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ノート:救世主顕栄教会 (ヴェルィーキ・ソローチンツィ)

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改名提案

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議論参加者への注意

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2009年11月14日~15日

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該当する祭を記憶する聖堂は、日本正教会ではふつう「顕栄聖堂」と訳されます([1][2][3][4][5])。従いまして「顕栄教会」もしくは「顕栄聖堂」への改名を提案します(ただし、「教会」か「聖堂」かはこだわりはありません、どちらでも結構です)。Alex Kさん、記事作成、お疲れ様です。--Kinno Angel 2009年11月14日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

救世主変容教会の改名提案についてもここを議論場所に指定しております。--Kinno Angel 2009年11月14日 (土) 16:37 (UTC)[返信]
コメント 明白におかしな話です。「組織的にウクライナ正教会と日本正教会とは二つ異なる教会なのに」と仰いますが、日本正教会と、日本のカトリック教会、どちらがウクライナ正教会に近いか?
基本的な話ですよ。AlexKさんらしくもない。
確かにウクライナ正教会と日本正教会は「組織は」違います。しかしウクライナ正教会とカトリック教会とは教派が」異なります。全くレベルの違う話です。
別のたとえを出しますが、AlexKさんが仰っていることは、「英国国教会日本聖公会は組織が違う。だから、イギリスの英国国教会の教会堂の訳には、日本で最大信徒数を誇る日本のカトリック教会の用語を当てはめて良いのだ」と言っているようなものです。
さて、今回はウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系)ですから話は簡単です。問題はキエフ総主教庁のような場合でしょうね。一定レベルのコミュニオン関係はありますが(キエフ総主教庁についても、全世界の正教会において全機密が無効だとみなしている訳ではありません)、キエフ総主教庁は日本正教会とはフル・コミュニオンではありません。
ま、しかし、「日本正教会とカトリック教会、どちらがキエフ総主教庁にコミュニオンの有効性のレベルにおいて近いか?」となれば、明らかに日本正教会でしょうね。ちなみにキエフ総主教庁のHPでも、「聖体礼儀」と書かれ、「ミサ」とは表示されていません。
以上の結論としまして、ウクライナ東方カトリック教会の聖堂の訳にはカトリック教会の日本語訳、ウクライナ正教会の聖堂の訳には(キエフ総主教庁のものであっても)日本正教会の日本語訳を用いるべきだということになります(全世界の正教会とフル・コミュニオンの関係にはないマケドニア正教会の記事にも、日本正教会の訳が反映されています)。
なお逆の例(日本正教会用語がカトリックのものに使われていたものが、カトリック教会用語に改名された)もありますので御参照下さい(→ノート:アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカ)。これまでウィキペディアでそれぞれの教派の用語が尊重されてきたプロセスが明らかだと思います。
もしそれぞれの教派の用語の尊重という原則が崩されますと、「教皇」など、全教派の記事名が混乱するのは必至です。AlexKさんは御存知ないでしょうけれど、カトリックVSプロテスタントの用語争いが全ページにわたって暫く行われた時期があるのです。それぞれの教派の用語が尊重されるというのは、その不毛な争いをミニマムに抑えるためのものなのですよ。
繰り返しますが、ウクライナ東方カトリック教会の事物にはカトリックの用語が使われるべきです。--Kinno Angel 2009年11月15日 (日) 06:54 (UTC)[返信]
コメント 日本でさえ知名度の低い日本正教会の用語を重視しないといけないでしょうか?についてですが、それを言うならAlexKさんがなさっておいでのウクライナ語表記の方が知名度は圧倒的に低いです。それは、AlexKさんが最もよく御存知でしょう。
誤解しないでください、ウクライナ語表記を広めるAlexKさんの事は尊敬申し上げておりますし、意義のある仕事をなさっておいでだと思います。ウクライナの記事はウクライナ語を尊重して表記すべきであります(少なくないロシア語話者はウクライナに居ますが、まず第一に公用語はウクライナ語ですから)。当事者の言葉を尊重すべきであり、専門家ではない無関係の人間の表記に従うべきではない。当たり前の事です。
今回、AlexKさんは御自分の価値を下げかねないことを言っています。「ウクライナの地名・人名については、あまり普及していないが当事者の読みを尊重しろ」「正教の事物については、普及していないから当事者ではなくともカトリックのものを使え」では、あまりに身勝手に過ぎるのではないですか。
もし「通用性」を言い出されるのであれば、地名についても改名が必要になってしまいますよ。
どうかよくお考え下さいませ。--Kinno Angel 2009年11月15日 (日) 07:03 (UTC)[返信]
コメント上記二点のコメントをまとめます。
  • ウクライナ正教会日本正教会は同じ教派です。日本正教会の用語を用いるべきです。わざわざ別の教派であるカトリック教会の用語を用いる意味はありません。
  • もし「通用性」を言い出すのであれば、ウクライナ語の転写を使った記事名は全滅します。私はそのようなロジックには賛成出来ません(AlexKさんもそうでしょう)。「通用性」ではなく「当時者の言葉による正確性」を第一に考えるべきです。ウクライナの地名・人名はウクライナ語をカタカナに出来る範囲で尊重し、正教会の事物名は日本正教会用語を尊重すべきです。--Kinno Angel 2009年11月15日 (日) 07:13 (UTC)[返信]
  • コメント御返答在り難く思います。私は頭から改名を否定しておりません。ただ、改名に賛成するには気になる点がいくつかあります。
  • 一つ目は、小学館の日本語国語大辞典(巻5)や『大辞泉』などで検索できる「顕栄」という用語は「主イエスの変容」の意味がないことです。
  • 二つ目は、変容 は「顕栄」より、ウクライナ語のПреображення(姿を変えること)に近いこと。
  • 三つ目は、記事名を「顕栄教会」にするであれば、読者が誤解する恐れがあること。
  • 四つ目は、救世主顕栄大聖堂などはロシアを中心に書かれていることから、読者は「ウクライナはロシアの一部だ」と誤解してしまうこと。
  • 五つ目は、世界のキリスト教会の諸宗派は宗派の境界線を乗り越えようとしてるところ、日本正教会はカトリックとプロテスタントと概念的境界線を新しく(無理やりに?)作り出していること。といった五つの点です。
  • 追伸:ウクライナ語の転写の問題と、用語の使用の問題は、形式的ににているが、内容的に異なります。前者は日本語における音声の伝え方の問題であって、後者は概念の伝え方の問題です。今回の改名は「概念の選択肢」をめぐる問題なので、転写の問題は参考になれません。--Alex K 2009年11月15日 (日) 13:09 (UTC)[返信]

