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ノート:日本文明

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  • 2006年9月22日 (金) 04:27~2007年4月1日 (日) 09:03 [1]


縄文文明論について

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「位置づけようとする論が哲学者梅原猛や環境考古学者の安田喜憲などから提案されているが、考古学者、歴史学者の間には賛同者は殆どいない。逆に『三内丸山遺跡都市説』と同じく、考古学的成果から都合のよい部分だけつまみ食いしたトンデモ説と冷笑を浴びている。」の箇所は出典情報もなく、このような一方的な書き方は中立的な観点に反すると思われるのみか、「冷笑を浴びている」云々は名誉毀損の可能性があります。学問性については、検証可能なソースを示していただくとして、それまでは記事の記載自体はそういう説があるかないかという事実関係に留めておくべきと思います。--Kanbun 2007年8月10日 (金) 00:08 (UTC)[返信]

  • こちらこそ逆に所謂「縄文文明」という概念を唱えている考古学者がいるのか聞きたいですよ。私の友人で考古学を職業をしている人がいるので「縄文文明」について聞いたことがありますが、鼻で笑ってましたよ。Gogoleで「縄文文明」を検索すると肯定的意見は安田某とか、梅原某とか某・ハンコックとかいう歴史学や考古学の門外漢で際物と見られている人物の著書や文章の引用しか出てきません。こういう特異な少数派の意見をまるで学会の主流の意見であるように記述することこそ中立的な観点に反すると思われるのですが?トンデモ説をいちいち記載していたらきりがないでしょう。--ハラヒン 2007年8月10日 (金) 03:44 (UTC)[返信]
Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかなどを参照してください。私自身は縄文文明論に否定的ですが、だからといってそれを根拠もなしにウィキペディア上で「トンデモ説」とか「冷笑を浴びている」とかこきおろすのも適切であるとは思えません。--Kanbun 2007年8月10日 (金) 03:50 (UTC)[返信]
ちなみに現在の記事内容において、縄文文明論が学界の主流であるなどという記載はどこにもありません。あくまでそういう説があるという事実の記載に留まっています。--Kanbun 2007年8月10日 (金) 03:54 (UTC)[返信]
否定論者同士が議論するのも変ですが、あなたの理論でいけば、例えば、誰かが「日本文明は人類初源の文明で・・・」とか「邪馬台国の位置は大西洋上のセントヘレナ島である。」などと誰もバカバカしくてまともに取り合わない説についての記述があった場合、そのまま放置しなければならなくなります。ウィキペディアを閲覧しているのは、残念ながらあなたのように歴史や科学に明るく、知的考察をできる人間ばかりではありません。ひょっとすると少数派なのかも知れません。歴史に無知で、客観的、知的考察ができない人間が、そういう記事を見てどう思うでしょうか?そういう人たちのためにもトンデモ説の類は、極力速やかに除去するか、それがトンデモ説であることを明記することが親切というものです。また、Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかにも、少数派のトンデモ説を常識的な学会主流の説と同格に扱わなくてもよいと明記されています。--ハラヒン 2007年8月10日 (金) 12:44 (UTC)[返信]
横から失礼します。私も正直言えばハラヒンさんと同感で、縄文文明論はまともな学者からは全く相手にされていないと感じているのですが、それに対する証拠を出さないと中立的ではなくなると思われます。凡そ、そういったいわゆるトンデモに対しては普通の研究者は否定も肯定もしないで放置するのが普通なので、証拠は非常に出しにくいわけですが。
例えば、史学なら史学雑誌の回顧と展望で取り上げられないならば相手にされていないと看做されるのですが、考古学ではそういったものがあるのならば提示していただければ宜しいかと。らりた 2007年8月10日 (金) 13:00 (UTC)[返信]

(インデント戻します)ノート:世界観のほうでもつい最近同様の議論をしており、そこでも申し上げましたが、あくまでウィキペディアのルールに則れば、現状このように記述するのが妥当であろうという意味で申しているので、私自身が縄文文明論に積極的な価値を認めて記載すべきと考えているわけではありません。はっきり言って、中西氏の論もそうですが、縄文文明論は学問的な理論じゃなくて単なる批評に過ぎないと私は考えていますが、こういう私の感想は立場によって変わるものですから、事実的でなく、ウィキペディア的ではありません。全くらりたさんの言うとおり、縄文文明論が主流でないという記載のある文献があれば、その情報を取り入れることに賛成です。あくまで現状として検証可能性を満たす情報としてベターな形を提示しているとご理解ください。ただハラヒンさんの編集で問題だと思うのは、「トンデモ説」とか「冷笑を浴びている」というのは事実的な記述に留まるものではなく、それ自体に価値判断を含んでいます(立場により賛否の分かれることですよね)。このような場合、ウィキペディアの中立的な観点に基づけば、「誰々が~と言っている」という形で記すのが事実的です。つまりウィキペディアなりに書き様があるということは知って貰いたいなぁと思います。とくに本記事のような、なにかと観点の分かれそうな記事では、記述一つで議論になったり編集合戦になったりするものですので、記事の発展性なども考慮して検証可能な、事実的な形での記述を心がけていただきたいというのが感想です。--Kanbun 2007年8月10日 (金) 16:34 (UTC)[返信]

