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ノート:日朝修好条規

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条約の内容について

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「朝鮮に不平等な内容」として、「無関税」が挙げられていますが、私は「朝鮮から日本への輸出も無関税だった」と聞きました。私見ですが、一概に不平等とは言えないのではと思います。編集が必要ではないでしょうか?(参考) 黒毛金眼九尾猫 2007年3月8日 (木) 06:28 (UTC)[返信]

朝鮮近代史の研究者が「不平等とは言えない」と述べているのであれば、注付きでそう書いても良いでしょう。ただ紹介いただいたサイトには、どの研究者の説にしたがっているのか、わたしには見つけることができませんでした。見落としていればご指摘お願いします。私見では日朝修好条規の不平等性については通説となっていると思いますので、加筆するのであれば、それなりの数の研究者の紹介がないと不平等であるといった文を削除することも、両論併記することも難しいと感じます。無論、「不平等とは言えない」との見解をとる査読論文や研究書をまとまった数挙げていただければ、率先して賛同します。--Tears for Asia 2007年3月8日 (木) 07:06 (UTC)[返信]
わかりました。なんにせよ今の所史料不足ですね。とりあえずテンプレは外します。お騒がせしました。黒毛金眼九尾猫 2007年3月10日 (土) 09:10 (UTC)[返信]
Tears for Asia様、貴方が不平等であると主張する片務的領事裁判権の設定について、条約のどの条項に述べられているのか具体的に示していただけますでしょうか?--ちとせ 2007年4月12日 (木) 16:40 (UTC)[返信]
片務的領事裁判権設定については、Wikisourceを見れば分かるように、朝鮮在留の日本人にのみ設定し、在日の朝鮮人については設定していません。それ以前に、参考文献を挙げているのですから、それを読めば分かります。少なくともそれを読んでから質問してください。時間の省略になるので。--Tears for Asia 2007年4月12日 (木) 16:46 (UTC)[返信]

3月24日の加筆について

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参照した研究者名及び学術研究書名あるいは査読論文名の提示願います。ご提示いただけない、あるいは学術研究に基づかない場合、大幅変更する予定です。--Tears for Asia 2007年3月23日 (金) 20:14 (UTC)[返信]

この20日弱ほど、典拠の提示が無かったため、以前述べたように大幅改訂しました。地図とWikisourceも同時に用意したため、ちと時間がかかりましたが。変更される場合、学術的な典拠の提示願います。--Tears for Asia 2007年4月12日 (木) 15:02 (UTC)[返信]
エッセイ的な記述がひどすぎますね。まあ、revertは趣味ではないので暫時改定して行こうと思います。--ちとせ 2007年4月12日 (木) 16:37 (UTC)[返信]
何らエッセイ的な部分はありません。そっくりそのことばお返しします。上に書きましたように、変更する場合は何に依拠しているか明示してください。明示しない場合、及び学術研究に依拠していない場合、問答無用で戻します。--Tears for Asia 2007年4月12日 (木) 16:42 (UTC)[返信]
問答無用で戻しますですか。何がエッセイ的であるかを説明するならば、百科事典の記述には事実を書くべきであって、評価を書くべきではありません。この記事は、端から端まで、いかに朝鮮が寛容かつ善良であり、日本が悪辣であるかを説明しています。ところで冷静に考えてみれば、日本は開国から朝鮮を占領して、朝鮮を屈服させ、日本人の溜飲を下げるために行ったもので、朝鮮人を奴隷にするのが目的だった。日朝修好条規は、日本が欧米と結んだ諸条約と比較してより過酷な内容を持ったものになっているとする、「日本=悪」であると決め付ける自虐史観的な記述は、わざわざ私が修正しないほうがいいのかもしれませんね。Tears for Asia様などは、名前からユーザーページの紹介まで、まるで自虐史観そのものですし。まあ、こんな愚かな偏った観点の記事が増えれば増えるほど、結果的には特定アジアを毛嫌いする日本人が増えるだけだと私は思うのですがね。--ちとせ 2007年4月13日 (金) 16:31 (UTC)[返信]