2009年11月16日~17日

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  • コメント 頭から改名を否定しておりません。とのお答えに感謝します。
  • 以下、一つずつお答えしましょう。
    • 「一つ目」…教会用語については広辞苑にすら載っていないことが大変に多いです。国語辞典を参考にしてしまっていえば、正教会用語のみならず、神学関係の記事もかなりのものが崩壊してしまいます。国語辞典は参考になりません。
    • 「二つ目」…ウクライナ語のみならずギリシャ語でも「メタモルフォシス」は「変容」に近いでしょう。ロシア語でもそうです。ただしここで私が主張しているのは「訳語の正確性」ではなく「定訳」です。我々ウィキペディア編集者は「独自研究」を避ける事も目標に含まれて居ます。
    • 「三つ目」…誤解などありません。日本正教会の聖堂には誤解は含まれて居ません。
    • 「四つ目」…無用の心配と思います。これについては、ウクライナ人でいらっしゃるAlexKさんの是正に期待したく思います。ロシア語版ページなどによってロシア中心に書かれてしまっていると推測しますが、ウクライナにある救世主顕栄大聖堂のリストが加えられるのであれば、私としても大変喜ばしいものです。また、「ウクライナ正教会」が節として加えられれば、五十音順でロシア正教会はまず最後に来て、ウクライナ正教会は(アメリカ正教会よりは下になるものの)かなり上の節になります。そのような是正の仕方の方が建設的です。
    • 「五つ目」…私や日本正教会が無理やりに教派間の違いを作り出しているのではなく、termの違いがあるのは動かせない現実です。
      • 第一に、日本正教会に限らず、未だに領聖コミュニオン)の関係は東西教会の間に行われていません。
      • 第二に、「概念の違い」は既にあるものであって、「無理やりに作っている」ものではありません。そもそもです、「カトリックが先に訳していたのに、日本正教会が無理やり別の訳語を作っている」と思い込んでいませんか?明治時代から既にほぼ同じ時期に日本のカトリック、プロテスタントと日本正教会は別の訳語を使っています。そして、日本正教会は用語を殆ど変えてきていないのに対し、日本のカトリック、プロテスタントは時代によって用語がどんどん変わっています。
      • 第三に、「日本正教会のみが独自の概念を作っている」とお思いでしたら、それは単なる思い込みです。プロテスタント聖公会も、カトリック教会とは違う訳語を使っています。教派別のキリスト教用語一覧を今一度、御覧下さい。「英語では同じく"Church"だから、カトリックのものもプロテスタントのものも全て『教会堂』『礼拝堂』にしよう」などとやったら、カトリック関係の「聖堂」記事が全て崩壊します。日本語では教派間の用語の違いは厳然として存在します。用語の押し付けは和解の象徴でも何でもなく、ただの無理解であり、相手に対する侮蔑です。「お互いにその用語を尊重し合う」のが現在の流れです。それが本当の相互尊重じゃないですか
      • 余談ですが、新共同訳聖書の話をします。バプテスマを「洗礼」と訳そうとした時、浸礼を行うバプテスト派の翻訳者達が激しく反発し、一時期翻訳委員会から抜けるといった事すら起きました。彼らにとって「バプテスマ」とは「浸礼」だったからです。委員会が頭を悩ませた結果、「洗礼」に「バプテスマ」とルビを振る事で妥協し、バプテスト派は委員会に戻りました。これが本当の「教派の和解」のあり方です。「お前らが変わった言葉を使っている、一般的な言葉を使え!」では、和解など生まれません。--Kinno Angel 2009年11月16日 (月) 02:45 (UTC)[返信]
    • 「追伸」について…「通用性を問題にするのならウクライナ語表記も問題になる」と申しております。「通用性を問題にしないのならウクライナ語表記はOK(というより望ましい)」です。
  • 言いたい事はまた別にあるのですが、長くなりますのでいったんここまでにします。気長にやりましょう。--Kinno Angel 2009年11月16日 (月) 02:38 (UTC)一部訂正加筆--Kinno Angel 2009年11月16日 (月) 02:49 (UTC)[返信]

コメント キリスト教に関する知識はあまりありませんが、ここまでの議論を読んでの私の意見を述べさせていただきます。(1)キリスト教の場合、教派が違うと信条も異なる部分が少なくないと聞いております。そのため、日本語を用い、信条を同じくする教団がある場合、彼らの用語をそのまま使うことこそ、誤解を生じさせないやり方だと思います。この一つ上でKinno Angelさんが触れられたバプテスト派の例はその好例にあたるかと思います。(2)また、それぞれの教派に自派の用語へのこだわりや、その理由となる考え方があろうかと思いますので、それを「日本語圏ないし日本国内で多数派だから」というような理由でカトリック教会の用語に統一を図ることは要らぬ軋轢を生ずる危険性が極めて強いと思います。

現状の日本語版ウィキペディアではそうした訳語の統一は図られず、聖公会の概念は聖公会の用語で、カトリック教会の概念はカトリック教会の用語で・・・という風な使い分けが事実上、一般的となっているのは、上記のような問題点を踏まえての、日本語版ウィキペディア執筆者諸兄の知恵の産物なのかもしれません。

キリスト教徒(のすくなくとも一部)にとって各教派の和解は重要な課題なのかもしれませんが、訳語の統一という課題に関しては、ここで(少なくとも形式的には)たんなる一個人、一ウィキペディアンに過ぎないわれわれが議論するよりも、各教団の偉い人・専門家たちに委ねるべきでしょう。--Peccafly 2009年11月16日 (月) 21:58 (UTC)[返信]