私個人の意見として言えば、中西氏の論とかハンチントンとかも学問的に成り立っているようには思えませんが、それでもウィキペディアとしては記載すべき情報であると考えているのは、そういう論が存在するのが事実であり、それを日本文明論として考えている人がいることも事実であるからです。誤解されやすいのですが、ウィキペディアの中立性は科学性や学問性、真実性とは異なるということで、そういう意味でウィキペディアは必ずしもアカデミックでないということをご理解いただければと思います。それがウィキペディアのよいところでもあり、悪いところでもあると。--Kanbun 2007年8月10日 (金) 16:43 (UTC)[返信]
またこれも常識から言うと違うんじゃないかと思う方も多いと思いますが、中立的な観点に基づけば、それについて異論が殆ど存在しないくらい常識的に問題に値しないという場合でなければ、「例えば、誰かが『日本文明は人類初源の文明で・・・』とか『邪馬台国の位置は大西洋上のセントヘレナ島である。』などと誰もバカバカしくてまともに取り合わない説についての記述があった場合」、その記述が信頼できる情報源から発信されている場合は記載されるべき情報になります。これはこの情報の内容の真実性とは関係が無く、あくまで情報としての事実性をウィキペディアが採用しているためです。--Kanbun 2007年8月12日 (日) 02:52 (UTC)[返信]
盆休みで帰省していたので返事が遅くなりました。Kanbunさんの方針では、書いた者勝ちで、先に書き込んだ人のトンデモを誰も削除できなくなりますね。最低限、その「説」への注意を喚起する書き込みをするのは、「わかっている」人の義務ではないでしょうか?その「説」を真に受ける人も現実にいるのです。人が落とし穴に落ちそうなのを薄ら笑いを浮かべて眺めていることが正しいことなのですか?らりたさん、発掘をやっている友人に聞いたところ、日本考古学協会の年報に、その年注目を集めた遺跡の発掘や重要論文が紹介されるそうです。これで無視されている論説は学問的でないと見なして良いのではないでしょうか?--ハラヒン 2007年8月16日 (木) 14:45 (UTC)[返信]
(インデント戻します)
>書いた者勝ちで、先に書き込んだ人のトンデモを誰も削除できなくなりますね。
いや、そんなことはないです。検証可能性と中立的な観点に基づけば。
>最低限、その「説」への注意を喚起する書き込みをするのは、「わかっている」人の義務
これはウィキペディアの外でやるべきだと思います。ウィキペディアではそんな「義務」はないと思いますが。
>その「説」を真に受ける人も現実にいるのです。人が落とし穴に落ちそうなのを薄ら笑いを浮かべて眺めていることが正しいこと
いや、これは人それぞれの問題ではないかと。「人が落とし穴に落ちそうなのを薄ら笑いを浮かべて眺めている」というのはよくわかりません。検証可能な範囲で学問的か否かはある程度言及可能だとは思いますが。検証自体は学界に任せるべきですし、ハラヒンさんの記述姿勢はこの点中立的ではないように感じられます。
そういえば以前、
>例えば、誰かが「日本文明は人類初源の文明で・・・」とか「邪馬台国の位置は大西洋上のセントヘレナ島である。」などと誰もバカバカしくてまともに取り合わない説についての記述があった場合、そのまま放置しなければならなくなります。
というお話があったのですが、これも基本的にウィキペディアでこのようなことが成り立たないことはいうまでもないことと思います。この点につきましては懸念に及ばないかと思いますが。--Kanbun 2007年8月16日 (木) 15:17 (UTC)[返信]
すこし中立的な観点と検証可能性についてハラヒンさんが誤解していらっしゃるのではないかと思いますので、まずは「Wikipedia:中立的な観点」と「Wikipedia:検証可能性」をもう一度お読みいただいた上で、仮に「書いた者勝ちで、先に書き込んだ人のトンデモを誰も削除できなくな」るのであれば、どういうケースであるかお考えいただければと思います。それがウィキペディア上でどのような論理で正当化されるのですか?
私自身はそのような「トンデモ」なことは一言も言っていませんし、ウィキペディア上でそのような主張が成り立つとも考えていません。問題点となっているのは、あくまで検証可能な事実としてどこまでウィキペディアが提示できるかの問題であって、これを見た誰かが無用の誤解?をするかどうかというのでもありません。はっきり言えば、誤解云々についてはウィキペディアが対応すべき範疇をこえています。
こんな事件もあります:ミドルベリー大学史学部でWikipediaの引用を禁止。はっきり言って、ウィキペディアを利用する際に正しく方針文書を読んでいれば、ウィキペディアの情報の性質についてはどういうものかわかります。そもそも方針文書に科学的な観点などというものはないので、ウィキペディアは学問的な観点で情報を取捨選択しているわけではありません。学問的な内容を扱った記事であっても、学問的でないということも十分あり得ます。専門家が書いているわけではないですし、個人が文責を全うできる場でもないので、検証可能性が貴重な方針となります。
私はウィキペディア上である学説を学問的であるかどうかの判定を、ウィキペディア的な意味での検証可能な範囲をこえて、おこなうことには反対です。基本的に説として言及されていないことから学問的ではないという論理は、学界あるいはより狭い学会では成り立ちますが、一般的に成り立つものではないからというのがその理由です。なぜかといえば、学界で無視されている説は、本質的な意味で学問的でないから無視されているわけではないことも往々にしてあるからです。
