ノート:日本エアシステム
この記事を日本航空ジャパンへ統合することを提案します。先に南西航空が日本トランスオーシャン航空へ統合されたのと同じ理由で、日本エアシステムが商号変更により日本航空ジャパンになった事、また両社の記事(歴史・沿革等)に一部重複する所があるためです。日本航空ジャパンの記事は幸い(?)にして少なめですので、会社自体が日本航空インターナショナルへ吸収され消滅したこの時期に統合をはかるべきと考えます。--ちゃれんじ 2006年11月6日 (月) 13:05 (UTC)
- 日本航空ジャパンと日本エアシステムの企業内容は、「南西航空→JTA」とは違い、全く違うものと考えられます。別の会社とも言えるのではないでしょうか。ですから、項目を日本航空ジャパンとしてしまっては、過去のサービスや概要など、書ける内容が非常に制限され、Wikipediaとしての資料性も大幅に低下すると考えられます。よって日本エアシステムは「過去にあった日本の企業」(消滅した企業)として存続させ、日本航空ジャパンは日本航空に吸収させることを提案したいと思います。しかし、やはり日本エアシステムと日本航空ジャパンの統合が必要な場合は、内容の充実した日本エアシステム記事内に、記事の少ない日本航空ジャパンの項目を作成し、現在日本航空ジャパンの記事に書かれているものを移行すべきかと思います。 Y.Otani 2006年11月9日 (木) 08:37 (UTC)
- Y.Otani氏の意見に全面的賛成を表明いたします。--K.Kawa 2006年11月9日 (木) 10:30 (UTC)
- (インデント戻し)ご意見ありがとうございます。考えてみましたが「日本航空ジャパン」の記事を逆に「日本エアシステム」に統合させたほうが正直なところわかりやすいかなとも感じております。現在の統合案だと資料性という点では混乱をきたす可能性は否定できませんね。
私としては、商号上は「東亜国内航空 -> 日本エアシステム -> 日本航空ジャパン」と続いているので、全ての記事は一項目にあった方がいいと考えました。また、記述内容は商号別に節を分ける(ソフトバンクモバイルの方式が参考になるか?)ことにより制限はされないと考えます。 また、「日本航空ジャパン」の「日本航空」または「日本航空インターナショナル」への統合には反対です。現在の「日本航空」は持株会社としての独立項目ですし、「日本航空インターナショナル」に統合すると(わずかの期間でも)「日本航空ジャパン」が存在した意義がなくなってしまうような気がするのです。
いずれにしても、さらなるご意見を待ちたいと思います。--ちゃれんじ 2006年11月9日 (木) 13:07 (UTC)
- K.Kawa様、ご賛同ありがとうございます。 ちゃれんじ 様。「日本航空ジャパンの存在した意義」については了解いたしました。日本エアシステム内に日本航空ジャパンを吸収するという案については、私は反対いたしませんので、この件についてはもうしばらく意見交換を行うべき問題ですが、できれば日本航空ジャパンをこちらに統合する形でのノートを作成して頂ければと思います。よろしくお願いいたします。 Y.Otani 2006年11月10日 (金) 10:44 (UTC)
- 日本航空ジャパンも決して小さな記事ではなく(6,767 bytes)、この記事も大きい(51,494 bytes)ので、統合するべきか非常に迷いますが(経営統合の部分を日本航空ジャパンに転記する手もあるので)、統合するなら日本エアシステムが存続する方がよいでしょう。合併先である日本航空インターナショナル・持株会社の日本航空への統合は、望ましくありません。--open-box 2006年11月21日 (火) 14:13 (UTC)
日本エアシステムの記事は記事の分量としても充分ですし、このまま存続させても問題ないかと思います。 逆に日本航空ジャパンと日本航空インターナショナルについては日本航空インターナショナルに統合させても問題ないのでは? 日本エアシステムを独立させるとなると、日本航空ジャパンの歴史・沿革は日本航空インターナショナルと共に始まったといっても過言ではありませんので。 一般利用者の感覚からすれば、日本エアシステム(JAS)=日本航空ジャパン(JAL)の図式よりも、日本航空ジャパン(JAL)=日本航空インターナショナル(JAL)(=日本航空)の図式の方が自然に受け入れられるかと思います。 ということで日本航空ジャパンと日本航空インターナショナルとの統合に賛成します。--Tokacyan 2006年11月28日 (火) 07:20 (UTC)