  • 「顕栄」は「定訳」ならば、日本語の最大辞典といわれる14巻の小学館・日本国語大辞典に乗っているはずです。乗ってないので、「定訳」ではなく「仮訳」です。「仮訳」なれば、「訳語の正確性」を論じるべきと思います。
  • 広辞苑は確かに参考になりません。参考にすべきなのは小学館の日本国語大辞典です。その大辞典によれば、「顕栄」は「立身出世」を意味しております。「顕栄」には「変容」の意味を含んでいる暗示さえありません。よって、「顕栄」を教会の名前に入れると、日本正教会に縁がない読者には誤解が生じるのは必定。
  • 主の顕栄祭には「「顕栄祭」「主の変容祭」「変容祭」とも呼ばれる。」、また「「メタモルフォシス修道院」も日本語に訳せば「顕栄修道院」もしくは「変容修道院」である。」と書いており、さらに、インタネット上で正教の寺院を「救世主変容教会」と呼ぶ例が多少あります(救世主変容(スパソ・プレオブラジェンスキー)聖堂救世主(主イエス)の変容[6]救世主変容寺院, 救世主変容大聖堂)。本当に、「変容」を「顕栄」に置き換える必要があるかについては、疑問が残ります。
  • 「主の変容」に関してはカトリックと正教会の信条はマッタク同じです。「信じる内容」の差異などはありません。問題は「主の変容」の日本語訳です。ですから、「主の変容」をさすことばとして「変容」と「顕栄」が使用されるなら、わかりやすい「変容」にするべきと思います。--Alex K 2009年11月17日 (火) 00:20 (UTC)[返信]
  • コメント 議論が平行線になりつつあるのですが…AlexKさんのご意見は「広辞苑は参考にならない。国語辞典は参考になる。意味の正確性が問題である。当事者である日本正教会の訳は誤訳であって参考にならない。カトリック教会や聖公会で定着した訳は定訳。日本正教会で定着した訳は定訳ではない。」で宜しいでしょうか?…単なる当事者無視・日本正教会蔑視にしか見えないのですが…。
  • AlexKさんはネイティブではいらっしゃらないので御存知ないかもしれませんが、「顕栄」というのは今の日本語では殆ど使われていません。「立身出世」の意味で解する事は有り得ません。
  • 「信じる内容」の差異などはありません。とのことですが、ここでは誰も「信じる内容の差異」など主張していません。何度も言いますが、「語彙の違い」だけが問題になっております。
  • 私やPeccaflyさんのご意見はちゃんと読んでいますか?これまでの議論で、AlexKさんは相手の言う事を読んでもいなければ、特定教団(それも当事者)の訳語を不当に低く評価する事を繰り返しているだけのように見えます。--Kinno Angel 2009年11月17日 (火) 17:59 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:善意にとるを読み直してください。「単なる当事者無視・日本正教会蔑視にしか見えないのですが...」、「AlexKさんはネイティブではいらっしゃらないので」、「私やPeccaflyさんのご意見はちゃんと読んでいますか?これまでの議論で、AlexKさんは相手の言う事を読んでもいなければ、特定教団(それも当事者)の訳語を不当に低く評価する事を繰り返しているだけのように見えます。」云々は日本語版の公式な方針に反してます。個人攻撃などは根拠になりません。
  • 「語彙の違い」だけの問題と思うならば、日本国語大辞典を参考するのが一番であはありませんか?この出版物より日本語の語彙に詳しい辞典はないと思います。
  • 「顕栄」というのは今の日本語では殆ど使われていません」と仰るならば、今の日本語で書かれている日本語版でその単語を用いる意味は殆どありません。やはり、わかりやすくえて今の日本語で専ら用いられている「変容」が良いではないでしょうか?
  • 主の顕栄祭を再読ください。日本正教会関係の項目でしょう。「顕栄」も「変容」も使用されております。それでも「顕栄」のかわりに「変容」を使用されれば、日本正教会が蔑視されていると思われますか?--Alex K 2009年11月17日 (火) 18:50 (UTC)[返信]

2009年11月20日~26日

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  • コメント 
  • 別に個人攻撃をするつもりはありません。ただ、貴方の御主張に、一切日本正教会への配慮が無いのは事実です。それを指摘したまでです。「顕栄」も「変容」も(正教会で)使用されております。についてですが、繰り返しになりますが私が申しておりますのは「聖堂名」についてです。「聖堂の名」に使うのは普通は「顕栄」だということです。
  • 「語彙の違い」だけの問題と思うならば、日本国語大辞典を参考するのが一番であはありませんか?についてですが、やはり日本正教会の用語を尊重する気はないのですか?クリスチャンが1%前後の日本において、「一般的」なものを選び出したら、全ての記事が崩壊していくのですが。その実情を貴方は御存知ない。そのような認識を欠いていることにも見える通り、貴方がネイティブではない、というのは人格攻撃ではなく、事実であり、それによるデメリット発生について、貴方は謙虚に認識すべきです。
  • 「顕栄」の読んだ通りの意味はお分かりになりますか?漢文をAlexKさんは解されますか?むしろ漢和辞典を引いた方がいいです。漢語による語彙作成が日本正教会ではスタンダードですので。--Kinno Angel 2009年11月20日 (金) 07:40 (UTC)[返信]
  • AlexKさんは「顕栄教会」と呼べばが混乱を呼ぶと仰いますが、AlexKさんは他教派との概念の調整(キリスト教徒が超少数派である)日本語一般との整合性には配慮していらっしゃるようですが、(当事者である)日本正教会の同じ概念を持つ教会との概念の整合性は一切配慮していません。この捉え方は間違っていますか?これは個人攻撃ではなく、AlexKさんの論旨から導き出される帰結です。
  • アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカも、カトリック教会の表記ではなく、ユネスコなどの関連文書や旅行ガイド等との整合性を優先して、「アクイレイアの遺跡地域と総主教座聖堂のバシリカ」に戻しましょうか?違うでしょう?カトリック教会の聖堂名はカトリック教会との整合性を第一に考えるべきです。
  • 教皇」か「法王」かという問題も、「日本政府の用いる公式表記よりも、当事者であるカトリックの表記を尊重すべきである」事により、「教皇」でウィキペディアでは決着しているのです。日本正教会だけは当事者として認められないのですか?違うでしょう?正教会の聖堂名は正教会内の整合性を第一に考えるべきです。
  • 将来私は日本正教会の「顕栄聖堂」の教会の記事を作成しようと考えていたのですが、これと同じ記事名にしなくては整合性が損なわれるでしょう。
  • 繰り返します。日本正教会ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系)フル・コミュニオンです。他教派との整合性・キリスト教外の日本語との整合性より、当事者の整合性が優先されるべきです。

--Kinno Angel 2009年11月20日 (金) 09:08 (UTC)[返信]