つまるところ、ウィキペディアは学界とは違って、オープンな場です。これは学界を無視しろと言っているんじゃないですよ?……ウィキペディアのルールに基づいてそれを取り込むべきだと言ってるんです。--Kanbun 2007年8月16日 (木) 16:03 (UTC)[返信]
それからわかってらっしゃるとは思いますが、どうも議論がいまいち脱線している気がしますので付け加えれば、私が一番問題だと思うのは、
>考古学的成果から都合のよい部分だけつまみ食いしたトンデモ説と冷笑を浴びている。
というような記述です。これは客観的な意味での単なる「注意書き」をこえていますし、仮にこれが真実であっても、日本の、とくに民事では名誉毀損などは事実関係に虚偽が無くても成立しますので、はっきりいって法的な問題性のある記述です。この部分が誰かの著作に基づくならば、私の意見はあくまで検証可能性に基づいて、事実的な記述に改めるべき、そうでないなら検証可能な裏付けが見つかるまでは、誰も疑う余地のない程度の事実関係のみの記述に留めるべきと言っているまでです。つまり、縄文文明論が誤っているかどうかは判断が分かれますが、それがあるかないかは判断が分かれることがないからです。--Kanbun 2007年8月17日 (金) 02:24 (UTC)[返信]
Kanbunさんの仰るとおり、ある説が学問的ではないなどとウィキペディアンが判断すべきではないと思います。我々はあくまで世の専門家がその説に対してどういう評価を下しているかを書くだけに留めるべきと思います。ですので現時点では
「縄文文明説は史学の年報となっている『史学雑誌』「回顧と展望」、日本考古学協会の年報、双方共に取り上げられるに至っていない。」
などと書くに留めるべきで、我々の考えは記すべきではないでしょう。(史学雑誌はまだ確認していません。念の為。)らりた 2007年8月17日 (金) 14:27 (UTC)[返信]
(インデント戻します)
返答が遅くて済みません。私としては納得は行きませんが、妥協案として『ただし、「縄文文明」論を主張する学者は、歴史学会、考古学会においては皆無に近い。』との記述を提案します。またいつ書き込みできるかわからないので、とりあえず本文にも加筆しておきますので、意見を下さい。--ハラヒン 2007年8月25日 (土) 10:57 (UTC)[返信]
「皆無に近い」というのも検証可能か考慮してください。文献で確認できるのであれば、まずは文献情報を挙げていただければと思います。一端差し戻します。ご理解ください。--Kanbun 2007年8月25日 (土) 13:55 (UTC)[返信]
Kanbunさん、あなたには本当にがっかりしましたよ。結局あなたは自分に都合の悪い記述だけにイチャモンを付けてニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて楽しんでるだけの方だったのですね。
>「皆無に近い」というのも検証可能か考慮してください。文献で確認できるのであれば、まずは文献情報を挙げていただければと思います。
賛同者の文献を確認できないから「皆無に近い」と表現したのです。あなたは全国の学者にアンケートを採って確認をしろとでも言うのですか?--ハラヒン 2007年8月26日 (日) 02:24 (UTC)[返信]
>賛同者の文献を確認できないから「皆無に近い」と表現した
>全国の学者にアンケートを採って確認をしろ
こういうのは独自研究になってしまいます。私が言っているのは文献で確認できるか、検証可能かどうか考慮してくださいと言っているんです。少なくとも「縄文文明」と冠した著作が複数存在します(これは内容が科学的であると言っているのではありませんよ)ので、中立的な観点にたてば、検証可能性を考慮せずに信頼がおけない説というような記述をすることは適切ではありません。私が言っているのは、縄文文明論が学説として科学的でないという検証可能な記述を確認できる文献を提示してから加筆してくださいということで、それ以上でもそれ以下でもありません(これは本当に些細な記述でかまいませんよ)。
>結局あなたは自分に都合の悪い記述だけにイチャモンを付けてニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて楽しんでるだけの方だったのですね。
そうおっしゃるのならば、むしろ私から見ると、ハラヒンさんのほうが自分に都合のよい記述をしようとしているように見えます。まずはしっかり文献を探していただけないでしょうか。--Kanbun 2007年8月26日 (日) 22:53 (UTC)[返信]
(インデント戻します)
仕事が忙しくてなかなか書き込めず失礼しました。やはりKanbunさんは新参者にねちねちとイチャモン付けて楽しむ小姑だったのですね。私は歴史学会や考古学会では「縄文文明」を主張した文献を確認できないので、「ただし、「縄文文明」論を主張する学者は、歴史学会、考古学会においては皆無に近い。」と書いたのです。それを否定するあなたこそ、歴史学会、考古学会での賛同者の文献を見つけてこないといけないんではないんですか?それから、この日本文明の記述の中にはKanbunさんが言うところのなんら情報源が明示されていない「中立的な観点にたてば、検証可能性を考慮せずに信頼がおけない説」がたくさんありますが、そちらにネチネチ小姑攻撃はなさらないんですか?そうそう、小姑Kanbunさんは心配ないと言ってましたが、調べると、トンデモ本を根拠に「誰それは誰それの生まれ変わり」なんて記述がありますね。誰もバカバカしいからそれを否定するような論文なんて書かないから、永久に残っちゃいますね。--ハラヒン 2007年9月8日 (土) 05:08 (UTC)[返信]
