コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:日本語/過去ログ2

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ1 過去ログ2 過去ログ3

語用論について

日本語に語用論(その言語が発話される状況や文脈によって、表現がことなってくること)が本文に一切述べられていないことに気がつきました。

日本語の語用論で重要になるのは敬語に代表される「待遇表現」と、男性語女性語老人語などに代表される「役割語」の二種類があります。

これらを本文ではどのように扱うべきでしょうか?

まず、どの言語においてもみられる待遇表現についてですが、日本語の場合、敬語体系として文法範疇に組みいられているという一大特徴があります(他言語でも存在するのかもしれませんが、寡聞にして存じません)。本文での扱い方は

  • 新たに「語用論」という節を立てる
  • 日本語の特徴で述べる
  • 文法の節で述べる

などが考えられます。他の言語と比較するのも面白いと思います。

次に役割語についてですが、始めに例を挙げます。

  • 【女の子】そうよ、あたしが知ってるわ
  • 【老博士】そうじゃ、わしが知っておる
  • 【関西人】そや、わてが知っとるでえ
  • 【武家様】そうじゃ、拙者が存じておる
  • 【お姫様】そうです、わたくしが知っているのです
  • 【中国人】そうあるよ、わたしが知ってるあるよ
  • 【男の子】そうだよ、ぼくが知ってるのさ
  • 【田舎者】んだ、おら知ってるだ

これは外部ページ[1]からの引用ですが、このように日本語は状況のコンテキストがなくても発話者がどのような人物なのかわかるという特徴があります。(もちろん、これも他言語でも存在するかもしれませんが)。これらも単なる表現の違いとみなすべきなのか、終助詞の違いなどによる文法の範疇とみなすべきなのか、判断に迷うところです。

話題としては興味深いと思うのですが、どう思いますか?--Damena 2006年12月3日 (日) 06:56 (UTC)

敬語などの加筆には賛成です。そもそも、敬語の話がごっそり欠落しているのは気になっていました。私はちょっと以前に「特徴」の節に「敬語が文法の体系に組み入れられている点は、朝鮮語などと似ている。」とだけ記しておいたのですが、これがいつの間にか削除されていました。なぜかな?と思っています。「特徴」の項には、敬語についての記述が当然あるべきです。
節を立てるとすれば、端的に「敬語」(「待遇表現」よりも通りがいいので)の節を新設して敬語を扱い、「文体」の節を新設して役割語(いわゆる位相語も)を扱うのがよいと思いますが、いかがでしょうか。「文体」には「書き言葉と話し言葉」なども入るでしょう。「語用論」という名称は、必ずしも上記の内容に合っておらず、また、「意味論」「音韻論」……などと同様に議論そのもののことになってしまうので、避けたほうがいいと思います(かといって単に「語用」という用語もありませんので)。
ついでながら「文体」に関連して、歴史の節に「文体史」を新設し、現在の「表記史」の記述から一部移動すべきだと思っています。--Hamlet 2006年12月3日 (日) 12:47 (UTC)
おおむね賛成ですが、日本語における敬語文体は独立した記事としてすでに充実しているので、どのように差別化を図るかが問題です。(役割語位相語語尾の項に詳しく説明されていました。)
また、位相語の説明に限れば、文体の節に含めて構わないのですが、「文脈やシチュエーションによって表現を変える」というのは「文体」の定義からも少し外れているので、英語のPragmaticsに相当する節が必要かもしれません。仮にPragmaticsに相当する節があれば、例えば、「皮肉」の表現などを入れることができると思います。(扱う分野が広くなってしまいますが)
ところで、用語に関して私見を述べさせていただくと、例えば「敬語」という用語は、かなり定義が曖昧ですが、仮に尊敬語丁寧語謙譲語を指すものとすれば、それは日本語に限定した記述となります。日本語を伝統的な「国語学」の成果を用いて論ずるか、もっと普遍的な理論言語学の元に論ずるかは、議論の余地があると思いますが、私は「待遇表現」などの言語学的に、より一般的な用語を用いたほうが、他の言語との比較の便がとれると思いました。そういう意味では現在、この項目が「国語学」からリダイレクトされている点や、文法の節の一部が伝統的文法に傾倒している点も少し疑問を感じています。極端な言い方をすると、「○○は、伝統的には○○とみなされているが、これは○○の一種だとするのが言語学的にはより一般的である」のような記述が理想であると思いますが、記述量が100キロバイトを超えていることですし、伝統的研究は「国語学」や「日本語論」へ分割してもよいかもしれません。まあ、それはやりすぎにしても、「日本語は決して特殊な言語ではない」と「日本語の難易度」の節でも触れているように、この項目の全体的な姿勢として「日本語の特徴は言語学的にはこのように説明する」という立場で統一することが重要なのではないでしょうか(音韻の節がよい例です)。もっともこの項目を伝統的研究に統一して、言語学的な解説は「理論言語学」の項目に任せるのも、一つの手段ではあると思いますが。--Damena 2006年12月3日 (日) 15:57 (UTC)
節タイトルについてですが、「敬語」がよい、というのは強い主張でなく、「待遇表現」もよいと思っています。「待遇表現」は「てめえ、覚えてやがれ」のような敬意がないものも含みますね。また、「窓を開けてくれ」と言わず「今日は暑いねえ」と言ったり、京都で「もうお帰りください」と言わず「ぶぶづけでも食べてお行きやす」と言ったりするのは、「敬意表現」とか「敬語表現」とか言われますね。これらをひっくるめて「待遇表現」でもいいと思います。
なお、「今日は暑いねえ」が「窓を開けてくれ」を意味するのは語用論の範囲だと思いますが、「食べる」を尊敬語で「召し上がる」というのはむしろ文法論の範疇なので、語用論の下位概念に敬語(待遇表現)があるわけではないと考えます。
文体の範囲には、「位相語」のみならず「役割語」も含めていいと思いますが、いかがでしょう。「位相語」が、女性のことば・学生語・学者用語などを含むのに対し、「役割語」は、現実に使われていない「博士っぽいことば」「いかにもお嬢様であるかのようなことば」なども含むもので、根本は同じだと思います。「文体」の中に、「だ体・です体・である体(これは文体史?)」「口語・文語(これも文体史?)」「話し言葉・書き言葉」「位相語」「役割語」などが含まれるでしょう。文体論には、さらに「修辞(直喩・隠喩……)」も含まれますが、さすがに「日本語」の項目ではカバーしきれないでしょう。
他項目との役割分担については、節を改めました(下記)。--Hamlet 2006年12月4日 (月) 12:18 (UTC)
そのような節タイトルでよいと思います。確かに「レトリック」まで含めると収拾がつかなくなりますね--Damena 2006年12月4日 (月) 17:06 (UTC)

他項目との役割分担

他項目との役割分担(差別化)は悩むところです。「日本語」は総合項目なので、他に個別項目があるからといって、まるまる省略するわけにもいきません。たとえば、「品詞・用言の活用」に関して、これまで「日本語」の項目では、個別項目へのリンクしかありませんでした。さすがにそれはどうかと思い、私は最低限の説明を加えました。

他項目との役割分担については、以下のようにしてはどうでしょう。

他に詳しい個別項目がある場合は、「日本語」の項では

(1)ごく概説的に触れる。「概説的」の度合いは、中学の授業で触れてもおかしくない程度にとどめる(用語は教科書の範囲で、専門的にならないということ)。
(2)最後に「(個別項目)を参照。」との文言を入れる。

「日本語」のような総合項目は、他の項目への案内役も期待されているので、上記のような態度も必要でしょう。

「日本語」の「品詞・活用体系」の節のうち、「活用体系」はまあこの分量でよいとして、「品詞体系」は長すぎたかな?と思っています(現時点では私が執筆)。個別項目の「品詞」より詳しいくらいです。しかし、これより短くすると意味が無くなるように思います。--Hamlet 2006年12月4日 (月) 12:18 (UTC)

今まで見落としてましたが、(1)の方針は、かなり重要だと思います。私は上で「より言語学的に中立的な記述にするべき」と申しましたが、確かに読者が記事の内容を理解できなかったら意味がありませんね。下手に「アスペクト」・「名詞クラス」・「曲用」などの言語学的用語を持ち出して、記事全体の敷居を高めるよりは、わかりやすい表現に妥当したほうが遥かに百科事典として優れている記事になりますね。同じく、私が上で申しました「伝統的国文法」云々についても、ラテン語ドイツ語の記述を見たところ、あからさまに「伝統的文法」や「学習用文法」の視点の記事になっているので、この方針でいいと思います。
記事が長くなりすぎている件については、私も気になっていましたが、そもそも日本語周辺の個別項目の記述がまだまだ充実していないのが現状なので、この辺の加筆も今後の課題ですね。数日前に軽い気持ちで「秀逸な記事」として推薦しましたが、まだまだ問題が山積みですね。--Damena 2006年12月4日 (月) 17:21 (UTC)
他の言語の項目と比較して、「日本語」は確かに長いですね。短くする場合、たとえば、「歴史」は「日本語の歴史」という別項目にしてしまうことが考えられます(これでほぼ半々になります)。もっとも、「日本語」の項目に「歴史」がないのも寂しいし、「日本語」は基本項目なのである程度の長さは必要でしょう。今後異常なまでに文章量が増えるのでないかぎり、このままでしばらく様子を見てかまわないと思います。
ほかには、「辞典」は、他項目の「国語辞典」に吸収してよいと思います。「日本語の難易度」は、半分ぐらいに簡潔化して、「日本語」の「特徴」あたりに入れられそうです(現在は「音韻」「文法」と並ぶ節になっていて違和感があります)。
もっとも、削るよりも、まず、欠けているところの補筆が先決だと思います。--Hamlet 2006年12月5日 (火) 02:59 (UTC)
あれこれと文句ばかりおおく申しわけのないことです。私用で今月中はもういないので、FA化にむけたことで、雑駁ながら構成の面などを一編にここに書いてしまいます。議論自体はみなさんの都合のよろしいようになさってください。
さて、かなり充実した内容になったわけですが、すこし長すぎる嫌いがないでもありません。もちろんそれが全体を論ずる上で欠かせないのであればちがうのですが、音韻論・文法論など、個別項目がないものでは、いまある内容を、歴史とともにそのまま個別項目へ移して、そのうえでさらにそれの概論(音韻であれば母音体系の説明など)をこの項目に記す、というのはどうでしょうか。
出典ですが、個別研究を参照するより、最新の概説書を参照するほうが、学史的な面も含めて覆ってくれますし、通説に比重を置くという面からもよりよいように思うのですがどうでしょうか。以前お挙げになったので引合いに出すのですが、キリシタン版ではなるべく個別研究よりも概説から引くように心がけています。これはウィキペディアの筆者が内容について責任を負いにくいという点から、研究者としては好ましいありかたではないかな、と考えているためで、しかし別のとらえ方も十分ありうると思います。まとまりのないコメントですが、これにて。 Kzhr 2007年2月25日 (日) 10:54 (UTC)

