこの時点で既に成されていた[注 8]という事は、この意訳が調査以前に創作されていた疑いがある。」という部分は永田方正が剽窃をやっていたことを示唆しているんでしょうか?また、「地名とは直接関係のない忠別川語源説[15][注 9]が諸説として混同されるなど種々誤解が多い。」ということは、「忠別川語源説」を提唱した研究家たちの結論を「誤解」とするので、Wikipedia:中立的な観点に違反する書き方ではありませんか?--そらみみ会話2017年9月8日 (金) 16:00 (UTC)[返信]
  • 「剽窃」つまりパクリという事でしょうけど、それも可能性として全くないわけではありませんが、私はそこまで言ってません。永田方正が現地調査に赴く前にも関わらず新聞記事に同じ意訳が載っているという「事実」を指して言っています。どんな事情であれ実際に調査する前に意訳されていたら、これすなわち創作って言いますよね? 実際問題永田方正は雨竜郡や天塩国などにおいては他人からの見聞や測量地図などによって意訳をした事を蝦夷語地名解の中に記しています。上川郡についてはそれが記されていません。ですから疑いです。
    それと、文章をもっとよく読んで頂きたい。私は「忠別川語源説」の各研究者が誤解してるなどとは一言も言ってません。各研究者の「忠別川語源説」を「旭川地名由来説」とごっちゃにされる事が多いと言っているのです。事実、私が書換える前の記述でも「チゥ・ペッ」や「チュク・ペッ」があたかも旭川地名由来説であるかのように記述されてましたよね?こういった事を指して「誤解」だと言っているのです。新旭川市史でも触れられていますが、これらは永田方正の忠別川に対する「チュプ・ペッ」という語源解釈そのものが誤りで、その和訳も誤訳であるとした、知里真志保、山田秀三が自説として「忠別川に対して行った解釈」に過ぎません。
    書き方が悪ければ改めますが、この辺りの文脈だけは誤解のないようにお願いしたい。--Momonga-hokkaido会話2017年9月9日 (土) 13:10 (UTC)[返信]
    • 確かにあなたは明言していないが、その書き方は読者をわざとそう思わせるようなものではないでしょうか?つまり永田は岡部とほぼ同じような解釈を後からするから、その解釈は新聞記事かなんかを参照して作成した疑いがあるという風に考えさせるんでしょう。また、あなたの加筆によると、旭川の語源が「忠別」であることがほぼ定説なので、もし忠別の語源が「チュプ・ペッ」でなく「チゥ・ペッ」や「チュク・ペッ」であれば、「アイヌ研究者たちによると、忠別にそもそも「日の川」という意味はないが、岡部か永田が忠別の語源を誤解したから、誤訳は旭川の語源となった」ことも十分説得力があると思います。--そらみみ会話2017年9月9日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
  • 「わざとそう思わせる」もなにも、私はごまかしようのない日付の事実を明示した上で時系列的に矛盾がある事を申し上げてるだけです。「あれ?おかしいぞ」と考えるのが普通の人の感覚じゃありませんか?あなたが「わざと・・」と感じるのはあなた自身が永田擁護的な目で見ているからです。それに私自身はパクリだとまでは考えておりません。あくまで「事前創作」の疑いです。
    後半はちょっと何がおっしゃりたいのかよく分かりませんが、知里真志保は永田方正の誤りを指摘した上で「民間語源解の誤訳により旭川の名が生まれた」としています。その上で忠別川の実際の語源は「チゥ・ペッ」であろうとしています。つまり、永田の誤訳には違いないがそれが元で旭川の名は生まれたとしているのです。山田秀三も同様の理屈で忠別川は「チュク・ペッ」であろうとしています。要するに二人とも自分の語源説が旭川の名に結びつくなどとは一言も言ってないのです。よって私は当初から「チゥ・ペッ」「チュク・ペッ」共に旭川の地名由来とは関係ないという事を言っています。--Momonga-hokkaido会話2017年9月11日 (月) 03:53 (UTC)[返信]
  • 永田方正が岡部方幾の意訳をパクッタという会話がされていますが、永田方正と岡部方幾は旧知の間柄で永田は岡部を「友」と呼び、岡部は永田を「先生」と呼ぶ間柄であったことは文献に示されています。パくるような間柄ではありません。岡部方幾がどうして曹長という身分でありながら、上川離宮の新しい名称とその由来を新聞に語るなどと言う「重大任務」を行う事が出来たのかは調査を深める必要があると思います。--KNZTKD会話2017年9月11日 (月) 07:55 (UTC)[返信]
  • コメント@KNZTKD:
  • 旭川という地名の意訳者は岡部方幾であるという証拠となる資料を提示します。まず、明治23年1月に北海道学友会が出版した「北海道」という雑誌の第九号に、岡部方幾が北海道地名考と題して投稿を行っており、札幌、忠別、空知太、幌内太、石狩、琴似、手稲、夕張、幌向という9つの地名の意訳を行っています。
その中で空知太に関連して瀧川村という地名は永田方正先生が意訳したものだと記しています。
この「北海道 第九号」という雑誌を見た永田方正が、岡部方幾に書簡を送りその書簡の内容が明治23年3月に発行された「北海道 第十号」に掲載されています。
その書簡のなかで永田方正は「北海道地名考という投稿を見て感服したけど、私の考えも参考にして欲しいと、琴似村、手稲村、石狩の3つの意訳に対して永田方正自身の考えを述べています。
つまり岡部方幾が行ったの先の9つの意訳のうち3つに意見を述べ、他の6つに関しては感服したという形で岡部方幾の訳をその時点では受け入れているのです。