いきなりですみませんが、Kinno Angelさんにお願いがあります。Kinno Angelさんがご指摘のようにAlexさんは日本語母語話者ではないので、もう少し寛大なご対応をお願いできませんか?僭越ながら、ここでの会話を見ていると、Kinno Angelさんのコメントの文章表現が外国人=日本語非母語話者に対してはやや辛辣に過ぎるように感じられます。彼の場合、こちらの話を故意に無視して自説を主張し続けているというより、たんにこちらの日本語での話が上手く通じていないだけであり、その場合は母語話者側も努力すべきです。
要は日本語母語話者は日本語の"プロ"なんですから、学習者=熱意あるアマチュアを応援こそすれ、わからないということを相手の姿勢が悪いということにせず、"プロ"のくせに相手にわかるように上手に言えなかったのだということこそ反省し、どう言ったら相手が理解してくれるか根気強く言い換えを考えるのがむしろ妥当です。
余計なお世話だとは思うのですが、円滑なコミュニケーションの一助になるよう願っています。
Alex Kさんにもお願いがあるのですが、Kinno Angelさんはウィキペディアの基本ルールはよくご存知だと思います。ことさらにその手のガイドラインを持ち出して論戦を張ると、徒に相手の気分を害して話が紛糾するだけというケースをよく目にします。確かに「善意にとって!」という願いはわかるのですが、それを第三者が言うのならまだわかりますが、当事者がそのガイドラインを持ち出すと何か挑発しているように見える場合があります。相手は何か「悪意」を感じて反発しているのですから、張本人がそれをルールを楯に「善意に取れ」と命じても、「お前が言うな」というさらなる反発を生みがちです。ルールのような「権威」を楯にするのではなくて、これこれこういうわけでそれは悪意からではなくちょっと言い方をまずっただけ(あるいは誤解しただけ、よくわからなかっただけ)なので、すみません、善意に取って下さい、とお願いするだけで随分違うと思います(ご存知のように、日本語の「すみません」は謝罪に限らず、強めの「お願い」をするときに使います)。どうぞ、できるだけ円満な日本語コミュニケーションをお願い致します。
主の顕栄祭
偉そうな前置き長くなりましたが、ここからが本題です。
上記までの議論を読んでいて、主の顕栄祭に書かれている記述が実のところ今回の重要な論点になるのではないかと思いました。確かに「主の顕栄祭」と書かれながら、何の注釈もなく顕栄祭」「主の変容祭」「変容祭」とも呼ばれる。とあります。もし本当に正教会での「定訳」が「主の顕栄祭」であるのならば今回の改名提案も「顕栄」への変更が妥当だと思うのですが、そのページでは正教会の聖堂(顕栄聖堂顕栄大聖堂変容聖堂)および修道院(顕栄修道院変容修道院)がある。などとも書かれており、「顕栄」と「変容」、どちらが「定訳」なのか判断できない文章構成になっていると指摘できます。
確かに最初にご提示の出典リンクのように「顕栄」と翻訳している例が多数見られますが、それだけでは「変容」を否定する決定打にはならないと思います(当の説明ページに両方書かれている以上)。ていうか、主の顕栄祭#外部リンクに書かれているリンク先[7]は大阪ハリストス正教会のページですが、「変容祭」と書いてますよね。こは如何に??
なぜ主の顕栄祭のページで両者が単純併記されているのか、本当に「顕栄」という翻訳が絶対的なのか、(自分で調べずすみませんが)門外漢にもわかるように明らかにされることが望ましいと思います。そうでないと、現時点では改名にも非改名にも賛成できないでしょう(反対もできません)。
『日本語国語大辞典』について
Alexさんはいつも『日本語国語大辞典』を必ずといってよいほど調べており、学習者としてその姿勢には尊敬を感じます。ただ、問題が日本語表現の問題ではなく翻訳問題になった場合、あるいは一般的な日本語ではなく専門分野の専門用語になった場合には、注意が必要だと思います。
Kinno Angelさんのご指摘の通り、国語辞典の類は、ある狭い専門分野の用語を調べるにはしばしば不適切である場合があります。そのため、その分野専用の専門用語辞典の類が日本では多数出版されています。そこには、『日本語国語大辞典』に載っていない単語や用法がたくさん載っているでしょう。
そもそも、『日本国語大辞典』で「変容」の意味を調べて、「キリストがその神性を顕わにすること」というキリスト教の用語としての説明が載っていますか?私の手元にあるのは縮刷版第1版ですが、それにはそのような解説は一切載っていませんでした(ほかの版には載っているでしょうか?)。
「変容」にもキリスト教の解釈が何も書かれていないのであれば、少なくとも、『日本国語大辞典」を根拠に「変容」を推すのは、論理的に破綻があります。むしろ、『日本国語大辞典』の「顕栄」を見る限り、こっちの方が適切な訳であるようにさえ見えます。というのは、次の通りです。