秀逸認定について、現状で、ほぼ問題はクリアされる所まで来ているとのご認識だと、理解しました。

長さについてですが、充実と分量とは切っても切れないので、悩むところです。私は上で「歴史」は分離してもいいのではということを書きましたが、今のところ、「将来の課題かな」と思っております。秀逸認定のための議論で、補充の要望があった中に、歴史項目もいくつか含まれていました。日本語を母語とする者が「日本語」を考えるとき、歴史的な興味はつねにつきまとうので、1つの項目で併せて述べるメリットはありそうです。今後、分量が一段と増えれば、その時には、再考の必要があると思います。

出典についてですが、やはり、容易に確認が取れるような通説については、典拠は省略でよいと考えます。何か適当な概説書や事典をとりあげて典拠とすることはできますが、そうすると、ことあるごとに特定の『日本語○○事典』だの『日本語××』だのが出典として顔を出すことになり、わずらわしくなります。それよりは、そういった基本文献を「関連書籍」に挙げた方がすっきりします(現状ではそうしています)。

さらにいえば、私を含め、執筆者は、そうした『日本語○○事典』を引き写して書いているわけではないはずです。単純な1文を書くだけでも、数種の参考書を確認することはざらでしょう。それで、厳密に行こうとすれば、1つの文に細かい注がいくつも付くことになります。それは現実的でないので、概説書に書いていないようなことで、「それは本当ですか」と言われそうな部分に優先して注を付けるべきだと思います。--Hamlet 2007年2月25日 (日) 22:41 (UTC)

終止・連体形の合一

文法史>終止・連体形の合一には

たとえば、『紫式部日記』には、

かたみに知らぬ人も、語らはるる

と書いてありますが、『紫式部日記』の原文には「かたみに知らぬ人も語らはば」としか見つかりませんので、この例はどこから取られているでしょうか。--クレイグ・ロナルド 2007年2月2日 (金) 10:03 (UTC)

『紫式部日記』にはいくつかの伝本がありますが、当該箇所については諸本により本文が揺れていて、「かたみに知らぬ人も語らはば」と「かたみに知らぬ人も、語らはるる」の二種類があるようですね。岩波書店の日本古典文学大系の校異によれば、桃園文庫蔵一本と紫式部日記絵巻の二本のみが前者で、大系の底本である群書類従本をはじめ、残りの伝本はみな後者のようです。文脈上は確かに前者の方が具合がよさそうなんですがね。まあ確かに諸本によって揺れているような箇所を用例にするよりは、別の例、たとえば「雀の子を、犬君が逃がしつる。伏篭の中に篭めたりつるものを」(『源氏物語』若紫)あたりを挙げた方がよいかもしれません。--Ponsaku 2007年2月2日 (金) 10:52 (UTC)

用例を適切なものに変更しました。Ponsakuさんお書きの「雀の子を……」も有名ですが、これは、「犬君が~連体形」であり、「が」のあとは古来連体形になるので、別の例としました(同じ若紫巻ですが、この部分に諸本異同はありません)。

なお、「「が」のあとは古来連体形になる」という例は、たとえば、万葉集の「楽浪の志賀さざれ波しくしくに常にと君が思ほせりける」(巻二・206)などのことです。「思ほせりけり」にならないのですね。--Hamlet 2007年2月2日 (金) 15:32 (UTC)

日本語の系統についてのトンデモ学説

アルタイ起源説、オーストロネシア起源説、大野晋説などのある程度、歴史のある学説と日ユ同祖論を並べるのは、あまりふさわしくないと判断し、コメントアウトしました。トンデモにしては、ある程度、認知されている説であるので、偽言語比較論日本語の起源で取り上げるのが良いと思われます。--Damena 2007年2月13日 (火) 08:31 (UTC)

stubレベルの記事ですが、日本語の起源に追加しておきましたので、加筆を募ります。--Damena 2007年2月13日 (火) 09:03 (UTC)
「珍説・奇説」とでも書くならともかく、なんの説明もなしに「トンデモ」なる俗語(あるいは新語)を見出しに持ってくるのは百科事典的にどうかな、とは思いました。一応日本語の起源のほうでは解説としてリンクが付けられているので、その点まあセーフかな、とは思いますが……。死郎 2007年2月13日 (火) 12:57 (UTC)
ご指摘の通りなのですが、「トンデモ」以外に的確な単語が思い浮かびませんでした。一応、見出しは変えておきました。--Damena 2007年2月14日 (水) 01:58 (UTC)

長音について

新しい記述で非常に解りやすくなりました。妄言を許していただければ「長音(ー)は音韻論上の概念であって、直前の母音を1モーラ分引くという方法で發音される獨立した特殊モーラである。しかし、音聲學上は長母音の後半部分に相當するものである。」といふくだり、前半と後半が襷がけになってゐるやうな氣がいたします。長音は音韻論的概念ではなく、ある種の假名の連續が表すものが西歐人の耳にはさう聞えるといふだけのものではなかったかといふ氣がしてをります。Kmns 2007年2月20日 (火) 23:50 (UTC)

長音(ー)は音韻論的概念です。金田一春彦は『日本語音韻の研究』(東京堂出版)p.143で、長音について「<直前の音節そのままの口構えで1音節分声を引く>という内容をもった音韻である」と記しています。なお、ここで「音節」とあるのは「モーラ」のこととお考えください。
「襷がけ」とおっしゃるのがよく分かりませんが、説明内容に特にねじれはないと思います。また、音韻論的概念と音声学的概念の違いというのは、べつに日本人の認識と西洋人の認識の違いということではありませんので、その点は考えに入れなくてけっこうです。
単純化して乱暴なたとえを用いれば、要するにこういうことです。だれかがラッパを吹いて、音を長く響かせたとします。このラッパの音は、切れ目もなにもありません。音声学的なとらえ方というのは、まさしくこういった自然そのままのとらえ方であって(注)、「ラッパの音が比較的長く持続している」(長母音に相当)ととらえます。しかし、一方、ある人は、その音を音楽的にとらえて、「2小節分鳴っている」とか「2拍分鳴っている」とか「2秒間鳴っている」とかいうように、枠を当てはめて考えるかもしれません。日本語の「長音」の概念は、まさしくこういうことで、切れ目がないはずの音を「プー」というふうに「プ」と「ー」(もしくは「プ」と「ウ」)に分けているということです。
(注)自然そのままというのは言い過ぎです。音声学的見方も人間のとらえ方に変わりないからです。ここでは話を単純化しました。--Hamlet 2007年2月21日 (水) 04:16 (UTC)
襷がけと申しましたのは、音韻概念として始まって音聲概念として終ってゐるやうに感じられたからです。かかる場所で發言してゐながら申すのも變ですが、學者ではない。モーラと音節のことも、ああさうだと納得できてはゐないのです。引用された文献にはさうあるのでせう。音韻論といふこと、日本語の立場で立論されてゐるのでせうか。長音といふ音韻を立てるべきかどうか、言語を越えた絶對的な基準があるのでせうか。引き算して出てくるいはば一種の虚構なので音聲的實體と異なるといふ意味なのでせうか。英語では長母音短母音といふ區別は音聲的實體に對應した分類だと思ふ。しかし、それを引き算して出てくる持續を示す發音記號のコロンの表すもの、これはやはり一種の虚構かもしれません。長母音短母音といふ分類が音韻論的に成り立つかどうかといふ場合の音韻といふことなら判る氣がするのですが。今のままではもやもやしたものが残るといふだけでとどめて貰へませんか。書込んで來たくせに今さら何だと言はないで下さい。メールをいただいた手前もあり、またノートなら結論のでないやりとりも許されるかと思って書込んだわけです。全部消去してもらってもかまひません。Kmns 2007年2月21日 (水) 11:56 (UTC)

敬語について

最近、敬語の分類を變更するとの報道に接した。全く理解できなかった。敬語といふのは文法範疇だと考へていたが、どうも語用論の範疇なのだ。今まで謙譲語といふのは一人稱についていふものだと思ってゐたので「電車が參ります」の「參ります」が謙譲語とあったのに驚いたわけです。動詞本來の意味があって、敬語的用法は派生的なものなのではないか。さう考へるのはとんでもない間違ひなのでせうか。Kmns 2007年2月21日 (水) 00:10 (UTC)

「電車が参ります」は、学校では謙譲語と教えていますし、そうとらえてかまわないでしょう。ただ、今般、文化審議会国語分科会の答申では、電車が来た事実をそう表現したからと言って、話し手が聞き手に対してへりくだっているわけでもないので、「謙譲語」でなく「丁重語」と呼ぶことになったと、私は理解しています。「丁重語」の用語自体は前からあります。
「参る」の本来の意味は、下位者が上位者のところへ向かうということでしょう。本来の意味でも待遇表現に関わっていると思います。
文化審議会の答申には個人的にいろいろと感想はあります。ただ、このノートの趣旨は、日本語そのものについて議論することではないと思いますので、深入りはやめておきます。--Hamlet 2007年2月21日 (水) 04:33 (UTC)
横から失礼します。以前、Kmnsさんから日本語の秀逸な記事の選考において、保留票を頂きましたが、今回締め切りが差し迫っているので、ぜひ再評価をお願いします。--Damena 2007年2月21日 (水) 08:11 (UTC)
昔、半世紀も前になりますが、高校で習った文法では謙譲語は一人稱を示すものであったやうな氣がしてゐます。實際にさうであったかどうかは別として、とにかくさういふものだと思ってゐたのです。今回の報道に接し、念のため或る國語辭書を引いたところ、話者の行爲についていふとあったので、さういふ考へもあったのではないかと思ってゐます。これが敬意表現一般であれば、世界中の言語にある。どうも木を見て森を見ずの議論になってゐるやうに感じた次第です。人稱の問題だとすれば「電車が參ります」は謙譲語ではない。三人稱についての表現だからです。「頂上に登る」を「頂上に行く」といふべきだとする議論と少し似てゐるやうな氣がする。「參」は明るいところ、晴の場に出てくることを言ふのではないでせうか。だから「選手團が入場して參ります」と實況中繼のアナウンサーが言っても全く違和感がないのだと思ふわけです。もし、敬語についての考へ方に變化があったのであれば、そのことも書いて欲しい。Damena さんから再評価をとのご注文ですが、保留のまま何も書かないといふのはまづいのでせうか。評価でなく自分の疑問を述べて疑問を解消したかったこと、そしてそれは項目の内容を善くするのに多少なりとも寄與するのではないかと思ってゐるからですが、疑問が解消してゐないことはご覧の通り。それでも再評価のために何か書込むべきなのでせうか。Kmns 2007年2月21日 (水) 12:26 (UTC)