>やはりKanbunさんは新参者にねちねちとイチャモン付けて楽しむ小姑だったのですね。
こういう個人攻撃に取られる書き込みは控えてください。縄文文明論とも全く関係ないですしね(仕事してるってコトは社会人なんでしょ。もうすこし礼節に気を遣うべきと私は思います)。
>それを否定するあなたこそ、歴史学会、考古学会での賛同者の文献を見つけてこないといけないんではないんですか?
そうではありません。これについては説明いたしましたので、繰り返しません。方針文書を確認していただければと思います。
>「中立的な観点にたてば、検証可能性を考慮せずに信頼がおけない説」がたくさんありますが、そちらにネチネチ小姑攻撃はなさらないんですか?
別の記事は関係ありません。あくまでこの記事での話題に限定してください。もし別の記事を問題にしたいのであれば、その記事のノートか、井戸端へどうぞ。なお私の個人的な見解としては、情報源が明示されていなくても、記事として成立する場合は多々あると考えています。「情報源が明示されていない記事」というふうに一括りにすることも適切ではないと思いますし、他の記事に関することは、さしあたり本記事の話題とは全く関係ありません。
>調べると、トンデモ本を根拠に「誰それは誰それの生まれ変わり」なんて記述がありますね。
何のことですか?おっしゃっている意図が不明です。
>誰もバカバカしいからそれを否定するような論文なんて書かないから、永久に残っちゃいますね。
バカバカしい説であれば、そのうち適切に排除されるでしょう。「永久に」記事に残るとは限らないですし、長いスパンで物事を考えてみてください。--Kanbun 2007年9月8日 (土) 12:19 (UTC)[返信]
まあまあ、お二方とも平らかにお願いします。
勝手ながら私の方からお二方の立場を纏めさせていただきます。
  1. まず縄文文明論が現在、歴史学界・考古学界両者から相手にはされていないというのは共通。
    1. であるからハラヒンさんは「歴史学界・考古学界両者から相手にはされていない」というのを明記すべきとする。
    2. であるが、Kanbunさんは「歴史学界・考古学界両者から相手にはされていない」ということに言及している出典が無い限りは記すべきではないとする。
私としてはお二方がこの立場ならば喧嘩しなければならないような状態ではないと思います(過去ログの私のような立場ではありませんから)。
私が前に言ったように、「史学雑誌 回顧と展望」で取り上げられていないならば「歴史学界から相手にはされていない」という証拠になりうると思います。史学雑誌の方は時間があれば私の方から確認したいと思います。日本考古学協会の年報に付いては私の環境から手に入るかどうかが分からないので、ちょっと確約は出来ませんが、努力はしたいと思います。
上の二つの確認が終わり、両者共に言及が無かった場合、
「歴史学界・考古学界両者から相手にはされていない(『史学雑誌』「回顧と展望」、日本考古学協会の年報、いずれもこれに付いて言及が為されたことは無い)」
といった文章を付けることで解決が出来ないでしょうか。らりた 2007年9月8日 (土) 12:33 (UTC)[返信]
>上の二つの確認が終わり、両者共に言及が無かった場合、「歴史学界・考古学界両者から相手にはされていない(『史学雑誌』「回顧と展望」、日本考古学協会の年報、いずれもこれに付いて言及が為されたことは無い)」
気持ち的にはそれでもよいと思うんですが、懸念しているのは縄文文明支持派のような書き込みが以前続いていたので、その方法だと独自調査であるという指摘に弱いと思います。また、「すぐに古くなる表現」という観点からも記事のメンテナンスをする上で余計な苦労が増える気がします。個人的には編集合戦を誘発しかねない形での決着をとるより、事実的で明確なところにとどめておき、批判研究をまつというのが、適切ではないかなぁと考えています。正直言いますと、ここで記述が事実的な範囲を越えてしまうと、記事内に縄文文明論についてのさまざまな見解(支持・不支持)が記述されだして、転がりだしてしまう気もします(それはそれである意味歓迎すべきことともいえますが、推移によっては炎上して保護になっちゃうこともありそうかなぁと危惧している次第です。まあおそらく杞憂でしょうが)。
とはいえ、らりたさんから見てそういう心配はしなくてもいいんじゃない?というような感じであるならば、その決着をとることもありだなとは思います(正直記事全体から見ると、かなりローカルな部分ですから細かくする必要もないっちゃないと思いますので)。--Kanbun 2007年9月8日 (土) 12:43 (UTC)[返信]
(インデント戻します)Kanbunさんご無沙汰しています。縄文文明に批判的な本を見つけたので本文も訂正しておきました。これで文句はないでしょう。