インデント戻します。Wikipediaのルールを守る限り、典拠のないあなたの脳内にだけ存在するような「事実」は不要です。また挙げられた参考文献を読まずに、また読んでも理解する努力をしない書き手も不要でしょう。上のコメントは最初からあなたの個人的なスタンスを明らかにしているだけで何ら客観的ではありません。「特定アジア」がどうとかあなたの極々個人的なイデオロギーもどきを持ち込まないでください。研究者が書いてあることを書けばよいだけです。もし自分は客観的というなら依拠する研究名を挙げてください。「日朝修好条規」の項目に書いていることは、れっきとしたプロの歴史家が書いた著作の文章を著作権に触れないよう書いているだけです。何ら根拠を示さず、非難だけされても困りますね。もう少し勉強されたらどうでしょう。少々厳しい言い方ですが、あなたは他人の文章をエッセー呼ばわりしたり、「苦笑」などと要約欄に書き込むほど勉強されていないように思います。というより典拠一つ示そうとしない方がまるで高みに立っているかの如きご発言は、それこそ滑稽としかいいようがないです。もう少し自己認識された方がよいでしょう。「一方で朝鮮人が犯した犯罪については、朝鮮人によって裁かれることとされており、これは外国人が関係する犯罪は、たとえ日本人であっても外国人が裁判を行うといった、日米和親条約のような一方的に不平等な領事裁判権では無かった。」などといったことを書いていますが、きちんと日米和親条約を読まれましたか? 領事裁判権をいつ認めたかなど調べましたか? 調べてないから、片務的領事裁判権について、先日のような質問されるんですよね。これは一例ですが、あなたの非常に恥ずかしい誤りを訂正し、ちょっと見には人の眼に触れないようにしたのですから、非難を浴びせられるいわれはないと感じますがね。ノートにコメントを書くのなら、最低限挙げている参考文献を読んでから書き込んでください。そうした努力をしないのなら、沈黙してください。時間の無駄です。ともかくこちらの問うたあなたの依拠する文献を挙げてくださいという問いに答えていただけずに編集した場合、対話拒否と見なさざるを得ません。その点注意し、ゆめゆめ軽んじられないよう希望します。--Tears for Asia 2007年4月13日 (金) 17:15 (UTC)[返信]

私は、誰が客観的かの判断は、本文を読まれた方々にお任せしようと思います。問答無用でrevertされるようなので、貴方の編集合戦に付き合うのも馬鹿らしいですから。姜在彦、岡本隆司なんかを持ってきて、書いてあるから事実だと主張されるのは、あまりに偏った観点というものですよw--ちとせ 2007年4月13日 (金) 17:29 (UTC)[返信]
おやおや「姜在彦、岡本隆司なんか」ですか。随分お偉いんですねぇ。だから著名な研究者の意見に対し、ご自分の意見だけで反論可能であって、典拠は必要ないということなのでしょうか。もしそうだとすれば、本当にご自分を高く買っておられるんですね。その自信うらやましい限りです。姜在彦氏は朝鮮史研究の大御所で、今なお多くの論文で引用されていますし、岡本隆司氏はあの歴史学の京大のホープですよ。またその著書『属国と自主のあいだ―近代清韓関係と東アジアの命運』が出版されてから、いくつの書評が書かれたか調べてみてはどうですか。ところで具体的に研究者の氏名を挙げておられますが、本当に読まれましたか? 読まれたとして理解できましたか? その点非常に興味あるところです。--Tears for Asia 2007年4月13日 (金) 17:51 (UTC)[返信]

全体的に閲覧した感想を述べると、確かに中立性を欠いたようた描写が本文全体から見受けられます。(条約内容などに対する注釈など) --aranra 2007年5月22日 (水) 02:50(UTC)

5/22に加筆された内容についてですが、どなたの研究に依拠して書かれたものでしょうか。また上の中立性云々はその研究と私が参照した研究との間の中立性について言われているのでしょうか。研究者名と論文名または研究書名を教えてください。--Tears for Asia 2007年5月22日 (火) 22:36 (UTC)[返信]