Kmnsさんにも、できれば秀逸な記事の選考で賛成に回っていただきたいところです(私は賛成の立場ですので)。もちろんご納得いただければの話です。保留票があると秀逸には認定されないため、棄権という形でもお願いできればと思います。

ご疑問の内容は、かなり独特なものとお見受けします。これはKmnsさんに限らず、日本語に関する疑問というのは、さまざまな人がその人独自のものを持っているので、総論を述べる百科事典は、回答者としては必ずしも適格でないと思います。私もできればお答えしたいのですが、ご質問の趣旨を十分に把握できていない面もあります。質疑応答は、ウェブ掲示板などでの議論にふさわしいと思いますが、いかがでしょうか。「秀逸」の選考基準も、百科事典に質疑応答の役目は期待していないのではないでしょうか。

私としては、秀逸な記事の選考と、Kmnsさんのおっしゃるご疑問の解決とは、一応分けて考えていただければいいのではと思います。--Hamlet 2007年2月22日 (木) 07:38 (UTC)

棄権といたしました。Kmns 2007年2月22日 (木) 11:23 (UTC)

形式を他言語の記事と統一することに関して(長期的な議論)

現在、当記事は秀逸な記事に選考中ですが、その議論の中で次のような意見が提示されました。

(前略)(日本語という記事が分かりにくい)その理由の一つとして、言語関係項目の記述方法が各言語間で統一されていないというものもあるのではないでしょうか。例えば人物関係の記述では、Wikipedia:ウィキプロジェクトで見出し名や記述位置を統一していて、人物の記述を「横断的に」読むにはとても便利です。その意味では、例えば「各言語の動詞について調べたい」と思ったときに、項目「日本語」には「動詞」という見出しがなく、しかも一番詳しくわかりやすい記述は項目動詞の中にあったりするというのは、読者にとってあまり親切ではないようには思いました。(後略)Crystaltearさんの 2007年2月24日 (土) 02:39 (UTC)における書き込みより

この問題は、一朝一夕に処理できるものではないので、記事の改訂自体は秀逸な記事の選考に決着がついてからとりかかるものとしましょう。

とりあえず、私の意見を挙げておきます。確かに記事を「横断的」に読むことができれば、調べものに対して大きな助けになるでしょう。これに関してはウィキプロジェクトの大学などで成果を挙げています。しかし、種々の言語に対してこれを適用するのにあたって、それぞれの言語における「古典的研究」や「学校文法」が大きな障壁になると思います。例えば、日本語における「連体詞」に相当するものは朝鮮語では「冠形詞」と呼びます。これらは歴史的に固定された名称なので、統一するのはかなり困難なものだと思われます。

ですので既存の記事の統一は、ある程度妥協することにして(全く必要ないと言うわけではありませんが)、思い切って新たに対照言語学における日本語対照言語学における英語などの記事を作成するのは、いかがでしょう。そうすれば、既存の記事を気にすることなく、斬新な記事が可能になると思います。--Damena 2007年2月24日 (土) 16:39 (UTC)

Damenaさんのご意見に賛成です。むしろ、多くの言語を統一的に扱おうとする際には、保留に保留を重ねて、ごくごく慎重にやる姿勢をくずしてはならないと思います。理由として、Damenaさんのご意見と一部重なりますが、
  • 言語によって、概念の枠組みがまったく違うことはしばしばで、複数言語を統一的に理解しようとすることが、かえってそれぞれの言語の特質を見失う結果になりかねないこと。例、英語の「形容詞」は修飾語ですが、日本語の「形容詞」は同じ名称を用いているというだけで、むしろ英語のverb(=動詞)の性格が強いものです。別の例、三上章は「日本語に主語はない」と必死で主張し、今ではその考え方は多くの研究者が受け入れています。森重敏『日本文法―主語と述語―』(武蔵野書院)のように主語・述語の用語を用いる研究者でも、その定義は学校文法の主語・述語とはずいぶん変わっています。「日本語はSOV構文だ」という説明では、こぼれ落ちるものがかなり多いのです。現在のWikipedia「日本語」の「文法」の節では、対照研究的な見地により「SOV」の話から始めていますが、続いてその考え方を修正するために行数を費やしています。
  • それぞれの言語項目ごとに、利用者側の知りたい情報の性格が異なること。例、現在の「日本語」の項目には、「歴史」に全体のほぼ半分の分量を割いています。これは、「日本語」の利用者の多くは日本語を母語とし、歴史にも関心があるはずとの想定からです。しかし、他言語の項目では、必ずしも詳述の必要がないかもしれません。むしろ、他言語の項目は、学習者の立場で読まれることが多いはずで、そのための節も必要になるでしょう。
このようなわけで、それぞれの言語の項目のフォーマットを統一することは、デメリットが無視できないと考えます。ただし、「各言語の動詞について調べたい」という利用者は当然いるわけで、それに対応することは必要です。でも、それは「動詞」の項目で対応すべきものだと思います。
なお、現在「日本語」の項目では、名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞……などの説明は、品詞分類で「○○の特徴により動詞という品詞を立てる」という形でしか触れられていません。将来的には、「名詞」「動詞」「形容詞」「形容動詞」「副詞」……の節を増やすことは考えられますが、記述が膨大になることは覚悟しなければいけませんね。--Hamlet 2007年2月24日 (土) 18:01 (UTC)

「系統」の節の記述について

「系統」の節で、2007年2月28日 (水) 09:36に、Mikihikoさんから以下の書き込みがありました。

最近は遺伝子研究が盛んになり、日本人は遺伝子的に北方系集団と近縁であり南方系集団とは距離があるため、オーストロネシア語族とは関係が薄いことが判明されてきている。

私は、履歴に「戻します。遺伝子研究の成果は言語系統の研究と分けるべきなので(人種が違っても言語系統が同じことも)。」と記して、元に戻しました。その後、Mikihikoさんが修正の上再投稿されました(Damenaさんの修正があります)。私もさらに説明がないまま書き換えては編集合戦になりますので、ここで皆さんのご意見を伺いたいと思います。

私は、「遺伝子」の話は除くべきだと思っています。理由は、

  • 言語の系統を論じるには、基本的には音韻対応など言語学的手続きに基づくべきであり、遺伝子研究の話は(内容のいかんにかかわらず)傍証以上のものにはならない。

ということです。この部分は言葉の話としては脇道であるため、削ることが至当と考えます。

上記部分は、安本美典氏の『新説!日本人と日本語の起源』(宝島新書 2000)に基づくものと思います。安本氏は、きちんとした研究者であり、研究姿勢は、とことん俗説を排しようとするもので、私も共感を覚えます。

ただし、上記は、同書の第5章「日本人起源論の徹底検討」で触れられたものであり、系統論ではなくむしろ「日本人はどこから来たか」という話なのです。安本氏は、法医学者・松本秀雄氏の研究に基づき、日本人の遺伝子は北方型であると紹介しています。そして、そのことは次の第5章「日本人と日本語の形成のプロセス」でも触れられています。とはいえ、安本氏は、日本語と他言語の関係を考察する部分に関しては、遺伝子の話を持ち出していません。「計量的、全体的に考えることが必要」(p.161)として、文法・音韻の特徴を比較しています。言語学の研究ですから、これは当然です。

したがって、日本人論でなく「日本語」の項目で、遺伝子パターンを論拠に「日本語・オーストロネシア諸語」の関係の有無に言及することは、それを肯定する人にも、否定する人にも、あらぬ誤解を生む結果になるだろうと思います。

誤解を避けうるほど詳しく書けば長くなり、バランスを失するので、むしろ、オーストロネシア語族の項に、安本氏の著書を出典として示した上で書くのがふさわしいと思いますが、どうでしょうか。皆さんの合意が得られればと思います。--Hamlet 2007年3月1日 (木) 12:28 (UTC)

そうですね。現状のままだと、どうしても誤解を与えそうな記述ですね。当面の間はコメントアウトでいかがでしょう。--Damena 2007年3月1日 (木) 15:01 (UTC)

日本語の構造図について

「私が電話をかけますよ」の「が」はいわゆる総記解釈が強いので、典型的な主語・述語の文として挙げるのは適切でないと思います。「犬がボールをくわえています」等の方がいいのではないでしょうか。

また、三上を原典としているとはいえ、題述構造の図にのみ格が表示されているのはアンバランスではないでしょうか。三上が自説で主語を否定する中で格を用いているのは分かりますが、一般的に格(case)は文法関係(grammatical relations)とは別次元のものですから、ここでは表記しないのが適当かと思います。それでは題述構造の図が単純になりすぎるということでしたら、バランスを取る意味で主述構造の方にも格を示すのがいいと思います。202.252.137.55 2007年3月2日 (金) 03:13 (UTC)

図表の作者です。ご指摘ありがとうございます。
おっしゃるとおり、「私が電話をかけますよ。」は「ほかでもない私が」という意味になってしまうので、典型的な主述構文の例としては違和感があるかもしれません。「犬がボールをくわえています。」でもいいのですが、述語でなく2文節の述部ということになり、ややこしいので、「鳥がたまごを生みますよ。」にしました。「~ますよ」という言い終わりにこだわるのは、動詞・助動詞・助詞のかたまりを作りたかったからというだけのことです。
「主格」「対格」としていたのは、「主格補語」「対格補語」としました。これは三上『現代語法序説』第二章一に示されており、文の成分の名として差し支えないと考えました。主述構造の文のほうは、橋本文法に従っていることもあり、格を示すのはなじまないと考え、このような処置にしました。--Hamlet 2007年3月2日 (金) 11:30 (UTC)

言語テンプレート内容について

「統制機関」(agency)については、「特になし/日本国政府(事実上)」とするか、単に「特になし」がよいと思われます。

「日本国政府」を詳しくいえば、

  • 「常用漢字表」「現代仮名遣い」「送り仮名の付け方」「ローマ字のつづり方」「外来語の表記」については内閣告示
  • 「人名用漢字」については法務省が指定
  • 「公用文作成の要領」などについては内閣官房長官依命通知
  • 「表外漢字字体表」などについては文部大臣(当時)の諮問機関である国語審議会が答申したもの(内閣告示せず)