『日本国語大辞典』の「顕栄」には、「名があらわれ、身のさかえること」、「位高く世に時めくこと」、「立身出世すること」とあります。なぜわざわざ優先度の低い3番目の意味だけを抽出してきたのでしょうか?明らかに、1番目と2番目の意味がキリスト教の用語の解釈に適しています。つまり、「キリストの顕栄」とは「キリストの名(=本質)があらわれ、身のさかえること」と解釈可能です。「神」とは間違いなく「位高く」に該当しますし、キリストは神性を顕にして恐らく「世に時めく」ことでしょう(すみません、凡人である私にはこの辺、実際キリストが神性を発揮するとどうなるのか具体的によくわかりません)。キリストは現世で立身出世しないでしょう。出典元にきちんと適切な意味も書いてあるのに、わざわざ明白に不適切な意味だけを抽出してくるべきではありません。
辞書的翻訳について
単純に日本語内だけの問題に留まらない翻訳の場合については、「○○語・日本語辞典」の類も見るべきです。
今回は日本語の「顕栄」と「変容」が何を意味しているか、という以外に、ウクライナ語のПреображенняがどう翻訳されているかが問題です。残念ながらウクライナ語の翻訳は参考になる情報が手元になくわからないのですが、ロシア語のПреображениеは辞書を見ても、あるいは実際の用例を見ても「顕栄」とも「変容」とも翻訳されています(研究社と博友社の露和辞書を見ましたが、どちらも両方書いてあります。ご確認下さい)。
露和辞書を見る限り「顕栄」も「変容」も記載されていますので、どちらの翻訳も間違っていると判断することはできないと思います。従って、辞書的な翻訳で言った場合、「変容」も十分候補になると思いますが、同程度に「顕栄」も否定要素はないとみなすべきです。
さて、ほとんど同じ単語と言ってよいПреображениеПреображенняにわざわざ別の翻訳を当てなければならない理由があるのでしょうか?私は、この場合、ロシア語(あるいはギリシャ語)の日本語訳からウクライナ語の日本語訳を類推するのは的を得た翻訳法であり、わざわざ別の訳語を用いるべきではないと思います。
また、ПреображенняПреображениеという単語ですが、これはそもそも宗教用語を離れて日常会話などで頻繁に使用される語彙ではありませんよね?日本語に限って日常会話的な用語に翻訳しなければならないという必要性は低いと思われます。だめではありませんが、ページ名決定の際の決め手になるほどの根拠にはならないでしょう。
意味のわかる翻訳について
Преображенняは確かに「変容」ですが、何もキリストが特撮ヒーローのように何かに「変身」するわけではありません。私の理解が誤っていなければですが、キリストの変容とはそういう物理的な「変身」のみを言っているのではありません。もっと本質的なものであり、それは「変身」ではなく、元々彼が持っていた神性が顕かになる(周りの人間の視点から言えば、それまで見えなかった彼の「神の本質(神性)」が見えるようになる)ということです(元々備わっているものに周囲が気付くというだけですから、「変身」じゃありません)。従って、Преображенняの意味を無理に一語で表さずに意味がきちんとわかるよう翻訳すれば、「キリストがその神性(えある姿)を(あらわ)すこと」、「キリストが栄えある姿にわる(変わって見える)こと」という訳になるでしょう。これを一語で表そうとした場合、「顕栄」でも「変容」でも翻訳は誤りではないのではないでしょうか。
総論
まず第一に、建物がロシアにあるかウクライナにあるかで翻訳を変える必要性はまったくないと思います。ロシアにあろうが、ウクライナにあろうが、ギリシャにあろうが、台湾にあろうが、特に別の翻訳を用いなければならない明確な理由がない限り、同じ用語には同じ翻訳を当てるべきです。従って、正教会の教会・大聖堂のページ名は、ひとえに主の顕栄祭の明確化次第で決めるべきだと思います。「顕栄」が本当に妥当だと理解できれば、それへの改名へ全面的に賛成します。そうでなければ、このページは改名しなくてもよいでしょう(してもいいですが)。--PRUSAKiN 2009年11月25日 (水) 14:08 (UTC)[返信]
コメント
--PRUSAKiNさん、読み応えのあるコメントをありがとうございます。
  • 基本的にAlexKさんのコメントを待ちたいところですが、少しだけお答えする形で付け加えます。PRUSAKiN}}さんに後半にはほぼ賛成です。PRUSAKiN}}さんの神学的理解についてですが、ほとんど間違ってはおられません。また、辞書についての調査に感謝申し上げます。
  • 「変容」も使われているのでは、とのご指摘ですが、確かに祭の名としてはそうなのです。ですから「聖堂名としては」と申しました。聖堂名としては「顕栄」の方が圧倒的に日本正教会では用例多数です。'この種の聖堂に限り、「変容」「顕栄」の二種類の訳語を用いることは誤りではありません。が、既に「顕栄」の方が聖堂名として定着しているのに、わざわざより用例の圧倒的に少ない「変容聖堂」とする、その選好の根拠は何でしょうか?やはり「日本正教会の用語を尊重しようとしていない」だけでは?私の抱いております疑念はこのようなものです。
  • また、「誤りではない」としても、「顕栄聖堂」「変容聖堂」のうち、前者が一般的であるのに、二種類の表記を混在させる事にメリットが見出せません。--Kinno Angel 2009年11月26日 (木) 07:31 (UTC)[返信]