Kanbunさんは私が腹を立てているのがなぜなのか理解できないようですね。それはあなたのダブルスタンダードによる私への個人攻撃です。この「日本文明」の概要にもあなたが私に振りかざした理論では削除しなければならない出典のない憶測による書き込みが大量にあります。それを指摘すると、あなたは子供じみた論理のすり替えでごまかして、私の書き込みだけを削除し続けました。今後、それらの書き込みに対するKanbunさんのご活躍を陰ながら応戦させて頂きます。
トンデモ本をネタにした生まれ変わりですが、張遼伊東一刀斎前田玄以に「幸福の科学」の本をネタにして書き込みがあったんですが、Kanbunさんみたいな出典原理主義者には納得のいかないような理由で削除されてしまいました。
らりたさん、ご心配おかけして申し訳ありません。これ以上ネチネチ個人攻撃がなければ「日本文明」は去ろうと思います。どなたかが加筆してくれましたが、この項目は「文明」という言葉の定義が無いままどんどん加筆が進んだことに非常に疑問を持っています。普通の人にとって「文明」とは四大文明のことであり、もう少し見識が広い人には欧米文明・東洋文明といった言葉のことなのです。項目の定義はしっかりしないと今後混乱をきたすでしょう。--ハラヒン 2007年9月17日 (月) 14:51 (UTC)[返信]
>それはあなたのダブルスタンダードによる私への個人攻撃です。この「日本文明」の概要にもあなたが私に振りかざした理論では削除しなければならない出典のない憶測による書き込みが大量にあります。それを指摘すると、あなたは子供じみた論理のすり替えでごまかして、私の書き込みだけを削除し続けました。
何のことを言っているのかわかりません。具体的に指摘してください。どこでダブルスタンダードを適用しているのですか?
>トンデモ本をネタにした生まれ変わりですが、張遼伊東一刀斎前田玄以に「幸福の科学」の本をネタにして書き込みがあったんですが、Kanbunさんみたいな出典原理主義者には納得のいかないような理由で削除されてしまいました。
これらは私には全く無関係な話題なんですが、「Kanbunさんみたいな出典原理主義者」などと、一括りにされるのも不快です。頭の中で飛躍しすぎではないでしょうか。
>どなたかが加筆してくれましたが、この項目は「文明」という言葉の定義が無いままどんどん加筆が進んだことに非常に疑問を持っています。
これについてはノートで以前に議論されています。「普通の人にとって「文明」とは四大文明のことであり、もう少し見識が広い人には欧米文明・東洋文明といった言葉のことなのです。」はノートでの議論も無視していますし、比較文明論での用法を考えても適切ではないでしょう。
なお縄文文明論批判については当方もソースをある程度探しておりました。付け加えておこうと思います。--Kanbun 2007年9月17日 (月) 15:03 (UTC)[返信]
文明概念の記述への変更には大いに異論があります。なになに文明というのは、もともと古代を対象とする歴史学・考古学を対象とした用語であって、周辺の野蛮とみなされた文化に対し、高度な技術的・文化的達成をもった支配的文化を称したものでしょう。それが近年、現代に援用され、そのなかで意味的な拡散が起こった。世界の諸文化のあいだに、文化単位ではない大きなグルーピングを見出し、そこに質的な断絶を見出す、ハンチントンのような立場は、学問プロパーというより、文明論というような批評や思想の分野に属するものです。また、文化と呼ばずに文明と呼ぶことに、自文化中心主義的な、自己の独自性を高く見たいという欲望もあります。(右派への人気はすくなくともそういうことでしょう)四大文明論への言及が不要というのは理解しかねます。通常の意味への言及は、注釈として必要でしょう。この見慣れない意味合いの文脈を説明する上では。現在ではそういう文明理解がたしかに主流ではありませんが、かといって、日本人論や、文化論の延長にある、ハンチントン流の、拡散した、批評的概念としてのアメリカ文明とか、日本文明とかのいいかたは、けっして一般的なものでも、注釈抜きで理解可能なものでもありません。というか、こういう注釈を文末の注記に追いやるの必然性が理解できません。--Clinamen 2007年9月17日 (月) 16:29 (UTC)[返信]
それから換わりに書かれた文章では植民地主義、西欧中心主義によって非西欧地域には**文明というものの存在が想定されなかった、ということと、非西欧が文明とみなされなかったということが混同されているように思います。「文明社会」という言い方にもそれがあらわれていて、普通、**文明という言い方のときは、「文明社会」の意味ではないでしょう。たとえば、北朝鮮の文明社会という言い方に同意しても、北朝鮮文明というものがあるとは誰も同意しない。普通名詞というか価値評価としての文明概念と、歴史学的な概念としての、固有名詞の一部というか、カテゴリーとしての文明概念は異なるものです。西欧中心主義によっては西欧以外は「文明」とみなされなかった、ということをここにもってくるのは変です。なぜなら、西欧中心主義の視点からでも、インダス文明とか黄河文明とかは普通に想定されてたわけでしょう。文明概念の拡散は、別の契機によるものとみなすべきです。たしかに文明概念は拡大し、論争含みのものになっていますが、むしろそれは、ドナウ文明なんかが発見されてきた、そういう流れの中にある話で、それと、文明の衝突のような「文明論」のような思想や批評の分野の、日常用語の延長にある(つまり、特定の文化圏(のグループ)の独特さや固有さを強調しようとする)語法とは混同させるべきではないでしょう。