……等々という具合で、日本国政府およびそれに関係するさまざまな機関が告示や通知を発しています。これを一括すれば、「日本国政府」ということになります。

別に特記しなくてもいいともいえますが、「あえて言えばどこか」と思う人もいるでしょうから、触れておきます。--Hamlet 2007年3月18日 (日) 04:19 (UTC)

人名用漢字については判断の難しいところですが、統制ということを、そのような告示や通知からかんがえるのはあんまり益のないことではありませんか? 国語政策を担うところが両省庁であることと、その政策がどのようなかたちで公布されるかは関係がないように思います。 Kzhr 2007年3月18日 (日) 16:05 (UTC)

公布の形式はもちろん無視していいと思います。ではその通知なり答申なり法案(人名用漢字の場合)作成なりの実務をどこが担っているかというと、現在では

  • 文化審議会国語分科会(文部科学大臣および文化庁長官の諮問機関)
  • 法制審議会(法務大臣の諮問機関)

あたりでしょうか。しかしこれは「統制機関」の名にはなじみませんね。では「文化庁」かというと、どうも文化庁はその上の「文部科学省」に統制されているように思います。文科省・法務省は「日本国政府」に統制されているように思います。JIS漢字の範囲や字体などは、民間組織の日本規格協会の委員会が決めているわけですが、こちらの所轄官庁は経済産業省ということになります。

フランス語のアカデミー・フランセーズのように、「国語」を一手に引き受けている存在が日本にはないので、客観的に書きにくいですね。そこで、「特になし」に何か書き足すとすれば、「日本国政府」あたりではないかと思います。あるいは何も書き足さない道もありますが、現状は「無統制」ともいえませんね。--Hamlet 2007年3月18日 (日) 18:27 (UTC)

日本国政府、というのが客観的な意見だとは思えません。人名用漢字およびJIS漢字についていえば文字しか左右していませんし、前者はともかく後者には文部省や文化庁も制定に関わっています。また、省庁の独立が強いので、統制というのは見た目にすぎないでしょう。国語審議会も分科会になりめだった統制はされなくなりつつはあるものの、明治から昭和にかけての標準口語のもくろみや、現在でも、学校教育を通じて影響力はかなりのものがあります。国語政策史についての文献、手許にはあまりありませんが例えば松村明「現代語の成立と発展」土井忠生編『日本語の歴史』改訂版(至文堂、1957年)をあげておきます。上田や時枝の研究でもよくみられる話題のように思います。 Kzhr 2007年3月19日 (月) 14:25 (UTC)

おっしゃる点、まったく異存はありません。ただ、テンプレートに書くのにどうしようかな、ということです。責任の所在がどこにあるか、というと、役所の常でよくわからないということなのです。私は「日本国政府」にこだわっているのではないのでして、まあ一番の責任元は「日本国政府」であろう、という程度のことです。このように認定するのはウィキペディアン自身ということになりますね。客観性が担保されないので、やはり「特になし」のみにしましょうか。--Hamlet 2007年3月19日 (月) 19:57 (UTC)

2007年9月20日 (木) 00:03 に、マルシーさんにより、「一応文化審議会国語分科会があえていえば統制機関的役割を果たしているといえるのでは」とのコメントとともに、「日本国政府文部科学省文化庁文化審議会国語分科会(事実上)」の編集がありました。これで「文化庁」に2票(私は「特になし」に1票でした)ということになります。書式については、「フランス語」の「アカデミー・フランセーズ」のような書き方に改めました。--Hamlet 2007年9月20日 (木) 08:48 (UTC)

方言について

方言については、Hamletさん他の努力によって、充実してきているようですが、"日本語"の記事としては長くなっているような気がします。一方、方言の内容は不足気味であり、この内容は方言か、日本語の方言の方に適切に移動するほうが良いような気がしますが、皆様の見解はいかがでしょうか?--Kk8998982 2007年3月25日 (日) 01:29 (UTC)
一部修正--Kk8998982 2007年3月25日 (日) 01:37 (UTC)

日本語#方言」を「方言」もしくは「日本語の方言」に移してはというご提案ですね。私はこう考えます。
  • 日本語#方言」は、記述はまだ粗いが、一般的概説の「日本語」の一部としては、この程度でよく、また、ここにあることがふさわしい。より詳しいことは、「日本語の方言」で述べるのがよい。そして、「方言」からも「日本語の方言」を参照させるべきである。
  • 現在「日本語#方言」では、「東西方言の境界とそれぞれの特徴」「方言区画」についての記述に留めてある。一方、現在の「日本語の方言」は、これらをまあまあ含む形で、より詳しく述べている。これは適当なあり方だと思われる。とはいえ、「日本語#方言」にあって「日本語の方言」に落ちている記述もあり、それは「日本語の方言」に加筆すべきである。
つまり、まとめると、「日本語#方言」→この位置に置いておく、「日本語の方言」→足りない部分の加筆を、ということになります。後者の加筆については、わたしもできる範囲でご協力しようと思います。いかがでしょうか。--Hamlet 2007年3月25日 (日) 06:53 (UTC)
コメント有難うございます。日本語は秀逸な記事に選ばれており、迂闊にいじるのは避けたいと思っています。いずれにしても、今まで労を負ってきたHamletさんのご意思を尊重したいと思います。--Kk8998982 2007年3月25日 (日) 09:14 (UTC)
大した労もとっていないので恐れ入ります。「日本語」の項目は、入口に相当するもので、それを読んで興味を持った人が、個々の専門項目をたどるような感じになればいいと考えています。ただ、それぞれの専門項目のほうがかえって不備である場合もあり、これはやはり課題だと思います。「秀逸記事の選考」のとき、Tantalさんが、〈「日本語」がフォーマットとなる形で、日本語から派生する記事群が、よりいっそう充実するだろうことは推測できます。〉と発言されましたが、私も賛成です。派生記事のほうが簡単(または不正確)である場合、そういうねじれ現象は解消していくべきものです。その際、「日本語」の項目を簡略にして解決するのではなく、専門項目を充実させることで解決するのが望ましいと思います。日本語関係に限りませんが、大事な項目なのに不十分な項目はまだまだあります。少しずつ、つぶしていきたいですね。--Hamlet 2007年3月25日 (日) 14:21 (UTC)

サブカルチャーと日本語学習熱の関係の資料

具体的な数字は、よくわかりませんが、アメリカでは、「manga」「anime」などの語はもちろん、「seiyu」「yonkoma」などの日本語も使われているらしいです。[2] 「Hentai」のように日本語とは、違う意味で用いられる語や「Shonen-ai」のように日本では和製英語(ボーイズラブ)を使うにも関わらず、英語圏では独自の日本語を用いることがあるのも興味深いです。

そのほか、あまり胸を張っていえることではありませんが、「bukkake」など、性風俗に関する用語も、かなり積極的に輸入しているようです。[3]

翻訳の難しい表現をできるだけ、造語によってわかりやすくする努力は、以前から続けられていますが、日本語が海外のオタク文化に強いインパクトを与えているのは事実のようです。実際、アメリカで現在売られている「manga」の多くが横書きにも関わらず、右開きです。それまでは、左開きにするために、反転印刷していたのですが、有力な漫画家(たしか鳥山明だったと思います)が文句を言い、無理やり右開きにさせたのを多くの読者が受けれたためであるといわれています。

もちろん、日本語話者のコミュニティーとしては、かなり狭い範囲のものですが、単なるブームにとどまらず、今後も成長していくものと思われます。(政府が積極的にアニメ・マンガを輸出産業として位置づけいるくらいですから)

以下のものは、リンク切れや孫引き的なものも含みますが、一応web上で確認がとれたものです。

また、手元にないので内容の確認はできませんが、以下の書籍も参考になりそうです。

  • 『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』(ISBN 4778310020)

関連するTVニュースの動画のリンクも貼っておきたいのですが、問題がありそうなので、やめておきます。youtubeなどで、「otaku」と検索すれば、たくさんでてきます。--Damena 2007年4月1日 (日) 19:42 (UTC)

追加します。

  • 80年代後半からのと呼ばれた日本語ブームの際に日本語を教える学校が急増しtsunami他の教科の教員の再教育が盛んに行なわれたり,日本の派遣団体が送る無給のインターンと呼ばれる無資格のネイティブスピーカーを教師としての日本語クラスが開設されたりした時期もあった「オーストラリアにおける日本語教育活動の概況
  • 日本語ブームも起こっていて、達者な日本語を使う人や、将来は日本でドイツ語教師をやるのが夢という若者にも出会う。聞けば、彼等にとって日本語は「音楽的な言語で美しい」のだそうだ。「「ドイツ語訳日本の歌」を聴くアニメファンたち
  • 最近では教育熱心な親たちが「英才教育」の1分野として「異質な言語」日本語を学ばせることが流行っている。「ケルン日本文化会館の日本語教育事業
  • 金大中大統領の日本の大衆文化開放政策も手伝って、日本の映画や歌謡、アニメに親しむ若者が、原語である日本語を学んだり、大学で日本語を学んだ学生の就職率が高いという事情もあるようだ。「急速に過熱する韓国の日本語ブーム」聖教新聞 2001年2月6日

以上より、少なくともアメリカ、ブラジル、フランス、ドイツ、オーストラリア、韓国には「日本語ブーム」なるものが存在すると言え、その主な動機のひとつに、日本のアニメやマンガが挙げられるようです。

なお、次のような記述もありました。「日本語講座の学生減り心配」朝日新聞・声 2005年12月25日(参考[4]

米国・バージニアの州立大学で、日本語助手として日本語を教えてきた。新たに、中国語の講座を開設する話が出ている。日本語を選択している学生が一番少なく、全校1300人の学生のうち34人だった。日本語講座を選択する学生は、減る一方だという。 日本語はアジアを代表する言語として10年ほど前に講座が開講されたそうだが、このままでは中国語にその地位を奪われ、日本語講座はなくなってしまうかもしれない。最初の授業で学生に、日本語を選択した理由を聞いた。「日本のアニメが好きだから」「色々な言葉を覚えたいから」などが答えで、日本の政治や経済に興昧があるという学生はいなかった。

何だか「海外の日本語」という項目名で、一つ記事が作れそうなくらいです。--Damena 2007年4月1日 (日) 20:59 (UTC)

さらに追加します。イギリスの例です。

何だか「海外の日本語」という項目名で、一つ記事が作れそうなくらいです
非常に興味深いです。台湾出身の方で日本の植民地時代から台湾独立までの間に10歳まで日本語の名前を持ち日本語教育を受けていた方がいます。正確なことはわかりませんが彼は、中国語(台湾語)は日本語よりもあとに習得したといっていました。項目名としては「海外の日本語」よりも「日本国外での日本語」のほうが適当にも思えます。--Shusugai 2007年4月2日 (月) 05:11 (UTC)