2009年11月28日

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  • PRUSAKiNさん、コメントありがとうございます。Kinno Angelさんの「説得」の仕方は、Klimentさんの仕方とのそっくりなので、私の方から何べん説明してもは無駄だと感じております。自分の根拠を既に紹介してあげました。1)主の顕栄祭には「変容」が用いられていること既に述べました。ですから、正教会関係の記事で「変容」を用いる妨げはありません2)『日本語国語大辞典』における「名があらわれ、身のさかえること」、「位高く世に時めくこと」、「立身出世すること」とはそれぞれの意味ではなく、同じ意味を表しています。意味が異なれば、①、②などがつくはずです。ご確認ください。ですから、ウクライナ語のПреображенняを「顕栄」に訳することが不適切だ思います。それにKinno Angelさんがいうように「顕栄」は現代語ではないので、その言葉を利用する意味はないと思います3)相手が無礼な言葉使いをすれば、ガイドラインを持ち出して論戦を張るつもりです。相手は自分を中傷すれば、第三者がくるまで待つ意味がありません。「自分の身を自分で守れ」と。--Alex K 2009年11月28日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

お二方、私の長いコメントを読んで下さり、ありがとうございます。

  • 主の顕栄祭には「変容」が用いられていること既に述べました。ですから、正教会関係の記事で「変容」を用いる妨げはありません と私も思ったのですが、Kinno Angelさんが仰るように施設名については顕栄が使われているのだとすれば、それに合わせた方がよいと思います。
    Kinno Angelさんに質問ですが、なぜ祭の名前と施設名で翻訳が違うのでしょうか?また、「変容教会/聖堂」などとしている(日本の)施設は存在しないのでしょうか?
  • 「名があらわれ、身のさかえること」、「位高く世に時めくこと」、「立身出世すること」は、①、②などを付けるほど意味は違いませんが、三つ書き分けられるほど意味は違います。どうぞ日本語文の内容をきちんとご理解下さい。
    「立身出世すること」は「名があらわれ、身のさかえること」ですが、「名があらわれ、身のさかえること」は(狭義の、我々が普段使っている意味での)「立身出世すること」だけには相当しません。屁理屈のようですが、「名があらわれ、身のさかえ」たからといって位が高くなるとは限りませんし、出世するとも限りません(名声は得たが位は低かった、名声は得たがお金はなかった、ということはよくあることです)。概念は似ていますが(つまり時めくことですね)、具体的状況は異なる可能性が考えられます。そのため、三つ文が書き分けられているのでしょう。
    辞書は持っているのできちんと読みました。この程度の文章、読み間違ってもいないと思います。
  • Alex Kさん、それはお任せします。私もそうすることはあります。ただ、もし相手が本当に中傷してくるのであれば、当事者同士でやり合うよりも第三者に助けを求めた方がよいと思いますよ。ひとりでやっていると精神的に不快ですし、時間の無駄ですし、その方が簡単に、そしてぐうの音も出ないほど明確にカタがつきます。--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 08:24 (UTC)[返信]
  • 繰り返します、正教会関係の記事で施設名については「変容」も使われています。それに、Wikipediaで教会名を定めるルールがありません(この記事を作るまえに探していましたけど。。。)ですから、わかりずらくて古い「顕栄」を用いべしといわれても、納得いけません。
  • 「名があらわれ、身のさかえること」、「位高く世に時めくこと」、「立身出世すること」については『日本語国語大辞典』を再びご覧ください。そして事例を読んでください。また第一巻の凡例を読んでくさい。PRUSAKiNさんが仰るような「三つ書き分けられるほど意味は違います」などはありません。その「三つ書き分」のあとに四番目の「栄達」と五番目の「顕達」がついておりますが、前者の「名があらわれ、身のさかえること」、「位高く世に時めくこと」、「立身出世すること」との意味は違いません。「名があらわれ、身のさかえること」、「位高く世に時めくこと」、「立身出世すること」などは「顕栄」を説明することばであり、自立した三つの意味ではありません。--Alex K 2009年11月28日 (土) 08:54 (UTC)[返信]
  • 規則があるのかと思っていましたが、ないんですか?(Kinno Angelさん、ご確認お願いします。)
  • はい、文語的表現において「名があらわれ、身のさかえること」、「位高く世に時めくこと」、「立身出世すること」はそれぞれ互換性があります。同じ意味だといえるでしょう。その意味で言えば、キリストの「変容」は「立身出世すること」だと言っても差し支えないでしょう。しかし、実際問題として今日「立身出世」はたいてい資本主義社会における立身出世を第一に念頭において用いており、それゆえたいていの日本語母語話者は「立身出世」と聞けば例えばお金持ちになることかと思いがちです。そのため、「キリストの立身出世」と言うとかなり笑えるということです。逆に、「名があらわれ、身のさかえること」と言えばこれはかなり意味に幅を持てる表現ですから、何でも当てはまるでしょう。
    おわかりになると思いますが、日本語母語話者が「顕栄」という言葉抜きに単に「位が高い」というのと「立身出世」というのを例示されたら、恐らく前者は社会的地位的なもの中でもとりわけ貴族的なもの、後者は社会的地位の向上そのものに加えお金持ち的なものも想起します(「位の高い人」と言われてお金持ちを想像することはまずないでしょう)。そのレベルの話において、三つの文には意味合いの違いがあると書きました。
    日本語の語意を浅く考えすぎているようですが、「顕栄」という言葉の意味は「名があらわれ、身のさかえること」、「位高く世に時めくこと」、「立身出世すること」という三つの文章を費やして表現され得る意味であるにも拘らず、初めなさったようにその中で最も狭義の意味を連想させる「立身出世」だけを抽出して例示されますと、その辞典を見なかった人に誤解を与えかねませんよという点につき、問題を指摘しました。誤解もあるかもしれないんだから、初めから書いてあること三つ例示すべきでしたよ、というだけの問題です。
    この問題はそれほど重要ではないので、あまり突き詰めなくてもよいでしょう。問題は、キリスト教の施設(教会や聖堂など)について正式名称において「変容」と表記している例があるかどうか、です。--PRUSAKiN 2009年11月28日 (土) 09:11 (UTC)[返信]

2009年11月30日~

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コメント
残念ながら、当方の会話ページでの言動により、AlexK氏を最早信用する事は出来なくなりました。こういう事をなさる方に「ネイティブではないから」という配慮は必要無いでしょう。そもそも記事名についてこれほど拘って主張するのであれば、「ネイティブではないから」などという配慮が必要なのですか?例えば私が英語版などに行って同じような事が通用しますか?辞書から特定の自分の主張に都合の良い部分だけ取り出して主張するような人に、ウクライナ語文献についての信用も出来ません。…大変残念な顛末となってしまいましたが、致し方ありません。
PRUSAKiNさんにはお答えしますが、正式名称において「変容」と表記している例があるかどうかについてですが、日本語の聖堂については少なくともありません。ただし海外の聖堂については「変容聖堂」というように(司祭の著述などで)訳されているケースはあります。ですから私はこう述べました。
日本正教会ではふつう「顕栄聖堂」と訳されます
精確に言えば、「日本の日本語の聖堂には正式名称として用いられているのは顕栄聖堂」ということになります。
AlexK氏は主の顕栄祭には「変容」が用いられていること既に述べました。ですから、正教会関係の記事で「変容」を用いる妨げはありませんと仰いますが、これについてはもう何遍も言いました。なぜ読まれないのでしょう。私が申しておりますのは、「二種類の表記が混在して用いられている場合、用例多数の方でウィキペディアで統一して運用する事に何の不都合があるのか」これだけです。
二種類表記混在でも「今回に限っては、条件によっては」認めなくもありません。しかし、この議論の結末が「日本正教会の用語を尊重しなくとも良い」という前例になることだけは、絶対に反対です。--Kinno Angel 2009年11月30日 (月) 04:21 (UTC)[返信]
コメント
この編集により、AlexK氏が「日本正教会の用語はキリスト教用語として認めない」とする姿勢がよく分かりました。--Kinno Angel 2009年11月30日 (月) 04:48 (UTC)[返信]
  • その、ノートに関する編集については、意図がわかりません……。しかし、それでもやはり「善意にとる」の条項は生きるでしょう(つまり、「何かの手違い」とか。う〜ん、苦しい)。お気持ちはお察ししますが、すみません、私はその手の論争は好まないため、スルーします……。
  • 海外の名称については翻訳者次第の面が強く、参考にはなるが基準にはならないと思います(海外の施設で、日本語の正式名称を持っているものはその限りでない。つまり、海外と言うか、日本語以外の正式名称を持っている施設のこと)。以下の二点を満たすのであれば、私は「顕栄」への改名をした方がよいと思います。
  1. 国内で「変容+施設名(教会、聖堂等)」としている施設がない。
  2. ソローチンツィのこの施設に限って、日本語文献で「変容教会」で紹介されている、という定訳があるわけではない。
  3. その他、「今回に限っては、条件によっては」に該当するような事情が見つからない。
  • 3. がよくわかりませんが、1. について満たすと思うので、現時点でどちらかといえば改名賛成寄りです。もし2. について何か特定の出典があれば、ご提示願いたいと思います(ソローチンツィは日本語文献に出てくるので、探せばこの教会の翻訳例も見つかるかもしれません)。もし日本語での慣用表記が「顕栄教会」であるにも拘らず 「変容」を推すのであれば、ぜひ2. についての調査(この教会についての翻訳例の調査)をお願い致します。--PRUSAKiN 2009年11月30日 (月) 06:51 (UTC)[返信]
  • 賛成 遅くなりましたが、改名提案に賛成します。正教会の聖堂についての項目なのですから、日本の正教会の用語が尊重されるべきです。--Evangelical 2009年11月30日 (月) 16:32 (UTC)[返信]