- open-box様、日本エアシステム記事存続のご賛同ありがとうございます。そうなるとやはり問題はJAJJの記事となります。
- Tokacyan様、JASの記事・JALJの記事共にご賛同ありがとうございます。私の体験からしましても、一般人の間では「JAS→JALJ→JAL」、もしくは「JASはJALの前身の一つ」という概念は全くできておりません。一般人の認識では「JAS」と「JALJ」は別物です。
- しかしちゃれんじ様の「日本航空ジャパンの存在意義」も充分考えるべきもので、「現状維持も無きにしもあらずではないか?」という考えさえ私にはある状態です。今後も皆様のご意見お待ちしております。Y.Otani 2006年11月30日 (木) 14:49 (UTC)
「日本航空ジャパン(JALJ)」は一般利用者から見れば「JAL」そのものであり、社名変更→JALインターに吸収合併までも一連の再編の過程の出来事であることから、特に現状のまま残すほどの記事ではないと思いますが--Tokacyan 2006年12月3日 (日) 00:29 (UTC)
- 逆に、JASがJALに吸収されたことを知らない人も多く、「JALJの前身はJAS」という知識があることは稀です。JASのJALJへの記事合併はまずあり得ないとしても、JALJの記事の移行方法を考えなくてはなりませんね。
- JALJに関して
- 「日本航空インターナショナルへ合併」(Y.Otani、K.Kawa様、Tokacyan様)
- 「日本エアシステムに統合」(Charenji様、Open-box様)
- 「一部記事の日本エアシステムへの移行」()
- 「存続」()
- JASに関して
- 「全記事のJALIへの統合」(あちゃぴい様)
- 「JALJへの統合」()
- のいずれかを選ばなくてはいけません。Y.Otani 2006年12月3日 (日) 17:05 (UTC)
- 私は法人名として考えると、JASは法人的にはJLJであり、法人・航空事業者としての流れを考えてもJALインターナショナルへの統合(ソフトバンクモバイル方式)を支持いたします。--あちゃぴぃ 2006年12月5日 (火) 19:57 (UTC)
- あちゃぴぃ様。ご意見ありがとうございます。今後の参考にさせて頂きます。もしJASをJALIへ入れてしまうと、量的なものもありますし、この記事ともお別れですね。。。Y.Otani 2006年12月8日 (金) 16:25 (UTC)
- ソフトバンクモバイルは旧ボーダフォン←ジェイフォン←デジタルホン(デジタルツーカー)のサービス・基盤などをほぼ踏襲して引き継がれているのに対し、日本航空ジャパンは日本エアシステムから路線以外のサービスはほぼ旧:日本航空のものに置き換えられており、JALによるJASの吸収というのが明白であり比較の対象にはなりえないと思います。 またJAS自体も本文中にあるように日本エアシステム(JAS)←東亜国内航空(TDA)←日本国内航空(JDA)(←北日本航空・富士航空・日東航空)・東亜航空(TAW)と社名変更や合併の複雑な歴史を繰り返している企業であり、記事もある程度の区切りをつけた形で存在させたほうが沿革についてもよりわかりやすくなるかと思います。 日本エアシステムは東亜国内航空時代を含めて30年の歴史がある企業ですし、企業カラー(機体塗装という意味だけではないです 念のため)現在のものと大きく異なることから記事を存続させるべきかと思います。
- しかし日本航空ジャパン自体社名変更から合併までも5年程度とJASの歴史と比べて短く、また社名変更以降は運航関連を除きほぼ日本航空インターナショナルと一体となり運営されており、現在は両社が合併されていることもあり記事統合を行った方が一連の統合・再編の流れも明確に表現できるかと思います。--Tokacyan 2006年12月9日 (土) 14:42 (UTC)
- カラーというのは「社内色」や「スピリッツ」などとも言えますが、Tokacyanのおっしゃる通りです。ソフトバンクは「社名変更」という状態としまって良く、社員も同じだと思います。しかしJASに関しては、確かに法人的には同じ「企業」でありますが、極端に言えば「会社は消滅」して「残存していた機材の一部を別の会社が使っている」だけともいえますので、「JAS→JALJ→JAL」という記事は成り立たないと思います。Y.Otani 2006年12月9日 (土) 17:24 (UTC)
- 携帯電話会社に関してもツーカー3社は現在はKDDIに合併して消滅していますが、記事は残っていますね。--Tokacyan 2006年12月11日 (月) 21:49 (UTC)