Damenaさんのこ提示の諸情報を興味深く拝見、勉強になりました。なかでもニッケイ新聞の「越境する日本文化」はまとまった量の報告で、ブラジルの事情をよく伝えていると思います。これは「日経新聞」ではなく、ブラジルの現地新聞「ニッケイ新聞」ですね。また、文化庁の資料(PDFファイル)の出所は、「情報通信技術(IT)を活用した日本語教育の在り方に関する調査研究」(平成15年〔2003年〕)のようです。

たしかに、これらを参考に、1つの記事が作れそうです。「日本語#海外の日本語」をそのまま詳しくすれば、「日本国外の日本語」は成り立つと思います。もっとも、上の内容であれば、「日本語教育#日本国外における日本語教育」に入れてもいいと思います。「日本語学習」という項目を立てる方法も有り得ますが、まぎらわしいでしょう。

紙媒体でも、何か詳細な資料があればと思っていたところ、明治書院の雑誌『日本語学』22−12(2003年11月号)に「特集 日本語の輸出」があるのを見つけました。しかもこの号、私の本棚にもありました。読み直してみて、適当な論文があれば、「日本語#海外の日本語」に注記しておこうと思います。--Hamlet 2007年4月3日 (火) 00:51 (UTC)

『日本語学』22−12の主要部分を読んでみましたが、どうも隔靴掻痒です。「海外での日本文化熱」と「日本語学習者が多いこと」についてはよく分かるのですが、「日本語#海外の日本語」に記してあるような「日本のサブカルへの興味」→「日本語学習熱の高まり」という因果関係を明示するところまでは行っていません。広範で総合的な調査といえば、やはり国際交流基金の調査(2003)だろうかと思いますが、これも「日本語学習の目的」の中で「日本文化知識」がかなり多い(つまりは日本のサブカルに触発されたということと思いますが)という漠然とした結果しか示されていません。この件について総合的に論じている紙媒体を、もう少し探してみたいと思います。--Hamlet 2007年4月3日 (火) 01:57 (UTC)

「オタクの中には、日本語を勉強する人も多い」とのことなので、「日本語研究」からアプローチするのではなく、「オタク研究」のなかから「日本語学習者」という側面を探したほうが、見つけやすいのではないでしょうか。

以下にあげる資料も、紙媒体ではないのですが、一応大学の論文のようです。

As Okada points out, many non-Japanese otaku wish to learn Japanese precisely because they feel they are missing something available to Japanese viewers—and to cultural informants and experts. In other words, the Japanophile otaku confirms a loss in translation, allowing for cultural and linguistic expertise to fill the gap.

An Introduction to the Otaku Movement

独自研究とみなされる可能性が高いので、あまり良い資料とは言い難いのですが……--Damena 2007年4月3日 (火) 05:12 (UTC)

追記:ここで挙げられている“Toshio Okada”とは、元東京大学講師の岡田斗司夫氏のことだと思われます。--Damena 2007年4月3日 (火) 05:19 (UTC)

これはおそらく、 Thomas LaMarre, "Otaku Movement", Japan After Japan: Social and Cultural Life from the Recessionary 1990s to the Present, Tomiko Yoda & Harry Harootunian(ed.), Durham : Duke University Press, 2006.でしょうね。アメリカのオタクが翻訳で満足していないという資料になると思います。

上の『日本語学』に引用された論文として、新井芳子「高校における日本語教育の考え方と進め方」(東呉日語教育學報23)があり、そこでは台湾の高校生に聞いた日本語履修動機を紹介しているようです。それによれば「テレビをつければ日本語が入ってくる」「日本のもの・ドラマ・アイドル・歌・漫画など」「日本、日本の文化が好き」「テレビの字幕や広告が読めるようになりたい」「日本語で旅行ができるようになりたい」などが挙げられているそうですが、論文としてどのように扱われているのか、引用ではよく分かりません。そのうち原典を読みたいと思います。--Hamlet 2007年4月3日 (火) 07:18 (UTC)

「語の言い換え」は「語彙」の記事に?

Damenaさんが立てられた「語彙の修正」の節を、「語の言い換え」として、「語彙史」から「語彙」に移動しました。かつまた、知る範囲で例を引用したり修正を加えたりしてみました。

ところで、「語彙」の節に移動してみると、この「語の言い換え」の節は、項目としての「語彙」に移動してもいいのではないかという気もします(この「語彙」は、私も執筆していますが、まだまだ加筆の余地があります)。

おそらく、Damenaさんの要点はポリティカルコレクトネス(PC)についての言及ではないかと推察します。とすれば、これは日本語に特有の話ではないので、一般語彙論として「語彙」の中で論じてもよさそうですね。

また、語の言い換えの話だけを出すよりも、大きく「語彙変化」の諸事象と合わせて論じたほうが、包括的な記述になりそうです。たとえば、「意味の変化」(例、「うつくし」が「可愛イ」の意から「綺麗ダ」の意になったなど)、「語形変化」(「さかしま」→「さかさま」、「リストラクチャリング」→「リストラ」)といった話の一部として、「語の言い換え」が位置付けられると思います。

語の言い換えのなかでも、不適切な語の言い換えや、外来語排除のための言い換え以外にも、いろいろなケースがありそうです。たとえば、目新しさ追求(「台所」→「キッチン」)、指示対象の消滅・発生(「文部省」→「文部科学省」)、学術的な整合性を図る(「ミリバール」→「ヘクトパスカル」)など。

もっとも、これらのことを包括的に書くならば、私も意味論だの語彙論だのの本をひっくり返さなければならないので、ただちに執筆というわけにはまいらないのですが、まず、「語の言い換え」を「語彙」に移すというのはいかがでしょうか。--Hamlet 2007年4月5日 (木) 22:39 (UTC)

私、理系人間なもんで、私の書いた駄文でさえ、ほれぼれするような名文へと推敲してしまうことのできるHamletさんをうらやましく思います。そうですね。骨の部分は、日本語の項目に残しつつ、今後成長していくだろうと思われる、「語の言い換え」の節の移動に賛成します。ただ、他言語のことも含めて包括的な記事を書くというのは難しそうですね。

ところで、日本語に関しては、表記面の「書き換え」もよく議論されますよね(例:「子供」→「子ども」→「こども」、「障害者」→「障がい者」)。あるいは、漢字の読み方のみをかえるという例もあります(例:売春「ばいしゅん」→「かいしゅん」)。このような例の扱いはどうしましょう?--Damena 2007年4月6日 (金) 01:03 (UTC)

私も他言語に言及しつつ論じる自信はないのですが、いずれ詳しい方の加筆に期待したいです。また、「日本語」に「語は様々な面で変化する」という話の骨子を残したほうがいいかどうかは微妙です。どうもこれは一般言語学の問題だと思うのです。言葉の言い換えはおもしろい問題ですが、「日本語の特徴はこうである」という文脈の中には位置付けにくいですね。

目下のところ、「語彙」だけでなく「意味」「意味論」など一般言語学の項目も比較的簡単なので、このような項目に、日本語の事例を盛り込みながら充実させるとよいと思います。

「子供」→「子ども」は、単に「迂回」→「う回」、「哺乳類」→「ほ乳類」と書くようなのと違い、PCに関わっているようですね。「子どもは『供』(=お供の者、従者)ではない」というような論拠だったはずです(表記の歴史から言って、私には賛成しがたい論拠ですが、まあそれはそれとして)。「蒙古症」→「ダウン症」、「看護婦」→「看護師」、「子供」→「子ども」などをまとめて書こうとすれば、これは、「日本語」の一部よりは「ポリティカルコレクトネス」の一部になろうかと思います。

「買春」→「かいしゅん」は、「私立」→「わたくしりつ」などと同様、同音語区別の話ですね。読みかえという点では、「大根(おおね)」→「だいこん」、「一段落」→「ひとだんらく」と同じく語彙の問題だと思います。上述の「「語彙変化」の諸事象」の一種として「漢字の読み替えによるもの」とでもまとめられるでしょう。「買春」は特にPCと関係するというのではないのでしょうね。--Hamlet 2007年4月6日 (金) 20:19 (UTC)

何か月も経ちましたが、とりあえず「語彙#語の交替」に記事を移し、加筆訂正しました。--Hamlet 2007年11月30日 (金) 03:33 (UTC)

お手数掛けます。--Damena 2007年11月30日 (金) 11:02 (UTC)

「修飾語の特徴」

現在の「修飾語の特徴」の内容は、冒頭と末尾の語順に関する箇所を除いて、記述の大半が文法(語の配列のルール)ではなく文体・スタイル・表現法(語の配列の好ましさに関する議論)の範疇に属するものになっているようです。これらは「文体」の節に移動するか、文法以外の箇所に新たな節を立ててはいかがでしょうか。現在の位置に残すとしたら、文法に関連する箇所以外を省略して、より簡潔にするのが適当かと思われます。202.252.137.55 2007年4月25日 (水) 07:51 (UTC)

私も同様な感じを受けました。「修飾語の特徴」のうち、「日本国憲法」関連は2006年9月25日 (月) 22:13の「83.115.149.147」さんの文章が元に、「車内アナウンス」関連は2007年4月21日 (土) 06:21のHsugawarさんの文章が元になっています。百科事典としてはやや発展的内容で、もう少し簡潔にしたほうがよいと思います。
これは詳しく書くならば「明快な文章の話」、すなわち文章術の話になり、「文体」の節の趣旨ともまた食い違います。かといって「文章術」の節を増やすのもどうかと思います。それで、思い切って省略し簡潔にする、という方法が考えられます。せっかく加筆されたものであり、また内容自体は誤りでないので、皆さんのご意見を伺いたいです。
「車内アナウンス」の話は、もし出典が示せれば、「修飾語の説明の際によく用いられる例」として、文法の節に残すことはできるかもしれないと、一方では思いました。この百科事典の独自の説明でなく、一般的によく用いられる説明に従ったということなら、いけるかも、というわけです。「車内アナウンス」を文法の面から取り上げた本がなかったっけと、じつはこないだから探していますが、見つかりません。そんなものはなかったでしょうか?--Hamlet 2007年4月27日 (金) 12:57 (UTC)

4月30日に、当該部分は削除されました。やむを得ないと考えます。--Hamlet 2007年5月1日 (火) 09:39 (UTC)

Kzhrさんの点検を参考に

2007年4月30日 (月) 14:36 以下3回の編集で、Kzhrさんが記事全体にわたって詳細に点検されています。私も、Kzhrさんの修訂された部分を中心に見直し、不完全な部分などを加筆修正しました。なお不満足な点もあり、もう少し調べてみたいと思います。