2009年12月5日~

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  • コメント Evangelicalさん、ありがとうございます。PRUSAKiNさんの問い掛けへのAlexKさんの返答につき、さらに(今日から)1週間待ちます。再反論がなければ合意が成立したと判断し、改名させて頂きます。--Kinno Angel 2009年12月5日 (土) 07:39 (UTC)[返信]
  • 反対 わかりずらい表記に反対です。主の顕栄祭には「変容」が使用されているし、「変容」は正教会の名前にも使用されております。日本正教会の独自表記を用いなくてもいいと思います。--Alex K 2009年12月6日 (日) 14:08 (UTC)[返信]
  • コメント日本正教会の独自表記正教会でも「変容」は使われている」をお題目のように繰り返すばかりですね。これまでの議論をしっかり読んでいらっしゃるのでしょうか。これでは対話不可能と判断されても仕方ないと考えます。--Kinno Angel 2009年12月7日 (月) 00:08 (UTC)[返信]
  • コメント 節を分けました。AlexK氏の「日本正教会の独自表記正教会でも「変容」は使われている」の二点について。前者については正教会の用語を尊重する気が無いAlexK氏の姿勢が如実に現れていますね(彼は私のこうした批判について「個人攻撃」としていますが、事実を述べているまでです)。これについては日本語の実情も併せて2009年11月16日、2009年11月20日に説明・指摘済みです。後者については否定した事は一度も御座いませんし、それでもなおなぜ「顕栄」表記への統一を推すのかの理由は、2009年11月30日に説明済みであり、PRUSAKiNさんもそれを踏まえた御意見を2009年11月30日に述べておいでです。読んでいないのはAlexK氏だけです。--Kinno Angel 2009年12月7日 (月) 00:20 (UTC)[返信]
  • 「顕栄」という翻訳が「日本正教会の独自表記」(ウィキペディアで言う独自研究のようなもの?)なのか、「日本正教会を中心に定着した表記」であるのかの認識が共有されていないようです。ここまで議論してまったく進展がないのですから、この点についてはこれまでの限られたメンバーの議論ではなく、より幅広い意見を聞いて決めていくほか打開策はなさそうです。
    ページ名の決定にはあまり影響しないはずと思いますが(要は、なんであれ使用出典があるので)、「顕栄」という単語が「変容」よりわかりにくい、というのは、評価の仕方に起因する問題だと思います。つまり、「立身出世」より「顕栄」のほうが格調高い表現ですよね。得てして格調高い表現というのは日本語の素養の少なくなった現代日本人にとってはわかりにくいものです。格調高さを高踏過ぎるとして批判するか、格調高くてよいと評価するかは、それは人それぞれでしょう。
    普通の日本語(宗教用語でない)でいう「変容」はウクライナ語の Преображення ではありませんよね。多分 зміна だと思います。敢えて日常語的な訳語を選ぶ必要性はないと思われます(選んではいけない、という意味ではありません)。
    なお、「立身」という単語は本来「修養して一人前になること」(日本国語大辞典)ですから、「顕栄」が「立身出世」だったとしても物凄く変だということはなさそうです(キリストが修養するのか、一人前になるのか、という文字通りの意味ではやはり変かもしれませんが、そこはたんなる言い回しの問題と考えることは可能です)。「立身出世」も、日本国語大辞典に記載されている意味からすれば、さほど奇妙な意味ではないと思います。ただ、現代日本での用法が少し違ってきているだけということです。
    要するに「顕栄」ではいけないという理由は何もなく「変容」にしなければならない理由も何もないと思うのですが、可能性があるとすれば、実は「顕栄教会」というのが定訳だというのが誤認情報で、実は「変容教会」の方が多い、あるいは多いとは行かなくてもそれなりに出典がある、ということかと思います。従いまして、前回書いたように、信頼できる日本語文献で使用例を探してくるのが何よりだと思います。--PRUSAKiN 2009年12月7日 (月) 09:02 (UTC)[返信]
  • (コメント)『正教時報』2009年3月号に「変容聖堂」の用例がありますし、聖公会の姫路教会にも顕栄教会はあります。なのでカトリック用語・正教会用語というのは誤りで頻度の問題であると思います。johncapistrano 2009年12月7日 (月) 16:59 (UTC)[返信]
  • コメント どうして読まないでコメントする方が多いのでしょうか。私は一度も「日本正教会では変容聖堂と言わない」などと言ってはいません。
    • 「顕栄聖堂」が日本正教会の同種の聖堂の正式名称です(冒頭に述べました)
    • 確かに「変容聖堂」は各種媒体で使われます。しかし二種類併記のメリットが今回見当たらない、と言う事を申し述べています(それも何度もです)。
    • それはさておき、日本聖公会にも顕栄聖堂があるのは存じませんでした。御教示ありがとうございます。--Kinno Angel 2009年12月7日 (月) 23:16 (UTC)[返信]
  • コメント いつ、私を初めとした多くの方からの指摘につき回答を頂けるのでしょうか(そもそも「顕栄」は日本正教会の「独自表記」だから尊重するに値しない、という話は、johncapistranoさんのご指摘により崩壊しています)。一々予告申し上げるのも疲れましたので、これより、8日間反論が無い場合には、改名が是認されたものと看做させて頂こうと思います。--Kinno Angel 2009年12月12日 (土) 14:01 (UTC)[返信]

2009年12月20日~

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ノート:救世主変容教会(ヴェルィーキ・ソローチンツィ)