この間に明治23年2月8日に岡部方幾は北海道毎日新聞を訪れ、上川離宮にふさわしい名前として旭川の文字を言葉にしています。
永田方正の書簡が岡部方幾に届いた日と岡部方幾が発表した日の前後時期が解らないので、旭川の言葉を使う事を永田方正に相談したのかどうかは定かではありませんが、明らかに岡部方幾は永田方正に先んじて忠別の意訳を旭に通じる形で行っています。
そして明治24年3月に出版された永田方正の「北海道蝦夷語地名解」で永田方正は忠別の意訳として、岡部方幾が行った忠別はチユプ ペト として日出川(後の旭)と訳するのが適当というその訳とほぼ同じ訳を行っています。
つまり永田方正はパクッタわけでは無く、岡部の訳を認めて採用したということでしょう。
しかも永田方正はチュプペツを東川と訳しており旭川とは直接訳していません。
どう考えても忠別のアイヌ語の意味を「東川、又は旭川」と訳したのは岡部方幾しかありえないです。
--KNZTKD会話2017年9月21日 (木) 03:15 (UTC)[返信]
追記、岡部方幾の「東川、又は旭川」という訳が誤訳であるという後の議論は由来とは別の議論です。
--KNZTKD会話2017年9月22日 (金) 00:02 (UTC)[返信]

新聞記事内「玉ふ」は誤字ですか?

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賜ふ、もしくは給ふですよね? それとも当時こういう書き方があったんですか? 蓮調会話2018年8月3日 (金) 09:58 (UTC)[返信]

消滅集落に関する記載

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旭川市に限らず、道内のほとんどの市町村の記事について、国勢調査で人口が0と判明している町丁を「消滅集落」と定義して列挙している方がいます。 旭川市の記事で挙げられているものの殆どが、全域が工業団地であるとか、全域が学校や公園の敷地内であるとか、そもそも領域が狭小であるとか、「過疎による自然減で消滅した集落」ではありません。 そして、集落とは本来、ある程度の独立性がある地域共同体ですから、丁目とか条のような区画ごとにひとつの集落と定義しているのもおかしな話です。 この項目名は、「消滅集落」ではなく、「人口のない町丁」に変更していかがでしょうか。--以上の署名のないコメントは、124.35.206.109会話/Whois)さんが 2019年10月20日 (日) 05:18 (UTC) に投稿したものです(鐵の時代会話)による付記)。[返信]