--Clinamen 2007年9月17日 (月) 17:02 (UTC)[返信]

四大文明論の用法が文明の「通常の意味」というのは適切ではないと思います。参考文献に挙げた、工藤庸子著『ヨーロッパ文明批判序説―植民地・共和国・オリエンタリズム』東京大学出版会、2003年が啓蒙主義時代の百科事典の用法から、この問題について掘り下げて記述しています。むしろ私はここで四大文明を出す必然性が理解できません。--Kanbun 2007年9月17日 (月) 16:39 (UTC)[返信]
一応蛇足とは思いますが、四大文明論の用法が文明の「通常の意味」でも「本来の意味」でもないことは、それ以前から「文明」がヨーロッパの文明社会を指す用語として定着しており、さらに四大文明論的な用法が20世紀になって、「ヨーロッパの没落」と時期を同じくして出現してきたことから明白です。つまり「文明」という用語には、四大文明論以前に長い用法の伝統があるともに、四大文明論の発想自体が多元的な文明観に立脚していることは明白だということです。--Kanbun 2007年9月17日 (月) 16:51 (UTC
ですから、それは前提にしたうえで、シュペングラーやハンチントンのような語法での**文明という言い方は、日常用語の延長にある批評用語・思想用語で、それなりに客観的な基準が存在した考古学や歴史学の、学問での**文明という言い方とは別のものだったわけでしょう。それこそ、文明社会という意味の一般名詞として使っているわけで、では逆に、エジプト文明というとき、この用語が、エジプトの文明社会という意味でいっているわけはないわけですよ。そもそも、強調しておきますが、多元的な文明観を否定なんてぜんぜんしてませんよ。--Clinamen 2007年9月17日 (月) 17:02 (UTC)[返信]
それとさらにつっこんでおけば、この記事内で「日本文明」が自明であるとも、用例として一般的であるとも書いていません。私が書いたのは「日本文明」という用語があくまで多元的な文明観を背景とする比較文明論に立脚してのみ言及可能だということです。つまり私は決して「ハンチントン流の、拡散した、批評的概念としてのアメリカ文明とか、日本文明とかのいいかた」を自明視もしていませんし、ノートのログにあるように、より学術的であると思われるアイゼンシュタットに基づいて、「文化単位ではない大きなグルーピング」ではない意味での「文明」概念に基づいた比較文明論的な言説を第一に記述したつもりです。私はハンチントンの見方が学問的であるとはあまり考えていませんが、しかし「日常用語の延長にある批評用語・思想用語」で、「それなりに客観的な基準が存在した考古学や歴史学の、学問での**文明という言い方とは別のもの」というのはおそらく違うと思います。彼らの分野である「文明史」と「四大文明論」は積極的な学的交流をおこなっていたはずですよ。まあ私が言いたいのは、日本文明というときの文明は、四大文明という時の「都市文明」だとか「文字文明」だとかとは一線を画した伝統の中の用語であると言いたいだけです。これは「日本文明」が伝統的で正統的な用語であると言っているわけではなくて、現代の技術文明を「文明社会」と定義するのがそもそもの「文明」の意味だと言っているんですよ。--Kanbun 2007年9月17日 (月) 17:09 (UTC)[返信]
(インデント戻します)通例「文化」と「文明」の区別が曖昧であることが多い考古学とは違って、比較文明論では、文明と文化に厳密な違いを想定することが多いです。例えば国立民族学博物館のシンポジウムでは、「文明、つまり人間がいきてゆくためにつくりだしたもろもろの装置や制度」「文明とは人間と装置・制度・組織とのシステム」という定義を「共通理解」としており、「文化はその精神的投影」という認識を示しています。そして、その認識に基づいて「日本文明」という用語を使っています。アイゼンシュタットについても同様の意味であることは記事中で記述したつもりですが。--Kanbun 2007年9月18日 (火) 01:43 (UTC)[返信]

