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ノート:世界観

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ログ

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  1. ノート:世界観/ログ:2005年12月10日 (土) 04:21 ~ 2007年8月3日 (金) 17:31
    主に日常的な用法としての世界観を中心とした話題。内容の検討や分割提案(取り下げ)について。
  2. ノート:世界観/ログ2:2007年8月7日 (火) 14:29 ~ 2007年9月21日 (金) 18:43
    ラノベ、アニメの業界用語としての、あるいは大塚英志、東浩紀らの文芸批評においての「世界観」の用法について。 2007年9月25日 (火) 08:38以上の署名の無いコメントは、Kanbun(会話履歴)さんによるものです。--JINKY.ECLEO 2007年12月30日 (日) 08:19 (UTC)[返信]

ログ化するの早すぎ。--222.12.149.244 2007年10月22日 (月) 05:10 (UTC)[返信]

まったく同意見です。ここは、アニメやゲーム評論家の誤用から始まった「世界観」という語を無理矢理に定義づけるため、一人のユーザーが自分勝手な振る舞いをしています。ログ化するにしても、説明は以下のようにすべきでしょう。
  1. ノート:世界観/ログ:2005年12月10日 (土) 04:21 ~ 2007年8月3日 (金) 17:31
    「世界観」の誤用と分割提案など
  2. ノート:世界観/ログ2:2007年8月7日 (火) 14:29 ~ 2007年9月21日 (金) 18:43
    「オタク用語」を「日常用語」として扱っている件など
過去ログを見る限り、この項目に徹底的に粘着し自分に都合の良い解釈だけをする人間が一人いて、広い意味で「荒らし」ているに過ぎません。多くのユーザーが呆れて去っていった痕跡がログに残っています。この状態では何を言っても無駄でしょう。wikipediaの弱点を見た気がします。--JINKY.ECLEO 2007年12月30日 (日) 08:19 (UTC) [返信]
コメント 何年も前に終わっている議論にコメントをつけるのもどうかと思うのですが一応。出典の著者である大塚英志が「おたく」という言葉の発祥に立ち会った人物であること自体は周知の事実なのですが、Kanbun氏が示した出典『キャラクター小説の作り方』は、ハウツー本の体裁を取りつつ文学の構造を暴露し「文学はそれでも特別なのかを問う批評的な書物」(高橋源一郎の巻末解説による)とも位置づけられる『物語の体操 みるみる小説が書ける6つのレッスン』の姉妹書でもあります(著者の主張については純文学論争も参照)。確かに書名は胡散臭く見えるものの、個人的にもこれらの文献に目を通した限り、文芸評論の用語を解説する出典とするのは問題ないと考えます。--Kanohara 2009年8月15日 (土) 20:04 (UTC)--Kanohara 2009年8月15日 (土) 20:19 (UTC)追記[返信]

「文芸評論のなかでの世界観」の除去の差し戻しについて

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「フィクションの世界設定」という意味合いでの世界観について記述した「文芸評論のなかでの世界観」の節を、過去のノートの議論を無視して除去する行為が二度に渡って行われていたのを差し戻しました。現在では出典も示されており、文芸、漫画、ライトノベル、ゲーム分野では広く用いられており重要な用法であることから、私はこれを除去すべきではないと考えます。「Wikipedia:ページの分割と統合」にもあるように、こうした記述が「見出し語の解説としては不要な記述だが、百科事典の情報としては有用な場合」である場合、記述の除去ではなく分割提案によって対処すべきです。私自身は分割すら必要でないと思っていますが、過去の議論を反故にして記述を除去するにせよ、分割を行うにしろ、こうしたことは合意形成をした上で行うようお願いします。--Kanohara 2011年3月12日 (土) 00:50 (UTC)[返信]

過去のノートの議論を無視しているのはどちらでしょうか? これ以上、(当時の大方の支持していた表現によると)「粘着」によるごね得を通し続けることは、けっして健全なこととは思えません。「出典」の存在という論点も対話になっていない、粘着のための議論にすぎませんでした。言葉を誤用している出典があろうがなかろうが、誤用は誤用です。復活させたければ、せめて、「フィクションの世界設定」を「世界観」の意味として認めている国語辞典を示すなり、「観」という字に「設定」という意味もあることを示すなりしてからにしてください。--61.115.218.221 2011年3月12日 (土) 22:10 (UTC)[返信]
例えば「情けは人の為ならず」の記事をご覧ください。それが当初は誤用であったとしても、やがて広く用いられる言葉となり、日本語の意味の移り変わりの例として研究の対象となり、そうした研究が特筆性検証可能性を満たす形で発表されているのであれば、それは百科事典としては掲載に値する情報です。
出典として挙げられている大塚英志の「キャラクター小説の作り方」(ISBN 4-04-419122-0)には、世界観という言葉の「本来の用法」が民俗学などで使われる学術用語であることを説明した上で、(当初は誤用であった)フィクションにおける「世界観」という言葉の定義について触れています(202-204頁)。この辺りは過去の議論にもある通りで、これを「言葉を誤用している出典」であると指摘するのは61.115.218.221さんの誤解です。なお大塚は、この用法における世界観の「観」とは、SFやファンタジーといった現実とは異なる世界で生活しているという設定の登場人物たちが、自分たちの住む世界をどのような「観」で見ているのか、という意味としてこの言葉を定義しています(205-207頁)。この出典が単なるオタク向けのハウツー本などではないことは、私が2009年8月15日 (土) 20:04 (UTC) の発言で説明した通りです。
重ねて強調します。「フィクションの世界設定」を「世界観」と称するのが本来の用法とは異なることを明記した上で、その、本来の用法とは異なる意味を詳しく記述している出典は、すでに挙げられています。大塚英志や東浩紀はその道の権威と言える人物であり、そうした著者の記した参考文献を記事から除去した上で「出典を示せ」と主張する61.115.218.221さんの態度は如何なものでしょうか。「Wikipedia:中立性」についてもご覧ください。--Kanohara 2011年3月13日 (日) 01:44 (UTC)[返信]