なお、以下の点についてはKzhrさんの記述を元に戻したり、あるいは別の形で問題部分の解決を図ったりしました。

  1. 「たたない」「まえに」「くだる」など多く漢字書きされるものは漢字に戻しました(称する意の「いう」、保つ意の「もつ」などいくつかはそのままに)。このあたり、私も「ことば」などはかな書きしたいところですが、他の記事の用字に合わせました。
  2. 系統」で『言語学大辞典6 術語編』の「アルタイ型」に「要出典」がありましたが、この辞典は亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一の責任編集で、各項目に執筆者名がありません。
  3. 音韻体系」で「いっぽん」「まったく」の例を出したのは、共通する単音を持たない例がほしいためなので、そのことを明示しました。
  4. 分野ごとの語彙量」に「要出典」があり、「(分野ごとの語彙の多少を言うことが)可能だったのですか?」のコメントがありますが、これは直後に示すとおり、「自然を表す語彙が多いというのが定評」というような一般的言説があることは事実なので、触れておいてもかまわないと思います。
  5. 日本語研究史」の「外国資料」は、Kzhrさんの特にお詳しい分野と拝察します。ただ、「日本語研究史」なので、「外国人の日本語研究」という形にしました。節も分けなくてもいいと考えます。
  6. 日本語特殊論」で「要出典|かなが難しいという声もある」とありますが、この文は漢字についてのみ言及しているので、これでよいと考えます。
  7. 辞書」で、『広辞苑』について「新村出編」が削除されていますが、まあ実態はほぼ名義貸しだったとはいえ、他の部分との釣り合いからも元に戻しておきました。

--Hamlet 2007年5月1日 (火) 09:25 (UTC)

ご検討ありがとうございます。こんな時間ですのでいくつかのコメントに対する返答のみいたします。

  • 4番目についてですが、「一概には」という語句が気になったものですので、ご理解とは少し異なります。ただ、不可能であるとも云いきれないように思いますので、あの程度にとどめるのもかまわないと思いました。
  • 5番目についてですが、「外国」ということはウィキペディアにおいて自明でないし、対照的研究という内省的研究がおもだった流れからは逸脱したものが突出してあらわれた時期であり、また同時代・江戸時代の研究で注目されてはいなかったということを示すために、使うべきではないほどのひくいセクションレベルなのではありますが、独立させました。特に自分の意見に固執するつもりはありませんのでご意見を伺えたらと思います。
  • 6番目については、漢字学習のみが日本語表記学習ではないのですし、異なる用法で「つまづく」こともよく聞かれますから、「よい」とは思えません。後日の加筆を期したいと思います。
  • 7番目についてですが、『辞苑』と『広辞苑』を見間違えてしまったものです。お恥ずかしい……。

Hamletさんのなさった修正について、訓点をヲコト点になさったことが気になりました。ヲコト点と片仮名を一列につなげるのは無理があって、書き換えるには材料がないけれども、というので書き換えたのでしたが、お考えを伺えたらと思います。 Kzhr 2007年5月1日 (火) 16:22 (UTC)

5番目「日本語研究史」に、外国人の日本語研究を入れるのは必要だったと思います。これまでの『国語学史』関係の書物では、外国人の日本語研究は「国語」学史にはあたらないとの理由から、記述があえて避けられることがありました。しかし「日本語研究史」と題した節では触れるべきものですね。研究主体の違いだけで節を分けるよりはと思い、段落を改めて「外国人の日本語研究として、……」で始めました。
6番目「日本語は学びやすいかどうか」について論じた書物は、私もそれほど知りませんので、もう少し探してみるつもりでいます。これはという参考文献があれば追記したいと思います。
「訓点」か「ヲコト点」かですが、「訓点」は「符号(返り点・ヲコト点)や仮名(振り仮名・送り仮名)などの総称」(大辞林)なので、「一・二点」や「レ点」も含みますね。したがって、片仮名の前段階を述べる記述では用いないほうがよいと考えました。「ヲコト点」は「活用語尾・助動詞・助詞・補読の語などを示すため、漢字の四隅・四周・字面などに書き込まれた「・」「、」「-」などの符号」(大辞林)というわけで、これは、仮名がまだなかったころに、発音を示す役割を示したものですから、仮名の前段階の話では「ヲコト点」と表現するのがよいと考えました。
その他、「形容詞から形容動詞へ」の項など、scientificでないと注記されているのには、同感です。ここは、「サ変動詞・形容動詞の増大」の記述と重なってもいるので、大幅に加筆修正できないかと思います。とりあえず、形容動詞の「発明」など不適切と思われる語句のみ手を入れたいです。--Hamlet 2007年5月3日 (木) 18:13 (UTC)

目次表示が不正?

私のブラウザでは、目次部分のインデント(左の字下げ)が途中からなくなって、どの項も左端から始まっています。何か原因があるのでしょうか。

「4 音韻」「4.1 音韻体系」「4.1.1 母音体系」「4.1.2 子音体系」「4.2 アクセント」まではインデントがうまくいっていますが、「5 文法」「5.1 文の構造」から左端に整列しています。Internet Explorer でも Firefox でもそうなります。

編集のプレビュー機能を使って、さまざまに直してみましたが、どうも原因が分かりません。記事の長さとも関係なさそうです。「====」を使うと、あとがおかしくなるのかとも思いますが、以前はそれで大丈夫でした。原因にお気づきの方は、どうぞご修正願います。--Hamlet 2007年5月3日 (木) 18:16 (UTC)

バグであったようで、修正されました。 Kzhr 2007年5月5日 (土) 09:56 (UTC)

「パラオで公用語」の記述について

「パラオ・アンガウル州で日本語が使われている」という記述の件について、2007年9月18日 (火) 05:11にMariposaさんから「事実確認はとれていない」旨の修正がありました。なるほど、と思います。

「パラオで日本語公用語」の記述について、私はずっと居心地が悪く感じていました。いちおう CIAの「The World Factbook」に書かれているというのですから、「根拠」はあるわけですが、CIAが、いったい言語学的にどれほどの正確さを保証してくれるのかは不安です(正しいかもしれないという推測はできます。パラオに日本語教育を受けた住民が多く残っていることは確かなので)。

この情報の扱いですが、「CIAによればこう報告されている」ということは本文に盛り込んで良いと思います。報告されていること自体は事実であり、これもひとつの情報となります。「~という。」という伝聞形式にしておけば問題ありません。一方、冒頭に言語の基本データとして書き記すのは、待ったほうがよいと思います。

以上の考えにしたがって、Mariposaさんの意図を踏まえて修正しました。--Hamlet 2007年9月18日 (火) 11:06 (UTC)

ノート:アンガウル州で議論をしております。ご参加いただければ助かります。---Redattore 2007年9月18日 (火) 11:19 (UTC)

その後、なおも考えまして、本文中の「パラオでの公用語説」を削除しました。それは、「CIAの報告といえども、結局二次資料でしかない。しかも、出典明示などにより一次資料に到達する道筋のない、行き止まりの二次資料であるから」という理由によります。詳しくは、Redattoreさんがお示しの上記「ノート:アンガウル州」に記します。--Hamlet 2007年9月18日 (火) 17:52 (UTC)

――と思ったのですが、二転三転して見苦しいことながら、やはり本文中の「パラオでの公用語説」を復活しました(あわせて微修正しました)。というのも、「ノート:アンガウル州」の議論を拝見していて、「エスノローグ」の「パラオ」の記述など、他の資料もあることを教わったからです。「エスノローグ」の記述にしても、一次資料とはいえないわけですが、調査主体は研究機関であり、調査結果を一定程度反映していると思われました。ただし、語尾は「~ともいう。」と伝聞の形にしておきました。--Hamlet 2007年9月18日 (火) 19:17 (UTC)

CIA The World Fact Bookを根拠としたアンガウル州で日本語が公用語とする件は、原文のofficialを公用語と訳した場合、「, English 9.4%, 」のように英語にofficialがついていないので公用語であるはずの英語が公用語でなくなったり、全域で公用語のはずのパラオ語がほとんどの地域で公用語でなくなるなど矛盾がたくさん生じる。またofficialを公用語と解釈するのなら極めて話者が少ない公用語がたくさんできることになりパラオの政治とも矛盾する。officialは現地語には必ずついており、「, Filipino 13.5%, English 9.4%, Chinese 5.7%,」のように現地語でないものにはJapanese以外ついていないためofficialを土着の人々またはパラオ国籍を持っている人々と解釈すれば矛盾はなくつじつまはあう。そう解釈した場合はJapaneseに対するアンガウルのofficialはパラオに帰化した日本人が話す日本語と解釈できる。戦時中は日本領であったため、戦後もアンガウルに住んだ日本人は実際にいてofficialのつじつまも合う。 どちらにしろ、このCIAの文章からアンガウルの公用語が日本語であると判断することは矛盾が生じるため不可能である。また、日本国外務省ホームページのパラオ共和国データにもパラオ語と英語が言語であり、日本語が使われているという記述はない。wikipedia以外の主要百貨事典を調べてみてもやはり日本語が公用語という記述はない。パラオ共和国政府も地方だけの公用語の存在を認めていない。またアンガウル州が自州の公用語が日本語だと主張している情報もない。アンガウル州の公用語が日本語だという記述は誠に不適当である。以上の署名の無いコメントは、Mariposa(会話履歴)さんによるものです。2007-09-19 08:58 JST

「official」は「公用語」か?というMariposaさんの問題提起にはあっと思いました。ただし「エスノローグ」の「パラオ」では「National or official languages」となっています。「アンガウル州」の内容と歩調を合わせるため、以降の議論は「ノート:アンガウル州」に一本化しましょう。--Hamlet 2007年9月19日 (水) 05:43 (UTC)
ノート:アンガウル州において議論が収束致しましたので記述を復帰致しました。ただしアンガウル州は国家ではありませんので、冒頭のテンプレートには掲載しておりません。--唄方 2007年11月18日 (日) 09:00 (UTC)

日本語はパラオ・アンガウル州の公用語かどうか?