ノートで相手を小馬鹿にする表現はやめたほうがいいですよ。人間性が現れますから。私はただの通りすがりのものですが。

記事のノートには、その記事に寄与することを書くべきと考えているので一々これ以上返答しませんが、一つだけいうと、署名はルールですので守ってくださいね。匿名で批判することこそ、その人の人間性が現れていると思いますよ。では。--Tears for Asia 2007年6月23日 (土) 00:40 (UTC)[返信]
ここのやり取りを見る限りTears for Asiaさんの言い分が正しいと思います。Tears for Asiaさんの主義主張は多分いわゆる「自虐史観」なのでしょうが、それはそれとして、学術研究に依拠しない記述があった時にその部分を削除するだけのことです。Tears for Asiaさんの記述が学術研究に依拠しているなら問題ないし、「学術研究に依拠していない(変更があった)場合、問答無用で戻」すのが当然でしょう。
ルールに反した者にルールを教えていることを「小馬鹿に」したと感じるようなら、ノートを含めWikipediaに書き込みすべきでないと思いますが。--プリズム11 2008年8月1日 (金) 16:44 (UTC)[返信]

条約締結の影響について

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『1.条約の締結によって、李氏朝鮮は開国し、海禁政策(鎖国)は事実上終了した。』とありますが、日朝修好条規締結後も朝鮮政府は対欧米海禁政策を継続しており(というよりも、元から日本は海禁政策の対象外だったはずですが)、この政策が根本的に撤回されたのは清国の圧力で米朝修好通商条約が締結された時です。それ以前に日本は米国から対朝鮮条約交渉の斡旋を依頼され、朝鮮側の意向を伺ったことがありますが、明確に拒否されて断念しています。以上の事実からこの記述が事実にそぐわないと思いますので、この説を明示している学術論文等の追記が無ければ削除したいので、[要出典]を付与した上で予め予告しておきます。--椰子 2010年3月3日 (水) 06:23 (UTC)[返信]

改変しました。ご異論等あれば指摘していただけると嬉しいです。--椰子 2010年3月10日 (水) 08:08 (UTC)[返信]


江華島事件

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日本側からの砲艦外交である、との記述が一般的なのですが「通説」「定説」と呼べるものかどうか、文献調査の段階ではハッキリしませんでしたのでその旨を脚注に記述しました。「砲艦外交であるとするのが定説・通説になっている」と明確に記述してある論文等をご存知の方がおられましたらぜひ情報提供お願い申し上げます。--大和屋敷会話2012年8月26日 (日) 08:42 (UTC)[返信]

日朝修好条規を研究する上で必読論文となる高橋秀直氏の「江華条約と明治政府」(京都大學文學部研究紀要 37,1998.3)の52頁に「第一、これはすでに定説となっているが、首都防衛の重要拠点への軍離の侵入という雲揚の行動は意図的な挑発行為であった、ということである。」とあるため、戻します。--独頭会話2012年8月26日 (日) 22:21 (UTC)[返信]

高橋秀直「江華条約と明治政府」(京都大學文學部研究紀要 37,1998.3)P.52の記述は江華島接近および漢口遡上の意図が挑発にあった、とするもので雲揚派遣が「当初から砲艦外交による日朝外交問題の打開を意図しており日本の挑発から発生した明らかな示威行動」と記述しているわけではありませんよね?むしろその直後に記述があるように高橋は政府不関与論です。そこを慎重に記述してほしいのですよ。さらなる文献の調査をお願いします。戻します。--大和屋敷会話2012年8月27日 (月) 00:14 (UTC)[返信]