大東亜文明?

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ほとんど記す必要もない蛇足的な記述と思いますが、ハンチントンの日本文明についてのPaisu9さんのこの編集は誤りが多いように思いますので、改変しておいたことをお知らせします。以下参照箇所の引用。

一部の学者は日本の文化と中国の文化を極東文明という見出しでひとくくりにしている。だが、ほとんどの学者はそうせずに、日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して西暦一〇〇年ないし四〇〇年の時期にあらわれたと見ている。(『文明の衝突』p.59)

少なくとも今日において、大東亜文明などという用語は使われているなどとは書いていないです。ほとんど前半部は具体性のない記述なので、ハンチントンの考えと分かる部分について簡潔にまとめ、脚注としました。--Kanbun 2007年10月17日 (水) 13:01 (UTC)[返信]

西洋からと国内からと

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中々の力作記事と思いました。 ただ少し構成がしっくりこない部分がありましたので、セクションの並びはそのままですが、インデントをかえて、

  1. 西洋からみた「日本文明」
  2. 国内での様々な「日本文明」論

と2つの大きなグループにわけてみました。 これですっきりしたと思います。もし、他の改良案などがあれば、ここで提案してみてください。一緒に議論いたしましょう。パッチギ 2007年11月6日 (火) 10:46 (UTC)[返信]

節分けについては、元のほうがよろしいと思いますので、戻しておきます。--Kanbun 2007年11月9日 (金) 02:52 (UTC)[返信]
節分けについては、新しい案のほうがよろしいと思います。勝手に戻すのではなく、合意形成を得たうえでおこなってください。パッチギ 2007年11月10日 (土) 03:01 (UTC)[返信]
まずは内容をよく確認してください。国内と国外で分けているわけではありません。思いこみで節構造を改変しないでください。国内と国外に分けるべきという意見であるならば、まずはその根拠を示して議論をしてください。--Kanbun 2007年11月10日 (土) 11:03 (UTC)[返信]

思い込みではありませんよ。まず、人の提案に対して喧嘩腰ででる態度はいかがなものかと思います。

そのうえで、西洋の見方と国内の見方という2点で大別すれば、見通しがよくなることをご理解ください。勝手に戻すのではなく、合意形成を得たうえでおこなってください。パッチギ 2007年11月12日 (月) 13:35 (UTC)[返信]

「人の提案に対して喧嘩腰ででる態度」と取られるようなところがあったのでしたら、陳謝いたします。当方は全くそのような意図はございません。私は本記事でいちおう以前に大幅な加筆をし、現在の記事内容はほぼそれを踏襲していると思いますが、あくまでその際の記事構成は国内と国外で分けたのでもありませんし、パッチギさんは節ばかりしか変更していませんので、内容は全く変わっていません(ので、パッチギさんの何らかの加筆で内容が節構造を改変せねばならぬほど大幅に改変されているわけでもありません)。現在の記事内容は比較文明論とそれ以外で大きく分かれており、国内と国外で分かれているわけではなく、さらに後半の「天皇制各祭礼への論及」などという節名については率直に申し上げて、節内容の記述とかけ離れています(ここは祭礼について言っているのではありませんし、東アジア文化圏の論の続きですから、分けるのは全く不可解です)。よって、節を元に戻します。「西洋の見方と国内の見方という2点で大別すれば、見通しがよくなることをご理解ください」とありますが、現在の内容はそのような分け方で書かれている物ではないので、それは誤解であると申しているまでです。--Kanbun 2007年11月12日 (月) 14:48 (UTC)[返信]