最近、このことに関して編集合戦が発生しました[5][6][7][8]参考)。これに関する議論は以下の通りです。

以上のように議論は長期にわたり、合意内容もつかみづらくなっているので、以下合意内容をまとめておきます。--Damena 2010年1月10日 (日) 16:56 (UTC)

合意事項

  1. 「日本語がアンガウル州の州公用語の一つとなっている」という主張は、適切な典拠の下に検証可能性を満足しており、これを事実としてウィキペディアの関連する記事に記載しても差し支えはない。
  2. 1.の際は、日本語が州公用語としての具体的運用例が乏しいという当然の現状について、言及することが望ましい。また言及の際には、それが独自研究に該当しうるものにならないよう注意する。
  3. 2.の検証可能性については、いまだ議論が不完全なままであるので、より現状に則した典拠とより中立的な記述の模索を続けていく必要がある。
  4. アンガウル州はパラオに存在する州であるという理由で、日本語がパラオの国公用語の一つであると拡大解釈はしない。アンガウル州憲法は、パラオ国憲法を補完する以上の意味を持たない。パラオの国公用語は、パラオ語と英語のみである。
  5. 4.に基づき、「日本語を公用語としているA」という記述は、Aが国あるいは地域のどちらを意味するのか、注意する必要がある。

議事の抜粋:

「日本語がアンガウル州の州公用語の一つとなっている」という主張は、2004年8月14日 (UTC)に事実として日本語に加筆され、パラオアンガウル州公用語の一覧などの項目にも同様の記載があった。これは日本語版ウィキペディアにおいて検証可能性のルールが正式になる2006年以前の状況であったことも留意したい。2007年9月17日 (UTC)において、この主張の実態についてノート:アンガウル州で問題が提起され、以降他の関連する項目も含め、ノート:アンガウル州にて議論が2007年11月11日 (UTC)に上記の内容に収拾するまで続いた。

字種について

假名、漢字の他にアルファベットも加へるべきではないでせうか。ウィキペディアでアルファベットは常にボールド體になるのは、異質なものとしてゐるためでせうが、社名などローマ字だけのものも出現してゐる時代です。PISAなどは、これが正式の表記なのかもしれません。なほ、擴張ヘボン式なるものを提唱してをります。翻字式です。これで轉寫してみると、傳統的表記の合理性が判然とします。是非一度讀んでみていただきたく、一筆ご案内申上げる次第です。Kmns 2007年12月16日 (日) 00:35 (UTC)

「字種」の一つ上の節「表記」に以下のように書いてあります。

詳細は日本語の表記体系を参照

現代の日本語は、漢字・平仮名・片仮名を用いて、常用漢字・現代仮名遣いに基づいて表記されることが一般的である。アラビア数字やローマ字(ラテン文字)なども必要に応じて併用される。

この項目に於いては漢字・平仮名・片仮名が主、ローマ字は「併用」される補助的なもの、として位置付けていることになるので、アルファベットに関しては「詳細」として日本語の表記体系に記されていれば良いのではないでしょうか。または、この項目に於いてアルファベットを漢字・平仮名・片仮名と同列に扱うかです。後者だとかなりの反対意見が予想されますね。私も反対すると思います。あと、他人に話を聞いて貰おうという時に「大多数の人が読めない」ような書き方をするのは如何なものかと思いますよ。正当性や合理性とは別に。Bit 2007年12月16日 (日) 03:52 (UTC)

私も旧かな遣いや常用漢字以外の漢字を多用されるのは、このページにふさわしくないと思います。さて、現行のページでは、「ギリシャ文字を使用」とありますが、これは言い過ぎではないでしょうか。人文科学(医学??)などの分野で専門用語を使う場合、たしかにギリシャ文字が使われるかもしれませんが、これは他の言語でも同じことであり、日本語の特徴とは言えません。--さんしろ 2010年10月17日 (日) 16:16 (UTC)


どなたがが修正してくださったようですね。ありがとうございました。--さんしろ 2010年11月3日 (水) 08:05 (UTC)

私は行く=I am go について

「文法」の文の構造で、〈英語を学び始めたばかりの中学生などは、"I am happy." と同じ調子で "I am go." と誤った作文をすることがある〉とあった記述を、2008年2月7日 (木) 00:55の版で、TAKASUGI Shinjiさんが削除されました。コメントとして「I am chickin (私は鶏肉にする) なら聞いたことがあるが、I am go はないだろう」と記されました。

しかし、この記述は、日本語を母語とする人が「私はうれしい」と「私は行く」を同じ文型と捉えていることを示すため必要な記述かと思います。実際、中学生は「I am go.」という間違いをします。「その事実の出典は?」と言われると困るのですが、とりあえずウェブでは、

などの例があります(書き込み日時が確定できるものを出しました)。

したがって、この記述は、とくに出典を求めなくても、まあ一般に理解されているところと考えられますので、記述を復活しておきます。私自身の中学時代を振り返っても、そのような間違いをしている人がいたことを思い出します。--Hamlet 2008年2月8日 (金) 10:00 (UTC)

そうですか。私の中学校では最初に習う文が I have a pen. だったのでそういう間違いがなかったのかもしれません。今気付きましたが、chicken のつづりが間違っていました。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年2月8日 (金) 10:51 (UTC)

妥当と考えられる出典を一般向けの書籍に見出せたので付記しました[12]。--Damena 2011年3月17日 (木) 20:34 (UTC)

「系統」の節の「南方系」について

ここで「南方系のオーストロネシア語族」と書かれていますが、この「南方系」という表現はどうも不適切の様な気がします。 私は英語を母語とするアメリカ人なので一般的な日本語話者とは言葉の感覚が違うのかも知れませんが、オーストロネシア語族(或いはその祖形)がどんな道をたどって拡散していったのか確実に証明されていないのにも関わらず、「南方系」と言い切るのはちょっと、何と言えば良いのでしょうか。。。先入観バレバレではないでしょうか? この「南方系」の「系」は「系統」の意味を持つ接尾辞だと思うのですが、それなら「南方系の」とは書かずに、単に現在のオーストロネシア諸語が日本列島より南方に位置する地域で話されているという事で、「南方の」と書いた方が先入観が字面に表れずに済んで良いのではないでしょうか。

外国人が日本版のウィキペディアの表現に対して愚痴をこぼすなんて可笑しいと思われるでしょうが、この「北方系」だの「南方系」だのという言い方が適切であるかどうか考えていただければ、と願っております。

「ナニナニ系」というのはもう一種の決まり文句になっているから字義は関係無いのだとか、私がこの場合の「系」の字の意味を誤解しているのだとか、どんな反論や意見でも聞きたいです。宜しくお願いします。Ebizur 2008年2月20日 (水) 05:32 (UTC)


これほど日本語を使いこなし且つ鋭い感性をお持ちのEbizurさんに説明できる立場かどうかは自信がありませんが、仮にも母国語話者なので挑戦してみます。

「系」は確かに「系統」という意味を持ちますし、これが主な使われ方です。家系図に代表されるように一つのものが枝分かれして増える、いわば三角形(△)のイメージですね。ですが「系譜」と言った場合は家系図の直系だけを記した図のような、縦の線(|)のイメージになります。また「系列」と言った場合は単に似たものを並べた、横の線(─)のイメージです。この横のイメージで使うと、「アキバ系」のようになります。この場合、字義からすれば「系」よりも「類」を使った方がより正確だとは思いますが、日本語では…というよりも日本人は最も正確な表現を追求する人が少なく「間違ってさえいなければ」良しとする人が多いので、日本語の慣用的な表現も自然とそうなっています。…と、いうのが「系」の字と意味に関する私なりの理解です。

でも実は「南方系のオーストロネシア語族」の場合の「系」の意味は「系統」で合っているんです。というのも「北方系」「南方系」というのは言語の系統のことではなくて、人種のことだからです。日本人縄文時代ぐらい(うろ覚え)に北海道辺りと沖縄辺りから「南方系モンゴロイド」が日本列島に侵入し、少しづつ拡散して日本中に広がり、次に弥生時代になって朝鮮半島などから「北方系モンゴロイド」がやって来て、やはり拡散しながら南方系モンゴロイドと混血することで生まれました。これは遺伝子などでほぼ証明されています。そしてこの南方系モンゴロイド・北方系モンゴロイドというのが省略されて南方系・北方系になったわけです。つまり問題の文章は「南方系(モンゴロイド)の(人達が話している言語であるところの)オーストロネシア語族」という意味であって、「日本語の南方の系統の言語」みたいな意味は全くないんです。Bit 2008年2月21日 (木) 19:00 (UTC)

にっぽんご

「日本語」の通常の読みはにほんごだけではありませんか?と問題提起しておきます。私は今まで数十年生きてきてはじめて見聞きしました。手持ちの辞書にも「にほんご」とありました。といっても調べたらhttp://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%81%AB%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%82%93%E3%81%94 と存在しないわけではないのは承知しています。詳しいルールはわからないので詳しい人に任せます。IPでごめんなさい。 --209.251.139.94 2008年4月25日 (金) 02:07 (UTC)

私も「にほんご」とか発音せず、多くの人は「にほんご」だろうと思います。しかし、ウィキペディアの利用者には〈「日本語」の読みとして「にっぽんご」はあるか〉という疑問をもってアクセスする人もいるでしょうから、多数派でない(と思われる)「にっぽんご」も示しておく必要があろうと考えます。
「にっぽんご」の根拠として、まず、お示しの教科書の題名は有力でしょう。ほかには、諸種の辞書で「にっぽんご」の読みが示されているかが重要です。調べたところでは、
  • 日本国語大辞典(第2版)―「にっぽんご」項目あり。用例として、西洋道中膝栗毛〔1874~76〕〈総生寛〉一三・下「日本語(ニッポンゴ)で言っておくんなせへ」
  • 集英社国語辞典(第2版)―「にっぽんご」項目あり。語釈「にほんご」に譲る。
  • 小学館日本語新辞典(初版)―「にほんご」の項目に「にっぽんご。」の読みを添える。
  • 新明解日本語アクセント辞典―「ニホンコ゜,ニッポンコ゜」と両形を併記。
という状況です。ほかに、大辞林・広辞苑・新潮現代・三省堂・新明解・新選・旺文社・岩波・明鏡の最新版では「にほんご」のみで「にっぽんご」についての言及はありません。
NHKの『日本語発音アクセント辞典』は、最新版が手元にありませんが、旧版(1980年29刷)では「ニホンコ゜,ニッポンコ゜」と両形を併記します。
このように見てくると、「にっぽんご」は多数派でない(かもしれない)にせよ、特にアクセント辞典で言及されていたりして、無視しがたいものです。今、多数派ということばを使いましたが、実際にどちらがどの程度の勢力を(時代的に、地域的に、世代的に)持っているかはよく分からないため、この記事では単純に「にほんご、にっぽんご」と並べておくのが、現時点では妥当と考えます。--Hamlet 2008年4月26日 (土) 16:07 (UTC)
曖昧な記憶で申し訳ないのですが、NHKの「英語でしゃべらナイト」という番組に関連した本で似たような話が書いてあったので書いておきます。もともとは日本を「にっぽん」又は「じっぽん」(?)とか言っていたらしいのですが、促音を表す文字や半濁音を表す文字は比較的新しいので「にほん」としか書けなかった等と書いてあったような気がします。その本は私の家族のものだったので、今どこにあるか分からず、信憑性の高いものか判断しにくいのですが、一応書いておきます。漢和辞典を見ると「日」の読みに「に」はないとも書いてあったのですが、その本は、なぜ「日」の読みに「たち」(?)があるのに「に」を入れなかったのかと文部省(?)を批判していて、「にほんご」の方が言いやすいから、この本では「にほんご」としていると書いてあった気がします。?のついたところはかなり怪しいです。ウィクショナリーを見ると、やっぱり「に」は入ってませんね。--Sesirec 2010年10月8日 (金) 13:30 (UTC)

?