- ツーカーはブランドが残ってすまし。まだサービスは2008年まで存続しますよね? そもそも事実を無視してJASにJLJを入れるというのはおかしいと思うのですが、残すのであればJLJにJASを統合し、さらに別に全てをJAL(JLI)に統合するのが筋と思いますが--あちゃぴぃ 2006年12月18日 (月) 23:04 (UTC)
- JAS及びJALJを統合することはいずれの場合・方法におきましても、その企業内容という事実に基づき反対させて頂きます。また、これに代わる案として、以下のTokacyan様の案に全面的に賛成いたします。Y.Otani 2006年12月19日 (火) 10:27 (UTC)
日本航空ジャパンと日本航空インターナショナルの統合提案
[編集]この議題の周知を図る意味にも、日本航空ジャパンと日本航空インターナショナルとの統合提案を提起いたします。 これまでの経過からこの議論についてもこのノートで議論したいと思います。--Tokacyan 2006年12月18日 (月) 01:49 (UTC)
- JALJは確かにJASの名称を変更した会社であることは確かでありますが、企業体質やその後の状態より、統合やむなしと判断し、ここに賛成を表明いたします。Y.Otani 2006年12月19日 (火) 10:21 (UTC)
日本航空ジャパンと日本航空インターナショナルの統合については特に異議ないようですので、統合編集いたいします。--Tokacyan 2006年12月23日 (土) 10:39 (UTC)
中立的な観点
[編集]どうも、記事自体が「経営統合否定」のスタンスに偏りすぎている気がしますので、「観点」テンプレを貼らせていただきます。--あちゃぴぃ 2007年2月16日 (金) 16:43 (UTC)
- 「統合によって何か問題が起こった」というのは既成事実であり、内容も書籍や新聞などで掲載・評論されたものと変わらない内容ですので、特に偏った記事には思えません。統合された側の運命としては当然のことが起こっただけの様にも思います。私は統合についてはあまり触れていませんので口出しはできませんが。私はあちゃぴい様がなぜそこまで倒産当然の過去の会社に嫌悪感を抱いているのかはわかりません。。。--Y.Otani 2007年2月17日 (土) 01:38 (UTC)
- この日本エアシステムの記事についてですが、何も偏った部分はなく、Wikipediaとしてまったく問題のない内容だと思います。Otani様も触れていますが、「統合によって何かが起こる」というのは当然のことであり、そのこと書いた部分を「経営統合否定」と理解し、嫌悪感を抱いているかのようなあちゃぴい様の考えには、私は多少、理解に苦しみます。220.219.168.179 2007年2月18日 (日) 13:57 (UTC)
私は、記事内容自体より「結局は吸収合併」などの「語調」には嫌悪感があります。いろいろあったトラブルについては特に異議はありませんが、正直に言えばJALに対しての敵意が見える記述が数カ所あります。まあ、確かにJALが悪いところは多々ありますが、「JASは被害者、JALが加害者」という匂いが「中立性を欠く」感じがする・・・という感じでしょうか。私が気にしているのは内容より書き方の「語調」です。--あちゃぴぃ 2007年2月18日 (日) 14:10 (UTC)
- なるほど、確かにある意味言われているJALからすれば嫌悪的に感じるものかもしれません。ただ、やはり上に書いたように、この語調でさえ一般に書籍や報道番組で言われている(エアラインなどファン商品は除く)ものと何らかわらないものであり、一般大衆的にこの観点を持っていることがわかります。よって中立性を欠くという感覚は、一部の航空関係者やファンの方、旧日本航空の関係者にしか持つことがないであろうという結果に達するのであります。とすれば、この記事は専門家や関係者ではなく一般大衆を対象としているWikipediaには何ら問題はなく、「中立的な観点」は議論に値しません。また、長期間意見や賛否の書き込みもありませんので、今後も我々以外の方からの意見などが無かった場合はテンプレを削除してもいいのではないかと思います。Y.Otani 2007年3月13日 (火) 09:51 (UTC)
- あちゃぴぃさんの意見に同意します。語調に何かしらの意図を感じます、嫌悪感が拭い切れません。ちなみに私は、航空ファンでも飛行機マニアでもありません、飛行機といえば戦闘機の名前をいくつか知っている程度です。--Xenon 2007年3月18日 (日) 12:38 (UTC)