  • 反対  改名に反対します。理由:『日本のロシア正教の教会名としては顕栄教会が使われていますが、海外のロシア正教の教会名の日本語への「定訳」としては、変容教会が使われている。』辞書に単語がのっていて検証可能性を満たしているのは変容教会と考えます。Alex.Kさんは、本文に辞書の例文を検証可能な引用で示すべきです。一方で顕栄教会に関するKinnoAngelさんの議論は、現在までのところ検証可能性を満たしていないので独自研究です。「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。また、傍証ですが、「日本にあるロシア正教の教会を除外した」googleの検索結果をみると:
  • ロシア 変容教会 -顕栄聖堂 -顕栄大聖堂 -顕栄祭 -変容祭 -wikipedia -wapedia -姫路  -高清水 -札幌 -馬頭 -修善寺 64,000 件
    ロシア 顕栄教会 -顕栄聖堂 -顕栄大聖堂 -顕栄祭 -変容祭 -wikipedia -wapedia -姫路  -高清水 -札幌 -馬頭 -修善寺  964 件
  • 明らかに変容教会が定訳です。従って、名称の変更に反対します。飜訳で顕栄教会としての使用例も無いわけではありませんが、google検索結果では、CDジャケットの解説文が最初に出てきますので定訳とは言えません。一方、変容教会には、ロシア正教の信徒によると思われる使用例が多々あります。なお、顕栄聖堂(顕栄大聖堂)は普通に使われているとの解説もありました。元の単語の後半の意味が教会ではなく聖堂なら顕栄聖堂(顕栄大聖堂)が訳としてはフィットするでしょうが、本文を見る限り教会のようです。---113.32.16.18 2009年12月20日 (日) 05:43 (UTC)[返信]
  • コメント 顕栄教会に関するKinnoAngelさんの議論は、現在までのところ検証可能性を満たしていないので独自研究です。についてですが、既に論拠として外部リンクを提示しています。「検証可能性がない」のではなく、113.32.16.18さんが読んでいないだけです。
    • 一方、変容教会には、ロシア正教の信徒によると思われる使用例が多々ありますについてですが、これについても否定したことはありません。何度言わせるのでしょうか。
      • (繰り返し言っている論旨)「顕栄教会」も「変容教会」も正教会で使われる。しかし日本正教会の正式な教会名は顕栄教会である。「顕栄祭」も「変容祭」も同義である。二種類の名称を併用するメリットが見当たらない以上、正式名称である「顕栄教会」「顕栄聖堂」で統一するべである。
    • 私は「日本にあるロシア正教会の名前」など提示していません。「日本正教会」の聖堂名については提示しましたが。ロシア正教会の冒頭位読んでから、こういう微妙な術語の問題の議論に参加して頂けませんか?そもそも当記事の聖堂はウクライナ正教会のものであってロシア正教会のものではありません。そもそも「ロシア正教の信徒」という言い方をしている時点で、当該記事に関わる基本的な術語について一切知らないのが丸分りです。「正教徒」を御覧下さい。
    • 通用性が高いなどと、私が主張した覚えは一回もありません。
    • 相変わらず本当に読んでいない人が多すぎますね…二種類併用のメリットと言えば、読みもしないで反対ばかりする人が出現するという、この不毛な議論に決着が付くという事位でしょうか。--Kinno Angel 2009年12月21日 (月) 00:59 (UTC)[返信]

リンク修正--Kinno Angel 2009年12月21日 (月) 01:26 (UTC)[返信]

  • すみません、リンク先で私が「以下の二点を満たすのであれば」と書いているのは、「以下の三点を満たすのであれば」の誤植です。失礼しました。--PRUSAKiN 2009年12月21日 (月) 09:28 (UTC)[返信]
  • 残念ながら、こちらの指摘には一切答えず反対意見のみを書き散らかされ、さらにこちらのページでは日本正教会の正式な漢語由来の表記につき「独自用語」と一蹴する一方、ノート:ボルシチでは一般に普及しているとは到底いえない漢語表記をゴリ押しするAlexKさんに、不信感を募らせずにはいられません。反対者の皆様には指摘にちゃんと答えて頂きたく存じます。--Kinno Angel 2009年12月30日 (水) 17:45 (UTC)[返信]

2010年1月5日~

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反対しているAlexK氏、およびIP氏から、私(のみならず賛同者)からの指摘に対して何ら誠意ある回答を頂けていません。AlexK氏は他のページでも「一回反対」した後、私(のみならず賛同者)からの指摘を完全に無視して「日本正教会の用語は考慮に値しない」の一点ばりで反対するだけです。これ以上議論を無視し続けられるようであれば、議論に参加している方々からは合意が得られたものとして、改名を実行するしかないと考えております。1週間以内に回答が無ければ改名を実行します。--Kinno Angel 2010年1月5日 (火) 05:01 (UTC)[返信]

予告した日時からは大幅に過ぎていますが、なおJST日曜日(2010年1月17日)一杯までは待ちます。もし反対されるようでしたら、私(のみならず賛同者)からの諸々の指摘に対して具体的に反対して下さい。これ以上議論を無視し続けられるようであれば、議論に参加している方々からは合意が得られたものとして、JST月曜日(2010年1月18日)には改名を実行します。--Kinno Angel 2010年1月16日 (土) 02:59 (UTC)[返信]

改名報告

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予告日時を大幅に過ぎても反対がなかったため、改名を実行しました。議論参加者の皆様、ありがとうございました。--Kinno Angel 2010年1月21日 (木) 09:27 (UTC)[返信]

移動差し戻しへの抗議

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移動差し戻しにつき。AlexKさん。何度予告したと思っているのですか。何度指摘に答えるように要請したと思っているのですか。指摘を無視して予告を無視しておいて、改名したら単純に差し戻しですか。一体何をお考えなのですか?--Kinno Angel 2010年1月21日 (木) 23:43 (UTC) それと、WP:NC違反を指摘した書き込みの削除についてですが、おそらく括弧の使い方についての事ではと思われます。なぜ単純に削除したのか、これについても説明願いたいものです。--Kinno Angel 2010年1月22日 (金) 00:04 (UTC)[返信]

AlexK氏による合意を無視した移動差し戻しを差し戻し、再度改名いたしました。同じページで改名提案の議論が行われ、移動依頼に提出された救世主変容教会救世主顕栄教会への移動が、管理者の手を経て移動が行われたことを見ても、合意が成立していることははっきりしています。今後は、合意を無視した差し戻しなど絶対に行わないようにして下さい。--Dr.Jimmy 2010年2月6日 (土) 00:42 (UTC)[返信]
Dr.Jimmyさん、対応をありがとうございます。--Kinno Angel 2010年2月6日 (土) 08:07 (UTC)[返信]

不適切な記事名と曖昧さ回避

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#改名提案に参加するだけの知識は持ち合わせておりませんが、一言申し述べます。当記事は括弧付き記事名となっていますが、Wikipedia:記事名の付け方#記事名の重複を回避する手段及びWikipedia:曖昧さ回避では「半角スペースの後に半角カッコで括った分類名を記事名の末尾につける」という方法をとることになっています。このことに関して当記事は半角スペースも置かず全角カッコを使用しているので不適切な記事名であり、この点でも改名が必要です。

また、改名提案対象に含まれる救世主変容教会は曖昧さ回避ページとなっていましたが、現時点で当記事以外の同名記事がなく曖昧さ回避の態をなしていませんので、当記事へのリダイレクトに修正させていただきました。他に救世主変容教会の記事が作成された時点で曖昧さ回避ページとして復活させてください。(このことについてはWikipedia:曖昧さ回避をお読みください。)--218.110.170.81 2009年11月14日 (土) 22:31 (UTC)[返信]