⇒アルタイ諸語に属するとされるそれぞれの言語自体、互いの親族関係が証明されているわけではなく[12]、したがって、古代日本語に上記の特徴がみられることは、日本語がタイプとして「アルタイ型」の言語である[13]という以上の意味をもたない。

「タイプとして」ってどいう意味ですか。--202.71.90.139 2008年9月4日 (木) 05:19 (UTC)

分割提案

記事の容量が大きいので、分割を提案いたします。「文法」節が33KB、「歴史」節が78KBなので、このあたりからでどうでしょうか?--土佐の平 2008年10月29日 (水) 12:14 (UTC)

うえのほうにも書いてありますが、分割をするのにはそれそうおうのまとまりとこまかさが必要です。すくなくとも文法の節は概略にとどまるものですし、いくぶんか詳細である歴史についても、やはり概略的でやはり日本語をのべるなかでの一節となすための構成になっています。文法についてはすでに主たる項目があり分割するのは不適といえ、歴史について分割するにせよ、日本語をのべるという本項目の目的において、ゆずれないことは多々あり、けずって2/3ほどの容量の概略がふたたびかきおこされねばならないという労苦をともなわざるをえず、いかにもきのりのしないことのようにおもわれます。「このあたりからで」というのは、分割したあとの項目のすがたどころかみためすらおかんがえでないようにさえおもわれますが、ひがめでしょうか。 Kzhr 2008年10月29日 (水) 15:49 (UTC)
(反対)現状では分割に反対します。確かに記事の容量は多いですが、それだけで即分割にはつながらないと思います(Wikipedia:ページの分割と統合#分割すべきでない場合の三点それぞれに合致するケースかと)。また、分割するにしてももう少し分割の位置を考えたほうが良いのではないでしょうか?ご検討ください。--かぬま 2008年11月23日 (日) 00:51 (UTC)

進行中の荒らしへのチェックユーザー依頼について

無期限ブロックされたLitengutさんと思わしき人物によって、本ページでの荒らしが行われています[13][14][15]。Litengutさんによって[韓国起源説]]は先ほどまで保護されてしまいました。また、当該人物のソックスと推測されるアカウントによって在日韓国・朝鮮人が保護の状態となっています。取り急ぎ、Wikipedia:チェックユーザー依頼/Limus 他というものを作成してみましたが、チェックユーザー依頼に出すにあたってみなさんとの合意が必要であるとのご指摘がありましたので、みなさまのご意見をいただいてから、改めて、元アカウントと推測されるものを項目名としたWikipedia:チェックユーザー依頼/Litengut 他を提出したいと思います。みなさまのご意見お願いします。--Chichiii 2010年3月16日 (火) 11:11 (UTC)

声調説は新奇で異端なのか

標題の件がコメントで書かれていましたが、早田輝洋『音調のタイポロジー』に対する書評 http://ci.nii.ac.jp/naid/110002533630/ など読むかぎり、異端とは思われず、声調説の内実を知らない方がかしましく言っているだけということも考えられるのではないかなあと思いました。(誤ってDameraさんのトークに書いたのを移動) Kzhr 2010年5月22日 (土) 08:02 (UTC)

特に異端視はされていないのではないでしょうか。ただ「系統」の節で中国語との関係の文脈でそれを言うと、変に解釈する閲覧者もいるかも知れませんから、声調があるとしても「アクセント」の節に書くべきだと思います。--Henlly2010年5月22日 (土) 11:05 (UTC)
異端という言葉を用いたのは私の主観によるものが大きいので撤回いたします。
ただ、個別言語の記事では、その個別言語の伝統的な文法用語を用いることが適切であると思います。例えば、「日本語における敬語は、一種の動詞の人称変化だ」という学説も言語学的に受け入れられていますhttp://ci.nii.ac.jp/naid/110001057685/ 。しかし、この学説を主体とした記述をした場合、日本語における敬語の特筆性を薄めかねないと思います。
同様の内容は、恥ずかしながら私自身が、昔に提起していますが、本項目の主執筆者の方のコメントを借りれば「複数の言語を統一的用語で議論しようとすると、かえってその言語の特質がぼやけてしまう」(この書き込みより)ということです。
よってこの項目では、「高低アクセント」を主の記述とし、「声調説」については適宜、声調の項目でなされるべきだと思います。--Damena 2010年5月24日 (月) 05:15 (UTC)
異端であるだけで書かれないならば大野晋のタミル語起源説以上にどこの馬の骨とも知られない説が書かれていることをどうするのかと疑問に思ったので提起いたしました。書かないことじたいに異論はないのです。
なお、坂本氏の論をくわしく見たわけではありませんが、菊地1996: p. 20に説くとおり、敬語的人称は人称(Number)ではないなにかなので、特筆性を薄めるどころか、日本語特殊説の一種です(cf. 菊地1996『敬語再入門』、滝浦2005『日本の敬語論』)。 Kzhr 2010年5月24日 (月) 07:45 (UTC)

出展の明記について

Damenaさんとの会話の内容をこちらに転記します。

自分の基本的な立場は、一文ごとに出展を入れて、記事の信頼性を確保してほしいということです。自分は主に日本関連記事の英語への翻訳をしていますが、日本語版で出展がしっかりしている記事が少なすぎ、結果として英語版の日本関連記事も質が低いというのが現状です。悲しいことに翻訳しても問答無用で削除されてしまいます。出展がないからという理由で。新幹線の記事を秀逸な記事から除外してほしいと依頼し、結果として意見が通りました。その時のコメントが残っているか分かりませんが、一文ごとに出展があることを選考の条件にして欲しいと提案しています。まだその提案は通っていないと思いますが、選考基準の引き上げを依頼しています。そして、日本語版のウィキペディアですから、日本語についての記事が模範となるべきと思い、出展の明記テンプレートを一度付けましたが、範囲が不明確というご指摘を受けましたのでこちらに書きます。

日本語の記事についてですが、自分は言語学の専門家ではなく、学校での口語文法・文語文法を知っている程度です。私は一文ごとの出展があるとは感じず、誰でも納得できる内容ではないと感じました。挙げられている文献の質はすばらしいと思いますが、私は残念ながら持っていないため、私自身は検証できません。どの本のどこから引用したのかを明示して欲しいです。リンク先の記事もいくつか読みましたが、出展が不十分な記事が多いように思います。

要望としては、音韻・文法・語彙・方言・待遇表現・歴史に関する内容を強化して欲しいので、関連記事も含めて「出展の明記」を付けました。特に和製漢語大和言葉は日本語に不可欠であるにも関わらず、英語版記事すらない悲しい状況なので、加筆依頼に出しました。以上の点をご検討ください。--Shinkansen Fan 2010年6月5日 (土) 04:30 (UTC)--Shinkansen Fan 2010年6月11日 (金) 03:30 (UTC)

現状の和製漢語大和言葉に関しては全く同感です。記事の重要性と比較して、内容が非常に薄く、しかも検証可能性が低い状態に長い間甘んじているのは問題視すべきです。
本項目である日本語に関しては、文中の具体的な問題箇所を明示されていないので、私なりに考えてみました。例として日本語#分野ごとの語彙量:2010年6月11日 (金) 02:55 (UTC)の版から引用してみます。

ある言語の語彙体系を見渡して、特定の分野の語彙が豊富であるとか、別の分野の語彙が貧弱であるとかを決めつけることは、一概にはできない。日本語でも、たとえば「自然を表わす語彙が多いというのが定評」[1]といわれるが、これは人々の直感から来る評判という意味以上のものではない。

実際に、旧版『分類語彙表』[2]によって分野ごとの語彙量の多寡を比べた結果によれば、名詞(体の類)のうち「人間活動―精神および行為」に属するものが27.0%、「抽象的関係」が18.3%、「自然物および自然現象」が10.0%などとなっていて、このかぎりでは「自然」よりも「精神」や「行為」などを表す語彙のほうが多いことになる[3]。ただし、これも、他の言語と比較して多いということではなく、この結果がただちに日本語の語彙の特徴を示すことにはならない。


  1. ^ 金田一 春彦 (1988)『日本語 新版』上(岩波新書)。
  2. ^ 国立国語研究所 (1964)『分類語彙表』(秀英出版)。
  3. ^ 中野 洋 (1981)「『分類語彙表』の語数」『計量国語学』12-8。
さて、この文中で脚注方式で示されている出典のみでは、検証可能性が不十分な箇所にマーカーをつけると以下のようになります。

ある言語の語彙体系を見渡して、特定の分野の語彙が豊富であるとか、別の分野の語彙が貧弱であるとかを決めつけることは、一概にはできない[要出典]。日本語でも、たとえば「自然を表わす語彙が多いというのが定評」[1]といわれるが、これは人々の直感から来る評判という意味以上のものではない[要出典]

実際に、旧版『分類語彙表』[2]によって分野ごとの語彙量の多寡を比べた結果によれば、名詞(体の類)のうち「人間活動―精神および行為」に属するものが27.0%、「抽象的関係」が18.3%、「自然物および自然現象」が10.0%などとなっていて、このかぎりでは「自然」よりも「精神」や「行為」などを表す語彙のほうが多いことになる[3]ただし、これも、他の言語と比較して多いということではなく、この結果がただちに日本語の語彙の特徴を示すことにはならない[要出典]


  1. ^ 金田一 春彦 (1988)『日本語 新版』上(岩波新書)。
  2. ^ 国立国語研究所 (1964)『分類語彙表』(秀英出版)。
  3. ^ 中野 洋 (1981)「『分類語彙表』の語数」『計量国語学』12-8。
Shinkansen Fanさんが出典として不足していると考えている箇所は、上記に類する部分ということでよろしいでしょうか?--Damena 2010年6月11日 (金) 04:26 (UTC)