何名かの方々の尽力により、記事内容は中庸的なものに書き換えられ、以前よりも統合に関する経過が詳細なものとなりました。嫌悪感や偏りを精力的に排除した記事となりましたので、問題は解決されたとし、テンプレを削除させて頂きます。 あちゃぴぃ様をはじめ、執筆なされた皆様、お疲れ様でした。Y.Otani 2007年3月31日 (土) 08:23 (UTC)
中立的な観点というより、独自研究ではないかという疑問から[要出典]を貼りました。(とりあえず1箇所ですが他にも気になる点はあります) 日本国内航空と東亜航空の合併について、昭和55年の運輸白書には、
46年には,この方針を受けて日本国内航空と東亜航空とが合併し東亜国内航空株式会社が設立され,ローカル線を運営した。
とあります。これは、本記事の
しかし、吸収合併を望まなかった日本国内航空首脳陣は運輸省の意向を無視して東亜航空との対等合併に踏み切った。
と全く逆です。さらに、「そのため」に続く文も独自研究の虞があります。すなわち、典型的な「独自研究#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」ではないかということと、前段の事実が発表されている公知の事実と異なるのではないか、ということです。--Jashu 2007年8月31日 (金) 07:18 (UTC)
- その後もう少し運輸白書を見ていたのですが、昭和46年版と本記事の記述が、明らかに反していることを確認しました。裏事情として運輸省の意向に逆らったという事実はあるのかも知れませんが、「無視して」や「踏み切った」は言い過ぎで、この記述は削除するのが妥当だと考えますが、いかがでしょうか?--Jashu 2007年8月31日 (金) 07:32 (UTC)
- 当時の運輸白書と国会の質疑を基に修正してみました。--Jashu 2007年9月1日 (土) 13:18 (UTC)
- 修正された内容自体には問題がないと思います。ただ「なぜTDAは運輸省から敵視されることになったのか」という事実へとつなげるための「理由」が必要なのですが、こちらも資料をあさってみるので、そちらでも探していただければと思います。Y.Otani 2007年9月2日 (日) 12:41 (UTC)
- 「TDAは運輸省から敵視されていた」という評価が歴史的な評価として確立しているかどうかというポイントもあると思います。あまり私の認識としてはそういうことはなく(そういうことを書いていた週刊誌があったり評論家がいたりしたことは知っていますが、あくまで一般的な評価として、です)最も出典が欲しいのはその点です。できれば運輸省の文書や国会議事録、TDAやJASの投資家向け公式情報からそれが分かるのがベストでしょう。--Jashu 2007年9月2日 (日) 12:53 (UTC)
- 東亜国内航空・日本エアシステムの会社概要を現在当っているのですが、まだ見つかっておりません。「そういう意見を持つ人や評論家もいた。」という書き方にはできないものでしょうか。また、少々見にくいのでこの議論を上記のものと分割することを提案いたします。Y.Otani 2007年9月2日 (日) 13:03 (UTC)
- 統合などの編集については220.40.248.13という方が参加されているようなのですが、出典がわからないといけませんな。Y.Otani 2007年9月2日 (日) 13:26 (UTC)
- 1997年の会社概要に「当社は、会社発足の経緯とも関連して、多くの不採算ローカル線を抱え、長い間厳しい経営を余儀なくされていた」ありますが、この「会社発足の経緯とも関連して」というのが「運輸省に路線を押し付けられていた」という会社側の認識と株主の共通認識をあらわしているものと考えられます。Y.Otani 2007年9月3日 (月) 09:08 (UTC)
日本航空との経営統合について
[編集]この節に[Template:独自研究S|独自研究]を貼ります。私自身もぼちぼち文献を当たりますが、お詳しい方よろしくお願いします。 出典が必要なポイント多いので、本文に個別に[要出典]を貼らずにここに列挙します。検証可能性やNPOVにかかわるものも含みます。
- 採算の合わないローカル線
- 無理な国際線進出
- などから経営的には苦しい状態→因果関係
- 当事者間により評されているのも事実
- 業務システムやマニュアルが日本航空のものに変更
- いたるところでトラブルが発生
- 両社の出身者同士の不協和音が現場から役員に至るまで起き始めた。
- 性急かつ強引に行おうとしているという構造的問題
- 輸送力が大きくダウンするという弊害