バッチギさん無駄なことです。ここはKANBAN氏の個人的な雑記帳なんですから。私はこの項目が立てられてから間もなく、ずっと見ていますが、誰かが書き込みすると必ずKANBANN氏が元に戻すということが続き、何度も喧嘩に近い論争になっています。KANBANN氏は自分の書き込みが一字一句でも修正されることが我慢できない性格です。バッチギさん、諦めて別な項目に書き込みをした方が建設的です。精神衛生上からも強くお勧めします。

大嘗祭について

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>たとえば、天武朝以降に確立され、明治以降の天皇制の象徴体系において重要な位置を占める大嘗祭には、中国古代王朝の祭祀制度の影響があり[9]

大嘗祭は中国の影響を受けたと事実認定してますが、本に書いてあることは必ずしも真実ではなく、そうかもしれないが、そうでないかもしれない。あくまでも古代のことですから推定で語るしかない。だから事実認定するのはおかしいと思いますが--Piasu9 2007年11月28日 (水) 12:08 (UTC)[返信]

ノート:皇帝祭祀を参照してください。これに反する研究があるのなら、具体的に挙げて指摘してください。「本に書いてあることは必ずしも真実ではなく」という点には、ウィキペディアは別に事実認定をするところではないですし、真実を明らかにするところでもないことを理解しておられないのではないかとだけ申し上げたいと思います。詳しくはWikipedia:中立的な観点を参照してください。--Kanbun 2007年11月28日 (水) 12:22 (UTC)[返信]

利用者:221.12.213.145さんによる編集について

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この編集によって加筆された「しかし、日本の青銅器時代が極端に短く、その後の鉄器作りに磨製石器的感性が伝達し日本刀などの少量で精巧強靭な文化を形成したなどの観点からも見直されている。」という記述に出典を求めます。理由は「磨製石器的感性」という用語が一般的でなく、検索でもひっかからないこと、および現在の記述は、一部の論者の見方を現実に比して以上に縄文文明論が受けいれられているかのように見せていると読めるからです。とりあえず出典の開示を求め、参照文献の妥当性を確認したいと思います。--Kanbun 2009年3月8日 (日) 15:57 (UTC)[返信]

とりあえずこの編集を差し戻しました。文献の呈示と参照箇所の引用をよろしくお願いいたします。--Kanbun 2009年3月8日 (日) 15:59 (UTC)[返信]


== 江戸時代の鎖国について ==

> 主に研究史的視点から 近代西洋社会が日本の文明社会に初めて接したのは、江戸時代の長い鎖国が終わり、 とありますが、日本は鎖国をしていません。鎖国したというのは虚偽の歴史です。--220.36.29.132 2011年8月17日 (水) 07:02 (UTC)[返信]


== ハンティントンの文明衝突論について ==

この地図の色塗りは、現在の国別で分け有りますが、文明は国で分けられるようなものではありません。 中国に内モンゴルや満洲、チベット、東トルキスタン、台湾が含まれているのはおかしいです。 それに日本では北海道も日本文明と色づけされているのもおかしなことです。 この地図画像は載せるにふさわしくありません。--220.36.29.132 2011年8月17日 (水) 07:08 (UTC)[返信]

日本文明なんてあるの?

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日本文明なんてあるの?

 何でもかんでも「文明」とつけることで、格を上げたいのはわかるけれど、それはどうなんでしょうか?

縄文文明という梅棹のいう文明は、システムの問題であって、それは考古学者の言う古代文明とは発想が違いますし。 まあ、その意味では日本文明といってもいいのかもしれないですが、それが他地域の文明(社会のシステム)とどう違うのか、という点をきちんと明記すべきかもしれません。梅棹は記しています。

そもそも、考古学者や歴史学者の言う文明と、梅棹ら人類学者(半ば哲学者)のいう文明とは、概念の内容も定義も、考え方やアプローチの発想自体が異なります。

そこを同一の「文明」の項目で記す、あるいはこれは学者の問題かもしれませんがどういうの「文明」という言葉で記すから、考古学・歴史学者と、それ以外のアマチュア日本文化心酔者や哲学者・文化人類学者の間で、齟齬が生じていると思います。

Wikiでは、いっそのこと、文明の項目を二つに分けてみてはいかがでしょうか? 文明(考古学・歴史学) 文明(哲学系・社会科学系)

として。 後者の中に、日本文明やらなんちゃらぶんめいを入れてもおかしくはないと思います。 そもそも一般人向けの書物と学者らの間での専門誌とでは文明という言葉の扱いも違うでしょうし。一般人向けの書物は、出版社との関係も含めて売れやすい文言、派手な文言を使いますから。 それを真に受けたアマチュアの人たちがたかって、それをもとに書かれているのが今のWikipediaの現状でしょう。なので、学術性はとにかく低い。それはいわゆるネット右翼という人たちが、必死になって皇紀OX年とか書いてるのを見ればわかること。日本の歴史学会でそんなことを今のこの21世紀で使っている人はいません。それを載せてるWikiの信頼性のレベルはたかが知れています。