コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:日向薬師

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

改名提案

[編集]

このページ「霊山寺 (伊勢原市)」を「宝城坊」へ移動(ページ名変更)したいのでよろしくお願いします。理由は次のとおりです。

  • 現在、伊勢原市日向にある寺院の通称は「日向薬師」、宗教法人としての公称は「宝城坊」です。「霊山寺」は、「宝城坊」の前身であり、すでに廃絶した寺院の名称です。たしかに歴史的名称としては「霊山寺」であったことはわかりますが、現在まで法灯を維持している寺院の名称については、現在の名称を用いるべきでしょう。
  • 平成7年12月にこの寺の本堂が重要文化財に指定されていますが、その際の指定名称(官報告示された名称)は「宝城坊本堂」、所有者は「宝城坊」となっておいます。2006年秋に東京国立博物館で開催された特別展「仏像」にこの寺の本尊薬師三尊像が出品されていましたが、そこにも「神奈川・宝城坊蔵」となっていました。

数日待って、論理的な異論がない場合は提案のとおり移動させていただきます。Urania 2006年12月18日 (月) 14:38 (UTC)[返信]

初稿投稿者ですが、この題にした理由は(歴史的にも、また現代においても)寺院の正式名であることを最優先にしました(重文登録は現在の管理者名でされているのでしょうが、いっぽう知名度からいえば圧倒的に「日向薬師」にすべきところだとも言えます。それらを考慮していろいろ迷いましたが、最終的にはWikipedia:ウィキプロジェクト 仏教/寺院名についてに提案されている方針も考慮し、創建時から現在までに通じる正式名を採りました)。

現在の運営主体が宝城坊になっているのは承知していますが、しかし創建時から現在までに通じる正式名は「霊山寺」ですし、寺院の玄関口には今なお「日向山霊山寺」と銘記されています。また伊勢原市の寺院名簿を見たところ「霊山寺」「宝城坊」が併記されており(所在地・連絡先は同じ)、このように敢えて名前を残してある様子から考えても「断絶した」と断言するのは憚られるところです。それに宝城坊は高野山真言宗ですが、かつて存在したといわれる他の僧坊が必ずしも高野山真言宗とは限らないことから、敢えて霊山寺を表に出して「真言宗」とだけ明記し、宗派については触れなかったという考慮もあります。

「宝城坊」については本文で充分明記したつもりですし(足りないと思えば追記していただくことももちろん可能です)、「宝城坊」からの転送設定もしておきましたので、参照時の不都合もないでしょう。

上記のような理由から、恐縮ですが Urania さんの提案内容については管理者さんのお手を煩わせてまで改題する必要性がある提案理由だとは思えず、その内容にも合理的価値を見出せませんでした。上記のような問題があることから、現時点では賛成いたしかねます。


改名提案(再)

[編集]

ご意見承りました。ウィキペディア日本語版は、30万記事を達成したと言いますが、日本の伝統文化や文化遺産に関する記事が質的にも量的にも全く不足しております。そうした中で、寺院のような地味な項目を立ててくださったことにまずは感謝申し上げます。さて、移動先ページ名については自分の意見を軌道修正します。「宝城坊」への移動提案自体は妥当なものだったと思っていますが、このお寺は圧倒的に「日向薬師」という通称をもって知られているので、むしろ「日向薬師」に移動するのがよいかもしれません。現状のページ名「霊山寺 (伊勢原市)」のままにしておくことには引き続き反対します。

私の説明が不十分であったためか、なかなかご理解いただけないようですが、このお寺(通称日向薬師)の公称は、近世以前は「霊山寺」、明治以降は「宝城坊」です。長い歴史を持つ寺院の場合、いくつもの名前で呼ばれることが珍しくなく、何をもって寺院の「正式名称」とするのかはむずかしい問題ですが、少なくとも、このお寺の現在の正式名称が「霊山寺」でないということは明らかです。

このお寺の場合、「日向薬師」「宝城坊」「霊山寺」という3つの項目名が考えられます。いずれかの名称が100パーセント正しくて、他の2つは全然ダメだということではありませんが、ネット百科事典の性質上、どれかを項目名に決め、他の2つはリダイレクトなり、曖昧回避ページなりにしなければなりません。私としては、(1)「霊山寺」が現在、宗教法人として存在していないこと、(2)「霊山寺」の知名度が低いと思われること、(3)このお寺の本尊薬師三尊像が、美術史や仏像の本ではもっぱら「宝城坊の薬師三尊」と呼ばれていること、(4)このお寺の本堂が「宝城坊本堂」という名で国の重要文化財に指定されており、本堂と本尊の所有者が宝城坊であること、(5)既存の事典等ではどれを見ても「宝城坊」または「日向薬師」を見出し語としていること、等を総合的に勘案し、中立的観点から考えると、宗教法人としての公称である「宝城坊」か、中世から現代まで広く使われてきた通称である「日向薬師」のいずれかを項目名とすべきであると思います。もちろん、「霊山寺」という名称を全然無視していいという意味ではなく、記事解説の中では「霊山寺」という名称にも言及すべきです。