- 遠隔地へのいわゆる“いやがらせ転勤”
- 多くが辞めざるを得ない状況
- 当初から「対等の立場」といえる経営統合だったのか
- 「日本航空」に「システム」が後付けされた印象となった。
- トラブルと不協和音が招いた「JALブランド」の失墜
- リストラやコスト削減は遅々として進まず
- 旧日本航空経営陣の怠慢といった社員間不協和音
- 営業トラブルが積み重なる形
- 「JALブランド」は失墜
- 急がれた機体塗装のJAL化
--Jashu 2007年9月1日 (土) 13:34 (UTC)
- 色々書籍や新聞を用意してあるんですが、いそがしくてなかなか書けそうにないです。Y.Otani 2007年9月2日 (日) 12:31 (UTC)
- >無理な国際線進出
- に関しては国際線進出のきっかけになったA300導入の空輸の最高責任者だった網代機長(当時)がトゥールーズ離陸前に話した言葉が当時の東亜国内航空(当時:以下省略)の全てを表していると思います。
- 「日本航空や全日空に次いで第三位にいることは仕方ない。だが、社員全体が三流意識を持つことだけはなんとしても避けたい。このA300の導入は我が社にとって一流航空会社への大きなステップになる。」と気概は日本航空や全日空を追いつけ追い越せとばかりあふれていて、その上で1985年(昭和60年)航空憲法廃止後、運輸省(当時:以下省略)へ東亜国内航空が提出した最初の国際線要望書は東京-ホノルル線が記入されていた。
- しかし、運輸省の回答は近隣チャーター便で実績を積むようにとのことでこれに対し東亜国内航空は韓国をターゲットとしてチャーター便を企画するがソウル線は当時ソウル開催のアジア大会の為、日本航空と大韓航空が増便を考えていたので、東亜国内航空の入り込む空きはほとんど無く、それでも担当者は窓口の韓国交通部詣でを繰り返しやっとの事で日本と地方都市とソウル間のチャーター便を認可して貰い、実施に漕ぎ着け
- それからもチャーターの実績を積み重ね1990年(平成2年)に初の国際定期路線成田-シンガポール線を開設する。このように東亜国内航空も他社と同じように市場調査から準備室の開設、、チャーター便による国際線経験の積み重ね、運航機材の調達(DC-10-30)など無理なことをしたのではなく社内の出来るという裏付けを元に動いていたのは事実です。
- また国際線という性質上、航空会社だけで事が運ぶものではなく、政府間協議で航空条約を締結し、その上各当事国の当局の認可を受けて運航可能になるもので、DC-10-30が受領後本来の国際線路線での運航が出来なくて、大韓航空に短期リースされていたりしていたことからも会社として運航したくても運航できない状況にあり、その後の国際線開設後も成田空港の発着制限などによってデイリー運航できないなど本文の後述している国際線の部分とも矛盾するので削除に値すると思います。--Airsystem 2007年9月2日 (日) 16:35 (UTC)
- 1991年6月にホノルル線が就航した翌年の1992年10月には「収支構造改善委員会」が設置されていますので、やはり景気の下落が大きなポイントとなっているのではないでしょうか。ただ92年から94年にかけて経常利益が最大12,689百万円、当期利益が最大10,934百万円の赤字決算となっており、94年にはホノルル線が、95年にはシンガポール線が休止となった結果、ようやく1995年に経常利益が170百万円、当期利益が71百万円の黒字決算となっているので、国際線の収益は少なからず経営に影響を与えていたのではないかとも思われますが、進出の時期にバブル経済の破綻が重なったと考えるのが妥当とも思えます。また、1998年の会社概要には「長引く不況の影響を受け、リストラ対策の一環として当面運休の止むなきに至っているが」とありますので、参考になるのではと思います。Y.Otani 2007年9月3日 (月) 08:47 (UTC)
- >採算の合わないローカル線
- 「日本航空・日本エアシステム 共同社長記者会見 議事録」の中で船曳社長が「我が社が沢山抱えておる地方路線、これは不採算路線もございますが」と言われているというのと、1997年の会社概要に「当社は、会社発足の経緯とも関連して、多くの不採算ローカル線を抱え、長い間厳しい経営を余儀なくされていた」とありますので、充分出典となるものと思われます。Y.Otani 2007年9月3日 (月) 09:05 (UTC)
- >当事者間により評されているのも事実
- 現場職員から良く聞くことではありますが、出典として組合のものを引用するというのは可能なのでしょうか?