上の解釈に疑義があります。高橋氏は「大久保ら政府中枢はこの謀略を命じておらず」と記述していますが、事件の首謀者について「海軍内の征韓派と思われる」と書いていますし、63頁では「江華島事件が海軍内の謀略によるものであった」とも記述しています。つまり「江華島接近および漢口遡上」のみが挑発的だったといっているわけではなく、雲揚号の派遣自体が謀略の一端であったと解釈すべきです。そこのあたりを慎重に読み取ってもらいたいものです。このことは日本側が計画して事件を起こしたという意味で何ら齟齬するものではありません。また、ここにおける「日本側」とは必ずしても日本政府が一致団結して計画したという意味で記述しているのではありません。その意味であれば「日本政府」や「明治政府」と記載します。したがって「当初から砲艦外交による日朝外交問題の打開を意図しており日本の挑発から発生した明らかな示威行動」という文言は正確で、問題ないと考えます。歴史学の査読論文において、雲揚号の行動が挑発的でなかったという説を見たことがありません。いくつもの論文が「挑発的」もしくはそれに類することばを使用している以上、問題はないでしょう。もし挑発的でなかったという学説を唱える査読論文があれば紹介してください。
後、「※「通説」「定説」と呼べるものかどうかについては、Wikipedia編集者の文献調査では判然としていませんので注意されたし。」とわざわざ書いていますが、こういう記述をするのは、非常に違和感を感じます。他の編集者の意見を是非尋ねたいところです。--独頭会話2012年8月27日 (月) 17:19 (UTC)[返信]
  • いやいや、だからそこはすでに高橋の言うところの「通説・定説」、とはなっていない箇所でしょ。どの論文にも「雲揚派遣は当初から砲艦外交を企図した挑発だった、と解するのが通説・定説」とは記述されていないのなら、Wikipediaでもそのように記述してはいけません。我々はどこの誰とも知れないただの名無しの編集者にすぎないのです。Dokutouさんのおっしゃるような内実面のお話しをわたくし大和屋敷は論題にしているのではなく、もっと記事編集における形式的なお話しをしているつもりなのです。Dokutouさんの解釈論は結構ですが、それはもはや独自研究です。探せばあるかもしれないので根気よく探してみてください。朝鮮語の論文が読めるのならいくつか存在してそうなのですが、当方は朝鮮語が読めませんのでどうにも。--大和屋敷会話2012年8月27日 (月) 22:23 (UTC)[返信]
  • 「逆に通説・定説ではない、と記述している論文をさがしてこい」云々という要求は、典型的な論証ミス(排中律の誤用)ですので回答いたしません。--大和屋敷会話2012年8月27日 (月) 22:29 (UTC)[返信]
  • 日本が威嚇という意味での砲艦外交を企図していたが、偶発的に戦闘が生じたということはあり得るし、そう解釈するのが自然なのではないでしょうか。であれば「軍事的示威行動を取った」ということがすなわち砲艦外交を意味しており、定説云々というのは蛇足ではないかと思います。私の知る限りでは、探水もしくは測量をしている日本の軍艦に対して朝鮮側には砲撃する意図がなかったというのが「定説」であると思います。朝鮮側の砲撃そのものが日本の謀略であったという資料があるのであれば、御開示いただければと思います。以下の改変を提案します。
1875年4月以降、日本側は朝鮮沿岸に軍艦を派遣し、軍事的示威行動を取ったが、9月20日、日本海軍の砲艦、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島の要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器、旗章、楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件は朝鮮側が日本海軍所属の軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。
また、「日本側は砲艦外交を行うことを日本政府に上申した」というのも、「日本側」が何を指すのか不明瞭で、そのまま読むと文章としておかしいように思います。執筆者の意図は「日本側の何か(交渉担当者?)」なのではないでしょうか。
4thmoon会話2012年8月28日 (火) 14:38 (UTC)--[返信]
  • ほとんど表記上の問題なんですが、ちょっと踏み込んで記述しようとすれば踏み込みすぎになってしまうので難しいところです。4thmoonさんの表記でも問題ないと思います。最後の箇所は「砲艦外交をおこなうべきである、との上申書を1885年4月に森山が上げた」ということをさしています。ただこれには三条実美の反対があり、川村純義の建議により雲揚第二丁卯が5月に派遣され、このときは平和裏にいったん長崎まで帰還しているのです。江華島事件が発生したのは9月に清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出航したさいですので、なるほど記事の該当箇所は記述が間違っていますね。修正します。--大和屋敷会話2012年8月29日 (水) 00:46 (UTC)[返信]
  • 大和屋敷さんありがとうございます。特に問題はないようなので、上記のように修正しようと思いましたが、その上の国交交渉の段落と内容が重複していましたので、重複部分は削りました。

--4thmoon会話2012年9月16日 (日) 12:09 (UTC)[返信]