既存の事典等で、このお寺を何と呼んでいるかについて、図書館等で容易に参照可能な資料から例をを挙げます。平凡社『日本歴史地名大系』「神奈川県の地名」には、「日向薬師」という見出し語で立項され、解説中には「正式には宝城坊」「もと日向山霊山寺」とあります(545ページ)。『角川日本地名大辞典』「14神奈川県」には「宝城坊」という見出し語で立項され、「明治維新後、当坊(=:宝城坊)を残し廃絶」とあります(785ページ)。2005年に刊行された法蔵館『総合佛教大辞典』にも「宝城坊」として立項されています。同じ辞典で「霊山寺」の項を見ると、言及されているのは東京都、静岡県、奈良県にある同名寺院で、日向薬師には言及されていません。『全国寺院名鑑』にも「宝城坊」で立項されています。念のため電話帳も調べてみました。「デイリータウンページ厚木・秦野市版」(掲載情報は06.8.14現在とあり)で見ると、「宝城坊」はあるが、「霊山寺」はなし。「ハローページ」では「宝城坊」と「日向薬師宝城坊」はありますが、「霊山寺」の登録はなしでした。

日向薬師の境内にある鐘堂前の説明札には、この建物が「宝城坊の鐘堂」であり「日向山霊山寺の鐘堂」であると明記されています。この説明板を写した写真がこちらのサイト[1]に掲載されています。(写真をクリックすると大きく表示され、説明板に書かれている文章がはっきり読めるようになります。)この立札は伊勢原市教育委員会の立てたものです。そして、ほかでもないウィキペディアの記事の初版には本堂について「旧霊山寺の別当坊である宝城坊が、霊山寺の本堂を引き継いだもの」とあります。この説明は妥当であり、何らかの典拠があって書かれたものと思われます。

二、三付記しますと、お寺の入口に書かれている寺名が正式のものとは限りません。寅さんで有名な柴又帝釈天の山門前にある石柱には大きな字で「柴又帝釈天」と書いてありますが、あのお寺の正式名は「題経寺」です。所属宗派については、現在の宗派を書くしかありません。日向薬師の場合、近世以前には神仏習合の信仰が行われ、天台系修験の山でもあったわけで、歴史的に見れば「真言宗の寺院」とばかりは言えません。

数日待って(お正月ですね)、特にご意見がなければ「日向薬師」に(「宝城坊」でなく)移動したいと思いますので、よろしくお願いします。Urania 2006年12月27日 (水) 10:24 (UTC)[返信]

私は信徒でも仏教の事情に詳しいものでもないので、専門の方から見たらいろいろ不都合や違和感を感じられるのかもしれませんが、そんな私の意見を汲んでいただいた上での再提案をいただき、ありがとうございます。

様々な困難を乗り越えて今なおあれだけの立派な森を保全され、それを信徒のみならず一般にも親しみ触れられるよう公開されているところは、数ある社寺の中でもごく僅かですから、まずその方針と素晴らしい実績に感謝と敬意を表さずにはいられません。また実際に幾度か現地を訪ねてその雰囲気がとても気に入っていることもあり、今回はその本寺院について少しでも伝えられればと極力齟齬のないように調べさせていただいた上で本記事を書かせていただいたので、もし幾許かでもお役に立てたのであれば嬉しく思います。

さて、Urania さんには私が調べきれない資料も含めていろいろ調べていただいたようで、ありがとうございます。なるほど「お寺の現在の正式名称が「霊山寺」でない」と仰るうちの「正式名称」が宗教法人登記など法的・事務的なものを指しているのなら、私は登記簿や名鑑などを見てきたわけではないので、たしかにそうかもしれません。
また繰り返しになりますが霊山寺の現在の運営主体が宝城坊になっていることは承知しています。ご指摘いただいた「旧霊山寺の別当坊である〜」の部分も、現地に立てられた案内板を含め各種資料を参考にさせていただき、その事情を把握した上で私が自ら書かせていただいた文章です。

しかしながら、本記事では歴史的経緯なども綴っており、それは本寺院について解説をする上で欠くことのできない要素だと思います。現在の宗教法人名が宝城坊であれば文化財等の解説には所有者名が採用されるのはむしろ当然のことでしょうが、本項は百科辞典としての性格上、現在の運営主体である宗教法人のみに立脚した解説をする記事ではなく、むしろ過去から現在に至るまでを総括する解説であるべきだと思い、先のような判断をさせていただきました。
また、本寺院は霊山寺から始まり、一時は宝城坊以外の僧坊も並列していたものの、それをある事件の煽りを受ける形で、宝城坊がそっくり受け継ぐことになったとの事です。その経緯も考えると、逆に「宝城坊」の中に霊山寺を書く形に変更するのも正しくないように思えるので、先の提案は反対させていただきました。

そこで今回の「日向薬師」への改名提案ですが、本寺院を総括していると考えられる名前であり、また知名度の面でも申し分ないと考えられますので、賛成させていただこうと思います。 おそらく「日向薬師」の名の知名度を疑問視される方はおられないとは思うものの、また年末年始の忙しい時期にお手数とは思いますが、所定の基準によりお手続きいただければと思います。


ところで、私は見識が浅くて申し訳ありませんが、ご指摘の「近世以前には神仏習合の信仰が行われ、天台系修験の山でもあったわけで、歴史的に見れば「真言宗の寺院」とばかりは言えません。」の部分も興味深く拝見いたしました(今は専ら神道に含められている在来神のみならず、かつては天台系にも通じていたのですね、たしかに同時期に成立し密教などを土台とし近いところがあるように聞き及んではおりましたが、実際にここ日向薬師で共存していたとあればなお興味深いお話に思えます)。もし詳細を御存知でしたら本記事に加筆していただければ幸いです、私も楽しみにさせていただいております。

Coryさん、丁寧なご返事をいただき恐縮です。それでは、他の方からの意見も特にありませんので、「日向薬師」に移動することにしましょう。(念のため申し上げますが、「移動」機能は管理者でなくても使えます。)Urania 2007年1月5日 (金) 00:07 (UTC)[返信]