- >業務システムやマニュアルが日本航空のものに変更
- 広岡友紀の「JALが危ない」(2006年 エール出版社)には「統合後は業務作業手順、営業活動等が急速にJALのやり方に統一されていく。」とあります。
- またJASPUのこのページに「私たち日本航空ジャパン乗員組合は、一社化を理由とした安全に係わる会議体の変更やマニュアルの一方的な統一は、安全上大きな問題があるとして交渉を行っていますが、依然として会社は「一社化における統一」を理由に具体的な対応を示そうとはせず、今夏闘での大きな争点となっております。」
- 衆院第162国会 国土交通委員会 第14号には新町参考人の弁論として「昔の旧日本航空、旧日本エアシステムの統合の中で、マニュアルの統合というのは難しいテーマであったと思います。」とあります。
- >いたるところでトラブルが発生・営業トラブルが積み重なる
- 多発した時期のトラブルについてはこちらをご参照ください。
画像提供依頼
[編集]2011年12月14日 (水) 04:39 UTC に出された画像提供依頼の除去を提案します。虎ノ門18森ビル(第18森ビル)は13年前の1999年に虎ノ門2丁目タワーとして改築され[1]、現存しません。既に画像の入手は困難であり、かつ手間をかけてまでこの記事に掲載する意義は小さいと考えます。
あわせて、2011年12月14日 (水) 04:47 UTC に出された画像提供依頼の説明文から「日本エアシステムの本部 (前) - 」を除くことを提案します。おそらくは、コピー&ペーストの際に誤って紛れ込んだと思われます。-- Asanagi 2012年2月14日 (火) 12:03 (UTC)
(依頼内容について調べ直し、上の提案は2件とも取り下げ、以下の通り訂正します。失礼しました。)
2011年12月14日 (水) 04:47 UTC に画像提供依頼が出されましたが、この時点で既に画像は追加されています。画質やアングルも問題無さそうですので、画像提供依頼を外してよいと思うのですが、いかがでしょうか。-- Asanagi 2012年2月16日 (木) 08:49 (UTC)
- 1998年-2006年の旧本社であった日本航空メンテナンスセンターの画像は、かなり以前に提供済みで依頼者ご本人にも話をしていますので除去して構わないでしょう。1990年以前の虎ノ門18森ビルの画像提供依頼は、もう少し様子をみても良いと思いますが、「必要性が無い」ので依頼日から半年程度で除去して良いとも思います。--Aimaimyi(会話) 2012年5月3日 (木) 18:51 (UTC)
- 羽田日本航空メンテナンスセンターの画像提供依頼は除去しました。-- Asanagi(会話) 2012年6月28日 (木) 12:35 (UTC)
- 虎ノ門18森ビルの画像提供依頼も除去しました。-- Asanagi(会話) 2013年4月14日 (日) 12:03 (UTC)
「日本航空と経営統合の経緯」について提案
[編集]ご無沙汰しております。2011年に「巣」氏による約10,000バイトもの予告無き大量除去が行なわれました。ただ、この項目の「独自研究」について解決の糸目が見つからなかったことも事実ですので、ルールを鑑みてもこれは仕方のないことだと思います。 さて、これによって現状の記事を見ますに、「日本航空と経営統合の経緯」の項が前後の脈絡に対して「浮いて」記述されているように思えます。私としましてはこの項の補足もしくは除去、ページ下部への移動を提案したいと思いますが、みなさんのご意見はいかがでしょうか。皆さんよりご意見いただけなければ、適宜項の移動、加筆などを行ないます。--Y.O 2013年7月3日 (水) 13:41 (UTC)
TDA以前の記事についての提案
[編集]現在、TDA以前の歴史についての項目が時系列的に記述されておらず、各記事に誘導する形にのみとどまっているように思えます。全日空などの記事を見ますと、日ペリ航空・極東航空の合併、藤田航空の統合などを、各記事の内容を侵食しない程度に、時系列に沿って記述されているように思います。本記事においても、前史について全日空の記事を踏襲したものにしたいと思いますが、いかがでしょうか。--Y.O 2013年7月3日 (水) 23:47 (UTC)