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ノート:新三河鉄道

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電車の廃車時期について

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「19号は戦後の1950年(昭和25年)3月14日付で、16~18号は1951年(昭和26年)10月18日付で廃車されたという記録があるが、1941年(昭和16年)度に定員46人の大型単車は消滅している」これは『なごや市電整備史』139ページに1950年(昭和25年)8月14日付で、16~18号は1951年(昭和26年)10月18日付で廃車されたという記述が確認できますが「1941年(昭和16年)度に定員46人の大型単車は消滅」の出典はなにでしょう。じつは鉄道ジャーナルNo.82「名古屋市電の変遷」によれば「18.19は戦後にドア取り付け工事を施工した」という記述がありましたので確かめたいのです--Tamrono157会話2018年8月28日 (火) 07:29 (UTC)[返信]

継之助です。書いた当時の資料を半分捨ててしまっているので曖昧ですが、「1941年(昭和16年)度に定員46人の大型単車は消滅」の件は、『市営五十年史』だったと思うのですが定員別車両数推移表が載っていて、そこで定員46人の単車数が1941年度の「4」から1942年度には「0」(空欄?)になっているのが出典です。
これは手元に残る資料のコピーからですが、『なごや市電整備史』18頁に16~19号の車両竣工図表があるのですが定員が42人になっています。二重屋根・オープンデッキ車両なものの前照灯の位置が下がってないので新三河鉄道のものとは違うものに見えます。図表の備考欄、製造所名に名古屋市電気局工場とあるものの製造年月・前所有者名・旧番号・記事欄は全部空欄。一方、『名古屋を走って77年』184-185頁の「車両諸元表」の16~19号の欄は数値が一致するので前記車両竣工図表と同じ車両を指すと思われますが、これには1942年3月電気局製と書いてあります。
どこかの本に戦後撮影された16~19号のうちの1両の写真があったはずですが、新三河鉄道時代と比べると別の車両だなと思った記憶があります(曖昧ですいません)。車号そのままで車体を振り替えているのでは、と思うものの資料見つけてないです。--継之助会話2018年8月28日 (火) 11:42 (UTC)[返信]
ありがとうございます。調べましたところ「定員46人が1941年度の「4」から1942年度に「0」」の表は「市営五十年史」ではなく「市営三十年史」にありました。戦後の写真は見たことがありませんが、車両が変わった理由として鉄道ジャーナル「名古屋市電の変遷」には「14年(17年ハテナマーク)LSA型鋼体化による余剰車体(42人乗り)と車体と振り替えた」とあります。
もっともLSA型鋼体化工事が14年度に完了しているため、「名古屋を走って77年」諸元表にある1942年とずれていること。竣工図に改造記録がないことなどから「名古屋市電の変遷」の記述にも疑問は残りますので戦後の車両が新三河鉄道の車両だったのかは謎ですね--Tamrono157会話2018年9月1日 (土) 04:09 (UTC)[返信]

転記提案

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譲受前の軌道事業に関する記述を尾張電気軌道および名古屋市電八事線へ転記し、本記事は企業ベースの記事とすることを提案します。他に記述すべき記事が存在する状態で、記事名と直接関係のない記述を行うのは不適当と思われます。--210.48.133.123 2019年9月24日 (火) 02:22 (UTC)[返信]

  • コメント - 3記事の中でここが最古であった名残ですね。今は三河鉄道の改訂に向けて準備中でこちらの件は完全に他力本願になってしまいそうで恐縮ですが、記事構成を変えることには賛成です。ただ、保有路線以下のデータベースについてどちらに置くべきかは悩みどころですね。形としては市営化されたのは新三河鉄道としてなので、収支実績などは分割せずこちらに集約してもいいかもしれません。あと、現在の尾張電気軌道の記事内容についてはやたらと【「」によれば『』と記されている】と原典からの引用が多いのですが、こちらの文章と競合する部分はこっちを採用してあっちはガッツリ変えた方が良いと思っています。というか、これほどの長文が引用の範疇になるのか不安です(名古屋鉄道社史からの新三河鉄道の関する引用文は同著新三河鉄道の項目から現在の地名等の括弧書きを外しただけで、ほぼ丸写しです。他は原典未確認)。--ButuCC+Mtp 2019年9月24日 (火) 11:46 (UTC)[返信]

保有路線については「新三河鉄道」「尾張電気軌道」に各最新のものを掲載するとともに、「名古屋市電八事線」に時系列で記載するつもりです(概略図にある千種電停 -1925はどの時代にも記載がないためどうしたものかと考えています)。輸送・収支実績については1929年で分割して「新三河鉄道」「尾張電気軌道」に記載するとともに、輸送人員と貨物量は「名古屋市電八事線」にも掲載するつもりです。市電時代の数字があれば追加することができるでしょう。--210.48.133.123 2019年9月24日 (火) 23:44 (UTC)[返信]

やや入り組んだ作業になるので複数回に分けて実施します。テンプレート除去時点で問題があればお知らせください。--210.48.133.123 2019年10月2日 (水) 01:51 (UTC)[返信]

設立時期について

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1927年8 - 9月を扱った官報を探してもなかなか設立登記が見つかりません。もしかして全く別の時期なのでしょうか。--210.48.133.123 2019年9月26日 (木) 00:20 (UTC)[返信]

名古屋鉄道百年史(947頁)では9月11日と名鉄関係は創立総会が開催されたとする期日を設立日にしていますが、(もう一方の当事者である名市交側の文献である)『名古屋を走って77年』(193頁)では8月27日でした。地方鉄道及軌道一覧でも8月27日ですし、とりあえず沿革図の方は8/27で修正します。--ButuCC+Mtp 2019年9月26日 (木) 12:09 (UTC)[返信]

とりあえず、1928年1月には存在していることが確認できます[1]ので、全く的外れということはなさそうです。--210.48.133.123 2020年5月12日 (火) 06:50 (UTC)[返信]

帝国鉄道年鑑 昭和3年版も昭和2年8月27日を採用しているようです。--ButuCC+Mtp 2020年5月12日 (火) 09:40 (UTC)[返信]
会社設立登記完了届が昭和2年11月18日とあったのでそれをヒントに探したら見つけることができました(11月8日登記)。8月27日で問題なさそうですね。--ButuCC+Mtp 2020年5月13日 (水) 16:50 (UTC)[返信]

ありがとうございます。設立(登記申請)から登記まで2ヶ月超とはとんでもない会社ですね。どんな不備があったのか気になります。--210.48.133.123 2020年5月15日 (金) 01:43 (UTC)[返信]